内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

あれこれの仕事に取り紛れつつも、最後は「心繋がり」ってことで、よろしくどうぞ

2017-09-30 23:12:08 | 雑感

 今日の記事は至極ぼんやりした内容です。
 午前四時起床。来年度施行カリキュラムの素案は今日が締切り。それを早く仕上げて送信しなくてはいけないという気持ちがこんなに早く目覚めさせたわけだが、ぜんぜんやる気にならない。だらだらとネットサーフィンで時間を無駄に過ごす(だったら寝てたほうがよかったじゃん)。
 午前七時からいつものプールで泳ぐ。でも、カリキュラムのことが気になって四十分程で早々に上がる。
 帰宅してすぐにカリキュラムの時間計算をエクセルで入力開始。一旦始めると、作業に集中できた。午前十時過ぎには作業完了。少し間を置いて、もう一度計算表を確認してから、統括責任者に送信する(やれやれ、これで数日間はこの仕事から解放される)。
 昼過ぎ、書店から入荷通知が届いた Didier Eribon, Michel Foucault, Flammarion, « Champs biographie », 2011 を自転車で取りに行く。この新版には、1991年版後の資料等豊富な情報が増補されている。フーコーを取り巻く知識人たちの、ちょっと週刊誌的な楽屋話も多々あり、興味深いと言えば言えるかもしれなが、私はなんか白けてしまった。
 ドゥルーズのコレージュ・ド・フランスへの立候補に激烈に反対した一人がピエール・アドで、そのことでアドとドゥルーズを推したピエール・ブルデューとの間に激しいやり取りがあったそうな。自分のコレージュ・ド・フランス教授の話が不首尾に終わった後、ドゥルーズはひどく落ち込んだんだとさ。アドはそののちデリダの立候補にも反対したとのこと。アド自身はフーコーの推薦でコレージュ・ド・フランスの教授になれたのだけれどね。
 夕方、来年出版されるベルクソン学会の論文集の原稿の最終チェックを行い、編集責任者に送信する。
 総領事館から、能楽に関する講座とアトリエの大学での実施プログラムについての問い合わせ。なかなか日程の調整がつかない。11月実施は無理そう。講師の先生と直接メールでやりとりして再調整。来年に延期になるかも。
 11月初めに、イナルコとパリ第一大学でENOJPの第三回国際学会があり、初日の大森荘蔵のパネルでは発表者の一人で、最終日三日目は比較哲学をめぐるパネルの司会者になっている。発表のタイトルは、「心はどこにあるか」とした。その内容もだいたい固まっている。
 夕食後、それにすこし膨らみをもたせるために、参照する本を本棚から引っ張り出して眺めていた。大森荘蔵『物と心』(ちくま学芸文庫)、野矢茂樹『心と他者』(中公文庫)、唐木順三『日本人の心の歴史』(ちくま学芸文庫)、三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)など。まあ、「心繋がり」ってことですね。











