日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

落とされた面接試験の思い出

2012年07月15日 | インポート
58年の人生の中で、面接試験を受けて落とされた経験が4回ある。

最初に落とされた面接試験は、18歳の時の、初級国家公務員試験の二次試験の面接試験。

一次試験の筆記試験では合格しており、二次試験は希望する官庁における面接試験を受けるという仕組みに当時はなっていた。

今はどのような仕組みになっているのかは知らない。

測量の専門学校に通っていた頃の秋に、初級職国家公務員試験の一次試験である筆記試験があり、程なくして合格通知と共に、二次試験である面接試験の日程と面接場所が同封された通知が届いた。

高校を卒業してから、修業年限が1年間の測量専門学校に通っていたので、卒業後の就職先を決めなければならない時期だった。

建設省国土地理院(現在の国土交通省国土地理院)に入りたいと思っていたので、そこの面接を受けた。

そして落とされた。

当時を振り返ってみると、落とされて当然の受け答えをしていた事に思い当たる。

面接試験を受ける前の年(国家公務員初級試験の筆記試験を受けた年)に国政選挙があり、日本共産党が大躍進して38議席を確保していた。

面接では、そのことについてどのように思うかと問われた。

日本共産党を支持している訳ではなかったが、思っている事を正直に述べた。

多様な政党が存在する事によって、幅広い考え方が国政の中で議論される事になるのだという考え方を持っていたので、「世の中がよい方向に変わっていくのではないかと思います。」と答えてしまった。

自民党が運営しているような国家において、その政党とは対極をなすような政党の躍進を肯定するような者は、国家公務員としては採用しない方が無難だと考えるはずであるから、面接官の人たちが私を落とした事は、今考えれば妥当な所だと思う。

不採用の通知が届いてから、測量専門学校の卒業まではあまり期間がなかったので、担任の先生の所に相談に行った。

この担任の先生というのがすごい方で、私たちが教えてもらっていた写真測量の教科書である「写真測量の実際」という本の著者であり、日本の大手航空写真測量会社である国際航業の測量設計事業部長をされてから、私が測量専門学校に入学した年に、別の大手航測会社の東日本航空株式会社の副社長になられて、測量専門学校の写真測量学の教授も兼務されていた人である。

戦前に、陸軍士官学校と陸軍砲工(科学)学校を卒業されてから、陸軍少佐として陸軍野戦砲兵学校の教官をされていた方である。

「国家公務員の面接試験で不採用になりました。どこか就職口を紹介していただけませんでしょうか。」と先生に聞いた。

すると、「うちの会社に入らないか。」という先生からのありがたいお言葉。

渡りに船とばかりに、「それではよろしくお願いいたします。」という事で、先生が副社長をしておられる東日本航空株式会社に就職させてもらうことに決定した。

19歳になったばかりの頃の私の就職活動は、ものの3分で完了した。

その航空写真測量会社にて、写真測量の実務の基礎をみっちりと教えて頂いた。

その会社では、以前のこのブログでも書いているが、北海道の現場出張時における先輩方の遭難未遂事件などがあり、印象に残る思い出がたくさんある職場だった。

2回目にに落とされた面接試験は、北海道の釧路市で航空写真測量も営んでいた、道東で一番大きな測量会社の面接試験になる。

九州出身の私では、北海道には根付かないと判断されたものと自分では思っているが・・・・。

3回目に落とされた面接試験は、2年半ほど前になる。

その当時に本業としていた写真測量の下請け作業が激減したので、現金収入を得るために、宅配便の早朝仕分けのパートの面接を受けた時に落とされた。

ある程度の年齢になると、就職事情がかなり厳しいという事を実感した。

そして4回目に落とされた面接試験は、今年の4月のことで、落ちたてのほやほやになる。

雲仙市内にある、第三セクター方式で運営している食品加工会社の、夜間における機械清掃のパートの仕事の面接試験で落とされた。

パートの従業員の方が1名、病気のために退職されるので、補充要員の採用のための面接だった。

58年の人生の中で、以上4回の面接試験に落ちている。

面接試験というのは採用する側が判断することなので、その結果については何も言えはしないが、パートの面接で落とされた時には、その会社と自分は縁がなかったのだと思い、自分のようなまじめでよく働く人間(本当です)を採用しなかった会社は損をしたのだと思うようにしている。

そして、5月末の大村市竹松遺跡のアルバイト作業員の面接試験を受けさせてもらい、採用して頂いて現在に至っている。

仕事をさせてもらっているだけで幸せで、休みの日には趣味の魚釣り三昧という、夢のような日々を過ごさせてもらっている。

自営業の時に、納期に追い立てられて、休日も夜も無いような生活だったが、その頃に失われた時間を、今取り戻せるように、神様が差配してくれているのだと勝手に解釈して、今を神様がくれた時間だと思うようにしている。
(神様という表現をしていますが、我が家の宗教は仏教で浄土真宗で、「南無阿弥陀仏」です。)

落とされた面接試験の思い出から、今の現実に、ただただ感謝している。



豊田一喜