内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」の確実性の経験 ― シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』より

2024-06-09 14:15:22 | 哲学

 昨日の記事のなかに引用したシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の一節は、「浄めるものとしての無神論」(L’athéisme purificateur)と題された章のはじめのほうにある。その章の冒頭の断章は、一九四七年にプロン社から刊行された初版とガリマール社の『シモーヌ・ヴェイユ全集』(全一六巻)の「雑記帳(カイエ)」全四巻の第二巻の当該箇所との間で若干の異同がある。後者を引用しよう。

Cas de contradictoires vrais. Dieu existe, Dieu n’existe pas. Où est le problème ? Nulle incertitude. Je suis tout à fait sûre qu’il y a un Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que mon amour n’est pas illusoire. Je suis tout à fait sûre qu’il n’y a pas de Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que rien de réel ne ressemble à ce que je peux concevoir quand je prononce ce nom, puisque je ne peux pas concevoir Dieu. Mais cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion — Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence. 
                                Œuvres complètes, vol. VI, Cahiers, tome II, p. 126.

 下線を引いた部分がプロン社版(ティボン版)では削除されている。ヴェイユから「雑記帳」を託されたギュスタヴ・ティボンはどのような理由で上掲三箇所を削除したのか。ティボン版は「カトリック的」な主題が前面に押しだされていると言われる。言い換えれば、「反カトリック的」な言辞は削除されるか、弱められるか、改変されている。この引用の中では、神を構想することの不可能性とその確実性に関わる言辞が削除されている。
 岩波文庫版の冨原真弓訳はガリマール版に依拠して、ティボン版の削除箇所のうち、ダッシュ以下の一文のみ復元して当該断章を次のように訳している。

真正な矛盾の例。神は実在する、神は実在しない。問題はどこにあるのか。わたしは神の実存を迷わず確信する。わたしの神への愛が幻想ではないことを確信するがゆえに。私は神の実存はありえないと迷わず確信する。実在するものがなにひとつ、この名を発するときにわたしが構想するものと似ていないことを、迷わず確信するがゆえに。だが、構想できなくても幻想ではない。構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ。

 なぜガリマール版の本文をそのまま全部訳さず、一部のみ復元したのか、その理由は示されていないのでわからない。
 以下、冨原訳についての私の小さな疑義を列挙する。しかし、それは、細部を論ってこの優れた労作を貶めたいからではなく、疑義にできるだけ正確な表現を与えることを通じて、この断章でヴェイユが言いたいことに迫りたいからである。
  まず、一切の不確実性を強く否定している表現である « Nulle incertitude »(いかなる不確実性もない)を訳さなかったのはなぜか。
 この表現のあと、ヴェイユは « je suis tout à fait sûre » という表現を立て続けに四回使う。冨原訳は四回中三回「迷わず確信する」と訳し、一回だけ「確信する」とだけ訳している。
 それは措くとして、「確信」という訳語は適切だろうか。この語の一般的な用法として、例えば、「勝利を確信する」「やつが犯人だと確信する」などと言うとき、「まだそのことが現実には最終的に確定していないが、自分としてはもはやそれを疑いえないほど信じている」ということを意味する。
 しかし、ヴェイユが « je suis tout à fait sûre » と繰り返すとき、それは、まだ最終的に実現されていないことについての単なる主観的な確信の表明ではなく、疑う余地も迷う余地もなく、論証というプロセスも経ることのない直接的な「確かさ」の経験の言明ではないだろうか。だからこそ、「真正な矛盾」は « Nulle incertitude » だとまずきっぱりと記したのではなかったか。
 「神への愛」は、神の実在がまず確信されてから生まれるのではない、それは神の実在の「結果」でもない、真なる愛はそれ自体において疑う余地のない確実性の経験なのだ、とヴェイユは言いたかったのではないだろうか。
 他方、わたしが自力によって構想可能なすべては神ではない。神はわたしによって構想されうるいかなるものとも似ていない。 « Réel » は「実在するもの」だろうか。これは日本語に訳するときに仕方のない面もあるが、「在」という漢字に私は引っかかってしまう。「在る」かどうかではなく、「現‐実」であるかどうかがここでの問題だと思うからである。
 « Cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion » を「構想できなくても幻想ではない」と訳すのは適切であろうか。むしろ、「わたしは構想できないという、そのことは、幻想ではない」と訳すべきではないだろうか。つまり、神の構想不可能性は疑う余地がない、という確実性の「わたし」における経験をこの一文で表現しているのではないであろうか。
 ダッシュ以下の最後の一文 « Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence » は、「構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ」と訳されている。しかし、「構想できないという感覚」の「感覚」に対応する語は原文にはない。それは当然のことで、この « impossibilité » は、感覚・感性・感情の媒介に依ることなく、原事実として直接(無媒介的に)わたしに与えられているからである。
 神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」は同じ一つの確実性「インマヌエル」の両面であるということをこの断章は凝縮された対偶的表現を中心にして示していると私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