歴史の彼方のヌーメノン、あるいは語り得ぬことへの想像力

2017-09-29 20:02:51 | 講義の余白から

 弊日本学科では、来年度から大幅にカリキュラム変更いたしますので、現行の日本古代史の講義は今年が最後になります。ってなわけで、今年度はかなり好き放題にやっています(学科長だぜ、文句あっか)。
 「今日なんか、もうほとんど哲学の講義だったよね」と、学生たちの何人かは授業後廊下で溜息をついていました。「試験は小論文って先生言ってたけど、どんな問題出るんだろう」って、心配そうに話し合っている学生たちの脇を、「じゃあね、また来週。よい週末を」って、にこやかに通り過ぎながら、「クククッ、まあ楽しみしていなさい。試験二週間前には問題は提示してあげるから、それからじっくり考えることだね」と心のなかでほくそ笑んでいた私でした(完全にSですね)。
 学生たちの反応は無理もありません。なぜって、今日の講義の主題は、「歴史とは何か」だったのですから。『大学で学ぶ日本の歴史』(吉川弘文館、2016年)の序文に相当する「オリエンテーション」をじっくりと注解した後、その中に引用されているクローチェとE. H. カー『歴史とは何か』の原文にあたり、歴史と現在との関係について考察し、さらには関連文献として、Paul Valéry, « Discours de l’histoire » (1932) ; Henri-Irénée Marrou, De la connaissance historique, Seuil, « Points Histoire », 1975 (1re édition, 1954)を読まされ、とどめは Rémi Braque, Au moyen du Moyen Âge なんですから、たまったものではないですよね、彼らにしてみれば。
 きっと、「これって、日本古代史の授業だよね。なのに、なんでこんなテキスト読まなければいけないの?」って、思っていた学生たちも少なくないことでしょう(まだ、始まったばかりだぜ)。
 でもね、歴史をただ過去の事実の集積と考えることが根本的な誤謬であることをまずわかってもらわないと、私の古代史の授業は始めようがないのですよ。だから、もう少し辛抱してちょうだいね。
 語られる歴史の彼方の語り得ぬもの(ヌーメノン)への感性と想像力なしに、歴史を学ぶこと、歴史から何かを学ぶことはできないのです。今日伝えたかったことはそれに尽きます。
 最後に、講義で引用した Henri-Irénée Marrou のテキストの原文を掲げておきますね。

Bien entendu, puisqu’elle se définit comme connaissance (et nous avons précisé connaissance authentique), l’histoire suppose un objet, elle prétend bien atteindre le passé « réellement » vécu par l’humanité, mais de ce passé nous ne pouvons rien dire, rien faire d’autre que de postuler son existence comme nécessaire, tant qu’une connaissance n’en a pas été élaborée, dans les conditions empiriques et logiques que notre philosophie critique va s’efforcer d’analyser. S’il est permis de continuer, à la manière de Dilthey, de s’exprimer en termes empruntés à Kant (précisons, pour n’être pas accusés de « néo-kantisme », qu’il s’agit là d’un usage métaphorique : nous transposons ce vocabulaire du transcendantal à l’empirique), nous dirons que l’objet de l’histoire se présente en quelque sorte à nous, ontologiquement, comme « noumène » : il existe, bien sûr, sans quoi la notion même d’une connaissance historique serait absurde, mais nous ne pouvons le décrire, cas dès qu’il est appréhendé, c’est comme connaissance qu’il l’est, et à ce moment il a subi toute une métamorphose, il se trouve comme remodelé par les catégories du sujet connaissant, disons mieux (pour ne pas continuer le jeu de métaphores) par les servitudes logiques et techniques qui s’imposent à la science historique.

Henri-Irénée Marrou, De la connaissance historique, Seuil, coll. « Points Histoire », 1975, p. 37-38.














教室は、毎日が一期一会、今日も講義ができて本当に幸いでした

2017-09-28 20:59:55 | 講義の余白から

 昨日の記事では、独白的ではありましたが、少し「毒を吐いて」しまいました。そういうことは拙ブロクでは極力したくないと常日頃思ってはいるのです。そんなことをしたって何もならず、後味が悪いだけですから。案の定、昨晩は気分悪かった。飲んでも酔えなかった。
 それでも、昨日書いたことを撤回する気は一切ありません。
 今日は、古代文学史の一コマだけのために大学に出向きました。個人的な感覚ですけれど、いいんですよね、この感じ。講義の直前まで自宅で最後の最後まで準備をしてから、「いざ」って感じで、その一コマのためだけに教室に向うのです。自転車でキャンパスまで疾駆するのです。
 私にとって、教室は、いつも、一期一会です。
 講義のはじめに、心のなかでいつもこう呟いています。
 今日、教室に来てくれてありがとう。私も、今日、君たちに伝えうるだけのことを伝えたくて、この場に来たよ。じゃあ、はじめようか。
 彼らが提出してくれた宿題それぞれについての講評はこちらからの挨拶。それを教室の全員で共有することで、互いに学べることがあるといいなって思いながら。
 そして、講義の本題に入ります。でも、今日は、その前に、モーリス・ブランショの「起源」についての下掲の考察をまず読ませました。

Il y a donc toujours une lacune : comme si l’origine, loin de se montrer et de s’exprimer en ce qui sort de l’origine, était toujours voilée et dérobée par ce qu’elle produit et, peut-être alors, détruite ou consumée en tant qu’origine, repoussée et toujours davantage écartée et éloignée, soit comme originellement différée. Jamais nous n’observons la source, jamais le jaillissement, mais seulement ce qui est hors de la source devenue la réalité extérieure à elle-même et toujours à nouveau sans source ou loin de la source.

