今さら4月のことを記事化してすみません。
4月13日の朝は、母親と一緒に、父親の車で、熊山駅に向かった。
駅まで送ってもらったのである。
熊山駅からは、母親と一緒に、7時34分発の1302M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で、わたしたちは、最後尾のクハ111-566に乗車した。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、各駅に停車した。
終点の姫路駅に着くと、下車して、8時55分発の3436M・新快速に乗り換えた。
12両編成の列車で、わたしたちは、最後尾のクハ222-2002に乗車した。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に止まると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
そして、10時05分発の関空快速・紀州路快速の併結列車に乗った。
わたしたちが乗った車両は、中間車で、車番はモハ223-2522だった。
その列車が、途中の新今宮駅に止まると、JRの改札を出て、南海・泉北高速鉄道のきっぷを買って、南海の改札を通った。

そして、10時32分発の区間急行・和泉中央行きに乗車した。
わたしたちが乗った車両の車番は5604だった。
なお、その日、その電車には、女性の車掌が乗務していた。
新今宮駅を出発した区間急行電車は、天下茶屋、堺東の順に停車した。
電車は、そのあとも、南海高野線の線路を走り、泉北高速鉄道が分岐する中百舌鳥駅を通過すると、いったん地下へ入った。
そして、地上に出ると、高架の上を走った。
泉北高速鉄道の線路に入ったのである。
開業が比較的新しい路線で、もちろん、踏切はない。
泉北高速鉄道に入った区間急行電車は、深井、泉ケ丘、栂・美木多、光明池、和泉中央の順に各駅に停車した。
各駅とも、丘陵地のニュータウンへのアクセスの利便性を考えて、設置されている感じだった。
沿線は、丘陵地と丘陵地との間には、田畑が残っている個所もあるが、丘陵地の上は、構想の集合住宅などが建ち並ぶ姿が目に入った。
電車が、終点の和泉中央駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、コインロッカーに大きな荷物を預けたあと、駅舎内にあるベーカリーカフェで昼食をとった。
そのあとは、南海バスの槙尾山口行きに乗って、途中の槙尾中学校前で、下車した。


その場所は、南海バスと槇尾山へ向かうオレンジバス(コミュニティバス)との接続点である。
昨年の10月も、その場所までは、母親と一緒に訪れたが、そのときは、悪天候のため、槇尾山へ行くのは断念して引き返した。
4月13日は、再度その場所へ行ったのである。
4月のその日は、天候が良かった。
南海バスを降りた後は、オレンジバスの乗り場へ行ったが、まだバスは入ってきてなく、時間があったので、付近の交差点の角にあるコンビニに行った。
そのあと、オレンジバスの乗り場で槙尾山行きのバスを待った。
しばらくすると、小型のバスが入ってきた。
バスは、トヨタのハイエースだった。外見はバスというより、普通車のワンボックスカーだが、2ナンバーなので、マイクロバスの仲間である。
その日、そのバスには、乗客はわたしたち以外誰もいなかった。
12時40分頃、槙尾山行きのバスは、槙尾中学校前を出発した。
途中で、バスは、狭い道に入った。
バスがハイエースなのは、そのようなところを通り抜けるためだろう。
しばらくすると、山の中に入った。
その時期は、新緑がきれいだった。
出発から12分ほど経つと、バスは、終点の槙尾山停留所に到着した。
停留所のそばの転回スペースは狭かった。
それも、車両がハイエースである理由の一つだろう。

バスを降りると、目の前は、槇尾山・施福寺の参道である。
その旅行では一番の目的地なのだ。
わたしたちは、施福寺を目指して歩いた。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
4月13日の朝は、母親と一緒に、父親の車で、熊山駅に向かった。
駅まで送ってもらったのである。
熊山駅からは、母親と一緒に、7時34分発の1302M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で、わたしたちは、最後尾のクハ111-566に乗車した。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、各駅に停車した。
終点の姫路駅に着くと、下車して、8時55分発の3436M・新快速に乗り換えた。
12両編成の列車で、わたしたちは、最後尾のクハ222-2002に乗車した。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に止まると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
そして、10時05分発の関空快速・紀州路快速の併結列車に乗った。
わたしたちが乗った車両は、中間車で、車番はモハ223-2522だった。
その列車が、途中の新今宮駅に止まると、JRの改札を出て、南海・泉北高速鉄道のきっぷを買って、南海の改札を通った。

そして、10時32分発の区間急行・和泉中央行きに乗車した。
わたしたちが乗った車両の車番は5604だった。
なお、その日、その電車には、女性の車掌が乗務していた。
新今宮駅を出発した区間急行電車は、天下茶屋、堺東の順に停車した。
電車は、そのあとも、南海高野線の線路を走り、泉北高速鉄道が分岐する中百舌鳥駅を通過すると、いったん地下へ入った。
そして、地上に出ると、高架の上を走った。
泉北高速鉄道の線路に入ったのである。
開業が比較的新しい路線で、もちろん、踏切はない。
泉北高速鉄道に入った区間急行電車は、深井、泉ケ丘、栂・美木多、光明池、和泉中央の順に各駅に停車した。
各駅とも、丘陵地のニュータウンへのアクセスの利便性を考えて、設置されている感じだった。
沿線は、丘陵地と丘陵地との間には、田畑が残っている個所もあるが、丘陵地の上は、構想の集合住宅などが建ち並ぶ姿が目に入った。
電車が、終点の和泉中央駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、コインロッカーに大きな荷物を預けたあと、駅舎内にあるベーカリーカフェで昼食をとった。
そのあとは、南海バスの槙尾山口行きに乗って、途中の槙尾中学校前で、下車した。


その場所は、南海バスと槇尾山へ向かうオレンジバス(コミュニティバス)との接続点である。
昨年の10月も、その場所までは、母親と一緒に訪れたが、そのときは、悪天候のため、槇尾山へ行くのは断念して引き返した。
4月13日は、再度その場所へ行ったのである。
4月のその日は、天候が良かった。
南海バスを降りた後は、オレンジバスの乗り場へ行ったが、まだバスは入ってきてなく、時間があったので、付近の交差点の角にあるコンビニに行った。
そのあと、オレンジバスの乗り場で槙尾山行きのバスを待った。
しばらくすると、小型のバスが入ってきた。
バスは、トヨタのハイエースだった。外見はバスというより、普通車のワンボックスカーだが、2ナンバーなので、マイクロバスの仲間である。
その日、そのバスには、乗客はわたしたち以外誰もいなかった。
12時40分頃、槙尾山行きのバスは、槙尾中学校前を出発した。
途中で、バスは、狭い道に入った。
バスがハイエースなのは、そのようなところを通り抜けるためだろう。
しばらくすると、山の中に入った。
その時期は、新緑がきれいだった。
出発から12分ほど経つと、バスは、終点の槙尾山停留所に到着した。
停留所のそばの転回スペースは狭かった。
それも、車両がハイエースである理由の一つだろう。

バスを降りると、目の前は、槇尾山・施福寺の参道である。
その旅行では一番の目的地なのだ。
わたしたちは、施福寺を目指して歩いた。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。