内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

歴史学に目覚めた(?)学生たち

2019-11-30 12:12:38 | 講義の余白から

 昨日の「近代日本の歴史と社会」の講義は、実に盛り沢山かつ栄養たっぷりな内容だった、と思う。ちょっと詰め込みすぎたかなと途中で思わなくもなかったが、前回の授業でもそうだったように、今回も学生たちの集中度がすごかった。こっちがそれに気おされるくらいだった(いったい何があったの?)。教室が静まり返り、スクリーンに映し出されたテキストについての私の解説に真剣に耳を傾けてくれたばかりでなく、彼らがそのテキストに強く印象づけられていることが張り詰めた空気を通じて伝わってきた。
 講義は、いつものように、推薦図書の紹介から始まる。日本語の本の場合、その紹介は、日本語のテキストを読みながら問題そのものを考える練習としても機能する。昨日紹介したのは、この九月に刊行された村上紀夫著『歴史学で卒業論文を書くために』(創元社)であった。
 その「はじめに」と「おわりに」の抜粋を読ませた。そこには、論文を書くということの意味について、非常に平易な言葉で大切なことが書かれている。私自身、共感するところや学ぶところが少なくない文章である。本書全体は、論文の構想から最終段階に至るまでの諸段階について、具体的で有益な助言をやさしい言葉で懇切丁寧に綴っている。修士一年で論文指導している学生には、ぜひ読むようにさっきメールで伝えたところだ。
 授業で紹介した箇所全部はとてもここに再録できないので、「はじめに」と「おわりに」から、それぞれ一箇所だけ引用しよう。「はじめに」の中の「なんのために卒業論文を書くのか」という小見出しのつけられた一節にはこうある。

「知りたい」と思えた「こだわり」のテーマに対して、一定の距離をとりつつ、その歴史的な背景を学問的に掘り下げていく作業―。卒業論文を書くという行為は、自分自身と向き合うことだといえる。

 「おわりに」からは、その最終部分を引こう。

卒業論文の執筆を通して、自分自身の関心と向き合い、先行研究や史料を読んで、考えて、手にした自分なりの結論は、きっとどこかで「生きることの意味」と結びついているはずである。卒業論文は、今すぐ役立つものではないかもしれない。しかし、いつの日か「ゆっくりと」あなたが「生きている意味」を教えてくれるだろう。
 だから、精いっぱいの卒業論文を書きあげて、達成感とともに大学を旅立ってほしい。みなさんにとって卒業論文が「おわり」ではなく、「始まり」であってほしいと願うばかりである。

 この引用箇所の直前に、安丸良夫の『現代日本思想論』(岩波現代文庫 2012年)からの引用があり、そこも授業で紹介した。その中の「歴史学的な知は、[…]私たちの生きることの意味についてゆっくりと媒介的に考えさせてくれる鏡たりうるもの」という含蓄ある美しい表現に深くうなずいていた学生たちは二人や三人ではなかった(君たち、ほんとうにどうしたの? 何か目覚めちゃったわけ?)。

 この講義でも、安丸良夫の著作は、後期に取り上げるつもりでいたので、明日の記事では、村上書での引用部分の前も含めてもう少しまとめて引用し、その箇所についての私見を記しておきたい。












