内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

テキストの地層学と精神史的アプローチ(2)

2016-06-30 08:41:46 | 哲学

 昨日の続きで、発表原稿の第二章を掲載する。この章は、近代以降の『源氏物語』研究史についての概観とヴィラモーヴィッツ=メレンドスルフの古典文献学の方法を支える基本的態度についての簡略な説明を含んだ脚注がいくつかつけれられており、その長さは本文のそれを上回るが、それらは一切省略する。それらの脚注で言及された文献名だけ挙げておく。新編日本古典文学全集『源氏物語 ①』,小学館,1994年,「解説」;大野晋『源氏物語』,岩波現代文庫,2008年;Ulrich von Wilamowitz-Moellendorff, Qu’est-ce qu’une tragédie attique ? Introduction à la tragédie grecque, Les Belles Lettres, 2001。

2 ― テキストの生成過程の内在的解析 ―『源氏物語』テキスト群の非連続性を理由を問う

 論文「『源氏物語』について」は、近代における源氏物語研究に成立論というまったく新しい研究分野を切り拓いた画期的な論文です。成立論とは、作品を構成しているテキスト群の成立の順序を見出し、それにしたがって作品全体の構造を生成の相の下に組み直すことを試る研究分野です。
 所与としてのテキスト自体からその生成の端緒を見出し、全体の生成をそこからの展開としてみる、いわば生成の相の下にすべてを見るという探求姿勢にその試みは支えられています。作品を生成の相の下に見るということは、その作品を一つの理念あるいは価値から演繹的に理解しようとするのではなく、作品生成過程そのものの中に価値形成過程を見て取ろうとする試みでもあります。
 私たちがここで特に注目したいのは、しかし、同論文の源氏物語研究における画期性やその主張の妥当性についての今日の学術的成果からする批判的吟味ではありません。私たちがここでこの論文から抽出したいのは、和辻が源氏物語に対して適用したテキストの文献学的解析方法そのものです。
 その方法は、一言で言えば、一つの作品を構成しているテキスト群間に見られる非連続性から、異なった系統のテキスト群を読み分ける、いわばテキストの地層学的解析です。それは、現実に与えられているものとしての文芸作品そのものから出発し、その作品を構成しているテキスト群間に見られる不整合性・非連続性をテキストの重層的な成立過程として合理的に説明する試みです。この解析方法によって、作品の外部から予断的な観点を導入することなく、作品を最終的に完成された一つの全体として見るのではなく、その中に見られる不整合・断層・亀裂などを手掛かりに、作品の生成過程を重層的に把握することに和辻は成功しています。
 この解析方法は、ヴィラモーヴィッツの古典文献学の方法を見事に応用したものです。この方法を実践することで、和辻は、ヴィラモーヴィッツが激烈な仕方で批判したニーチェ『悲劇の誕生』の呪縛から己を解放したと言うこともできるでしょう。つまり、作品がそこで生まれた歴史的現実を無視し、作品の外部から恣意的かつ時代錯誤的にある漠然とした美学的価値概念を導入し、その概念に作品を奉仕させるという非学問的・空想的態度をそれとして批判することができる学問的方法を日本の文芸作品に適用することに和辻は成功しているということです。
 このテキストの地層学的分析は、その適用が文芸作品にのみ限定される特殊な分析方法にとどまるものではありません。テキストとして与えられた現実そのものから、そこで問われている問いとそれに対して現実の中で出されている、あるいは出されようとしている答えとを、合理的に概念レベルで抽出するための方法として、より一般化した形で汎用可能な方法であると思われます。























































テキストの地層学と精神史的アプローチ(1)

