内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

異文化の中の変われない日本の私

2017-09-11 18:48:48 | 哲学

 ここ数年特にそうだが、日本の大学からストラスブール大学に海外短期研修プログラムで来る大学生が増えている。一週間前後の滞在期間中、ストラスブールにある様々な国際機関を訪問したり、大学でフランス人学生と交流の時を持ったりする。
 今日もそのような研修の中のプログラムの一つとして、私が日本語で講演を行った。例年だと二十名前後の学生が参加するプログラムなのだが、今年はテロの影響とかで、応募者そのものが少なく、参加者はわずか六名。だから、講演というよりも、小さなセミナーのような感じであった。
 研修の目的を考慮して、異文化理解をテーマに一時間ほど話した。その後、一時間ほど質疑応答。日本から引率としていらっしゃっている先生の的確なアシストのおかげで、学生たちも質問しやすかったのであろう、いい質問がいくつも出て、答える私の方も、講演そのもので言い足りなかったことをそれらの質問に答える形で補うことができて幸いであった。
 講演の趣旨は、具体例の違いや若干の付加・修正・変更を除けば、二〇一五年二月に行った講演のそれと同じであった。その講演の内容については、拙ブログの二〇一五年一月六日の記事から八回に分けて紹介した。
 大体すべての質問にそつなく答えることができたと思うが、一つ返答に窮してしまった質問があった。それは引率の先生からの質問で、「二十一年間のフランスでの異文化経験を通じて、それ以前の自分と何が変わったとお考えですか」と聞かれたときである。
 もちろん、渡仏以前の自分のままであるはずはないと思うが、どこがどう変わったかと改めて聞かれると、一体自分の何が変わったのか、うまく説明できない。そして、その自己変化があったとして、それがフランスでの異文化経験とどのような関係にあるのかも簡単には説明できない。
 というのも、自分の駄目なところは、渡仏以前以後で何ら変わっておらず、今もずっと駄目なままで、何も変わっていないと思い至らざるを得ないことがこのところしばしばあるからである。
 そんな変われない駄目人間が偉そうに異文化理解などよく語れたものだ。質問された先生の意図とはまったく別に、その質問は警策のように私の心身を叩いた。