夜中の大雨と雷で、本日の天気もあまり良くないはずであろうから、本日の大村市竹松遺跡の発掘作業は中止になるものとばかり思っていた。
班長からの作業中止の連絡網の電話を待つ。
7時を少し過ぎてもかかってこない。
7時10分を過ぎた。
こちらから班長に電話を入れて確認してみる。
「まだ、今のところは連絡が入っていません。」と班長。
ある程度、時間に余裕を持って出かけなければということで、いつも7時10分ごろには家を出る事にしている。
妻も、本日は私の仕事は休みになるものと決め付けていて、弁当の握り飯の用意はしていない。
7時10分頃に、本日の仕事はあるようだということで、急遽握り飯を作ってくれて、7時15分ごろには家を出た。
3人の車でローテーションを組んで出勤している。
きょうの車当番は、諫早市栄田町に住んでいる友人なので、一番遠い雲仙市愛野町に住んでいる私が、諫早市黒埼町に住んでいる友人の所まで車で行き、友人の家の駐車場に車を止めてから、友人の車に同乗して諫早市栄田町の友人の所に行き、その友人の家の駐車場に乗ってきた車を止めて、栄田町の友人の車に3人で乗って大村市竹松遺跡の発掘現場まで移動する。
そのような連携で通勤しているので、私にとってはガソリン代の相当な節約になっている。
いつもより10分程度遅く現場に着いた。
ほとんどの作業員の方が、私と同じような予測で、本日の作業は中止になるものと思われていたようで、弁当の準備をしていない人も多かったようだ。
現場で弁当の予約販売をしている業者さんも、きょうは注文が多かったそうだと聞いた。
午前中はほとんどの作業班が、ブルーシートに溜まった水の除去作業だった。
ブルーシートに溜まった水の除去作業も、回数を重ねてくると、皆さん要領が分かってきて、作業員相互の連携もスムーズになり、処理のスピードも速くなってきたように思われる。
しかしながら、水が入ったバケツと空のバケツとの流れを、ループを描くような配置で進める方が効率が良いのだという理解をされていない人も中にはおられるようで、どうしてもそのようなループが完成するまでには時間がかかっているように見受けられる。
作業の開始から1ヵ月以上が過ぎたので、各班ごとに連帯感が形成されつつあるように感じられる。
しかし、一方では、昼休み以外の休憩時間に休憩棟に入り、作業開始の号令がかかっても、なかなか現場に戻らないような人も、ごく少数ながらいるようだという話を聞いた。
小休止などの号令も、適宜かかっており、休憩時間は充分すぎる程度に取らせてもらっているのに、なぜそのようにするのか理解に苦しむ。
仕事にありつけているだけで幸せだと、日々感謝しながら働かせてもらっている自分としては、そのような人の行動が理解できない。
責任感ある、どこかの班の班長さんが、そのような人を注意しておられた。
午後は、いつものように測量作業をさせてもらった。
遺構のピット(穴)の配置状況を把握するための「概測」という作業で、既に概測をしているピット(穴)以外で、新たに掘られたピットを計測するという作業だった。
ピットの番号を書き込んだ図面を用意してくださっていたので、作業が非常にやりやすかった。
作業が終了して、終礼を迎える頃に、どうも右腕の調子が普段と違う。
なぜかなとよくよく考えてみたら、本日は半日間、13班に混じっての水出しのバケツリレーの末端で、バケツの水を水路に流す係りをずっとしていた事を思い出した。
自分が思っているほど体力年齢は若くは無いのだと気付かされた日だった。
朝礼の時の渡辺さんの「本日も安全作業でよろしくお願いします。」というすがすがしい挨拶には、きょうも1日頑張らせてもらおうという力をいただき、終礼の時の「本日も1日お疲れ様でした。ありがとうございました。」という挨拶には、1日無事に働かせてもらったことへの感謝の気持ちが湧いてきて、肉体的な疲れも払拭されてしまう。
200人からの作業員の安全管理の責任をおっておられる責任感と誠実さが伝わって来る。
通勤時に、通勤車輌の整理に当たっておられる調査員の方々の「おはようございます」「お疲れ様でした」の挨拶からも、いつも力をいただいている。