2016-06-29 14:48:25 | 哲学

 先週の三泊四日の日本滞在中は、プログラムに朝から晩まで参加したので時差ぼけになっている暇もなかったが、こちらに帰って来て、休む間もなく仕事に戻って、その時点ではあまり疲れを感じなかったが、今日はなんとなく体がだるい。昨日の朝も今朝も泳ぎに行ったが、今朝のほうが体が重く感じられ、全然水に乗れなかった。
 日曜日の和辻哲郎ワークショップでの発表は、発表時間が20分と短かったので、用意していった原稿をただ読んだのでは最後まで読み上げることさえできそうもなかったので、結論以外は、原稿の要点を取り出したパワーポイントを見せながら、即興を交えながらの駆け足での発表になってしまった。ただ、発表者二人ないし三人で一つのパネルが組まれ、パネルごとに議論の時間を一時間取るという、通常の研究発表では考えられない「贅沢な」プログラムだったおかげで、その議論の時間に出された質問に答えることでかなり発表内容を補うことができたのは幸いであった。

 この発表原稿は、日本語ではどこにも発表される予定がないので、このブログに今日から四回に分けて載せておくことにする。ただし、本文と同量に近い脚注は、本文の内容を補足するか参考文献からの引用がほとんどなので、これらはすべて省略する。
 まずタイトルと目次。

テキストの地層学と精神史的アプローチ
― 将来の倫理学のための方法序説 ―

1 一九二〇年代の文献学的転回
 ―『ホメーロス批判』「序言」を手掛かりにして

2 テキストの生成過程の内在的解析
 ―『源氏物語』テキスト群の非連続性の理由を問う

3 時代精神の抽出方法
 ― 本居宣長「もののあはれ」論批判を通じて

4 精神史研究に内包された倫理学の方法序説
 ― 将来の倫理学のためのプロレゴメナ

 第一章は、手掛かりとするテキストとそこから引き出しうると考えられる仮説、その仮説を実証するするために取り上げるテキストの提示である。手掛かりとする和辻のテキストは、『ホメーロス批判』(1946)の「序言」であるが、これはここに引用するにはちょっと長すぎるので省略する。発表の際も、「序言」のコピーを会場で配ってもらい、読み上げることはしなかった。

1 ― 一九二〇年代の文献学的転回 ―『ホメーロス批判』「序言」を手掛かりにして

 本発表は、和辻が昭和二十一年に刊行した『ホメーロス批判』の「序言」から、1920年代に和辻の文化研究において起こった方法論的転回について一つの仮説を立てることから出発します。
 この「序言」は、1920年代に発表された諸論文・諸著作において和辻が実践しようと試みた方法的探究の内実とその方向性について、私たちにいくつかの示唆を与えてくれます。本発表では、特に次の二点を指摘したいと思います。
 第一に、和辻が当時学んでいたヨーロッパの古典フィロロギーは、ドイツのヴィラモーヴィッツ=メレンドルフと英国のギルバート・マレーのそれだったわけですが、前者がニーチェの『悲劇の誕生』の激烈な批判者だったことです。その哲学的処女作が『ニーチェ研究』であった和辻が、ニーチェの不倶戴天の敵とも言えるヴィラモーヴィッツの古典文献学に学び、その方法に基づいて自身の当時の研究を方向づけたということは、自らの哲学の出発点にあった「ニーチェ的なもの」に対する和辻の自己批判という意味をもっていたのではないでしょうか。
 第二に、当時の和辻は、自身の研究方法におけるフィロロジカルな転回のもたらすであろう方法論的帰結について十分には自覚できていなかったということです。より詳しく言えば、文化研究においてフィロロギーにその基礎を置くことは、フィロソフィーに背を向けることではなく、むしろその基礎づけのために不可欠な作業だというところまでは当時すでに和辻は自覚していたことがこの「序言」を読むとわかるわけですが、その作業が後に倫理学の体系的思索に見られる解釈学的現象学的態度へと繋がっていくことまでは当時はまだまったく予感さえされていなかったということです。
 以上から、本発表で私たちは次のような仮説を立てます。それは、1920年代の和辻の諸論文・諸著作の中に、本人にも十分には自覚されない仕方で、ヨーロッパ古典文献学に基づいたテキスト研究(それを和辻は「文学」と呼びます)から後年の独自の倫理学構築へと至るための一つの方法序説が準備されつつあった、ということです。
 もちろん、1927年に刊行されたばかりのハイデガーの『存在と時間』をちょうど留学中のドイツで読んだときに受けた衝撃がなければ、解釈学的現象学的態度を身につけることもなく、後の和辻倫理学も生まれることはなかったとは言わなくてはならないでしょう。しかし、それでもなお、和辻倫理学の一つの暗黙の方法序説は、『存在と時間』との出会い以前にすでに用意されつつあったという仮説は維持できるだろうというのが本発表の明らかにしたいことです。
 以下、この仮説を具体例に基いて実証するために、1926年に刊行された『日本精神史研究』に輯録されている、相互に密接に関連した二つの論文、「『源氏物語』について」(初出1922年12月)、「「もののあはれ」について」(初出1922年10月)を考察対象とし 、そこで和辻が実際に適用している文献学的方法を抽出することを試みます。


































































