内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(4)人間はワイングラスよりも壊れやすい。ゆえに、今を措いて時はなし

2024-11-14 08:02:10 | 哲学

 ジャン=ルイ・クレティアンを読んでいて楽しいのは、西洋思想史全体を覆うその無双の博覧強記が可能している縦横無尽な引用である。クレティアン自身の主張には納得できない箇所でさえ、そのなかの引用にはクレティアンの意図を超えた内容が含まれていて、それをこちらで勝手に引き出すために夢想に耽るのも楽しい。
 アウグスティヌスはクレティアンにとってもっとも重要な神学者・哲学者・思想家・著作家であり、アウグスティヌスを中心とした著作も多い。Fragilité でももっとも多く引用されている著作家である。その引用箇所の一つが説教XVIIからのそれである。

« Est-ce que nous ne portons pas nos périls avec nous dans cette chair qui est la nôtre ? Est-ce que nous ne sommes pas plus fragiles (fragiliores) que si nous étions de verre ? Le verre, en effet, même s’il est fragile, dure pourtant longtemps si l’on fait attention à lui : tu peux bien voir des coupes, venues des grands-pères et des arrière-grands-pères, où boivent leurs petits-fils et leurs arrière-petits-fils. C’est au long de bien des années qu’une si grande fragilité a été protégée. Mais nous autres hommes, c’est au milieu de bien des périls quotidiens que nous cheminons fragiles. » (p. 58)

 この「グラスよりも壊れやすい人間」というイメージは、アウグスティヌスの他の説教にもさまざまなニュアンスのヴァリエーションを伴いながら繰り返し登場する。クレティアンにとってもお気に入りのイメージの一つのようである。
 このイメージ、ロジックとしては簡単に難癖をつけられるが、レトリックとしては印象深い。グラスはそれにふさわしい慎重な扱いをすれば何世代にもわたって受け継がれ得るものであり、祖父あるいは曽祖父がワインで唇を濡らしたグラスで孫あるいは曾孫が酒杯を傾けることもできる。壊れやすいグラスはかくしてそのままの姿で守られ、使われ続けることできる。それに対して、私たち人間は日常的に多くの危険に曝されて生きていかなくてはならない。いつ壊れてしまうかわからない。
 しかし、グラスも人間もいつ壊れてしまうかわからないという点では同じである。両者の違いは、それらから守らなくてはならない危険の多さとそれらへの対処の難しさ、人間の場合はその身を滅ぼす危険が己のうちにもあること、そして何よりも個々の人間の生の本来的有限性にある。そうであるからこそ、いつ壊れてしまうかわからないという人間の本性が今この時を無駄に過ごしてはならないという倫理的帰結をもたらし得る。
 この「今をおいて時はおそらくなし」という姿勢の真逆の姿勢を示すフランス語が procrastination という言葉である。「一日延ばし」「先延ばし」という意味である。ルネッサンス期にラテン語 procrastinatio から生まれた言葉で、初出は16世紀前半。17世紀から18世紀にかけてはほとんど使われず、19世紀になって教育の分野で、戒めるべきこととして使われるようになる。20世紀に入って「エレガントな」文章語となる。プルーストの『失われた時を求めて』に数例見出すことができる。

Les difficultés que ma santé, mon indécision, ma « procrastination », comme disait Saint-Loup, mettaient à réaliser n’importe quoi, m’avaient fait remettre de jour en jour, de mois en mois, d’année en année, l’éclaircissement de certains soupçons comme l’accomplissement de certains désirs.

À la recherche du temps perdu, « Bibliothèque de la Pléiade », tome IV, 1989, p, 95.

私の健康状態、私の優柔不断、サン・ルーが言っていた私の「先延ばし」(癖)が何を実現するのも困難にしていたが、その困難がある疑念の解明やある願望の実現を、日々、月々、年々と、私に先送りにさせていた。

 耳に痛く響くエレガントな言葉である。クレティアンのおかげで出逢うことができたこの言葉、多分一生忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(3)Fragilité はホラー映画の襲撃者のように私たちにつきまとう?

