内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

研究会に参加しての感想一言と次回の予告

2020-02-29 23:59:59 | 雑感

 今日の午後の研究会での二つの発表はいずれも日本の神話あるいは神話学に関する考察であった。一つ目の発表を聴きながら、「神話」もまた近代翻訳語の一つであり、それが日本の記紀神話に適用されることで明治末期から大正にかけて起こった諸説とそのそれぞれの主張者の間の論争を垣間見て、学としての神話学による神話の非神話化作業と神話研究のイデオロギー化による神話の絶対化との間の葛藤に近代日本の思想史的な問題の一つを見たように思った。二つ目の発表は折口信夫の「むすび」あるいは「むすびの神」についての言説の折口思想のなかでの位置づけの試みであった。一方で折口信夫の記紀神話解釈の独創性がどのような思想的要請から来ているかを考えさせられ、他方では「むすび」と「ムスヒ」の意味論的差異が古代から日本社会に広く浸透している「むすび」信仰によって隠蔽されてしまうことの日本思想史における意味をあらためて考える機会に私個人としてはなった。
 次回の研究会は4月25日。当初発表者は昨年末にパリ・パンテオン・ソルボンヌ大学哲学部で博士号を取得したばかり若手研究者の発表のみが予定されていたが、ここ数年研究会ごとに二つの発表という形が定着していたので、それでは私も発表しましょうと昨晩責任者に提案し、私も発表することになった。すでにこのブログでも連載したことがある論考「陰翳の現象学」を基にフランス語で話す。欧米の美術史家による近代絵画における影の問題を扱った論考を複数参照しつつ論考をバージョンアップして発表する機会としてしっかり準備して臨みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリのホテルから ― 新型コロナウイルス感染拡大の影響について

2020-02-28 14:38:46 | 雑感

 明日のイナルコでの日本哲学研究会に参加するために前日の今日の昼からパリに来ている。宿泊先のホテルの部屋でこの記事を書いている。
 昨晩、三月に予定されていた日本の大学との交流プログラムの一つが新型コロナウイルス感染の欧州での急速な拡大という理由から中止になったという連絡がこちら側の担当者から入った。学生たちの研修旅行自体を中止するという決定がその日本の大学当局によって下されたのである。今朝、もう一つの研修プログラムもおそらく中止になるだろうと別の日本の大学から連絡が入った。そして、今さっき、ホテルに着いてメールボックスを開いたら、来週の木曜日に私の授業で受け入れることになっていたまた別の日本の大学からも同じ理由で研修旅行が中止になったと連絡が入った。
 感染の拡大がヨーロッパでも深刻化しており有効な治療法もいまだ見つかっていない現状ではこの判断はやむを得ないだろう。これらの研修の参加者たちの中には海外旅行ははじめてという学生も少なくなく、慣れない土地での滞在はいくら若くて体力があるといってもやはり体調を崩しやすくなる。たとえ海外研修は参加学生たちにとってとてもいい経験になるとわかっていても、このような状況下で無理をしてまで実施するべきではないだろう。
 日本ほどまだ深刻化してはいないが、フランスでも今朝の時点で、全国で確認された感染者が39人、うち2人が死亡、12人が入院後快癒して退院、25人が現在も入院中、そのうち2人が重篤な症状を示しているという。また、中国および感染者数が多いイタリアのロンバルディア地方からの渡航者・旅行者・帰国者たち数十名がヴァカンス施設などに隔離されているという。
 感染拡大は世界中で今後さらに深刻化すると覚悟しなくてはならないだろう。個人としては、しなくてもすむ外出は極力避け(って、よりによってこんなときに私はパリに来ています)、感染を未然に防ぐ対策を十分に取り、息を潜めてこのパンデミックの終息を待つしかないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(六)― 日録の技術的可能性の条件としての製紙技術と機械式時計の普及