「反近代」あるいは近代の「陰画」としての徂徠思想の「現代性」

2019-11-29 05:20:22 | 哲学

 一昨日水曜日のオフィス・アワーには、来年度日本の大学への留学を希望する学生たちが押し寄せてきて質問攻めにあい、その対応に大わらわであった。修士の演習の開始時間まで残り15分となったところで、やれやれ一段落したと思ったら、先日「研究入門」の課題レポートに丸山眞男の『日本政治思想史研究』を選んだと言いに来た学部二年の男子学生が飛び込んできた。
 「先生、こんにちは」と一言日本語で挨拶するやいなや、私が「そこに座って」と言う前に私の机の前の椅子に座り、フランス語で「荻生徂徠の思想についてわからないことがあるんですけれど」と切り出し、滔々と話し始めた。徂徠の政治思想が近代政治思想を先取りするものであるかのように語られているけれども、政治とは独立に、個人の個人としての自由と独立を認めない彼の思想は、むしろ近代的主体概念に背を向けたものであり、前世代の山鹿素行や伊藤仁斎と比べても、この点でむしろ一歩後退しているのではないか、というのが彼の疑問の主旨であった。この疑問には、彼の日本思想史についての知識が『日本政治思想史研究』に限られていることから来る性急さがあることは言うまでもないが、彼が徂徠の思想の「反近代性」をかなり正確に捉えていることには感心した。
 徂徠の政治思想においてなぜ礼楽が重視されたのか、徂徠が当時の社会状況をどう見ていたか、その諸悪の起源がどこにあると見ていたか、それに対してどのような政治的提言を持っていたか、大急ぎで説明した上で、「君の疑問はもっともだし、重要な論点の指摘になっているけれども、むしろその徂徠思想の「反近代性」が西洋的近代性に対する根本的な異議申し立てになっているからこそ、徂徠思想は「現代性」を持っていると言えるのではないかな」と答えたところで、時間切れになってしまった。
 別れ際に、「また何か疑問が出てきたら、オフィス・アワーに来なさい。それに来週の「研究入門」の授業で、日本近代思想史における「主体」概念を扱うので、それが君の今日の疑問に間接的かつ部分的にではあるが答えることにもなると思う」とは告げておいた。
 彼の質問に答えているときに私の念頭にあったのは、渡辺浩著『日本政治思想史』(東京大学出版会 2010年)の次の一節であった。

 荻生徂徠の思想の根幹は、ときに「近代的」と呼ばれる立場の逆、ほぼ正確な陰画である。すなわち、歴史観としては反進歩・反発展・反成長である。そして、反都市化・反市場経済である。個々人の生活については反「自由」にして反平等であり、被治者については反「啓蒙」である。そして、政治については徹底した反民主主義である。そういうものとして見事に一貫しているのである。
 賛同しにくい立場かもしれない。しかし、徂徠は、有限な天地で、市場経済による無限の「発展」が可能だ、などとは信じないのである。そして、自由に流動して浅い人間関係しか持たず、それでいて悪事に走らず秩序を保てるほどに人間は立派だ、とも信じないのである。我々は、それにどう反論できるのだろうか。(197-198頁)