2024-11-13 13:59:59 | 哲学

 今日は軽く流す。
 Jean-Louis Chrétien et la philosophie には « Sens et forme de la fragilité. Entretien avec Jean-Louis Chrétien » と題された談話(2018年に Esprit 誌に掲載)が収録されている。そのなかでクレティアンは、Michaël Fœssel と Camille Riquier の質問に答える形で、前年に刊行された Fragilité の内容について詳細に語っている。
 興味深い内容ではあるが、なんか反発を覚える箇所が多くて、読んでいて楽しくない。その反発の由来を一言で言えば、ここまでして fragilité を人間存在の根本様態に祭り上げる必然性がどこにあるのかという疑問である。彼が返す刀で他の類義語を撫で斬りにすればするほど、自身の論拠が掘り崩されるばかりで、結果として議論が破綻しているようにしか私には見えないのである。
 その反感をなんとか抑え込んで彼の言わんとするところを捉えようとはしている。一つのイメージは掴めた。外部からのあらゆる襲来に対して何重にも厳重に守られた城館のなかに身を潜めていたとしても、人間存在が fragile であることには何ら変わりはない、というイメージである。この点では、確かに vulnérable(=v) とは違う。自分がそれに対して v であるものから自分を守る、遠ざけることはできるからである。しかし、たとえそうだとしても、何かに対して v であるという性質に変わりはない。
 面白いと思った喩えを一つ紹介する。F から逃れようよしても無駄であるということを説明するくだりでホラー映画が喩えとして使われている(p. 147)。自分に襲いかかろうとするものから必死になって逃れようとしてある部屋に逃げ込み鍵を掛けたところ、その部屋のなかに当の襲撃者がいることに気づくのと同じように、F はどこまでも私たちにつきまとうというのである。
 これは確かに怖いかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(2)F の哲学と V の倫理を相補的に読む試み

2024-11-12 08:26:43 | 哲学

 諸般の事情で毎日連載というわけにはいかないが、これから「壊れやすさ fragilité」と「傷つきやすさ vulnérabilité」についてかなり長期にわたって断続的に考えていくにあたって、いくつか約束事を決め、若干の予備的考察を示しておきたい。
まず、同じ言葉を繰り返す煩瑣を避けるために、簡略な記号を用いることにしたい。
「壊れやすさ」は F(=fragilité) あるいは f(=fragile)、「傷つきやすさ」は V(=vulnérabilité)あるいは v(=vulnérable) とする。大文字は一般概念・集合全体・範疇等を指し、小文字は特定の分野・領域あるいは個々の事例等を指すときに使う。
 昨日の記事のなかで立てた仮説を記号化すると、F∪V が問題の全領域(和集合)、F∩Vが両者の共通集合(積集合)、両者の関係は F≠V、F⊄V、F⊅V となる。
 次に、手元の数種の辞書に採用されていた両語の用例から帰納的に導かれる両語間の弁別的差異を示しておく。
 どちらもそれ自体が積極的価値を意味することはない。しかし、f は他の積極的価値の可能性の条件となりうる。例えば、繊細な硝子細工の工芸品としての美しさは、壊れやすさと不可分である。硝子のかわりにプラスチックを使えば、作品は壊れにくくなるが、工芸品としての美的価値は明らかに劣る(したがって商品価値も著しく低下する)。ところが、v であることがなにものかの積極的価値の可能性の条件になることはない。ある積極的価値と v とが共可能であることはあっても、後者は前者の必要条件ではない。例えば、コンピュータは水に v であるが、そのこと自体がコンピュータの高機能性を可能にしているわけではない。言い換えれば、水にも v ではないコンピュータがあればそれに越したことはない。
 F はそのものそれ自体の性質を示すことが多いのに対して、V は他との関係性として述べられることが多い。例えば、ワイングラスが f であるというときは、グラスそれ自体が f だということが主たる問題なのであり、そのグラスがどのような衝撃に弱いか、どのような条件下でそうかということは副次的な問題に過ぎない。それに対して、戦争状態にある国の特定の地域が v であるということは、その地域が敵国からの攻撃に特に曝されやすいということと、同国の他の地域よりもそうだということとを同時に意味している。
 F と V との以上のような用例上の弁別的差異が、ジャン=ルイ・クレティアンの F の哲学とコリーヌ・ペリュションの V の倫理との間に見られる根本問題の設定の仕方の違いを明確化する一つの指標になると思われる。
 前者において、F は、個としての人間の存在条件として、多様な形象および表象を伴いつつ、西洋精神史において古代から現代に至るまで通底する本質的要素として考察されているのに対して、後者において、V は、多様で可変的、多層性を孕み、個々の閉鎖系を超え出る開放性を有した関係の束の結節点である人間(および他の生物)の存在様態として、個の実存の次元を超え、政治的・制度的な次元、生態系の次元にまで拡張的に適用される。
 F の哲学と V の倫理を相互に排他的な立場としてどちらか一方にのみ与するのではなく、両者を互いに相補的な哲学的考察として読んでいきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間の壊れやすさ(fragilité)と傷つきやすさ(vulnérabilité)― その現象学的人間学的考察(1)