Maurice Blanchot, « Naissance de l’art » dans L’amitié, Paris, Gallimard, 1971, p.18-19.

 このテキストを注解しつつ、起源への遡行不可能性という問題についての注意を促した上で、日本文学の起源という問題の考察に入りました。
 明朝、また同じ学生たちに古代史の講義をします。でも、明日は明日。幸いにも恵まれた、まったく新しい一日。その掛け替えのない一日の朝の二時間に君たちに伝えたいことの最終的な準備を今しているところです。











コルマールからストラスブールへ、祝祭的時空から灰色の日常へ、自分のミッションは忘れない

2017-09-27 22:08:34 | 雑感

 セミナーの発表は昨日午後までで、ディナーは昨日の記事で言及したレストランで参加者全員で愉しく会食。車でCEEJA に戻ったときは11時を過ぎていた。本当に愉しく有意義な二日間を過ごすことができて幸いであった。
 今日の午前中には、コルマール市内観光が知的交流セミナーの三日間のプログラムの締めとして組まれていた。午後から学科会議がある私はそれに参加することはできず、朝食をCEEJAで取り、その席でセミナーの講師の先生・参加者たち・基金の担当者にお別れの挨拶をし、CEEJA の職員にコルマール駅まで送ってもらい、電車でストラスブールに戻った。一旦自宅に荷物を置きに戻り、溜まっていたメールの処理などしてから、大学にいつものように自転車で向う。
 その出掛けに、ジャケットをCEEJA に忘れてきたことに気づく。明日非常勤として授業をもっているCEEJA 職員の一人が持って来てくれることになり、安堵する。
 正午から午後二時まで学科会議。その内容はここには書かない。というか、書きたくもない。最終的にはまあ円満な形で終えることができたのは幸いだったが、私に言わせれば、表向きは学科としての総意云々とか言いながら、実のところは一人の人間のつまらぬ沽券と狭隘な視野と個人的な憎悪と自己反省の欠如がその背後にあり、そのせいで、もっと合理的に少ない労力で処理できたはずの事案に二時間もかかってしまった。結果に満足したのは騒ぎ立てた本人だけだろう。
 そこで決められたことの事後処理は私がするのだ。そして、当該機関とのその後の関係改善も私が要にならざるをえない。一言だけ言わせてもらおう。過去の「栄光」に固執し、晩節を汚したくはないものである。「飛ぶ鳥跡を濁さず」、私はそうありたい。
 その会議の後も同僚と他のプログラム等について打ち合わせ。午後五時からは二時間、学部と高校と間の連携強化のための会議。意義ある会議ではあった。でも、疲れました、さすがに。
 明日の古代文学史の準備はすでに一応済ませてあるが、学生たちがここ数日間に提出してきた作文についての講評と助言はこれから準備しなくてはならない。
 それは、しかし、つまらない仕事ではない。語彙・文体・文法・論理の四つのレベルで作文を分析することは、授業の枠組みを超えて、私を哲学的な考察へと導いてくれるからである。そして、その考察をいかに学生たちにわかりやすく伝え、彼らが今後自分で考えていくための手掛かりを与えるかという課題は、私にとっては学科長としてのすべての仕事よりも重要なミッションなのである。











「デジタル・メディアとコミュニケーション」二日目感想(飲まずに書けるか、でも、飲んだら書けない)

