内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

脱線は、必ずしも雑談でも無駄話でもない

2021-07-31 23:59:59 | 講義の余白から

 遠隔集中講義本演習第3日目。今日も15分の休憩を間に挟んで3時間きっちり行う。
 といっても、前半は、昨日学生たちが提出してくれたミニレポートについての私の感想が手短な感想にとどまらず、せっかくの機会だから話しておきたいと、あることを話題にすると、その話題がまた別の話題を呼び起こすということが数回連鎖し、結局一時間半全部をそれらの「脱線」で使い切ってしまった。脱線とはいっても、雑談でも無駄話でもなく、ちょっと格好をつけて言えば、中心的な話題は、高校における哲学教育の社会的機能であり、主にフランスの例を挙げながら、現実のそれぞれの教育現場がかかえる諸問題は措くとして、中等教育における哲学教育の理念を話した。演習に参加している二人の学生はどちらもこの話題に多大の関心を示してくれた。
 後半は、西谷啓治の『宗教とは何か』の「四 空の立場」を読む。西谷の文章は、それまでの章節で取り上げた中心的な問題を語彙的に少しずつ変奏しては繰り返し、その変奏の中に新しいテーゼを織り込み、今度はそのテーゼを中心に議論を展開してゆく。そして、ところどころに人を驚かすような一見奇矯な断定的表現が挿入され、読む者を立ち止まらせる。そんな風に書かれている。予め周到に準備された計画に従って建築物のように章節を組み立てるというスタイルとは対蹠的である。はじめは戸惑うが、一旦そのスタイルに慣れ、かつ根本的なテーゼが掴めてしまえば、実はそれほど複雑な議論が展開されているわけではないことがわかる。しかし、西谷の思索をこちらが自ら体認できるかどうかは別の問題である。
 演習の後、今日もジョギング。1時間40分で15,5キロ走った。脹脛に若干の張りを感じる以外、脚の特定の部位に痛みを感じることはなくなった。シューズに合った無理のない走り方が身についてきたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


磨けば耀く問いの原石がキラリと光っている ― あるいは、走るという人間の原始的欲望について

2021-07-30 17:30:59 | 講義の余白から

 遠隔集中講義本演習第2日目。昨日同様、15分の休憩を挟んで3時間きっちり行う。この集中講義を始めた2011年から一貫して参加者に課しているのは、毎回の演習後、その日のうちにミニレポートを提出してもらうことだ。翌日の授業はそのレポートについての私の側からのコメントとそれに対する学生からの応答から始まる。遠隔でもそれは同じ。
 レポートとはいっても、きちんと起承転結があるような「お行儀のよい」小論文は求めない。むしろ、そんなものは書いてほしくない。そんな小手先の文章はクソつまらない。そんな体裁のために時間を浪費してほしくない。その日の演習で受けた刺激によって点火された精神状態をそのまま反映しているようななぐり書きの方がいい。なぜなら、そんな風にとっちらかった文章の中に、磨けば耀く問いの原石がキラリと光っていることの方がはるかに多いからだ。
 上っ面を習っただけの西洋哲学の諸概念の模造品の羅列で窒息しかけている君たちの頭脳は、本来、現実の動的な曲線に沿って柔軟な思考ができるようにできている。だから、既得の知識(つまり硬直した死せるガイネンの集合)で直面する問題を上手に処理しようとするな。そんなガラクタみたいな知識(ですらない脳内のゴミ)を捨てろ。それらを捨てたら、今まで見たこともない「景色」の中に立っている自分を君たちは見出すだろう。
 な~んてね、啖呵切ってみたいんですが ― それをやっちゃぁ、オシマイよ、旦那。そもそも、あんた、そんな器じゃねぇだろ。
 それはそうと(これ、メッチャ便利な表現ですよね。だって、それまで話していたこと、全部そっちのけにしていいのですから。だから論文では使えないけど)、ジョギングって、なんか、とても楽しい。昨日も演習直後にほぼ2時間、18,5キロ、今日は1時間20分、13,5キロ走った。ただトロトロ走るだけ。景色がキレイとか、森の空気を吸い込むと脳が活性化されるとか(それらもウソではないけれど)、そんなこと、どうでもよくて、走っていると、生きているって感じられる。これって、太古からの人間の原始的欲望だからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