日本学科の教師が他学科の学生の哲学論文の指導をして何か問題でも?―K先生の『老残風狂日録』(私家版)より

2019-11-28 10:08:58 | 哲学

 先日来何度か話題にしていることだが、今年度に入って、学生たちからの相談や質問が俄に「哲学づいて」いる。私個人としては、慶賀に堪えない。
 一昨日火曜日、先日小論文の相談に来た人文学科の学生がオフィス・アワーにまた相談に来た。私が示した参考文献表の中からいくつか読んで、マイスター・エックハルトと禅仏教とにおける「無」の比較研究をテーマとしたいと思うが、どうかと聞く。それはダメだといきなりは言えないし、村上紀夫が『歴史学で卒業論文を書くために』(創元社 2019年)で自身の経験として述べているような、「これなら本が書けるね」という皮肉で応じるのも、相手は学部二年生だからちょっと可哀想だ。そこで、以下のように答えた。
 それは非常に大きな問題で博士論文に値する。実際、私も過去にそれに近いテーマの博士論文の審査員をしたことがある。ただ、学部二年で書く小論文のテーマとしてはあまりにも大きすぎるし、難しすぎる。テーマも対象とするテキストもぐっと絞り込む必要がある。君の所属する学科ではヨーロッパ文化を中心に学ぶのだから、エックハルトを主にして、禅思想はあくまで参照にとどめるべきだろう。エックハルトについては、テキストは一つに絞りなさい。その際、ラテン語説教・注解とドイツ語説教・論述とでは、内容と方法において大きな違いがあるから気をつけること。禅思想における無との比較を試みるなら、ドイツ語説教か論述の中から選ぶことになるだろうが、まずは、自分でいくつか読んでみなさい。一方、禅仏教はそもそも一つの教説体系ではなから、これもよほど限定してかからないと、たちまち道を見失ってしまう。フランス語で読める論文として、上田閑照のドイツ語論文の仏訳があるから、それを手がかりとしなさい。前回も言ったように、ヨーロッパのエックハルト研究者たちは、禅との比較研究に関して、大きく二つに態度が分かれている。フランス語圏の研究者たちは、はっきりと否定的か批判的、少なくとも非常に慎重であるのに対して、ドイツ語圏の研究者の中には、積極的にその意義を認める人たちが一流の研究者たちの中にも何人かいる。それぞれの立場が出ている研究書が前回の参考文献表の中に挙げてあるから、それらを読んでそれぞれの立場の違いを見極め、その上で、君自身の立場を決めるといい。
 今回の面談では、言及しなかったが、テーマが絞り込めてきたら、次の段階として、エックハルトのフランス人スペシャリスト Julie Casteigt の解説文 « Question parisienne, 1, Sermons allemands 71 et 52 » (In Le Néant. Contribution à l’histoire du non-être dans la philosophie occidentale, J. Laurant et C. Romano (sous la direction de), PUF, collection « Épiméthée », 2006, p. 253-264) を読むように指示する。この解説文の中に、エックハルトにおける無の四つの意味が簡潔かつ明快に示されているからだ。それが「透過」できたら、井筒俊彦を読ませる。
 二十分ほどの論文指導の後、人文学科では三年生の前期に海外留学が義務づけられているから、日本の大学に行きたいが、どこがいいかとの相談も受けた。京大を勧めたが、二十ある日本の提携校の中でも京大は希望者が多いので、選考をパスするかどうかはわからない。まずはそれら提携校のサイトを見て、第二・第三候補を自分で探してみるようにアドヴァイスする。












研究・教育のデヴァイスとしてのブログ

2019-11-27 23:59:59 | 雑感

 今日は、連載「憧憬は郷愁ではない」を休む。まだまだ先は長いので、休み休み細々と続ける。そういえば、昨年9月15日から始めた連載「カイロスとクロノス」も二十回で中断したままだなと思い出す。まあ、できるところから手をつけていきましょう。
 自分にとって興味深いテーマが見つかると、いつもそうなのだが、そのテーマをめぐって、ちょっと大げさに言うと、蔵書の再編成と拡充が始まる。今回のテーマについては、ドイツ・ロマン主義とフランス・ロマン主義の比較研究にも及ぶので、その分野に関してすでに所有している書籍を本棚から引っ張り出してきて、それらを机の上に積み上げ、片っ端から目を通していった。その過程で、さらに参照すべき文献が見つかる。アマゾンその他にそれを注文する。電子書籍版があれば、まずそれを購入し、すぐに目を通す、あるいは、検索機能を使って、キーワードの使用箇所を検索する。こうした作業を通じて、文献をどのような順番で読み、考察をどういった手順で展開するかが徐々に見えてくる。それは楽しくワクワクするような知的愉悦の時間である。
 連載「憧憬は郷愁ではない」と並行して、『陰翳礼讃』についての2月の講演「陰翳の現象学」の準備も始める。これは、日本の大学の哲学科の学部二年生とこちらの修士一年生とに向けられた日本語での一時間ほどの講演である。合同ゼミのキーノートになる。ゼミ当日、日本人学生の一グループがその講演の質問者として発表する。事前学習として、さしあたり、メルロ=ポンティの『眼と精神』を読んでおくように伝えた。この講演内容も、およそ準備が整った段階で、このブログに連載形式でアップしていく。
 このブログは、私の研究・教育のデヴァイスの一つとしてかなりよく機能してくれていると思う。













