
昨日、福島県浪江町に住んでいた「菅野みずえさんの話と語る会」があるというので大成公民館に出かけました。
菅野さんは、福島県浪江町から関西に避難され原発事故の酷さ、避難の過酷さなどを話されました。
菅野さんは、自身も甲状腺がんの手術を受け、成人であるために原発との因果関係は不明としながら、「検査のためにのどに注射針を刺されるのはとても痛かった。福島の子どもたちがこのような苦しみをしていると思うと悲しい」と語られました。
浪江町では、原発がくることで「出稼ぎをしなくてすむようになったと喜んでいたら、原発事故が起き、こんな事なるんだったら反対しとけば良かった」と悔やむ人がほとんどだと言います。
避難生活では、最初は明るく励まし合っていたが、避難所や仮設住宅と転居する度に家族や地域の方とバラバラになり、先が見えなくなった。怒りや嘆きがはき出され、DVやアル中、精神疾患などが見られるようになった。
「女性は、教え、広め、祭りや原発事故の紙芝居など男性よりたくましい」とも語られました。
避難解除区域の目安が「20㍉シーベルト以下」となっている事について、「レントゲンの撮影室には鉛で覆われ、5㍉シーベルト以下に厳重に管理されているのに、福島の人間は鉛の覆いもないまま生活しても構わないのか」と国の差別的扱いを語られました。
国や東電は、東京オリンピックを前に帰還させようと除染作業に躍起です。
強制帰還を促す一つが「家賃補助の打ち切り」です。
原発の差し止めを認める裁判や原発の再稼働に疑問や反対を表明する市長や知事が誕生してきていることに希望を語りました。
最後に、「原発を動かすことは、2011年3月10日を暮らしているようなもので、足元に危機が迫っているのに気づかないまま、あなたはわたしのようになるのを只まっているのですか」と問いかけ、「今なら間に合う原発は動かさない運動を懸命にしましょう」と呼びかけました。