2017-09-26 17:12:22 | 雑感

 二日目の今日も発表は四つ。
 最後の発表は、すでにフランスのある大学の准教授に数年前になっている若手研究者(私はその採用面接の際の外部審査員の一人だった)による、日本企業におけるテレワークの現状分析がテーマ。最新のフィールドワーク調査に基づいた模範的な発表であった。
 それ以外の三つの発表については、テーマはそれぞれに面白かったのだが、共通する欠点として、最終的な研究目的が不明確であることを挙げざるを得ない。それに、二番目と三番目の発表は、方法論的にもまったく未熟で、これでは自分で調べたことをまとめただけの稚拙なレポートの域を出ない。
 実は、このような研究水準の問題は日本学研究に発生しやすい。なぜか。「日本学」などという学問は存在しないにもかかわらず、いきなり日本学科に来ると、学問的方法論をしっかり身につけずに、対象に向き合うことになるのだが、そもそも方法論もなしに学問的に向き合える対象などないからだ。それぞれの学問分野で確立された方法論をまず身につけ、それを対象である日本のなんらかの事象に適用してはじめて一つの学問的研究になる。
 私は、新入生たちに、「日本学などという専門分野はない。だから、日本学科を卒業しても、何らかの専門の勉強をしたとは認められない。日本学科のカリキュラムとは別の学問分野の勉強を必ずしなさい。逆説的に聞こえるかもしれないが、日本のことをよりよく知りたいのなら、日本以外のことに関心を持ち、日本へのアプローチの方法論を身につけなさい。むしろ、ある学問分野の方法論をまず身につけ、その上で日本のことが勉強したければ来るほうが望ましい」とまで「親切に」助言する。
 高校を卒業して、やっと「憧れの」日本の勉強ができると勉強意欲をもってやってきた学生たちに、「ようこそ日本学科へ」という型通りの挨拶もそこそこに、上記のような「冷水」を浴びせかけるのは、彼らのためである。
 しかし、ほとんどの学生は私の意図を理解できない。ごく少数の学生たちだけが頷きながら私の話を聴いてくれる。今年は一年生が二百人超と多めだが、そのうち二年に進めるのは五十人前後だろう。その中で三年まで残るのは三十人前後というのがここ数年の平均的数値である。それでも全体としてレベルは褒められたものではない。
 現状改善のためにできるところから少しずつ手を入れ始めたのが今年度。来年度からの新カリキュラム導入とともに改革を加速させる。
 まあまあ、そんな堅い話はもうやめにして、今晩は、リックヴィールの名店の一つ Le Serment d’Or でディナーでありまする。











「デジタル・メディアとコミュニケーション」初日感想(素面です)

2017-09-25 18:03:10 | 雑感

 今日と明日の二日間、国際交流基金を主催者としCEEJA を会場としたヨーロッパ日本研究知的交流セミナー「デジタル・メディアとコミュニケーション」に、日本学科を代表してオブザーバーとして(って、何をすればいいのかわからないまま)参加するため、今朝、ストラスブールからコルマールまで電車で移動し、駅までCEEJAの職員に迎えに来てもらった。
 セミナーの日本語趣意書は以下の通り。

アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)と国際交流基金(JF)は、CEEJAを会場に、ヨーロッパにおける若手日本研究者のネットワーク形成と研究の深化を目的とした日本研究セミナーを、2007年から実施しています。本年のテーマは「デジタル・メディアとコミュニケーション」です。ここで言う「デジタル・メディアとコミュニケーション」は、日本社会におけるデジタル・メディアの使われ方、関わり方、またそれにまつわる社会の認識や制度の多様な広がりなどを幅広く対象としています。
学問分野ではなく、「デジタル・メディアとコミュニケーション」という広域テーマのもと、本セミナーがヨーロッパにおける若手・中堅日本研究者のネットワーク形成、各自の研究の広がりと深まり、ひいては日本研究の内容の充実に資することが期待されます。

