日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

「消費税増税に賛同しない人を公認しない」民主党

2012年07月14日 | インポート
12日朝、野田佳彦首相は、国会で自民党議員の質問に答え、「消費税増税を民主党マニフェストに明記する」、「消費税増税に賛同しない人を公認しない」と明言したのだそうだ。

ということは、私たちの長崎2区の福田衣里子衆議院議員も公認されないという事になる。

結構なことである。

「民主党」という看板を背負っているだけで、ものすごいハンディを覚悟して臨まなければならない次の国政選挙になるはずだから、これ幸いに民主党を離党して、小沢一郎氏の「国民の生活が第一」党に、早目に鞍替えした方が賢明ではなかろうか。

元々、小沢一郎氏の尽力によって国会議員になれたような背景がある人たちは、今回の小沢一郎氏の離党に際して、黙ってついて行くという事が人の道ではなかろうかと私は思う。

小沢一郎氏の主張している事が、本来の民主党のマニフェストに沿った、国民と約束した正論なのだから。

福田衣里子衆議院議員も決断の時ではなかろうか。

それにしても、野田首相は何を勘違いしてそのような発言をしたのだろうか。

思慮分別が欠如した、空気を全く読めない人なのだなと、つくづく思う。

消費税増税には反対したが、民主党を離党してはいない人達に対して、出て行けと言っているようなものだ。

民主党が凋落しているのだという現実を、どうして把握できていないのだろうか。

「消費税増税に賛同しない人を公認しない」民主党を、多くの国民は公認しないだろう。



豊田一喜













連携と連帯感

2012年07月12日 | インポート
夜中の大雨と雷で、本日の天気もあまり良くないはずであろうから、本日の大村市竹松遺跡の発掘作業は中止になるものとばかり思っていた。

班長からの作業中止の連絡網の電話を待つ。

7時を少し過ぎてもかかってこない。

7時10分を過ぎた。

こちらから班長に電話を入れて確認してみる。

「まだ、今のところは連絡が入っていません。」と班長。

ある程度、時間に余裕を持って出かけなければということで、いつも7時10分ごろには家を出る事にしている。

妻も、本日は私の仕事は休みになるものと決め付けていて、弁当の握り飯の用意はしていない。

7時10分頃に、本日の仕事はあるようだということで、急遽握り飯を作ってくれて、7時15分ごろには家を出た。

3人の車でローテーションを組んで出勤している。

きょうの車当番は、諫早市栄田町に住んでいる友人なので、一番遠い雲仙市愛野町に住んでいる私が、諫早市黒埼町に住んでいる友人の所まで車で行き、友人の家の駐車場に車を止めてから、友人の車に同乗して諫早市栄田町の友人の所に行き、その友人の家の駐車場に乗ってきた車を止めて、栄田町の友人の車に3人で乗って大村市竹松遺跡の発掘現場まで移動する。

そのような連携で通勤しているので、私にとってはガソリン代の相当な節約になっている。

いつもより10分程度遅く現場に着いた。

ほとんどの作業員の方が、私と同じような予測で、本日の作業は中止になるものと思われていたようで、弁当の準備をしていない人も多かったようだ。

現場で弁当の予約販売をしている業者さんも、きょうは注文が多かったそうだと聞いた。

午前中はほとんどの作業班が、ブルーシートに溜まった水の除去作業だった。

ブルーシートに溜まった水の除去作業も、回数を重ねてくると、皆さん要領が分かってきて、作業員相互の連携もスムーズになり、処理のスピードも速くなってきたように思われる。

しかしながら、水が入ったバケツと空のバケツとの流れを、ループを描くような配置で進める方が効率が良いのだという理解をされていない人も中にはおられるようで、どうしてもそのようなループが完成するまでには時間がかかっているように見受けられる。

作業の開始から1ヵ月以上が過ぎたので、各班ごとに連帯感が形成されつつあるように感じられる。

しかし、一方では、昼休み以外の休憩時間に休憩棟に入り、作業開始の号令がかかっても、なかなか現場に戻らないような人も、ごく少数ながらいるようだという話を聞いた。

小休止などの号令も、適宜かかっており、休憩時間は充分すぎる程度に取らせてもらっているのに、なぜそのようにするのか理解に苦しむ。

仕事にありつけているだけで幸せだと、日々感謝しながら働かせてもらっている自分としては、そのような人の行動が理解できない。

責任感ある、どこかの班の班長さんが、そのような人を注意しておられた。

午後は、いつものように測量作業をさせてもらった。

遺構のピット(穴)の配置状況を把握するための「概測」という作業で、既に概測をしているピット(穴)以外で、新たに掘られたピットを計測するという作業だった。

ピットの番号を書き込んだ図面を用意してくださっていたので、作業が非常にやりやすかった。

作業が終了して、終礼を迎える頃に、どうも右腕の調子が普段と違う。

なぜかなとよくよく考えてみたら、本日は半日間、13班に混じっての水出しのバケツリレーの末端で、バケツの水を水路に流す係りをずっとしていた事を思い出した。

自分が思っているほど体力年齢は若くは無いのだと気付かされた日だった。

朝礼の時の渡辺さんの「本日も安全作業でよろしくお願いします。」というすがすがしい挨拶には、きょうも1日頑張らせてもらおうという力をいただき、終礼の時の「本日も1日お疲れ様でした。ありがとうございました。」という挨拶には、1日無事に働かせてもらったことへの感謝の気持ちが湧いてきて、肉体的な疲れも払拭されてしまう。

200人からの作業員の安全管理の責任をおっておられる責任感と誠実さが伝わって来る。

通勤時に、通勤車輌の整理に当たっておられる調査員の方々の「おはようございます」「お疲れ様でした」の挨拶からも、いつも力をいただいている。

言葉のもつ力が、竹松遺跡の発掘調査組織の、連携と連帯感を深めていってくれているように思える。



豊田一喜





飯盛町結の浜の恵み

2012年07月11日 | インポート
雨のために大村市竹松遺跡の作業が中止になった。

友人と談合して、1日の有意義な過ごし方について検討する。

検討といっても、ほとんど検討の余地は無く、先週の金曜日に、大村市の鈴田川河口で釣りをした時に話をした、地元の中学生からの情報により、ほぼ予定は決まっていた。

諫早市飯盛町の結の浜(ユイノハマ)の防波堤で、鯵子(アジゴ)が釣れているという。

鯵子(アジゴ)のから揚げを食べてみたいという衝動には勝てず、きょうはそれを釣りに行くということで談合はすぐにまとまった。

決めなければならないのは、何時から動き出すかという事だけ。

7時45分ごろには諫早市の友人宅に到着するように段取りして出かける。

予定より少し遅れて7時50分頃に友人宅に到着し、予定の詳細について再度談合をする。

まず、彼のスッポンの好ポイントにスッポン釣りの仕掛けを投入してから、釣具屋さんに行き、2人合わせて、鯵子(アジゴ)釣りの撒き餌のアミを350円分と、2セットで250円の鯵子(アジゴ)釣りの仕掛けを購入。

