内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今日の日本語についての小愚考 ― 遠隔寺蓬庵主『春嘆録』(未公刊遺稿集)より

2021-04-30 00:00:00 | 日本語について

 ワードプロセッサーが市場に出回るようになったのは1980年代前半のことであったと思う。私は卒論をワープロで作成したが、その当時はまだごく少数派だった。80年代末から自身で使いながら、これは文書作成方法に大きな変革をもたらすだけでなく、日本語そのものに変化をもたらすだろうと予感した。それから三十年ほどの間に文章作成ツールとして、パソコン、携帯電話、スマートフォン、タブレットが圧倒的な勢いで不可逆的に普及し、手書きで文章を書く機会は私自身ほんとうに少なくなってしまった。個人的には、講義ノートをあえて手書きにするなど、ささやかな抵抗を試みてはいるが。
 文章作成ツールの目覚ましい技術革新に伴うもう一つの大きな変化は、文章を作成してからそれが人目に触れるまでの間が恐ろしく短くなったことである。SNSでもメールでも送信ボタンをクリックしたら瞬時に相手に届いてしまうし、ネット上に記事を投稿すれば、あっという間に拡散されたり、炎上したりする。実に忙しなくなった。いちいち粗製乱造などと批判するのも空しくなるくらい、推敲どころか、ろくに字句の誤りのチェックもされていない文章がネット上を無数に飛び交っている。新聞記事にしても大同小異で、ずいぶんひどい誤記誤字脱字を発見するのは日常茶飯事で、それらにいちいち目くじらを立てていては、それだけで読むこちらが疲れてしまうほどである。だから、テキトーに読み流す。わかりゃいいじゃん、情報さえ得られればOK、というわけである。これでは、一国の「文章ますます雅醇に赴く」(中江兆民『一年有半』)わけはなく、「物質文明の加速度的進歩は典雅なる文化の退廃を招かざるを得ず」(遠隔寺蓬庵主『老耄瘋癲日記』〔偽書〕)と慨嘆してみたくもなる。
 他方、話し言葉の方はどうであろうか。時代とともに生まれては消えてゆく新語・流行語のことは措くとして、日本語の口頭表現にどのような変化が起こっているのだろうか。普段西方の外つ国で暮らしておる小生には直感的には掴みかねるところがある。ネット上での間接的な観察に基づいた推測に過ぎないが、これだけ技術革新のスピードが速いと、それについていける世代とそうでない世代、あるいは同世代であっても、時代の変化についていけている人とそうでない人との間で、言葉遣いも自ずと目立って違ってきているのではないであろうか。
 祖国より遠く離れてひっそりと黄昏れつつある老生は、二重の意味でそのスピードにはついていけていないから、もしそのスピードに乗って行われている会話を傍聴する機会があっても、まるで何のことかわからず、「???」状態になることは、ほぼ火を見るより明らかである。そのとき、天を仰いで、慨嘆、悲憤慷慨し、空しく深い溜息をつくことしかできないであろう。時代についていく努力はすでに放棄し、余生をいずこにて静かに送るか、それだけが将来に対する蓬庵主の真剣な関心事である。
 それにしてもなあ、と往生際悪く独り言つ。普段、日本語を学んでいる学生たちに接していて、いったい何を教えればよいのだろうと、あたかも新米教師のように考え込んでしまうことがある。いつものことながら、老生十八番の「今更話」である。
 それでも敢えて言おう。彼らに伝えるべきは、どこで使っても恥ずかしくない、美しく品格のある日本語であり、私はこのミッションのためにここにいるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


