内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『猫は神さまの贈り物 〈エッセイ編〉』

2021-06-30 15:38:15 | 読游摘録

 今日の記事では、昨日の記事からの「猫つながり」ということで、『猫は神さまの贈り物 〈エッセイ編〉』(実業之日本社文庫 2020年 初版単行本 有楽出版社 2014年)を取り上げる。本書は、夏目漱石、柳田國男、寺田寅彦、谷崎潤一郎その他、計十六人の作家・画家・女優・エッセイスト・女性史研究家・心理学者・国文学者たちが書いた猫にまつわるエッセイを集めたアンソロジーである。誰が編者なのかわからないが、この文庫版の解説は角田光代が書いている。谷崎潤一郎、木村荘八、中村眞一郎、山崎朋子はそれぞれ二編のエッセイが収録されている。大佛次郎は三編採られている。さすがである。
 それぞれに味わいの違う多様な文章が選ばれており、類書と一線を画した秀逸な編集だと思う。世には猫エッセイのアンソロジーは数多存在するが、本書の特徴は、角田光代が言うように、いわゆる心温まる猫話が極端に少ないことだ。
 たとえば、漱石の「猫の墓」には、病気で苦しみ次第にそれが悪化していく猫の姿とその猫への妻や子供の冷淡さの犀利な観察が綴られている。漱石自身、薬を飲ませてやれと妻に言いはするが、自分で何かしてやるわけではない。その猫の死後、妻の態度が急に変わる。猫のための墓標を買ってきて、それに何か書いてくれと漱石に頼む。漱石は、その墓標の表にただ「猫の墓」と書き、裏に「此の下に稲妻起る宵あらん」と一句認める。
 生前の冷淡との対比が際立つ子供と妻の振る舞いが最後の二段落にこう印象深く描写されている。

 子供も急に猫を可愛がり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花を澤山挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替へられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分は此の書斎の窓から見てゐた。――たつた一人墓の前へ來て、しばらく白木の棒を見てゐたが、やがて手に持つた、おもちやの杓子を卸して、猫に供へた茶碗の水をしやくつて飮んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、靜かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤ほした。
 猫の命日には、妻が屹度一切れの鮭と、鰹節を掛けた一杯の飯を墓の前に供へる。今でも忘れた事がない。ただ此の頃では、庭迄持つて出ずに、大抵は茶の間の簞笥の上へ載せて置くやうである。

 漱石は、妻や子供たちの生前の冷淡を詰るわけでもなく、彼女たちの死後の態度の急変を揶揄するでもなく、猫の様子の変化の描写を主として、家庭内で見たこと聞いたことをとても細やかな筆致で描き出していく。その眼差しは人にも猫にも平等に注がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大佛次郎『猫のいる日々』― 猫は生涯の伴侶と言った大作家の名随筆集

2021-06-29 18:13:25 | 雑感

 一昨日の記事で石井進の『中世武士団』を取りあげたとき、その冒頭に引用されている大佛次郎の『乞食大将』のことを特に話題にした。この作品を読んでみたくなった。早速、電子書籍版があるかどうか、ネットで検索してみた。残念ながら、ない。紙の本なら、あるにはある。が、オンデマンドだったり、古本は高値がついていたり、文庫版は状態いい手頃な価格のものがなかったりと、食指が動く出品がない。出世作『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』は電子版で読めるが、それらには特に関心がない。かつて『パリ燃ゆ』を興奮しながら読んだことを懐かしく思い出す。研究の必要上ではなく、良質の文学作品を楽しみで読むには、やはり紙の本がいい。『乞食大将』の入手はひとまず諦めることにした。
 電子書籍版で入手可能なその他の大佛次郎の本を探していると、『猫のいる日々』(徳間文庫 2014年)が目に留まった。これはノンフィクションでもフィクションでもなく、大佛が折に触れて書いた猫にまつわる随筆・小品六十五篇を集めたアンソロジーである。巻末の福島行一の解説によると、大佛は、「〈私の趣味は本と猫〉と言い、〈ネコは生涯の伴侶〉とも語り、最後には〈次の世には私はネコに生まれて来るだろう〉とまで入れ込んだ愛猫家」だった。
 しかし、ただの溺愛だけで随筆は書けない。しかも、これほどたくさん猫についての随筆・小品を書きながら、それぞれが一個の文章として立っている。大佛をいくつもの大作を残した大作家であるばかりでなく名随筆家にしているのは、文章が巧みな上に、深い教養と、豊かな人生経験と、広い見聞、洗練された趣味の持ち主であることは間違いないと思うが、それに私は鷹揚なユーモアのセンスを加えたい。
 例えば、「暴王ネコ」というエッセイの冒頭を読まれたし。

