今さら10月のことを記事化してすみません。
10月26日の朝は、滋賀県東近江市の某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。
その日の朝食は、ホテルのレストランのバイキングだった。
8時20分頃、チェックアウトして、レンタカーに乗った。

はじめに向かったのは、道の駅あいとうマーガレットステーションである。
その道の駅に着いたのは、8時35分頃だった。

まだ、道の駅の店は開いていなかった。
だが、車から降りて、適当に散歩しているうちに、開店時刻の9時が来た。
店が開くと、土産物などの買い物をした。
それから、またレンタカーに乗った。
次に向かったのは、永源寺である。

滋賀県東近江市の山の中の川沿いにある寺院で、臨済宗永源寺派の大本山である。
永源寺は、南北朝時代の興安元年(1361年)に、近江守護職の佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりといわれている。
駐車場に車を止めて、参道を歩くと、途中、眼鏡をかけたお地蔵様がある。


さらに進んでいくと、受付の門が見えた。

中に入ると、紅くなったモミジが所々にある。

永源寺はモミジの名所としても知られている。
さらに進むと大きな山門がある。


その山門は、滋賀県指定の有形文化財である。
山門を通り、しばらく進むと、左手に鐘楼がある。

そして、鐘楼の向こうにある建物が、本堂である。

本堂を参拝後、境内の写真を撮影した。
その日は、天候が良く、撮影するの適していた。








永源寺をあとにすると、レンタカーで、五箇荘へ向かった。
古い町並みが保存されている地区である。
東近江市街地を走り抜け、途中、近江鉄道の踏切を渡った。
そのときも、渡る直前で、カーナビが踏切の存在を音声で知らせた。
そのあともしばらく走ると、五箇荘観光センターに到着した。
観光センターには、駐車場のほか、土産店や食堂がある。
観光センターの駐車場に車を止めると、歩いて、五箇荘の集落に向かった。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
10月26日の朝は、滋賀県東近江市の某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。
その日の朝食は、ホテルのレストランのバイキングだった。
8時20分頃、チェックアウトして、レンタカーに乗った。

はじめに向かったのは、道の駅あいとうマーガレットステーションである。
その道の駅に着いたのは、8時35分頃だった。

まだ、道の駅の店は開いていなかった。
だが、車から降りて、適当に散歩しているうちに、開店時刻の9時が来た。
店が開くと、土産物などの買い物をした。
それから、またレンタカーに乗った。
次に向かったのは、永源寺である。

滋賀県東近江市の山の中の川沿いにある寺院で、臨済宗永源寺派の大本山である。
永源寺は、南北朝時代の興安元年(1361年)に、近江守護職の佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりといわれている。
駐車場に車を止めて、参道を歩くと、途中、眼鏡をかけたお地蔵様がある。


さらに進んでいくと、受付の門が見えた。

中に入ると、紅くなったモミジが所々にある。

永源寺はモミジの名所としても知られている。
さらに進むと大きな山門がある。


その山門は、滋賀県指定の有形文化財である。
山門を通り、しばらく進むと、左手に鐘楼がある。

そして、鐘楼の向こうにある建物が、本堂である。

本堂を参拝後、境内の写真を撮影した。
その日は、天候が良く、撮影するの適していた。








永源寺をあとにすると、レンタカーで、五箇荘へ向かった。
古い町並みが保存されている地区である。
東近江市街地を走り抜け、途中、近江鉄道の踏切を渡った。
そのときも、渡る直前で、カーナビが踏切の存在を音声で知らせた。
そのあともしばらく走ると、五箇荘観光センターに到着した。
観光センターには、駐車場のほか、土産店や食堂がある。
観光センターの駐車場に車を止めると、歩いて、五箇荘の集落に向かった。
都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。