内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

修士一年後期演習で三木清『人生論ノート』を再読する

2024-12-21 13:37:34 | 講義の余白から

 後期の授業開始は1月27日(月)だから、一月余り授業およびその準備から解放される。少し気が楽である。しかし、その間の試験監督と採点作業は当然の義務として、後期開始以前にやっておくべきことや準備しておくべきことを数え上げたらかなりあり、昨日の記事で話題にした理由とは別に、この休暇中はあまり心が休まりそうにない。
 まず、読んでコメントしなければならない演習レポートが30本あまり、指導中の修士論文が数本ある。
 2011年から行っている夏期集中講義の来年度のシラバスの締め切りが1月12日。
 後期、新たに担当する修士一年の「近現代文学」の演習と学部2年生の「現代文学」の講義の準備。この演習と講義は、現代文学が専門の同僚がずっと担当してきたのだが、その同僚が今年度からおそらく4年間出向で不在なので、とりあえず今年度は私が担当することになった。
 それで昨日は修士一年の演習の講読図書を何にするかあれこれ考えていた。9月以降何度か思案したことはあったのだが、決められずにいた。
 一回2時間の演習を6回、計12時間だから、そうたいした量は読ませられない。だから、本の一部のコピーでもPDF版でもよいようなものなのだが、それでは味気ない。学生たちに日本語の本を手にして読むという経験をさせたい。
 「近現代文学」といっても広い意味でとらえてよいので、文学作品や文芸批評に分野を限定する必要はない。哲学的エッセイもありである。
 ただ、一冊の本を選ぶにはいろいろと条件がある。まず、高い本を買わせるわけにはいかない。それで選択範囲はおのずと文庫か新書に限定される。価格としては800円(5€)あたりが上限。
 一冊丸ごと読ませる時間はないにしても、演習内でいくらかはまとまった量を読ませたい。だから薄めの本のほうがよい。語彙や構文があまりにも難しい本は当然却下。
 一方、私の方の事情として、上記の演習と講義以外にも今年度からの新設科目である学部2年の「仏文和訳」も後期担当するということがあり、これまでの蓄積が活かせない分、準備に時間がかかる。だから、修士の演習には、これまでの蓄積が活かすことができ、準備に時間をあまり必要としないテキストを選びたい。
 と、今日も朝からあれこれ思案した結果、過去に二回「近現代思想」の演習で学生たちと一緒に読み、全仏訳がほぼ完成している三木清の『人生論ノート』に決定した。この作品は「青空文庫」で入手できるし、それをもとに授業で使いやすいように私の方で編集したPDF版もあるから、学生たちに金銭的負担をかけなくてもいいのだが、彼(女)らには角川ソフィア文庫の紙版(2017年)を購入してもらいたいと思っている(電子書籍版もある)。ただ、いくら安価でも購入を強制することはできないので、購入諾否を問うメールを学生たちに先ほど送った。
 新潮文庫版のほうが安いのだが、現在どうやら新本は購入できないようだし、角川ソフィア文庫版には、『人生論ノート』の他に、三木の哲学の原点とも見做しうる若書きの『語られざる哲学』と一人娘洋子に宛てて書かれた感動的な文章「幼き者の為に」も収録されている(この文章については2017年12月17日の記事で取り上げている)し、岸見一郎氏による解説によって、三木の生涯にとって重要な出来事や時代背景ついて若干の知識が得られるという利点があるので、こちらの版にした。
 学生たちと一緒に再度精読することで、きっと新たな発見もあるだろうと今から期待している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


