内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

万葉以後の和歌において、黒髪の美を歌う和歌の系譜はほんとうにあるのか

2025-03-04 05:48:41 | 詩歌逍遥

 今日の記事のタイトルとして示した疑問は、万葉以後の「黒髪の美を歌う和歌の系譜」は、こと中古および中世の和歌に関しは、そんなに自明のことではないからである。
 中西進は『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、2012年)の中で、「万葉以後も黒髪の美の系譜を伝える歌が、のちのちまである」と述べて、和泉式部の「黒髪の乱れもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」(『後拾遺和歌集』第十三・恋三・七五五)と藤原定家の「かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥す程は面影ぞたつ」(『新古今和歌集』巻第十五・一三九〇)を引いている。確かに、この二首は「黒髪」を詠んだ和歌として不朽の名作であることは諸家の認めるところである。
 しかし、万葉以後、黒髪を詠んだ歌で他に名歌があるかというと、他の勅撰和歌集は一旦措くとして、定家の上掲一首を別にすれば、『古今和歌集』と『新古今和歌集』にはないと断言できる。
 『古今集』には、黒髪を詠んだ歌はたった一首しかなく、それは紀貫之の題詠で、「うばたまのわが黒髪や変るらむ鏡の影にふれる白雪」(460)という、正岡子規でなくとも、ちょっと貶したくなるような平凡な歌である。
 『新古今』でも、上掲の定家の名歌以外には、たった一首「老いぬとて松は緑ぞまさりけるわが黒髪の雪の寒さに」(1696)だけであり、贔屓目にみても佳作とさえ言えない。
 八代集の他の六つの歌集を総覧してみても、「黒髪」が詠み込まれた歌は、後撰和歌集六首、拾遺和歌集三首、後拾遺和歌集一首(和泉式部の上掲歌)、金葉集一首、詞花和歌集一首、千載和歌集一首、合計十三首に過ぎない。万葉集だけで二十三首あることと比べれば、寥々たるものである。
 上掲ニ首の他、知名度の高さという点では『百人一首』に収められた待賢門院堀河の「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ」(千載和歌集・戀三・八〇二)を挙げることができる。しかし、この歌について、塚本邦雄は、『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、二〇一六年)の中で、「彼女の多彩な戀歌の中では平凡な一首である。第一、眼目とも言へる「黑髪のみだれて」が、今更官能美の何のと言へるほどの新味も失ふほど使ひ古されてをり、緣語となる初句の「長からむ」も、適切な修辭ではない」と手厳しい評価を下している。
 万葉の時代には、黒髪を詠む歌の系譜があったと言ってよいかも知れない。しかし、それ以降もその系譜が連綿と続いたかというと、実はそうではないと見たほうが実情に即してはいないだろうか。むしろ、「ぬばたまの黒髪」という表現が形骸化し、「黒髪の乱れ」によって恋心の煩悶輾転反側を表象することが常套化し、次第に詠まれなくなってゆき、そのなかで、和泉式部と藤原定家との上掲の圧倒的な名歌が詠まれたがゆえに、黒髪を詠むことは他の歌人たちとってますます困難になったと見たほうがよいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『万葉集』のなかの「黒髪」歌 ― 孤閨に黒髪を枕上に靡かせて寝る

2025-03-03 18:10:05 | 詩歌逍遥

 巻第十一の正述心緒のなかには黒髪を詠んだ歌が四首あるが、そのうちの2610については先月27日の記事ですでに取り上げた。
 その手前にある三首のうち2532と2564とには、女性が孤閨で黒髪を玉藻のように枕上に靡かせて寝るという姿態が詠まれている。

おほならば 誰が見むとかも ぬばたまの 我が黒髪を 靡けて居らむ(2532)

 これは女性の立場の歌。「通り一遍に思うのなら、どこのどなたに見せようとして、この黒髪を靡かせておりましょうか。」「好きな男に結んで貰いたいので、黒髪を靡かせたままにしておこうというのであろう。媚態を示して男の訪れを促している中に、女の甘えが覗いている」(『釋注』)

ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか 我がなき床に 靡けて寝らむ(2563)

