今日の記事のタイトルとして示した疑問は、万葉以後の「黒髪の美を歌う和歌の系譜」は、こと中古および中世の和歌に関しは、そんなに自明のことではないからである。
中西進は『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、2012年)の中で、「万葉以後も黒髪の美の系譜を伝える歌が、のちのちまである」と述べて、和泉式部の「黒髪の乱れもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」(『後拾遺和歌集』第十三・恋三・七五五)と藤原定家の「かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥す程は面影ぞたつ」(『新古今和歌集』巻第十五・一三九〇)を引いている。確かに、この二首は「黒髪」を詠んだ和歌として不朽の名作であることは諸家の認めるところである。
しかし、万葉以後、黒髪を詠んだ歌で他に名歌があるかというと、他の勅撰和歌集は一旦措くとして、定家の上掲一首を別にすれば、『古今和歌集』と『新古今和歌集』にはないと断言できる。
『古今集』には、黒髪を詠んだ歌はたった一首しかなく、それは紀貫之の題詠で、「うばたまのわが黒髪や変るらむ鏡の影にふれる白雪」(460)という、正岡子規でなくとも、ちょっと貶したくなるような平凡な歌である。
『新古今』でも、上掲の定家の名歌以外には、たった一首「老いぬとて松は緑ぞまさりけるわが黒髪の雪の寒さに」(1696)だけであり、贔屓目にみても佳作とさえ言えない。
八代集の他の六つの歌集を総覧してみても、「黒髪」が詠み込まれた歌は、後撰和歌集六首、拾遺和歌集三首、後拾遺和歌集一首(和泉式部の上掲歌)、金葉集一首、詞花和歌集一首、千載和歌集一首、合計十三首に過ぎない。万葉集だけで二十三首あることと比べれば、寥々たるものである。
上掲ニ首の他、知名度の高さという点では『百人一首』に収められた待賢門院堀河の「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」(千載和歌集・戀三・八〇二)を挙げることができる。しかし、この歌について、塚本邦雄は、『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、二〇一六年)の中で、「彼女の多彩な戀歌の中では平凡な一首である。第一、眼目とも言へる「黑髪のみだれて」が、今更官能美の何のと言へるほどの新味も失ふほど使ひ古されてをり、緣語となる初句の「長からむ」も、適切な修辭ではない」と手厳しい評価を下している。
万葉の時代には、黒髪を詠む歌の系譜があったと言ってよいかも知れない。しかし、それ以降もその系譜が連綿と続いたかというと、実はそうではないと見たほうが実情に即してはいないだろうか。むしろ、「ぬばたまの黒髪」という表現が形骸化し、「黒髪の乱れ」によって恋心の煩悶輾転反側を表象することが常套化し、次第に詠まれなくなってゆき、そのなかで、和泉式部と藤原定家との上掲の圧倒的な名歌が詠まれたがゆえに、黒髪を詠むことは他の歌人たちとってますます困難になったと見たほうがよいのではないだろうか。