AI翻訳に脅かされる翻訳家の悲痛な叫び

2024-12-18 23:59:59 | 講義の余白から

 修士2年の仏文和訳上級の最後の演習を今日オンラインで行った。これで年内の授業はすべて終了。年内に残っている職業的義務は明日と明後日の試験監督だけである。明日は、試験監督といっても、明後日の試験が仕事上の都合で受けられないたった一人の学生のための、本人からの要望に応えての特別措置である。試験時間は一時間。
 « Traductologie – niveau 3 » という科目名の今日の演習、同僚と二人で前半後半に分けて3回ずつ担当するという今年からの新しい試みであった。事前に二人でテーマについて相談し、政治・社会問題・テクノロジー・気候変動という4つのテーマを選定した。そして、同僚がそれらのテーマに関するフランス語の記事をテーマごとに複数選び、私は日本語の記事を同じように選んだ。難易度・記事の長さ等を考慮して、最終的に選ばれたテーマは、石破首相誕生の政治的経緯、ヤングケアラーの現状、AI翻訳であった。一回の演習で一つの文章を扱うという原則で選択・編集した記事を学生たちに事前に送り、翻訳を準備させた。
 今日の授業で検討したのは、今年10月24日付けのル・モンド紙に掲載されたAI翻訳に関する投稿記事で、筆者は大学でも翻訳教育に携わっているドイツ文学の翻訳家である。構文的にはさほど難しくない文章だが、日本語には馴染みにくい表現が散見され、テーマに関して日本で現によく使用されている語彙にいくらか通じていないと適語の選択がちょっと難しいという程度の難易度であった。
 事前に提出された7つの翻訳を私が授業の前にすべて添削しておく。授業では、それらの翻訳一つ一つについて、一段落ごとに、細部にわたって問題点を説明していく。それはそれで学生たちの勉強になる作業ではある。
 しかし、記事の内容そのものはあまり面白くなかった。というか、古色蒼然とした「人力」翻訳擁護論で、正直、まだこんなこと言っているのかと少し呆れてしまった。要するに、文学作品の翻訳の精神的効用論で、こんなことで現状に一石を投じたことになるとでも思っているのかというほどに黴臭い御託である。時代錯誤的な喩えで恐縮だが、敵からの空爆が繰り返される危機的な状況のなかで、竹槍訓練で心身を鍛えることの効用を説いているようなものである。
 記事のなかでも言及されているように、大学での進路に迷っている若者とその家族が翻訳業の未来に対して不安を抱いているのが現状である。そのような先の見えにくい状況にあって、「みなさん、将来どんな職業につくにしても、文学作品を機械に頼らず自力で訳す訓練には、言語能力を磨き、精神を鍛え、思考力を高めるという効用がありますよ」と言われて、大学で文学作品の翻訳に打ち込む気になる高校生やその選択に賛同する親御さんたちがどれだけいるというのか。
 文学作品の翻訳作業の効用として上記のような諸点を挙げること自体を否定するつもりはない。市場原理が席巻する現状をひたすら追認し、それに遅れないように「適応」することを金科玉条とせよとも思わない。AIに白旗を上げて降参せよと言いたいのでもない。文学作品の翻訳が完全に自動翻訳のみになってしまうこともおそらくないであろう。
 しかし、翻訳市場全体を見渡せば、生成AIの登場とその急速な普及と驚くべき質的向上が翻訳の社会的機能に空前の変化をもたらしていることは誰にも否定できないだろう。
 文学作品の翻訳が占めているのはその一部でしかなく、そこでは通用する議論を他の分野に無条件に拡張することはできない。
 翻訳に求められているものは、その利用者および市場のニーズによって可変的である。メディアの情報、広告、取扱説明書、観光ガイド、映画字幕、各種契約書、行政文書、法律文書、外交文書、政治的声明、科学雑誌、学術論文等、数え上げればきりがないが、翻訳対象となる文章の質と目的によって要求水準・内容も大きく異なってくる。
 AIが生成した翻訳は、蓋然性の高さに基礎を置くアルゴリズムの結果としての「疑似言語」であって、人間による「血の通った」創造的言語活動の成果ではない、という、上記の記事の筆者である翻訳家の悲痛な叫びは、世界を覆い尽くす情報の大洪水による喧騒によってほとんどかき消されてしまっているとしか私には思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あるときフランス語版言語生成システムが私のなかで「おのずから」稼働し始め、今も成長と進化を続けている

