今さら7月のことを記事化してすみません。
7月26日の午前10時頃、わたしは、高松港と男木島とを結ぶフェリー「めおん2」の船内にいた。
母親も一緒である。
10時頃、フェリーは、高松港を出港した。
わたしは、船内の細部の写真をデジカメで撮影した。
将来、模型を作ることを視野に入れているからである。
また、船内で販売されていた「めおん2」のペーパークラフトを1つ購入した。
出港から7分後、四国フェリーの「第一しょうどしま丸」とすれ違ったので、その船も撮影した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/68/4083fd46d19088b07514a13556628906.jpg)
元々は、小豆島の土庄港と高松港との航路に使用されていたが、現在は、宇野と高松との航路に使用されている。
前方を見ると、島に近づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/54/2fc0ecc88db9bb1f8d3ed76782219a9e.jpg)
女木島である。
別名、鬼ヶ島と呼ばれている。
女木島では、大半の乗船客は降りていった。
わたしたちは、引き続き船内に残り、男木島へ向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7b/01db4dbf10c088b560e4309ab0946922.jpg)
しばらくすると、男木島の港と、その背後にある集落が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d5/639da1cc948ffd7bf15421a0e116f1c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1e/c098aaf6717718e54dd37eaa5fe56518.jpg)
そして、フェリー「めおん2」が、男木島へ到着すると、下船した。
下船後は、島の散策を開始した。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
7月26日の午前10時頃、わたしは、高松港と男木島とを結ぶフェリー「めおん2」の船内にいた。
母親も一緒である。
10時頃、フェリーは、高松港を出港した。
わたしは、船内の細部の写真をデジカメで撮影した。
将来、模型を作ることを視野に入れているからである。
また、船内で販売されていた「めおん2」のペーパークラフトを1つ購入した。
出港から7分後、四国フェリーの「第一しょうどしま丸」とすれ違ったので、その船も撮影した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/68/4083fd46d19088b07514a13556628906.jpg)
元々は、小豆島の土庄港と高松港との航路に使用されていたが、現在は、宇野と高松との航路に使用されている。
前方を見ると、島に近づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/54/2fc0ecc88db9bb1f8d3ed76782219a9e.jpg)
女木島である。
別名、鬼ヶ島と呼ばれている。
女木島では、大半の乗船客は降りていった。
わたしたちは、引き続き船内に残り、男木島へ向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7b/01db4dbf10c088b560e4309ab0946922.jpg)
しばらくすると、男木島の港と、その背後にある集落が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d5/639da1cc948ffd7bf15421a0e116f1c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1e/c098aaf6717718e54dd37eaa5fe56518.jpg)
そして、フェリー「めおん2」が、男木島へ到着すると、下船した。
下船後は、島の散策を開始した。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。