2020-02-27 09:00:00 | 哲学

 今日の私たちが日記をつけようと思い立つとき、その筆記手段や記録媒体の選択に迷うことはあっても、それらの入手そのものに困難を覚えることはまずない。手書きであれば、市販の日記帳は大小選り取り見取り、もっと安価な普通のノートを使用する人もあれば、贅沢な作りのノートを好む人もいるだろう。パソコンで日記をつけている人もとても多いにちがいない。
 しかし、紙そのものが普及していなかった時代には長期間保存可能な記録媒体を入手すること自体がきわめて困難であった。それに、希少で高価な羊皮紙を入手できる立場にあったとしても、それをまったく私的な日常の記録のために使おうという発想はそもそもその時代にはありえなかった。
 ヨーロッパにおいては中世末期になってようやく個人的な日記をつけるための「可能性の条件」が徐々に調っていった。十四世紀に製紙技術がヨーロッパに普及し始めてはじめて長期保存可能で実用的な所記媒体が比較的容易に入手できるようになり、それが日常的筆記を可能にする。
 それとほぼ時を同じくして機械式時計の発明が中世人たちの時間意識を変えていく。中世ヨーロッパ最初の時計職人は修道僧であったが、それは一日の祈祷時間その他修道生活の諸作法を厳格に遂行するために正確な時計を必要としたからである。その時間の管理のために紙上の記録が利用されるようになる。
 つまり、紙と時計の普及が日録という習慣成立のための技術的可能性の条件であった。中世の製紙技術と機械式時計制作技術が近代的時間意識とその管理方法を準備したと言うこともできる。実際、近代フランスでは、十六世紀から十八世紀にかけて紙に記された種々のタイプの日録が普及する。
 しかし、これらの技術的・経済的・社会的諸条件だけでは個人の内面の記録としての日記の成立を充分に説明することはできない。特に、フランス固有の歴史的条件として、カトリックの教説が私的出来事の日録の普及をむしろ妨げる方向に作用したことを指摘しなくてはならない。自分のことについて書くとき人はどうしても自分に甘くなりがちだというのがその教えである。
 自己の可変的な心情をそのまま日々記録していくことが外在的諸条件によって可能になっただけではなく内的必然性となったことを事実として確認するためにはフランス革命後まで待たなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(五)― 近代哲学の心身二元論的構図に対する反措定としての「精神の気象学

2020-02-26 00:00:00 | 哲学

 天候を神意の現れそのもの或いはそこから神意を読み取るべき表徴と捉えるのが古代からルネッサンス以前まで支配的だった世界了解の仕方であったとすれば、気象をそれ自身に固有な法則を有した自然現象として理解する態度を人間が身につけたときが近代のはじまりだと規定することもできるだろう。より具体的に、雨乞いの儀式に典型的に見られるような自然への呪術的な働きかけが自然法則の認識とそれに基づいた理性的な対処に取って代わられるときが近代のはじまりだと言ってもよい。
 しかし、それだけのことなら気象現象にかぎらない。神話的世界における呪術を媒介とした自然との交信から幾何学的・機械的世界における技術を媒介とした自然への関与への移行は、自然を対象としたあらゆる分野でルネッサンス以降に起こっていくことであり、それについて今更喋々するにはおよばないだろう。
 ところが、気象と人間との関係には自然科学の発達による知の「近代化」という枠組みの中に単純に押し込めることを許さない要素が含まれている。気象と人間との関係を他の諸関係から区別する特異性として次の三点を挙げることができると私は考える。(一)気象と心理とは恒常的可変性をその共通の本性としていること、(二)気象の変化は体調及び心理に直接的に作用を及ぼしうること、(三)両者の間には相互浸透性があること。
 気象と人間との間の関係に見られるこの三つの特異性が近代気象学の発達にともなってより明確に科学的に認識されていく。この科学的認識の発展・深化が「精神の気象学」と名づけうる広義の文学的表現を十九世紀フランスに開花させる。
 日々の記録としての日記という形式がとりわけ気象の観察記述に好適なのは言うまでもない。多くの私的書簡の書き出しに見られる天候の記述も単なる時候の挨拶として軽視していいとはかぎらない。いずれの場合も気象に関する記述が書き手の自己表現の一部をなしている。それどころか、気象に対する反応あるいは気象によって引き起こされた心理状態がその自己存在の一部をなしていることを表現している日記や書簡も少なくない。
 この「精神の気象学」的記述は人間存在がそもそも心身二元論的構図には収まらないことをよく示している。いささか逆説的かつ挑発的な言辞を弄することを許されるならば、自然科学としての近代気象学によってその記述モデルが与えられた「精神の気象学」はその成り立ちからして近代哲学の心身二元論的構図に対する反措定だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(四)― 感情と気象の類比から内部世界の気象学へ

