内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今月のジョギング決算報告 ― ほぼ理想的なランニングシューズを入手

2021-09-30 16:13:11 | 雑感

 今月、ジョギングもウォーキングもしなかったのは9月8日だけだった。その日も片道3キロほどのキャンパスまでの行き帰りは自転車だったから、まったく運動しなかった日は一日もなかった。ウォーキングだけだったのは2日だけで、残りの27日はすべてジョギングだった。総走行距離は約350キロメートル。
 先月に引き続き、また新しいランニングシューズを買った。ミズノの Wave Rider 25 である。昨日今日と履いてみたのだが、他の4足と比べて、これが私にとってベストであると確信した。おそらく私の走り方に一番合っているのだろう。昨日走り走り始めてすぐに気づいた。自ずと他のシューズのときよりピッチが上がっている。まるでシューズの方が無理なく私をそう導いてくれるかのような心地よさだった。
 結果として、他の4足よりもタイムも明らかに良くなった。それに疲れも少ない。もう一足のミズノ(Wave Inspire17)も靴底のクッション性は悪くはなく、軽くていいのだが、やや軟な感じで、安定性で若干劣る。それにサイズが少しきつめという難もある(これは購入の際の私のミスだが)。アシックスの Gel-Nimbus 23 は、足首のホールド性は高いが、やや重い。上下動を最少に抑え、ゆっくり走る分にはいいが、少しピッチを上げたり、ストライドを広げようとするとき、シューズの重さを感じる。ナイキの Pegasus 38 は同クラスのシューズの中で人気ナンバーワンを誇っているようだが、私にはあの後ろに出張った踵部分がうまく使いこなせない。あの反発力を利用しようとするとぎこちない走りになってしまう。慣れの問題でもあるだろうが、ミズノの Wave Rider は、まったくそういうこちら側からの調整が必要なく、最初に履いた日からピッタリとフィットしてくれた。
 これでまた走る楽しみが増した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「忍ぶ」と「堪(耐)える」の相違点について

2021-09-29 05:46:48 | 日本語について

 「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とは、言うまでもなく、終戦の詔書にある表現で、昭和天皇による玉音放送の一節として、終戦の場面を描く映画などにおいても、それこそ数え切れないほど使われてきた。戦後生まれの大多数の日本人にとってさえ、昭和天皇の玉音放送の声と切り離してこの一節を思い出すことは困難なのではなかろうか。
 「堪える」と「忍ぶ」とはどう違うのだろう。この一節に関するかぎり、類義語を重ねることによる強調表現という以上の役割はないように思われる。ところが、古語辞典によると、両者は、類義語ではあっても、明らかに弁別的価値を相互に有している。この点、手元にある辞書のなかでは、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版 2011年)と『ベネッセ全訳古語辞典』(改訂版 2007年)が特に参考になる。
 「たふ」には「堪ふ」と「耐ふ」の二つの漢字表記があるが、両者の違いはここでは問わない。
 『基礎語辞典』の解説を見てみよう。

タ(手)アフ(合ふ)の約。手を向こうの力に合わせる意。自分に加えられる外からの圧力に対して、それに応ずる力をもって対抗する意。外力に拮抗する力をふるうので、その結果として、現状をもちこたえ、我慢し、じっと保つ意。また、自分自身の激しい感情については、それを抑え、こらえるの意。この用法は打消表現で用いられることが多い。また、外力に応じ、抵抗し、負けないだけの能力の大きさがあることを示す場合もある。類義語シノブ(忍ぶ)は、外に表れないように自分の動きや気持ちを隠し抑える意。

「耐(堪)える」が、外力に向かって対抗する、対抗しうる、その状態を保持するという外向性をもったアクション、その持続、あるいは持続の可能性を意味しているのに対して、「忍ぶ」は、内にあるものが外に表れないようにする、それを隠す、秘めるという内向的な状態の保持を意味しており、両者は、いわば意味エネルギーのベクトルが互いに真逆の関係にある。
 両語のこの違いを前提とするとき、馬場あき子による式子内親王の名歌「玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ることのよわりもぞする」についての以下の評釈がよりよく理解できる。

この式子内親王の一首は、“忍ぶ”ということ以上に“耐える”ことがテーマになっており、その究極には“死”をさえ考えている激しさは、個性的という以上に、むしろ異常でさえある。それは、新古今集の特色をなした艶麗・典雅な抒情からは、少しくはみ出した真率な調子をひびかせ、しかもなお幽玄な雰囲気をたたえている。(『式子内親王』講談社文庫 1979年)

 忍ぶる恋の臨界を突破し、耐えることの限界に達し、そのことが「玉の緒よ絶えなばたえね」(「私の命よ、人思う苦しさに絶えだえの命の糸よ、ふっつりと切れてしまうなら、いっそそれでもよい」)という絶唱を生んだ。「凡歌尠からぬ小倉百首撰の中では、稀に見る秀作の一つ」と塚本邦雄が『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫 2016年)で例外的にこの歌を称賛しているのもゆえなしとしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


言語宇宙への旅の案内人兼添乗員としての教師(下)

2021-09-28 16:07:34 | 講義の余白から

 辞書レベル・通時的レベルの次のステップとして、実際の使用例を比較する文脈レベルに移行する。最初は、同じ著者の同じ文脈における使い分けに注意する。同じ著者でも、文脈によって同一の語を微妙に異なった意味で使うこともあるからだ。
 もちろん、同一の一人の著者の使用例だけから意味の差異を確定することはできない。そこで複数の著者の使用例を比較してみる。これが使用者レベルの作業である。
 この比較を可能にする前提条件として、当然のこととして、用例採集作業がある。これは急にはできない。短時日では重大な遺漏を免れがたい。したがって、このコーパス作成作業は、普段から心がけて地道に進めておかないといけない。コンピューターおよびインターネットがこの作業に必要な時間を大幅に短縮し、かつ精度を上げてくれたことは言うまでもない。
 ここまで来ると、かなり精妙な区別が可能になる。だが、結局よくわからないという結論に至らざるを得ないときもある。言語に関わる事象については、すべてが明晰判明に説明できるとは限らない。
 さらに考察を深めるためには、異言語間の同意語あるいは対応語とされるもの(そもそもそれはありえないという議論はさしあたり措く)・類義語へと探索の範囲を広げる。前段階までの単一言語内の考察でもすでに相当時間がかかっているから、ここまで来ると、問題となる言葉にもよるが、探索活動は数週間から数ヶ月に及ぶこともある。対象となる語が基礎語になればなるほど、その語の歴史が長ければ長いほど、探索には時間がかかる。
 現実的には、授業の必要に応じて、その都度適当なところで手を打つ。しかし、探索そのものは果てしなく続く。それは、まさに、言語宇宙の中で、共時的には大陸間を駆け巡り、通時的には二、三千年を縦横に遊行し続ける終わりなき旅である。授業は、その旅行日誌の一部紹介であり、言語宇宙への旅への招待状であり、探索旅行の実習である。その実習での私の役割は、その旅行の案内人兼添乗員である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


言語宇宙への旅の案内人兼添乗員としての教師(上)

2021-09-27 23:59:59 | 講義の余白から

 担当しているいずれの授業でも、授業の主題への導入のために私がよく使う説明方式は、その主題に関して、同意語あるいは類義語と見なされることが多い二つ三つの言葉を比較し、それらの間の弁別的価値を明らかにすることを通じて、考察対象となった各語のニュアンスを理解させるという方式である。
 この方式は、辞書的レベル・通時的レベル・文脈的レベル・使用者レベル・言語間レベルの五つの階層、階梯、あるいは領域それぞれにおいて実行される。この五つのレベルは、列挙されたこの順番通りに基底から順次高次の段階へと進むことを必ずしも意味してはいないが、実際の手続きとしてはこの順序に従うことが多い。
 一見意味の区別がはっきりしない複数の語を前にして、それらをよりよく理解するための最初の手がかりとして、ある一つの辞書が同意語・類義語あるいは対義語についてどのような説明をしているかを見る。しかし、それだけでは解決できないことも少なくない。そこで、複数の辞書の説明を比較してみる。それぞれの辞書が工夫を凝らした説明をしてくれていたり、それぞれに異なった用例を挙げてくれたりしていると、こちらの理解にとって大いに役立つ。だが、限られた紙面の中での辞書的説明には自ずと限界があり、辞書間比較を行っても問題の解決には至らないこともある。
 この場合、通時的レベルに移行する。簡単な一例を挙げれば、現代語での「けしき」と「ながめ」の区別がはっきりしなければ、古語辞典を参照する。これで解決できることがしばしばある。しかし、古語でははっきりとしていた区別が現代語では曖昧になってしまう場合もあるから、なんでも古語に立ち返ればよいというものではない。
 直接的には解決をもたらしてくれない場合でも、古語に立ち返ることが解決の鍵を与えてくれることもある。たとえば、条件を表す接続助詞の「たら」「なら」の違いは、「たら」と「なら」がそれぞれ完了の助動詞「たり」と断定の助動詞「なり」から来ていることから明瞭に説明できる。
 もちろん、このやり方が通用しない場合もある。例えば、原因・理由を表す「ので」と「から」の違いの説明のためには古語辞典はまったく役に立たない。もっぱら現代語における区別が問題だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「身すがら」という言葉について

2021-09-26 23:46:09 | 日本語について

 金曜日に審査があった修士論文の中に、馬場あき子の「太宰治と日本の古典―なぜお伽草紙か」(『國文學 : 解釈と教材の研究』學燈社 1974年2月号掲載)から以下の引用があった。

それは厭戦の情に発する孤独なユートピアへの脱出であるとも、まるごとの全き人間性を、身すがらに抱いて逃亡したい異郷への憧れであるとも考えられよう。〈お伽草子〉という甘やかなふしぎな時空の選択はそこに浮かび上がってくるのである。

 この引用の仏訳に間違いがあったので審査の際に指摘した。「まるごとの全き人間性を」を「逃亡したい」の目的格として訳してしまっていた。それは無理だろう。やはり「抱いて」の目的格と取るのが妥当だ。でも、一読しただけでストンとわかる文とは言えないかも知れない。
 この引用の中の「身すがらに」という表現がとても強く印象に残った。「身すがら」は近世語で、名詞あるいは形容動詞として機能する。古語辞典には、用例として、『奥の細道』の草加のくだりがよく引用される。「只身すがらにと出でたち侍るを」(ただこの身一つだけで行こうと出発しましたが)。「身すがら」には、「(家族・親類などがなく)自分ひとりで生活していること」の意もある。近松門左衛門の『心中天網島』に「われら女房子なければ、舅なし、親もなし、叔父持たず、身すがらの太兵衛と名を取った男」とある。
 「すがら」は上代から使われている。副詞として「その間中。始めてから終わりまでずっと」の意では、「この夜すがらに眠も寝ずに」など、万葉集に用例がある。接尾語として「…の間中ずっと」の意では、「道すがら面影につと添ひて、胸もふたがりながら」という用例が『源氏物語』(須磨)にある。「…の途中で」の意もある。『増鏡』の「道すがら遊びものども参る」がその一例。この意味では私も使うことがある。
 『新明解国語辞典』第八版(二〇二〇年)には、ちゃんと「身すがら」が載っており、「孤独で、天涯無一物の境涯」「荷物などを持たず、からだ一つのこと」とあるから、まったくの古語というわけでもないのだろう。私自身は使ったことがない。これを機会ににわかに使ってみようとは思わないが、味わい深い言葉として心に刻まれたことは確かである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昨日の修士論文審査のあらまし

2021-09-25 17:53:38 | 雑感

 昨日金曜日、授業後、午後2時半から4時半まで、修士論文の口頭試問があった。太宰治の『お伽草紙』についての修論の審査である。審査員は私を含めて三人。私以外の二人とも日本学科の同僚で、古典文学と本の歴史と翻訳論を主な研究フィールドとする指導教官と日本近現代文学のスペシャリスト。規則上、指導教官は審査員長にはなれないので、私が引き受ける。ただ、審査員長とは名ばかりで、実質は司会進行役に過ぎない。
 まず、学生のプレゼンテーション。15分というのがお約束だが、実質10分ほどだった。審査側のトップバッターは指導教官。これが15分ほど。次に、日本近現代文学のスペシャリストの講評と質問。これが長かった。含めると40分以上に渡った。かなり厳しい評価。最後が私。型通り、まず褒めておいた上で、問題点を指摘する。質問は四点に絞ったが、要するに、書誌的に詰めが甘く、作品解釈において突っ込みが足りず、歴史的文脈についての考察に乏しいということである。
 審査中、審査員間の応酬がかなり活発にあり、これは審査としては好ましい展開であった。審査を通じて、審査員たちにも刺激が与えられ、発見があった証拠だからである。
 二時間余りの口頭試問の後、審査員三人で評価点について合議。20点満点で15点。これは、博士課程に進まない学生に対してはかなりの高評価。ちなみに、博士課程進学希望者は17点はほしいところ。そうでないと、奨学金がもらえない。
 学部一年から模範的優等生であった学生は、今後、おそらく、フランスの中等教育における日本語教師の道を目指す。それは多分彼女にとって良い選択だ。きっといい先生になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本学科でプラトンについて学ぶということ

2021-09-24 23:59:59 | 講義の余白から

 金曜日は10時から14時まで連続で授業があり、最初の「近代日本の歴史と社会」が2時間、残りの2時間は、「メディア・リテラシー」の1時間授業が2コマ。間に5分から10分の休み入れるにしても、トイレ以外で教室を離れる時間的余裕はない。
 最初の2時間授業は立って話すことが多い。スライド上のテキストの重要部分をポインターで示しながら、スクリーンの前を行ったり来たりする。その方が話にメリハリがつけやすい。
 残りの2コマは座って話す。スライドを入念に作ってあり、それを見せながらもっぱら学生の方を向いて話す。特に、最後の1時間は別の学生グループが相手で、教室も違う。その教室は小さく、立って話すとスクリーンが隠れてしまう。
 この最後の1時間とその前の1時間とは、同じ「メディア・リテラシー」の授業なのだが、後者のグループは日本学科とは違うコースの学生たちで、明らかに日本語のレベルが落ちる。これは彼らの責任ではなく、カリキュラムの違いによる。
 だから、同じテキストを使いつつも、二つのグループの間で徐々に進度の違いが出てくる。語彙レベル・構文レベルを日本学科の学生たちのレベルに合わせてあるので、この後者のグループの学生にはちょっとレベルが高すぎる。だから噛んで含めるように一文一文説明し、難しい段落は私が内容をまとめるだけで飛ばして先に進む。
 実は、メディア・リテラシーを2グループに分けたのは私の個人的な発意(もちろん同僚の了解は得ている)で、もともとは1コマだけ。それを学生たちのコース別に2グループに分けた。つまり、1時間無報酬で働いている。だが、そうしてよかったと思っている。もし合同でやっていたら、レベルの低いグループはすぐについて来られなくなる。それでは彼らに気の毒だ。
 彼らは、英語と日本語を併習するコースにいて、課題の量がメチャクチャに多く、日本語の勉強に充てられる時間は自ずと限られる。だが、真面目で学習意欲が高く、知的レベルも高い学生が多い。授業中の反応はこちらのグループの方がいいくらいなのだ。
 こちらの準備は一つの授業と変わらないので、1時間増えたこともさほど負担ではない。最初の1時間よりも内容を軽くすればいいだけのことで、その余裕が私に冗談を言う気持ちのゆとりを与え、それが学生たちの緊張もほぐし、結果としてクラスの雰囲気もよい。
 前者のグループの雰囲気が悪いわけではないが、どうも日本学科の学生たちというは、話が日本から離れると、注意力が散漫になりがちだ。「それが私たちに何の関係があるの」と言わんばかりの顔をしている学生は一人や二人ではない。
 今日、プラトンの『パイドロス』の話を始めたら、先週はプラトンの「洞窟の比喩」の話をしたこともあり、教室が少しざわついた。「またプラトンかよ」とはあからさまには言わないが、顔にそう書いてある。しかし、ムネーメ―とヒュポムネ―シスの話にはちょっと惹きつけられたようである(ざまあみやがれ)。来週も『パイドロス』の続きである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸不幸、孤独の出処としての哀歓

2021-09-23 23:59:59 | 雑感

 今日、昼過ぎに1時間15分ジョギングした以外は、ずっと家に籠もりきりで明日の授業の準備と修士論文の口頭試問の際のコメント作成に明け暮れた。
 この修士論文のおかげで、その中に引用されている日本の太宰治研究者たちの論文や著作に触れることができたのはありがたいことだった。
 木村小夜の『太宰治翻案作品論』(和泉書院 2001年)の次の一文は、簡潔かつ見事に太宰作品の勘所を捉えていると思った。しみじみと共感せざるを得ない。

幸不幸、孤独の出処は、善悪の因果よりもっと普遍的で根本的なもの、つまり、人それぞれの生き方や人生観の相違によって生まれる哀歓にある。(13頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新渡戸稲造『武士道』読解演習の余得

