怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

リチャード・クー「追われる国の経済学」

2021-01-09 17:11:53 | 
久しぶりの600ページを超す経済学の本で読了するのに結構苦労しました。本来なら年末年始の暇な時間に読み終えるつもりが飲んだくれて松の内も過ぎての読了でした。

どうも酒が入ると小難しい本は体が受け付けず、ついつい軽い本に目が移ってしまいます。それが結構面白くて読みだすとなかなか止まらないのがいけない。

益田ミリと三浦しをんとなると面白くないわけがない。
さらに北村薫と磯田道史となれば柔らかいばかりではなくて、それなりのファクトファインドがあるのですが、それがまた胸にスルスル入ってきて面白い。

磯田の本はNHKの番組で取り上げたことを本にしたもの。当然ながら読みやすい。江戸時代の再評価は国際情勢を無視して国内のことだけを考えれば戦国時代から脱却したのだから当然の評価。平和が一番大事というならば、徳川300年の太平は評価しすぎることはないでしょう。北村薫の本は太宰治と「本」の薀蓄に満ちていて、最近太宰の文庫本を再読している身としては知的好奇心を刺激されます。
閑話休題。
リチャード・クーの本に戻ります。
経済学は合理的な人間と企業が前提になっている。教科書的には民間企業は利益の最大化を図って行動し、その前提に基づき理論が構築され、精緻な数値化されたモデルにより政策提言がなされている。ところがバブルが崩壊した後、債権価値が崩壊していくと民間企業のバランスシートは大きく毀損し債務超過に陥ってしまう。その場合利益の最大化ではなく債務の最小化を優先して取り組まないと銀行からの融資も受けれずに企業活動を持続させていけなくなる。一度そのような事態に立ちってしまうと民間企業は自らの財務の健全性に自信が持てるまで、どんなに利率が低くても借金をせずに債務を返そうとする。各企業の行動としては合理的なのだがすべての企業がそういう行動をとると、民間企業セクターでは貯蓄超過となって、借り手不在の中、経済はデフレスパイラルに陥り縮小していく(合成の誤謬)。これをバランスシート不況と呼びアメリカの大恐慌、日本のバブル崩壊後の状況も該当すると。「バランスシート不況」という言葉はリチャード・クーの造語だと思いますが今ではすっかり市民権を得ています。
バランスシート不況では金融政策でいくら政策金利を下げ量的緩和を行なっても民間企業は反応せず、借り手は現れない。当然デフレは解消されない。この場合は政府が最後の借り手となって民間の貯蓄超過を解消すべく公共事業を行わないと不況は深化する。このことは日銀が黒田総裁の下、アベノミクスと喧伝され大胆な量的緩和を行ってもインフレ目標は何時までも達成できずにいることからも証明されている。
と、ここまでは前著でも述べられていたこと。今回は同じような現象が「追われる国」では普遍的にみられるようになったということを分析している。資本主義経済の発展段階によって企業行動も変わり有効な経済政策も変わってくるというのが要点。宇野派経済学の原理・段階・状況からいえば状況論なのでしょうけど、説得力があります。
経済がルイスの転換点を超える前の段階では資本家は農村の過剰労働力が供給され、いくらでも労働者を低い賃金で雇うことができた。しかしルイスの転換点を過ぎると労働者の確保には賃金を引き上げざるを得ず、生産性を向上させるために設備投資をせざるを得なくなる。一方賃金が上がった労働者の購買力も急速に上がり内需が拡大。この段階は投資も消費も伸び社会全体が経済成長の成果を享受できる黄金期と言える。
しかし賃金がある時点になると企業は海外に投資した方が国内で投資するよりも資本収益率が高くなる。新興国に生産拠点を移していく産業がかなり増えていくと、経済は「追われる国(被追国)」の段階に入ったことになる。企業は海外の労働資源を活用するという選択肢を手に入れ、多大な設備投資をしてまで国内労働者の生産性を上げる必要がなくなってくる。企業は国内で投資をしなくなり国内の資金需要が減退してくる。民間に過剰貯蓄が発生し、中央銀行がいくら金利を下げても資金はだぶついてしまう。バランスシート不況と同様に貸し手はいても借り手がいないので金融政策は効果をなくしてくる。政府が最後の借り手となり、同時に構造改革をして生産性を上げていくしかなくなるのだが、構造改革による生産性向上は短期達成目標ではなくどうしても時間がかかるので即効性がない。過剰貯蓄が解消されず金利が低いままならば政府投資でも社会全体での収益性を見れば十分に効率性がある。投資効果からの使い道への監視は必要だが、財政赤字にこだわればデフレスパイラルに陥ってしまうだけ。
ところで被追国が海外への投資をできるのは、自由貿易体制が財の自由貿易にとどまらず資本移動の自由化も進めたことによる。貿易不均衡は為替によって是正されてきたのだが、資本移動までもが自由化された結果、為替市場では95%が各国投資家による資本取引で貿易関連の取引はわずか5%とか。そのため為替市場は貿易不均衡を是正するという本来の機能を失っている。
今や黄金期を過ぎた被追国の労働者の多くは新興国の労働者に代替可能となり、二極分解していく。古き良き時代をもう一度夢見るアメリカの白人労働者は自由貿易体制、グローバリズムに反発し、トランプを大統領に押し上げる原動力になっていた。
う~ん、自分の頭の中の整理にはいいのですが、何しろ614ページのハードカバーなのでこれを2千字程度に要約するには相当無理があって、これを読んでかえって混乱するかもしれません。文章は読みやすく論旨も明快で説得力もあるので多少なりとも興味があれば時間を作って気合を入れて読んでみてください。
ところで河村名古屋市長は前々からリチャード・クーの信奉者で、財政出動が必要、国債は借金ではないと言っていました。リチャード・クーの理論をどこまで深く理解しているかは分かりませんが、交流はあるみたいで、それもあってかこの本にも河村市長がリーダーシップを発揮してスクールカウンセラーを導入したと紹介してあります。河村市長は大喜びで幹部会でいい本だからと吹聴したとか。それを仄聞したので、却って読む気がなくなったのですが、この年末年始に読んでみて、経済の発展段階に即した企業活動の実務を踏まえていて、広い視野で現在の経済を理解するのにいい本でした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岩村暢子「残念な和食にもワ... | トップ | 1月11日鶴舞公園テニスコート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事