内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

アルザスからベルクソン国際シンポジウムへ向けて

2013-09-30 00:30:00 | 雑感

 今朝(29日)、アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)で朝食を済ませた後、女性職員の1人がコルマールまで車で送ってくれる。車中、彼女がヨーロッパ中世、特に10世紀における衣服の研究をしている修士の学生で、同じテーマで博士課程まで進みたいと思っていることがわかり、どうしてそのようなかなり特殊なテーマに関心を持つに至ったかのか、CEEJAでの仕事の面白さや大変さなど、わずか20分足らずだったが、車中の会話であれこれ話すことができて楽しかった。
 この研究所の至れり尽くせりのもてなしにはいつも感心させられる。地元経済界による強固な財政基盤の上に設立され、広大な敷地と充実した設備を持ち、有能で実に感じのよいスタッフたちがすべての企画をその全体にわたってそれぞれの企画の目的と性格を考慮しつつしっかりと支える。参加者たちはみなまた戻ってきたくなる。今年、日本の外務省からその活動が表彰されたのも、だから、十分にそれに値すると言っていいだろう。
 午前11時過ぎにはパリ東駅に到着。正午には自宅に帰り着く。荷物を整理し、洗濯もすぐに済ませる。これで今回の研究集会への私の関わりにはピリオドが打たれた。明日からまた講義の準備で忙しくなるが、同時に11月のベルクソン国際シンポジウムの小林原稿の仏訳の再開と自分の発表原稿の作成にも取り掛からなくてはならない。休んでいる暇はない。しかし、この世に留まることを許されているかぎりは為すべき仕事があるという精神の充溢と緊張を、今、感じている。


アルザス ・欧州日本学研究所研究集会第2日目

2013-09-29 05:46:00 | 雑感

 今日(28日)、午前中に2つの発表。最初は「日本浄土仏教における同朋・同行の観念」。仏教における、特に親鸞における「同朋・同行」の概念、そして浄土教における「道」と救済の関係を精密に分析し、そこからそれらの問題をユダヤ・キリスト教の中で特にマルティン・ブーバーとキルケゴールとの中に共通点・相補的な要素を探っていった。前半は大変興味深くかつ納得しつつ聴くことができたが、後半にはちょっと納得しがたいところもあった。発表者には発表後に少し質問をして、いくつかの疑問を解くことができた。次の発表は「京都学派の哲学者の言語観」というタイトルだったが、大半は西田の話。杜撰で表面的かつ誤りだらけの羅列的解説(とさえ言えないレベル)。質問する気にさえならない。コメントにも値しない。本人には自分の学問的力量の貧しさについての厳しい自己反省の姿勢もなく、これではいつまでたっても進歩がないだろう。それでも本人一廉の研究者のつもりなのだからもはやつける薬はない。
 午後は私1人の発表。論証手続きは時間の関係上一切省き、朝食後に1時間ほどで作ったパワーポイントに要点をまとめ、ほとんど原稿は見ないで、会場の奥に座っている10人ほどの学生たちの方を主に見て話す。「種の論理」の批判的検討とこれからの研究プログラムの提示という意味では非常にうまくまとめることができた。発表後の会場からのリアクションもこちらの意図に呼応する質問やコメントが多く、大変有り難く、かつ嬉しく思った。それによってこれからの研究への促しを与えられる。この集会への参加が自分の研究の次へのステージへのステップになってくれるであろう。
 研究集会終了後は、アルザスのワイン街道でもっとも美しい村とされるリックヴィールの街の観光とレストランでの夕食。みんな発表を終えたあとの開放感も手伝い、ストラスブール大の教員、アルザス・欧州日本学研究所のスタッフたちと昨日以上に楽しい会食。全体としては大成功だったと言っていいだろう。かくして今回の集会参加を終えようとしている。日本からの参加者は明日1日まだアルザス観光が残っているが、私は日曜日朝8時8分コルマール発のTGVでパリに帰る。