 これは男性の立場の歌。「つやつやしたあの子の黒髪、その黒髪を、今夜も、あの子は、私のいない床に長々と靡かせながら、寝ていることであろうか。」「女は床の枕上に、玉藻のように黒髪を靡かせて寝るのを習いとしたらしい。艶にして悩ましい女のその姿を、旅などの事情で夜離れを強いられている男が想起してうたったものであろう。経験に基づく情景だけを想像する中に、相手の心情も自己の心情も印象深く述べられている。佳作で、しばし踏みとどまらざるをえない歌といってよい。これは仲がきわめて順調な夫婦のあいだの情である。」(『釋注』)
 相思相愛の夫婦のあいだの情と限って読まなくてもよいように思うが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『万葉集』のなかの「黒髪」歌 ― 美しく痛切な人麻呂の挽歌

2025-03-02 23:59:59 | 詩歌逍遥

 万葉集には黒髪という言葉が詠みこまれた歌が二十三首ある。うち六首が長歌。表記は1241と2532の「玄髪」を除いてすべて「黒髪」であり、万葉仮名による一字一音の表記例はない。1241に詠まれているのは「黒髪山」という地名で、黒髪そのものではない。「黒髪山」は2456にも詠まれている。
 明らかに男性が自分の黒髪を詠んだ例は、それが白髪に変じたことを嘆くニ首(481と4160)のみで、あとはすべて女性の黒髪を詠んだものである。1241と2456の黒髪山も女性の黒髪の表象と重ね合わされている。
 部立別に見ると(部立のない巻第十七から第二十の家持の三首は除く)、相聞が六首、挽歌が四首、雑歌がニ首、正述心緒が四首、寄物陳思が三首、由縁有幷雑歌が一首である。
 それらのうちのほとんどすべての歌において、黒髪は長い時間の経過の暗喩となっている。そして、挽歌を除けば、その長い時間はしばしば来ぬ人を待つ煩悶あるいは悲嘆の時である。
 挽歌四首のうち、巻第三の人麻呂歌の痛切な美しさは比類がない。

  溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に柿本朝臣人麻呂が作る歌ニ首

山の際ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺にたなびく(四二九)

八雲さす 出雲の子らが 黒髪は 吉野の川の 沖になずさふ(四三〇)


 「山あいからわき出る雲、その雲のようだった出雲娘子は、まあ、あのはかない霧なのか、そんなはずはないのに、吉野の山の嶺に霧となってたなびいている。」(『釋注』)

 「盛んにさしのぼる雲、その雲のようだった出雲娘子の美しい黒髪は、まるで玉藻のように吉野の川の沖の波のまにまに揺らめき漂っている。」(『釋注』)

 「「山の際ゆ」の枕詞を冠する第一首では、人麻呂の目は上を向いている。そして、山に関しない「八雲さす」の枕詞を冠する第二首では、人麻呂の目は下を向いている。下を向きつつ、上を思うて、悲しみのうちに歌は閉ざされる。」
 「ここには、物語的趣向がある。出雲娘子は偶然の事故で溺れ死んだのではあるまい。采女に負わされた禁忌である。男との密会があらわれて、入水を遂げたのであろう。そういえば、巻二の同じ人麻呂の手になる吉備津采女の場合(二一七~九)も同じであろうが、その死を「溺れ死にし」と装ったのは思いやりであろう。思いやりといえば、黒髪が波のまにまに揺れ動くさまは、古代の宮廷女性が地につくほどの黒髪を持っていたらしいことを下地において見れば、まさに、玉藻の動きに似た、切ないけれどもきわめて美しい姿である。そういう歌をあとに配したのは、これも娘子の永遠の安らぎを祈る人麻呂の思いやりであったのかもしれない。」(『釋注』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「身に関る万事 自然に悲し」、あるいは詩作の動機としての「深い人生の悲哀」― 菅原道真『冬夜九詠』に触れて