無事帰宅、そして仕事再開

2016-06-28 07:12:29 | 哲学

 昨日27日の帰路は、想定外の事態が発生した23日から24日にかけての往路とは違って、朝ホテルをチェックアウトするところからストラスブールの自宅に帰り着くまで、すべて順調であった。日付上は7時間の時差のおかげで27日中に帰国できたことになるが、朝、中部国際空港から二駅の常滑駅近くのホテルを出たのが6時半、自宅に帰り着いたのが午後10時半であるから、ちょうど23時間かかったことになる。
 旅行から帰って来たときはいつもそうするように、すぐにスーツケースの中身を全部出して、洗濯物は即洗濯。その他の携行品もすべて所定の位置に戻す。洗濯機が回っている間に湯船に浸かって疲れを癒やす。今回は短期滞在だから荷物も少なく、片付けも簡単、楽であった。風呂から上がって、洗濯物を干してから、ビールとワインを少し飲み、ごく軽めの食事を取ってから就寝。
 今朝は、5時前に起床し、バカロレアの採点を仕上げる。後はネット上で各受験生の成績を入力し、サインする書類をアカデミーに取りに行けばいいだけ。
 午後は、少し休憩してから、来月25日からの集中講義の準備ノート作成にとりかかる。














和辻哲郎ワークショップ第二日目 ― 世界各国から集まった若き研究者たちのために

2016-06-27 01:36:00 | 雑感

 昨日のワークショップ二日目は、気持ちの良い好天に恵まれ、緑が目に沁みるキャンパスを歩いて会場の研究所に向かう足取りも自ずと軽かった。
 私自身の発表については、発表内容をめぐって活発なやり取りがあったとだけは言っていいだろうとは思う。私もリアクションや質問からいくつものことを学んだ。
 驚くほど短期間で準備されたにもかかわらず、今回の国際的ワークショップは大成功だったと言っていいと思う。遥々参加しに来た甲斐があった。企画・準備・当日の運営に献身的に携わってくれた若き研究者たちに感謝を込めて、ここにそう記しておきたい。
 今回参加した各国の発表者の多くとは、今年12月のブリュッセルでの European Network of Japanese Philosophy (ENOJP) の第二回国際大会での再会を約して別れた。その国際大会の三人の基調講演者の一人として私を選んでくれた組織の中心メンバーたちは、今回のワークショップの企画者たちでもある。本当に志ある清々しい若者たちである。及ばずながら、彼らの期待に応えるべく、今から入念に講演の準備をするつもりである。私も彼らに期待している。その彼らのために私に何かできることがあるのなら、喜んで力になりたいと思っている。
 講演内容はこれから考えるのだが、タイトルは主催者に半年前に送っておく必要があったので、先日それを通知した:« Lieu de médiation. Nishida, Tanabe et Simondon » (「媒介の場所 西田・田辺・シモンドン」)。
 今日は、朝一番の飛行機で中部国際空港から成田に向かい、成田からエールフランス便でパリへ、そこからTGVでストラスブールに戻る。