「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(三)未知・未来志向性と既知・過去志向性

2019-11-26 23:59:59 | 哲学

 昨日の記事で見たような意味が Sehnsucht にあることから、それが nostalgie と近い概念と見なされるようになったことは理解できる。実際、このドイツ語をフランス語に訳すとき、nostalgie という語がしばしば用いられている。この感情を懐く主体の苦しみとその感情を懐かせる対象の漠然として非物質的な性格が両概念を接近させている。
 しかし、nostalgie固有の意味は、回帰不可能性、既知の何ものかへの回帰願望と結びついた苦しみであることを忘れるわけにはいかない。Sehnsucht には、この回帰という含意はない。それとはまったく反対に、このドイツ語は、なによりもまず、憧れるものへ向かっての出立願望と結びついている。
 Sehnsucht が遥か彼方へと向かい、過去よりも未来を志向しているのに対して、悲歌的感情を伴う nostalgie は、悔恨という形を取って表現されることが多い。過去を志向していない nostalgie の用例を見出すことは難しい。
 以上から、nostalgie というフランス語は、Sehnsucht の訳語としてきわめて不完全だと言わざるを得ない。
 このフランス語が、過去の既知なるものではなく、未知なるもの、したがって未来への思慕を表す語として用いられている例の登場は十九世紀を待たなくてはならない。それは、次のボードレールの散文詩に見ることができる。

Nous fumâmes longuement quelques cigares dont la saveur et le parfum incomparables donnaient à l’âme la nostalgie de pays et de bonheurs inconnus, et, enivré de toutes ces délices, j’osai, dans un accès de familiarité qui ne parut pas lui déplaire, m’écrier, en m’emparant d’une coupe pleine jusqu’au bord : « À votre immortelle santé, vieux Bouc ! »

« Le joueur généreux »

 しかし、この用法は例外的であり、nostalgie という語の支配的調性は過去への志向性にあることに変わりはない。












「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(二)渇望の浄化作用

2019-11-25 18:05:56 | 哲学

 ドイツ語の Sehnsucht は、1750年以降の詩作品の中で多用されるようになり、一見すると、哲学とは無縁なように思われる。フランス語に訳す場合、nostalgie, aspiration, désir ardent など、文脈に応じてといろいろな語が用いられている。しかし、ドイツ観念論やロマン主義哲学においては、重要な位置を占める語の一つとなる、例えば、フィヒテの初期の知識学では、 Das Sehnen (あこがれ)は中心的な位置を占める一語となっており、フリードリヒ・フォン・シュレーゲルにおいては、Sehnsucht はその哲学的探究の核心をなし、晩年の1827年に出版された『生命の哲学』では、哲学は « Lehre von Sehnsucht oder Wissenschaft der Sehnsucht »(憧憬学あるいは憧憬科学)と定義されている。
 この Sehnsucht は、動詞 sich sehnen に由来するが、その語源は明らかでなく、十一世紀以降に中高ドイツ語として現れる。「恋い焦がれる、悩み苦しむ、欲望を有つ、事後的に嘆息する」 などの意味で使われた。宮廷詩人たちに愛用されたが、それは特に恋の苦しみを指す言葉としてであった。つまり、この動詞は、その感情的な起源に深く根ざしている。その実詞である Sehnsucht(接尾辞 sucht は、「病的状態」を指す)についても同様である。つまり、欲望で憔悴した人の苦しみを指しているのである。
 Sehnen も Sehnsucht も、その意味論的特徴は、苦しむ主体やその主体の痛みに重点が置かれ、その苦しみを引き起こす対象については相対的に非限定のままであるということである。両語ともに、状態の変化へ向けての主体の緊張や希求を意味している。その対象が明示されている場合であっても、その対象を指示する語は、一般的に、抽象的で非物質的なものを指す語であることが多い(例えば、休息、故郷、安寧など)。Sehnsucht という語が使われるとき、渇望は、その生々しい側面が廃棄され、昇華される。渇望がいわば高貴化・精神化されているのである。この渇望の浄化作用がこの語の1750年代から1850年代にかけてのドイツ語詩作品における頻用の主な理由であろう。












「憧憬」(Sehnsucht)は「郷愁」(nostalgie)ではない ― 哲学的考察の試み(一)そのきっかけ

2019-11-24 23:59:59 | 哲学

 一昨日金曜日のシンポジウムの最初の発表が九鬼周造の「いき」についてだったことや、修士の演習で、『陰翳礼讃』と『「いき」の構造』とボードレールおよびジャンケレヴィッチの美に関する言説とを比較することを発表テーマに選んだ学生がいることなどがきっかけで、先程、ちょっと『「いき」の構造』の序説を読み直していた。
 ある民族の民族性を示す特定の言葉が、他の民族では同様な体験が根本的なものになっていないために、欠落している場合がある一例として、ドイツ語の Sehnsucht が挙げられている。