2024-11-11 12:22:17 | 哲学

 日本語であれフランス語であれ、一般に意味領域が近接あるいは重なり合う類義語、または相互に交換可能な同義語として使われる語の間の区別と関係に注意深くあることは、それまではよく見えていなかった生活世界の分節構造を明確化することを可能にしてくれることがある。あるいは、体感としてなんとなく感じられていたに過ぎなかった内面世界の「地形」や「地層」やそれらの「変動」についてより明確な表現を与えることができるようになることがある。
 類義語間の差異を明確にするための手段として、語源への遡行、通時的変化の観察、統辞論的分析、適応可能対象の相違の例示、文法的機能の共時的差異の記述などが考えられる。これらの手段はそれぞれに有効性を有している。
 他方、類義語の間の語源的・通時的・共時的・意味論的・機能的差異に過度に固執することは、時として偽問題を発生させ、不毛な議論に時間を浪費するという危険も孕んでいる。この危険は哲学においてもっとも大きように私には思われる。
 類義語にまつわる上記のような問題はかねてより繰り返し考えてきたことであるが、ここ数日ジャン=ルイ・クレティアンの著作と昨日言及した記念論文集の数カ所を何度も読み返しながら、あらためて考えさせられている。
 というのも、2017年に Les Éditions de Minuit から刊行された Fragilité というタイトルの著作の冒頭で、クレティアンは fragilité と vulnérabilité とを次のように区別しようとしているのであるが(p. 7)、私にはそこにクレティアンらしからぬ「無理強い」を感じてしまったからである。

On peut se briser de soi-même, et non par un choc ou une agression venant d’ailleurs. C’est une différence notable au regard de la vulnérabilité, souvent confondue avec la fragilité, et aujourd’hui très à la mode, car est vulnérable ce qui peut être blessé, ce qui suppose une atteinte venant de l’extérieur. Seul le vivant, au sens le plus large, puisqu’on peut le dire d’un arbre, est au demeurant susceptible d’être blessé, alors que « fragile » peut qualifier des êtres inanimés. Le verre sera notoirement dans le langage et la tradition le paradigme de la fragilité.

 しかし、外部からの衝撃なしに「自壊」するグラスなどない。外的要因の有無によって fragilité と vulnérabilité とを区別することはできない。クレティアン自身、上掲引用の直後の段落(p. 7-8)でこう述べている。

Est commun toutefois à ces deux termes de « fragile » et de « vulnérable » qu’ils désignent une possibilité inscrite dans la constitution propre de l’être en question, et qui ne cesse de lui appartenir, quand bien même elle ne serait pas passée à l’acte ou mettrait très longtemps à le faire.

 どちらの語も、それが適用される対象にとっての内在的な可能性(‐やすさ)を意味している。この可能性は、そのもの(人間およびその他の生物、制度、機械類、状況等も含まれる)にとって恒常的かつ不変的な性質のこともあれば、なんらかの内的あるいは外的変化が要因となって生じる一時的状態のこともある。例えば、国家間の緊張が高まり、それまでの均衡が危うくなったとき、 équilibre fragile (あるいは fragilisée)という表現がよく使われる。あるいは、何らかの内的あるいは外的要因によって免疫力が低下して、あるウイルスの侵入を防ぐことができなくなった生体について devenir vulnérable と言う。
 しかし、両語が適用される対象を広範な多領域に亘って横断的に考察することがここでの目的ではない。考察対象は人間存在に限定される。生物学の対象としてのヒトも生理学の対象としての免疫システムも考察から除外される。もっぱら人間存在の恒常的条件(condition permanente)としての「壊れやすさ fragilité」と「傷つきやすさ vulnérabilité」とに考察対象を限定する。
 考察の出発点として、この二つの存在条件は、互いに排他的でもなく、どちらかが他方に内包されるのでもなく、還元されるのでもなく、いずれも人間存在にとって本来的(authentiques)であり、他のなにものかに還元不可能な基礎的条件である、という仮説を立てる。
 この現象学人間学的考察を進めていくにあたって、私の導き手であり、かつ、身の程知らずを承知で言えば、対話の相手でもあるのは、ジャン=ルイ・クレティアン(1952-2019)とコリーヌ・ペリュション(1967-)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すべての言葉は「応え」である ― ジャン=ルイ・クレティアンの哲学