和辻哲郎ワークショップ第一日目 ― 城の外から呼ばわる

2016-06-26 06:07:00 | 雑感

 昨日25日は、雨がそぼ降る中、緑豊かな美しいキャンパスの木々にひっそりと囲まれた南山大学宗教文化研究所での和辻哲郎ワークショップ初日に、朝から会後のイタリア料理レストランでの懇親会まで、参加してきた。発表者は初日・二日目をあわせて十五名だが、その数を上回る聴き手が各地から集まり、会場の椅子がたりなくなるくらい、盛会であった。議論も活発、大変刺激的であった。
 私自身の発表は今日26日これからで、昨日は他の参加者の発表を聞いていた。大半の発表は英語、議論も全体としては英語が主たる言語ではあったが、英語が苦手な私は、それでも、日本語で二回質問した。それは発表者さらには聴衆を挑発するという意図を確信犯的にもった介入であり、その目的は達成できたかと思う。つまり、和辻研究の篤実な研究者たちに不快な思いをさせ、和辻倫理学を愛する若き俊秀の静かな怒りを買うことには成功した、と思う。
 一言で言えば、向こう見ずにも、和辻倫理学城の外から、大音声で、御大将に向かって、「城から出てこい、いざ勝負」と呼ばわったということである。
 今日の自分の発表では、一転して、和辻の哲学的処女作『ニーチェ研究』から『倫理学』までを一つの発展過程として見るという視角に立って、その発展の一齣に焦点を合わせる。言い換えれば、和辻倫理学城が出来る前の戦場に、お城を建設するための最初の隅の親石の少なくともその一つが置かれたであろう場所をクローズアップし、それがどのようにして置かれたのかを問題とする。
 では、いってきます。

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


深夜ホテルで雨音を聞きながら、バカロレア日本語筆記試験の答案を採点する

2016-06-25 02:57:46 | 雑感

 今日明日の名古屋でのワークショップ参加のために、ちょうど時期がそれと重なってしまったバカロレアの筆記試験の採点は一度断ったのだが、他の採点者を探すのがきわめて困難だからとストラスブールのアカデミーに泣き落とされて、しぶしぶ引き受けたことは、以前にも書いた。
 引き受けるときの条件として、アカデミーの担当者から、答案採点開始日6月24日に答案をスキャンしてPDF版で送るという提案があった(まあ、そこまで言われればねぇ、引き受けますよ)。でも、本当に送ってくるかなあと少し不安だったのだが、来ました来ました。送信時刻を見ると、向こうの時間で朝8時前。さすがアルザス人である。非フランス的かつ親ドイツ的な几帳面さには定評がある。
 ちなみに、この点、フランスに一般に観察されるラテン系的いい加減さを基準にしてみても、マルセイユは異次元のいい加減さだと聞き及んでいる。南仏は大好きだが、マルセイユには、だから、住みたくない。フランスは多民族国家だと、スポーツなどで有色人種が大活躍すると白人たちは誇らしげに自慢し(サッカーで1998年のワールドカップで優勝したときには、よく聞きましたよ。それも今では遠い昔ね、ジダンさん)、経済や治安が悪くなり、テロリストたちの中には移民系の自国籍者が少なくない現在は、移民が多すぎるといたるところで半ば公然とつぶやかれる。それらのつぶやきは、表現の自由の根幹にある、しかし現在では忘却された高貴なる精神とは、何の関係もないことである。このフランスを一色で描くことは確かに難しい。地方と都市部の違いも大きい。歴然たる階級社会である。パリはフランスではないという言い方さえある。これらすべての要素を絵の具のように混ぜ合わせてフランス人のポートレートを描くと、虚しく風に翻る自由・平等・博愛のトリコロールカラーの国旗の下、シニカルなユーモアを交えた会話をこよなく愛するお洒落に着崩したラテン民族という矛盾的同一性が生まれるのである。故に精神分析が幸ふ国なのである。
 閑話休題。BAC(バック。バカロレアBaccalauréat の略)の話に戻ろう。六人の受験者が予定されていたが、こちらにとって幸いなことには、うち二名は欠席。四枚の答案を採点するだけである。第二外国語として日本語を選択した理系の生徒たちの答案。試験問題は、指示以外はすべて日本語。解答もすべて日本語。二十点満点で、配点は、テキスト読解と日本語作文半々。テキスト読解は、テキストについての七つから十の日本語の質問に日本語で答える形式。質問の数は、受験生たちの選択しているコースに拠る。作文は、読解テキストのテーマに関連して与えられた問いに答える形式。二百字、三百字、あるいは四百字。これも選択コースに拠る。
 読解問題の主題は「いじめの構造」。まず、いじめらている子、いじめる子たち、見て見ぬふりをする子、なんとかしなければと悩んでいる子などのイラストとそれぞれの子たちの口に含ませた吹き出し、その後に「相手の気持を考えて」と題した小学校五年生の六百字ほどの作文がメインテキスト。道徳の教科書に載ってそうな内容。その後に質問が並ぶ。もっぱらイラストとテキストが理解できているかを試す読解力問題で、内容の価値判断には一切立ち入らない設問。
 作文の問いは、四百字の場合は一つだけ、三百字あるいは二百字の場合は、二つの問いから受験者がその場で一つ選ぶ。実際の設問はもっと長い文だが、「いじめを見た経験があるか」「友だちの大切さ」「いじめの原因は何か。なくすにはどうすればよいか」といった内容。
 読解も作文も比較的難易度は低く、答案はいずれも合格点に達している。飛び抜けて優秀な答案が一つ。答案には受験者番号が印刷されているだけで、受験者の名前も性別も分からないようになっている。名前や性別によって採点者の判断が揺れないようにするためである。しかし、その優秀な答案は作文の内容から女の子だとわかる。その読みやすい漢字の書きぶりから、おそらく両親とも日本人か、少なくともいずれかの親が日本人で、日本語教育をしっかり受けさせていることが推測される。
 受験者諸君は、自分たちの答案を採点官が日本で深夜に宿泊先のホテルで窓を叩く雨音を聞きながら採点しているなどとは、よもや思いも及ばないことであろう。




















































