内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

八月運動決算ととても嬉しい寄稿依頼

2021-08-31 23:59:59 | 雑感

 5時35分から6時50分までの1時間15分で12キロ走る。8月は一日も休まずに運動した。ウォーキングだけにしたのが1日と3日だけで、あとはほとんどすべてジョギングのみで、ジョギング+ウォーキングにしたのは2日。総計で400キロほど走ったことになる。
 5月15日に始めたウォーキングをジョギングに切り替えた日が6月29日。その日から今日までの64日間、運動を休んだのは7月6日だけ、ウォーキングだけだったのが7月中は8回。水泳に最も熱心に通っていた10年ほど前でも43日連続が最高。中高時代で部活はほとんどしておらず、大学では一時テニスに熱中していたが長続きせず、これだけ毎日続けて運動した経験は生まれてこのかたない。
 水泳がそうだったように、ジョギングももはやすっかり日々の習慣となっている。ほとんど早朝に走ってはいるが、走ろうと思えば日中いつでもいいわけで、実際、朝雨が降っているときは、雨が上がるのを待つ。思い立ったとき、ジョギング用ウエアに着替えて、ジョギング用シューズを履き、自宅の玄関を出ればすぐに始められる手軽さも続けやすい理由だと思う。ジョギング用シューズはほんとうによくできていて、それも走ることを楽しくしてくれる。何よりも、緑が多く、景観的にも快く、車の通りが少ないかまったくない、そんな走りやすいコースが自宅周辺にいくつもあり、それをその日の気分で選べるのが嬉しい。これはプールで泳ぐことでは得られない楽しみだ。
 今朝、思いがけず、とても光栄な寄稿依頼をいただいた。締め切りは10月中旬。それまで、1996年に渡仏してからの四半世紀を振り返りつつ、ゆっくりと時間をかけて原稿を準備したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夏が来ないまま夏が終わってしまう……。でも原稿は仕上がる

2021-08-30 17:06:26 | 雑感

 5時5分から6時8分までの1時間3分で10キロ走る。今日は走り始めから調子がよく、1時間半は走るつもりでいたのだが、50分ほど走ったところで雨が降り始め、三日前と同様、たちまち雨脚が強くなったので、仕方なく1時間で切り上げる。
 明日で8月も終わりだ。今月、雨がまったく降らなかった日が何日あっただろうか。数えたわけではないが、数日しかなかったのではないだろうか。気温も低いままで、最高気温が20度を超えた日を数えたほうが早いだろう。今日の日中も曇り時々雨。夏が来ないまま夏が終わってしまう……。
 明日締め切りの原稿、午後3時前に仕上がる。思想事典の1項目だから字数制限がある。ところが、かつて日本語の日本思想史事典の1項目を担当したときは、編集担当者から詳細な執筆規定が送られてきて、当然それを遵守して書いたが、今回の仏語の事典にはそんなものはなく、字数はだいたい5000字くらい、これらの要素を盛り込んでほしい、参考文献は4点まで等、わずか数行の指示があっただけで、あとはこちら任せ。これじゃ、執筆担当者によってスタイルも内容もばらばらになること必定で、いったいどうやって編集するつもりなのだろうか。
 拙稿はスペース抜きで6000字を超えてしまった。これでも7500字から削りに削ったのである。いずれにせよ、これは第一稿に過ぎず、原稿が集まった段階で各部門の編集責任者が調整や修正を行い、場合によっては執筆担当者に全面的か部分的な書き直しを求めるのであろう。項目執筆より編集作業のほうがよほど大変な仕事なわけである。それは、まあ、謹んでお任せ致します。明日、もう一度見直してから編集担当者に原稿を送る。
 今日、来週月曜日の学部の「日本の文明と文化」(日本語のみで行う学科で唯一の授業)の第一回目の準備は大体済んだので、明日は来週水曜日から始まる修士の演習の準備を行う。新渡戸稲造の『武士道』がテキスト。原文は英語だが、日本人学生と日本語でディスカッションするための準備という目的もこの演習にはあるので、日本語訳も随時参照する。第一回目は、新渡戸稲造の人と思想の紹介になる。同じく明日から9月15日締め切りの論文の推敲に取り掛かる。これは7月17日に口頭発表した原稿の段階でかなり仕上げておいたので、さほど時間はかからないであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「にがりを得た豆腐のごとく」