清沢洌 ― 戦時下に貫かれた批判的精神

2021-04-29 06:53:39 | 読游摘録

 「近代の超克」を主題としつつ太平洋戦争期を近代日本精神史の一齣として取り上げる来週以降の授業のための下準備として、つまり授業で言及するかどうかは別として、いわばその下味あるいは隠し味に使おうかと、ドナルド・キーンの『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文芸春秋 文春学藝ライブラリー 2020年、初版単行本 2009年、文春文庫 2011年。本書の底本はこの文庫版)を読んでいる。
 戦争がそれぞれの人の日常においてどう生きられたかを教科書で知ることはできない。出来事を物語ることを主とした歴史書によっても、客観的記述を旨とする学術書からも、対象とされている時代の人々のその当時の日々の心事・心情、喜怒哀楽を推し量ることはとても難しい。無名の人々がどのようにその時代を生き、日々何を感じていたか、そこにはまったく示されていないからだ。
 キーンさん(まったく一面識もありませんでしたが、敬愛の念を込めてこう呼ばせていただく僭越をお許しください)が日記に注目したのも、その日記を記した人の「心からの叫び」をその中に聴き取ろうとしてのことである。「数行でもいいから記憶に残る一節を見つけるために、すべての日記を読むことが出来たらいい」とまでキーンさんは思うが、それは彼にとってだけでなく誰にとっても不可能な仕事だ。戦争中にも、無数の日記が無名の人たちによってつけられていた。しかし、その多くは、誰の目に触れることもなく処分され、もはやその中身を知る由もない。そこでキーンさんがその代わりに選んだのは、比較的数が少ない著名な作家たちの日記について書くことだった。
 本書に頻繁に引用される著作家たちのすべてが今日でもよく読まれている、あるいは少なくともその名がよく知られているとは限らない。私自身、取り上げられている著作家たちの中でその作品や文章を読んだことがあるのは、永井荷風、斎藤茂吉、内田百閒、渡辺一夫、伊藤整、高見順、吉田健一くらいで、山田風太郎は名前のみで作品についてはまるで知らない。清沢洌もいずれかの本で名前を見かけたことがあるといった程度で、その文章についてはまるで知るところがなかった。
 荷風の日記が抜群に面白いのは言うまでもないが、伊藤整の日記の中のあからさまに好戦的で激越なまでに反英米的な記述には驚かされたし、高見順の日記に示された時代の変化に対しての躊躇いと繊細なバランス感覚にも興味をもった。しかし、本書を読むまではまるで知るところのなかった小説家山田風太郎とジャーナリスト清沢烈の日記に特に惹かれた。今日の記事では清沢についてのみ一言記す。
 戦中、重臣と閣僚の間でさえ誰も真実を話さない以上、自分が真実を話さなければならないと覚悟を決めた清沢は、「日本には正直に政治を語る機会は全くないのである」(『暗黒日記』岩波文庫 一九五頁。昭和十九年六月二十八日の項)と記す。そして、昭和二十年元旦にはこう記している。

日本が、どうぞして健全に進歩するように――それが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように――。「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。

 清沢は敗戦の三月ほど前の五月二十一日に急性肺炎で没する。享年五十五歳。その早すぎる死を惜しまずにはいられない。しかし、「戦中日記」は、戦時下にあっても言論の自由の大切さを見失うことなく、批判的精神を維持し続けた稀有な言論人の「作品」として、今もなおその「アクチュアリティ」を失っていない。そのことに私は強い感銘を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


我が母なる言語を大切にしたいという思い

2021-04-28 23:59:59 | 日本語について

 単に立場上あるいは職業的理由からというだけではなく、普段から日本語の言葉遣いには特に気をつけている。それは言葉の上での失敗あるいは誤解を恐れてのことという消極的な理由からではなく、我が母なる言語を大切にしたいという思いからである。現実にそれがどこまで実践できているかを客観的に判断する基準はないが、心がけとしてこの思いを忘れたことは数十年来ない。この思いの芽生えは高二のときであったと思う。
 このブログもその原則に従って書かれている。というよりも、この原則の実践の現場の一つだと言ってよい。ただ、自分で書きたいことを書いているだけで、人から与えられたお題や強いられた問いに答えることはなく、自分に関心がないこと、嫌悪していること、苦手なことを話題にすることはないから、取り上げられるテーマはおのずと限られており、その中での実践というに過ぎない。それでも実践という言葉を使うことが許されるならばの話だが。
 いわば、使い慣れたトレーニング室で練習を繰り返しているに過ぎず、余所に出稽古に行くこともなく、試合に出場することもなく、コーチについて指導を受けることもなく、人から批評されることもなく、ただ自分独りのために汗を流しているだけのことだ。だから、ひとりよがりで、ほんとうに試合で通用するような実力はついておらず、そもそも資質に恵まれておらず、才能もなく、それどころか、実は悪癖がついているにもかかわらずそれに気づかない、しかも気づいていないのは本人だけという、傍から見れば滑稽でちょっと惨めな、あるいは憐憫の情を誘うような体たらくなのかも知れない。
 ただ、たとえ下手の横好きであろうとも、そして、迷惑かもしれませんが、私は死ぬまであなたを愛し続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


懐かしき本との予期せぬ再会 ―「残された人生で君はどんなテーマに取り組むのか」

2021-04-27 23:59:48 | 哲学

 今日、ちょっと予定外の出費があった。衝動買いではない、と言いたい。十五分ほど、商品を手にとって十分に品質を確かめた上で、さらに(自己)正当化の理由を心のなかで用意してからの(って誰に対して申し開きをする必要もないのですが)購入である。75ユーロ(一万円弱)の出費であった。
 「これも何かの縁」という大変使い勝手のいい理由で、五冊の古本をカテドラル近くの小さな広場に毎週火木に立つ露天の古本市で買ったのである。ここ数年なかったことである。特に昨年からはめっきり街に出る機会も減り、あってもさっさと用を済ますためだけで、古本市を冷やかすこともなく、いつも素通りしていた。
 昼前、FNACに届いていた注文書籍を取りに徒歩で出かけた。片道四十分ほどかかる。その三冊の書籍をカウンターで受け取った後、また歩いてまっすぐ帰宅するつもりだった。ところが、ふと、どうした風の吹き回しか、あるいは悪魔の囁きか、いやいや、天使のお導き、と言うべきだろう、少し風は冷たいがせっかくの好天、少し遠回りになるが、カテドラル前の広場を通り抜け、リル川沿いの遊歩道を歩いて、大学宮殿正面を右手に見ながらブラブラ歩いて帰ろうかという気になった。
 FNAC が入っているメゾン・ルージュという建物から出て、クレベール広場を横切り、グーテンベルク広場へと向かう、以前は人通りが絶えない賑やかな通りだったが、昨年来人通りも疎らとなってしまった広い歩行者専用路、大アーケード通りを前進し、右手前方にグーテンベルク広場が見える角を左に折れると、その角にいつもの古本市が立っているのが見える。そのまま立ち止まらずに通り過ぎるつもりだった。
 ところが、パラソル下の平積み用のテーブルのとっつきに表紙を上向きに重ねてある数冊の本の表紙が目をかすめた。Georges Gusdorf だ。しかもその表紙の絵に見覚えがある。Les Sciences humaines et la pensée occidentale という全十三巻の途方もない記念碑的大作の中の一冊、第九巻 Fondements du savoir romantique だ。その表紙に吸い寄せられるように近づき、まず第九巻を手に取り、ついでその脇と下に置かれていた数冊を手にとって状態を確かめた。すべて初版、糸かがり綴じである。一九八〇年代前半の出版であるから表紙の経年劣化は否めないが、あまり紐解かれた様子はなく、ページの折れ・書き込み等もなく、本文はとても良好な状態だ。上掲第九巻以外の四冊は以下の通り。第六巻 L’avènement des sciences humaines au siècle des lumières、第十巻 Du néant à Dieux dans le savoir romantique、第十一巻 L’homme romantique、第十二巻 Le savoir romantique de la nature
 第九巻・第十巻、第十一巻・第十二巻は後にそれぞれ一巻にまとめられ、Le romantisme I, II としておなじ出版社 Payot から刊行されている。私が手元に持っているのはこの版で、博論執筆の際にはよく参照したので、とても懐かしい著者であり著作なのだ。この二冊についてはこの記事で話題にした。ただ、この版は糊付け製本で、数回同じ頁を開いただけで背が割れ、頁がばらばらになってしまう。第一巻など、カルティエ・ラタンの製本屋に無理を言って再度糊付けしてもらったが、それでも壊れそうになり、同じ本を買い直したくらいである。それぞれ九百頁、七百頁の大著である。もう少し丁寧に製本してくれてもよいではないかと不満だった。
 だから、第六巻を除いた四冊は、この二巻本と中身はまったく同じなのだ。しかも、上掲の全十三巻は、こちらのサイトで全巻無料公開されており、ダウンロードも自由である。つまり、ただ参照したり引用したりするだけなら、買う必要などなかった本なのである。
 それでもこの四冊の購入に踏み切ったのは(ちょっと大袈裟でしょうか)、「これも何かの縁」という以上の思いがあったからである。ギュスドルフは、一九四八年にストラスブール大学に哲学教授として赴任し、一九六八年のいわゆる五月革命のときにはカナダのケベックにあるラヴァル大学に退避していたが、翌年またストラスブールに戻り、一九七四年の定年まで哲学教授として教鞭を取りながら、次々と著作を発表していった。そのストラスブール大学で哲学の博士号を取得し、二〇一四年からはそこで自分も教鞭を取っているということに縁を感じるだけではなく、ギュスドルフが哲学研究者としては初めて切り開いたと言っていい l’autobiographie についての研究は今も私の研究意欲を刺激して止まないということに限りない学恩を感じてもいるのである。
 「残された人生で君はどんなテーマに取り組むのか」― 眼前に積み上げられた五冊から今そう問われているように思わないではいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「春におくれてひとり咲くらむ」― 人と花との相互浸透

2021-04-26 23:59:59 | 詩歌逍遥

 なんということもなく、手元の古語辞典をふと開いて読むことがある。たまたま開かれた頁に並んでいる語を順に読んでみることもあれば、現代日本語の中のごくごく普通の言葉をあえて引いてみたりする。その意味・用法が今日のそれらとは異なっている場合、それこそ高校の古文の授業のときからそのことはよく話題にされ、試験問題にも繰返しなってきたから、今更驚くような発見は少ないが、それでも、辞書を片手にそれらの語の意味の歴史的変遷を辿ってみるのは、あたかもガイドブックを手にしながら史跡を探訪し、遠い昔に思いを馳せるときのような楽しみがある。
 他方、万葉の時代から今日まで同じ或いはほぼ同じ意味で使われてきている言葉には、それはそれで深い感慨を覚えることがある。例えば、「ひとめ【人目】」。これは古代から今日までほぼ同じ意味で使われている。「人目を気にする」とか「人目がある」という意味での用法は万葉集にある。「ひとり【一人・独り】」もそう。「わが思ふ君はただ一人のみ」(万葉集・巻第十一・二三八二)はそのまま直に理解できる。「独り見つつや春日暮らさむ」(万葉集・巻第五・八一八)という副詞的用法もすんなりわかる。
 ただ、同じ副詞的用法でも、人以外について使う場合はどうであろうか。例えば、「あはれてふことをあまたにやらじとや春におくれてひとり咲くらむ」(古今和歌集・巻第三・夏歌・一三六。「すばらしいというほめことばを数多くのほかの花々にやるまいと思って、(この桜は)春が過ぎた後に一つだけ咲いているのだろうか」〔角川『全訳古語辞典』の訳〕)という歌の意を解するのに困難を覚えることはないが、同じような「ひとり」の使い方を今日でもするであろうか。
 『新明解国語辞典』(第八版 二〇二〇年)は、副詞としての用法を「他と切り離して、その人(もの)自身だけに限定してとらえる様子」と説明し、「ひとり日本だけの問題ではない」という例文を挙げているから、ものについても「ひとり」を使うことは今日でも通用すると見てよい。しかし、私自身はどうかというと、あえて擬人法を用いる場合を除いて、ものについては「ひとり」を使うことはない。
 上掲の古今集の歌に関して言えば、(桜の)花という生きものの有り様を人の心理になぞらえて捉えているようでもあり、あるいは、そもそも花を見る人の心とひとり花咲く桜の形姿とが相互に浸透し合っているようにも読める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


漢字文化圏における悲しき「個人」

2021-04-25 16:11:18 | 哲学

 明治初期の人たちにとって individual という概念の理解が容易ではなかったことは柳父章『翻訳語成立事情』の第二章に詳しく述べられている。今日私たちは「個人」という言葉を、ほとんどなんの疑問もなく individual の訳語として、あるいは社会を構成する最小かつ基礎的な単位を示す自明な概念として流通しているかのごとくに取り扱って怪しむところがない。
 しかし、「個人」という言葉が日本語に定着するまでには曲折があり、それは「社会」という言葉の定着にも時間を要したことと即応している。欧米において個人と社会は相互規定的な関係にあったのだから、両者はそのようなものとして訳されなければならなかった。ところが、当時、〈社会〉が「なかった」日本には〈個人〉も「いなかった」のだから、Society の訳に難儀した当時の啓蒙思想家たちが Individual の訳にも困難を覚えたのは当然のことだった。
 柳父章によれば、「個人」の出どころは、幕末にすでに出回っていた各種の英華字典にあった。それらの中に「一個人」とか「独一個人」などの訳語が見られる。しかし、そこから今日の「個人」がまっすぐに出てきたわけではないことは『翻訳語成立事情』を読むとよくわかる。
 一昨日と昨日の記事で言及した五冊の漢和辞典で「個」を引き比べみて、やはり興味深いことがわかった。より正確に言うと、「個」という漢字に対する扱いがどの辞書もそっけないことにちょっと驚いた。「個」と他の漢字一つで構成される二字漢語の例も乏しい。
 『漢字源』には、驚いたことに、一つも二字漢語が挙げられていない。意味の説明として、「①固形を数えることば。」「②一つずつ別になった物。」とあり、この②の説明の後に「個人」と添えられているだけである。それに対して解字はかなり詳しい。しかし、要するに、「個」はもと「箇」と書き、その基本義は、物を数えるときの助数詞であり、そこに旁の「固」が示す「かたい」の意が加わるということで、「個」という漢字がそれ以外にさして重要な意味を持っていないことがわかるだけである。
 『新字源』では、意味を三つに分けている。第一の意味は助数詞。第二は、「全体に対して、ひとつ、ひとりの意。」とあり、その下に「個人」と添えられているのは『漢字源』と同様である。第三の意味は、「強意を表す助字」で、「真個」が例としてあげられている。これは「まこであること」「事実であること」を強調するための用法であり、「個」自体に自立した意味があるわけではない。二字熟語として五つ挙げてあり、その一つが「個体(體)」である。その意味として、「①ひとつひとつ独立して存在するもの。②個人。」とある。「個人」を二字漢語として挙げていない点では『漢字源』と同じである。
 『漢辞海』の「個」の扱いもまことにそっけない。語義として、形容詞的用法を「ひとつの。ひとりの。」とし、その下に「個人」を例としてあげているが、二字漢語としては立てられていない。つまり、「個」は、英語の individual や仏語の individu のような実体概念(と見るかどうかの哲学的議論にはここでは立ち入らない)ではなく、あるものの状態を示しているに過ぎない。二字漢語の例として立てられているのは、「個性」「個体(體)」「個別」の三語のみである。そして、そのいずれにも略記号「国」「 現中」が付されており、前者は「日本語特有の意味。あるいは和製の漢語」、後者は「日本から中国への移出語」のことである。つまり、「個」を冠した二字漢語で、中規模の漢和辞典に収録するに値するほど重要な意味を本来もつ語は中国語にはないということである。
 『新漢語林』には四つの二字漢語の一つとして「個人」が挙げられている。その他の三語は「個性」「個体(體)」「個別」であり、これら三語には略記号として「国」が付されている。やはり「日本語特有の意味及び和製漢語」ということである。しかし「個人」には付されていない。意味は「ひとり。社会、または公衆に対して一人をいう。」とされている。ということは、この意味で、少なくとも現代中国では、通用するということであろうか。
 最後に『新明解現代漢和辞典』を見てみよう。意味の説明は僅か三行で他の辞書と大同小異であるが、二字漢語の例示は八語ともっとも多い。順に「個個」「個室」「個人」「個性」「個体」「個展」「個物」「個別」である。ただし、最初の「個個」以外にはすべて略記号「日」が付されている。「日本で作られた熟語や日本特有の意味をもつ熟語」ということである。それら各語の説明も五冊の中で断然詳しい。これは、『新明解』が日本における意味・用法の広がりに重きを置くという編集方針から来ている。
 その『新明解』の「個人」の説明を見てみよう。「①国家や社会を構成しているひとりひとりの人。②地位や身分などの立場を離れた、ひとりの人間。例 ―の意見は差し控える。」近代国家あるいは近代市民社会における「個人」の規定に忠実な説明になっている。
 これらの引き比べを通じてわかることは、「個」という漢字は、漢字文化圏において、もともとそれほど重要な価値を表現してはおらず、「個人」という言葉が今日日本語としてかくも一般化していることは、存在としての〈個〉が欧米社会のように確立していることを直ちに意味するものではないこと、「個性」「個体」「個物」などの和製漢語が、主に自然科学・人文科学における術語として、日本から現代中国に移出されているという事実は、現代中国において「個人」が individual として認められていることを少しも意味しないということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中国語としての原義からも西洋哲学の伝統からも遠く離れた近代日本における「孤児」としての「主体」