台湾の大学に留学中のボルドー大学の中国学科の学生と京都学派の哲学についてZOOMで話す

2024-04-20 07:42:13 | 哲学

 現在台湾の大学に留学中だというボルドー大学中国学科修士二年の学生から先週突然メールが届いた。ボルドー大学日本学科の先生からの紹介だという。準備している修士論文は『荘子』「斉物論篇」を対象とし、その読解の手がかりとして西田哲学がますます自分にとって重要になってきたので、助言がほしいという主旨であった。
 メールの短い文面からだけでは、本人の意図していることがよくわからなかったのだが、「喜んで相談に乗りますよ」とすぐに返事を送った。ただ、辞書項目の執筆ですぐには時間が取れないから、一週間ほど待ってもらうことにした。
 幸い、今週火曜日に大項目「形而上学/第一哲学」の第一稿(日本語に訳せば、四〇〇字詰め原稿用紙で三〇枚くらいになり、これはもう制限字数大幅超過だから、後日大鉈を振るって削らなくてはならないだろうけれど)が一応書き上がり、編集責任者に送信できたので、今週後半なら少し時間が取れると水曜日に連絡した。で、昨日金曜日にZOOMで話し合うことになった。こういう場合、テレビ会議ツールはほんとうに威力を発揮してくれる。お互い移動することもなく、話し合いそのものだけの時間を確保すればよい。その前後の仕事への影響も極小で済む。それに、まずは学生の話を聴かないことにはどう助言すればいいかもわからないから、こちらの方であらかじめ準備のしようもない。
 面談はこちらの時間で午後一時(台湾とは六時間の時差があるからから、むこうにとっては午後七時)から始まった。
 話を聴いてみると、意志の問題についての哲学的関心から『荘子』を研究対象にしたいことはわかったが、まだ研究方法も定まっていないし、指導教官は哲学が専門ではなく、そもそも中国学科で哲学的な問題を主題にすることは難しいようで、どう助言すればいいのかよくわからず、困惑してしまった。可能なアプローチについてあれこれ話しているうちに、話がどんどん広がっていって、話を具体的に研究の出発点に引き戻すのに一苦労した。ようやく話が一段落したと思ったら、西田の行為的直観について私が書いた論文について質問がいくつかがあると言うので、それらに一つ一つ答えていった。簡単には答えられないような大きな問題もあり、一通り説明するだけでもえらく時間がかかった。
 論文の書き方についてとても参考になったと本人は大いに喜んでくれたからよかったものの、これはまだまだ前途遼遠であると言わざるをえない。最後は、先日の台湾の地震の話や冬休み中にした日本旅行の話など、研究を離れた雑談になった。面談はニ時間に及んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


精神医学における institutionnel とはどういうことか

2024-03-28 23:59:59 | 哲学

 小学館ロベール仏和大辞典に拠ると、institutionnel という形容詞には二つの意味が挙げてある。「制度(上)の;制度化した」という意味と「(病院、学校などの)制度そのもののあり方を問う」という意味である。後者の意味で用いられるようになったのは1960年頃から精神医学の分野でのことである。文脈によっては、既存の制度を問い直すという意味でも使われるから、その場合、前者の意味とほとんど対立することになる。にもかかわらず「制度的」と訳してしまっては誤解を生んでしまう。「制度論的」と訳すことによってその誤解を回避することはできるとしても、何が問題なのかわわからないままである。
 Le Grand Robert は心理学用語として « qui concerne l’influence exercée par les groupes sociaux (famille, structure sociale) sur le développement de la personnalité » という語釈を与えている。ただ、これだけでは、どうしてそういう意味で用いられるようになったのかよくわからない。その欠を補っているのが以下に引用する用例である。