禁断の木の実を食べたアダムとイヴが最初に見たものは何か

2021-07-29 19:24:21 | 講義の余白から

 今日が遠隔集中講義本演習初日。予告通り、日本時間で第4限・第5限に行った。こちらの時間で午前7時45分から11時まで(15分の休憩を含む)きっちりやった。前半は、昨日の事前演習で取り上げた旧約聖書の創世記第三章の冒頭十一節を読んでの率直な感想を述べてもらうことから始める。昨日の演習の終わりに感想を用意しておいてほしいと頼んでおいた。
 二人のコメントで大変興味深かったのは、禁断の木の実を食べるとたちまち二人の眼が開かれて、自分たちが裸であることが分かり、無花果樹の葉を綴り合せて身の一部を隠したという話を、旧約聖書の当該箇所にはない「はずかしい」という感情を導入して理解しようとしていたことだ。
 確かに前章最終節に、二人とも裸で、たがいに羞じなかったとあるから、禁断の木の実を食べたとたんに裸でいる自分たちに気づき、急にはずかしくなったと解釈するのはけっしてまったくの見当違いではない。
 しかし、問題は、眼が開けたとたんに、なぜ自分たちが裸であることが急にはずかしくなるのか、ということである。言い換えれば、知恵の樹の実を食べ、神の如くなり善悪を知るに至ったアダムとイヴは、何が見えるようになったのか、ということである。
 禁断の木の実を食べる以前、アダムとイヴはけっして盲目だったわけではない。ただ、エデンの園は二人にまったく違って見えていた。そもそも「裸」という概念すらなかっただろう。何も隠されてはいなかったし、隠すべき何ものもなかった。
 善悪を知るということは、自分たちの身には最初から隠すべきものがあること、それを自分たちは神に対しても隠せると(誤って)思うことだ。素っ裸の自分が人目に晒されていることに気づき、「はずかしくなって」体の一部を隠したのではない。そもそもあの場面で人目はまだ存在しない。あるのは、アダムとイヴの自己視認と相互視認と神の眼差しだけだ。
 善悪を知るとは、自分が見ている自己の身体が自己そのものであり、神もまた私をそのように見るはずだと思いこむことであり、その自己が過ちを犯したのなら、その身を隠さなくてはならないし、神に対してもその身を隠せると思い誤ったから、「汝は何処にをるや」との神の問いかけに恐れをなし、エデンの園の樹の間に隠れようとしたのだ。
 乱暴を承知で言えば、この原罪をどう合理的に解釈するかが西洋近代哲学の根本問題の一つであり、この原罪そのものの否定が近代と現代を分かち、ニヒリズムへの途を開く。
 この見込みを一応の前提として(つまり、それ自体を結局は破棄することもありうるという前提で)、西谷啓治は、なぜニヒリズムを徹底化することに近代の超克の可能性を見、空の思想へと至ったのか、これが本演習の主たる問いである。
 本日後半は、『宗教とは何か』「三 虚無と空」の前半についての学生の一人からの報告をまず聴き、それを手がかりとして、空の思想がなぜ現代哲学において取り上げるに値するラディカルな問題提起であり得るのか、その理解に努めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


