経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】 青森県青森市 棟方志功記念館 校倉造り風の建物と池泉廻遊式日本庭園

2023-07-28 16:32:59 | 【カシャリ!ひとり旅】 青森・岩手・秋田

 

  【カシャリ!ひとり旅】 青森県青森市 棟方志功記念館 校倉造り風の建物と池泉廻遊式日本庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 青森県青森市 棟方志功記念館 校倉造り風の建物と池泉廻遊式日本庭園 

 

 棟方志功記念館は、青森市のマンホールの蓋にも描かれているねぶた祭で知られる青森市内当方にあります。

 棟方志功記念館は、青森市に生まれた世界に誇る板画家棟方志功の文化勲章受章を讃え、画業を記念して、昭和50年11月17日に開館しました。
 校倉造りを模した建物は、池泉回遊式の日本庭園と調和し、落ち着いた佇まいは、季節の移ろいとともに四季折々の風情を感じさせてくれます。

 2012年(平成24年)鎌倉市・棟方板画館を吸収合併したことにより、収蔵作品数は国内最多を誇ることとなりました。その充実した作品群から年4回の展示替えを行い、《二菩薩釈迦十大弟子》を初めとするダイナミックな板画のほか、繊細な表現を見せる倭画(肉筆画)・ゴッホに憧憬した油絵・力感に溢れた書などの作品展示に加え、板木を含む関連資料など幅広く紹介されています。

 館内には、初期から中期にかけての代表作品のほどんどが収められ、常時約30作品が展示されています。版画のほか倭画、油絵、書など棟方志功の貴重な作品を見ることができます。
 「展示室内の棟方作品」にかぎり、撮影が可能です。(写真等は著作権者が異なりますので撮影できません)
 

 美術館の前庭として池泉回遊式庭園と枯山水庭園があります。
 青森の中心部では数少ない本格的な日本庭園です。「校倉造」を模した記念館の建物外観とマッチしています。
 

■ アクセス

 青森駅より車で約15分/青森中央ICより車で約15分

タクシー
 新青森駅から約20分 青森駅から約15分 青森空港から約30分
JR・バス
 JR新青森駅(新幹線)南口下車
  市営バス①のりば「東部営業所」「県立中央病院前」へ乗車約25分
  「堤橋」下車 徒歩約10分
 JR青森駅(在来線)下車
 市営バス駅前③のりば「横内環状-青森駅」「中筒井経由昭和大仏」などへ乗車約15分
 「棟方志功記念館通り」下車 徒歩約4分
 市営バス駅前②のりば「国道経由東部営業所」へ乗車約12分 「堤橋」下車 徒歩約10分
 

青森駅からはバスの本数も多く、公共交通機関の利用も便利です

 

校倉造り風の建物、その周囲に広がる庭園

 

館内では写真撮影もできます(除一部作品)

 

棟方志功の作品を充分に堪能できます。

 

池泉廻遊式日本庭園ですが、手前の岸から見るだけで庭園内には入れません。

池の中央には滝もあります。

 

棟方志功記念館は、2024年3月をもって閉館となり、

作品は青森美術館に移される早朝ウォーキングです。

この建物の利用法や庭園についてはどうなるのか未定

 

 映像(ユーチューブ)

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

2023-07-28 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】写真・旅行 Misc.

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 法 堂 

 

法堂(はっとう) (重要文化財)
 

 禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
 内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。須弥壇上の額「法堂」は隠元の書であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。

 法堂は、「ほうどう」と書いて「はっとう」と読みます。禅寺における重要伽藍のひとつで、説法を行うための場所です。ここは、説法の他、上堂や住持が新たに任命される、いわゆる「晋山式」としても使われます。
 寛文2年(1662年)に建立された、一重入母屋造、棧瓦葺の堂宇です。
 内部には、須弥壇のみが置かれているシンプルな造りで、中に入ってお詣りすることはできません。
 須弥壇上の扁額「法堂」は隠元の筆であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。外にある扁額「獅子吼」(ししく)は費隠通容の筆です。獅子吼とは、百獣の王である獅子が一度咆哮すれば百獣全てが従うことに喩えて、釈迦の説法を指します。

 

法堂 (重要文化財)

禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所

説法の他、上堂や住持が新たに任命される、

いわゆる「晋山式」としても使われます。

寛文2年(1662年)に建立された、一重入母屋造、棧瓦葺の堂宇

法堂は、「ほうどう」と書いて「はっとう」と読みます

 

扁額「獅子吼」(ししく)

費隠通容の筆です。

獅子吼とは、百獣の王である獅子が

一度咆哮すれば百獣全てが従うことに喩えて、

釈迦の説法を指します。

内陣・須弥壇

内部には、須弥壇のみが置かれているシンプルな造りで、

中に入ってお詣りすることはできません。

須弥壇上の扁額「法堂」は隠元の筆であり、

黄檗山では唯一の楷書による大書です。

 

 方 丈 
 

方丈とは、禅院住持の居間ですが、

萬福寺においては、寛文5年(1665年)に

甘露堂が建立されてからは

そこが方丈として使用されるようになったため、

東西にある両方丈は、来客の応接や特定の儀式等に使われます。

 

 

西方丈

 

西方丈

方丈としてではなく

ここ萬福寺では、来客の応接や特定の儀式等に使われます。

東方丈(非公開)

 

 巡照板 

 

萬福寺の修行僧は朝及び夜に巡照板を打ち鳴らして

各寮舎を回ります。

巡照板は、境内に5カ所あり、

長い廻廊を巡ることになりますので、

修行僧は「巡廊板」とも呼ばれます。

 

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)
威徳殿の前に吊り下げられています。

黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。

魚梆、魚鼓とも呼ばれます。

叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる

魚の形をして法器のことです。


雲版(奥の円形物)は、

朝と昼の食事と朝課の時に打って知らせる青銅製の板です。

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【話材】 昨日07/27のつぶやき 藤田記念庭園7 日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を落ちる滝

2023-07-28 07:22:11 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日07/27のつぶやき 藤田記念庭園7 日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を落ちる滝

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

晴れb5

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【きょうの人】 0728 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

2023-07-28 06:33:00 | 【話材】 きょうの人07月

 

  【きょうの人】 0728 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

 

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 江戸川 乱歩 日本に推理小説を知らしめた作家・評論家

 えどがわ らんぽ
 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)

 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。

 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。

 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。

 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。

 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。

 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。

 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。

 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。

 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする