内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

米津玄師とモーツアルト ― 喜びも悲しみもそこから

2024-05-25 19:36:43 | 私の好きな曲

 記事のタイトルからありえそうな誤解をあらかじめ避けるために申し上げておきますが、米津玄師がモーツアルトに匹敵する作曲家であるという趣旨ではありません。
 現在放映中の朝ドラ『虎に翼』をNHKオンデマンドで毎日拝見しています。先日もちょっと触れましたが、主題歌「さよーならまたいつか!」、ほんとうにいい曲だなって思うのです。で、どうしてそう思うのか、ちょっと考えてみました。
 直前の朝ドラ『ブギウギ』の主題歌「ハッピー☆ブギ」と比べると、私個人にとってはその差は歴然としています。『ブギウギ』も全回視聴、回によって数回見直すほど楽しんでいました。いい作品でした。特にステージでの趣里さんの歌唱はどれも素晴らしく、とりわけ「娘とラッパ」を初めて福来スズ子が歌うシーンは何度見ても感動してしまいます。でも、主題歌は好きになれなかった。その日のエビソードに合っているときもあったけれど、まったくぶち壊しにしか思えない回も多々あって、主題歌はほぼ全回スキップしていました(これができるのがオンデマンドのよいところです)。
 ところが、「さよーならまたいつか!」は毎回必ず聴いています。というか、自ずと聴きたくなるのです。完全にドラマと一体化していると言ってもいいです。その日のエピソードがどんな内容でもこの主題歌は違和感がないのです。それには水彩画タッチのイラストレーションも貢献していることは間違いありません。それも含めて、この朝ドラのオープニングは稀な傑作だと思っています。
 と、ここまで考えて、ゆくりなくも(出ました! 昨日の記事で話題にした言葉です)、モーツアルトのクラリネット五重奏曲イ長調K.581の第二楽章のことを思い出したのです。
 より正確に言うと、チェリストのヨーヨー・マがこの楽章について言っていたことを思い出したのです。もう三十年以上昔のことで、記憶には多分にあやふやなところもあるのですが、あるドキュメンタリー番組でヨーヨー・マがこの楽章について、結婚式にもお葬式にも使える「普遍的な」名曲だという趣旨の発言をしていたのです。それがとても印象に残ったのです。
 喜びのときにも悲しみのときにもふさわしい曲というのはそうめったにあるものではないと思うのです。そのような曲のみが、喜びも悲しみもそこから湧き出して来る感情の源泉と言えるような深みから聴く者の心を動かすのではないでしょうか。
 モーツアルトには、クラリネット五重奏曲だけでなく、ピアノソナタにも、弦楽四重奏曲にも、交響曲にも、協奏曲にも、喜びも悲しみもそこからという感情の深みと共鳴する作品があると私は感じます。
 米津玄師の「さよーならまたいつか!」も、そういう心の深いところに触れてくる名曲なのではないかと私は思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昭和歌謡曲1970年代偏愛的女性歌手編

2024-02-03 03:41:43 | 私の好きな曲

 あきまへん。紫式部どころではありまへん。昨日の記事であんなこと書いてしまったら、もうしばらくは昭和50年代ノスタルジーから抜けられそうもありません。
 それに、昨日は洋楽でしたが、当然のこととして、同時代の邦楽はどうなんやという物言いがついたわけです(ふーん、誰から?)。
 とはいえ、これはもう考えだしたら一週間は他のすべての仕事を擲って没頭しても時間が足りないほどの重大テーマですので、今日一回の記事ですむように、以下のようなかなり厳しい「縛り」を掛けることにしました。

1.七十年代によく聴いた曲と聞かれて、直感的に思い浮かぶ歌手と曲に限る。
2.女性歌手に限る。男性歌手が嫌いということではありません。
3.自分と同世代かちょっと上の世代の歌手に限る。他の世代が嫌いということではありません。
4.必ずしもその歌手たちの代表曲とは限らない。単に私にとって思い出深い曲である。
5.誰がなんと言おうと、「好っきやねん」と言い切れる曲。

 以上の選曲基準にしたがって選んだのが下記の十五曲であります。

南沙織  潮風のメロディー  1971
小柳ルミ子  わたしの城下町   1971
森昌子  せんせい   1972
アグネス・チャン  ひなげしの花   1972
麻丘めぐみ  わたしの彼は左きき  1973
桜田淳子  わたしの青い鳥   1973
山口百恵  ひと夏の経験   1974
岩崎宏美  ロマンス   1975
太田裕美  木綿のハンカチーフ  1975
キャンディーズ  年下の男の子   1975
ピンク・レディー  ペッパー警部   1976
石川さゆり  津軽海峡・冬景色  1977
尾崎亜美  マイ・ピュア・レディ  1977
渡辺真知子  かもめが翔んだ日  1978
八代亜紀  舟歌    1979

 それぞれの曲について思い出を書き出すと、一曲につき一記事ということになりかねないので、万感の思いを込めて、一曲についてだけ書きます。
 その一曲とは、尾崎亜美さんの「マイ・ピュア・レディ」です。この曲、大学受験を直前に控えていたとき、資生堂のコマーシャルソングとして使われたのですよ。そのコマーシャルはですね、もし私の記憶が確かならば(って、それが怪しいわけですが)、天から降臨した美神のごとき小林麻美さんがどこかの陸上競技場でカメラに向かって裸足で全力疾走してくるのです。そして、ゴールして息を切らした彼女の顔がどアップになった瞬間、「あっ、気持ちが動いている、たった今、恋をしそう」って歌詞が流れるのですね。
 もう、まさに、釘付け、でした。「どうしてくれるんだ。こんなもん毎日テレビで何度も流されたら、受験勉強に集中できないじゃん(って、見なけりゃいいわけですが)」と資生堂に抗議の電話を掛けたい衝動を辛うじて抑え(というのは嘘ですが)、なにはともあれ、見事現役合格したのであります(なに、結局、それが言いたかったわけ?)。
 しかし、今から思い返せば、この安易な現役合格がそれ以後のすべての不幸の始まりだったのかも知れませぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1970年代よく聴いた洋楽をふと思い出し、私的リストを作る

2024-02-02 04:07:40 | 私の好きな曲

 好評(?)連載「紫式部の生涯」は、ちょっと飽きたので、一回休止。休止にそれ以上の特別な理由はありません。
 昨晩、夕食時、観たいと思えるドラマがなくて、なぜか1970年代によく聴いた洋楽が頭の中で鳴り出して、そうすると次から次へと当時繰り返し聴いた曲が思い出されて、マイ・リストを作ってしまいました。
 私個人の非常に偏った好みと貧しい記憶に頼っているので、その時代を代表しているとは必ずしも言えませんし、一人あるいは一グループにつき一曲に限ったので、彼らの代表曲あるいは最高の曲というわけでもありません。ただ私には限りなく懐かしい曲たちばかりです。
 これらの曲をアップル・ミュージックで検索して聴いていると、それらの曲が流行っていた頃の時代の空気が自ずと思い起こされて、ちょっと、いや、かなり、ほろっとしてしまいました。ホント、年ですね。
 ベスト・テンではとても収まらなくて、17曲という中途半端な数になりました。まだまだリストが長くなりそうなのですが、今日のところはこれで止めておきます。

サイモンとガーファンクル  Bridge over Troubled Water 1970
キャロル・キング  You’ve got a friend  1971
レッド・ツェッペリン  Black Dog   1971
エルビス・プレスリー  Burning Love   1972
ディープ・パープル  Smoke on the Water  1972
スティビー・ワンダー  Superstition   1972
ローリング・ストーンズ  Angie    1973
カーペンターズ  Yesterday Once More  1973
エルトン・ジョン  Goodbye Yellow Brick Road 1973
クイーン  Bohemian Rhapsody  1975
オリビア・ニュートンジョン  Have You Never Been Mellow 1975
イーグルス  Hotel California  1976
アバ  Dancing Queen   1976
リンダ・ロンシュタット  It’s so Easy   1977
ビリー・ジョエル  The Stranger   1977
10cc  Lifeline   1978
アース・ウィンド・アンド・ファイアー Boogie Wonderland 1979

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スカルラッティ、バッハ父子、メンデルスゾーン―今年の新譜から

2023-09-02 18:29:55 | 私の好きな曲

 一時帰国中はほとんど音楽を聴かなかったので、ちょっと飢えていました。今日は朝からアップル・ミュージックの音源をひたすら聴いています。曲、作曲家、演奏家を自分で選ぶのではなく、コンセプトごとにまとめられた多数の楽曲を予備知識なしにストリーミングで流しています。クラシックの名曲が多いから、大抵イントロだけでどの曲かわかります。知らない曲でも好きな演奏だと聴き入ってしまいます。よく知っている曲で演奏も良いと感じるとダウンロードします。今日は、それぞれ一曲聴いていいと思った三枚のアルバムをダウンロードしました。いずれも今年の新譜です。
 Sergio Gallo 演奏、スカルラッティ鍵盤楽器ソナタ全集 vol. 27。スカルラッティの曲の中には好きになれない曲もあるのだけれど、このアルバムに収められた曲はどれも鋭さを丸みで包んだまことに典雅な演奏。
 Einav Yarden 演奏、バッハ父子曲集、題してFather and Son。あまりにも偉大な父の陰に隠れてしまいがちな息子の曲を愛情を込めて演奏している。息子だって頑張ったんだよなあと、聴きながらちょっとほろっとしてしまいました。
 Christian Li 演奏、メンデルスゾーン・ヴァイオリン曲集。まさに神童の名に相応しいこのヴァイオリニストのヴィヴァルディの四季の新鮮さにはほんとうに驚かされたけれど、このアルバムは作曲家と演奏家の二人の神童の幸福な出会いから生まれました。聴く者を幸せな気分にしてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ボロディン弦楽四重奏曲第二番 ― エスメ弦楽四重奏団の秀演に心打たれる

2023-06-15 04:08:26 | 私の好きな曲

 先々月、エスメ弦楽四重奏団のことを取り上げました(2023年4月17日)。ユーチューブで彼女たちによるボロディンの弦楽四重奏曲第二番の演奏を聴くことができます。私は音楽的なことは何もわからずにただ感覚的に好きか嫌いかを言えるだけなのですが、これは本当に好きな演奏です。
 同曲は弦楽四重奏曲の名曲として知られ、特に第三楽章「ノクターン」は親しみやすいメロディでクラシック愛好家以外にも好かれています。
 高度な技術に裏打ちされ、パーフェクトに息が合っており、お互いに信頼し合った彼女たち演奏で聴くと、なおのことこの曲のよさが際立ちます。映像を観ていると、彼女たちがこの曲をとても大切に慈しむように、そして心から楽しんで演奏していることがわかります。
 褒め過ぎかも知れません。でも、彼女たちの演奏を聴いた後に、手元にある同曲の定番的なCDを何枚か聴いてみても、全然引けを取らないと私には思えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


たおやかにして凛とした ― エスメ弦楽四重奏団演奏・チャイコフスキー弦楽四重奏曲第一番第二楽章「アンダンテ・カンタービレ」

2023-04-17 00:00:00 | 私の好きな曲

 今日の記事、カテゴリーとしては「私の好きな曲」のなかに入れましたが、実のところは、私の好きな演奏、いや、つい最近好きになってしまった弦楽四重奏団の話です。
 自分で選曲せずにストリーミングで受動的に聴くことの利点は、曲と演奏家たちに先入観なしに出会えることです。直前の曲は、別の作曲家の作品の別の演奏家の演奏ですから、いつも「出会いは突然に」やってきます。
 エスメ弦楽四重奏団との出会いもそうでした。曲はチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番第二楽章「アンダンテ・カンタービレ」。曲が流れ始めてすぐに、ただ直感的に、「ああ、これはいい演奏だ」と感じたのです。今日の記事のタイトルにも使った言葉ですが、たおやかで凛としているのです。曲を慈しみ、丁寧に織り上げられた上等の絹織物のような演奏、と言ったらいいでしょうか。
 演奏を堪能してから、エスメ弦楽四重奏団についてネットで検索してみました。2016年にケルン音楽大学で結成された韓国出身の女性四人組で、2018年にはウィグモア・ホール国際弦楽四重奏コンクール優勝をはじめ四つの賞に輝くなど、ヨーロッパ各地のコンクールで高い評価を得ているとのこと。この四人、幼なじみなんだそうです。
 楽団名の Esmé は、フランス語の女性名にあり、もともとは英語名から来ています。さらに語源を辿ると、ラテン語の amatus にまで遡り、その意味は「神々に愛されたる者」です。彼女たちはまさに音楽の女神に愛されているのかも知れませんね。
 本曲が含まれるアルバムには、まずモーツアルトの『不協和音』が収録されており、これもとても良い演奏です。チャイコフスキーの後には、朝鮮半島伝統の二胡であるヘグム(奚琴)の名手スヨン・リューが、2016年にクロノス・クァルテットのために書いた「Yessori」という曲の弦楽四重奏版が最後に収録されています。この曲、今回はじめて聴いたのですが、深い情念がこもっていて不思議な魅力をもった曲ですね。演奏も秀逸です。
 彼女たちのデビュー・アルバムは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第一番、英国の作曲家フランク・ブリッジ(1879‐1941)の「3つのノヴェレッテ」、そしてドイツで活躍する韓国の女性アーティスト陳銀淑(チン・ウンスク)による前衛的な作品という、個性の全く違う三曲によって構成され、いずれも秀演。ナクソス・ジャパン提供の紹介記事には、「高い技術力と豊かな歌心に支えられた、丁重な表現が彼女たちの持ち味。若々しさと奥深い音楽、個性的な魅力に溢れた素晴らしいアルバム」とありますが、決して誇張ではないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鮮烈きわまりないモーツアルト ― ソン・ヨルム演奏『モーツアルト:ピアノ・ソナタ全集』

2023-04-12 01:15:58 | 私の好きな曲

 先週「聖金曜日」(フランスではアルザス・ロレーヌ地方のみ休日)から復活祭の月曜日(Lundi de Pâques)まで四連休だった。といっても、私は後期には金曜日にも月曜日にも授業がないので、個人的には普段と変わりがない。ただ、多くの店が金曜日も月曜日もお休みになる。だから土曜日はいつになくスーパーが混んでいた。
 その四日間、前半は採点に費やされたが、後半は自由な読書ができて楽しかった。ジョギングもいつもより少し距離を伸ばして、毎日12、3キロ走った。家では、映画を観ている間以外、起きている間中、ずっと聴いていた演奏がある。それが今日の記事掲げた、ソン・ヨルム演奏の『モーツアルト:ピアノ・ソナタ全集』だ。先月発売されたばかり。
 例によってストリーミングでクラシックのテーマ別アンソロジーを流しっぱなしにしていた。そうしたら、この演奏が耳に飛び込んできた。どのソナタだったか覚えていないが、とにかく音の美しさ、リズムの溌剌さ、高音の軽やかさと低音の力強さのコントラストの鮮やさ、中音域の音色の多彩さ、おしゃれな装飾音、即興性に満ちた緩急等々、とにかく今まで聴いたことがない躍動感溢れるモーツアルトだった。
 かつてはクラウディオ・アラウの全集をよく聴き、その後はマリア・ジョアン・ピレシュの新旧の録音をときどき聴いた。ここ十年ほどは、たまにいずれかのソナタを聴くことがある程度だった。このソン・ヨルムの演奏で突然目を覚まされたかのように、モーツアルトのピアノ・ソナタの魅力を再発見できた。全曲「ブラボー!」の一語に尽きる。
 録音もきわめて優秀。少し躊躇したが、よりよい音質で聴きたいので6枚組のCDも買った。明日届く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「Rain(I Want a Divorce)」『ラストエンペラー』より ― 追悼・坂本龍一