2024-12-17 14:05:09 | 講義の余白から

 昨日は「日本思想史」の前期最後の授業であった。ところが、残念なことに、説明が尻切れトンボに終わってしまった。
 「おのずから」と「みずから」との関係というそれ自体かなり繊細な説明を要するテーマだったこともあるが、授業半ば、大半の学生たちが私の説明について来られなくなっていることがわかり、言葉をできるだけ易しくし、両語の用例をいくつか挙げながら、説明を繰り返したせいで、テキスト読解用に準備してきた松尾芭蕉の『笈の小文』の冒頭と九鬼周造の「人生観」(1934年)と「日本的性格」(1937年)とからの抜粋というそれぞれA4版で半頁ほどのテキストを読む時間がまったくなくなってしまった。
 そのような中途半端な形で最後の授業を終えなくてはならないことを学生たちに詫びると、先日話題にしたクラストップの女子学生がやおら手を上げて、「先生、「おのずから」と「みずから」とが協働関係にあるような具体例を一つ挙げてくれませんか」と要求してきた。実は、このような要求は想定内で、その回答は準備してあった。ただ、時計を見るとあと五分しかない。しかし、この教室の次の時限の授業は先週が試験ですでに終了しているから、教室は空いている。学生たちにちょっと授業時間を超過すると断ったうえで、その具体例として私自身のフランス語習得経験について話し始めた。
 すると、それまではちょっと途方に暮れたような顔をしていた学生たちが俄然集中して私の話に耳を傾け始めた。
 「私がフランス語を学び始めたのは、もう27歳になる年でした。」そう言っただけで学生たちは互いに顔を見合わせ少し驚いたような表情になった。たしかに、その歳で零から学び始めて私が現在一応到達しているレベルにまで上達できるケースはあまりないだろうと、これは自負している。
 もちろん発音はお世辞にも褒められたものではないし、文法的にも完璧からは程遠い。話題によっては、語彙の貧しさゆえにうまく話せないこともある。それでも、ノートやメモなしで二時間の授業をすることや、簡単なメモだけで30分の研究発表をすることや、学生や聴衆からの質問にそつなく答えることは難しくないほどにはフランス語を自由に操ることができるようになっている。
 フランス語を学び始めてから今までにすでに40年近い年月が経っているが、その半ばである決定的な変化が自分の中に起こったことがあり、それ以前とそれ以後とに自分のフランス語習得過程を分けて考えることができる。
 その変化とは次のようなものであった。その変化以前は、フランス語で話すことは、あたかもレゴを組み立てるようなもので、手持ちの語彙を文法規則に照らし合わせて組み立てる作業であった。つまり、フランス語は私の言語表現能力において外在的な位置にとどまり、そこへ毎回「みずから」アクセスする必要があった。ところが、あるときから、フランス語の文章が私の頭の中で「おのずから」生成されるようになったのだ。言い換えると、脳内にフランス語版言語生成システムが形成され、それが自動的に稼働するようになったのだ。
 つまり、「みずから」学び始めたフランス語が「おのずから」文章を生成するシステムへと私において成長したのである。「みずから」が「おのずから」を可能にしたのである。
 とはいえ、あなたたちがよく知っているように、このシステムにはまだいくつもの点で脆弱性があり、つねに安定的に稼働するわけではない。しかし、それらの脆弱性のうちのいくつかは改善可能であり、今なお進化の過程にある。まさにそのことが「みずから」フランス語を学び続ける私の意志を支えているのである。
 「私が教師としてあなたたちに望むことは、このように成長と進化を続ける言語生成システムの日本語ヴァージョンがあなたたちのなかに形成されることです」とこの説明を締めくくった。
 この話を聴き終えた学生たちの目の輝きからして、授業の失敗は十分に償われたと思う。それどころか、彼女ら彼らにちょっと早めのささやかなクリスマス・プレゼントを手渡すことができたかなと、いささかの喜びを感じながら教室を後にすることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