2024-11-10 12:52:23 | 哲学

 ジャン=ルイ・クレティアンは自らの哲学的企図全体の導きの糸は une phénoménologie de la parole であるという。これを「言葉の現象学」と訳してしまうとクレティアンの意図が誤解されてしまうかも知れない。クレティアンが探究してきたのは、言語を対象とした現象学的研究ではないからである。私としては、そう訳したからといってクレティアンの意図がより明瞭になるわけではないことは承知のうえで、あえて「言なりの現象学」と訳したい。この「言なり」には「事なり」と「異なり」というもう二つの意味が込めてられている。あるいは、言語活動と区別して「コトバ」を世界の根源的分節化(作用)とする井筒俊彦に倣って、「コトバの現象学」と訳したほうがよいかもしれない。
 余談だが、先週の日本思想史の授業で、言・事・異という三つの「こと」成りの現象としての不可分性に私自身の哲学的方法論の基礎があるという話をした。つまり、日本学科の学生たちに哲学講義をするという暴挙に出たわけである。たちどころに抗議の声があがるかと思いきや、まことに意外なことに、少なからぬ学生が強い関心を示し、必死にノートを取っていた。ノートもなしに早口で話していると、「先生、いまのところもう一度お願いします」と頼まれ、「いや、まったく同じことはもう繰り返せないよ。ちょっと待って」と少し考えて再定式化し、今度は学生たちが書き取れるようにゆっくりと説明した。とはいえ、いくら彼らが関心を持ってくれたとしても、学期末試験の際、「三つの「ことなり」の区別と関係について説明せよ」などという出題は厳に慎むつもりである。
 さて、クレティアンである。彼は「言なり/コトバの現象学」について、今年出版されたクレティアン記念論文集 Jean-Louis Chrétien et la philosophie (PUF, sous la direction de Camille Riquier) に収録された2013年の対談のなかで次のように述べている(p. 114)。

Laissez-moi saisir l’occasion de votre question pour dire que le fil conducteur de l’ensemble de mes écrits a été une phénoménologie de la parole, comme le lieu où tout sens vient au jour et se recueille. Cette parole est celle de la finitude, puisque même la parole de Dieu ne nous vient que dans celle des hommes. Je ne tiens pas la réponse comme un acte de parole parmi d’autres, puisque toute parole est responsive, au monde, aux autres, à Dieu, et cela même dans le monologue, qui a toujours un fond de dialogue. Dans son incarnation en tant que voix, la parole met en œuvre de sens le corps entier. Le corps humain est le porte-parole, même quand nous nous taisons, ce qui est aussi un des modes essentiels de la parole. Si la parole est responsive, nous ne parlons que d’être affectés, ce qui ne signifie pas pour autant que tout sens soit affectif.


 この発言にはクレティアンの哲学の根本的テーゼが凝縮されている。
 言葉(コトバ)はすべての意味が生まれる場所であり、そこで意味は思量される。すべての言葉は、有限なるものの言葉であり、神の言葉でさえ、それが人の言葉を通じて私たちに到来するかぎりそうである。すべての言葉は、世界への、他なるものたちへの、神への「応え」であり、たとえ独白であっても、それは何ものかへの「応え」であり、したがってその底には「対話」がある。言葉が声となって受肉されるとき、言葉は身体全体を意味として働かせる。人間の身体は「言葉持ち」(porte-parole を原義に忠実に訳すための私の造語。かつて万葉集を勉強していたとき、伊藤博先生が額田王のことを天皇に代わって歌を詠む「御言持ち歌人」と呼んでいたことにヒントを得た)であり、それゆえ、私たちが沈黙することも言葉(コトバ)の本質的なあり方の一つである。言葉が「応え」であるということは、私たちは何ものかに「動かされて」はじめて話す(あるいは黙する)、ということである。しかし、そのことはすべての意味が情動から生まれるということを意味するのではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近代における「自律」という「監獄」の誕生