2025-01-24 00:28:01 | 詩歌逍遥

 大岡信の『名句 歌ごよみ』(全五巻、角川ソフィア文庫、1999-2000年)は、折に触れて紐解くお気に入りのアンソロジーである。「冬・新年」「春」「夏」「秋」「恋」の五分冊になっている。所有しているのはいずれも電子書籍版なので、手に取って気ままに頁をめくるということはできないが、テーマに沿って、即かず離れず、あたかも連歌・連句のように並べられた名句・名歌のいくつかをそのときの気分に合わせて嘆賞したり、それらに付された大岡の簡潔な評釈に詩歌の鑑賞の仕方を学んだり、興味をもった言葉が使われている作品を検索エンジンで網羅的に探したりして楽しんでいる。
 今日の記事のタイトルに挙げた菅原道真の漢詩には「冬・新年」篇で出会った。七言絶句九篇のうちの「独吟」と題された一篇である。

(とこ)寒く枕冷(ひややか)にして 明(よあけ)に到ること遅し
(あらた)めて起きて 燈前に独り詩を詠む
詩興変じ来りて 感興をなす
身に関る万事 自然に悲し

 この詩に大岡は次のような評釈を付している。

 冬の夜、寝床に入っていても寒さを覚えるほどで、枕も冷たい。夜明けにはまだまだ間がある。仕方なく再び起き出て、灯火のもと詩を作ろうとする。ところが、詩句を案じるうちに気分が変わってきて、わが身の来しかた、行く末、さまざまな思いが湧きたって感慨にふけることになってしまう。どういうわけか、わが身に関わることはすべて、何がなし悲しみの色を帯びているのだ。

 昨日の記事で話題にした『詩人・菅原道真――うつしの美学』のなかにもこの漢詩は引用されている。この作品について大岡は次のような興味深い見解と評釈を示している。

 詩の制作心理に多少とも関心を抱く向きには、この短詩はなかなか興味ある観察材料を提供しているでしょう。
 まるでこの詩人は同時代の人であるような気が、私にはいたします。[…]すなわちこの詩は、詩の制作現場の描写として上乗の出来具合を示しています。
 冬の夜、寝についたもののあまりの寒さに眠ることができない。夜は長い。やおらまた起き出して、燈火をともして独り詩を詠もうとするうち、一種の自転エネルギーのごときものの働きが詩興そのものの内側で活潑になり、湧然たる感興が形づくられる。その感興の中心にあるのは、しかしながら悲哀の感情だ。思えば身に関わる万事、自然に悲しいのだ。

 この一節を読んで、詩作の動機もまた「深い人生の悲哀」でなければならない、と私は言いたくなった。


灯火に静心なくクリスマス

2024-12-25 07:21:46 | 詩歌逍遥

 ノエルの休みに入って読書三昧に耽っている。十日ほど前に購入した Kindle Scribe(2024)で読書ノートを作りながら読んでいる。プレミアムペンの書き心地が期待以上によく、書くことに喜びを覚える。読書ノートとしてだけでなく、講義ノートとしても使っている。
 パスカルにおける inquiétude について思いを巡らし、「不安」以外に訳語はないものかと思案しているとき、「しづごころなく」という表現が思い浮かんだ。
 手元にある十一冊の古語辞典のうち『古典基礎語辞典』を除く十冊には「しづごころ」が立項されている。用例は、一冊を除いて、紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(古今和歌集・巻第二・春歌下・八四)である。百人一首中の好きな一首として挙げる人が多いこの秀歌(『百人一首』を凡作揃いと切って捨てた塚本邦雄でさえ、『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、2016年)のなかで、「惜春歌として品位のある、優美な、人に好まれさうな歌」と評価している)を、「しづごごろ」の用例として挙げるのは学習用古語辞典として至極穏当な選択である。だが、他の用例はどうなっているのかと気になった。
 友則の歌以外を用例として挙げているのは、小西甚一の『基本古語辞典』(大修館書店、新装版、2011年)である。蜻蛉日記と源氏物語からそれぞれ一例挙げている。「『いとめづらかなるすまひなれば、しづごころもなくてなむ』など語らひて」(中巻・天禄ニ年・鳴滝籠り)、「しづごころなく、このつぼねのあたり思ひやられたまへば」(真木柱)。いずれも、落ち着かない心理状態を意味している。
 その他の用例も気になり、『伊勢物語』『竹取物語』『源氏物語』『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』『枕草子』『古今和歌集』『新古今和歌集』の電子書籍版で検索してみた。「しづごころ」「しづ心」「静心」の三つ表記を入力して検索した。
 結果、用例が見つかったのは『蜻蛉日記』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』の四作品。『蜻蛉日記』には上掲の例も含めて5例。『源氏物語』には28例。『古今和歌集』には上掲の友則の歌と貫之の一首の2例。『新古今和歌集』に6例(うち一首は『紫式部集』から採られた一首)。
 これらに『和泉式部集総索引』(笠間書院、1993年。この書については 2019年8月6日の記事 を参照されたし)によって調べた3例が加わる。
 和泉式部の一首(「この衣の色白妙になりぬともしづ心ある褻衣にせよ」)を例外として、すべて「なし」という打消の語を伴っており、ほとんど「しづごころなし」という一語として機能している。
 落ち着かない心理状態を意味している例が多いが、自然現象の慌ただしさを描写している例(「雲のただずまひ静心なくて」蜻蛉日記、「置く露もしづ心なく秋風に乱れて咲ける真野の萩原」新古今・巻第四・秋歌上・332)もある。ただ、その場合も、その自然現象の描写に心模様が重ね合わされている。紫式部の一首「かきくもり夕立つ波のあらければ浮きたる舟のしづ心なき」では、風景描写がそのまま人間の実存的様態の表象になっている。
 「しづごころなし」をすべて漢字で表記すれば「静心無」となる。順序を入れ替えて「無静心」とすれば、inquiétude(in - quiétude)の原義に近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」―『古今和歌集』より