陰鬱な気候風土や戦乱の下に悩んだ民族が明るい幸ある世界に憧れる意識である。レモンの花咲く国に憧れるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣装を恥ずる彼地へ」の憧憬、ニイチェのいわゆる flügelbrausende Sehnen (翼をざわめかせる憧れ)はドイツ国民の斉しく懐くものである。

 この記述を読んで、Sehnsucht が昨日の記事で取り上げた翻訳不可能語辞典の一項目になっていたことを思い出し、そこを読んでみた。それがとても興味深い。今年の6月22日から24日までの記事で「なつかしさ」と「ノスタルジー」の違いについて若干の考察を試みて以来、ノスタルジーについて論文を一つ書こうと思っているが、その思いにこの辞書の一項目が弾みをつけてくれた。
 明日の記事から、いつまでとは決められないが、上掲独仏二語の表す根本感情の差異について哲学的考察を試みていく。まず、辞書の項目の内容を追い、次に、そこに引用されているいくつかの文献にあたり、その上で、手元にある関連文献を参照しつつ、考察を展開していきたい。












「ヨーロッパ哲学語彙辞典、あるいは翻訳不可能語辞典」

2019-11-23 23:59:59 | 哲学

 2004年に初版が出版された Vocabulaire européen des philosophies, sous la direction de Barbara Cassin, Seuil/Le Robert は、出版当初からその大胆な企画で注目を集めた。十数のヨーロッパ言語(ヘブライ語、ギリシア語、アラブ語、ラテン語、ドイツ語、英語、バスク語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ノルウェー語、ポルトガル語、ロシア語、スウェーデン語、ウクライナ語)から選ばれた約4000の重要な哲学用語・哲学的表現について、バーバラ・カッサンの陣頭指揮に率いられた一五〇名近い各分野の一流の執筆陣によってフランス語で書かれた諸項目は、その途方もない情報量と重層的な構造と便利な相互参照事項によって、私たちを二千五百年の哲学史という、多様かつ複雑な植生の階層構造と歴史的地層から成る鬱蒼たる大森林の探索の旅へと誘ってやまない。しかも、執筆者たちは、いわゆる辞書的な中立的記述に留まることなく、斬新な切り口でヨーロッパ近代を脱中心化して哲学の諸問題を考え直すための視角を提示する。いわば経験豊かなガイドとして私たちの哲学的思考の案内役を務めてくれる(例えば、アラン・バディウ担当の項目「フランス語」を見られたし)。
 この辞典の改訂増補新版が先月刊行された。これに喝采を送らずにはいられない。もちろん直ぐに購入した。以来、私の一日は、この辞典の数頁を読む早朝の「勤行」から始まる。