アルザス ・欧州日本学研究所研究集会第1日目

2013-09-28 06:28:00 | 雑感

 今日(27日)が2日間の研究集会の第1日目。朝パリ東駅から定刻通り6時55分のTGVで出発。コルマールには9時50分着。駅には研究所の職員がすでに待っていてくれた。すぐに会場へ車で向かう。会場に到着したときは、ちょうど集会が始まったばかりのところ。当初の予定では発表者4名だったが、ポーランドから参加する予定だった研究者が健康上の理由で急遽参加をとりやめざるをえなくなり、発表は3人。しかし、その分質疑応答の時間をたっぷりとることができたのはよかった。会場には、発表者6名、議論の相手として来ている研究者3名、研究所職員5名、ストラスブール大学日本学科の教員4名、ドイツ・ボッフム大学日本史学科の教員夫婦の他にストラスブール大日本学科修士以上の学生たちも10人ほど来ていて、交通の便がいいとは言えないところにある研究所であるにもかかわらず、結構な聴衆であった。
 最初の発表は万葉集の恋の歌についての発表。私が遠い昔の若い日に万葉集を勉強していたことは8月6日の記事「私撰万葉秀歌(1)」で話題にした(その後、このテーマでの続編を書く時間的・精神的余裕がないのを残念に思う。目標は百首と高く掲げているのだが)。当然のこととして、楽しみにもしていたし、実際とても興味を持って耳を傾けることができ、質問もいくつかした。2つ目は日本哲学研究で中心的なお仕事をされてきた先生による「自然の美、作為の美」についての発表。まず岡倉天心、西田幾多郎、深田康算等の考えを紹介した後、柳宗悦の「無事の美」と芭蕉の「造化」が取り上げられた。この発表も興味深く聴くことができ、いろいろと質問したかったのだが、時間の制約もあり、一つしか質問できなかったのは残念だった。昼食の席では、最初の万葉集の発表をなさった先生と隣り合わせになり、比較的最近研究成果に基づいた、古来名歌とされてきた志貴皇子の歌の読み方の変更についてお尋したら、まさに先生がその新しい読みを提示されたご本人で、貴重なお話をうかがうことができた。午後は、ヨーロッパ中世史をご専門とされる先生による中世末期の日本とヨーロッパにおける自律したローカル・コミュニティの成立過程についての比較研究の発表。私にとってはこれが一番面白かった。明日の自分の発表内容の背景となっている問題意識とぴたりと重なったからだ。私の考えたいことは、自律したローカル・コミュニティの形成の原理とモメント、そしてその地理的条件ということなのだが、それについて豊臣政権成立期の畿内の惣村の事例と南アルプスのチロル地方における村組織が比較されたこの発表は、具体的な事例を提供してくれていたのだ。発表を聞きながら、自分が概念操作のレベルで考えていたことが、歴史的事実によって具体的裏付けを与えられ、それによって私自身の理論的構成がにわかに生命を与えられたかのような感をもった。
 発表後の夕食はコルマール市内のレストランで。総勢17名の賑やかな会食。楽しい数時間を過ごした。さあこれから明日の自分の発表の準備にとりかかる。聴衆の顔ぶれがわかったのでそれに合わせて発表内容をどう変えるか考える。


「種の論理」の批判的考察(4)

2013-09-27 01:40:00 | 哲学

 昨晩(25日)はとても今日の授業の準備の仕上げをするだけの元気は残っていなかったので、今朝6時半から2時間ほどかけてパワーポイントの手直しをした。ところが、いつもの階段教室の電動スクリーンが故障していて、スイッチを入れても降りてこない。仕方なしに黒板の上の壁に投射する。学生たちはちゃんと見えると言っていたからいいようなもの、とにかくいつも何かうまくいかないことがあるのがフランスという国の日常風景である。
 明日(27日)は朝一番のTGVでアルザスに向かう。終点のコルマール駅にアルザス・欧州日本学研究所の職員が車で迎えに来てくれることになっている。研究集会の開始予定時刻にはぎりぎりか少し遅れてしまうことになるが、発表は最初から聴くことができるだろう。私の発表は翌日の28日の最後つまり集会の「トリ」ということになるが、それまでに参加者もいい加減聴き疲れているだろうから、あまり集中しては聴いてもらえないだろう。それに哲学にはまったく関係がない参加者の方が多いから、そもそも関心を持ってもらえるかどうかさえ怪しいものだ。まあそれはどうでもいい。これは私自身にとっては田辺哲学研究を始める大切なきっかけになってくれたのだから。私自身はこの研究の重要性について確信がある。
 さて、出発を明日に控えて、今日が「種の論理」の批判的考察の最終回である。

 5/ 〈実践〉の抽象性という脆弱性
 二元的対立の矛盾の克服を行為実践に求めておきながら、社会内組織・グループ間対立、個人-組織間対立、個人間対立などの現実的社会現象の分析がまったく欠如しているために、「実践」を語りながら、それが具体性を欠いた抽象的なレベルにとどまっている。これではいくら思索を重ねても社会的には有効性を欠いた個人の「観念的な」努力に終始することになってしまう。
 家永三郎は、「田辺の「個」は種に直接対立する孤立単独の「個」に終始し、種のごとき共同社会的統制者でない、個の自発的連帯組織を、単独の個と種ないし類としての国家の中間に不可欠の媒介者として挿入しようとするアイデアは、完全に欠落していた」(『田辺元の思想史的研究』406頁)と厳しく指摘しているが、例え田辺自身にはこのようなアイデアがまったく思い浮かばなかったことは事実だったとしても、それは「種の論理」からそのようなアイデアが論理的に導出できないということを直ちに意味しない。おそらく家永のいう「個の自発的連帯組織」を、個と社会との間の、あるいは社会と国家との間の、可塑的で遊動的な媒介的〈中間項〉として形成するための基礎理論として「種の論理」を機能させることができるかどうかが、今日の新しい社会存在の哲学の最も重要な課題の一つであることは間違いないと私には思われる。