2020-02-25 00:00:00 | 哲学

 自己の内的観察を日記として記録していくとき、日々の天気は内的自己とは別次元に属する自然現象として内省録にとってさして重要性を持たない場合もある。そのような内省録には当然のことながら気象についての記述は乏しい。一方、内的自己についての省察でありながらその中で気象に関わる記述が重要な意味をもっている場合もある。その重要性は一様ではない。天候が書き手の心理に影響を及ぼしている場合、その日の天気の記述が書き手の心理状態を反映している場合、さらにはそれがそのままその表現になっている場合もある。これは日本古典文学では、特に女流日記文学では、少しも珍しいことではない。
 ある一定の気候風土の中で暮らすほかない人間にとってその気候風土の特性と日々の気象の変化とが精神生活にも影響を及ぼすのはむしろ当然のことである。いつの時代であっても世界のどこであっても日々の自己の観察記録に気象に関する記録が含まれるのもその意味では特に驚くにはあたらない。
 しかし、近代ヨーロッパにおいて個人の内的経験と気象との関係に大きな変化が起こる。近代科学として確立されていく気象学の進歩が自己に対する観察態度に決定的な変化をもたらすようになる。より端的に言えば、気象学が自己観察的態度に一つのモデルを提供するようになるのである。
 アリストテレスによって一学問分野として確立された気象学(メテオーロロギア)は、ほぼ二千年間その基本的な枠組に変化がなかった。一言で言えば、複雑な気象現象をより一般的な物理法則によって説明しようとする態度である。ところが、十八世紀以降、気象学は計測機器の発明・改良とともに著しい進歩を遂げ、十九世紀には近代科学の一分野として認知されるようになる。つまり、気象現象そのものが他のものに還元不可能な学的研究対象になったのである。
 ルソーの時代はまだ近代気象学の揺籃期であったが、未完の絶筆『孤独な散歩者の夢想』には、絶えず変化する自己の精神状態を天候の変化のように客観的に観察しようとする「科学的」態度がすでに見て取れる。それは以下のような態度である。
 変化してやまない気象現象にも一定の法則があるように、絶えず変化する人間の感情にも一定の法則がある。気象諸現象の法則を見出すためにはまずそれらを直によく観察しなければならないように、感情の法則を発見するためにもまた諸感情の動きをそれらの発生の現場において注意深く観察しなくてはならない。気象の観察を精密化するためには温度計や気圧計その他の計測機器を必要とするように、心的現象の観察の精密化にも対象に相応しい概念装置が必要である。
 近代自然科学の一分野としての気象学の方法論が心の世界の気象学に一つのモデルを提供したのである。両者の関係は単なる類比的関係(アナロジー)にとどまるものではなく、二つの異なった学問領域の間に一定の対応関係が認められるということに尽きるのでもない。気象学と自己省察とは、人間の自己身体という「現場」において互いに相手の領域に浸透し合っているという新しい思想が十八世紀末から十九世紀前半にかけてフランスで誕生し独特の深化を遂げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(三)― 外的社会的自己から内的精神的自己への眼差しの転回の「場所」としての日記

2020-02-24 09:41:29 | 哲学

 フランスでは十八世紀後半から自己についての内省がさまざまな形で記述されるようになっていく。それは個人における精神的自己の探求や自己の存在感の表現練習などとして実行された。そのような私的自己記述の具体的な社会的形態の一例として、思春期の少女たちに与えられた手帳が彼女たちにとって自分の密かな思いを打ち明けられる心許せる「友だち」になっていた場合を挙げることができる。
 これらさまざまな形式による自己についての所記行為の実践が個々人に自分の内なる感情を言葉で表現することができる「場所」を作り出した。その「場所」としての日記は、その書き手たちによってまったく個人的で私的な「空間」と考えられ、自分たちのもっとも内なる感情の「受け皿」あるいは「容器」になっていく。かくして十八世紀半ばから対社会的な外面的自己の記録が自己についての独白的な記述や自己の内面の「肖像画」に場所を譲るようになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(二)― 反省的自己意識の生成と表現の社会化としての私記の普及