修士2年の演習でフランスと日本におけるヤングケアラーの問題を取り上げる

2024-12-14 17:35:40 | 講義の余白から

 前期もあと一週間で終わり。担当するすべての授業の準備を今日終えた。筆記試験を課す学部の二つの授業の試験問題の作成も終え、印刷の発注も済ませた。ホッとする。心身が軽い。
 しかし、授業外では、来年度准教授新任採用の審査委員長という、正直すご~く苦手な責務を引き受けざるを得ず、ノエルの休暇中もそのことで気を揉まなくてはならない。こっちは、ほんと、気が、オモ~いでがんす。
 来週月曜日から期末試験が始まる。私の担当する学部の二つの授業のうち、応用言語学科一年生向けの「日本文明入門」の試験は来週金曜日に行われる。当初は来年1月13日(月)に予定されていたのだが、年内に試験を受けたいという学生たちの希望を入れて、ノエルの休暇前の最終日である金曜日の最後の時間枠に変更した。
 もう一つの学部の担当授業である日本学科三年生向けの「日本思想史」の試験は1月13日に行われる。この試験についても年内か年明けか学生たちに希望調査をした。こちらは年明けを希望する学生が過半数を占めた。賢明な選択である。超弩級の難問4題、ぶち込んでおいたからね、しっかり時間をかけて準備してくれたまえ、諸君、フフフ。
 修士の3つの演習のうち、2つは今週が年内最終回だった。残るは修士2年の仏文和訳上級の2コマ。月曜日に教室で1コマ。水曜日にオンラインで1コマ。これで前期の授業はすべて終了となる。
 月曜日の演習では、フランスのヤングケアラーの問題を取り上げたル・モンド紙の記事の和訳を検討する。演習に参加している7人の学生には演習前日までに翻訳を提出するように指示してある。今のところ3名提出。すでに添削済み。内容的に易しい文章なので、翻訳として検討が必要なところもあまりない。残り4人の翻訳の添削も簡単に済むだろう。だから、月曜日の演習、翻訳に関する問題については実は話すことがあまりない。時間が大幅にあまりそうである。
 で、修士一年の前期の演習で取り上げた日本のヤングケアラーについての次の三つの著作を紹介することにした。澁谷智子『ヤングケアラー 介護を担う子供・若者の現実』(中公新書、2018年)、同著者による『ヤングケアラーってなんだろう』(ちくまプリマー新書、2022年)、村上靖彦『ヤングケアラーとは誰か 家族を〝気づかう〟子どもたちの孤立』(朝日新聞出版、2022年)。いずれもわかりやすい日本語で書かれているので、修士2年なら予習なしでも読ませることができる。
 それでも時間が余ったら、村上氏の本の第4章に紹介されているコーダ(CODA=Children of Deaf Adults)について話す。それでも時間が残ったら、丸山正樹の『デフ・ヴォイス』(文藝春秋社、2011年、文春文庫、2015年、創元推理文庫、2024年)を紹介し、とどめとして、昨年末にNHKで放映されたドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』の一部を視聴させる。このドラマについては、今年1月21日の記事でちょっとだけ言及した。いいドラマですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「もし、歩くべき事あれば、みづから歩む」―『方丈記』より

2024-12-12 17:06:40 | 講義の余白から

 「日本思想史」の授業で「数奇」と「すさび(荒び・遊び)」の話を唐木順三の『中世の文学』に依拠しながら説明したとき、同書には『徒然草』からの引用や参照箇所はいくつもあるので、『徒然草』の原文に触れさせる機会はあった。長明のほうは、唐木書で参照した箇所には『発心集』からの引用はあっても『方丈記』からの引用はなく、前者の原文はピジョー先生の仏訳と共にニ箇所引用したが、後者には触れる時間がなかったことを少し残念に思っていた。
 そこで、「おのずから」と「みずから」をテーマとする最後の授業でこのニ語の用例を『方丈記』から取ることにした。どちらもごく短い文で、古典文法の初歩しか習っていない学部生でも、仏訳に頼ることなく容易に理解できる。

暁の雨は、おのづから、木の葉吹く嵐に似たり。

もし、歩くべき事あれば、みづから歩む。

 『徒然草』からもそれぞれ一例を挙げる。

よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりに向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ。

一道にまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物にほこることなし。

 古典文学も古典文法も同僚が専門家として同学年で担当しているので、私の授業ではあくまで思想史の一齣として取り上げたテーマの枠組みのなかで古典文学作品に言及するだけだが、それがきっかけで学生たちが『方丈記』や『徒然草』に関心をもってくれれば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