 猫のことは、あまり書き度くない。猫がいる故に、私は冬を迎えて寒い思いをしている。部屋にいて、障子を閉め切っていて、隙間風が多過ぎたから気がついて見たら、新しく貼った障子の一枚毎に二こまずつ、猫が出入り出来るように穴があけてあった。つまり四枚並んだ障子に合計八個の猫穴があり、廊下の風が自由に入って来ている。まさか猫の数だけ出入口を作ったのではあるまいと考え、妻を呼び出して、猫が八匹いても出入口は一つだけあればよいわけだと叱りつけると、どうせ破きますから、沢山こしらえて置きましたと用意が好過ぎる挨拶である。家の中を人間が安らかに住むように考えるのではない。猫の都合で決まるのである。

 いかがですか、この秀逸な随筆集をまだお読みになっていない猫好きのあなた。この文章の続きや他のエッセイも読んでみたくなったでしょう。ご期待が裏切られることはありませんよ、お約束します。猫嫌いや猫アレルギーの方もこれらの文章を読んで損はないこと、請け合います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この夏の聖オディール山巡礼計画

2021-06-28 04:46:46 | 雑感

 昨日日曜日のウォーキング・ジョギングは普段の二倍ほどの運動量だった。およそ二時間半で総走歩行距離二十キロ。それを最初から目指したわけではない。いつものように森までの三キロほどのコースをジョギングしているうちに、今日は調子が良いなあ、これまでの個人記録を全部塗り替えてみようかという欲が湧き、森の中を縦横に走り回ってみようという気になった。網の目状に張り巡らされている森の遊歩道マップはほぼ頭に入っている。その時の気分と体調でコースを選べばいいと軽い気持ちで走り続けた。ちょっとしんどくなるとウォーキングに切り替える。体力の限界を試すことが目的ではないから。
 朝出るのが五時半と普段より遅かった。森に着いたのは六時少し前。この時間だと、ジョガーやサイクリストにときどき出会う。すれ違うとき、お互いちょっと目を合わせ、「ボンジュール」と挨拶を交わす。前方からサイクリストが猛スピードで迫ってきて、こっちがちょっと慄いていると、すれ違いざま、ピースサイン。一瞬のうちに遠ざかって行く。「ムッシュー、ごめんなさい、脇を失礼。良い一日を」と、ソプラノの美声で歌うようにこちらの背後から挨拶して追い抜いていくマダムがいた。「いいえ、あなたも良い一日を」と返事をしつつ彼女の出で立ちを見れば、上下真白のスーツに薔薇色のシャツ、サイクリスト用の白のヘルメットを被っている。えっ、なんで日曜日のこの時間に森の中でその出で立ちなの、と驚いているこちらを尻目に、その姿は颯爽と遠ざかっていった。それを追いかけながら、なぜかよくわからないが、クスクスと笑ってしまった。
 走りながら考えた。ここまで走れるとすれば、一日に歩ける距離に換算したらどこまでなら無理なく行いけるだろう、と。すべて平坦路だとして、片道四十キロは行けるだろう。調べてみると、ストラスブールから聖オディール山頂までほぼ四十キロだとわかった。最後の数キロは山道だとしても、これは無茶な目標ではない。これから八月初旬まで鍛錬して、聖母被昇天の日、八月十五日までにこの目標を達成しようと、今、ちょっと興奮している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