2023-04-09 23:59:59 | 私の好きな曲

 先月28日に逝去された坂本龍一氏が作曲された楽曲中フランスでもっともよく知られているのは、おそらく、「戦場のメリークリスマス」である。私もこの曲が好きだ。彼自身が弾くピアノ・ソロ・ヴァーションをいったい何度聴いたことだろう。
 大学で試験時間終了を知らせるのに、「試験時間終了です」と言うかわりにこの曲を流すことがある。学生たちには、試験開始前に「試験時間終了時、日本人が作った曲が流れます」とだけ予告しておく。
 この曲が流れ出すと、教室の空気がたちまち変わる。それまでの緊張が解け、みな自ずと筆記用具を置く。そして、答案を提出するとき、一人か二人、「先生、私、この曲、大好きです」と言う。
 先週木曜日の授業のはじめに、「先月28日、世界的に有名な日本人作曲家が亡くなりましたが、誰だか知っていますか」と聞いたら、反応がない。「サカモトリュウイチです」と言ってもまだピンときていない。「でも、この曲は知っているでしょう」と、曲を流すと、みんな「ああこの曲か」という顔をした。追悼の意を込めて、この曲を静かに流しながら、授業を始めた。
 数ある坂本氏の楽曲のうち、私が偏愛していると言ってもいいのが、今日の記事のタイトルに掲げた曲である。
 映画『ラストエンペラー』は、私が日本で公開と同時に映画館で観たことのある数少ない映画の一つである。その圧倒的なスケールの映像に魅了されると同時に、坂本龍一の音楽に深く心を動かされた。
 その中で最も好きな曲が、溥儀との別れを決意した第二皇妃の文繡(演じているのはヴィヴィアン・ウー)が降りしきる雨の中を歩いて去るシーンで流れる「Rain」である。
 文繡が自室を出て、溥儀と正室婉容の居室のドアの下に置手紙を差し込んだ後、階段を駆け下り、雷雨が激しく降る中、自ら正面玄関の扉を開けて外に出る。溥儀の召使いの大季が彼女の後を追いかけ、傘を渡す。それを受け取り「ありがとう」と言って文繡は一人雨の中をゆっくりと歩き始める。数歩歩いたところで、立ち止まり、降りしきる雷雨を見上げ、わずかに微笑み、「要らないわ」(I do not need it.)と傘を捨て、歩き始める。そして、もう一度「要らないわ」と言いながら走り去る。
 このシーンはわずか一分半だが、音楽と映像とが見事に融合していて、最初に映画館で観たときから忘れられないシーンだった。
 この曲には、ピアノと弦楽器だけの室内楽バージョンもあるが、映画で使われたオーケストラバージョン(サウンドトラック版)の方がやはり好きだ。
 今日、復活祭の日曜日の午後、氏の冥福を心より祈りつつ、『ラストエンペラー』の全長版(三時間四十分)を鑑賞した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ワーグナー「タンホイザー序曲」― 唐沢寿明主演『白い巨塔』と切り離せない……

2023-04-02 21:26:08 | 私の好きな曲

 ブログを長期にわたって安定的に継続するためには、曜日ごとに予めテーマを決めておくというのも一つのやり方かも知れません。このブログを始めてこの六月一日で丸十年になりますが、これまでそういうやり方は採用してきませんでした。
 そのことに特にはっきりとした理由があるわけではないのですが、自分で自分を拘束することなく、その日その日の気分で書いていくというのが、ブログを始めた当初の精神状態にとっては適当だったというのがその主な理由であろうと今になって思います。
 このブログを続けることそれ自体は私にとって目的ではありません。ですが、ここまで続けてきて思うことは、毎日投稿することが、ちょうど毎日ジョギングすることが日々のリスタートになっているのと同じように、気分の調整装置になっているということです。
 しかし、これは諸刃の刃です。なぜなら、ある意味でこれは「依存症」ですから。一日でも書かないと、何かやるべきことをしなかったという、本来的には謂れのない「負い目」を感じてしまうのです。これって、ほとんど倒錯的ですよね。
 というわけで、というのもおかしいのですが、土日に関しては、一応お題を予め決めておくことにしました。こうすれば、その日になって、さて何について書こうかという漠然とした思案はしなくて済みます。
 でも、この枠付けが逆にプレッシャーになってしまうこともありえますよね。ああ、考え過ぎると何も始められませんね。今後、基本、臨機応変といえば格好良すぎますので、テキトーに対処していきましょうかね。
 土曜日は、「読游摘録」という既存のカテゴリーの枠の中で、書斎を取り巻く書架の棚で読まれることをずっと待っている本を一冊ずつ話題にしていきます(ゴメンね、今まで待たせて)。
 日曜日は、「私の好きな曲」について書くことにします。ただ、このカテゴリーには厳密には当てはまらない記事もここに入れます。「思い出の曲」「好きな演奏」「忘れられない曲」「耳について離れない曲」「あの時代流行っていた曲」とか、ね。
 前置きがえらく長くなりましたが、今日は日曜日ですので、「私の好きな曲」について話します。
 といっても、たいした話ができるわけではありません。今日は、ワーグナーの『タンホイザー序曲』について、実にくだらない話をしてお茶を濁すことにします。
 毎日クラッシク音楽を聴いていますが、歌劇はまず聴きません。嫌いというのではないのです。喩えていうと、そんな大ご馳走はもう胃が受け付けないということです。ワーグナーは、だからまともに聴いたことがありません(例外は「ジークフリート牧歌」です。この曲については「私の好きな曲」というカテゴリーの中で記事を書くこともあろうかと思います)。
 にもかかわらず、一時期、『タンホイザー序曲』がいつも耳の中で鳴っていたのです。それは、その音楽そのものとは別の理由です。2003年版『白い巨塔』(唐沢寿明主演)の第一回冒頭で、唐沢寿明演じる財前五郎が術前の試技を自室でしつつ、『タンホイザー序曲』冒頭のメロディーを鼻歌で歌うシーンがあるのです。
 その後、このドラマの展開の中で盛り上がるシーンの度毎に同曲が流れるのですね。ドラマで使われていたのは、カラヤン指揮・ベルリン・フィルの1974年録音の演奏でした。これがまた痺れるほかないほどスタイリッシュな演奏なのです(今は、滔々たる大河のように雄大で且つ各パートが実にきめ細かく歌われた、カラヤン指揮・ウィーン・フィル演奏の1987年ライブ録音のほうが個人的には好きですが)。
 この『白い巨塔』の初回を観てからしばらくの間、唐沢寿明の『タンホイザー序曲』の鼻歌が耳鳴りのように毎日聴こえてきて、御本人には何の責任もないのですが、往生しました。この『白い巨塔』の全回を観たのは、日本で放映された数年後でしたが、それ以来、『タンホイザー序曲』がこっちの許可なしにときどき頭の中で突然鳴るのです。
 だから、これは「私の好きな曲」というよりも、「耳について離れない曲」というタイトルのほうが相応しいですね。
 ちなみに、カラヤンの両演奏以上に好きなのは、オットー・クレンペラー指揮・フィルハーモニア管弦楽団の1960年録音の演奏です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ドヴォルザーク『チェコ組曲』―『のだめカンタービレ』のおかげ発見できた郷愁誘う管弦楽の佳曲