 このセミナーは、すべて日本語で行われる。ヨーロッパの日本研究者たちの日本語のうまさにはシンポジウムなどでほとほと感心することが多いが、今回もみなたいしたものである。
 四人の若手研究者たちの発表はそれぞれにおもしろかったが、何と言っても高橋利枝先生の開講講演が抜群に面白かった。定量分析にも定性分析にも還元できない総合的な社会科学的方法論に裏打ちされた独自の新しい社会構築理論に基づき、来るべきデジタル・メディア社会の中でAIやロボットをはじめとする新技術が果たすべき役割が積極的かつ明快に前面に打ち出され、大変啓発されるところの多いお話だった。哲学的にも自己の再定義を迫る内容で、単に私にとって不案内な領野へと目を開かれたばかりでなく、無防備な姿勢で聴いていたらいきない問題を突き付けられた格好であった。ご発表の後に少し先生とお話しできたのも幸いであった。
 オブザーバーであるから、発表をかしこまって聴いていればいいのだろうと思っていたし、実際、基金側の司会者も、各発表後、他の発表者からの質問を受けつけ、それに発表者が答え、締めに講師である高橋先生から各発表についてご講評をいただくという形で進行しようとされていた。ところが、最初の発表の後、高橋先生のご発案で、二番目の発表からは私も自由に発言したらいいだろうということになり、それじゃあ、「空気を読みつつも、遠慮なく」ということで、各発表について、けっこう「図に乗って」発言させてもらった(じゃあ結局KYなんじゃん)。
 今日予定されていた四つの発表を終えた後、夕食の会場である地元の名店レストランに皆で徒歩で向うために待ち合わせる時間までの間、自室で休憩しながらこの記事を書いた。夕食の後は、もういい気分で酔っ払ってしまって、書けないだろうから。












忘れられた詩人の甘酸っぱい言葉を噛みしめながら ― Raconte-moi. C’est vrai ? C’est vrai ?

2017-09-24 21:58:39 | 雑感

 ポール・ジェラルディ―(Paul Géraldy, 1885-1983)というフランス人詩人・劇作家をご存知だろうか。フランスでさえ、それほど知られてはいない。私自身、ほとんど彼について知るところはなかったし、今もほとんどない。今後、特に調べようという気もない。
 今から十数年前、その詩集 Toi et moi (1912) をプレゼントされたのがきっかけで、その詩集を読んでみた。男女の恋愛の機微をちょっと甘たっるい言葉で様々に表現していて、贈られた当時は、けっこう熱心に読んだ。贈ってくれた人の気持ちを代弁しているようなところがあったからだろう。
 しかし、それ以後、その詩集を贈られたことさえすっかり忘れてしまい、ずっと東京の元実家に置きっぱなしなっていた。それをこの夏の帰国の際に持ち帰った。特に愛着がある本ではもはやない。でも、当時のことを思い出すと、やっぱりちょっと懐かしい。多分、これからは一生手元に置いておくだろう。
 今日、その詩集を、その他の本を整理するついでにふと手に取り、適当に頁を開けてみたら、« Tristesse » という詩に行き当たった。好きなってしまった人の過去は、知りたくもない、でも、やはりどうしても気になるものだ。そんな誰にでもありうる気持ちがこの詩のテーマ。全部で三頁ほどの詩。その最初の一頁だけを原文で引く。フランス語の初歩を終えた人なら誰でも理解できるほど平易な言葉で綴られている。

TRISTESSE

Ton Passé !... Car tu as un Passé, toi aussi !
Un grand Passé, plein de bonheurs et plein de peines...
Dire que cette tête est pleine
de vielles joies, de vieux soucis,
d’ombres immenses ou petites,
de mille visions où je ne suis pour rien !
Redis-les-moi toutes ces choses cent fois dites.
Tes souvenirs, je ne les sais pas encor bien.
Ah ! derrière tes yeux, cette nuit, ce mystère !
Ainsi c’est vrai qu’il fut un temps où quelque part
tu gambadais dans la lumière
avec de longs cheveux épars,
comme sur ces photographies !
Raconte-moi. C’est vrai ? C’est vrai ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「自殺への漸進的な馴致」とはどういうことか ― レヴィ=ストロース『遠近の回想』に触れて

