浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

山陽電車と阪神電車で大阪日本橋へ行った(続き)

2018年12月30日 21時38分57秒 | Weblog
今さら12月14日のことを記事化してすみません。

12月14日の朝は、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅からは、6時41分発の1300M・姫路行きに乗車した。
その列車は、113系の4両編成で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ111-2038だった。
列車は、熊山駅を出発すると、和気、吉永、三石の順に、各駅に停車した。
三石駅を出発すると、船坂トンネルを通り、兵庫県に入った。
そして、しばらく走ると、上郡駅に停車した。
上郡駅では、多数の乗車があった。
上郡駅を出発すると、有年、相生の順に停車した。
相生駅には、7時20分に到着し、26分に発車予定だった。
しかし、その日は、定刻の26分を過ぎても、発車しなかった。
車掌の放送によると、後続の上郡発野洲行きの列車の車両が故障したため、相生出発を、後続の野洲行きと同じ
7時39分に変更するという。
そのため、定刻より遅れて発車した。
また、車内はかなり混雑した。
そのあとは、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車したが、姫路に近づくにつれて、混雑は激しくなった。
終点の姫路には、定刻より約15分遅れて到着した。
姫路駅に着くと、改札の外に出て、山陽電鉄の山陽姫路駅に向かった。
そして、阪神・山陽シーサイド1dayチケットを買って、改札を通った。



山陽姫路駅からは、8時27分発の直通特急・阪神梅田行きに乗った。



その列車は、山陽電鉄の5000系で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は5604だった。
神戸市内に入り、神戸高速鉄道、阪神電鉄の路線に入り、途中の神戸三宮に止まると、下車して、トイレを済ませたあと、9時45分発の神戸三宮発近鉄奈良行きの快速急行に乗り換えた。
その列車は、阪神電鉄の9000系だった。
わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は9208だった。
その列車は、神戸三宮を出発したときは、混雑していたが、阪神なんば線に入ってしばらくすると、空いてきた。
途中の桜川駅では、近鉄の乗務員に交代した。
そして、次の大阪難波駅に止まると、下車した。





大阪難波駅で下車後は、改札の外に出て、地下街を歩いた
その途中にあるコーヒー店で、トーストとコーヒーのセットを注文し、腹ごしらえをした。



そのあとも、地下街を歩き、日本橋駅付近で地上に出て、堺筋の歩道を歩いた。

そして、日本橋にある模型店を巡ったり、黒門市場のうどん店で昼食をとった。

そのあと、大阪難波駅へ向かって歩いた。

大阪難波駅からは、12時56分発の各停・尼崎行きに乗車した。
その列車は、阪神電鉄の1000系で運転されていた。
尼崎行きの各停が、終点の尼崎駅に着くと、下車して、阪神本線の上りのホームへ行った。
そして、13時19分発の急行・阪神梅田行きに乗った。
その列車は、阪神電鉄の9300系で運転されていて、わたしは、中間車の車番9306に乗車した。
車内にはクロスシートがあり、それに座ることができた。
急行電車が、終点の阪神梅田に着くと、下車して、いったん改札の外に出た。
改札から出て、すぐのところに、阪神百貨店の入口がある。
しばらくして、改札内に戻り、14時10分発の直通特急・山陽姫路行きを待った。



14時10分発の直通特急は、山陽電鉄の車両が使われていて、その日は、5030系が充当されていた。
わたしは、中間車の車番5233に乗車した。
車内のクロスシートは、海側が2列、山側が1列で、わたしは、1列のほうに座った。
15時50分頃、直通特急が、終点の山陽姫路駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの姫路駅に行き、16時35分発の981M・播州赤穂行きを待った。
その列車は、221系の4両編成だった。
わたしは、先頭の車両に乗車した。
車内は混雑していた。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
途中の相生駅に止まると、下車して、16時59分発の山陽本線経由の1329Mに乗り換えた。
その列車は、115系の6両編成で、わたしは、前から3両目の車両に乗った。
車番はクモハ115-1509だった。
その列車は、相生駅を出発すると、有年、上郡、三石、吉永、和気の順に停車した。
途中の吉永や和気では、意外と多数の乗車があった。
金曜日の夕方なので、岡山市内に飲みに行く人が多かったのかもしれない。
和気の次は、熊山駅に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、大阪の日本橋の模型店目的の外出を終えることができた。
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みまさかスローライフ列車に乗りに行った(続き)