さらに、他の魚も釣ってみたいという事で、青いそめを350円分購入してから、飯盛町の結の浜漁港に向う。

9時50分ごろには結の浜漁港に到着。

私は初めて行く漁港だったが、駐車スペースも広々としていて、歩いてすぐの所には結の浜海水浴場があり、きれいなトイレも完備している。

防波堤の幅も広く、ゆったりと魚釣りが出来る環境だった。

先行の釣り人が2人おられた。

1人はクロ釣りの人で、もう1人は鯵子(アジゴ)釣りの人だった。

あらかじめ、他の釣り好きの友人から聞いていたポイント付近に陣取ってから、鯵子(アジゴ)釣りを始める。

鯵子(アジゴ)や鯖子(サバゴ)や小さなイワシが、うじゃうじゃ泳ぎ回っていた。

鯵子(アジゴ)釣りのサビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰め込み、水中に投入すると、鯵子(アジゴ)や鯖子(サバゴ)の群れが、その周りを取り囲む。

そのうちの1匹や2匹が、仕掛けの疑似餌釣り針に食いついて引き込む。

すかさずにそっと上げる。

それの繰り返しで、鯵子(アジゴ)や鯖子(サバゴ)が、間断なく釣れてくれる。

鯵子(アジゴ)は7cmから13cm程度の大きさだが、鯖子(サバゴ)は14cmから20cm程度の大きさがあり、引き方も強い。

ある程度の数が釣れたところで、私は渓流仕掛けで、防波堤のきわを青イソメの餌で探ってみる。

10cm程度のアラカブの子が釣れてくれる。

ベラの子や10cm未満のタイの子やクロの子も釣れてくれる。

午後1時ごろには、アミ餌を2人で使ってしまったので、友人はアラカブ狙いの釣りを始める。

アラカブを釣りたいのだという友人に、先行のクロ釣りの人のお友達の方から、鯖の切り身で釣ってみればアラカブがよく釣れるというアドバイスを頂く。

友人は、クロ釣りの人から、その人が釣っていた鯖子(サバゴ)を分けて頂き、3枚に下ろして切り身にして釣り針に通し、仕掛けを防波堤のきわから1m程度のところに投げ入れる。

しばらくしてから、友人が「豊田さん、ウナギですよ」と言って、投げ竿のリールを巻き、長い魚を釣り上げた。

長さが50cm程度のアナゴだった。

その後、あまり時間をおかずに、またまた友人の竿が弧を描いている。

今度は、なかなか魚体を見る事が出来ず、水中のなんだかわからない魚と重そうyに必死でやり取りをしている。

それでもなかなか上がって来ない。

横方向や縦方向に、相当な力で引き込んでいる事が、友人の竿の曲がりと腕の動きから伝わってくる。

相当大きな魚であることは間違いない。

そうこうしているうちに、やっと水中に魚体を視認する事が出来た。

うつぼのような大きさの、大きなアナゴだった。

魚体が確認できてからも、水中にて必死で魚も抵抗する。

大村湾で40cmのチヌを釣り上げた時のセオリー通りに、魚の口を空気中に出してしばらく弱らせてからの取り込みへと持っていく。

途中から近くで鯵子(アジゴ)釣りをしに来ていた人が、クロ釣りの人のタモを借りて、慎重にその大きなアナゴをタモに収めて取り込んでくださった。

周りの一同で拍手。

胴回りの直径が7cm程度で長さが80cm程度の、丸々と太った大アナゴだった。

友人の竿には、その後も立て続けにアナゴの強い引きの当たりがあり、仕掛けが切られたり、落としたりしながらも、10回の当たりのうちの6回は、アナゴを釣り上げていた。

友人にとっては、超爆釣の当たり日だった。

クロ釣りのベテラン釣り人の方によれば、この防波堤でアナゴを釣った人を見たのは初めてだとのこと。

2人とも充分な釣果で、2人合わせて700円分の餌代の元は充分にとれた魚釣りだった。

釣り方のアドバイスをしてくださった、クロ釣りのベテラン釣り人の方に、タモを使わせてもらった御礼にと、友人がアナゴを1匹持って帰ってくださいと申し出ると「気持ちだけ貰っておく。また次に会いましょう。」と言って先に帰られた。

飯森町で石の加工業をしておられるという白髪のその方も、きょうが雨で自営業の現場に出られないので魚釣りに来たのだと言っておられた。

その方は、帰り際に、私には鯖子(サバゴ)5匹と15cmぐらいのクロ3匹をくださった。

本命ではない魚が釣れても、あまり嬉しくは無いのだとおっしゃっていた。

その方は、30匹以上の手の平大のクロを釣って帰って行かれた。

4時半頃に納竿してから、別の釣好きの友人が住む諫早市栄田町まで行き、友人が釣ったアナゴのおすそ分けをしてから、朝のうちに仕掛けておいたスッポン釣りの仕掛けを確認に行った。

6本の仕掛けのうちの1本にスッポンがかかっていた。

友人にとっては、盆と正月がいっぺんに来たような、1日だった。

私も友人との別れ際に、友人が釣ったアナゴを1匹おすそ分けしてもらった。

家に帰ってからが大変だった。

数えてみたら、鯵子(アジゴ)が57匹、アラカブ15匹、鯖子(サバゴ)が頂いた分とあわせて10匹、そのほかにベラの子やタイの子や、頂いたクロや友人からおすそ分けしてもらったアナゴなどの総数で100匹を超えていた。

数が多いので、全てをから揚げにする事にした。

1匹ずつはらわたとえらを取り除き、水洗いして軽く塩をする。

その後キッチンペーパーで水分をふき取り、から揚げ粉をまぶしてから、油で揚げる。

友人からおすそ分けしてもらった大きなアナゴも、ぶつ切りにして、から揚げにする事にした。

普段は私が釣った魚の調理には見向きもしない妻が、きょうは数の多さからか、から揚げにする工程を手伝ってくれた。

アラカブのうちの8匹は、味噌汁に入れてくれた。

飯盛町結の浜の自然の恵みのおかげで、魚のから揚げが山盛りの夕餉の食卓となった。



豊田一喜










40歳定年制を提言した非常識な人たち

2012年07月09日 | インポート
「40歳定年」で企業組織の新陳代謝を促進-国家戦略会議の分科会が提言

(日本人材ニュースHRN)2012年7月9日(月)06:38

 政府の国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)のフロンティア分科会(座長・大西隆東大大学院教授)は、2050年の目指すべき国家像をまとめた報告書で、企業組織の新陳代謝を促進する政策として「40歳定年制」を提言した。

 報告書は、日本を「希望と誇りある国」にするために、2050年のあるべき姿を描くとともに、その前に立ちはだかる様々な課題を解決するための政策の方向性を示したもの。

 雇用分野では、人口減少社会で一定の経済規模を維持していくために、企業内人材の新陳代謝を促すような柔軟な雇用ルールの整備や「学び直し」の機会の充実、グローバル人材の育成など「人財戦略」を打ち立てる必要があると提言。有期を基本とした雇用や金銭解雇ルールの明確化を求めている。