「種の論理」の批判的考察(3)

2013-09-26 05:05:00 | 哲学

 今日(25日水曜日)は、23日の記事でもその理由を説明したように、ハードな1日だった。朝8時に遅れて登録した学生の一人と面談。8時45分からの1年生の「日本文明」の授業では、途中でインターネットへの接続が切断されてしまい、学生たちに見せようと準備しておいたサイトへのリンクを使えず、急遽来週から本格的に話す予定のテーマを先取りするかたちになり、学生たちの集中力もそれで途中で切れてしまい、ちょっと教室がざわついてしまった。TD(演習)の方は接続も回復し、まあまあ大過なく終了。45分休憩して、午後1時から修士の授業「専門日本語:経済」の第1回目。15名の出席者のうち男子学生は1人だけ。学部からの進級組の一人なのでよく知っている学生の1人。心細そうであった。今日は全般的な説明を前半1時間した後、出席者全員に日本語で自己紹介させ、レベルをチェックする。大抵の場合そうなのだが、外部から来た学生たちの方が日本語はできる。パリ第7大学から3名、リヨン大学から1名。オルレアン大学から1名。中国から1名。皆かなり良く日本語ができる。特に1年間の日本への留学経験をもっている2名は、当然といえば当然だがよくできる。中国人学生は日本語能力試験の1級をもっており、やはりよくできる。彼女たちがリードしてくれれば、全体としてのレベルアップも期待できるだろう。初回ということもあり、女子学生が圧倒的多数ということもあり、私が説明していた最初1時間はあまりにも皆おとなしい様子なので、これから授業で喋らせるようにするのに苦労するかなあと危惧したが、自己紹介をさせてみて、安心した。話をうまく振れば何人かはかなりよく反応してくれそうだ。
 その授業が終わるとすぐに電車に飛び乗り、パリに戻る。一旦自宅に戻り、小1時間休憩。そして「同時代思想」の講義を行うイナルコへメトロとバスを乗り継いで向かう。住んでいるアパルトマンと同じ区内にあるので移動には30分を見れば十分。教室には授業開始時間の6,7分前に到着したが、すでに10人以上の学生が教室で待っていた。持参したラップトップ型パソコンを立ち上げて開始時刻を待っていると次から次へと入室してくる学生があり、開始時刻には定員24名の教室がほぼ満席。開始後も遅れて来た学生があり、他の教室から持ってきた椅子を通路に置いて聞く学生もいた。これはまったく予想外だった。授業の後で、学生としては登録していないが聴講してもいいか聞きにきた老婦人も1人いた。もちろん喜んで許可した。ちょうど2時間しゃべり通したが、途中で出たいくつかの質問に答えたこともあり、準備していたことの半分くらいしか喋れなかった。しかし、調子のいいの時はいつもそうなのだが、話していると自ずと次に話すべきことが浮かんできて、講義の準備メモとして用意しておいたパソコンの画面をほとんど見ることなしに、板書も交えて学生たちの顔をみながら話し続けることができた。これは私にとってもっともうまく授業がいくパターンである。こういう時は軽い冗談も自ずと口をついて出るものなので、うまく学生たちの緊張もほぐすことができた。小さい教室ということもあり、学生たちの集中度は手に取るようにわかるのだが、最後までほとんど落ちることはなかった。このようにして、今年の「同時代思想」の講義はこれ以上望めないほどいい形でスタートを切ることができた。ちなみに、田辺の「種の論理」についても一回の授業を充てて講義で取り上げる。おそらくこれがフランスの大学の通常の講義で田辺哲学が取り上げられる初めての機会となるだろう。
 というわけで、気分的には充実感をもって午後8時過ぎに帰宅することができたが、朝からずっとしゃべり通しではあるので、やはり疲れた。私としては非常に遅い夕食を今さっき済ませたところで(現在時刻午後10時)、この記事を書いているが、さすがにもう「種の論理」の批判的考察についての原稿に何かを書き加えるエネルギーは残っていない。原稿のごく短い一節を下に再録するに止めざるをえない。

 4/ 「種の論理」と「絶対媒介の弁証法」とのアポリア
 この根本的な理論的困難は、「種の論理」の形成過程において、高橋里美によって指摘されるが 、その批判を受け止めた田辺は、種の直接性を否定する「絶対媒介の論理」によって、その克服の方向を示す。それによって「種の論理」が内在的に自らの理論的困難を乗り越えることが可能になる。しかし、それだけではなく、この方向への論理の徹底化によって、「絶対媒介の哲学」―自体的存在の徹底的排除、根本的非実体化の論理、徹底的相対化の原理、無窮の動態構造の論理―の構想が可能になる。ここに本稿は「種の論理」が内包する積極性を見る。