2018年12月30日 20時45分20秒 | Weblog
今さら11月のことを記事化してすみません。

11月10日の朝は、路線バスに乗って、岡山駅へ向かった。
岡山駅からは、津山線の普通列車946D・津山行きに乗車した。
その列車は、キハ40形気動車の単行運転のワンマン列車だった。
その日の車番は、キハ40-2043だった。
列車は、8時44分に、岡山駅を出発した。
単行運転のため、ほとんどの座席が埋まっていた。
列車は、終点の津山まで、各駅に停車した。
津山駅に着くと、下車して、いったん改札の外に出た。
そして、トイレなどへ行ったあと、智頭までのきっぷを買い、4番ホームへ行った。
その日は、みまさかスローライフ列車の運転日で、4番ホームから発車するという案内があった。



ホームには、乗車口の位置の表示がされていた。



わたしは、10時20分頃から、自由席の乗車口の表示のところで待つことにした。
その表示のところには、まだ誰も並んでいなかった。

しばらくすると、みまさかスローライフ列車目的の人たちが次々と並んできた。

そのときは、まだ車両編成は、車両基地に止まっていた。



11時半頃、みまさかスローライフ列車の車両が、車両基地から出てきた。



そして、11時40分頃、4番ホームに入線した。



列車が入線すると、ドアボタンを押して、ドアを開けて、車内に入った。
智頭行きでは最後尾の車両で、車番はキハ40-2134だった。
もちろん、自由席である。
車内に入ると、進行方向左側のボックス席を確保した。

12時03分、みまさかスローライフ列車は、津山駅を出発した。
最後尾の車両には、車掌のほか、何人かのイベントスタッフが乗務していた。

列車は、津山駅を出発すると、各駅に停車した。
津山駅を出発して、少し経つと、吉井川の鉄橋を渡った。
そして、少し経つと、東津山駅に停車した。
東津山駅では、停車時間はわずかだった。
東津山からは、因美線に入った。
東津山の次の停車駅は、高野である。
次の高野駅も、停車時間はわずかだった。
高野の次は、美作滝尾に停車した。
その途中では、のどかな田畑の風景が目に入った。



しばらく走ると、古い木造駅舎の残る美作滝尾駅に停車した。
1面1線の駅である。
美作滝江尾駅では、長時間停車した。



ホームでは、「男はつらいよ」の寅さんに扮した人など、多数の人たちが、歓迎していた。

美作滝尾駅では、イベントが行われていて、出店では弁当が販売されていたので購入した。



また、駅舎のホーム側には、使われなくなってさび付いたはかりや荷車などが置かれていた。
荷物を取り扱いしていた時代の名残であろう。



車内に戻ると、買った弁当を開いて、昼食をとった。

12時50分、みまさかスローライフ列車は、美作滝尾駅を発車した。
少し経つと、川沿いを走った。
その途中に三浦駅がある。
もちろん、停車したが、すぐに発車した。
車窓から見えた川の水がきれいだった。