 企業の定年年齢を引き上げる方向にある現在の政策に対しては、一つの企業内に人材を固定化させ、企業組織の新陳代謝を阻害すると否定的な見解を示し、逆に定年年齢を引き下げる「40歳定年制」を打ち出した。

 入社20年前後の40歳は管理職になる社員が決まる時期で、「40歳定年制」はキャリアパスが複線化している現在の企業経営とも整合的だとしている。

 一方で、労働市場の流動化が実現するまでは、転職を迫られる社員のリスクが大きいため、激変緩和措置として、企業に定年後1~2年程度の所得補償を義務づけ、雇用保険から再教育訓練給付を支給するなどの施策を示している。



以上の記事を読んで思った。

真剣な顔をして、税金を使いながら、何と言う非常識な議論をしているのだろうかと。

ただただあきれてしまって、馬鹿も休み休み言えと言いたくもなる。

40歳以降の残りの40年間以上を、どのような方法で生活して行けというのだろうか。

公務員の定年制の延長を謳いながら、企業の定年を40歳にしたらなどという発想はどのようにして生まれるのだろうか。

年金の受給年齢は引き上げる方向であり、そのような考え方のどこにそれらとの整合性があるのだろうか。

官尊民卑も度が過ぎている。

絶対に生活に困る事の無い、税金で保護されている、庶民としての生活感がない、大学教授をはじめとする人たちにしか思いつかない事柄だとしか思えない。

「日本を希望と誇りある国」にするためにそのような提言をしたのだそうだが、全くその真逆の国家になってしまうだろう。

このような、非現実的な提言をするような、非常識な「国家戦略会議」を有する野田内閣の政府など、一刻も早く消滅して欲しい。

末端で生活している一庶民としては、強くそう思うのです。



豊田一喜



TK式断測器1号の試作

2012年07月08日 | インポート
午前10時過ぎから、友人と2人で、遺跡の断面測定器を試作してみた。

試作と言っても、誰に頼まれたわけでもなく、2人の趣味の一環として勝手にやっている。

休みのたびに魚釣りばかりしていると、あまりにも楽しすぎて、脳みそがどろどろに融けてなくなりそうで怖いので、たまには知的な趣味も取り入れなければと、2人とも思った。

前日より、必要と思われる部材や部品を、ある程度は購入して揃えておいた。

大村市竹松遺跡の、ピット(遺構の穴)の作図班の、断面図作成のための測定状況を思い出しながら、2人のアイデアを説明しあう。

話し合いの結果、目的を達成できてなおかつ既製の部品などを使う事が出来て、さらに加工が簡単な方法を採用する事にした。

一番考えあぐねたのは、横尺上をスライドさせて、なおかつ縦尺もスライドさせるためには、どのような部材を使って、どのように加工するかということだった。

改良の余地は相当あると思われるが、何とか「TK式断測器1号」は完成した。

断面の基線長100cmまでであれば、穴の深さが90cm程度までは測定できるようになっている。

TK式断測器1号の「TK」とは、「竹松遺跡が恋しい」の頭文字でも良いし、「高木さんがかわいい」の頭文字という事でも良い。

あるいは、私と友人の名字の「トヨタ、カコイ」の頭文字の組み合わせという解釈でも良い。

仮に「トヨタ、カコイ」の頭文字の組み合わせであるとして、なぜゆえに「トヨタ」の「T」が先に来て「カコイ」の「K」が後に来ているのかというと、トヨタの方がカコイより、諫早農業高等学校農業土木科の3年先輩であるからなのです。

などという事はどうでも良いことなのですが、とにかく何か名前をつけておいてやらなければ、せっかく試作した道具に申し訳が無い。

「アレ」とか「コレ」とかでは何のことやら訳が分からなくなってしまうので、とりあえず「TK式断測器1号」と呼ぶ事にしたのです。

試作品「TK式断測器1号」の完成写真は、下のようなものです。

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構想3時間、製作2人で8時間、部品等の費用約2,500円にて完成の運びとなりました。

バカ棒クン1本の値段よりも安い費用で作る事が出来ました。

企画構成「トヨタ企画」、加工製造「カコイ製作所」などというところでしょうか。(実在の会社名ではありません。念のため。)

卓上ボール盤、卓上万力、カナ切りのこ、桐、ヤスリ、サンダー、トタン切りバサミ等々の道具を駆使して、金属加工の大部分は友人のカコイ君の仕事によるものです。

昨年の12月まで、ポリテクセンターにておよそ半年間、金属加工の訓練を受けていたカコイ君の能力が、フルに活用できた仕事でした。

知的な趣味と2人が勝手に位置付けている、断面測定器の試作品完成の後には、諫早市森山町の二反田川の支流で、スッポン釣りの仕掛けを投入して、2人して脳みそのクールダウンをはかった1日でした。


豊田一喜






入籍記念日

2012年07月07日 | インポート
7月7日は、妻の名字が「豊田」に変わった記念日になる。

妻の旧姓は「村田」だったから、「村」が「豊」に変わっただけではある。

私の亡父の勧めで、農協の生命保険に加入した日でもある。

もちろん、私が死亡した場合の受取人が、妻となっている生命保険に加入したことは言うまでも無い。

幸いにも、というか妻からしてみれば残念ながらなのかも知れないが、妻はまだその死亡保険金を受け取ってはいない。

でも、怪しくなりかけてきている記憶をたどってみると、確かその保険契約は解約したような・・・・・。

32回目の入籍記念日を、息災に過ごして迎える事が出来たが、32年間も一緒に暮らしていると、いろいろな出来事があった。

大阪府の池田市で暮らしていた頃の夏の日に長男は生まれた。

その日の昼間に、臨月の妻は、かかりつけの産婦人科医院で診察を受けていた。

「あと1週間ぐらいは大丈夫ですよ」とお医者さんから言われて帰宅していた。

熟睡していた夜中の3時ごろに、妻から起こされた。

どうも調子がおかしい、陣痛が始まったようだと妻が言う。

かかりつけの産婦人科医院に連れて行かなければと思い、タクシー会社に電話を入れてみる。

呼び出し音は鳴るが誰も出てはくれない。

夜中の3時過ぎだから、既に営業は休止していたのだろう。

普通に歩いても20分程度かかる道のりを、妻が歩いて産婦人科医院まで行くという。

自動車の運転免許も自動車も持っていなかった頃の事である。

臨月のおなかの妻を、おんぶもできない。

肩を貸して歩いてもらうしかない。

自分たち親子だけでアパート暮らしをしていた頃なので、4歳前の長女と2歳の二女を、誰かに預けることも出来ない。

幸いにも2人の子供は熟睡している。

そのまま熟睡していてくれる事を祈って、ドアの鍵を閉め、妻と二人で産婦人科医院に向かう。

男性では経験する事のできない、臨月のおなかと陣痛に耐えながら、自分で歩くと言って、苦痛に顔をゆがめながらも、妻は一歩一歩ゆっくりと歩き続ける。

途中で何回も立ち止まりながら。

1時間近くかかって、やっとかかりつけの産婦人科医院に到着できた。

明け方の4時を少し回っていた。

アパートを出る前に、その産婦人科医院には電話を入れておいたので、すぐに迎え入れてもらえた。

妻は分娩室に通されて、それから1時間もしないうちに長男は無事に顔を見せてくれた。

生まれる子供の性別など、おなかの中にいる時に知りたいとも思わなかったので、男の子が生まれるのか女の子が生まれるのか分かりはしなかったのだが、男の子が生まれてくれた。