2024-10-30 23:59:59 | 哲学

 メーヌ・ド・ビランが1815年に年間を通じて付けていた日記は、Marc-Antoine Jullien (1775-1848) が考案・刊行・販売した « Agenda général ou Mémorial portatif pour l’année 18 . . » に記されている。この日記帳の形態についてはアンリ・グイエがビランの『日記』第三巻の59‐62頁に詳述している。その記述には、ビランが実際に使った一冊が Grateloup の資料館(?)に保存されているとあるが現在もそうなのかどうかはわからない。Philippe Lejeune と Catherine Bogaert が編集した Un journal à soi. Histoire d’une pratique, Paris, Editions Textuel, 2003, p. 60-61 にジュリアン版 Agenda のファクシミリが収録されているらしいが未見である。
 マルク=アントワーヌ・ジュリアンについては、フランス語でも資料が乏しいのだが、なぜかウィキペディア日本語版には短いがわりとちゃんとした記述がある。しかし、残念なことに、彼がいわば教育家として活躍した1810年代以降についての記述はない。日記帳の考案・刊行・販売も教育を一つの「科学」にまで高めようというジュリアンの構想のなかで実行されたことで、ビランもこの時期にジュリアンと出会っているだけに、ビラン研究にとっては1810年以降のジュリアンの活動との関係が特に重要である。
 ビランはジュリアン版の日記帳の構成に必ずしも忠実に従っているわけではないが、1815年以後のビランの日記の構成のモデルになっていることは明らかである。
 このジュリアン版の日記は、一言で言えば、自己の日常生活の総合的な自己管理ためのツールとして考案された。
 その構成は6部からなる。第1部はいわゆる日々の記録で、その日その日の用事や予定を記す。第2部は出納帳(家計簿)、第3部はその日会った人物の記録、第4部は書簡のやり取り、第5部は読書記録、第6部は備忘録およびアイデア帳である。これらに月ごとの見返りと年間の見返りとが加わる。
 これらの記録が煩瑣にならず一日に10分程度で済むように、さまざまな略号を使用することをジュリアンは推奨している。例えば、その日の総合評価として p(進歩あり)s(停滞)d(後退)と記すとか、天気を19のタイプに分けてそれぞれにコードを与えることなどを提案している。
 これらの諸項目を総合的に日々管理し全体的な自己制御を行うという発想は、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが構想した刑務所施設パノプティコン(ミッシェル・フーコー『監獄の誕生』参照)の発想と軌を一にするものだという Philippe Lejeune と Catherine Bogaert の上掲書における指摘は大変興味深い(Claude Reichler, « Météores et perception de soi : un paradigme de la variation liée ». In La pluie et le beau temps dans la littérature française. Discours scientifiques et transformations littéraires, du Moyen Âge à l’époque moderne, Hermann, 2012, p. 228)。
 以上から、自己によって自己を管理するという近代的発想が「自律」という「監獄」を誕生させたと言うことができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