13時02分、みまさかスローライフ列車は、美作加茂駅に停車した。
2面2線の行き違い可能駅である。
美作加茂駅では、長時間停車した。



駅前には、大きな山車が置かれていた。
また、付近では、出店があった。



13時35分、みまさかスローライフ列車は、美作加茂駅を発車した。

車窓の風景は、徐々に山深くなっていった。

その途中、知和駅に停車したが、すぐに発車した。

知和駅出発後は、ますます山の中に入っていった。
途中、トンネルを抜けると、有名な撮影地の鉄橋に出た。



それから、まもなく、美作河井駅に停車した。



美作河井駅では、長時間停車した。



駅の東の山は、かつて山城の矢筈城があった場所である。



また、付近には、かつて、除雪車の方向転換に使われていた転車台があった。



14時15分、みまさかスローライフ列車は、美作河井駅を出発した。
列車は、県境の物見トンネルに向かって、ゆっくりと進んだ。

物見トンネルに入ると、列車のスピードが徐々にあがっていった。
そして、鳥取県に入った。

鳥取県に入り、しばらくすると、那岐駅に停車した。
停車時間はわずかだった。
その次は、土師駅に停車した。
土師駅でも、停車時間はわずかだった。
そして、14時43分、みまさかスローライフ列車は、終点の智頭駅に到着した。


みまさかスローライフ列車は、智頭駅で折り返し、津山行きのみまさかスローライフ列車となって、14時50分に発車したが、わたしは、引き続きの乗車はせずに、下車後、改札の外に出た。

そして、智頭急行の駅舎に行き、15時32分発の740D・上郡行きを待った。
わたしにとって、23年ぶりの智頭急行線乗車である。
きっぷを購入後、しばらく待つと、車両の点検などが済み、乗車できるようになった。



その列車は、智頭急行のHOT3500形の単行運転のワンマン列車である。
その日の車番はHOT3503だった。
車内は、ボックスシートとロングシートがあり、上郡寄りのドア付近にはトイレも設置されている。
わたしは、進行方向右側のボックスシートに座った。
列車は、智頭駅を出発すると、終点の上郡駅まで、各駅に停車した。
途中、恋山形駅では、ピンクの待合所が目に入った。



恋山形出発後は、山郷に停車し、そのあとは、県境を越えて、岡山県に入った。
智頭急行線は、高架橋とトンネルが多く、智頭駅付近、佐用駅付近、上郡駅付近を除き、踏切がない。
岡山県に入ると、あわくら温泉、西粟倉、大原の順に停車した。
大原駅では停車時間が長かった。
大原の次は、宮本武蔵駅に停車した。
宮本武蔵駅を出発すると、しばらくして、兵庫県に入った。
そして、石井、平福、佐用、久崎、河野原円心、苔縄の順に停車した。
車窓の外は、徐々に暗くなっていった。
16時59分、智頭急行の普通列車・740Dは、終点の上郡駅に到着した。
上郡駅で降りると、JRとの連絡改札で、乗車駅証明書を受け取った。
それから、山陽本線の17時11分発の1329Mを待った。
その列車は、115系の6両編成だった。
わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクモハ115-1504だった。
山陽本線の列車が、上郡駅を出発すると、少し経ってから、車掌が車内の巡回を始めた。
車掌に乗車駅証明書を渡し、瀬戸まで乗ることを告げて、車内発行券を購入した。
そのあと、列車は、船坂峠を通り、船坂トンネルを通って、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
三石駅出発後は、吉永、和気、熊山、万富の順に停車した。
万富の次は、瀬戸駅に停車した。
瀬戸駅に止まると、下車して、駅員に車内発行券を渡して、改札の外に出た。
そして、路線バスに乗って、帰路についた。

こうして、みまさかスローライフ列車目的の外出を終えることができた。
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山陰へ撮り鉄に行った(続き)

2018年12月30日 15時56分34秒 | カメラ・写真
今さら11月のことを記事化してすみません。

11月4日は、早朝5時頃、マイカーに愛機α33を載せて出かけた。
国道53号線や国道179号線などを通り、向かった先は、鳥取県東伯郡湯梨浜町原地区の山陰本線沿線である。

現地には、8時過ぎに到着した。
その場所は、田園の築堤の上を走る山陰本線の列車が撮影しやすい定番撮影地である。
その日、まずはじめに撮影した列車は、下り普通列車の229Kで、8時16分頃、撮影した。