上の二人の子が、どちらも女の子だったので、看護婦さんから「男のお子さんですよ」と言われた時には、無事に生まれてきてくれたこともさることながら、喜びも更に大きかったように記憶している。

無事に長男が生まれてくれた事を確認して喜んだ後は、アパートに残してきた二人の子供の事が心配になり、病院に妻と長男の事をお願いして、急いでアパートに戻った。

アパートのドアの鍵を開けて部屋に入ると、二人の子供たちは何事もなかったかのように、すやすやと熟睡していた。

きっと、ご先祖様ががそのようにして守ってくださったのだろうなと感謝しながら思った。

しばらくしてから二人の子供たちが起きたので、「赤ちゃんが生まれて、男の子だったから、二人とも弟が出来たんだよ」と話して聞かせた。

昨晩の残りのカレーライスを温めて、親子3人での朝食を済ませてから、病院に行く事にした。

2歳の二女はベビーカーに乗せて、4歳前の長女は手を引いて歩かせて、20分程度の道のりを、親子3人で歩いた。

出勤前の雑踏が始まりかけた頃の、大阪府池田市の池田駅付近の、うっすらと記憶に残っている27年前の情景。

その時に4歳前だった長女の記憶の片隅には、もしかしたらその時の情景が刻まれているのかもしれない。

病院に着いて、ベッドで寝ている母親に会えて、二人の子供たちは安心したようだった。

サラリーマンをしていた頃なので、妻が出産した日に、勤めを1日だけ休ませて貰って、京都府の綾部に住んでいる妻の姉に、無事に男の子が生まれた事を報告して、大阪まで手伝いに来てくれるように頼んだ。

妻と妻の姉との間で、子供が生まれたら、二人の子供の世話を、大阪のアパートに来てしてもらうという話になっていた。

8月の初旬で、妻の姉の子供2人も夏休みだったことでもあり、妻の姉は2人の子供を連れて、その日の夕方には大阪に来てくれた。

そして1週間ほど、狭いアパートの部屋で、大人2人、子供4人での生活が繰り広げられた。

私は、電車で1時間ほどの所の会社に勤めに出るという日常だったが、自分の子供も含めて4人の子供の世話を引き受けた義姉は、きっと大変だったことだろう。

1週間ほどして、妻は退院して来て、義姉親子は綾部に帰り、通常の日常生活が始まった。

私が31歳の頃の思い出。

32年前の七夕の日が入籍記念日で、実家の長崎県南高来郡愛野町で入籍の手続きをし、その頃は東京で暮らしていたので、妻を東京まで連れて行き、それから半年後の、翌年の正月の仏滅の日に結婚披露宴をするために数日間帰省した。

長男で跡取り息子だから、どうしても親戚やご近所の人達に、長男の嫁をお披露目しなければならないという両親の説得を受けて、結婚披露宴の日程を調整した。

正月の仏滅の日であれば、絶対に他の結婚式の予約は入っていないだろうという事で、仏滅の日にした。

仏滅の日に結婚披露宴をした夫婦ではあるが、32年間一緒に暮らしている。

これからもそうでありたいと願っている。

息子の誕生日の事を思い出した、32回目の入籍記念日。



豊田一喜





















続「晴耕雨釣」のウナギ釣り (五目釣りプラスワン)

2012年07月06日 | インポート
7時10分より少し前に、班長より、きょうの作業は中止という電話連絡が入る。

昨日からの天気予報により、きょうの作業は中止になるかもしれないと予測して、昨日帰宅してから準備をしていた。

間に6日入ると、我が家の庭の限りある資源である、ウナギ釣り用の餌のドバミミズも再生していた。

7時15分頃に友人から「残念ながらきょうの作業は中止になりましたねー。いいウナギ釣り日和ですね。」という電話。

「今から5分か10分してから家を出ますので、7時45分ごろにはそちらに着きます。」と私。

かくして、きょうのウナギ釣りの談合はまとまった。

諫早市の彼の家の前で落ち合い、車2台で例の釣りポイントへ向かう。

8時20分ごろには大村市鈴田川河口の釣りポイントに着いた。

別の釣り好きの友人より、きょうの満潮は午後1時より少し前ぐらいだという事を教えてもらっていた。

10時ごろ、25cmのセイゴが釣れ、その後12cmぐらいのドンポが釣れた。

10時45分ごろ、友人の投げ竿に当たりがあり、リールを巻くと水面にチヌが姿を現した。

前回釣りに来た時に、釣っている場所の近くに住んでいるという、釣り上手の人から講釈を受けていた。

チヌがかかった時には絶対に慌てて引き上げようとしてはだめで、水面上に魚の口を出させて空気を吸わせれば魚が弱って、あまり強引に抵抗しなくなるから、それから落ち着いて取り込めばよいという講釈だった。

その通りにしてみた。

「慌てないで、慎重に、魚を遊ばせながらその口を空気中に出すように」と私が友人に言う。

友人がそのように、投げ竿とリールを操作して魚を弱らせながら岸に近づける。

私が柄の全長が2mしかないタモを構える。

腰を落として構えても、魚まで届かない。

橋の欄干とガードレールの切れ目との間に腹ばいになり、目いっぱいにタモを伸ばす。

それでも少しだけ届かない。

友人が道糸を掴み慎重に魚を上げる。

やっと目いっぱい伸ばしたタモの少し上まで魚を上げる。

すかさずタモを魚の下に構えて、魚をすくい取る。

そして腹ばいのまま、友人にタモの柄を託す。

諫早農業高等学校瑞穂同窓会会員である2人の呼吸がぴったりと合い、全長40cmのチヌを釣り上げた。

下は、その時の友人とチヌの記録写真。

Dsc00137_2

11時半頃に、同じ作業班の、蝶々の事に関する専門知識を持っておられる人が、またまた差し入れを持って尋ねてくださった。

実はきょう、デジカメを持って来ていたのは、我が家の庭で撮影していた蝶々の名前を、その人に教えてもらうためだった。

教えてもらった蝶々は、アオスジアゲハとツマグロヒョウモンということだった。

アオスジアゲハ
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ツマグロヒョウモン
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友人が釣った40cmのチヌを見て、「こんな大きな魚がここで釣れるんですね」と感心して帰られた。

昼食には、差し入れていただいたあたたかいハンバーガーと、冷たい缶コーヒーを、友人と二人してありがたく頂いた。

午後になって引き潮になってから、全長46cmの小さめなウナギと、全長18cmのハゼが釣れた。

さらにその後に、私の竿にチヌが喰いついた。

今度は友人が腹ばいになってタモを操作してくれて、前のチヌの取り込みと同じように、諫早農業高等学校瑞穂同窓会会員である2人の呼吸がぴったりと合い、全長41cmのチヌを釣り上げた。