On peut distinguer deux grands types de caractérologie, l’une constitutionnelle, qui s’intéresse surtout à la constitution d’un individu et aux facteurs innés, l’autre institutionnelle qui s’intéresse surtout à l’histoire d’un individu et aux facteurs acquis. La première est à orientation biologique, la seconde à orientation sociologique. On peut appeler névroses institutionnelles celles qui apparaissent comme le développement d’un complexe, cristallisant un certain type de rapports entre l’individu et un groupe qui est généralement mais non toujours la famille. Ce groupe des névroses institutionnelles, qui est d’une grande importance en caractérologie clinique, s’oppose au groupe des névroses événementielles qui apparaissent comme la conséquence d’un événement plus ou moins fortuit, d’un accident, d’un traumatisme.

Jean DELAY, Introduction à la médecine psychosomatique, 1961, p. 87-88.

 この引用に出てくる constitutionnel という形容詞は、性格学の分野で「体質の、体質による」という意味で使われる。引用文によれば、個人の体質と先天的要因に特に関心を払うタイプの性格学をこう呼ぶ。それに対して、institutionnel な性格学は、個人史と獲得形質に特に注目する。前者が生物学的指向であるのに対して、後者は社会学的指向である。神経症が institutionnel であると言われるとき、その神経症は、感情の複合体の発展として発現し、個人とその個人が属するグループ(多くの場合家族だが、つねにそうとは限らない)とのある関係の型を固定化する。この神経症のグループは、臨床性格学において大きな重要性をもっており、他の神経症のグループである遇発神経症と対立する。遇発神経症は、多かれ少なかれ偶発的な出来事、事故、心的外傷の結果として発症する。
 この説明を前提とすると、institutionnel は「(社会)関係論的」と訳したほうが問題の所在についてより明示的であり、いらぬ誤解を回避することができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


魂へのケアとしての哲学

2024-03-17 15:19:18 | 哲学

 「ケアの倫理」という表現は近年日本語でもよく見かけるようになったが、「ケアの哲学」という表現はそれほどでもないようだ。
 私がここでいう「ケアの哲学」とは、ケアとは何かという哲学的な問い、種々のケアについての哲学的考察という意味ではない。ケアをその核心とした哲学という意味である。何をケアするのか。魂である。
 ソクラテスの哲学は、まさに魂へのケアである。実際、『ソクラテスの弁明』の英訳では、原文の動詞 ἐπιμελέομαι に対してcare about という訳語が用いられている。日本語では「配慮(する)」と訳されることが多いようだ。
 『ソクラテスの弁明』のなかで、ソクラテスが法廷においてアテナイ人たちに向かって、たとえ死刑になるとしても自分がなぜ知を愛し求めることを止めないのか説明している箇所を読んでみよう。それは端的な「哲学宣言」にほかならない。光文社古典新訳文庫の納富信留訳を引用する。

アテナイの皆さん、私はあなた方をこよなく愛し親しみを感じています。ですが、私はあなた方よりもむしろ神に従います。息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめませんし、あなた方のだれかに出会うたびに、勧告し指摘することをけっしてやめはしないでしょう。いつものように、こう言うのです。
「世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは」と。
 もしあなた方のだれかがこれに反論して、自分はきちんと配慮していると主張したら、私はその人をすぐに立ち去らせることなく、私も立ち去らずに彼を問い質して、吟味して論駁することでしょう。もしその人が徳を備えていないのに、もっていると主張しているように私に思われたら、もっとも価値あるものを少しも大切にせずにくだらないものを大切にしていると、その人を非難することでしょう。このことを、若者でも年長者でも、私は出会った人に行うのです。他所の人にも街の人にも行いますが、私に生まれが近い分、この街の人々により一層そうするでしょう。
 これは神が命じておられることなのです。よくご承知ください。そして、私の神に対する奉仕ほど大きな善は、このポリスであなた方にはまだ生じていないと、私は考えるのです。そう言いますのは、私は歩き回って、あなた方の中の若者であれ年長者であれ、魂を最善にするように配慮するより前に、それより激しく肉体や金銭に配慮することがないようにと説得すること以外、なにも行っていないからです。こう言ってです。
「金銭から徳は生じないが、徳にもとづいて金銭や他のものはすべて、個人的にも公共的にも、人間にとって善きものなるのだと」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ケア」という言葉の普及とその背景について