2021-04-24 23:08:25 | 哲学

 今日の午前中は、三時間ほど、昨日の記事で話題にした五冊の漢和辞典を引き比べて過ごした。極々基本的な概念がどう説明されているか比べてみた。それでいくつか面白いことがわかった。
 まず「主」である。単漢字としての用法はどの辞書も詳しく説明してある。だが、私の目当てはそこにはなかった。「主体」がどう説明されているか知りたかった。以下、各辞典の「主体」の説明を列挙する。
 『漢辞海』「【主体(體)】①君主としての地位。②おもなもの。中心部分。③{哲}行為・思考をなすもの。対-客体」。
 『新字源』「【主体(體)】①天子のからだ。転じて、天子。②意識・思考・行為などを行う側のもの。対-客体。」
 『新漢語林』「【主体(體)】①天子のからだ。玉体。②天子。君主。③行為のもととなるもの。目的をとげるはたらきをなすもの。⇔客体。」
 『漢字源』「【主体(體)】①天子のからだ。天子のこと。②客体に対して、行為のもとになっていて、目的をなしとげる働きをするもの。③たくさんのものが集まって一つのもの形成しているとき、その中心となる重要な部分。」
 『新明解現代漢和辞典』「【主体】①天子の地位。また、天子。②〔日〕組織や団体の中心となる部分。例-学生を―とした実行委員会。③〔日〕意志や考えをもち、他のものにはたらきかけるもの。対-客体。」
 どの辞書も、漢語としての「主体」の第一義としては、天子のからだ・地位あるいは天子そのものを指す語であるという点で一致している。どの辞書にも用例が挙げられていないので、具体的な文脈での使用例はわからないし、いつの時代からこの意味で使われていたのかもわからない。この意味でも使用例が日本語文献にあるのかどうかもわからない。ただ、古代中国語における「主体」が近代哲学の概念としての「主体」とは何の繋がりもないことは確かである。今日の日本語でも使われている「中心となるもの」という意味は、『漢辞海』『漢字源』『新明解』に示されている。近代哲学における「主体」概念としての規定は、表現はそれぞれだが、どの辞書も掲げている。それが「客体」と対立あるいは対をなすことも示されている。
 『新明解』だけが、近代哲学用語としての「主体」が日本語での用法であることを表示している。それは「はしがき」にも明記されているこの辞書の特徴でもある。現代中国語でも近代哲学用語として「主体」が受け入れられているかどうかはこれらの辞書からはわからない。
 それはともかく、これらの辞書の引き比べを通じて、漢字文化圏での伝統的「主体」と西洋哲学における近代的「主体」概念との間にはかくも懸隔があること、一九三〇年代からの京都学派による「主体」の乱用は中国を中心とした漢字文化圏と西洋哲学史という二つの伝統の二重の忘却をその条件としており、日本の「主体」は東洋からも西洋からも遠ざかったいわば「孤児」のような存在であることがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