言葉のもつ力が、竹松遺跡の発掘調査組織の、連携と連帯感を深めていってくれているように思える。
豊田一喜
班長からの作業中止の連絡網の電話を待つ。
7時を少し過ぎてもかかってこない。
7時10分を過ぎた。
こちらから班長に電話を入れて確認してみる。
「まだ、今のところは連絡が入っていません。」と班長。
ある程度、時間に余裕を持って出かけなければということで、いつも7時10分ごろには家を出る事にしている。
妻も、本日は私の仕事は休みになるものと決め付けていて、弁当の握り飯の用意はしていない。
7時10分頃に、本日の仕事はあるようだということで、急遽握り飯を作ってくれて、7時15分ごろには家を出た。
3人の車でローテーションを組んで出勤している。
きょうの車当番は、諫早市栄田町に住んでいる友人なので、一番遠い雲仙市愛野町に住んでいる私が、諫早市黒埼町に住んでいる友人の所まで車で行き、友人の家の駐車場に車を止めてから、友人の車に同乗して諫早市栄田町の友人の所に行き、その友人の家の駐車場に乗ってきた車を止めて、栄田町の友人の車に3人で乗って大村市竹松遺跡の発掘現場まで移動する。
そのような連携で通勤しているので、私にとってはガソリン代の相当な節約になっている。
いつもより10分程度遅く現場に着いた。
ほとんどの作業員の方が、私と同じような予測で、本日の作業は中止になるものと思われていたようで、弁当の準備をしていない人も多かったようだ。
現場で弁当の予約販売をしている業者さんも、きょうは注文が多かったそうだと聞いた。
午前中はほとんどの作業班が、ブルーシートに溜まった水の除去作業だった。
ブルーシートに溜まった水の除去作業も、回数を重ねてくると、皆さん要領が分かってきて、作業員相互の連携もスムーズになり、処理のスピードも速くなってきたように思われる。
しかしながら、水が入ったバケツと空のバケツとの流れを、ループを描くような配置で進める方が効率が良いのだという理解をされていない人も中にはおられるようで、どうしてもそのようなループが完成するまでには時間がかかっているように見受けられる。
作業の開始から1ヵ月以上が過ぎたので、各班ごとに連帯感が形成されつつあるように感じられる。
しかし、一方では、昼休み以外の休憩時間に休憩棟に入り、作業開始の号令がかかっても、なかなか現場に戻らないような人も、ごく少数ながらいるようだという話を聞いた。
小休止などの号令も、適宜かかっており、休憩時間は充分すぎる程度に取らせてもらっているのに、なぜそのようにするのか理解に苦しむ。
仕事にありつけているだけで幸せだと、日々感謝しながら働かせてもらっている自分としては、そのような人の行動が理解できない。
責任感ある、どこかの班の班長さんが、そのような人を注意しておられた。
午後は、いつものように測量作業をさせてもらった。
遺構のピット(穴)の配置状況を把握するための「概測」という作業で、既に概測をしているピット(穴)以外で、新たに掘られたピットを計測するという作業だった。
ピットの番号を書き込んだ図面を用意してくださっていたので、作業が非常にやりやすかった。
作業が終了して、終礼を迎える頃に、どうも右腕の調子が普段と違う。
なぜかなとよくよく考えてみたら、本日は半日間、13班に混じっての水出しのバケツリレーの末端で、バケツの水を水路に流す係りをずっとしていた事を思い出した。
自分が思っているほど体力年齢は若くは無いのだと気付かされた日だった。
朝礼の時の渡辺さんの「本日も安全作業でよろしくお願いします。」というすがすがしい挨拶には、きょうも1日頑張らせてもらおうという力をいただき、終礼の時の「本日も1日お疲れ様でした。ありがとうございました。」という挨拶には、1日無事に働かせてもらったことへの感謝の気持ちが湧いてきて、肉体的な疲れも払拭されてしまう。
200人からの作業員の安全管理の責任をおっておられる責任感と誠実さが伝わって来る。
通勤時に、通勤車輌の整理に当たっておられる調査員の方々の「おはようございます」「お疲れ様でした」の挨拶からも、いつも力をいただいている。
言葉のもつ力が、竹松遺跡の発掘調査組織の、連携と連帯感を深めていってくれているように思える。
豊田一喜