2024-03-12 13:09:09 | 哲学

 「ケア」という言葉が日本社会で一般に広く使われるようになったのはいつのころからなのか、正確なところはよくわからないが、『新明解国語辞典』(第八版、二〇二〇年)の第二の語釈「老齢者・身体障害者・病人や精神的ショックを受けた人などに対する支援や介護・看護」という意味で広く使われるようになったのは比較的最近のことなのではないだろうか。
 この意味での「ケア」は、医療の現場での多かれ少なかれ専門性を前提とする介護や看護という意味での用法よりもはるかに広い範囲にわたって使われるようになっている。この広義の「ケア」にピタリと対応する日本語がないから、「ケア」という英語がそのまま使われているのだろう。
 他方、介護保険制度の施行とともに、「ケア‐プラン」「ケア‐マネージャー」等の和製英語が生まれ、それも「ケア」という言葉の普及に拍車をかけたということもあるだろう。
 「ケア」という言葉は、場合・場面に応じて、「手入れ」「手当て」「管理」「心づかい」「配慮」「世話」「気にかけて対応すること」等の意味で使われるが、人に対するケアという広義で使われるようになったことは、災害等で大きなショックを受けている人に「寄り添う」という動詞が頻繁に用いられるようになったこと、介護を巡る諸問題がメディアでクローズアップされるようになったこと、性的マイノリティーに対する差別が社会問題として取り上げられるようになったこと、様々な社会的弱者の厳しい現実が広く知られるようになったことなどと無関係とは思われない。最近メディアでよく目にする「ヤングケアラー」という言葉も広義の「ケア」の普及を前提としている。
 それだけではなく、何らかのケアを必要とする人とそのケアを実行する人という一方通行的な枠組み自体が問い直され、人と人との基本的な相互関係性としてのケアということが倫理学の問題として取り上げられるようになっていることも、広義の「ケア」に関連する諸問題と連動していると思われる。
 フランス語にも実は英語の「ケア」にちょうど対応する語がない。十数年ほど前から、care という英語をそのまま使っている出版物が目立って増えている。Care Studies というタイトルの叢書さえPUFから刊行されている。
 Care の倫理が正面から取り上げられるようになったのは、一九八二年にキャロル・ギリガンの In a different voice(日本語訳『もうひとつの声で──心理学の理論とケアの倫理』風行社、二〇二二年)が出版されてからのことで、そのフランス語訳は四年後の一九八六年に出版されている。これはフランスの慣例からするとかなり早い翻訳なのだが、それはフランスで活発なフェミニズムの流れのなかでのことで、ケアの問題の文脈で広く取り上げられるようになったのはやはり最近十数年のことである。
 このケアの倫理を政治の問題として取り上げたのが一九九三年に出版されたジョアン・トロントの Moral Boundaries: A Political Argument for an Ethic of Care である。
 フランスでは、Corine Pelluchon がアメリカで上記の両者によって展開されたケアの倫理に対して一定の積極的評価をしつつ、自身が展開する éthique de la vulnérabilité をそれに対置している(Éléments pour une éthique de la vulnérabilité. Les hommes, les animaux, la nature, Cerf, 2011 ; Réparons le monde. Humains, animaux, nature, Rivage poche, 2020)。
 これら著作を通覧しつつ、かつ現在の世界が直面している諸問題、特に、深刻な生態系破壊を考えるとき、人と人の間のこととしてだけではなく、生き物すべてに対して、そして自然に対して、ケアが地球規模での中心的な課題であり、その諸側面に日々の生活のなかで私たち一人一人が直面していることが自ずとわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


紫式部の生涯(九)