「種の論理」の批判的考察(2)

2013-09-25 00:37:00 | 哲学

 今日(24日火曜日)は、朝7時にプールに行って1時間泳いだ後は、朝9時から今午後5時まで、ずっと明日の「同時代思想」の講義の準備にかかりきりだった(普段から昼食は取らず1日2食が原則だから、このように仕事を続けることは例外的なことではないが)。もう2回分の講義に十分なだけの準備ができたので、今日はこの辺で切り上げ、これから夕餉のための買い物に出かけ、プール以上に習慣化していると言わざるをえないワイン(アル中ではないし、依存症でもないですよ。単に好きなだけですから、念のため。それに今丁度秋のワイン・フェアをあちこちの店でやっていて、この期間は特に色々なワインを飲み比べなくてはならないのである)を飲みながら夕食を取ることにする。

 さて、「種の論理」の批判的考察の第2回目。今日のテーマは、まさに現代社会のひとつの大きな問題に直に繋がることは、世界各地の現在の紛争を見ただけでもわかるだろう。この〈民族〉が解体の可能性を常に内包した可塑的で相対的な概念にすぎず、決して不変の〈基体〉ではなく、それ自体の存在を主張できる〈実体〉でもなく、ましてやそれ自体が決断を行いうる〈主体〉などではありえないことが論理的に導き出せるかどうかが、「種の論理」の根本問題である。田辺自身は、下の引用を読めばわかるように、ここで決定的な誤謬に陥ってしまった。だが、その誤謬はまさに当時の歴史的現実の圧倒的な重圧によって田辺において引き起こされた誤謬と言うべきであり、「種の論理」そのものが完全に破綻しているからではない。高橋里美や家永三郎が指摘しているように、「種の論理」の基本的なテーゼから演繹されるのは、まったく別の帰結なのである。

 3/ 〈民族〉の基体化・実体化・主体化
〈種〉を基体化し、それを〈民族〉あるいは〈民族国家〉に配当することは、民族間の現実的対立を論理的に不可避なものとして合理化するだけでなく、その対立を〈種〉の不変の本質に基づけることによって論理的に正当化してしまう。そこには歴史的現実(慣習)の合理化・自然化の危険が歴然としている。〈主体〉が〈民族〉として集団的次元で実体化されるとき、そこから〈国体〉の実体化を妨げる論理的障壁は消滅する。基体化された〈民族〉の有限的相対的要素にすぎないかぎり、〈個人〉はもはやそこで自律的主体ではありえない。
 「民族は、たとい階級の廃棄が行われても、より原始的なる生命の種化の発見として、廃棄せられるものではない。種は種と対すること不変の本質である。しかも個と個との対立を統制する共通者としての種に対して、さらに種と種との対立を媒介すべき類は、それ自身種の如くに直接存在するものではないのであるから、種を類に由って統制すること、種に由って個を統制する如くすることは不可能なのである」(「社会存在の論理」『種の論理 田辺哲学選Ⅰ』176-177頁)。さらにこの引用箇所のすぐ後ろには、「民族の種別が消滅しない限り(しかしてそれは生命存在の本質上不可能なること今述べた如くである)、国家は否定せられるべき筈のものでなく、かえって国家のみ階級の止揚をなすことができるものと考えねばならならぬ」とあり、民族と国家が何の論理的手続きも経ずに同一化され、しかも民族の存在根拠が生物学的類推によって自然化されている。ここから社会ダーウィニズムへの逸脱を妨げる論理的機制が「種の論理」に備わっているかどうかも問題にされなくてはならない。
 しかし、高橋里美は「種の論理」の中に「過去的種を破つて未来の企劃をなす実践的自由を主として個に帰せんとする人格主義的動機」(家永前掲書72頁)を読み取り、家永三郎も「種の論理、国家的存在の論理が、一面において個の実践の自由を単なる主観的要請に終わらせないためにこれに基体的存在論的基礎づけを与えると同時に、存在の必然、全体の統制に対しその独立を確保するための論理として構想され」、「個の独立性が種の論理の体系の確立以後にもひき続き維持されていた」と認めており(同書69、72頁)、この実践的自由の主体として独立した個を類と種に対して自立した媒介項として確保する理論として「種の論理」を読む余地は十分に残されている。


「種の論理」の批判的考察(1)