2017-09-23 20:46:07 | 読游摘録

 エルンスト・ゴンブリッチが対談の名手ディディエ・エリボンを得てその質問に答える形で語った知的自伝 Ce que l’image nous dit, Arléa, 2009(初版は Adam Biro 社から1991年刊)を数日前から息抜きに読んでいる。実際の対談は英語で行われたのだが、エリボンの仏訳は、簡明卒直なゴンブリッチの語り口をよく伝えていて、読むのが愉しく且つとても興味深い読み物になっている。
 昨日、ふと、同じエリボンを相手にレヴィ=ストロースが知的自伝を語った De près et de loin, Odile Jacob, 2001 (初版は同社から1988年刊。その二年後に刊行された増補新版の邦訳は、『遠近の回想』みすず書房、2008年)をちょっと読み返していて、レヴィ=ストロースがアメリカで親交を結ぶことになり、後にパリで頻繁に会うことになる人類学者 Alfred Métraux(1902-1963)の思い出を語っている箇所で、その当時は思いがけなかった彼の自殺に触れて、« Mais, quand j’y réfléchis aujourd’hui, il me semble que sa vie privée fut une acclimatation progressive au suicide » (op.cit., p. 56) と言ってるのがひどく印象に残った。
 Acclimatation というのは、climat(気候・風土)を語源とする動詞 acclimater([動植物などを環境などに]順応・順化させる)という意味の動詞から生まれた名詞であり「(生物の)順化」を意味する。だから、基本的に、acclimatationとは、新しい環境に適応して生きていけるようにすることであり、生への存在を前提としている。
 それゆえ、« acclimatation progessive au suicide »(「自殺への漸進的な馴致」)というのは、この語の本来の意味を転倒させた表現ということになる。自らの生を自死への環境へと馴致させるとは、どういうことだろう。見境のない自暴自棄とは違う。計画的な自殺とも違う。
 エリボンとの対談では、この表現の直後に話題が変わってしまうので、レヴィ=ストロースがどういう意図でこの表現を使ったのかよくわからない。Métraux がどのような人であったか、レヴィ=ストロースの記述以上のことは私にはわからないから、推測も難しい。しかし、レヴィ=ストロースが単なるその場の思いつきでこの表現を使ったとも思えない。それだけにこの表現が昨日から棘のように心に引っ掛かったままである。











教員室の整理整頓、それも学科長の仕事なのであるか、ふぅ~。でもいい一日だったなあ

2017-09-22 21:53:17 | 雑感

 ストラスブールに赴任してきた三年前から気になっていたことの一つが研究室の図書・備品の未整理状態でした。どう見ても、何年間も誰も何も整理しておらず、届いた年報・紀要等をただ本棚に並べていくだけで、そのせいでもう本棚全部が一杯になっていたのです。それでなくても限られているスペースの実に無駄な使い方で、内心呆れてしまいました。ところが、それをずっと誰もなんともしようとしてこなかったことが一目見て分かる状態でした。
 「研究室」と一応日本語で言っていますが、正直、その名にはとても値せず、実際は、せいぜいただの「教員室」です。私も含めて教員全員、研究は自宅でしますから、教員室をより快適かつそれなりに見栄えのする空間にしようという配慮はほぼなかったと言って差し支えないと思います。私自身、もうどうでもええかなって思っていました。
 それに、それはそれで悪くないかなと思ったりもするのです。いかにも研究室っぽく立派に本を並べたりしないで、適当に雑然と学術雑誌が並べてあるだけなのも、いかにも仕事場ぽくっていいかもね、なんても思ったりもするのです。
 ただ、一昨日、私の二年後に赴任してきた同僚にもう少し自分が使える書棚がほしいと言われてしまいました。それはそれで至極もっともな話です。彼女の要望に応えたいと思いました(なんてたって、学科長でござんすからね)。
 それに、何を隠そう(って、別に隠してないし、知っている方もいらっしゃると思いますが)、私は無類の整理整頓好きなのです。自宅では、それが自己目的化し、ほとんど趣味の域に達していると言ってもいいかも知れません。
 それで、今朝、思い立って、オフィスアワーの時間の一時間前に教員室に来て、どうせ誰も使わないのに無意味に書棚に並んでいる、日本の諸大学から送りつけられてきたありがた迷惑な(妄言多謝!)紀要・年報・学会誌等を一気に一人で片付けました。
 ものの一時間もあれば、私のように整理整頓するために生まれてきたかのような人間には十分です。六つの書棚をすっかり空にして、同僚が自由に使えるようにしました。もちろん、持参した使い捨て除菌タオルで隅々まで綺麗にしましたよ(自分の仕事に満足!)。
 ほぼ、作業を終えたところで、オフィスアワーの時間になりました。指導教官としての私のサインをもらいに来ることになっていた修士二年の女子学生がノックとともに入ってきました。一時間椅子に乗ったり降りたりして作業をしていたので(なかなかいい運動でしたよ)、さすがに額から汗が流れていたのですが、それを見て、「先生、手伝いましょうか」と言うから、「ありがとう。でも、もう終わるところだから、いいよ。座って待ってて」と応えて、急いで作業を終えました。
 その後は、その学生とほぼ一時間、これからの研究計画の相談でした。本棚整理という肉体労働と研究計画立案という知的作業、すごいギャップだよねぇ。でも、相談を終えた後、なんか心身ともに充実感が得られて(根が単純だからね)、今日はいい午前だったなあと気分良く帰宅しました。
 午後は、予約を入れてあった美容院にカットに行き、それからプールでかなりハイピッチで小一時間泳ぎました。
 かくして今週は終えたのであります。明日土曜日は、来週木曜日の古代文学史の準備、明後日日曜日は、金曜日の古代史の準備です。月曜日と火曜日にオブザーバーとして参加するヨーロッパ日本研究における知的交流についてはその日ごとに記事にいたします。
 それでは皆さん、Bon week-end !