2024-02-05 07:06:50 | 哲学

 紫式部の生涯についてこれまで摘録してきた『紫式部日記』の三つの解説はいずれも優れた専門研究者の手になる代表的なもので、それぞれから学ぶことは多かった。
 『紫式部日記』の訳注本は他にももちろんある。そのなかで私が特に高く評価しているのが角川ソフィア文庫版の山本淳子=訳注(二〇一〇年)である。この版の解説の充実ぶりは、同文庫の日本古典作品シリーズのなかでも際立っている。
 解説本文だけで五十七頁あり、それに主要登場人物紹介、系図、年表が付されており、それらを合わせると九十四頁にもなる。単に量的に多いというだけではなく、内容的にも懇切丁寧・網羅的かつ高度でありながら、文章は読みやすい。もし『紫式部日記』の訳注本を一冊だけほしいという方には、文庫という持ち運びやすさと手頃な値段も相俟って、この一冊を第一に推薦したい。
 同じ山本氏の編になる『紫式部日記』(角川ソフィア文庫・ビギナーズ・クラシックス日本の古典、二〇〇九年)は、ダイジェスト版だが、収録された各本文に付された解説はわかりやすく、ところどころに挿入されたコラムの内容も興味深い。
 文庫サイズでは、他に講談社学術文庫から宮崎莊平氏による全訳注が一冊の新版として昨年刊行された(初版は同文庫から二〇〇二年に上下二冊本として刊行)。語注の詳しさではこれが類書中一番だが、作品解説はちょっと物足りない。
 さて、以下、角川ソフィア文庫版『紫式部日記』の山本淳子氏による解説の「III 紫式部について」から摘録を行う。これまで摘録してきた他の解説と内容的に重複するところもあるが、紫式部の生涯について、その家系、幼少期から最晩年まで、要点を辿り直す。

家系
 曾祖父の代までは公卿として繁栄。
 父方の祖父雅正は生涯受領にとどまり、従五位下に終わった。
 紫式部の家は和歌の家。
 曾祖父たちの余光は高い自負を胸に抱かせ、いっぽう祖父の代からの零落を痛感。

少女時代
 母とは幼い頃に死別したか、離別。同母の姉がいたが、式部の娘時代に亡くなった。
 家庭において、『史記』や『白氏文集』など漢籍を心から楽しみ、おそらくはそれに没頭する日々を送った。

結婚
 紫式部は本妻ではなく、妾(本妻以外の妻)の一人だったので、結婚は終始宣孝が彼女を訪う妻問婚の形であった。

夫の死
 『紫式部集』の和歌は、夫との死別を境に一変し、人生の深淵を見つめ、逃れられぬ運命を嘆くものとなる。彼女は夫の人生を「露と争ふ世」と詠んでそのはかなさを悼み、自分のことは「この世を憂しと厭ふ」と言い捨てた。「世」とは命や人生、また世間や世界を意味する言葉だが、そこに共通するのは、〈人を取り囲む、変えようのない現実〉ということである。そして、そうした「世」に束縛されるのが、人の「身」である。人は「身」として「世」に阻まれ生きるしかない。ただ死ぬまでの時間を過ごすだけの「消えぬ間の身」なのだ。夫の死によって、紫式部はそのことに気づかされたのである。
 ところが、やがて紫式部は、「身」ではないもう一つの自分を発見する。それは「心」である。ある時気がつくと、思い通りにならない人生という「身」は変わらないのに、悲嘆の程度が以前ほどではなくなっていた。
 「心」は「身」という現実に従い、順応してくれるものなのだ。だがやがて紫式部は、心というものの、現実を超えた働きにも目を向けるようになる。
 現実に適応しない心なら、その居場所は虚構にしかない。こうして紫式部は、寡婦であり母である「身」とは別の所に自分の心のありかを見つけるようになる。

出仕
 紫式部の内心は、居所が後宮に変わろうとも、常に「身の憂さ」に囚われていた。

一条朝以降
 『紫式部日記』にも描かれる「憂さ」は生涯消えることがなかった。だがそれを抱えつつ、やがて憂さを受け入れ、憂さと共に生きる境地に、紫式部は達したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本学科修士一年の学生たちによって書かれた秀逸な哲学的レポート三本を讃えて