2024-12-11 07:42:05 | 詩歌逍遥

 月曜日の「日本思想史」の授業後ほぼ毎回質問に来る女子学生がいる。成績は断然トップ、知的レベルが他の学生とは違うとさえ言ってもよい。ときどきこちらの虚をつくような質問で私を戸惑わせる。
 一昨日は、「先生、良い詩と良くない詩を見分けるにはどうしたらよいのでしょうか」と真顔で聞いてきた。「まずは自分が好きかどうかが大事で、一般的な評価は気にしなくていいよ。ただ、古典となると、何世紀にもわたって読みつがれてきたわけだから、おのずと名歌・秀歌と評価が定まっている歌はある。それらに親しむことで自分のセンスも養われてくるものです。そのためには名歌・秀歌を集めたアンソロジーを読むといいですよ」と言って、丸谷才一、大岡信、塚本邦雄の名を挙げておいた。彼らが編んだアンソロジーのなかには電子書籍版で入手できるものもあり、その分アクセスしやすく、何よりも、この三人が名歌・秀歌として挙げる歌なら、まず間違いはないからである。
 ここまでは即座に答えられたのだが、その次の質問は想定外。「先生、良い詩人になるには才能以外に何が必要なのでしょうか」。これにはまいった。「何の才能さえない私にはそもそも答えようがないよ」と笑って済ませた。彼女もさすがにこれは無茶な質問だったと思ったようだ。
 昨日の記事で清原深養父の歌を取り上げた際、塚本邦雄の『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、2016年)を開いてみた。塚本が撰んでいるのは「滿つ潮のながれひる間を逢ひがたみみるめの浦に夜をこそ待て」なのだが、その評釈を読めばなるほど納得はできるものの、私には技巧的に過ぎるように感じられ、むしろ塚本が深養父の他の秀歌として挙げている他の歌の中に気に入る歌があった。

冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ (古今和歌集・巻第六・三三〇)

 塚本はこの歌について「「雲のあなた」の抒情はみづみづしい」と一言評している。
 角川ソフィア文庫版『古今和歌集』の高田祐彦氏の注解は、ごく短い表現のなかに豊かな詩想がこもっている。読んでいて楽しい。「見立てによる冬の花という矛盾を、天上の春という美しい想像によって解消する。と同時に、天上の春の落花は、地上の冬へと時間を遡って訪れる、という不思議さ。」
 この歌、大岡信も『名句 歌ごよみ〔冬・新年〕』(角川文庫、2000年)で採っている。
 丸谷才一の『新々百人一首』(新潮社、1999年)では、清原深養父もその孫元輔(清少納言の父)も百人から外されている。彼のなかでは二人とも評価が低いということであろうか。

C’est l’hiver, pourtant 
Du ciel tombent des fleurs ; 
Serait-ce que là-bas 
Par-delà les nuages 
Le printemps est arrivé ?

