今上天皇の生前退位が日程に乗ってきて、平成の世もあと1年もなくなった。
それに合わせて天皇制をめぐる議論もいろいろされてきているのだが、最近では内田樹とか白井聡までもが天皇を非常に肯定的に見ていて、日本という国の芯になるものとして守るべきものと発信するようになったのですが、私自身といえば日本の天皇制の歴史については網羅的に読んだことがない。
ということでこの本を読んでみました。
井沢元彦の説は「逆説の日本史」で何回も出てくるのでお馴染みといえばお馴染みなのですが、古代の天皇の記述は最初に逆説の日本史を書いた時と比べて若干変わってきている気がします(家にある文庫本を読み返せばいいのですがそこまでして確かめることでもないか)。でも大筋はいつもの井沢節。
天皇家は世界で最も長く家系が明らかな王朝。古代のレベルでは万世一系というのは疑問符が付く場合もあるし、日本書紀の記述がすべて正しい訳でもないのだろうが、確認できるところからだけでも世界一というのは間違いない。
ふつう中国でもヨーロッパの諸国でも王朝交代というのは何度も経験しているのになぜ日本の天皇制は生き残ったのか。初期の天皇というのは武力を背景にしていた(聖徳太子でも武装して物部氏を討つ戦いに参加している)のですが、その政治的実権を藤原氏に奪われて以来、神輿として祭り上げられて生き残ってきたところに長続きの秘訣があった?ケガレ仕事をには手を染めないで文化的権威だけで存続していたということか。それにしても天皇にとって代わろうとせずに政権の正統性を天皇によって担保させて権力だけを保持しようとした藤原氏の発想というはある意味日本的で、すごい。中国なら革命で前王朝は根絶やしにされるはず。
実際にはそれに対して天皇に権力を奪還しようという動きはあったのですが、所詮は武力を保持していないので失敗している。でも敗れても島流しにされるだけで天皇制がなくなることはない。いったんは権力奪取に成功した後醍醐天皇も2年と持たずに都落ちして結局は足利義満の軍門に下り、政治の表舞台からは退いていく。
そんな天皇の姿が劇的に変わったのが明治維新だったのだが、今古式に則ってといわれる宮中の行事とか慣行というのはほとんどが明治以後に定められたこと。ちょっと考えるとわかるけど聖徳太子は仏教に深く帰依していたのだし、奈良の大仏を作ったのは聖武天皇。古くは歴代天皇は熱心な仏教徒だったはず。因みに後醍醐天皇は真言宗立川流という少し怪しげな宗派を信じていたと読んだことがあるのですが。
明治維新に際し遅れてきた日本が西洋列強に追い付き対抗していくためには、一神教的位置づけをした天皇の下での国民統合を図ってくことが必要だったんでしょうが、それは天皇制の歴史から見ると特殊な有りようです。
敗戦でまた振出しに戻り天皇は新憲法の下で象徴として位置づけられるのですが、そもそも生身の存在の天皇を抽象的な象徴にするというのは無理があるのでは。天皇陛下は24時間365日公人としての生活を強いられてしまいます。個人的にはとても我慢できないような生活を過ごしておられる姿には首を垂れるしかありません。今上天皇は先の戦争を少年期に経験してその深い反省の下に現行憲法に定められた責務を身を粉にして務められています。余計なことをしないで祭事だけをしていればいいとかいう議論も聞きますが、今上天皇のお心を全く無視した議論と思います。
でもその行為も考えも今上天皇個人に属するものであって、次の世代の天皇が同じ考えとは限らない。制度としての天皇制を考えるとこの後何代も男系が維持できるのかとか、もっと自由に生きたいという天皇が出てこないかとか、生身の人間としての限界がどこかに出てくるのではないかと思ってしまいます。このままでは宮家はどんどん減るしかなく、明治時代のままの皇室典範では早晩対応不可となってくるはず。あまり重荷を背負わずにもっと自由に生きていけるようになればと願っています。
