煉獄の思想の萌芽はアウグスティヌスに見られるが、キリスト教の教義のなかに本格的に組み込まれるのは十二世紀になってからのことであり、ローマ・カトリック教会によって正式に教義として認可されるのは、1274年のリヨンの公会議においてである。同年トマス・アクィナスが亡くなっており、この年を中世キリスト教史の一つの転回点とみなす研究者たちもいる。マイスター・エックハルトがドミニコ会エルフルト修道院の修練士になったのは1275年と推定されることが多いが、前年とする説もある。ダンテがベアトリーチェを初めて見かけたのも1274年だとされる。
社会経済史的には、ジャック・ル=ゴフによれば、煉獄の思想の確立は、悪徳とされた高利貸しの救済を可能にし、それが資本主義の誕生に貢献した(La naissance du Purgatoire, Gallimard, 1981,『煉獄の誕生』法政大学出版局、1988年)。しかし、本人これを挑発的な見解だと断ってはいる。
J’ai même avancé l’opinion provocatrice que le Purgatoire, permettant le salut de l’usurier, avait contribué à la naissance du capitalisme.
この変化は高利貸しに限られたことではなく、煉獄の公認は、それ以前はキリスト教世界で伝統的に罪深いとされてきた職業に携わっている人たちにも地獄からの救済の可能性が開かれるという大きな社会的変化をもたらした。
Une des fonctions du Purgatoire a été en effet de soustraire à l’Enfer des catégories de pécheurs qui, par la nature et la gravité de leur faute, ou par l’hostilité traditionnelle à leur profession, n’avaient guère de chances d’y échapper auparavant.
思想史的には、天国か地獄かという二項対立的世界観とは異なる、両者の間の媒介項を認める三項的世界観の公認を意味し、そこに近代の弁証法的思考の前兆を見て取る研究者たちもいる。
C’est là une réalité de plus d’importance qu’il ne paraît, dans la mesure où l’on peut y déchiffrer l’amorce d’une révolution mentale qui substitue à la logique binaire – ciel et enfer – une pensée à trois termes, annonce lointaine d’une procédure de type dialectique.
Gwendoline Jarczyk, Pierre-Jean Labarrière, Maître Eckhart ou l’Empreinte du désert, Albin Michel, 1995, p. 34.