Kokin Waka Shû. Recueil de poèmes japonais d’hier et d’aujourd’hui
traduit par Michel Vieillard-Baron, Les Belles Lettres, « Collection Japon », 2022. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「光なき谷」―『古今和歌集』より

2024-12-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 「おのずから」が副詞としての用法に限られるのに対して、「みずから」は名詞/代名詞/副詞として広く用いられる。前者が上代から用例があるのに対して、後者は平安時代初期に登場する。
 このことと『古今和歌集』での「思ふ」の頻用と何か関係があるだろうか。それはわからないが、歌そのものなかに使われた例は同集にはない。仮名序と詞書(967)との二箇所に見えるだけである。前者では「自分たち」を指す名詞として、後者では歌の作者、清原深養父(生没年未詳、清少納言の曽祖父)自身のことを指す名詞として、それぞれ用いられている。

時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなくよろこびもなきことを思ひてよめる

光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思ひもなし

 「もともと光のささない谷には春も無縁なものですから、花が咲いてすぐに散るのを心配する、という気持ちはありません」(角川ソフィア文庫『古今和歌集』高田祐彦訳)。高田氏は四五句について「花が咲けばすぐに散ることを心配するのが世の常であるが、春が来ないので、花も咲かず、そうした心配事もない、ということ。「咲きてとく散るもの思ひ」は、もの思ひを花に喩えた表現と見ることもできる。「もの思ひの花」という表現もある」と注解している。
 昨日の記事で引用した仏訳『古今和歌集』ではこう訳されている。

Voyant quelqu’un qui déplorait la perte soudaine de son pouvoir après avoir eu son heure d’influence, Fukayabu, se disant que lui-même ne connaissait ni ces peines ni ces joies, composa ce poème. 

Dans une vallée
Sans lumière, même le printemps
Nous est étranger, 
Aussi, jamais l’on s’inquiète
Des fleurs écloses qui si tôt choient.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


谷川俊太郎「生まれたよ ぼく」

2024-11-30 16:34:21 | 詩歌逍遥

 今日早朝から昼過ぎまで、明後日の学部三年の授業「日本思想史」の準備とその授業で毎回実施している書き取りテストの採点に没頭していました。
 この書き取りテストは、その前に先週フランス語で説明した日本語のテキストを易しい日本語に置き換えて説明したうえで行います。重要な学習項目を三つの短い文に凝縮して書き取らせます。こうすることで授業の要点が明確になり、かつ日本の重要語彙の習得にも役立ちます。しかも、このテストの点数は平常点として最終成績に加味しますから、毎週学生たちも真剣に受けています。完璧な解答も少なからずありますが、中には同音異義語に引っかかってまったく文意に合わない漢字をあててしまっている答案や、長音が聴き取れていない(これはフランス人学習者に典型的な弱点です)答案もあります。
 明日日曜日は金曜日にパリのINLCOである博士論文の口頭審査の際の講評と質問を仕上げるために丸一日あてたかったのですが、上記の授業の準備に少し凝りすぎてしまって、応用言語学科一年生向けの「日本文明入門」の授業の準備は明日に持ち越しとなってしまいました。明日も早起きして、午前中にはその準備を仕上げ、午後は講評と質問の仕上げに集中するつもりです。
 明後日の授業でも谷川俊太郎の詩を一つ紹介します。『こどもたちの遺言』(佼成出版社、2009年)に収められた「生まれたよ ぼく」です。この詩、合唱曲にもなっているのですね。

生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところか 
だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを
ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい


I’ve Been Born a Boy

I’ve been born a boy.
Finally I came here.
 Though my eyes are still closed
and though my ears can hear nothing yet,
I know
What a wonderful place it is here.
So please don’t interrupt
my laughing, my crying,
my liking someone
and may becoming happy.