2024-01-24 23:59:59 | 哲学

 一昨年十一月に生成AIが市場に登場して以来、学生にレポートを書かせる意味が深刻に問われるようになったのはフランスも同じである。
 もうこれって完全に生成AI作だねっていう「現行犯逮捕」にも比せられるケースも学部レベルレでは頻発しているようである。そこまで露骨ではない場合でも、あきらかにAIに「アシスト」されている文章を見破るのはそれほど難しいことではない。
 それだけに、今回の修士一年の秀逸なレポートに対して私はほとんど鑽仰の念を抱いていると言っても過言ではない。現時点で提出されている十七本のレポートのうち、最優秀の三本はほんとうに「本気モード」で書かれている。つまり、自分で立てた問題について文献を渉猟した上で、当の問題を自らの頭で真剣に哲学的に考えているのである。他のレポートがいい加減だというわけではないのだが、多かれ少なかれ「他人の褌で相撲を取る」類であるか、表面的・一面的・一方的な「私の主張」の表明に終わっているのに対して、最優秀の三本は、問題に対して可能な異なった立場について吟味した上で、自分の考察を明確かつ論理的に提示することに成功している。筆者は三人とも女子学生。
 別に順位付けを目的としているわけではないのだが、採点の結果として、第三位は、反種差別主義の歴史的起源を第一次文献に基づいて正確に押さえた上で、〈種〉概念そのものの規定の曖昧さから反種差別主義がそもそも理論としては致命的な欠陥をもっていることを論証したレポート。
 第二位は、動物倫理における「許し pardon 」は誰が誰に対してするものなのかという問いを、スピノザ、ヘーゲル、カント、ジャンケレヴィッチ、デリダを参照しつつ、それが容易に解き得ぬ難問である所以を的確に指摘したレポート。
 そして、圧倒的第一位は、植物の個体性の概念規定が孕まざるを得ない曖昧さを手際鮮やかに際立たたせたレポート。一方で、西洋中世精神史における「同一の」植物の名称の多様性が植物の個体性問題にそれ固有の困難をもたらしていることを示し、他方で、日本人研究者たちによる最先端の分子生態学の知見から、群生する植物を個体として特定することは「実体的」「一義的」には困難で、「時間的」な経過のなかで暫定的にしか可能ではないことを指摘した上で、近世哲学史におけるライプニッツの植物の個体性論が両者の知見を総合しうる可能性をもった観点を提示していることを示している。
 二月六日・七日の日仏合同ゼミで三人に会うとき、本人たちに直接賛辞を捧げたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


来年五月のフランス国立図書館での仮の発表テーマと要旨

2023-12-12 16:01:36 | 哲学

 昨日、パリのフランス国立図書館から、来年5月24日に予定されている日本哲学についての研究集会での私の発表タイトルと要旨をまだ仮のものでよいから送ってくれとメールで連絡があった。
 腹案はすでにいくつかあったのだが、大学や研究機関でのシンポジウムと違って、この集会にどのような人たちが参加してくれるのかまだよくわからないので、どれにするか、少し迷った。
 発表内容の選択の基準をいくつか立てた。日本哲学思想史についての知識は前提としない。日本語・日本文化・日本史についての知識も前提としない。リセの哲学の授業のレベルの西洋哲学史についての知識は前提する。西洋と東洋との対立を自明の前提とするような話はしない。「日本哲学」という言葉で括れるような歴史的実体は存在しないという前提で話す。近代日本における哲学の受容史みたいな大雑把な話もしない。大きな哲学的概念をテーマとしない。一方で西洋哲学との接点があり、他方ではそれと区別あるいは対立が際立つテーマを選ぶ。日本語のテキストは発表には入れない。重要な単語一つ二つのみは場合によっては日本語でも示す。大学以上の哲学教育を前提とする哲学用語はできるだけ使わない。
 以上のような縛りを掛けた結果、西田幾多郎が哲学の動機とした「深い人生の悲哀」をテーマとし、西田哲学が反アリストテレス的な一つの生命の哲学であり、その情感的基底が「深い人生の悲哀」であることに焦点をあてて話すことにした。
 しかし、これはまだ仮の話で、国立図書館側から注文があればそれに応じて内容を変更するつもりでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 


自分の虚無をそれと知らずに感じるとはどういうことか ― パスカル『パンセ』より

2023-12-03 23:59:59 | 哲学

 いきなりだが、パスカルの『パンセ』の断章の一つ(S70,L36, B164)を掲げる。

Qui ne voit pas la vanité du monde est bien vain lui-même. 
Aussi qui ne la voit, excepté de jeunes gens qui sont tous dans le bruit, dans le divertissement et dans la pensée de l’avenir ?
Mais ôtez leur divertissement, vous les verrez se sécher d’ennui.
Ils sentent alors leur néant sans le connaître, car c’est bien être malheureux que d’être dans une tristesse insupportable aussitôt qu’on est réduit à se considérer et à n’en être point diverti.