4時半ごろになって、餌がほとんどなくなりかけた頃に、またまた私の竿に重たい感触。

慎重にその魚を水面まで浮かせると、なんと白地に少しだけの黒と赤が混じった錦鯉がかかっていた。

とりあえず、慎重に例のごとく、タモにて取り込み、デジカメで記録撮影だけしてからリリースした。

全長36cmの錦鯉だったが、さすがに錦鯉は食べようとは思わない。

下の写真がその錦鯉の記録写真。

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結局、ウナギ釣りという目標を掲げた魚釣りではあったが、友人と合わせて、46cmのウナギ1匹、40cmと41cmのチヌ2匹、25cmのセイゴ1匹、18cmのハゼ1匹、12cmのドンポ1匹、それから36cmの錦鯉1匹の、五目釣りならぬ五目釣りプラスワンの6目の魚が釣れた。

大村市竹松遺跡付近に住んでいた古代人も、このような豊潤な海「大村湾」から、色々な方法で魚類を捕獲して、食糧としていたのであろうことが想像できる。

今回の「晴耕雨釣」のウナギ釣りでは、ウナギ釣りの餌、ドバミミズで、チヌやセイゴなども釣る事ができる事を実証できた。

ただ、風は強かったが、雨がほとんど降らなかった1日だったので、もったいなかった1日だったようにも思えた。

我が家の夕餉の食卓には、蜂蜜、味醂、料理酒、水、薄口醤油で味付けした、5種類の魚の煮付けが並んだ。

今回はウナギも小さめで捌きにくかったので、ぶつ切りにして煮付けてみた。

煮付けたぶつ切りのウナギの味は、子どもの頃に食べたムツゴロウの味に似ていた。

ギロチンで有明海の一部を締め切って以降、潮汐が遮断され、私が住んでいる雲仙市愛野町の千鳥川河口域のムツゴロウは死滅してしまった。

一部の人間の価値観が、ある種の生物を死滅させる場合もある。

人は、いつからそんなに傲慢になったのだろうか。


豊田一喜





















実(ミ)と空(カラ)

2012年07月05日 | インポート
5日間の休みの後の、久し振りの作業だった。

大村市竹松遺跡の発掘作業が、雨のために中止になるなどして、きょうは久し振りの出勤日だった。

1ヶ月も同じ職場で働かせてもらっていると、200人からいる作業員の方々も、かなりの数の方の顔を覚え、久し振りに会うと、何となくうれしくなり、安心する。

本日の作業は、ブルーシートの上に溜まった水の除去作業からだった。

ブルーシートを周囲から徐々に狭めて行き、水を1箇所に誘導する。

1箇所に誘導されて溜まった水を、バケツリレーにて排水路に流す。

バケツリレーも、水の入った実(ミ)のバケツを移動させる流れと、空(カラ)のバケツを移動させる流れとをうまく配置して実行するとスムーズに流れる。

なかなかその事を理解してもらえない場合もあり、実(ミ)も空(カラ)も同じ人を経由していると、リレーの進行具合がぎこちなくなる。

水が入ったバケツの実のラインに男性を配置し、空のバケツのラインに女性を配置するなどの配慮があれば、よりスムーズな流れになるように思うのだが。

自然にバケツリレーのラインが出来上がり、テンポよく、ブルーシートに溜められた水が排出されて行く。

200人からの作業員の方々が、調査員の方の指示に従い、指示どおりに動くと、仕事のさばけ方も速い。

ワークシェアリング(仕事の分かち合い)の典型を見ているような気分になり、日本人の特質とも言える勤勉さを実感する。

老若男女の関係なく、整然と作業が流れていく。

10時の休憩のあとは、いつものように測量作業をやらせていただいた。

遺構のピット(穴)の断面を測定するために打設してある釘の、打設地点の三次元座標値を求めるための作業を主にやらせていただいた。

午後には、途中から雨が降ったりやんだりの天候だったが、結局4時少し前には撤収という事になった。

梅雨時だから仕方の無い事ではあるけれども、中5日休みのプロ野球の投手のような、超贅沢な時間を過ごす事を余儀なくされている。

プロ野球の投手と違う所は、休みの間に練習をしなくてよいこと、休みの日にはお金にならないことだろう。

中5日の空(カラ)の日のあとの、貴重な実(ミ)の日だった。



豊田一喜





















除籍処分

2012年07月04日 | インポート
民主党は、国民との約束を守るために消費税増税法案等に反対した衆議院国会議員を除籍(除名)処分にした。

また、離党届を小沢一郎氏に託しておきながら、いざ離党届が提出されると、自分は離党するつもりではなかったなどとおかしな事を言い出した政治屋さんも2名いた。

今の民主党本体は、この前の国政選挙で国民が選び期待していた政党とは全く乖離した、別の政党の様に思える。

本来の民主党のマニフェストに従うための態度表明をした民主党国会議員を、除籍(除名)処分にするとは本末転倒もよいところである。

離党届を出したのであるから、離党承認で充分なはずだ。

また、タイミングよく、小沢一郎氏の奥様の手紙というやつがマスコミに流されたものだと、小沢一郎氏に悪人のイメージを植え付けようとする勢力の狡猾さには感心さえする。

仮にその手紙の内容の様に、放射能が怖くて地元に近付かなかったという事が事実だったとしよう。

そのことで小沢一郎氏を責めるべきではない。

わざわざ放射能汚染濃度の高い所に、自分から飛び込んで被爆するような人はいないだろう。

問題視すべきは、、放射能汚染が広がっていて危険な区域があるのだという事を、最新の情報を持っている側が、一部の権力者にしか伝えなかったという事である。

そのような情報を得ていて、それを公にしなかった小沢一郎氏にも非はあるとは思うが、最も批判されるべき対象がずれているように私は思う。

最新情報を把握していた、東京電力関係者であり、それからの情報を受けて、多くの国民にその事を秘匿していた政府関係者こそを批判すべきであろう。

消費税増税法案に反対はしたが、民主党を離党はしないという国会議員がおられる。

私たちの長崎2区の福田衣里子衆議院議員もそうである。

民主党という政党が、既に国民との約束事を反故にして、多くの国民からの支持を失っているであろう現状において、沈みかけている船に共に乗っている必要などないと思うのだが。

小沢一郎氏の力量によって、国会議員という職に就かせてもらった方々は、人間としての恩義を尊重するという観点からも、小沢一郎氏と共に離党すべきだと私は思う。

福島の原発事故は、いまだに危機的な状況にあるにもかかわらず、沈静化したかのごとき情報を与え、他の原発の安全性は確認されたなどとして、再稼働を強引に推し進めるような政党には、「国民の生活が第一」などという考えなど、さらさら無いという事がよく分かった。