19世紀初頭の気象学の自然科学としての自立が到来させた「神なき」内面世界

2024-10-28 23:59:59 | 哲学

 特殊な装置を使用する場合や宇宙船・潜水艦あるいはそれに準ずる特殊な閉鎖空間を例外として、私たちは大気のなかでしか生きられず、常にある気候・天気・空模様の下で暮らしているのだから、それらからの直接的な心身への影響に恒常的に晒されている。これは人類の誕生とともに人間に与えられた生存条件である。
 しかし、それだけではなく、人間の自己認識は、それぞれの時代の気象に関する科学的知識・文化的表象・宗教的表象・民間信仰等によって規定されてもいる。
 この気象と自己認識との関係という問題は、フランスでは、歴史学、人類学、比較文学などの分野でよく研究されていて、気象学史および気象の科学的研究の成果をも視野に入れた人文科学における一つの重要な学際的研究領域を形成している。
 歴史学の分野からこの研究領域の発展に主導的な貢献をしているのがアラン・コルバンである。Le ciel et la mer, Flammarion, « Champs », 2019, 1re édition, Bayard, 2005(小倉孝誠=訳『空と海』藤原書店、2007年)は一般向けの一連の講演が基になっているので、気象研究が感性の文化と歴史にとってきわめて重要な要素であることがとてもわかり易く述べてある。
 邦訳のレビューによると、訳文も大変読みやすいようだ。それに、邦訳には原書には未収録の第4章「身体と風景の構築」と付録としてコルバンへのインタビュー「心性史から感性の歴史へ」(聞き手=イザベル・フランドロワ)も収録されている。
 第1章「天候にたいする感性の歴史のために」には、メーヌ・ド・ビランに言及されている箇所が一つだけある。それは、気象学に大きな進歩が見られた19世紀初頭に、心象の記述における気象記述言語のメタフォリックな使用や両者の単なるパラレリズムを超えた、両者の相互浸透的な関係が学的考察の対象になり始めたという文脈においてである。
 まさにこの問題を日記における哲学的考察の主要なテーマとしたのがメーヌ・ド・ビランなのであるから、この言及は当然のことである。それに、メーヌ・ド・ビランにおける気象と自己認識の関係は、コルバンもたびたび引用し、共著の協力者としてもしばしば登場する Anouchka Vasak が特に研究している重要なテーマの一つでもあり、昨日の記事で言及した2つの論文のうちの後者の筆者は彼女である。
 今日のところはその点は措くとして、私がコルバンの上掲のテキストでハッとさせられた一節のみを引く。

Surtout : s’arrêter à l’événement météorologique et à ses effets sur le moi, c’est délimiter un territoire privé, à l’écart ou, tout au moins, en bordure de la scène historique ; c’est se construire un monde à usage interne ; c’est laïciser le temps. 
                                           A. Corbin, op. cit., p. 28.

 迂闊と言えば迂闊な話なのだが、この引用の最後の文に使われている動詞 laïciser(非宗教化する、世俗化する、宗教から分離する)にハッとさせられたのである。つまり、17世紀にすでにその端緒が見られ、18世紀に啓蒙思想家たちによって「お墨付き」をもらっていたこととはいえ、気象現象の科学的考察および宗教(特にキリスト教)的解釈からの分離が、気象学が学問として自立する19世紀初頭に決定的となり、気象現象が影響を及ぼす個人の内面空間が「世俗化」され、それとして学的考察対象となったということに、この動詞一つによって今更ながら気づかされた、という間抜けな話である。
 「神なき」内面世界の到来という精神史の転換期という文脈のなかでメーヌ・ド・ビランの哲学的探究は展開される。その限りにおいて、そこに「超自然的恩寵」が到来しないことは論理的に必然的な帰結であると言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メーヌ・ド・ビランの哲学をその〈外〉へと開き、その〈外〉から考察する手がかりとなる2つの論文