 この世のむなしさを悟らない人は、その人自身がむなしいのだ。
 それで騒ぎと、気を紛らすことと、将来を考えることのなかにうずくまっている青年たちみなを除いて、それを悟らない人があろうか。
 だが、彼らの気を紛らしているものを取り除いてみたまえ。
 彼らは退屈のあまり消耗してしまうだろう。そこで彼らは、自分の虚無を、それとは知らずに感じるだろう。なぜなら、自分というものを眺めるほかなく、そこから気を紛らすことができなくなるやいなや、堪えがたい悲しみに陥るということこそ、まさに不幸であるということだからである。(中公文庫、前田陽一訳)

 訳中の動詞「悟る」は原文の voir に対応している。しかし、「悟る」は適訳だろうか。岩波文庫の塩川徹也訳は「見る」を用いており、ここはそのほうが相応しいように思う。ただ、「悟る」を「見る」に置き換えてみても、私はこの断章でパスカルが言おうとしていることがよくわからない。
 騒ぎと気晴らしと将来への思いのうちにある青年たち以外は、いやでもこの世のむなしさが見えてしまう。なぜなら、たとえこの世のむなしさを見まいとしても、まさにそうすることで己自身がむなしいものであるのだから、どの道、むなしさを目の当たりにせざるを得ない、ということだろうか。
 第三段落の人称代名詞 ・間接目的語の leur は前段落の「青年たち」を指していると考えるほかない。彼らから気晴らしを取り除くと、退屈のあまり憔悴してしまう。そのとき、彼らは、己の虚無 néant をそれと「知る connaître」ことなしに「感じる sentir」。
 虚無を「知る」ことなしに「感じる」とはどういうことなのか。己が虚無であることを知ることなしに、自分と向き合わざるを得なくなり、しかもそこから逃れる術もないという堪えがたい悲しみのうちに沈むということか。そして、人間が「感じる」の次元にとどまるかぎり、不幸でしかありえない、ということなのか。
 この「知る」と「感じる」との区別は、「三つの秩序」のうちの「精神」と「身体」とにそれぞれ対応させて理解するべきなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


パリ・ナンテール大学シンポジウム「ハイデガーの超克」第二日目

2023-12-01 23:59:59 | 哲学

 昨日の記事の末尾に記した予想とは違って、開始時は昨日よりやや少なめの聴衆だったが、徐々に増えていき、だいたい昨日と同程度となった。他方、今日も六つの発表があったが、昨日との非連続性は明白だった。それは最初にプログラムを見たときから予想できたことだった。
 それに、二番目の発表者である明治大学の合田正人教授の発表以外はすべてパリ・ナンテール大学の教員たち François THOMAS 准教授、Elie DURING 准教授、Christian SEBBAH 教授、Didier FRANCK 名誉教授、Jean-Michel SALANSKIS 名誉教授が発表者だったのだが、翻訳論を語ったトマ氏を除いて、それぞれがハイデガーをめぐって自説を滔々と繰り広げるかたちとなり、それらの間の違和あるいは対立も期せずして際立つ結果となった。それはフランスにおけるハイデガー受容あるいは批判(さらには拒絶)の多様な形を反映しており、それはそれで大変面白く、私自身は大いに学ぶところがあり、拝聴できてよかったと思っている。それらとは別に、ハイデガー論という枠を超えて、合田先生のリズム論はそれ自体が面白かった。
 しかし、最初の発表と合田先生の発表以外は、予め指定された発表時間を大幅に超えた発表が続き、質疑応答の時間はあまりなかったのは惜しまれる。というか、これは二日間を通じての感想でもあるのだが、質疑応答及び参加者間の議論がもっと活発になるように今後は工夫する必要があると思う。この意見はシンポジウムのオルガナイザーにも伝えておいた。
 パリ・ナンテール大学哲学部の学生たちも途中で出入りはあったが十数人は参加していたようだ。彼らも含めて、発言しやすい形にすることで、予期せぬ面白い展開になるかも知れない。
 私は演習や授業などで「つまらない質問というものはない」とよく言う。それは学生たちに質問を促すためでもあるが、実際、どんな質問からでも議論の展開は可能なのだから、こんな素朴な質問をして笑われないかなどと気後れすることはないのだ。そのような雰囲気の醸成は、質問を受ける側にそれなりの「構え」があってはじめて可能になることは言うまでもない。どんな質問でも受け止め、そこから論点を引出し、議論の展開の緒を聞き手に返し、そこからまた反応があり、他の参加者からもそれに対する発言が出るような方向にもっていく配慮が必要だ。司会進行役もその方向で協力するとき、実りある議論の場が成立する。