2013-09-24 01:06:00 | 哲学

 今日(23日月曜)は、先週に学長名で緊急召集がかかっていた学部責任者会議に出席。今年の2月に、学部長が過労のために倒れ、緊急入院、数ヶ月の自宅療養を要すとの診断を受け、本来この10月までだった任期満了を待たずに、入院数週間後には学部長職を辞し、その後学科長代理が任務を遂行していたが、先週行われた新学部長選には誰も立候補者がおらず、新学年に入っても学部長不在という異常事態に陥っていた。このままだと1年間学部外部の人間が学部長を代行することになるという前代未聞の、学部としては恥辱とも言える危機的状況にあった。今日の会議で、ようやく1人立候補者があることが学長から報告され、同席していたその候補者自身から立候補に至った経緯の説明と、それが苦渋の決断だったことが吐露された。当然だと思う。今、単に私が所属する学部だけでなく、大学全体、ひいてはフランスの大学教育が危機的な状況に追い込まれている時に、誰が好き好んで自分の教育と研究を犠牲にして、大学行政に関わりたいと思うだろうか。それだけに彼女の勇気ある決断には心から拍手を送りたい。もちろんそれは出席者全員の気持ちでもあった。それだけに彼女をサポートしていこうという空気はできているとも言える。

 さて、アルザスでの発表も今週土曜日に迫ってきていながら、講義の準備等に追われ、発表の中で提起する問題について集中して考える時間が取れないままでいるが、このブログの記事として発表原稿に若干手を加えたものを投稿することによって僅かな時間でも考え続けたい。今日から4回に分けて少しずつ分載していく。
 発表の中心になるこの節では、5つの論点について、田辺の「種の論理」を批判的に検討する。参照するテキストは、「社会存在の論理―哲学的社会学試論」(1934-1935年)「種の論理と世界図式―絶対媒介の哲学への途」(1935年)「種の論理の意味を明にす」(1937年)の3論文に限定する。

 1/ 〈国家〉概念の両義性
 これが「種の論理」のいわばアキレス腱である。「種の論理」においては、種である個別国家が類としての〈国家〉へと概念として高次化されるという弁証法的論理の手続きが、民族国家という歴史性・特殊性・有限性・相対性によって規定される現実態が本来実体性のない「人類的国家」の普遍性・一般性・無限性・絶対性を事実的に簒奪する手段として機能している。しかし、すでにこれまでの記事で繰り返してきたことだが、このような論理的逸脱は、絶対媒介の論理に従うかぎり、けっして許されることではない。いかなる国家も、それが「人類的国家」であれ、それは個人の自由なる決断によって媒介され、その個人が帰属するところの現実の種的国家に対してその個人が対立することが論理的に確保されねばならず、それができないのなら、そもそも絶対媒介の弁証法など成立しえない。いかなる国家もその相対性と有限性を解消することは論理的にありえない。〈種〉が〈類〉に転化するは、どのような弁証法的手続きを経ても、ソフィスト的詐術以外のなにものでもない。

 2/ 国家の強制力の合理的根拠
 家永三郎によれば、田辺においては「種の論理」の国家的存在論への発展は、「個人に対する強制力の合理的根拠を探ろうとして導き出されたものであるが、それは消極的に個人に対する強制を肯定する根拠を明らかにするにとどまらず、積極的に個人よりも論理的に高次元に位置する国家の相対的絶対性の哲学的意味付けにまで高められた」が、同じく国家の強制力の根拠を問いながらも、「むしろ国家の強制力の限界を画定する方向に進んだ国家哲学」もあったことからして、田辺の取った方向は「決して一義的な論理的必然の道ではなかった」のである。「種の論理」にこのもうひとつの方向性は論理的に潜在しているかどうか。もちろんそう考えるからこそ、「種の論理」は今日まさに再検討に値するというのが私の立場であることは、すでに9月11日の記事から4日間にわたって述べた。この意味で「種の論理」には両義性があるが、田辺自身が主張する絶対媒介の論理に従うかぎり、田辺のとった途は論理的に誤っていると言わざるをえない。しかし、同時にまさに同じ理由で、田辺自身の論理に従って「種の論理」のもう一つの方向性を打ち出すことも可能でなければならない。


社会存在の論理としての「種の論理」の多角的検討(最終回)