名古屋に向かう新幹線車中から

2016-06-24 14:20:39 | 雑感

 この記事は、品川から乗った新幹線の中で書いている。名古屋に行くためである。もちろん、ストラスブールから突然ワープしたわけではない。これはまったく想定外の行程なのである。どうしてそういうことになったのか、説明しよう(って、誰もそんなこと興味ないでしょうけれど、書いておかないと腹の虫が収まらないので、書かせていただく。いつもの連載と雰囲気違いすぎ、などと言わないように)。
 昨日は朝プールに行ってから、シャルル・ド・ゴール空港直通TGVで空港に向かった。空港まではまあ大過なかった(途方もない荷物の山で通路塞いだおばさん軍団には呆れたが)。今回はわずか三泊四日の日本滞在であり、南山大学宗教文化研究所での和辻哲郎ワークショップへの参加だけが目的であるから、荷物は最小限に押さえ、機内持ち込み荷物だけで済むはずであった。ところが、最近いろいろ物騒なことがあるからであろう、荷物検査がやたらと厳しい(そのくせ治安はいいとは言えず、警備体制の脇が甘い。しっかりしろフランス!)。小さなスーツケースとリックサックの総重量が14.4キロ(13キロが上限)だったため、持ち込み不可となり、また受付カウンターに小さなスーツケースを預けに逆戻りさせられた。同じような人たちが私の前にすでに行列を作っていた。
 やっとのことで荷物を預け、パスポートチェックの長蛇の列を忍耐強く待ち、所持品検査も通過したときは、出発予定時刻の25分前であった。小走りで出発ゲートに向かうと、すでに乗客たちが列をなして待っている。その最後尾に付いたが、何分経っても搭乗開始にならない。しまいには、まだ搭乗まで時間がかかりそうだから、一旦ベンチに戻って待機するようにとのアナウンス。ほとんどの人がベンチに戻ったが、私は列に並んだまま。自ずと前の方に進めた。
 ようやく搭乗開始になったが、いつものようにガラス張りのすぐ向こうに見える飛行機への通路は閉鎖されており、階段で地階まで降りるように表示が出ている。不審に思いながら、地階に着くと、そこから外に出る出口しかない。タラップが故障でもしたのかと思ったら、そうではなく、バスが待機している。それに乗って空港内を十分ほど走行して、やっとのことで搭乗機前に辿り着く。その時点ですでに出発予定時刻数分前。嫌な予感がする。結局、席に着いてから離陸までに二時間近く待たされることになる。その間、機長からの機内アナウンスでようやく事態が明らかになった。空港の管制官たちのストライキのせいで、滑走路使用の許可がなかなか下りないとのこと。そんなわけで出発が定刻より約二時間遅れ、到着も当然のことだが大幅に遅れ、定刻より一時間二十分遅れで成田着。というわけで、成田から乗り継ぐ予定であった中部国際空港行きのJAL便に乗り遅れてしまったのである。なんであいつらのために私たち乗客(そのおよそ半数はフランス人でさえない)が迷惑を被らなければならないのか、と、機内心中穏やかならず。