2020-02-23 13:12:40 | 哲学

 フランス語に « for » という古語がある。ラテン語の « forum » に由来し、もともとは家の周囲の囲われた広場をおそらく意味していた。そこから公共の広場や市場をも指すようになった。私事あるいは公事がそこで議論される場所のことである。さらにそのような場所で成立する「合意,協約,協定,契約」を意味するようにもなった。今日ではもはや単独で一般名詞として使われることはなく、「裁判権」を意味する言葉として « for intérieur [interne] »(良心の裁き)、« for extérieur [externe] »(法廷による裁き)、« for ecclésiastique »(教会の世俗裁判権)などの表現にその名残をとどめている。あるいは、「心の奥底で、ひそかに」という意味の成句 « dans [en] son for intérieur » が文章語として使われているのを見かけるくらいである。
 1986年に発表された « L’Écriture du for privé » という論文で Madeleine Foisil は « écriture du for privé » という表現をイタリア・ルネッサンスからフランスの啓蒙の世紀(十八世紀)にかけて書かれた私的文書全般を指す範疇概念として提唱した(In Histoire de la vie privée, tome 3, De la Renaissances aux Lumières, Seuil)。 この « for privé » という概念は « for public » に対立し、国家の監視・介入を受けつけない私的領域を指す。
 この領域内での所記行為とその結果として産出されるすべてのテキストが « écriture du for privé » と総称される。多種多様な文書がこの範疇に属する。それとして自覚的に書かれた回想録と自伝を別にすれば、それぞれの文書は単一の特性を有しているとはかぎらない。小教区の台帳、市の年報、会計簿、過去の同じ日に起こったことを記す暦などからその所記形式を借り、そこにさらに書き手の個人的考察が付け加わっていく。記述される出来事とそれに割かれた行数の多少が書き手の関心の所在と程度を示している。
 これらの文書のもともとの目的は、一族に関わる様々な出来事や決定の記録を残すことで次世代以降に一族内で争いが起こらないようにすることである。だから、私的な感想を吐露することはその目的ではなかった。そもそもそうすることは当初非常識で無作法なことと見なされていた。
 ところが、十七世紀末から所記内容が徐々に変化していく。特に、書き手がその晩年に至ると回顧的に自分の人生を成功譚として「再構成」する記述が現れてくる。しかも、それは神の加護によるものではない書き手自身の決意と行動による「英雄叙事詩」の様相を呈する。末永く繁栄する「私たち一族」の歴史が後景に退き、さまざまな困難に打ち克って現在の地位を築いた「私」の歴史が次第に前面に出て来る。しかし、十八世紀半ば頃まではまだ個人的感情の吐露は見られない。
 十八世紀後半になって私的文書に書き手個人の内面の表現が見られるようになる。この現象は自伝の普及の付帯現象である。しかし、自伝を書くのはそれが他者によって読まれることを期待できるような「名士」たちに限られるのに対して、もともと家族内での回読に限定されていた私的文書が内面の表現の器になっていったことは、反省的自己意識の生成と表現が社会的に一般化していったことを意味している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学的思考の型としての日記(一)― 回想録・自伝と日記との違い

2020-02-22 21:17:17 | 哲学

 回想録・自伝と日記との違いはさまざまあるが、その一つは天候についての記述が占める位置あるいはその重要性の違いである。前者の場合でも特別な日に関してはその日の天候が重要な意味を持つ場合があるにしても、回顧的にある時期を記述することがその主たる目的である以上、そこでは個々の日の天候よりもその時期の全体的な印象の方が勝る。それに対して日記においては日々の天候の記述も重要な構成要素であることが少なくない。
 この違いは所記行為としての両者の目的あるいは機能の違いから説明できる。回想録・自伝は過去の出来事とそれについての当時の感情を所記の時点から回顧的に再構成することが目的であり、日々の出来事ひとつひとつを事の大小にかかわらず叙述することはその目的に叶っていないのに対して、日記はその日その日の記録というのがその基本的な性格であり、そのときそのとき書き手が書き残すに値すると思ったことが随時記されていく。
 もちろん、日記であっても回顧性がまったく排除されているとはかぎらないし、回想録・自伝が歴史的現在における記述性によって彩られることもある。それぞれの範疇に一応分類されている諸作品には他の範疇の性質がまったく欠けているとはかぎらない。しかし、所記行為の型を分類するには時間の回顧的把握と同時進行的記述との違いが一つの基準になるとは言えるだろう。
 日記でも必ず天候の記述が重要な位置を占めるとはかぎらない。毎日の天候が記されている場合でも、それは単なる習慣に過ぎず、書いている本人は特に重要視していないこともある。しかし、同日の天候の記述が他の記述、特にその日の心的状態と明らかに密接な関係にある場合がある。この天候と心理の密接な関係は日本古典の女流日記文学では珍しいことではない。
 ところが、西洋の日記では事情が異なる。フランス語で « Livre de raison »(「台帳」「家長日記」などと訳される)と呼ばれる一家の家長が付ける家族の日録が登場するのは十六世紀であり、十六世紀半ばから十七世紀半ばまで広く行われた。イタリアでは一世紀早く登場しており、英語圏・ドイツ語圏でも同様の習慣がフランスとおよそ時代を同じくして行われた。
 その中には天候の記録ももちろんあるが、それと書き手の心理状態との関係が記述されることはない。もともとこの種の日記には書き手個人のことは書かないのが原則であった。そこに変化が見られるようになるのは十七世紀後半からである。この変化は「私たち家族」の記述から「私」個人の記述への移行を意味している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