2013-09-23 00:30:00 | 哲学

 今朝(日曜日)は、プールは定刻の8時に開門。最初の10分くらいはコースにただ1人で快適に泳げた。いつもこの最初の貴重な10分間に500から600m泳いで、後は同じコースでその日泳ぐ人たちのペースに合わせて泳ぐ。今日は2人の老婦人がどうやったらあんなにゆっくり泳げるのだろうと感心するくらいのペースで泳がれるので、随分待たされた。彼女たちなりに手足は結構動かしているのである。でも進まないのである。これもひとつのテクニックとさえ言いたくなるくらいである。日本のプールと違って、追い越し禁止ではないのだが、同じコースで往復するので、対抗泳者のことも気にかけねばならず、私は追い越しを原則としてしないで待つ。もちろん全体の流れなどには一切配慮せず、自分のペースを守るために追い越していく人のほうが多い。
 今週から12月第1週まで、水曜日が極めてハードな一日になる。朝8時には本務校に到着、8時45分から1年生の「日本文明」の講義と演習2クラスとで3コマ連続。それらが12時15分に終了。13時から15時まで修士の「専門日本語:経済」の授業。それが終わったらすぐにパリに移動し、17時半から19時半まで « Pensée contemporaine »(「近現代思想」あるいは「同時代思想」と訳すべきか。理由は6月19日の記事で説明した)の講義の今年度第1回目。今年度は昨年度よりさらに取り上げる日本の哲学者・思想家の数を増やしちょうど10人とする予定(取り上げる10名は6月9日の記事に掲載した)。最初の2回の講義は、全体講義プランの説明、予備的考察、方法論について話す。それ以降の10回で1回に1人ずつ取り上げていく。そして年明けの最終回で全体の総括を行う。今年は果たして何人出席してくれるだろうか。昨年は履修登録学生17名、毎回平均出席者は10人前後だったが、今年は同じ水曜日でも時間が遅い。皆帰りが遅くなるのをいやがるのが普通だから、そもそも履修登録者が少ないことだろう。
 というわけで、そのハードな水曜日に備えて、今日中に本務校の1年生の「日本文明」準備は終わらせてしまいたい。今さっき講義のためのパワーポイントづくりは終了。これから演習のためのパワーポイントづくりにとりかかる。

 さて、「種の論理」の多角的検討項目列挙の最終回。第9、10項目を以下に提示する。

 9/ 経済学的問題
 田辺の「種の論理」の形成にマルクス経済学思想の摂取、対決、批判が果たした役割は非常に大きい。「種の論理」が生産関係、階級社会、資本主義、社会主義、共産主義等のマルクス経済学の諸概念をどのようにその全体構造の中に位置づけているかを見ることによって、「種の論理」が現実に有効性をもった具体的実践の論理としての可能性をなお秘めているかどうか測ることができるだろう。1930・40年代の思想史を語る上でマルクス主義が日本の知識人たちに及ぼした影響は大きなテーマの一つであるし、マルクス主義にどう対処したかという点から当時の日本の知識人たちを分類することもできる。京都学派に限ってみても、戸坂潤や三木清などのいわゆる京都学派左派、彼らなど弟子からからむしろ影響されるかたちでマルクスに取り組んだ西田や田辺、その他の彼らの弟子たちでそれぞれにスタンスが違う。ただ私自身にとっては、この問題系は手に余る。他の研究者のこのテーマをめぐる著作から学ぶことばかりである。
 10/ 法学的問題
 丸山の書評では触れられていない問題だが、国家存在の論理としての「種の論理」を検討する際に、〈法〉の二重の機能がそこにどう統合されているかが問われなくてはならない。〈法〉は、一方で、権力の強制機構として法体系という現実的形態を取るが、他方で、権力の(自己)規制と個人の諸権利の尊重・保護・保証のための限定化・有限化・相対化の装置としても機能しなくてはならない。つまり、〈法〉は権力を現実に有効化すると同時にその適用を一定の範囲内に制限する自己規制的なものでなくては、独立した近代国家における法として機能しえない。ところが、田辺の「種の論理」においては、〈法〉による権力発動の規制、権力制限・濫用制限装置としての〈法〉という後者の面がまったく考慮されていない。


社会存在の論理としての「種の論理」の多角的検討(承前続)

2013-09-22 00:13:00 | 哲学

 今朝(21日)いつものプールに7時に行ったがスタッフが揃っていないとのことで定時には開門せず、仕方なしに14区のプールにRERとメトロを乗り継いで移動。ここのプールもときどき利用しているのだが、それぞれ地区によって利用者層に違いがあるのが面白い。ここにも朝の常連さんは10数人いるのだが、高齢者にかぎらず泳ぎが極端に遅い人が多い。はっきり言って下手なのである。フォームが崩れていて、あれでも泳いでいるのかと言いたくなるほどである。その中には、パリの公園の池などでよく見かける、水掻きがないのに鴨の家族のあとについて必死になって首を前後させて(そんなことしたって進まないのになあといつも見ながら笑ってしまう)追いつこうとしている、小さな黒い鳥たちを思い出してしまう(名前はなんというのだろう)。
 プールから帰ってひと息入れてから、昨日ネットで購入したパソコンを店まで直接取りに行く。そうなのである。買ったのである。いまそのパソコンでこの記事を書いている。と言ったって、新品の高性能のを買うわけにはいかないから、一度だけ使っただけのほぼ新品という触れ込みの東芝のSatellite の17インチ画面のノート型を買った。399€也。スペックは大したことないが、私にはこれで十分。ちなみに買って8ヶ月でどうやらハードディスクがクラッシュしたらしいのはソニーのVaioであった(こっちは新品買ったのにね)。これはまだ保証期間中だが、アマゾンで買ったからどこに修理に出せばいいのかもわからない。きっと郵送しろということになるだろうし、時間もかかるに違いない。それでは困るのだ。ただ、もし完全に無償で直してもらえるものならば、今後予備として使えばいいから無駄にはならない。来月問い合わせてみるつもり。
 しかし、いくら仕事のために必要だからとはいえ、この狭いアパートに今合計4台のラップトップ型PCがあるのは異常である。場所はとるし、いくらなんでも4台は必要ない。1台は大学で使っていたものだから、今度大学行く時にまた研究室に置いてくればいいが、2年前に東京のある私立大学に研究用「備品」として買ってもらったHPは、やはりハードディスクが損傷しており、そのせいか徐々にキーボードが異常をきたしてきており、テキストを打つことができない。だたこれまではプリンターに接続して印刷用として専ら使っていた。それにしても、決して乱暴な使い方はしていないし、物理的衝撃を与えたこともなく、ましてやいかがわしいサイトなどを訪問したこともない(ほんとですよ)のに、どうしてわずか2年の間にこう次から次へと故障するのだろう。なにか呪われているのかと思いたくなるほどである。コンピューターに明るくはないので、原因がよくわからないままというのは実に気持ちが悪い。