2021-09-22 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の演習から新渡戸稲造『武士道』についての学生たちの発表が始まった。先週までの二回で、新渡戸の生涯と思想、『武士道』についての評価の変遷についての解説を私が担当し、『武士道』の初版への序文と第一章 Bushido as an ethical System と第二章 Source of Bushido を学生たちと一緒に読んだ。今日からは、学生たちが自分で選んだ章について順に内容を紹介し、それに対する質疑応答という形で演習を進めていく。一回に三章読む。今日は第三章から第五章まで読んだ。学生たちには必ずスライドを用意し、わかりやすく内容を説明することを求めた。今日発表した三人のうち、最初の二人はよく準備してあり、要点を押さえたよい発表だった。最後の一人はやや冗長で、要点もよく捉えられていなかった。分量的に他の二章より多かったこともあり、よく消化できていなかった。
 各発表と質疑応答の後、私が補足説明を加える。学生たちは英語原文と仏訳を主に読んでいるので、テーマとされている概念の日本語訳や漢語の語義の説明、新渡戸が出典を示さずに引用している西洋の著作家たちの作品の書誌的情報や発展学習のための参考文献の紹介などがその主な役割である。
 新渡戸は、古今東西の文献を縦横無尽に引用しているが、ほとんど出典を示していない。最新の仏訳はかなり丁寧に出典調査を行っており、脚注にそれが示されていて便利だ。とはいえ、新渡戸は自分の立論のために著作家たちの文言を援用しているだけであり、中には牽強付会の誹りを免れがたい例もあり、それらの出典に当たって調べたからといって『武士道』の内容がよりよく理解できるわけでは必ずしももない。
 ただ、例えば、第四章でのプラトンの『プロタゴラス』からの真の勇気の定義やニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』からの「お前の敵を誇りとせよ」の引用などは、『武士道』の論脈を離れて、それ自体としてとても興味深い。この演習の枠内でそれらの作品に深入りはできないが、それらを読み直すきっかけを与えられるのもの『武士道』読解演習の余得のひとつだと私は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


凡庸礼賛 ― 太宰治『お伽草紙』再読

2021-09-21 23:59:59 | 雑感

 今週金曜日に、太宰治の『お伽草紙』をテーマとした修士論文の口頭試問に副査として審査に加わる。そのために『お伽草紙』を先週久しぶりに再読した。太宰の物語作者としての文学的才能が遺憾なく発揮された傑作だとあらためて感じ入った。奥野健男のように太宰の「芸術的最高傑作」として推すかどうかは意見の分かれるところだろうが、日本人なら誰でも知っているような昔話にその話の枠組みを借りながら、それを見事に換骨奪胎して、登場人物たちそれぞれの個性を驚くほど生き生きと描き分け、その中につねにユーモアが込められ、さらにそのユーモアの中に硬直した倫理観への鋭い批評精神を包み込むその筆力は他の追随を許さないと言ってよいのではないかと思う。
 しかし、今回読み直してみて、この作品が実に用意周到な戦略に基づいて構成されていることが特に強く感じられた。「瘤取り」のはじめの方で言われているように、「絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す」ことに成功しているだけでなく、「舌切雀」の中で言われているように「太宰という作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかり」を描き出しただけでももちろんない。太平洋戦争の最末期、激しい空襲が繰り返される東京都下に家族とともに留まり、そこでこのような作品を書き始めたことに、当時の時代の空気に対する作家としての矜持をもった決然としたレジスタンスの姿勢を私は感じた。
 それだけではなく、戦争の最末期に書かれたということは、執筆中に太宰はすでに戦後を見据えていたということでもある。初版の出版は1945年10月である。翌年2月に第二版が出版される。この二つの版の間には無視できない違いがあるのだが、それはさしあたり措く。いずれにせよ、この作品の最初の読者たちは敗戦直後の占領下の日本人たちである。
 この作品には、正義の見方も極悪非道の権化も登場しない。根っからの善人も度し難い悪人も登場しない。「浦島さん」の曖昧模糊たる乙姫を別とすれば、皆どこかに弱さや矛盾を抱え、傑出した何かをもっているわけでもなく、それこそ「凡庸な」人たちである。それらの人たちの間に否応なく不幸が生まれてしまう。誰かを断罪して済む話ではない。
 スローガンの欠片もイデオロギーの破片もここにはない。「鬼畜米英」などと鬼呼ばわりされる人物も出てこない。戦意高揚ポスターに頻繁に登場していた桃太郎のようなヒーローは結局自分には手が出せないと、その理由をくだくだと述べているのはただの饒舌でも韜晦趣味でもない。民主主義への手のひら返しもない。
 どこか滑稽で愛おしい凡庸な人たちの凡庸な日常こそが尊い、そのような「善悪の彼岸」、いや、善悪以前の此岸こそが私たちの戦後の出発点なのだ、そう太宰は言いたかったのでないだろうか。