岐阜県観光公式サイト『岐阜の旅ガイド』のフランス語ヴァージョンの充実度

2024-12-03 10:39:57 | 講義の余白から

 応用言語学科英語・日本語併修コースの一年生向けの「日本文明入門」で、中間試験以後、日本の都道府県を北から順に紹介している。東京・京都・大阪などの大都市については彼らもいくらかの知識がすでにあるが、その他の地域となると、日本地図上の場所さえ覚束ないほど無知である。もちろんそれは彼らの落ち度ではなく、日本について彼らがこれまで触れてきた情報がそれだけ偏っていたことの反映にすぎない。
 そこで、もっと日本の国土をその全域にわたってよく知ってもらいたいと思い、前期の後半は各地方の紹介にあてることにした。昨日は、長野、山梨、岐阜、静岡、愛知の各県を紹介した。その紹介の際には、県行政の公式サイトと観光の公式サイトを必ず見せる。これらのサイトのほとんどは地方自治体の自前の制作ではなく、民間ウェッブサイト制作会社へ委託されたものであろう。
 県によって相当に出来の良し悪しに開きがある、これには予算の問題もあるだろうし、そもそも地方自治体がどこまで注力しているかにもよるだろう。
 外国からの観光客や長期滞在を目的とした外国人も飛躍的に増えている近年、それだけ多言語での紹介が求められているわけだが、英語ヴァージョンはすべてのサイトで提供されているものの、その他の言語となると自治体間でかなりのばらつきがある。あっても自動翻訳に丸投げの場合も少なからずある。
 英語以外では、中国語と韓国語は大多数のサイトで作成されており、ついでスペイン語、ポルトガル語、アラブ語などのヴァージョンが公開されている。これはその地域を観光客として訪れる外国人やそこに長期滞在しようとする外国人の国籍を反映していると思われる。フランス語ヴァージョンを作成している自治体はきわめて少数である。
 その点、昨日紹介したなかで際立っていたのは岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」である。フランス語ヴァージョンの充実度が他の自治体を圧倒している。これにはいくつかの理由がある。岐阜県はフランスとの直接的な経済協力を重視しており、高山市とアルザス地方のコルマールとは友好都市である。それに、現在、岐阜市には、弊日本学科修士を今年修了した卒業生がJETプログラムの国際交流コーディネイターとして勤務していることからもわかるように、今後も岐阜県はアルザス地方との友好および経済協力に注力していく方針であると思われる。
 このフランス語ヴァージョンのなかの白川郷のルポルタージュは、若干の表記の間違いと安易な文化主義的アマルガムが瑕瑾ではあるが、なかなかの出来である(その頁へのアクセスはこちらをクリックしてください)。学生たちもかなり興味をもったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人を「好き」になるまでの遠い道のり

2024-11-25 20:04:21 | 講義の余白から

 ある言語の習得初歩段階で必修語彙として提示される言葉の意味は学習者にとってその語意のデフォルトとなってしまう。ところが、その意味がその語にとってもっと基底的な意味であるとはかぎらない。
 この問題は、「なつかし」を例として、このブログでもこれまで何度も話題にしてきた。今日の「日本思想史」の授業では、「すき」に即してこの問題を取り上げ直した。
 日本語学習のごく初期の段階で、自分の好みを表現する文型として、「私は~が好きです」という文型を習う。ところが、このような意味で「すき」が使われるようになるまでには、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)によれば、意味変遷過程において、少なくとも二つの前段階を措定する必要がある。
 平安初期には好色の意が中心的であり、その後、しだいに性的・本能的な好みから離れて、中世以降は趣味や芸道を対象として心を打ち込む方向に大きく展開した。さらに、風流の事に限らず何事でも強く愛好することに用いられるようになり、やがて一般的な好悪の感情についても用いられるようになった。
 今日の授業では、唐木順三の『中世の文学』(1955年)を参照しながら、中世において趣味や芸道に打ち込むという意味での「すき」(この意味で中世では「数奇」という漢字があてられるようになる)がどのような歴史的文脈で登場してきたのかを説明した。
 「数奇人」あるいは「数奇者」とは、他の一切を擲って一途にあることに打ち込む人のことである。しかし、このような排他的態度は、単純に本人個人の好みをその起因とするのではなく、生きるために依拠すべき公準の喪失をその時代背景として生まれた。
 何かを排他的に「すき」になることで己の実存を自ら救済しようとすること、あるいは救済を願うこと、それが「数奇」であり、そうすることに己の人生を賭けた者が「数奇者」(あるいは「数奇人」)である。
 ここまで説明したところで今日の授業は時間となった。
 来週は、中世において「数奇」がなぜ「すさび」(荒び・遊び)へと転ぜざるを得なかったかを説明する。
 そこから近代的な意味での「好き」に至るまでの道のりはまた遠い。歴史のなかで無数の人々が実際に歩いたその道のりが思想史の基底を成す。その声なき声に謙虚に耳を傾けつつ、そしてそれに真摯に問いかけを繰り返しながら一つの「ストーリー」を「紡ぎ出す」こと、それが「思想史」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「恋愛」の語釈問題に敏感に反応する学生たち