集中講義事前ミニ演習第4回目 ― 原始仏教の根本概念とキリスト教の原罪概念はざっくりと説明して済ますわけにはいかなかったの巻

2021-07-28 21:02:05 | 講義の余白から

 正式日程は明日木曜日からの集中講義の事前ミニ演習の第四回目を今日おこなった。この事前ミニ演習の位置づけはどんなものであるかというと、様々な物議を醸しつつ現在進行中の東京オリンピックになぞらえて言えば、開幕式前に始まる予選競技のようなものである。
 「開幕式」前夜の今日、メイン・テキストである西谷啓治『宗教とは何か』の「予選的」読解がいよいよ始まった。今回の演習のメイン・テーマは「空の思想のアクチュアリティ」であるから、本戦での読解作業はそこに集中したい。だから、今日の「前夜祭的」演習では、「緒言」「一 宗教とは何か」「二 宗教における人格性と非人格性」を思いっきりざっくりと要約するつもりであった。
 ところが、いくらざっくりとは言っても、テキストの理解のためにはこれとこれは押さえておかなくてはならない、いや、そのためにはあれにも言及しておかなくてはという老婆心がずきずき疼いてしまった結果、予定の半分もこなせなかった。
 例えば、西谷があたかも自明の概念のごとく言及しているカントの「根本悪」をきわめて図式的に紹介するだけでも、それがカント哲学の立場からする原罪の神話の解釈であり、単なる理性の限界内で聖書の伝承の内容を解釈する試みであることを説明する必要がある。ところが、学生は聖書を読んだことがないし、キリスト教についての知識も皆無に等しい。だから、『創世記』第三章冒頭の失楽園の箇所をまず読み、そのアダムとイヴの寓話(と言っていいかどうかも問題であるが、それは措く)が何を意味しているかについての解釈の歴史を説明しなくてはならない。ついでだが、ユダヤ・キリスト教的文脈で根本悪の問題を考えるときには、グノーシス派の思想もしっかり押さえておく必要があるからそれにも言及(これじゃあ、チャッチャと進むわけないじゃん)。
 西谷が何気に(じゃないだろうけれど)「無我」とか言い出せば、原始仏教にはそのような発想はないことを説明した上で、いつどこでそれが仏教思想史の中でせり出してくるかを指摘しておく必要がある。
 サルトルの無神論的実存主義とキルケゴールの有神論的実存主義とはどこで決定的に異なるか、ちゃんと押さえておきましょうねとか、ニーチェにおけるニヒリズムに関しては、積極的でアクティブなニヒリズムと消極的・受動的なニヒリズムとを区別する必要があるから、要注意ですよとか、もういくら時間があっても足りません。
 そんなわけで、一時間半の予定を二十分ばかり超過したところで、「じゃあ、続きは明日ね」という中途半端な感じで演習終了(でも、こういう「てんやわんや」でとっちらかった状態、嫌いじゃないんだなぁ。だって、こういうカオス的状態こそクリエイティブじゃないですか?)。
 それはともかく、気分を切り替えるために、演習終了後すぐに着替えてジョギング。でも、二日続けて二時間走った翌日だからだろうか、それに早朝と違って気温も二十五度以上を越えていたからだろうか、三十分走ったところで目眩がしてちょっとふらつく。で、あとはウォーキング。それでも一万二千歩、十キロの最低ノルマはクリア。
 明日から、空の思想の頂上目指してアタック開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


石の謎、死体の局部研究、民俗学者としての渋沢敬三の開花

2021-07-27 14:58:16 | 読游摘録

 二日連続で二時間走った。といっても、速歩のほうが速いのではないかというスローペースで18,5キロ。今日はナイキのペガサス38で走った。シューズによって走り方を少し変えたほういいこともわかった。それはより速く走るためではなく、より疲れにくい走り方、膝、前脛骨筋、アキレス腱などにより負担がかかりにくい走り方をするためである。今日はまったくどこにも痛みが出ることもなく完走できた。ほんの少しずつペースを上げて、どこにも痛みがでないように気をつけつつ、二時間で20キロあたりを目標にしようと思う。
 五来重『石の宗教』(講談社学術文庫 2007年 初版単行本 1988年)をところどころ読む。石は不思議だ。五来は「謎だらけ」だという。