狭い国土の日本に、50数基もの原子力発電所が存在している。

風水害の被害も悲惨ではあるが、そのような被害はその地域において復興する事が出来る。

しかし、福島のような原発事故がひとたび起きれば、住む事が出来なくなる地域もあり、復興などという言葉が空虚に感じる。

また、使用済み核燃料の処理技術も確立していない現状においては、それらの集積場所の危険性も大きい。

首相官邸前で、多くの人たちが、原発の再稼動に抗議する集会を行なっている。

普段はおとなしすぎると思っていた日本人が、そのような抗議行動をするというのは、よほどの思いがあるのだろう。

原発のプラントを海外に輸出しようとしている人たちは、その輸出先の原発から排出される使用済み核燃料を、日本国内に持ち帰って処理する計画だそうな。

日本は、処理技術も確立されていない核廃棄物のゴミ捨て場と化してしまうだろう。

財政的に苦しい田舎の自治体が、そのようなゴミ捨て場として、国家からの交付税という餌につられて餌食になるのだろう。

そのようなことなどを考えると、原発の再稼働を承認した今の政府は、明らかに大多数の国民の側には立ってはいないと考えられる。

野田政権はことごとく国民の期待を裏切り、自民党、公明党などと共に、既得権益保持者に有利となるような施策を展開しているとしか考えられない。


現在の民主党の政治家は、次の国政選挙で、国民の側から確実に、国会議員としての「除籍処分」を受ける事になる人が相当数出るのではないかと予測できる。



豊田一喜












1,000円床屋さん

2012年07月03日 | インポート
今日は、7時より少し前に班長から作業中止の電話連絡。

「おはようございます。今日も作業はお休みだそうです。日当分のウナギを釣ってください。」と激励の言葉を頂きました。

わが班の班長さんも、このブログに時々目を通してくださっているようで、私たちのウナギ釣りの顛末をご存知のようです。

ウナギ釣りに行くには、餌のドバミミズを掘らなければなりませんが、ここのところ頻繁に掘っているので、資源が枯渇してしまわないように、今日はおとなしく他の事をする事にしました。

昨日抜いた親不知(おやしらず)のあとを消毒するから、時間がある時に来るようにと言われていたので、歯医者さんに行って消毒をしてもらいました。

消毒は30秒で終わり130円を支払う。

そのあと床屋に行って散髪をしようと思い、3Q(サンキュウ)カットという、愛野町にある1,000円床屋に行った。

9時半ごろ着いたが、10時からの開店になっていたので、その店の隣にあるナフコで時間をつぶす事にした。

遺跡の遺構の断面を測るのに、簡便な道具を試作してみようかと思い、既製品で使えそうな物を探す。

ミニ水平器、60cmのピンポール、2mのコンベックス2個を購入する。合計で1,104円なり。

これらをベースにして、色々と考えてみようと思うが、自分で勝手に空想して自由に考えることが出来る事がとても楽しい。

3Qカットという1,000円床屋さん(正式にはカット屋さんというべきか)に行く。

ドアを開けて左手の方にある販売機に、1,000円札を挿入すると、カット券が出てくる。

それを従業員の人に渡してから、指定される席に着く。

「どのようにカットしますか」と、若い美人のお姉さんが聞く。

「北朝鮮の将軍様の髪型の様に、すっきりと刈り上げてください」と答える。

前回に来た時もそのお姉さんにカットしてもらったので、すぐにこちらの意向が伝わる。

素早く丁寧に、ハサミとクシを使ってカットし、そのあとにバリカンで刈り上げていく。

更にハサミとクシを使って、バリカンで借り上げたあとの仕上げのカットをする。

別の小さなバリカンを使って、髪の生え際をきれいに整えてくれる。

カットが済んだあとには、鏡を頭の後方に当てて、頭の後ろの方の仕上げの状況を見せ、それでよいか確認させる。

10分カットというふれこみではあるが、こちらの意向に沿うような髪形になるまでは、時間がオーバーしてもきちんと対応してくれる。

洗髪と髭剃りはやってはくれないが、どうせ風呂に入った時に洗髪と髭剃りは自分でするので、別にかまわない。

平日に行くと2ポイント、土日に行くと1ポイントのポイントがもらえる仕組みになっており、ポイントカードにスタンプを押してくれる。

20ポイント貯まると、1回分のカット代は只になる。

今、普通の理容院に行くと3,500円ぐらいの料金を払わなければならない。

私の、ここのところ4年間の理容院遍歴は、3,500円の理容院から始まり、2,000円の理容院、1,700円の理容院となり、ここのところ2回は1,000円カットの店になっている。

1,000円カットと料金は安いが、カットの技術はしっかりしている。

私のような、末端で生活をしている者にとっては、非常にありがたい存在の店である。

どのような業界でもそうであろうが、他社が真似の出来ないような、オンリーワンの技術を持っていなければ、同業他社との価格競争は避けて通れない現状であろうと思う。

いまだに談合体質を維持し続けている一部の業界や地域があるようだが、いずれ淘汰されていくはずである。

その時に生き残れるのは、工夫をして省力化し、同じ成果を上げるのに、いかに短時間で仕上げる事が出来るかという事になるだろう。

要するに、安くて品質のよいものを、いかに提供できるようにするかという事に尽きると思う。

1000円床屋さんに、その片鱗を見たような気がする。


豊田一喜























親不知(おやしらず)

2012年07月02日 | インポート
雨のために仕事は休みだという連絡が7時5分頃にあった。

8時から、NHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」を久し振りに見る事が出来た。

BS放送で見れば、土曜日の午前中には1週間分をまとめて見る事が出来るのだが、我が家のBS放送は1年ほど前から映らなくなった。

原因がどこにあるのか、衛星放送用アンテナの不具合なのか、接続線の不具合なのか分からないので、そのままにしている。

とりあえずNHKが映るので、さして不自由でもない。

梅子先生が、町医者としての開業医になりたいという事を父親に伝え、それを聞いた大学医学部の教授である父親が、脳卒中で倒れるという話だった。

親の心、子知らずといったところだろうか。

梅ちゃん先生を見たあとで、今日は何をして1日を過ごそうかと考えてみた。

今日が納期の市住民税の請求書が来ていたので、それの支払いや、先月分の電気代や電話代の支払いを済ませる事にした。

それから、奥歯の一部が欠けていて調子が悪かったので、歯医者さんに行ってみようと思った。

歯医者さんの予約状況を電話で問い合わせたら、10時30分からだったら空いているということだったので、その時刻に行く事にした。

電気代や電話代の支払いは、コンビニでいつも済ませている。

銀行でそのような支払いをすると、かなりの時間待たされる事が多いので、コンビニで支払うことが多い。

コンビニで支払うと、ものの1分もかからずに処理してくれるし、支払い時間帯の自由度もある。

10時30分に歯医者さんに着き、診察してもらう。

「治療しますか、抜きますか」と聞かれる。

右下の一番奥の歯、要するに親不知(おやしらず)なので、抜いてもらう事にした。

歯茎の4箇所に麻酔を打ち、しばらくしてから抜きにかかるがなかなか抜けない。

麻酔が効いているので痛くも何ともないが、口の中をゴネゴネされている感じ。

あまりにも抜けないので、「レントゲンを撮ってみます」と歯医者さんが言う。

歯根が湾曲していて抜けにくい場合もあるらしいので、レントゲンを撮って確認してみるとのこと。

レントゲン写真を現像して確認されたが、少しだけ歯根が湾曲しているだけで問題ないらしい。

それからまた抜き方工事の再開。

それでも抜けない。

歯の一部を切断して、抜きやすくしてから抜いてみますとのこと。

ウイーンという器械の音がして、その後切断された歯の一部が折り取られた。

そのことによって抜きやすくなったものと思われるが、程なくして本体の残りの歯も抜き取られた。

20分間程度の歯の工事だった。

抜き取られた歯を見せてもらった。

虫歯になった一部が欠落していて、欠落していた部分の内部も虫歯の進行が進んでおり、歯茎に埋まっていた部分の長さが、露出している部分の2倍ぐらいの長さの親不知(おやしらず)だった。