現代を生きる私たちに歴史と文学が与えてくれるもの ― 石井進『中世武士団』から

2021-06-27 17:32:22 | 読游摘録

 石井進の『中世武士団』(講談社学術文庫 2011年)は、中世武士団の生ける姿を全編興味尽きない叙述と考察によって鮮やかにかつ多面的に描き出した名著である。史料の扱いが見事なのは、歴史家としての本領の発揮で、当然といえば当然のことだが、私が特に驚きかつ惹かれるのは、その文学作品の巧みな取り扱い方である。解説で五味文彦氏も述べているように、「文学作品を使って、こんなにも豊かな歴史的な世界を描くことができるのか」という驚嘆を禁じ得ない。もちろん、現地調査、考古学の発掘成果、民俗学的視角、社会史的視点からの考察も本書を中世武士団の世界への魅惑的な入門書にしている。
 しかし、まったく個人的な関心から、私の注意は文学作品の扱い方に向かう。なぜなら、私が哲学研究として行いたいことは、僭越至極であることを承知で言えば、文学と歴史と哲学とを交叉させ、その交叉点を出発点として、哲学的考察をいわば螺旋状に展開・深化させることだからである。言い換えれば、それは、文学作品および文学研究と歴史的事実・出来事および歴史研究とに学びつつ、その中に哲学的に考察されるべき要素を見出し、その要素を哲学の問題として抽出・拡張・重層化させることである。来月行う近江荒都歌における歴史認識についての発表も、本人としては、まさにそのような試みの一つにほかならない。
 さて、『中世武士団』は、大佛次郎の『乞食大将』(1947年)の紹介から始まる。大佛のこの作品は、「大将でもあり乞食でもあった」織豊期の勇将後藤又兵衛基次の一代記である。この作品の中で主人公又兵衛と並んで重要な位置を占めているのが宇都宮鎮房である。本書は、この鎮房を、中世武将の典型として、『乞食大将』からの引用を効果的に随所に鏤めながら生き生きと描き出していく。例えば、次のように。

 秀吉の勢力がここ九州の一角におよんできたとき、単純で正直な鎮房はこれに従うよりほかはないとみて秀吉に従った。しかし秀吉が城井谷の所領を取りあげ、かわりに伊予国今治(愛媛県)に移れという朱印状を与えると、鎮房はこれまた単純にきっぱりと朱印状を返上した。領土の多少が問題ではない。城井谷は先祖が頼朝公から拝領して以来、連綿と相続してきた所領である。これをすてるわけにはまいらぬ、という。「土の香のする頑固で不屈の面魂が、ぬっと出たのである」。

 このようにきりりと引き締まった文体で鎮房の面目を見事に活写することで、読者をまず中世武士団の世界にぐいと引き入れておいた上で、「「中世武士団」を「社会集団」としてとりあつかい、かれらの実態と特色をうかびあがらせるのが、本書に与えられた課題である」と本題に入る。「まさにお手並み鮮やかという一言に尽きる」(五味文彦氏解説)。
 巻末の「失われたもの、発見されるもの――おわりに」では、史料に基づいて宇都宮鎮房の実像を示し、『乞食大将』が与える鎮房像について修正すべき点を明記している。文学と歴史の間のこのバランス感覚も賛嘆せざるを得ない。
 本書は次の一節によって締め括られている。

中世から近世への進歩のなかでは、失われたものもまた大きかったのである。『乞食大将』の宇都宮鎮房や後藤又兵衛が、いまもなお読者に強い印象をあたえるのは、こうした「失われたるもの」「自立性」への要求が、現代のわれわれのなかにひそんでいるからであろう。あの太平洋戦争末期、「あまり悪い軍人ばかりだから、いい軍人をこの小説で書いてみせる」と「放言」して執筆にかかったという作家大佛次郎の烈々たる抵抗の精神からこの作品は生みだされたように、これからのちも中世武士団のよき一面がくりかえし再発見され、現代を生きるわれわれに何ものかをあたえてくれることを信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


石橋湛山の小日本主義と平和主義 ― 大正十年の社説「大日本主義の幻想」より

2021-06-26 23:59:59 | 読游摘録

 今からちょうど百年前、大正十年、ワシントン海軍軍縮会議に際して『東洋経済新報』に発表された石橋湛山の社説「大日本主義の幻想」は、今日もなお味読に値する雄編である。その理想主義的な高調は今日そのまま受容することはできないとしても、そこに展開された同時代の国際情勢の認識の確かさは、その後の昭和の歴史が証明している。しかし、発表当時、その平和主義・小日本主義は、「空想」扱いされ、真剣に耳を傾けるものはいなかった。それどころか、ますます大日本帝国主義が喧伝され、満州事変から日中全面戦争へ、そして太平洋戦争へと突入し、日本は惨憺たる敗北を喫した。そして、湛山が1921年にあれほど強く訴えた植民地「一切を棄つるの覚悟」を無視した日本は、戦後、連合軍によって他律的に植民地放棄を強いられた。
 以下、半藤一利の『戦う石橋湛山―昭和史に異彩を放つ屈服なき言論』(東洋経済新報社 1995年)からの引用である。

 大正十年は、ときに湛山三十七歳のころである。天才には年齢はないというが、やっぱりその若さには驚嘆せざるをえない。四十歳前の、いわば書生っぽで、よくぞこれほどの世界観をもちえたものよ。しかもその説くところは、直輸入のイデオロギーや社会科学の法則や、だれかがとなえた世界史の原則といった借りものではない。他人の言説に照らして、それらを駆使して事を裁断するような面は皆無である。
 湛山の論理基準はまことに明瞭。まず事実と数値によって事を正しく把握し、経済上の利益がどこにあるかを冷静に合理的に見通すまでなのである。そしてみずから考えだした論理を押しつめて、たどりついた結論が「小日本主義」。いいかえれば、当時の日本人の多くが抱いている「大日本主義」をあっさりと棄てよという、棄てたところで、日本になんらの不利をももたらさない。かえって大きな国家的利益となる、ということであったのである。
 こうして湛山はこの社説をつぎのように結ぶのである。

 朝鮮・台湾・樺太・満洲というごとき、わずかばかりの土地を棄つることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。

 そしてもし、こうしたヒューマニスティックな政策を日本がとっているにもかかわらず、アメリカやイギリスがなお横暴であり驕慢な政策をとって、アジアの諸民族ないしは世界の弱小国民を虐げるようなことがあったらどうするか。そのときには日本が、その虐げられるものの盟主となって、断々乎として英米を膺懲するべきである。
 この場合においては、区々たる平常の軍備のごときは問題でない。戦法の極意は人の和にある。驕慢なる一、二の国が、いかに大なる軍備を擁するとも、自由解放の世界的盟主として、背後に東洋ないし全世界の心からの支持を有する我が国は、断じてその戦に破るることはない。もし我が国にして、今後戦争をする機会があるとすれば、その戦争はまさにかくのごときものでなければならぬ。しかも我が国にしてこの覚悟で、一切の小欲を棄てて進むならば、おそらくはこの戦争に至らずして、驕慢なる国は亡ぶるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「君にはなんとなく傍にいてほしいから」くらいの気分で購入した本たちへ