 それに、以下の理由で、国内線JAL便の運賃は半額しか戻ってこなかった。エール・フランス便とJAL便それぞれネットで別々に購入したので、このような場合、たとえ遅延してもエール・フランスは成田までの分しか遅延に関して保証してくれない(「遅レチャッテ、ゴーメンナサーイ。デモ、コレ、私タチノセイジャアーリマセーン。フランス政府ガ全部ワルイデース、って感じですよ)。そこで成田空港のエール・フランスのカウンターで遅延証明書を発行してもらい、それを持って第一ターミナルから第二ターミナルまでシャトルバスで移動し、そこでJALのカウンターで事情を説明し、交渉することにする。
 乗り遅れた便のチケットをカウンターで見せるなり、「あーっ、Kさんですか。ぎりぎりまでお待ちしていたのですけれど…」とにこやかに対応してくれる(ワタシ、日本人、大好キデース。ミンナ、トテモ親切デース)。遅延証明書を見せると、なんでも成田空港における遅延に関する規定によると、第一ターミナルと第二ターミナル間の乗り継ぎの場合、110分以上の遅延かどうかで払戻額が変わってくるのだそうな。110分以上なら全額払い戻し。私の場合、80分だったので、半額しか払い戻してもらえなかった。トホホである。「どうせ遅れるなら二時間たっぷり遅れてくれれば、少なくとも国内便は全額払い戻しを受けられたのになあ」と、妙な悔しがり方をして、対応してくれた女性に笑われてしまった。
 中部国際空港近くのホテルに宿泊するので、成田で少し待つことになっても、飛行機にしようかと最初は思っていたのだが、次の便に空席はあるにはあるが、出発まで八時間近く間があるので、その間ずーっと成田でボーッと待っているのもバカバカしいと、成田エクスプレス+新幹線に切り替える。JALの職員もその方が安いし、現地に早くつけるからと勧めてくれる。
 というわけで、成田空港第二ターミナルのJRみどりの窓口で名古屋までの切符を買ったという次第。JAL便に払った額より若干安い。つまり、JAL便の約半額分をシャルル・ド・ゴール空港管制官たちのせいで損したわけである。あっ、それだけじゃない、名古屋駅から常滑駅までの運賃もまだ払わないといけないんだ(なんでこういうことになるの? 私、何かあなたたちに悪いことした? 今度シャルル・ド・ゴール空港に行ったら、管制塔に乗り込んで、やつらを必ずぶん殴ってやると、心なかで息巻く)。
 でも、まあいいです、もう(何? もう弱気なの? 諦めるの早すぎ)。これも教訓ですから。みなさん、あまりジャストな乗り継ぎは予約しないようにしましょう。
 それはそうと、新幹線に乗るの、いったい何年ぶりだろう。一五、六年振りだと思う。TGVより車内は広くて清潔、座席の前後もゆったりしていて、とても静か(TGVには、ときどき、いや結構しばしば、男女を問わず、主に中年以上だが、乗ってから降りるまで延々とおしゃべりを続けるフランス人阿呆連がいて、ときどき走行中に車外に背負投で放り出したくなることがある)。以上の点では、新幹線の方がより快適である。しかし、今この記事を書きながら実感しているところだが、結構揺れる。私の感じでは、場所にもよるけれど、新幹線の方が振動を強く感じ、その点は快適とは言えない。速さもTGVに負けている(頑張れニッポン!)。
 などとくだらないことを書いているうちに、後二十分くらいで名古屋駅に着く。四十数年振りの名古屋である。