これは自然界の謎を石が背負っているように、人間の心の謎を石が背負っているからだろうとおもう。そして人間の心の謎は宗教の謎である。したがって宗教の謎が解ければ、石の謎も解けるにちがいない。その宗教というものも、人間の頭でつくった文化宗教では石の謎は解けない。仏教の唯識の三論の、天台の真言のといっては、石仏の謎一つも解けないだろう。キリスト教の神学でも、儒教の哲学でも石には歯が立たない。それは自然宗教としての原始仏教、未開宗教、あるいは庶民信仰や呪術宗教の分野だからである。

「謎の石―序にかえて」より

 植木雅俊『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』(角川選書 2014年)、半分ほど読み終える。この稀代の碩学がどれほど偏狭なアカデミズムやセクショナリズムを嫌い、それと戦い続けていたかがよくわかり、とても興味深い。心に触れるエピソードも多い。同書には『比較思想の軌跡』(東京書籍 1993年)から数カ所引用されているが、その一つを孫引きする。

日本の哲学的諸学問の大きな欠陥は、人間の生きること、人間の思考・感情の諸様相の生きた体系を、そのものとしてとらえようとせず、細分化してしまって、人間そのものを見失っていることである。いわば生体解剖をした死体の局部局部を研究しているようなものである。

 こう中村元が述べたのは比較思想学会第五回大会(おそらく1978年)でのことだが、それから四十年以上経った現在も、解剖された死体の局部研究のような論文を書かなければ、ガクジュツ的論文とみなされず、したがって研究者として認められないという状況は、さほど変わってはいないのではないだろうか。
 佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫 2009年)第四章「廃嫡訴訟」を読む。渋沢栄一の嫡子篤二の廃嫡が東京地裁により正式に決定されたのは、大正二年一月十五日のことであった。それは、敬三が十六歳のとき、東京高等師範学校附属中学の卒業を間近に控えていた。大正四年八月、渋沢同族会は株式会社に改められ、十九歳の敬三が初代社長に就任する。栄一の「放蕩息子」篤二の代わりに渋沢宗家当主となることがこれで決定的となる。祖父栄一が九十一歳で大往生を遂げたのが昭和六年十一月。翌昭和七年一月、篤二の若き日の養育係であり、敬三に対してもなにくれとなく世話をやいた穂積歌子も六十八歳で他界。同年十月、父篤二、白金の妾宅で死去。

偉大なる祖父と、その重圧にうちひしがれたまま蕩児として生涯を終えた父、そして渋沢一族の繁栄をひたすら願った謹厳実直な伯母の相次ぐ死は、敬三を悲嘆のどん底にたたきこんだ。だが、渋沢家の一つの時代の終わりを告げる三人の死は、一面、敬三にとって一種の解放でもあった。

敬三が本格的に民俗学者として開花するのは、祖父栄一の死後である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


未知なるものとしての「伝統」へアプローチする哲学的方法論

2021-07-26 13:26:10 | 講義の余白から

 遠隔集中講義事前ミニ演習第三回目。学生の一人の都合で日本時間の午後一時開始。こちらの午前六時である。普段午前四時起床が基本である私にとって、少しも不都合ではない。むしろ朝方に一仕事終えられて好都合なくらいである。
 今日の演習は「スペシャル・メニュー」。空の思想は、今日の私たちにとって、馴染みのある「伝統的なもの」ではないであろう。日本思想史についてほとんど何も知らず、ましてや東洋思想についての知識は皆無である学生たちにとって、空の思想はほとんど未知なる異文化とさえ言えるかも知れない。しかも、哲学科で学ぶのは主に西洋哲学の諸概念である。では、自分たちがその中で生きていると思っている日本文化の内奥にある〈異なるもの〉にどのようにアプローチすることができるか。そのための哲学的方法論が今日のテーマであった。
 メイン・テーマと直接結びつくわけではないが、方法論的な示唆を与えてくれる参考文献として、井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫 1991年)と廣松渉『〈近代の超克〉論 昭和思想史への一視角』(講談社学術文庫 1989年)を挙げておいた。
 ミニ演習を終えたのが午前七時半。すぐに着替えてジョギングに出かける。この二日間ほぼウォーキングだけだったので、脚の疲れもほぼ取れている。今日はどこまで走れるか試してみる。結果として、二時間休みなく走ることができ、距離も19キロメートルと前回より若干伸びた。
 これにはシューズの違いも関係があると思う。ナイキのペガサス 38、ミズノのウェーブ・インスパイア 17、アシックスの Gel-1090 の三足を順番に履いている。前二者は、柔らかく足を包むような感触で、接地のショックをソフトに吸収してくれるのだが、その分蹴り出しのときに脚に負担がかかっているようだ。それに対して Gel-1090 は全体に硬めで、踵の反発力を推進力に変換しやすいように感じる。今のところ、今日履いた Gel-1090 が一番走りやすく感じる。
 ただ、姿勢や脚の使い方の違いによってもシューズの向き不向きは変わってくるのだと思う。だとすれば、タイプの違うシューズを日替わりで履くのは脚にはよくないのかも知れない。脚がシューズに慣れるということもあるだろうから。まだそれぞれ四、五回しか履いていないから、もう少し様子をみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