2024-11-20 05:48:11 | 講義の余白から

 一昨日の学部三年生の「日本思想史」の授業で、「聴解練習補遺」と称して、『舟を編む ~私、辞書つくります』の第二話のなかの、先日修士の授業で話題にしたのと同じ箇所(11月6日の記事参照)を視聴させました。視聴前にその回までのドラマの粗筋をざっと説明しました。
 こちらの予想および期待に反して、視聴中に彼女彼らたちが特に反応したのは、11月6日の記事で引用した馬締光也の言葉に対してではなく、その前の場面で、岸辺みどりが「恋愛」の語釈について、どの辞書をみても「男女」とか「異性」という言葉が必ず入っていることに違和感を覚えることを馬締光也に向かって訴えているシーンでした。
 粗筋のざっくりとした説明の後、語彙説明も字幕もなしでいきなり視聴させたのですが、しかも一回視聴しただけにもかかわらず、彼女彼らのうちの多くが既存の辞書の「恋愛」の語釈の何が問題なのか理解していました。もちろん映像の力があったことは間違いありません。でも、それだけではなく、自分たちも日頃関心をもっている問題だったことが理解を容易にしたということもきっとあったと思います。
 こうした些細な成功体験(予習なしに、いきなり「そのままわかっちゃう!」という快感)は確実に学習意欲を高めてくれます。
 というわけで、「聴解練習補遺」を授業のレギュラー項目に昇格させることにしました。などと、もっともらしく昇格を正当化していますけれど、正直に言えば、どの作品のどの場面を選ぶか、その選定作業が楽しい、というのが本当の昇格理由です。つまり、動機は「不純」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「いま、あなたのなかに灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです」― 『舟を編む ~私、辞書をつくります~』第二話より

2024-11-06 07:16:52 | 講義の余白から

 昨日から修士二年の Technique d’expression écrite et orale という新しい演習が始まった。昨年度までの五年間は Technique d’expression écrite という科目名だった演習に取って代わる演習である。取って代わるといっても、内容が大きく変わるわけではなく、学生それぞれが現在作成中の修士論文の一部に相当する内容を日本語で4000字前後の小論文として書かせるという最終目的に変わりはない。この演習の開設以来ずっと担当してきているので、小論文作成プログラムのほうはすでに十分に練れていて特に変更すべき点はない。それに今年度から口頭表現力の訓練が付加される。そこで、小論文作成作業の経過報告を毎週日本語でさせることにした。
 その報告は必ずしもまとまっていなくてもよい。生成AIを使って体裁だけ整っている中身のない報告はいらない。作成過程で突き当たった問題、迷っていること、うまく表現できないでもどかしい思いをしていることをそのまま言葉にしてくれればよい。自分のなかで今生まれ出ようとしているものを、うまく言えなくてもいいから、言葉にしてほしい。
 そう学生たちに伝えてから、聴解練習もかねて、このブログでも今年何度か話題にしたNHKドラマ『舟を編む ~私、辞書をつくります~』第二話の一部を視聴させた。自分の言いたいことがうまく言葉にできなくてもどかしい思いをしている岸辺みどりに向かって馬締光也は次のように言葉をかける。