For the sake of some day in future
when I shall leave here, 
I now leave a will in which
I wish the mountains to keep soaring up forever beautiful,
the sea to be brimming with water forever deep, 
the sky to be forever blue and clear
and  the people to keep remembering
the day when they first came here.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


谷川俊太郎「ありがとう」

2024-11-27 23:59:59 | 詩歌逍遥

 弊日本学科の現代文学史の授業で詩が取り上げられることはほとんどない。その大きな理由の一つとして時間が足りないということは確かにあるが、そもそも小説や批評に比べて詩が軽視される傾向があることも否めない。これは古典文学史との大きな違いである。
 今週、学部三年生と修士の一・二年生に、日本の現代詩人で知っている名前があるかと訊ねてみたら、誰も一人も挙げることができなかった。一人、「サ、サイギョウ?」と呟いていた学生がいたが……。
 学生たちが少しでも現代詩に関心を持ってくれるようになればと、吉野弘の「I was born」や「夕焼け」を私の授業で紹介したことはあったが、文学史の授業でもなく単発に終わった。
 今月13日にまさに国民詩人の名にふさわしい谷川俊太郎が亡くなられて、この機会にせめて彼の名前は覚えてほしいと思い、今担当しているすべての授業で、先日引用した「おばあちゃんとひろこ」を紹介した。まず私が一行ずつゆっくりと読み、それから谷川俊太郎自身の朗読の録音を聞かせた。まだ彼らに感想を聞く機会はないが、どう思ったかぜひ聞いてみたいと思っている。

 

ありがとう

空 ありがとう
今日も私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと青くひろがっているのが

花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部

お母さん ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度きりしか言わないけれど

でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう


Thank You!

Thank you, Sky,
for being above me today!
I know, even if cloudy,
that you are spreading blue to the universe.

Thank you, Flowers,
for blooming today! 
Tomorrow you may be falling.
But your odor and color are already part of me

Thank you, Mother,
for bearing me.
I say this only once
because it’s embarrassing.

But who is it, what is it,
that gave me Me?
I murmur to the infinite world,
“Thank you, Me!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


谷川俊太郎「泣いているきみ」

2024-11-23 02:38:43 | 詩歌逍遥

 昨日の早朝は気温が氷点下まで下がりました。日中には雪もちらつきました。市内ではこれがこの冬の初雪ではないかと思います。午後、その小雪が一時間ほどで止むと、途端に青空が広がりました。
 この機を逃すべからずと、朝からずっと読んでいた博論を机上に開いたまま立ち上がり、ジョギングに出かけました。40分で6キロ走って切り上げました。
 この距離でも毎日走り続ければ、今年の年間目標の4100キロには余裕で到達できます。10月まで頑張って距離を稼いでおいたのには、11月と12月は忙しいだろうと予想していたからということもあり、あとは年末までこの調子で行けばいいのかと思うと、すごく気が楽です(ッテ、自分デ課シタ数値ニ拘束サレルトイウ「あほ」ラシサハアリマスヨ、モチロン)。
 昼の休憩時に声に出して読んだ谷川俊太郎の詩「泣いているきみ」を書き写します。

 

泣いているきみ    少年9

泣いているきみのとなりに座って
ぼくはきみの胸の中の草原を想う
ぼくが行ったことのないそこで
きみは広い広い空にむかって歌っている

泣いているきみが好きだ
笑っているきみと同じくらい
哀しみはいつもどこにもでもあって
それはいつか必ず歓びへと溶けていく

泣いているわけをぼくは訊ねない
たとえそれがぼくのせいだとしても
いまきみはぼくの手のとどかないところで
世界に抱きしめられている

きみの涙のひとしずくのうちに
あらゆる時代のあらゆる人々がいて
ぼくは彼らにむかって言うだろう
泣いているきみが好きだと


You Who Are Crying
   — Boy 9 —

Sitting beside you who are crying,
I think of the grasslands in your breast.
There where I’ve never been,
you’re singing to the wide, wide sky.

I like you who are crying
as much as you laughing.
Sorrow is always everywhere
and some day will surely dissolve into joy.

I wouldn’t ask why you’re crying
even if it were because of me.
Somewhere now beyond my reaching
you are being embraced by the world.

One single drop of your tears is inhabited
by people of all ages, of all kinds,
to whom I shall say,
“I like you who are crying.”