それに合わせて天皇制をめぐる議論もいろいろされてきているのだが、最近では内田樹とか白井聡までもが天皇を非常に肯定的に見ていて、日本という国の芯になるものとして守るべきものと発信するようになったのですが、私自身といえば日本の天皇制の歴史については網羅的に読んだことがない。
ということでこの本を読んでみました。
井沢元彦の説は「逆説の日本史」で何回も出てくるのでお馴染みといえばお馴染みなのですが、古代の天皇の記述は最初に逆説の日本史を書いた時と比べて若干変わってきている気がします(家にある文庫本を読み返せばいいのですがそこまでして確かめることでもないか)。でも大筋はいつもの井沢節。
天皇家は世界で最も長く家系が明らかな王朝。古代のレベルでは万世一系というのは疑問符が付く場合もあるし、日本書紀の記述がすべて正しい訳でもないのだろうが、確認できるところからだけでも世界一というのは間違いない。
ふつう中国でもヨーロッパの諸国でも王朝交代というのは何度も経験しているのになぜ日本の天皇制は生き残ったのか。初期の天皇というのは武力を背景にしていた(聖徳太子でも武装して物部氏を討つ戦いに参加している)のですが、その政治的実権を藤原氏に奪われて以来、神輿として祭り上げられて生き残ってきたところに長続きの秘訣があった?ケガレ仕事をには手を染めないで文化的権威だけで存続していたということか。それにしても天皇にとって代わろうとせずに政権の正統性を天皇によって担保させて権力だけを保持しようとした藤原氏の発想というはある意味日本的で、すごい。中国なら革命で前王朝は根絶やしにされるはず。
実際にはそれに対して天皇に権力を奪還しようという動きはあったのですが、所詮は武力を保持していないので失敗している。でも敗れても島流しにされるだけで天皇制がなくなることはない。いったんは権力奪取に成功した後醍醐天皇も2年と持たずに都落ちして結局は足利義満の軍門に下り、政治の表舞台からは退いていく。
そんな天皇の姿が劇的に変わったのが明治維新だったのだが、今古式に則ってといわれる宮中の行事とか慣行というのはほとんどが明治以後に定められたこと。ちょっと考えるとわかるけど聖徳太子は仏教に深く帰依していたのだし、奈良の大仏を作ったのは聖武天皇。古くは歴代天皇は熱心な仏教徒だったはず。因みに後醍醐天皇は真言宗立川流という少し怪しげな宗派を信じていたと読んだことがあるのですが。
明治維新に際し遅れてきた日本が西洋列強に追い付き対抗していくためには、一神教的位置づけをした天皇の下での国民統合を図ってくことが必要だったんでしょうが、それは天皇制の歴史から見ると特殊な有りようです。
敗戦でまた振出しに戻り天皇は新憲法の下で象徴として位置づけられるのですが、そもそも生身の存在の天皇を抽象的な象徴にするというのは無理があるのでは。天皇陛下は24時間365日公人としての生活を強いられてしまいます。個人的にはとても我慢できないような生活を過ごしておられる姿には首を垂れるしかありません。今上天皇は先の戦争を少年期に経験してその深い反省の下に現行憲法に定められた責務を身を粉にして務められています。余計なことをしないで祭事だけをしていればいいとかいう議論も聞きますが、今上天皇のお心を全く無視した議論と思います。
でもその行為も考えも今上天皇個人に属するものであって、次の世代の天皇が同じ考えとは限らない。制度としての天皇制を考えるとこの後何代も男系が維持できるのかとか、もっと自由に生きたいという天皇が出てこないかとか、生身の人間としての限界がどこかに出てくるのではないかと思ってしまいます。このままでは宮家はどんどん減るしかなく、明治時代のままの皇室典範では早晩対応不可となってくるはず。あまり重荷を背負わずにもっと自由に生きていけるようになればと願っています。
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