辞書に囲まれうっとりとする春の宵

2021-04-23 23:59:59 | 読游摘録

 同一辞書のすべての版(あるいは僅かでも修訂があれば刷までも)買い揃えるような筋金入りの辞書マニアの足元にも及ばないが、私も辞書を読むのは好きだ。といっても、多種多様な辞書を手元に揃えているというわけではなく、仕事机に向ったまま、椅子から立つことなく、手が届く範囲の書棚に並べてあるのは、仏仏、仏和、和仏、仏語類語辞典、仏語文法辞典、古語辞典、古典文法辞典、漢和辞典、国語辞典、仏教語辞典、哲学用語辞典(仏語)、西洋哲学語彙辞典(仏語)、美学辞典(仏語)、宗教事象辞典(仏語)、西洋中世辞典(仏語)などである。今数えたら全部で三十五冊あった。
 授業の準備など仕事上必要があってこれらの辞書を引くのは日常的なことだが、そういう必要からではなく、ふと気になった言葉やただなんとなく頭に浮かんだ言葉を引いてみたり、同じ言葉を複数の辞書で引いてみて、それらの説明を読み比べたりするのが楽しい。
 先週日本に発注した十冊の辞書が今週月曜日に届いた。漢和辞典五冊、古語辞典四冊、国語辞典一冊である。これらを加えて我が辞書軍団は総勢三十五冊となったのである。今回新加入の十冊を一番手近な本棚に並べて眺めているだけで顔がほころんでしまう。
 今回初めて漢和辞典と国語辞典を買った。普段はジャパンナレッジやネット上の検索で済ませていたのだが、漢字についてもっと詳しく知りたくなり、今回の購入に至った。なにも五冊も買わなくてもよさそうなものだが、どれにしようか迷っているうちに、どれを選んでも後で必ずや別のも欲しくなるだろうと思い至り、一括購入したのである。それでも悩んだ挙げ句に五冊に絞ったのである。国語辞典は、ジャパンナレッジやネット上の辞書類で事足りていたのだが、一冊くらい紙の辞書も持っていてもいいかという理由だけで購入した。
 古語辞典はすでに六冊持っていたのだが、それ以外の辞書もそれぞれに説明や付録に工夫が凝らされているので、今回の追加購入となった。かくして購入したのは以下の十冊である。
 『新漢語林』第二版(大修館書店 2011年)、『新明解現代漢和辞典』(三省堂 2012年)、『新字源』改訂新版第3版(角川書店 2019年)、『漢字源』改訂第六版(Gakken 2018年)、『全訳 漢辞海』第四版(三省堂 2017年)、『全文全訳古語辞典』(小学館 2004年)、『全訳古語辞典』(角川書店 2002年)、『新全訳古語辞典』(大修館書店 2017年)、『全訳読解古語辞典』第五版小型版(三省堂 2017年)、『新明解国語辞典』第八版(三省堂 2020年)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


行く春と春愁 ― 美しい日本語の贈り物

2021-04-22 18:18:11 | 講義の余白から

 明日の「上級日本語」の授業では、今日の記事のタイトルに掲げた二語を紹介する。「行く春」に思い至ったのは、晩春という言葉について先日授業中に質問を受けたことがきっかけになっている。この語を季語とした発句・俳句は数え切れないほどあるが、さてどれを紹介するかと大いに逡巡しているうちに一時間経ってしまった。授業の準備としては甚だ非効率的なのだが、迷っている当人はけっこうその時間を楽しんでおり、あまり時間が惜しいとは思っていない。
 手元にある注釈書や辞書を何度も捲り直しながら、芭蕉か蕪村かでさんざん迷い、結局、芭蕉の二句にした。蕪村には火曜日の授業で「春雨」を紹介したときにすでに登場してもらっているということもあった。両句ともあまりにも有名であるからここに掲げるまでもないと思うが、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」と「行く春を近江の人とをしみける」の二句である。
 手元にある八冊の古語辞典のいずれにも「行く春」の用例として両句とも収録されているだけでなく、注釈的な訳や解説・参考などが必ず付されている。そのすべてを読み比べて、授業で紹介する訳を決めた。選んだのは、久保田淳・室伏信助=編『全訳古語辞典』(角川書店 二〇〇二年)の訳である。二句のうちの前者の訳は、「春はもう行こうとしている。去り行く春の愁いは、無心な鳥や魚までが感じるとみえ、鳥は悲しげに鳴き、魚の目には涙があふれているようである。」となっている。
 この訳の中に使われている「春の愁い」という言葉がまた美しい。「春愁」という漢語の響きも組み合わされた漢字の形姿も優艶にしてメランコリックである。この語も紹介することにした。となれば、大伴家持の春愁絶唱三首を紹介せねばなるまい。この三首については、老生がかなり熱を込めて書いた一連の記事(2018年3月8日~15日)がありますので、そちらをご笑覧いただければ幸甚です。
 こんな風に美しい言葉の織物を少しずつ編んで学生たちに届けたいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「明日を考えなければ、人間はみじめさのあまり今日にも死んでしまうであろう」― アンチ・パスカリアンとしてのヴォルテール