ミッション遂行、不思議な縁、楽しく懐かしい再会、動き始めた研究企画 ― ストラスブールへ帰るTGVの車中から

2019-11-22 21:28:22 | 哲学

 9時からのシンポジウムを午後5時半頃に無事に終え、その後、発表者・参加者のうち残った十数人の人たちとパリ市内までRERで移動し、オペラ座界隈のカフェで夕食まで残る9人の人たちと一服してから、日本料理レストランで会食となった。20時25分の最終列車でストラスブールに帰る私は中座せざるなかったのが、ちょっと残念。
 シンポジウムそのものは、全体としてほぼ予定通りに進行した。昨年のシンポジウムでは、一発表につき一時間あったので、ディスカッションの時間もたっぷり取れたが、今回は、各発表者の持ち時間40分で、その分、時間的にはタイトであった。
 他の七人の発表者のそれぞれの方の発表には、それぞれに学ぶところがあり、勉強になった。
 私自身の発表はといえば、発表自体で38分になったところで、第四部については一言触れただけで打ち切った。これは想定内であった。それまでの三部でちょっと余談を入れた結果だが、そもそも全体として詰め込みすぎていたところがあり、その合間の一息というつもりでそうしたので、まったくの無駄というわけでもなかった(と信じたい)。
 発表後の司会役の教授とのやりとりの中で、発表では話せなかったことを少し補えたのは幸いだった。聴手の方々に何がどこまで伝わったかは、正直、よくわからない。自己評価としては、西谷啓治の空の思想を仏教思想史・哲学思想史の中に位置づける一方、その思想の現代性を強調することによって、今回課されたミッションをそこそこ果たすことはできたと思っている。
 今日のシンポジウムのためにわざわざストラスブールから来てくれた哲学科の学生からは、シンポジウムの後、発表で使ったスライドを送ってくれるかと聞かれたので、二つ返事で、スライドと原稿そのものを送ると約束した。これから彼の日本留学まで面倒を見ることになるだろう。もちろん喜んで。
 昼食時には、私がこの夏から温めはじめている日本の哲学者たちの仏訳アンソロジーの企画について若手研究者たちに話したところ、予想以上に強い関心を示してくれた。年明けから企画の具体化に向けて動こうと思う。
 それに、このシンポジウムとはまったく関係ない別の繋がりで、聴きに来てくださった日本人女性の方があり、ご本人から自己紹介を受け、共通の知り合いの名前を聞いて本当に驚いた。その共通の知り合いとは、私が高校生のときからいろいろ大変お世話になっている方で、その日本人の女性の方も、私とは大きく時期がずれるが、中学生の時から母親と共々しばらくその方にお世話になっていたという。今は、フランス人のご主人と、パリ・ナンテール大学からさほど遠くはない街で暮らしているという。そのご主人が勤めている企業は私の前任校のすぐ近くにある。休憩時間には、共通の知り合いについてしばらく歓談しつつ、この不思議な縁に感じ入っていた。
 そんなこんなで、上記のサプライズも含めて、全体として、楽しくかつ有意義な二日間だった。たまにはこういうこともなくっちゃね。
 明日土曜日からは再び学科長の仕事モードに切り替わる。
















パリのホテルから

2019-11-21 23:01:46 | 雑感

 今日の午後、明日のパリ・ナンテール大学でのシンポジウムに備え、TGVでストラスブールからパリまで移動した。シンポジウム主催者が予約してくれた、メトロ一番線の Reuilly-Diderot 駅から徒歩二分ほどのところにあるホテルにチェックインした。
 ホテルがあるカルティエは、昔は職人さんたちが多く住んでいた界隈。今も庶民的な雰囲気が漂う。宿泊先は、小さな個人経営のホテルで、迎えてくれた老夫婦の感じがとてもいい。暖かくてユーモアがある。こんなとき、やっぱりパリっていいな、って、ちょっと思ってしまう。でも、もう住みたいとは思わないけれど。
 一時間ほど部屋で休憩してから、今日の別のシンポジウムの参加者と明日のシンポジウム参加者との合同の夕食会に出かけた。すべて主催者持ちである。会場は、カルティエ・ラタン地区の Bouillon Racine という、アール・ヌーボー様式の内装で有名なブラッセリー。
 ここには、パリに住んでいるときに、二、三度来たことがある。今日は木曜日だが、かなり広い店内なのに満席。でも適度に活気づいている程度で、うるさくはない。若い人たちでだけで来るところではないからかも知れない。
 この記事は、店から帰ってきてホテルの部屋で書いている。小さくてシンプルな部屋だが清潔で、意外に静かだ。たった一泊だから、これで充分。交通費もホテル代もすべて主催者持ち。こんな楽しい機会をありがとうございます。
 明日の発表の準備は、完了している。今日はもう就寝し、明朝早起きして、最終確認をする。ホテルからパリ・ナンテール大学まで一時間ちょっとはかかるので、9時の開会に余裕をもって着くために、ホテルを7時40分くらいには出るつもり。RERはほとんど恒常的に何かトラブルがあるしね。
 それでは、おやすみなさい。