万葉歌の「思ひ遣る」は「憂いを晴らす」の意 ― 言葉の散歩道

2020-02-21 23:59:59 | 言葉の散歩道

 後期担当している近現代文学の講義で基礎テキストにしている『新日本文学史』(文英堂)の購入を希望する学生たちのために発注をかけたとき、自分用に二冊の学習古語辞典を併せて購入した。『ベネッセ全訳古語辞典 改訂版』(2007年)と『旺文社全訳古語辞典 第五版』(2018年)である。前者は特に古文入門から大学入試まで学習者を導くさまざまな工夫が随所に見られ感心しながら読んでいる。後者は前者に比べると地味な構成だが最近改訂されたものであり古語・古典の知識を深める囲み記事も充実している。
 今日はベネッセの方を読んでいた。「おもひやる【思ひ遣る】」の項に目が止まった。「空間的に離れた場所に気持ちを移す」という全体イメージがまず掲げられ、その下に「①憂いを晴らす。②思いをはせる。③想像する。④心配りする」の四つの語義が示されている。活用表の後にそれぞれの語義の語釈と用例とその全訳が示されているのは型どおりだが、その後に「発展 現代語とのつながり」という項があり、そこに「上代からあることばだが、中古では②の思いをはせる意味が圧倒的に多い。②~④の「やる」は、「思い」を「遠くまで行かせる」意味であるが、①の「やる」は「思い」を「晴らす」意味で用いられている。なお、現代語には、④の心配りする意味だけが残っている」とある。
 この①の「胸につかえていることを遠くへはらいのける、気を晴らす」(『古典基礎語辞典』)意味の万葉歌としてベネッセ版も旺文社版も巻第十三・三二六一を挙げている。

思ひやる術の方便も今はなし君に逢はずて年の経ゆけば

 ベネッセ版はこのような表記になっているのだが、ちょっと解せない。原文には「術」も「方便」も使われておらず、参照した万葉集のどの版でもどちらの語もひらがな表記になっている。ベネッセ版にはわざわざ「すべ」「たづき」と訓みを少活字で漢字の下に組み入れてあるが、こんな手の混んだことをする必要があるのだろうか。素直にひらがな表記にすべきだったのではないか。
 「たづき【方便】」の項を見てみた。そこにも万葉歌が二首(巻第四・六六五と巻第二十・四三八四)用例に挙げられているが、いずれにも「方便」をあてている。しかし、原文はそれぞれ「田付」「他都枳」となっており漢語「方便」をあてる理由は特にない。「すべ【術】」の項にも万葉歌(巻第二・二〇七)が挙げられていてやはり漢字表記だ。原文は万葉仮名二字「為便」の表音表記になっているからやはり「術」をあてる積極的な理由はない。
 とても優れた学習辞典だと思うけれど、この「こだわり」はどこから来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


疲れたときには辞書を読む

2020-02-20 23:59:59 | 読游摘録

 心が疲れているときは、頭もよく働かない。知解のために長時間集中することが要求される書物を読むことも難しい。そんな書物に三方囲まれて暮らしていると、心の調子がよくないときはほんとうに息苦しくなる。好きな作家の小説やエッセイを読んでも楽しめない。評判の映画やドラマを観ても面白くない。
 そんなときは辞書を読む。電子版ではだめだ。手に取って辞書の重量と紙質を感じることも必要だからだ。古語辞典を選ぶことが多い。ここ数年のお気に入りはこのブログでも何度か言及したことがある『古典基礎語辞典』(大野晋編 角川学芸出版 2011年)だ。適当に頁をめくって目についた言葉の語釈・用例をゆっくりと繰り返し読む。そうしていると少しずつ荒れた心が鎮まっていく。

いくばく【幾可・幾許】副
解説 イクは、イクカ(幾日)・イクツ(幾つ)など、不定の数量を表すイク。バクはソコバクのバクに同じで、程度を表す。また、係助詞モの付いた「いくばくも」の形で下に打消の語を伴い、「いくらも(…ない)」など、数量が少ないことを表す用法も多く用いられる。
語釈 いくらぐらい。どのくらい。 ▷「わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし」〈万葉一六五八〉。

 用例の万葉歌は巻第八巻末冬相聞九首中の一首で光明皇后が夫聖武天皇に奉った歌。東国巡幸で不在の天皇を想って平城京で詠まれたと推察される。天平十二年(七四〇)から十三年にかけての冬の詠か。第三句原文は「幾許香」。岩波文庫版の注には「漢文訓読調の硬い表現であったかも知れない」とある。伊藤博『萬葉集釋注』は「皇后であることを捨てて一人の女性になりきっているところに、やさしくて可憐な姿がある」と評す。天平十二年冬の歌と見れば、皇后は時に四十歳であった。