2024-10-27 17:00:18 | 哲学

 メーヌ・ド・ビランを哲学者として研究対象としたモノグラフィーはフランス語圏でもさほど多くはなく、1948年に出版されたアンリ・グイエのビラン研究から数え始めても主要な著作に限れば十指で足りるのではないかと思う。
 パスカル生誕400年であった昨年2023年には、特に目立った出版物に限っても優に10冊を超える研究書や伝記が刊行されたことと引き比べると、フランス哲学史におけるビランの影は薄いと言わざるを得ない。フランス哲学史をひととおり学んだ人たち以外にはフランスでもその名さえほとんど知られていない。
 ところが、面白いことに、哲学書以外でその名をときどき見かけることがある。管見によると、それは主に三つのテーマに関わる。フランス近代における、特に19世紀最初の四半世紀における、日記の歴史、感情の歴史、気象と生理の関係研究史というテーマである。これらのテーマのいずれかを扱った著作にビランの名前が出てくることがある。そして、ビラン研究にとって重要なことは、この三つのテーマはビランその人において重なり合っているということである。
 例えば、La pluie et le beau temps dans la littérature française. Discours scientifiques et transformations littéraire, du Moyen Âge à l’époque moderne, sous la direction de Karin Becker, Hermann, 2012 というとても面白いテーマをめぐる論文集があるが、収録された21本の論文のうち2つがメーヌ・ド・ビランをかなり詳細に取り上げていて大変興味深い。タイトルはそれぞれ、« Météores et perception de soi : un paradigme de la variation liée »、« Naissance du sujet moderne dans les intempéries : météorologie, science de l’homme et littérature au crépuscule des Lumières » である。
 この2つの論文の筆者はどちらもフランス文学研究者であり、その論文には哲学論文では扱われることのない論点についての考察が示されている。前者は、ビランの日記の記述スタイルと内容とが当時発明され社会的に流行した自己管理のためのシステムダイアリーの形式とどのような関係にあるかが問題にされ、後者では、当時の自然科学(特に気象学と生理学)の進歩とビランの自己観察とがどのような関係にあるかが考察されている。どちらもビランの日記と当時の一次資料に基づいた実証的な歴史研究になっている。
 ビランの哲学は哲学史において「分類できない inclassable」と形容されることがある。哲学史内部にとどまるかぎり、そのような評言はそれとして理解できる。しかし、ビランの哲学をよりよく理解するためには、哲学としてのレッテル貼りはひとまず留保し、ミッシェル・アンリのビラン論は括弧に入れ(「封印しろ」とは言わない)、ビランが生きた時代の政治状況・社会的変化・自然科学の躍進等を考慮に入れる哲学の〈外〉への眼差しとそれらの視角からビランの哲学を考察する〈外〉からの眼差しとの両方が必要だと私は考える。
 そのために上掲の2つの論文は有力な手がかりを与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「自己」の外なる「内なる無辺の大地」に自ずと実る智慧を待ち望み続けた哲学者

2024-10-26 23:59:59 | 哲学

 Jean-Louis Chrétien (1952 - 2019) は私にとってもっとも大切な哲学者の一人であり、ちょうど二十年前に読んだ Promesses furtives (Les éditions de Minuit, 2004)、そのなかでも特に第6章 Trouver et chercher はいまだに汲み尽くせぬ思索の源泉の一つであり続けている。
 その章のなかにメーヌ・ド・ビランが引用されている箇所がひとつだけある。それは、問題の解答を知的な「努力」を払って探すのではなく、問題そのものが自分のなかでいわば時熟するのを待つとき、その結果として最も良い解答が自ずと得られるというハーバート・スペンサーの経験談を取り上げた段落に引き続く段落のなかである。
 この時熟の待機は、夢想的な受動性のなかで僥倖を期待することではない。そうではなく、私たちのなかで問題が徐々に成熟するにまかせるとき、その問題を解決するための私たちの能力もそれに応じて成熟していくことである。メーヌ・ド・ビランが1816年6月22日の日記に記していることも同様の経験を語っているとクレティアンは言う。クレティアンが部分的に引用している当該の段落の全文を読んでみよう。

Je reconnais quelque progrès à mesure que j’avance dans la vie, en ce que je trouve simples et naturelles des idées auxquelles je ne me serais élevé autrefois que par effort. On peut reconnaître les hommes vraiment habiles et maîtres de leur sujet au ton de simplicité et de bonhomie qu’ils mettent dans leurs discours ; ces grands élans, ces airs de prétention, ce charlatanisme de mots pompeux, cette artificieuse éloquence, tout ce qui en impose aux sots s’allie le plus souvent avec le vide des idées et la plus grande ignorance. Quel homme d’esprit et de vraie science peut s’applaudir ou s’enorgueillir en lui-même de ce qu’il sait et conçoit avec facilité des idées communes les plus familières ? Quand une âme est élevée et qu’un esprit est vraiment éclairé, les grandes pensées, les idées profondes y germent naturellement : c’est le produit spontané du sol, et la spontanéité exclut tout sentiment d’effort, tout mérite d’une difficulté vaincue. (Journal, tome I, p; 149)