列車は、キハ47形の2両編成だった。

次に撮影した列車は、上りの特急「スーパーはくと4号」である。



列車は、HOT7000系の5両編成で、構図ギリギリになった。
プリントしたら切れてしまうだろう。
失敗作だが、ここでは載せることにした。
なお、撮影時刻は8時26分だった。

次に撮影した列車は、上り普通列車の120Kである。



列車は、キハ126系の2両編成で、撮影時刻は8時44分だった。


その次は、下りの特急「スーパーまつかぜ3号」を撮影した。





キハ187系の2両編成で、その日は、「いわみキャラクタートレイン」のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は8時51分から52分である。

その次は、上りの普通列車230Kを撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は8時59分だった。

その次は、上りの特急「スーパーまつかぜ4号」を撮影した。



キハ187系の2両編成だった。
撮影時刻は9時05分である。

その次は、下りの普通列車231Kを撮影した。



列車は、キハ47形の4両編成だった。
撮影時刻は9時09分である。

その次は、その日、もっとも撮影したかった列車を撮影した。



下りの8435D・快速「あめつち」である。
撮影時刻は9時32分だった。

そのあとも、その日の撮り鉄は続いた。

次は、上りの3420K・快速「とっとりライナー」を撮影した。





列車は、キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりの黄色のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は9時43分から44分である。

その次は、下りのHOT7000系の回送列車を撮影した。



特急「スーパーはくと」に使用されている車両の回送で、その日は5両編成だった。
ギリギリの構図の失敗作だが、ここでは載せることにした。
撮影時刻は9時47分である。

そのあと、いったん撤収し、撮影ポイントを変えて撮り鉄するために車で移動した。
向かった先は、湯梨浜町の長和田地区の山陰本線の踏切付近である。
その場所も、築堤の上を走る山陰本線の列車を撮影できるのだが、線路沿いの植物が生長していて、構図を決めるのが難しかった。

場所移動後、はじめに撮影した列車は、上りの特急「スーパーまつかぜ6号」で、後追い撮影である。



撮影時刻は10時28分だった。

その次は、下りの普通列車233Kを撮影した。



列車はキハ47形だった。
撮影時刻は10時34分である。

その次は、下りの特急「スーパーはくと1号」を撮影した。



撮影時刻は10時41分である。

そのあと、また撤収し、道の駅はわいで食事休憩後、再度、湯梨浜町原地区の撮影地に戻った。
そちらのほうが、撮影しやすいからである。

再び、原地区に戻ると、まず撮影した列車は、上りの3422K・快速「とっとりライナー」である。



列車は、キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりのピンクのラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は11時56分である。

次は、下りの特急「スーパーまつかぜ5号」を後追いで撮影した。



列車は、キハ187系の2両編成で、撮影時刻は12時03分だった。

次は、下りの237K・普通列車を後追いで撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は12時07分だった。

次は、上りの普通列車1276Kを撮影した。



その列車も、キハ47形の2両編成だった。
撮影時刻は12時15分である。

次は、下りの特急「スーパーはくと3号」を後追いで撮影した。



撮影時刻は12時27分である。

次は、上りの特急「スーパーはくと8号」を撮影した。



撮影時刻は12時33分だった。

次は、上りの240K・普通列車を撮影した。



キハ47形の2両編成で、撮影時刻は12時48分だった。

次は、下りの3423K・快速「とっとりライナー」を撮影した。



キハ126系の2両編成で、その日は、まんが王国とっとりの黄色のラッピング車が充当されていた。
撮影時刻は12時54分だった。

次は、上りの特急「スーパーまつかぜ8号」を撮影した。



キハ187系の2両編成で、その日は、いわみキャラクタートレインが充当されていた。
なお、撮影時刻は13時02分である。

その撮影を以って、その日の撮り鉄は終了した。

そのあとは、国道179号線や国道53号線などを通り、帰路についた。
日曜日で晴天が良い日だったため、奥津付近では車が多かった。

夕方、無事に帰宅して、「あめつち」などの撮影を目的としたドライブは終了した。
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