痛み止めの薬を3錠もらい、2500円を支払って帰宅。

麻酔は1時間ぐらいで切れるが、その後さほど痛みを感じない人もいるという説明を受けていた。

どうしても痛みを感じた時に、痛み止めの薬を飲むようにとの指示だったが、結局痛み止めの薬を飲む必要はなかった。

抜き取られた歯は記念に貰って帰った。

30数年間、私の口の中で活躍してくれた親不知のうちの1本は、このようにして役目を終えた。



以下は、ウィキペディアによる親不知(おやしらず)の説明。

親知らず・親不知(おやしらず)とは、ヒトの歯の一種。下顎第三大臼歯および上顎第三大臼歯の事を指す。知恵歯(ちえば)、智歯・知歯(ちし)とも呼ばれる。

下顎第三大臼歯と上顎第三大臼歯は、思春期後半から20歳以降に生え始めることが多いが、現代人では全く生えそろわない場合も珍しくない。


語源
赤ん坊の歯の生え始めと違い、多くの場合親元を離れてから生え始めるため、親が歯の生え始めを知ることはない。そのため親知らずという名が付いた。また、乳歯が永久歯の「親」と考えると、親知らずには、対応する乳歯が存在しないので、「対応する乳歯が無い=親知らず」として命名された、という説もある。


親知らずのことを英語では wisdom tooth という。これは物事の分別がつく年頃になってから生えてくる歯であることに由来する。

進化の上での位置付け
狭鼻猿類やヒト科に属するチンパンジー・ゴリラ・オランウータンなどは永久歯が32本であり、当然人類も32本が本来の数である。しかしヒトの第三大臼歯は退化の傾向が著しく、人類進化の早期に既に縮小・退化が始まっている。スイスの人類学者ヨハネス・ヒュルツェラー (Johannes Hürzeler) によると、オランウータンを除いたゴリラなどの類人猿では臼歯の中で第三大臼歯が最も大きく、これは原初的な人類でもあるパラントロプス属も同様であるが、北京原人では既に第三大臼歯は第一・第二大臼歯より小さくなり、この傾向は現生人類にも受け継がれている。

のみならず、現生人類では第三大臼歯そのものが生えなくなりつつある(下の数字を参照)。

日本人の歴史における、知歯が全て生えそろう割合(鈴木尚による)

縄文時代   古墳時代  鎌倉時代   現代
 81.0%    62.7%    42.9%    36.0%

生えないだけでなく、生えても方向や位置が異常であるなど、咀嚼に役立たない歯である場合が多い。但し、現生人類でも知歯の生え方には差があり、一般に黄色人種では欠如が多く、白色人種や黒色人種、オーストラリアのアボリジニなどは萌出する事が多い(親知らず事始め)。しかしそれらの人種についても第三大臼歯は他の大臼歯より小型で、全般的には退化の傾向が強い。これは、ヒトにおいては将来第三大臼歯が消失し、永久歯が28本になる可能性を示す。

原因については、初期人類が固く粗雑な食物を摂取しており、頑強な歯と顎が要求されたのに対し、人類の文化の発展と共に火で加熱するなどして柔らかくした食物を食べるようになって歯と顎が縮小した事も考えられる。しかし人類が火を使用し始めた時期がまだはっきりしないなど、詳細は不明である。


以上は、ウィキペディアによる親不知(おやしらず)の説明であるが、この中で興味深い記述がある。

日本人の歴史における、知歯が全て生えそろう割合(鈴木尚による)というのがあるが、時代によってその割合が減ってきている。

減ってきているという研究結果そのものも興味深いが、私が興味を持ったのは、それらの時代ごとの数値をどのようにして算出したのだろうかということ。

現代の分に関しては、実際に調べた統計的な数値であろう事は分かるが、縄文時代、古墳時代、鎌倉時代などの数値はどのようにして出されたものだろうか。

統計的に処理できる程度の歯の標本が出土しているのだろうか。

大村市竹松遺跡の発掘作業をやらせてもらっていることもあり、興味をそそられる。

親不知(おやしらず)を有している自分は、古代の人類の形質を、そのまま受け継いでいるのだろうか。


豊田一喜





政治家としての福田衣里子衆院議員

2012年07月02日 | インポート
私たちの長崎2区から選出されている、福田衣里子衆院議員に関して思う事を少し。

消費増税法案に関して、採決前の新聞からの情報によれば、福田衣里子衆院議員は採決に際しては棄権するという事になっていた。

この情報を見た時には、福田衣里子さんの政治生命もこれで終わりになるのだろうなと思っていた。

なぜならば、政治家として採決を棄権するという事は、自らの政治家としての責任を放棄する事につながるという認識を私は持っているからだ。

また、採決を棄権すれば、自らを国会議員として送り出してくれた小沢一郎氏が主張している、マニフェストを遵守するという方針に反する事になり、人間としての恩義をないがしろにする事にも繋がり、今後を託せる政治家にはなりえないと判断していたからだ。

先の衆議院議員選挙の際に、小沢一郎氏は、自らの政治秘書である佐藤亜里さんという人を、福田衣里子さんのもとに張り付かせて指導し、当選に結び付けている。

国策捜査といわれるような情報操作により、小沢一郎氏には悪人のごときイメージを抱かれている人が多いのかもしれないが、民主党が先の国政選挙で政権を奪取できたのは、小沢一郎氏の様々な力量によるところが大きいと私は思っている。

そのような小沢一郎氏に対して、出て行ってくれればすっきりするなどと、能天気な事を言っているアホな民主党議員もいるようだが、今の状況であれば民主党の議席そのものがほとんどなくなって、閑古鳥が鳴くようにすっきりとなってしまうのだという事を想像できないのだろうか。

今回の消費税増税法案に関しては、小沢一郎氏が主張している、マニフェストを遵守して消費税は今は上げない、その前に進めなければならない公務員改革などがあるというのが正論であるし、そうでなければ先の国政選挙にて民主党議員候補に投票した国民を騙した事になる。

国民を騙して消費税増税法案に賛成した民主党議員に対して、マニフェストを守るという主張を通した民主党議員を「造反議員」とマスコミは呼んでいるが、マニフェストを信じて民主党議員候補に投票した国民の側からすれば、その事は本末転倒である。