2021-06-25 23:59:59 | 雑感

 いきなりですが、皆さんはご蔵書をどのように保管されていますか。立派な書庫をご所有の方もいらっしゃるかと拝察いたしますが、そういうきわめて恵まれた場合を除けば、大抵は自宅のいずこかに置かれた書棚にご蔵書を並べられているでしょう。私の場合、すべて仕事部屋の書棚に並べています。
 読書好きと本好きとは、同じことようですが、やはりちょっと違っています。前者は、読むのが好きということですから、読めればいいわけで、図書館で借りた本でも満足は得られるわけですが、後者は、読むことも好きだけど本そのものが好きなのであって、だから、お気に入りの本は手元に置いておきたいということです。
 私はどちらかというと後者です。図書館が嫌いなわけではなく、以前はよく利用し、特に、閉架式の書庫に許可をもらって入ったときは、ずらりと並んだ何十列もの書架の間をまるで探検隊になったような気分で歩き回り、未知なるもの発見の期待で胸が高鳴ったものです。
 でも、借りた本は返却期限までに返さなくてはなりませんし、禁帯出でその場で閲覧するだけの本は、研究上そうせざるを得ない場合、それでも目的を達したことにはなるわけですが、その本を愛してしまっている場合、それはまるで無期懲役刑に服して刑務所に入っている恋人に面会に行くようなもので、いつも一緒にいたいのにいられないという欲求不満は募るばかりです。
 ここまで書いて、アレっ、こんなこと書きたかったんじゃなかったのだけれど、と気づきました。書きたかったのは、自宅の書架に並べられている本との付き合い方とでも言えばいいでしょうか。
 仕事柄、職業上日常的に必要な書籍類は仕事机から立ち上がらずに、あるいはそこから離れずに届く範囲に集結させています。その我が「精鋭軍団」は、そのときどきの必要に応じて編成替え・配置転換等はありますが、原則として、仕事机を中心として半径一メートル以内につねに配備されており、「有事」にはいつでも出動できるよう、彼らは日頃から訓練を重ねています。
 他方、「君にはなんとなく傍にいてほしいから」くらいの気分で購入した本の場合、いざその本を探そうとするとすぐに見つからないことがあります。それらの本にしてみれば、自分とのことは、「ゆきずり恋」あるいは「その場限りのお遊び」だったのねと、いつも私の傍に侍っている本たちを嫉みたくもなるでしょう。
 そんな本たちの機嫌を直してもらうために、彼らをときどき仕事机の上に招待することにしました。そのために、ちょっと本屋さんみたいに、彼らの表紙が見えるように立てかけられるアクリル製の本立てを最近買いました(この記事の冒頭の写真をご覧あれ。クリックすると拡大されます)。それらの本をそのアクリル製の本立てに立て掛けて仕事机の上に置いておくのです。そうすると、仕事中も自ずと目に入ります。仕事の合間にふと手にとってみたりします。
 そうすると、それらの本との間に、束の間ではありますが、ちょっと親密な気分が醸成されたりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本学という亡霊から学問を始めることはできない