2021-04-21 14:34:07 | 哲学

 ヴォルテールは『哲学書間』第25信「パスカル氏の『パンセ』について」第22節で、拙ブログの4月18日の記事で全文引用した断章の第二段落だけを引用した上で(邦訳でいえば、その最後の二文をカットしている)、そこに示されたパスカルの考えを次のようにこきおろしている。

 造物主がわれわれにあたえてくれた本能は、われわれをたえず未来へと向かわせる。われわれはそのことに不平を言うのではなく。それに感謝しなければならない。人間のもっとも貴重な宝は、この希望だ。希望はわれわれの悲しみをやわらげ、現在のつかのまの喜びのうちに、未来のたしかな喜びを描いてみせる。
 もしも人間が不幸にも、現在のことにのみ心がとらわれているならば、種もまかず、家も建てず、木も植えず、何の備えもしないだろう。この現在のいつわりの享楽のなかで、すべてが欠乏するだろう。パスカル氏ほどの知性が、そんな凡庸な誤った考えに陥ることがありえただろうか。
 自然がきちんと定めている。人間は誰もが、おいしく食事をし、子どもをつくり、心地よい音楽を聴き、自分の考える力や感じる力を十分に使って、現在を楽しめるよう、自然が定めてくれた。また、人間は誰もが、現在の状態を脱しながら、あるいは現在の状態のままであっても、明日のことを考えるであろう。明日を考えなければ、人間はみじめさのあまり今日にも死んでしまうであろう。(光文社古典新訳文庫版 斎藤悦則訳 2017年)

 Il faut, bien loin de se plaindre, remercier l’auteur de la nature de ce qu’il nous donne cet instinct qui nous emporte sans cesse vers l’avenir. Le trésor le plus précieux de l’homme est cette espérance qui nous adoucit nos chagrins, et qui nous peint des plaisirs futurs dans la possession des plaisirs présents. 
 Si les hommes étaient assez malheureux pour ne s’occuper que du présent, on ne sèmerait point, on ne bâtirait point, on ne planterait point, on ne pourvoirait à rien : on manquerait de tout au milieu de cette fausse jouissance. Un esprit comme M. Pascal pouvait-il donner dans un lieu commun aussi faux que celui-là ?
 La nature a établi que chaque homme jouirait du présent en se nourrissant, en faisant des enfants, en écoutant des sons agréables, en occupant sa faculté de penser et de sentir, et qu’en sortant de ces états, souvent au milieu de ces états même, il penserait au lendemain, sans quoi il périrait de misère.


 まことに健康な考え方であると思う。明快かつ健全すぎでつまらないくらいだ。しかし、パスカル批判としてはどうであろう。現在をより良く、楽しく生きるために明日のことを考えることまでパスカルは否定しているであろうか。明日を考えることが現在を良く生きることを妨げ、現在を不幸にしているかぎりにおいて、未来を目的とした生き方を批判しているのだとすれば、ヴォルテールのパスカル批判は妥当だとは言えない。それに、現在か未来かという選択がほんとうの問題なのではないだろう。現在をより良くより豊かに生きるための未来と過去との関係こそが問題なのではないだろうか。
 これって、ちょっと欲張りな考え方かな?