 かつては「努力」によってようやく到達できた考えが今では単純で自然だと思えるとき、私は自分の人生におけるいくらかの進歩を認める。真に己が扱う主題に熟達している人たちは、そのスピーチの単純で親しみやすい調子で分かる。大げさで、これ見よがしの、手の込んだ饒舌、愚かな人たちを圧倒しようとするあらゆる手管は、ほとんどの場合、そのように披瀝された考えが実は空っぽでどうしようもない無知の結果にほかならないことを示している。真の学識を備えた精神の持ち主は自分がほんとうによく知っていることなどわざわざ自慢しようとするだろうか。魂が高められ、精神が真に光に照らされているとき、偉大なる思想や深遠な考えはそこに自然に芽吹く。それは大地のおのずからなる実りであり、その自発性には、努力の感情は微塵もなく、困難を克服した功績の欠片もない。
 このような実りが己のうちに自ずと熟したことが確認できたとき、人はそれを自分の手柄とするのではなく、その「自然の実り」とそれを恵んでくれたものに感謝を捧げるはずである。
 ビランは、「内部世界」で己の努力によって何かを獲得しようとしたのではなく、直接与えられる自己触発的な内感の確実性をそこに発見したのでもなく、外界から独立した精神の自由を確保しようとそこに立てこもったのでもなく、「自己」の外なる未踏の「内なる無辺の大地」を探索し、そこに自ずと実る智慧を注意深く待ち望み続けた哲学者であったように私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メーヌ・ド・ビランの公生涯と内省との間の振り幅、精神の世界の広がりと深さ

2024-10-25 23:59:59 | 哲学

 メーヌ・ド・ビラン(1766‐1824)はナポレオン一世(1769‐1821)と同時代人である。フランス革命時には、王党派軍人としてヴェルサイユ宮殿の防衛に当たり、九死に一生を得る。その後三年間パリで過ごし、先祖代々の領地があるベルジュラックに戻り、そこから彼の政治家としての生涯が始まる。
 人前で話すのが苦手だった(声が弱々しく、議会での演説を代読してもらうほどであった)にもかかわらず、波乱に満ちた時代状況であったにもかかわらず、政治家として出世の階段を上り、国会議員、国務顧問官などの要職を歴任する。
 ナポレオンがエルバ島を脱出し、パリへと向かっているとき、ビランはパリからそれを知らせる手紙を受け取る。その日1815年3月12日の日記にビランはこう記している。

Journée pluvieuse. J’étais tranquillement établi dans mon cabinet solitaire, relisant mes manuscrits métaphysiques, lorsque je fus interrompu à 3 heures par la réception du courrier de Paris. J’achève une note que j’avais commencée et j’ouvre ensuite une lettre qui m’apprend que Bonaparte est en France, que les Chambres sont convoquées et que je dois me rendre tout de suite à mon poste. À l’instant il se fait une révolution dans tout mon être. Je passe rapidement du calme le plus profond à l’agitation la plus vive ; ma tête s’égare, mon estomac se ferme ; je dîne à la hâte et j’ordonne mes préparatifs pour le lendemain.

一日雨模様。 独り書斎で静かに座り、形而上学草稿を読み直していた。午後三時、パリから受け取った手紙で中断させられる。 書きかけのメモを書き終え、手紙を開くと、ボナパルトがフランスにいること、議会が召集されたこと、そして自分の職場に直ちに向かわなければならないことを知る。 その瞬間、私の全存在が覆される。私は最も深い静寂からこの上ない動揺へと急転する。 頭がふらつき、胃が締めつけられる。急いで夕食をとり、翌日の出発の準備を命じた。

 ビランの人生の振り幅の大きさを示す一事例だが、当時としても、いやたとえ今日であったとしても、哲学者としては例外的な生涯をビランが送ったことがそこからわかる。孤独な哲学者の形而上学的内省と波乱含みの政治的生涯との間の振り幅、そのなかで綴られた日記の中に表された精神の揺曳と錯綜する思索、同時代の称賛を受けた受賞論文、出版に至らずに残された膨大な草稿、最晩年の魂の苦悩と絶望、そして超自然的な恩寵の待機、これらをすべて視野に収める研究としてはいまだにアンリ・グイエの Les conversions de Maine de Biran (Vrin, 1948) を超えるものはない。
 ただ、今年、ビラン没後二百年ということもあるのだろうが、Emmanuel Falque の Spiritualisme et phénoménologie. Le cas de Maine de Biran (PUF) という注目すべき一書が出版された。まだ拾い読みしただけだが、ミッシェル・アンリが造り上げたビラン像に対する徹底したアンチテーゼを全編にわたって展開している。明日からの万聖節の休暇中に少し腰を据えて読んでみようと思う。