黒い緑の森 ― いつかまた熊野を歩きたい

2021-07-25 18:40:44 | 読游摘録

 今朝は起きるのが少し遅かった。朝七時にウォーキングに出かける。ここ数日、痛みがあるわけではないが脚部が少し疲れ気味なので、ジョギングは昨日今日と休むことにした。それでも、昨日土曜日は、街中への買い物の行き帰りに十二キロ歩いた。今日日曜日は、森までの行き帰りは歩き、森の中で少し走った。総歩行・走行距離は二十キロ。三時間余り、休まずに歩き、走った。
 どんな変化が体に起こっているのかよくわからないが、先週火曜日から体脂肪率が一段と下がった。12%台に入った。特に体幹の変化が目立つ。二ヶ月前にはあった腹回りの贅肉がほぼすべて削ぎ落とされ、皮下脂肪は7%台まで落ちた。BMIも20,5だから、もう痩せなくてもいいところだが、脚部の皮下脂肪が一桁に落ちるところまで絞りこみたい。
 五来重『熊野詣 三山信仰と文化』(講談社学術文庫 2004年 初版単行本 1967年)を少し読む。2010年夏に熊野坐神社(本宮)を友人と二人で訪れた。本宮までまず車で行き、中辺路を滝尻王子址まで徒歩で往復した。那智勝浦は、1984年春にバイク仲間二人とツーリングに行った。いつか本宮から新宮まで歩いてみたい。

 熊野は謎の国、神秘の国である。シュヴァルツ・ワルトともいうべき黒い緑の森と、黒い群青の海。その奥にはなにかがかくされている。海と山と温泉の観光地なら、日本中どこにでもある。しかし熊野にはほかのどこにもない何かがある。南紀のあの明るい風光の奥にはこの世とは次元のちがう、暗い神秘がのぞいている。
 熊野は山国であるが、山はそれほど高くはないし、森も深くはない。しかしこの山は信仰のある者のほかは、近づくことをこばみつづけてきた。山はこの秘境にはいる資格があるかどうかをためす試練の山であった。ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができた。人が死ねば、亡者は枕元にたてられた樒の一本花をもって熊野詣をするという。だから熊野詣の途中では、よく死んだ親族や知人に会うといわれた。これも熊野の黒い森を分ける山径が、次元のちがう山路――死出の山路と交叉するからであろう。私も那智から本宮へむかう大雲取越の険路で死出の山路を分けすすんでいるのではないかとう幻覚におそわれた。尾根道であるのにじめじめとうすぐらく、徽くさい径であった。草に埋もれたその径には手の込んだ敷石が延々とつづいていた。その中世のめずらしい舗装道路は、中世人が「死者の国」にあこがれる執念のかたまりのようにおもわれた。

