ごっとさんのブログ

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   薬と猫と時々時事

節分の豆まき

2015-02-06 10:39:06 | 文化
先日節分の日と少しずれてしまいましたが、豆まきをしました。といっても家の中にまくと、後が大変ということで、もっぱら”鬼は外”が多く、あまり福は来ないかもしれません。とても歳の数の豆は食べられませんが、適度にポリポリ食べて、家の行事となりました。テレビなどでは、有名な神社などで、力士や芸能人が豆まきをするところが出ていましたので、これは神道に基づく行事のようです。

私はもともと宗教には無関心で、全く信じていないというのが本当のところです。もちろん近くの寺の檀家になっており、先祖代々の墓もあります。母が亡くなった時は、仏式の葬儀をしその後も一周忌や三回忌といった法事も執り行ってきました。だからと言って仏教徒とはいえず、普段仏教とかかわることは全くありません。せいぜい彼岸に墓掃除と墓参りに行く程度です。しかし日本人はこの程度の人が多いのではないでしょうか。一時神仏合体といって、日本古来の神道とその後伝来した仏教が混ざってしまった時期もあったようです。

もともと宗教に由来する行事が、かけ離れたものになり、日本の風習的なものになってしまったことがかなりたくさんあります。その代表的なものがクリスマスですが、キリスト教など全く関係なく、私の家でもケーキを食べました。昨年は若者たちが、渋谷などでハロウィンで盛り上がったようですが、これも広がっていくのでしょうか。
私の家では、大晦日に近くの寺に除夜の鐘をつきに行く習慣がありますが、全く仏教的な意味はなく、鐘をついた後マス酒を飲んで帰るだけになっています。また今年も三が日はずらしましたが、少し離れたやや有名な神社に初もうでに行きました。少し遅れていったのに、駐車場は混雑しており、かなり時間がかかりました。いつものように破魔矢とお守りを買い、おみくじを引いて帰りました。ちなみに私は大吉で喜んでいましたが、かみさんはあまり良くなかったようでぶつぶつ言っていました。

このように本来は宗教と密接に関係のある行事が、単なる風習になったことは非常に多いような気がします。しかしもとは何であれ、日本の良き風習を伝え残していくことは大切だと感じています。
このようにどんどん宗教色は薄れていきますので、何に由来した行事かがわからなくなっていますが、家では冬至のゆず湯や菖蒲湯など、適度に楽しんでいきます。

日本人の大部分が(本当に大部分かは自信はありませんが)、このように無宗教になってしまったのはなぜでしょうか。これが日本だけのことなのか、世界的な傾向なのか分かりませんが、どうも特殊な日本なのかもしれません。