2023-03-25 20:04:42 | 私の好きな曲

 この六日間、いくら大事な事柄とはいえ、根を詰める話が続いたので、今週末は「私の好きな曲」というカテゴリーに当てはまる、少し緩やかな話をさせていただきたいと思います。正直に申し上げますと、今回のお題、自分で勝手に始めておきながら、書いていてちょっとしんどかったのです(でも、まだまだ続けますよ、ほそぼそと)。
 半世紀に亘って(っていうと、なにか凄そうですけど、実のところは、五十年間にも亘って性懲りもなくだらだらと、というほどの意味です)、クラシックについて、というか、音楽全般について、下手の横好き程度付き合い方をしてきました。
 ですから、クラシックについて傾けるような蘊蓄はなく、日頃傾けているのは只管酒盃(「しかんしゅはい」と訓む)であります。
 テレビドラマでクラシック音楽が使われていれば、名うてのクラオタの方たちは、即、その曲を特定できるのでしょう。私にはそのような該博な知識はないので、「いい曲だなあ。誰の何という曲なのだろう」と気になることが一再ならず過去にありました。
 その中でも特に印象に残っているのが、テレビドラマ化された『のだめカンタービレ』の第一話の冒頭にプラハの風景とともに流された管弦楽曲でした。私にとって未知の曲でした。シーンの情景からしてドヴォルザークかスメタナの曲であろうとはすぐに見当がつきましたが、当該の曲がドヴォルザークの『チェコ組曲』であると特定するのには少し時間がかかりました。
 特定できてすぐにCD(プラハ室内管弦楽団、Supraphon, 1977年)を注文し、繰り返し聴きました。しみじみといい曲だと思いました。ドヴォルザークには『弦楽セレナーデ』という押しも押されもせぬ名曲がありますが、『チェコ組曲』は、その妹分というか弟分というか、確かに質的に落ちるところはあるのですが、その地味さがいいなあというか……。
 今日、この記事を書くためにあらためてこの曲を聴きましたが、はじめて聴いたときのことを想い出して、ちょっとほろっとしてしまった年寄りなのでありました。

 爺ちゃん、なんなん、こんなクソつまらない記事、ブログとして書く意味あるん? ― もちろん、あるわけなかろう。でもなぁ、誰に迷惑かけてるわけでもなし、これくらい許してくれんかのう ― どーでもええけど、あんまり長生きせんといてや。それ、老害やし ― おまえに言われんでもわかっておるわ。自分の始末は自分でつけるさ ― ほな、よろしく~。