うまくなくていいです。それでも言葉にしてください。いま、あなたのなかに灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです。

 これは原作小説にもない台詞で、このドラマの脚本を書いた蛭田直美さんのアイデアなのであろうか。とても素敵な言葉だと思う。最初に視聴したときから深く印象に残った。
 そして、これは今回の演習に参加する学生たちへ贈りたい言葉でもあった。このシーンの少し前から耳を傾けていた学生たちの表情がこの台詞を聴いた瞬間、少し輝いた。心に触れるところがあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「居場所がない若者たち」を生み出す日本社会の病巣に至るには

2024-10-16 23:59:59 | 講義の余白から

 修士の演習で読んでいる『ケアとは何か』がきっかけとなり、出席している学生たちの多くが「居場所」に関心を持つようになった。一つには、「居場所」の問題が日本社会の現状をよりよく知る一つの手掛かりになるからであり、一つには、自分たち自身の問題として「居場所」はあるのかという問いが彼らのなかに生まれているからである。さらには、そこからそもそも人にとって「居場所」とは何なのかという問いにまで彼らの問題意識が深められようとしていることが授業で彼らの意見を聴いているとわかる。
 実際、日本のメディアで「居場所」という言葉を見かけることはほんとうに多くなった。今日、この言葉が使われている朝日新聞の二つの記事をネットで見つけた。それも、特に検索をかけて探そうとしてではなく、たまたまトップページを見ていたら目に入った。
 一つはまさに今日付け(日本時間では17日)の記事で、タイトルは、「暴力、脱走、そして野宿「このままだと死ぬ」 16歳が生き直す家」
 「「いいんだよ。頼って。何度でも」 今年7月、宇都宮市中心部に、そんなメッセージを掲げたシェアハウス「ぼっけもんの家」ができた。入居対象は、家出や非行など様々な事情で帰る家や居場所がなくなった若者。この夏、3人が新生活を始めた。」
 こう書き出された記事には、共同生活を始めた3人のうちの一人、0歳から児童養護施設で育ち、後に別の施設に移ったが、それら施設や学校で数々の問題を起こし、上掲のシェアハウスに辿り着く前には帰る場所もなく野宿をしていた16歳の少年のこと、このシェアハウスが作られた経緯、その代表者の話などが紹介されている。
 その代表者小川氏は栃木県の委託を受け、児童福祉法に基づき設置される自立援助ホームも運営している。ただ、入居には児童相談所の決定が必要で時間を要するため、その日住むところがない子を支援することができないと「ぼっけもんの家」を作ったという。
 「ぼっけもん」とは鹿児島の方言で「大胆、勇敢な人」の意味がある。小川代表は「ここにたどり着く子はどこか傷ついていたり、重荷を背負い込んでいたりする。生きる希望を失わず、勇敢に立ち向かってほしいという願いを込めた」と話す。
この記事に限らず、「居場所」が主題となっている記事では、「居場所がない」あるいはそれに近似した表現が「若者たち」と結びついて出てくる。そして、それらの若者たちのための居場所づくりの取り組みやそれをめぐる諸課題が話題となっている記事が多い。
 「こども家庭庁は、親の虐待などで家庭に居場所がないこども・若者の一時避難先として「こども若者シェルター」の整備を進める。全国の自治体がNPOに委託する形を想定し、児童養護施設や一時保護施設への入所を望まない子どもの受け皿にするという。6月に検討会を立ち上げており、今年度中に運用ガイドラインの策定を目指す。」
 こうこの記事は結ばれている。もちろん行政のこうした取り組みは必要であり、緊急性も高いことはよくわかる。SOSをさまざまな仕方で発信している若者たちは実際少なくない。しかし、少なからぬ若者たちが社会のなかで居場所を失い、ここまで追い詰められているのは、日本社会のもっと深いところに深刻な病巣があるからにほかならない。
 演習を通じて、その病巣に到達するまで問題意識を学生たちとともにあと4ヶ月かけて深めていきたい。