注記:この記事の投稿自体は、宿泊先のホテルの部屋から行った。











































生体において実現される個体化は個体発生だけではない ― ジルベール・シモンドンを読む(105)

2016-06-23 03:37:18 | 哲学

 今日からILFI第二部第二章第二節 « Information et ontogénèse » 第三項 « Limites de l’individuation du vivant. Caractère central de l’être. Nature du collectif » を読んでいく。
 タイトルに明示されているように、この項では、「生体の個体化の限界」「存在するものの中心的性格」「集団的なものの本性」という三つのテーマが取り上げられている。それぞれのテーマについての所説がおよそ理解できる程度に、ところどころ原文を引用しながら、テキストを追っていきたい。
 最初のテーマは、上掲のタイトルとこれまでずっとこの連載で読んできたシモンドンの所説とから容易に想像がつくように、個体として環境から区別された一個の生体の生成過程としての個体化は、個体化全過程の一部を占めるにすぎないというテーゼに照応している。
 「個体発生は、一つの個体化であって、生体において実現される唯一の個体化ではない、つまり、生体を基礎としてそれを組み入れることで実現される唯一の個体化ではない」(« L’ontogénèse est une individuation, mais n’est pas la seule individuation qui s’accomplisse dans le vivant ou en prenant le vivant comme base et en l’incorporant. », p. 214)。
 この一文には脚注が付けられていて、そのおよその訳は以下の通り。
 このことはその裏面から言うと、個体化は、唯一の生命的現実ではないということである。厳密に言えば、個体化は、ある意味で、仮の応急措置であり、場合によってそこから「劇的」な展開もありうる。しかし、他方では、個体化は、「幼形成熟化」(« néoténisation »)過程に直接的に結びついているので、進化の根源でもある(この「幼形成熟」という概念については、5月20日の記事を参照されたし)。



























































シモンドンの主題による一変奏曲 ― ジルベール・シモンドンを読む(104)

2016-06-22 05:36:22 | 哲学

 昨日の続きで、知覚と行動との関係について。以下の引用箇所が16日から読み始めた段落の最後の部分である。まずざっと訳してみよう。

La relation qui existe entre les perceptions et l’action ne peut être pensée selon les notions de genre et d’espèce. Perception et action pures sont les termes extrêmes d’une série transductive orientée de la perception vers l’action : les perceptions sont des découvertes partielles de significations, individuant un domaine limité par rapport au sujet ; l’action unifie et individue les dimensions perceptives et leur contenu en trouvant une dimension nouvelle, celle de l’action : l’action est, en effet, ce parcours qui est une dimension, une manière d’organiser ; les chemins ne préexistent pas à l’action : ils sont l’individuation même qui fait apparaître une unité structurale et fonctionnelle dans cette pluralité conflictuelle (211-212).