 閑話休題。「種の論理」の多角的検討の第4回目。第7、8項目。ところで、ある記事を書き始めて1回では終わらない場合、最初に掲載した記事に続く記事は「承前」とすればいいが、その「承前」の承前はなんというのだろうか。以前同じタイトルで3回記事を投稿したときは3回目を「承前2」としたことがあったが、今回は「承前続」としてみた。そうすると明日の記事は「承前続続」としなくてはならなくなりそうであるが、これはやはり行き過ぎというものであろう。幸い明日でこの同タイトルでの連載も終わるから、「最終回」あるいは「完結編」(これはちょっと大げさか)とするつもりです。

 7/ 政治哲学的問題
 「民族に配当せられた「種」を基体とし、「個」の実践の否定的媒介により「類」の地位に高められた国家」を「最も具体的な存在」(家永三郎『田辺元の思想史的研究』56頁)、つまり歴史を現実的に構成する根本的な実在とすることは、有限かつ相対的な現実の国家存在をそれ自体として合理化してしまう危険をつねに孕んでいる。ところが、田辺のいう絶対弁証法からは、国家を特に最も具体的な存在とするような帰結は導かれえない。もし〈種〉が〈個〉の否定的媒介によって〈類〉へと普遍化されるとしても、絶対弁証法はそれら3項がいずれもそれだけでは成立しえないということを基本的なテーゼとするかぎり、〈類〉にだけ優位性を置く根拠はそこからは出てこないはずである。絶対弁証法は、それを構成するすべての項の徹底した相対性と有限性と媒介性・被媒介性の自覚でなくてなんであろうか。
 昨日の記事の最後に引用した田辺の「絶対弁証の哲学の存在論」から以下のよう帰結が論理的に導き出せなかいことは明らかである。「歴史は必ずその主体たる国家から理解せられなければならない。(中略)私にとつては国家が最も具体的なる存在であり、正に存在の原形となるものである。いはゆる基礎存在論は国家的存在論でなければならぬ。(中略)基体即主体としての国家の有する絶対的相対、あるいは無の有化ともいふべき存在性は、単なる表現的存在乃至象徴的存在と根本的に区別せられる応現的存在といふべきものであつて、私はこれが存在の最も具体的なる原型であり、一切の存在は自然のそれに至るまで、此応現存在なる原型の、抽象的形態として理解せられる筈である、と信ずるものである」(「国家的存在の論理」(1939年)、家永前掲書54-55頁)。
 この実在する国家存在の合理化は、たとえ個人による否定的媒介を国家の存立のある段階で認めることはあっても、その国家への最終的従属を必然的に正当化してしまうのではないか。この論理に従うかぎり、国家に対する個人の自律性の根拠は見出し得ないのではないか(田辺がかつての自らの思想の「国家絶対主義の傾向」の誤りに気づき、戦後公刊された著書『種の論理の辯證法』(1947年)の中でその非を率直に認めたことを「種の論理」の欠陥の自認と見るかどうかは、あくまで「種の論理」の形成期の論考を対象とする今回の発表の問題設定の枠組みを超える問題なので、ここでは取り上げない)。
 この問題圏において、国家における個人の自由と平等の関係の問題も問われなくてはならないだろう。国家を絶対化し、その国家への例外なき従属を諸個人間の平等性の根拠とするかぎり、個人の自由は国家によって制限されざるをえないが、その個人の自由の制限が国家の存立を危うくしてしまう。種の論理と絶対弁証法とは両者相俟ってはじめて、まさにこの危機を乗り越えるための理論的装置として機能しうるのではないだろうか。
 8/ 歴史観の問題
 歴史の発展段階を生産関係の移行によって根拠づける唯物史観と、文化に固有な発展の形而上学的契機を認める文化史観とに対して、「種の論理」がもたらす歴史観を位置づけることによって、徹底して媒介性に歴史の展開の根本契機を認める絶対弁証法としての種の論理の積極性を照らし出すことができるのではないだろうか。一方的な根拠づけによる硬直した歴史観でもなく、高次な文化的生産にのみ固有な論理に盾籠もろうとする閉じた歴史観でもない、柔軟な歴史認識の方法の基礎理論としての「種の論理」という問題を立てることができるのではないか。