日本古代・中世の民衆に信じられていた仏教へのアプローチ

2017-09-21 22:03:57 | 講義の余白から

 いろいろ迷った挙句、今年度前期修士二年の演習のテキストは、末木文美士『日本宗教史』(岩波新書、2006年)にしました。
 以下が主たる選択理由です。基本的な問題提起が大胆かつ刺激的であり、宗教を通じて日本思想史への一つの良きアプローチになっている。思い切って細部を切り捨ててテーマごとに論点を明示しているので、議論のテーマを取り出しやすい。文章そのものが比較的平易で、修士二年の学生なら読みこなせるレベルである。
 私自身は、読んでいて、ちょっとここは納得できないよなぁ、というところももちろんありますが、それはそれでいいのです。そういう箇所でこそ、学生たちと議論すればいいのですから。
 今年の修士二年生は三名。そのうち二名は、一年間の日本留学を終えて戻ってきたばかり。もう一名は、日本に行ったことがなく、日本語能力では明らかにこの二人より劣りますが、それはしかたないよね。頑張ってもらうしかありませんね。
 この演習の準備の一環として、『日本宗教史』と併行させて読んでいるのが、同著者の『日本仏教史』(新潮文庫、1996年。初版1992年)。こちらはまさに著者の専門領域ですが、そこでも大胆な思想史的アプローチを試みていて、しかも新書より論述が詳細で、読み応え十分です。
 その終章に、「民俗学への期待」という節があります。
 民衆の中に溶け込んださまざまな行事や風習は、いわゆる宗教の教義から離れていることが多いから、例えば、古代の仏教の実態を知るためには、南都六宗の学問仏教の研究だけでは十分ではない。なぜなら、それらの教義は、所詮一部のエリート僧がそれらに関与するだけで、大多数の民衆とは無関係だからです。

民衆のあいだで信じられていた仏教の実態は、例えば『日本霊異記』などを読んだほうがよほど生き生きと描かれています。それゆえ、日本の仏教の実態を明らかにするためには、教理や歴史資料のみならず、文学やさらには仏像などの美術の分野も不可欠になります。(343-344頁)

 『日本霊異記』だけではなくて、それ以降の仏教説話集、例えば、『今昔物語集』『発心集』『沙石集』なども、同じ理由で読み直したいし、仏教美術も再訪してみたいですね。それを学生たちとするのが今から楽しみです。
 学部の古代史でも、それこそ教科書的な仏教教理よりも、こういう観点を特に強調したいと思っています。