五来重『熊野詣』「はじめに」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


孫少年のこと ― 佐野眞一『旅する巨人』より

2021-07-24 23:59:59 | 読游摘録

 今日、集中講義事前ミニ演習の第二回目。立川武蔵『空の思想史』を読む。西谷啓治『宗教とは何か』に展開されている空の思想のよりよい理解のための準備作業。「諸法実相」が日本における空の思想の鍵鑰であることを強調する。参考文献として末木文美士『日本仏教史-思想史としてのアプローチ-』(新潮文庫 1996年 初版単行本 1992年)を挙げておく。とくに「FEATURE 2 本覚思想」が参考になる。
 昨晩、佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』の第二章「護摩をのむ」を読む。深く感動する。

 宮本が住んだのは、昭和二(一九二七)年に役場が改築され、そのあまった資材で建てられた教員住宅だった。泉州沖をのぞむ松林のなかにポツンと建てられたその教員住宅に、毎晩のように子供たちが押しかけた。
 宮本は子供たちがくると自炊する手を休め、何時間でも話しこみ、日曜日には、村を中心に十キロくらいの範囲を子供たちと一緒に歩きまわった。そういうとき、宮本はきまってこんな話をした。
「小さいときに美しい思い出をたくさんつくつておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ勤めるようになると、もうこんなに歩いたり遊んだりできなくなる。いそがしく働いてひといきいれるとき、ふっと、青い空や夕日のあった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」

 宮本はとりわけ被差別出身の生徒や、片親で育った生徒には肉親同然の愛情を注いだため、女生徒たちはみな宮本を兄のように慕ったという。宮本は孫普澔という朝鮮からきた少年にとりわけ目をかけていた。

 宮本は貧しい孫に目をかけ、朝鮮はいつか必らず日本から独立する、それまで頑張れと励ましていた。あるとき、孫が行方不明になった。別の先生がきつく叱ったのが失踪の原因だった。
 警察に捜索願いを出すと、一週間ほどして、信州の木曾福島の山中でそれらしき少年を発見したとの連絡が入ってきた。その夜、宮本が信州へ行く旅仕度をしていると、校門のところにたたずんでいる黒い人影がみえた。学生帽をまぶかにかぶって、小わきには風呂敷づつみをかかえている。
 宮本が「孫くんか、入りなさい」というと、孫は宿直室に飛びこむなり宮本にむしゃぶりついて、うめくように泣きつづけた。信州から飲まず食わずの旅をつづけ、家にも帰らずまっすぐ宮本のところにやってきたという。宮本は、「いい経験だったね。私にもいい経験になった」とだけいった。

 その後、宮本は、無理が祟って肺結核を発症する。

 宮本の発病を知った子供たちは毎日のように教員住宅につめかけた。
 家出した孫は、自分の家から布団を運びこみ、それを敷いて宮本のそばで寝た。夜半に目をさますと、台所で水枕の水をかえる孫の小さな姿がみえた。宮本は眠ったふりをしていたが、孫の小さな冷たい手が額にあたるたび涙があふれた。
 学校の近くに、春日神社というかなり大きな社がいまでもある。孫はその神社に毎朝、裸足まいりの願をかけた。
 数日後、宮本は危篤におちいった。医者が枕元で、「今夜がヤマでしょう」と、郷里からかけつけた両親に伝えているのを朦朧とした意識のなかで聞いていた。
 熱はその日から次第に下がっていったが、数日後、宮本はまた危篤におちいった。その知らせを聞いた孫は一日じゅう泣きつづけ、学校も休んだ。裸足まいりが通じなかったことに憤った孫はその日から、一里近い道のりにある別の神社へ日参し、水垢離をとりはじめた。
 宮本は、孫のためにだけでも元気になりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本に帰れないこの夏、忘れられた〈日本〉を旅する