社会存在の論理としての「種の論理」の多角的検討(承前)

2013-09-21 02:29:00 | 哲学

 学生たちのインターシップのレポートはそれぞれ数十枚あるので、さっと目を通すだけでもかなり時間がかかるものだが、幸い今回担当した4つのレポートは、いずれも要求された書式を忠実に守り、レイアウトも読みやすいように配慮され、フランス語もしっかりしていたので安心してスラスラ読めた。欲を言えば、インターシップでの仕事内容と大学で3年間自分たちが受けてきた教育内容との関係について、もう少し踏み込んだ分析と考察、さらには忌憚のない批判を展開してほしかった。書いたのが普段から大人しい女子学生たちだったということもあり、皆少し「お利口さん」すぎるところがある。しかし、いずれも十分に水準には達している。彼女たちはこれでめでたく学部卒業資格を満たしたことになる。今朝(20日)起抜けに評価表を書き終え、教務課事務が仕事を始める8時半前にはすべての書類を送信することができた。おかげで、午前中のうちに、自分が所属する研究グループで今構築中のサイトに掲載する個人紹介ページのための原稿作成や事務的書類の処理にすべて済ませることができた。
 それにしても、パソコンのダウンの影響は大きい。大学から持ち帰っている別のパソコンは、プリンタードライバーさえ大学の管理者の許可がないとインストールできないようにプロテクトがかかっているので、打ち込んだデータをGoogle DriveとSkyeDriveにアップして、そこからキーボードがまともに機能しない古いパソコンでデータを開いて、接続したプリンターで印刷したり、そのプリンターでスキャンしたデータを逆方向に処理したりと、実にアホらしく面倒な作業である。
 一仕事終えたということで、金曜日は夕方5時に開場するプールに行って一泳ぎしてきた。最初の5分間くらいはコースを一人占めして泳げたが、後はもうこの時間帯は次から次に人が来て、とても快適には泳げない。50分くらいで諦めてあがった。それでもなんとか1800mは泳いだ。

 さて、今日で第3回目になる「種の論理」をめぐる問題群の提示。第4項目から第6項目まで。前2者については今回は問題の所在に言及するだけにとどめる。まだそこから展開させるため準備ができていない。

 4/ 認識論的問題
 種々の社会存在を考察対象とするとき、それらについての悟性と感性それぞれによる所与の多様性・多層性・多元性が一定の方法論に従って厳密に分析されなくてはならないだろう。そのアプローチの中で、理性と情念、知性と感性、ロゴス的知解とパトス的受容などの間の対立的・相補的関係も問われうるだろう。 
 5/ 実存論的問題
 「種の論理」において、表現・思想の自由は個の根本的価値の一つとして維持されうるのか。しかし、種が基体でありかつ主体であるならば、実践の主体であるところの個の自由は存立しえないのではないか。言い換えれば、「否定的媒介」の名の下に、個人の自由は簒奪されざるをえないのではないか。この問題圏において、論理と倫理の関係も問われなくてはならないだろう。
 6/ 存在論的問題
 務台は『社会存在論』の中で、「文化的社会が基体となり主体となって、歴史的世界の中で一切の形態を形成する」として、この文化的社会を直ちに民族と同一視する。そこには基体=主体=民族という等式が何の論理的根拠の提示もなく前提とされているわけだが、この等式の批判的検討は「種の論理」一般についての考察にとって最も重要な論点の一つになるだろう。
 しかし、田辺の「種の論理」においては務台に見られるような基体と主体との不用意な同一化は注意深く避けられており、両者の「辯證法的統一」がその存在論の要となる。それだけにこの点は厳密に検討される必要がある。自身が構想する「絶対媒介の哲学」について、田辺は次のようにその存在論を規定している。「その内容を成す所の存在論は、古代の自然存在論の如く、所謂 Hypokeimenon として基体と主体とを同一視し、基体の外に主体を認めないのでもなく、さりとて近世の人格存在論の如く基体を主体に還元して主体のみを真の存在とするのでもなくして、基体即主体、主体即基体の弁証法的統一の真の存在とする所の存在論である。これが歴史社会の存在論であり、世界存在の存在論である。特に媒介の中心として種的基体を重んずる立場から、種の論理、基体の論理に相応するものとしての社会存在の存在論、或は社会存在論ということもできよう」(「種の論理と世界図式―絶対媒介の哲学への途」(1935年)、『田辺元哲学選Ⅰ』岩波文庫、2010年、332-333頁)。