2021-06-24 23:50:45 | 雑感

 ここ数日、夜半に雷雨あるいは強雨が続いている。早朝には上がっていることのほうが多かったが、今朝方はまだ音を立てて降っていた。さすがにウォーキング・ジョギングは諦めた。そのために目を覚ましたのだから、諦めたとなれば、もう少し寝ていてもよさそうなものだが、すでにすっきりと目覚めてしまったから、もう眠ろうにも眠れない。起き出して学生の卒業小論文を読み始めた。
 その論文のテーマは、現代日本におけるプラスチックの過剰消費の実態とそれに対する対策である。特に、地方自治体レベルでの削減対策の実例研究に重点が置かれている。日本語の最新の資料をよく調べて書いている。構成・文章ともに明解そのもの。だが、分析としては踏み込みが足りない。論文というよりは、調査報告書である。
 しかし、それをこの成績に秀でた学生の側の難点として責めることはできない。なぜなら、何らかの専門性をもった学術的方法を身につけることなしに、問題に立ち向かわざるを得ないという日本学科の弊がその原因だからである。自然科学の分野ではまったくありえない話であり、人文社会学系であっても、方法が確立している分野では、こんなやり方は通用しない。
 だから、私は日本学科で勉強したいという高校生たちにこう繰り返してきた。日本学科に来る前に、ちゃんと専門性の確立した分野で勉強しなさい。そして、その分野の勉強を続けていくために日本学科で勉強することが有用ならば来なさい。そうすれば、日本学科で君たちが身につけることが将来君たちの専門の分野で生かされることになるだろう。
 上掲の論文に即して言えば、こういうことである。社会生態学、流通経済学、環境政策学などの分野で、まず基礎知識と研究方法を身につける。その上で、特に日本の実例に興味を持ち、それを研究対象としたいと思う。そのためには日本語の資料を読みこなし、日本語を使って現地調査をする必要がある。だから、日本語及び日本文化を勉強する。こうして身につけられた日本語及び日本についての知識は、自分の専門分野で自分の研究領域を特化するために役立つ。
 では、逆は駄目なのか。まず日本学科で学んでから、何らかの専門分野に進む。もちろん不可能ではない。しかし、ある特定の学問分野で方法論的な基礎訓練をまず積むのが、将来どの道に進むにせよ、より合理的な順序ではないだろうか。
 これはこのブログでも以前に何度か話題にしたことだが、「日本学」などという学問は存在しない。なぜなら、そのための何らの学的方法も存在しないからである。亡霊のような「虚学」から学問の訓練を始めることはできない。
 論文を八時過ぎには読み終えた。窓外に目を転ずる。雨が上がり、晴れ間が見えるではないか。さあ、ウォーキング・ジョギングにでかけよう。


教員日誌 ― 神風特別攻撃隊に見られる殉死の論理と倫理と心理

2021-06-23 23:59:59 | 雑感

 今日、午前中、卒業小論文の口頭試問一件。日本学科の研究室で行う。論文は、神風特別攻撃隊に見られる天皇・国体のための殉死の倫理の歴史的起源と形成過程、近代における殉死の美化と規範化の論理、隊員個々における殉死の倫理の内面化過程、この三つのテーマそれぞれについて章を立てて考察したもの。書き始めるのが遅く、提出が締め切りに間に合わないというので、書けたところまでを締め切り日に提出させ、完成版は二日後に提出させた。粗も目立つが、問題と真剣に向き合い、特に第三章における隊員たちの内面の葛藤についての考察には見るべきものがあった。
 口頭試問は、まず学生のプレゼンテーションが十分程度、そして審査官の講評、質疑応答というのが基本的な流れだが、今日のプレゼンは二十分に及び、いささか冗長であった。しかし、論文で取上げたテーマについて熱心に調べ、文献を読み込み、取上げた問題に正面から取り組んだことを示す内容ではあった。私からの講評と質問もかなり長くなり、全部で一時間ほどかかった。
 大学への行き帰りは徒歩。片道四十分ほどかかる。帰り道に、来年度の授業を行う教室がある建物の場所を確認するために寄り道をする。というのは、今年度までずっと使ってきた教室の多くが入っていたプレハブ校舎が取り壊されるからである。学科のある建物のすぐ脇にあって便利ではあったが、その安普請の粗末な建物が私は大嫌いだった。来年度から私が使う教室はすべて地理学部と政治学院の本拠地内にあり、日本学科があるキャンパスからは徒歩数分かかるが、私の自宅からはその分近くなるので喜んでいる。建物も石造りの重厚な建築で大学の名により相応しい。
 卒業小論文の口頭試問はあと二件。今週金曜日と来週水曜日。学科長の引き継ぎ、学科会議、個人面談等、まだ若干の仕事が残っているが、ようやく夏休みが近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


