武術、特に日本の古武道である、大東流合気柔術や剣術、私が稽古を重ねてきた圓功禪拳、そして八卦掌などの柔拳法は、「力まない、踏ん張らない、ねじらない」という身体操作がしっかりできるほど、相手にっとって認識しにくい勁力が伝わるので、結果的に相手を固まらせたり、崩したり、芯まで通る独特な攻撃や受け技を発することができたりします。
こういう技はとても難しくて、ちゃんと稽古をしていないとなかなか百発百中とはいかないのですが、もう力やスピードに頼ることのできないおじさんである私たちや、非力な女性がこの技を身につけますと、非常に有用な身体操作です。この私もいまだに日々精進中であります。
一輪車に乗っているときは、全く踏ん張ることができません。体の軸をふわりと立てて、ちょこんとサドルに乗っていなければ安定することができません。どこかに力みが入ったとたんに倒れてしまいます。 実は不安定なのが安定していて、踏ん張っているのは実は安定していないという哲学的な結論となります。
日本伝大東流合気柔術の岡本眞先生のおっしゃっていた「手を放して自転車に乗っているときの腰の使い方を浮き腰といって、その状態で力を抜き切った腕と手首で相手に触れると、相手の重心を無意識のうちに釣り上げて崩すことができる。」そして「できれば自転車より一輪車に乗った状態の腰、特に股関節の動きを稽古中に再現できるのが一番よろしい。」ということが大変印象に残りました。
爾来、一輪車に乗り続けてきたのですが、特に一輪車でアイドリングができることが大変重要であると確信いたしました。
確かに相手にふわりと触れた状態で、この浮き腰などの股関節の動きをうまく使えたときは、相手が膝や腰からぐにゃりと崩れてしまったり、ぴょんとつま先立ちになって棒立ち固定の状態になったりするのです。
やった!と思って腕の力で力んだり、いつもの踏ん張ったたち方をしてしまうと途端にその技が消えてしまって、力の強い外人に絞め落とされてしまいます。
勝とう!と思うエゴが本当に相手をつけあがらせて力負けしてしまうのです。なんか昔のスポコン武道マンガに出てくるような、エゴの末路が再現されてしまいます。。
スーパーおじさんになる道のりは嶮しい。。。
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