 諸知覚と行動との間の関係は、類と種という概念にしたがって考えることはできない。純粋な知覚と純粋な行動とは、知覚から行動へと方向づけられた一連の転導的連鎖の両極限項である。諸知覚は、それぞれ様々な意味の部分的な発見であり、その発見が主体に対して限定されたある領野を個体化する。行動は、新しい次元を発見することによって、知覚の諸次元とそれらの内容を統一しかつ個体化する。この次元こそ、行動の次元である。行動は、実際、この統一と個体化の実行であり、それが一つの次元をなし、一つの組織の仕方なのである。歩まれるべき様々の道は、行動に先立って存在しはしない。それらの道は、個体化そのものなのであり、この個体化が葛藤を孕んだ複数の知覚の間に構造的・機能的統一性を現出させる。
 上の段落の主題を私なりに「変奏」すると、以下のようになる。
 いかなる観点・射程にも限定されない身体なき純粋知覚も一切の所与の条件から自由な完全に自発的な純粋行動も極限概念として想定しうるだけで、現実には存在しない。現実の存在はすべて知覚から行動への移行過程にあり、行動は、問題として与えられた知覚世界において、行動そのものを通じて行動の主体を個体化し、自己展開の次元を確立・拡張していくことで、行動の世界を知覚世界の問いかけに対する一つの応えとして個体化していく。行動は、その過程の中で、その都度与えられた知覚世界の葛藤を孕んだ所与に一定の原理にしたがって統一性を与えていくが、この原理は、予め確立されているのではなく、行動を通じてその行動が展開される次元の広がりに応じて徐々に「転導的に」確立されてゆき、適用範囲が拡張されていく。このように行動が展開されていく過程、それが「道」である。

























































行動は知覚の諸問題に対する一つの解決から始まる ― ジルベール・シモンドンを読む(103)

2016-06-21 06:24:39 | 哲学

 今日読む箇所で問題にされているのは、知覚と行動との関係である。

L’être percevant est le même que l’être agissant : l’action commence par une résolution des problèmes de perception ; l’action est solution des problèmes de cohérence mutuelle des univers perceptifs ; il faut qu’il existe une certaine disparation entre ces univers pour que l’action soit possible ; si cette disparation est trop grande, l’action est impossible. L’action est une individuation au-dessus des perceptions, non une fonction sans lien avec la perception et indépendante d’elle dans l’existence : après les individuations perceptives, une individuation active vient donner une signification aux disparations qui se manifestent entre les univers résultant des individuations perceptives (211).

 知覚する存在は行為的存在と同一である。行動は、知覚の諸問題に対して一つの解決を与えることから始まる。行動するとは、複数の知覚世界間の相互的な整合性に関わる諸問題を解決することである。行動が可能であるためには、それら知覚世界間にある程度の差異がなくてはならないが、もしこの差異があまりにも大きいと、行動は不可能になる。行動は、様々な知覚を超えたところでの個体化であり、知覚とは何の繋がりもなく、知覚とは独立に存在する機能ではない。知覚的な個体化以後、行動的個体化が知覚的個体化の結果として与えられた複数世界間に出現する諸種の差異に一つの意味を与えに来る。
 ここだけ読んで、シモンドンが知覚と行動との関係をどのように考えていたかを十分に理解することはできない(シモンドンは1964-1965年度にソルボンヌでの講義で知覚の問題を正面から取り上げている。その講義録は、Sur la Perception (1964-1965) というタイトルで、Les Éditions de La Transparence から2006年に出版され、2013年にはPUFから再刊されている。この講義の後にもシモンドンはもう一度1968年にENSのアグレガシオン準備講義 Perception et Modulation(未刊)で知覚をテーマとして取り上げている。さらに Jounal de Psychologie に、1969年から1970年にかけて三回に渡って、La perception de longue durée というタイトルで論文を発表している)。
 ただ、上掲の引用箇所からだけでも、知覚と行動とは、不可分・不可同・不可逆の関係にあるとシモンドンは考えているとは言えるだろう。まず知覚世界が解決可能な問題群として立ち現われるかぎりにおいて行動はそれらの問題に一定の解決をもたらすこととしてそこで可能になる。
 しかし、ここで次のような疑問が湧く。知覚世界が解決すべき問題群として立ち現れるということそのことのなかにすでにそれらをそのように把握しうる行動の主体が可能的に含意されていないかぎり、知覚的個体化の後に行動的個体化がそこに現れることはありえないのではないだろうか。あるいは、より端的に、知覚世界は行動する主体にとっての知覚世界以外ではありえない、と言うべきではないだろうか。ここでは、疑問は疑問のままに保留にしておこう。
 ただ一言付言すれば、最後期西田哲学根本概念の一つである行為的直観とそれがもたらす世界認識の方法は、上記の疑問に対してすでに一つの解決を与えてくれている。