福田衣里子さんが、消費税増税法案の採決において反対したという新聞記事を見た時には、よくやってくれたと思った。
これで次の選挙での芽も残ったと思った。

彼女は、「棄権」から「反対」に転じた理由を「熟慮したが、自分の信条に従った。また、有権者の皆さんに、棄権では申し訳ないと思った」と語ったそうだ。

山田正彦議員の消費税増税法案に反対するに至るまでの態度も見事だったが、福田衣里子議員の採決反対後のコメントも筋が通っていてすがすがしい。

民主党という政党には幻滅したが、民主党の中の政治家個人には信頼できる人も残っている事が確認できた。

政治家としての福田衣里子衆院議員に期待したい。


豊田一喜
















贈賄罪起訴の市議 辞職勧告決議否決

2012年07月01日 | インポート
「贈賄罪起訴の市議 辞職勧告決議否決 雲仙市議会」 という見出しの昨日の毎日新聞記事を読んだ。

以下は、その記事の全文。


雲仙市議会は29日、6月定例会最終本会議で、庁舎移転を取りやめる議案採決を巡り同僚議員への贈賄(申し込み)罪で起訴された市議、柴田安宣被告(67)への辞職勧告決議案を議員発議で提案したが、賛成は5人にとどまり、否決された。

採決前の討論では、「採決のために金銭が使われようとし、議員として一線を越えた」「本人が起訴事実を否認しており、時期尚早」と賛否が分かれた。

採決は、柴田被告以外の25人の議員のうち、事件で同被告から金を渡されて返したとされる議員1人を含む2人が退席した。
「柴田事件に関する調査特別委員会設置」の動議も出たが、同じく賛成5人で、否決された。


以上は、平成24年6月30日の毎日新聞記事より。

この記事で、この記事により情報を得た人が、誤解して認識されるかもしれない記述を指摘しておきたい。

記事の中で「庁舎移転を取りやめる議案採決を巡り」となっているが、正しくは「暫定的な本庁舎を正式な本庁舎とする議案採決を巡り」という表現の方が分かりやすく、正しいように私は思う。

議案の正式な全文を知っているわけではないので、確たる根拠は無いのだが、7町が合併して誕生した雲仙市の、合併以降の流れの中での認識としてはそのようになるのではなかろうか。

知人から聞いた、柴田安宣議員への、雲仙市議会議員辞職勧告決議案に賛成した雲仙市議会議員の、氏名と所属常任委員会と所属会派を以下に示しておきます。(所属常任委員会と所属会派は、雲仙市のホームページからの情報です。敬称省略)


前川 治    産業建設委員会  新政会

深堀善彰   文教厚生委員会  新政会

坂本 弘樹  産業建設委員会  新政会

林田 哲幸  文教厚生委員会  新政会

上田 篤    総務委員会    会派に所属せず(日本共産党)

以上5名ということだそうです。



次に、知人から聞いた、採決の際に退席された雲仙市議会議員の、氏名と所属常任委員会と所属会派を以下に示しておきます。(所属常任委員会と所属会派は、雲仙市のホームページからの情報です。敬称省略)

小畑 吉時   産業建設委員会   会派に所属せず

中村 勲    産業建設委員会    会派に所属せず

以上2名だそうですが、そのうちの1名は毎日新聞の記事にもあるように、柴田安宣議員から金を渡されて返したとされる議員だそうです。

柴田安宣議員の、雲仙市議会議員辞職勧告決議案に、反対の意思表示をされなかった7名の議員に関して、分析してみました。

柴田安宣議員の、雲仙市議会議員辞職勧告決議案に賛成された5名の議員の方々に共通している事柄として、上田篤議員以外の4名は、所属会派が新政会ということが分かります。

退席された2名の議員の方は、いずれも産業建設委員会に所属しており、賛成された5名の議員のうちの2名も産業建設委員会に所属している。

賛成した5名の議員のうちの3名は、広報編集特別委員であり、反対しなかった7名のうちの2名は議会運営委員ということになっている。

このようなことから、雲仙市議会内の各議員の相関が何となく見えるように思える。

本件に関して、新聞報道などから時系列的に追ってみると、おおむね以下のような内容になるものと思われる。

昨年の12月下旬頃に、柴田安宣議員が、ある雲仙市議会議員の自宅を、雲仙市の本庁舎建設問題に関して、自分の信念を説明して理解してもらうために訪れた。(事実かどうかは私には分からない)

そのある議員が玄関先から離れた際に、柴田議員が封筒を玄関に置いて帰宅した。(事実かどうかは私には分からない)

そのある議員が封筒を開けてみると、中には現金が入っていた。(事実かどうかは私には分からない)

そのある議員は、翌日その封筒を柴田議員の自宅に返しに行ったが柴田議員は不在だった。(事実かどうか私には分からない)

雲仙市議会の本会議にて、合併時の協定合意事項に反して、暫定的な本庁舎である吾妻庁舎を本庁舎とする、摩訶不思議な議案が、賛成多数で可決された。

それから半年ほど過ぎてから、その議案に反対してもらうために柴田議員が、ある議員に賄賂を申し込んだという事になり、ある議員の証言により柴田議員は逮捕された。

その後、雲仙市議会全員協議会にて、上田篤議員が柴田安宣議員の、雲仙市議会議員としての辞職勧告決議をするべきだという意見を述べた。

柴田安宣議員が起訴されたことから、雲仙市議会の6月議会本会議にて、上田篤議員とそれに同調した新政会という所属会派の議員4名のうちの誰かが議員発議した、柴田安宣議員の雲仙市議会議員辞職勧告決議案が、賛成少数で否決された。

その採決に際し、上田篤議員と新政会という所属会派の議員の合わせて5名が賛成し、事件の当事者の1人である1名の議員を含む2名が退席した。


という事になろうか。


一般論として見てみると、上記の案件においては、柴田安宣議員の、雲仙市議会議員辞職勧告決議案に賛成した議員の態度表明が正しいように思われがちだと思うが、起訴されたという事は、これからの裁判にて事実が明らかになっていくのであろうから、柴田安宣議員に対して、雲仙市議会議員としての辞職勧告決議案を議員発議すること自体がおかしいと私は思う。

また、事件の当事者の片方とされる議員が、採決に際して退席したという事は腑に落ちないし、無責任だと私は思う。

その議員の証言によって柴田安宣議員は逮捕されたのであろうし、また、起訴もされたのであろうから、自分の証言に責任を持つという意味においても、その採決においては賛成するのが筋であるのではと私は思う。

議案の採決に際して、退席や欠席して棄権するという事は、議員としての職務を放棄しているように思えてしまう。

参考までに、以前のこのブログに書いていた「合併協議会で決めた協定内容の一言一句まで遵守しなければならないとは法律のどこにも書いてはいない」という主旨の発言をされたのは、この辞職勧告決議案に賛成された上田篤議員であり、「愛野町では吾妻庁舎を本庁舎にする事に関して、反対の署名活動などはなかった」という主旨の発言をされたのは、この辞職勧告決議案で退席された小畑吉時議員である。

今回の柴田安宣議員に対する、雲仙市議会議員辞職勧告決議案の否決という採決結果は、雲仙市議会の良識として、私は評価できる。


豊田一喜