森閑日誌 ― 未明の森の中、響き渡る鳥の声、遭遇する動物たち

2021-06-22 19:15:37 | 雑感

 ここ十日くらいのことだ。早朝ウォーキング・ジョギングの距離が目立って伸び、10~12キロくらいになっている。ジョギングの占める割合が増えた結果である。これくらいの距離になると、オランジュリー公園内あるいはその周辺では二周しなくてはならない。しかし、同じコースを二回走るのは面白くない。そこで、コースを変えて足を延ばすことにした。
 具体的には、ロベルソーの森の中を走り抜け、ライン川岸まで出て、対岸の彼方にシュヴァルツヴァルトを遠望しながら、走りやすくはない砂利道の土手を少しだけ走って、また森に戻り、往きとは別のコースを通って帰ってくる。自宅から森までの往復が約6キロ、森の中およびライン川沿いに4~6キロ、距離の増減はその日の気分と体調と日中の予定と相関的である。
 午前四時に出発する。一年で最も日が長いこの時期のよく晴れている日でもまだ暗い。森に着くころ、ようやく空が白みはじめる。しかし、森の中の鬱蒼とした樹々の下の遊歩道は薄暗いままで、目が慣れないと路面がよく見えない。鳥たちは早起きだ。いったい何種類いるのか知らない。森中に響き渡る彼らの美声をシャワーのように浴びながら、人気ない薄明の中を歩き、走っていると、どこかこの世ならぬ場所に入り込んでいくかのようなちょっと不思議な気分になる。
 突然、遊歩道を取り囲む樹々の下草の暗がりの中を素早く移動するなにものかの音に驚かされる。おそらく、森に生息する小動物だろう。ときには、地に落ちた枝を踏みつけて、もっと大きな音を立てて間近を移動していく生き物に遭遇する。姿は見えない。おそらく鹿ではないかと思う。以前、日中に森を散歩していて目の前を横切るのを何度か見かけたことがある。彼らにしてみれば、自分たちだけだと思っていた未明にヒトが間近にいるのに仰天させられたのだろう。
 森に入ると、自ずと走りたくなる。未明の森の少し湿った清涼な空気を吸い込みながら走っていると、自分としてはかなりペースを上げたつもりでも、市内の一般路上でのように苦しくならない。こんなに走れるのだと自分でも驚くほどだ。森に生かされている、そう感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カラダ日記 ― 運動と睡眠との相互関係、そして今後の課題

2021-06-21 23:59:59 | 雑感

 ここ一週間ほど、早朝ウォーキング・ジョギングの割合が逆転し、後者が主体になり、前者はその合間の小休止という位置づけになっている。さらに、これはその日の気分と体調によるが、二、三百メートルの全力疾走を何本か交えることもある。
 これらの変化は、意識して取り入れようとしたというよりも、体が自然にそれを要求するようになったと言ったほうがいい。だから、無理に数値的な設定はせずに、走り出したくなったら走り、もういいかと思ったら歩きに切り替える。それを繰り返している間に、目の前に数百メートルの直線コースが現われると、ときに猛然とダッシュしたくなる。そのときはその衝動に身を任せる。
 とはいえ、全体の運動量が過度になれば逆効果だから、余力を残して上がるようにしている。それでも、毎日一時間半はこのように運動することが習慣化してから体調はとてもいいから、私にとってはこのあたりがちょうど頃合いなのかもしれない。
 もともと寝付きも目覚めもすこぶるいいほうだが、睡眠時間は短めだった。ところが、これくらい運動するようになってから、睡眠時間が少し長くなった。これは素人の単なる推測に過ぎないが、運動に因る疲労回復のために体がそれだけ睡眠を必要としているのではないかと思う。それに、よく眠れるようになった分、起床直後に計測する体組成計の数値も向上した。運動と睡眠との間には、相互に質を高め合うという相関関係があるのではないかと思われる。
 身体の健康状態には、運動と睡眠の他に食事がさらに重要なファクターとして関与していることは間違いない。ただ、これまでのところ、食事内容は以前と変えてはいないので、食事内容を変えることで身体にどんな変化が起こるかは、今後の考察課題である。この夏の自主的自由課題のテーマにしようかな。