2021-07-23 05:55:49 | 読游摘録

 昨日の記事で話題にした山本博文『対馬藩江戸家老』の「はじめに」の中に、「対馬は、宮本常一氏の著作に示されるように民俗学調査の宝庫であり、亀卜などの宗教学的に珍しい風習もある」という一文がある。実際、宮本常一は、昭和二十五年七月に八学会連合によって行なわれた対馬調査に参加し、翌年も九学界連合に発展した同連合の対馬現地調査にも参加している。対馬についての著述も多く、名著『忘れられた日本人』(岩波文庫 1984年 初版 1960年)の冒頭の一文は「対馬にて」である。
 この夏も昨夏に続き一時帰国をあきらめた。この年末年始には帰国したいと思っているが、年末年始は帰国期間がせいぜい三週間だから、なかなか旅行に出るチャンスもない。2017年夏は北海道を訪ねた。2018年夏は沖縄と岐阜を訪ねた。今度夏に帰国するときは、また別の土地を訪ねたい。その機会を夢見つつ、この夏は書物を通じて「忘れられた日本」を旅することにした。
 手始めとして、佐野眞一の『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫 2009年 初版単行本 文藝春秋社 1996年)を読み直し始めた。本書は傑作評伝である。
 その第一章「周防大島」の中に、常一が故郷周防大島を離れ大阪に出るとき、父善十郎が十六歳になる前の息子に書き取らせた十カ条のメモの全文が引用されている。この十カ条は宮本の回想的自叙伝『民俗学の旅』に全文紹介されている。小学校も出ていない父親が長い旅の暮らしのなかで身につけたその人生訓は実に味わい深い。少し長いが、全文引く。

①汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。
 駅へ着いたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
②村でも町でも新しく訪ねていったところは必らず高いところへ登って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。
 峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必らず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。
③金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
④時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
⑤金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
⑥私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。
⑦ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。
⑧これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
⑨自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。
⑩人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしつかり歩いていくことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


声に出して読む日本語レッスン

2021-07-22 12:42:07 | 日本語について

 今年度に予定されていた九州大学への留学をコロナ禍のせいで諦めざるを得なくなった修士二年の学生がいる。対馬藩の近世外交史をテーマにした修士論文を執筆中で、九大への留学はその論文を仕上げるのに必要な現地調査のためにも是非実現させてあげたかった。しかし、これ以上宙ぶらりんな待ちの状態に置かれるより、フランスにとどまって今年度中に修論を仕上げて前に進みたいと本人が言うので、論文の構成の変更を提案した。今その案に従って仕上げようとしている。すでに百枚以上書けており、全体のバランスもよく、何とか年内には口頭試問にこぎつけるだろうというところまできた。
 その学生から先月末にメールが来た。論文の方は順調だけれど、留学は駄目になったし、最近全然日本語を話していないので、日本語表現力が落ちている。このままだと来年受験するつもりの日本語能力試験2級もあやしい。どうしたらいいかという相談であった。ZOOMで日仏両語を使って話し合った。今は修論完成が最大目標だから、その補助になるような形で日本語口頭表現能力の立て直しを図ろうと提案した。具体的には、手始めとして、修論のために読んでいる日本語の文献を声に出して読むことを提案した。しかし、ただ自分一人で声に出して読むだけでは、正しく読めているかどうかわからない。だから、私が聴手となって、読み方を確認することにした。
 昨日がその第一回目だった。テキストは、山本博文の『対馬藩江戸家老 近世日朝外交をささえた人びと』(講談社学術文庫 2002年)の「はじめに――対馬藩の特殊性」に予め決めてあった。彼女はこの本をすでに熟読しており、内容理解には問題がない。一段落ずつ声に出して読ませた。聴手がテキストを見ないで聞いてもわかるように読むのは実はそんなに簡単なことではない。漢字の読み間違いがあってはならないことは言うまでもないが、発音や一文内の区切り方などが不適切だと聞いただけではわからなくなる。だから、一応は読めていても、それらの点に問題があると事細かに注意した。
 夏休み中は、ずっとバイトしながら論文を書き続けるという。週一回くらいのペースで「声に出して読む日本語レッスン」を続けることを提案した。次回のテキストは、荒野泰典『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫 2019年)である。本書の基になっているのは、かわさき市民アカデミーでの講義(2002年)である。本書にもそのときの話し言葉の調子が残されている。それだけ読みやすく、使える表現も多い。テーマもまさに彼女が修論で扱う問題に直結している。