沖縄戦は、私の想像する以上のものを改めて感じました。
案内をしていただいたのは、ボランティアガイドの古謝章子さんでした。
まず案内していただいたのは、120人が避難していた「ガマ」(洞くつ)です。
沖縄は、石灰岩の多いところで洞くつがいくつもあります。その一つに実際に入って30分ぐらい中で話をききました。
30メートルぐらい厳しい坂道を下ると少し広いところにでました。じめじめするなかで、懐中電灯を消すと真っ暗です。
目が慣れる事はありませんでした。10センチ前も見えない状況にただ座るだけの場所に120人が隠れていたそうです。
ある日、銃弾が発する音がしたので「自決者が出たのか」と思っていたら、後で聞いた話では、おばあちゃんが持っていた「黒砂糖」を欲しがる孫に気づいた兵隊が理由を聞いて、兵隊は、おばあちゃんから「黒砂糖」を取り上げたので、取り返そうと兵隊に二人の孫が向かったので兵隊はその孫を虐殺したというのです。
お腹をすかし孫はどんな思いだったででしょうか。孫が殺されるのを目の前にしたおばあちゃんはどんな思いだったでしょうか。
つぎに訪れたのが、「平和祈念資料館」
円柱が立っているところが「沖縄」平和の発信地としての願いが周りの円形に波の形をかたち取っています。
黒い部分がかつて日本軍が植民地(占領)していた土地(国)を表しています。
展示物の一つです。
「ごう」で暮らしている住民の隣に兵隊が銃剣を持って立っています。
先に避難してきた住民を「ごう」から追い出そうとしている沖縄戦の実態を表すところです。
しかし、兵隊の顔は住民の方ではなく外を見ています。どう見ても「住民を守っている兵隊」としか見えません。
このことを巡って「平和祈念資料館」の会館が4年間遅れたという歴史があります。
古謝さんお話では、最初は、兵隊は銃剣は持っていなかったといいます。
次に訪れたのが「沖縄県公文書館」です。
沖縄県の「公文書」をここで保存しいます。もちろん閲覧もできます。
私が驚いたのは、沖縄戦の映像を米国と交渉して入手しそれを無料でダビング(条件があります)できるというのです。
米軍が撮影したカラーの映像を見せてもらいました。
無料で映像を見せてもらうこともできます。その入り口と映像の写真です。