2021-08-29 17:26:37 | 雑感

 5時18分から6時33分までの1時間15分で12,4キロ走る。
 月末締め切りの原稿、昼過ぎ、ほぼ仕上がる。最後の段落の推敲だけ、明日に残す。
 一昨日、佐野眞一『宮本常一が見た日本』(ちくま文庫 2010年)読了。失われた日本と日本人を思い、切ない。
 昨晩、寝床で、小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』(講談社学術文庫 1999年)に午前一時まで読み耽る。
 一昨日買った電子書籍四冊はいずれも講談社学術文庫。例によって、いずれも期間限定割引価格の書籍をさらに30%引きで購入。夢窓国師『夢中問答集』(校注・現代語訳 川瀬一馬 2000年)、荒井章三『ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎』(2013年)、『七十人訳ギリシア語聖書』(秦剛平訳 2017年)、植木雅俊『差別の超克 原始仏教と法華経の人間観』(2018年)。
 『夢中問答集』は、講談社文庫として1976年に刊行された版を底本としている。その底本の序に、山内得立の『ロゴスとレンマ』(1974年)への言及がある。単にこちらが迂闊なだけだが、意外な組み合わせに驚かされる。川瀬一馬は山内の『ロゴスとレンマ』をきわめて高く評価している。山内のこの書のお陰で、「これまで混沌としていた私の仏教の知識が、にがりを得た豆腐のごとくになったのである」と、山内書が己にもたらした経験を印象的な仕方で述べている。それまでは書物によって得られた知識の集積でしかなく芯がなかった仏教についての己の理解が、明確に論理的に分節化された一つの有機体として生動するようになり、それが『夢中問答集』現代語訳の願求の実行の決意の機縁となったということである。
 『ロゴスとレンマ』には、オーギュスタン・ベルク先生の手になる彫心鏤骨の仏訳がある。何年か前、シンポジウムでご一緒したときに翻訳中だというお話をご本人から伺ったのを覚えている。その翻訳が昨年初めに刊行された。もし来夏も集中講義を担当することになるならば、本書を取り上げようかと思いはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西田の「個物」とジャン=リュック・ナンシーの「複数にして単数の存在」が共振する場所

2021-08-28 13:59:06 | 雑感

 昨日の朝も今朝も走った。昨日は、走りはじめて40分程して雨が降り始め、雨脚も次第に強くなり、すぐに止みそうになかったので60分で切り上げた。9,7キロ走る。今日は1時間半で14,7キロ。第二回目接種からすでに75時間以上経過しているが、何の副反応も現れていない。血中酸素飽和度は毎朝測っているが98~99%で安定している。
 昨年春のコロナ禍以来、体調管理にはそれまで以上に注意するようになったが、この三ヶ月は、自宅で簡単に計測できる数値を毎日確認することで、さらに細かく体調の変化を観察してきた。あまり日毎の変化に神経質になるのは無意味だが、週単位で観察すると数値に有意な変化があることがわかる。
 体組成計の数値は概ねより良い数値へと推移していったが、8月中旬の体脂肪率の変化は興味深かった。運動の負荷を増やして体重が急速に減ったとき、逆に体脂肪率が一挙に上がったのには驚かされた。その原因は一時的な筋肉量の減少だったと見て間違いない。昨日の計測時、BMIは21,6と体重は半月前より増えているのだが、体脂肪率は12,4%まで下がっていた。相対的に骨格筋率は上がっている。それだけ筋肉量が増えたということである。
 昨日は一日、ナンシー先生のご著書のいくつかをところどころ読んで過ごした。書名のみ列記する。カッコ内は初版刊行年。La communauté désœuvrée (1986), Être singulier pluriel (1996), Hegel. L’inquiétude du négatif (1997), L’intrus (2000), La Communauté désavouée (2014), Exclu le juif en nous (2018).
 Être singulier pluriel (本書には邦訳『複数にして単数の存在』松籟社 2005年がある)はことのほか思い出深い。渡仏した1996年に刊行された本で、ストラスブールに着いてすぐに購入して読みはじめ、何かとても心に触れてくるものを感じた。2003年の博士論文公開審査のとき、指導教授のフランシス・ギバル先生(ヘーゲルとレヴィナスのスペシャリスト。ストラスブール大学哲学部でナンシー先生の同僚であり、二人はほぼ同世代)が、講評の中で、「君の西田の「個物」についての解釈はジャン=リュック・ナンシーの « être singulier pluriel » を思い起こさせる」と仰られたのには驚きかつ嬉しく思ったことを思い出す。博論執筆中に特に同書を意識したことはなく、引用もしていないが、もし私の西田哲学の解釈とナンシー先生の哲学とに響き合うところがあったとすれば、先生の指導を受け、ストラスブール大学哲学部で西田についての研究で博士号を得たものとして、そのことを誇りに思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


追悼ジャン=リュック・ナンシー先生 ― 心からの感謝を込めて

2021-08-27 03:33:00 | 哲学

 ジャン=リュック・ナンシー先生が23日夜にお亡くなりになられた。先生についてはこのブログでも何度か話題にさせていただいたことがある(2013年9月10日2018年1月4日など)。
 私にとって、1996年にストラスブール大学への留学を受け入れてくださった恩師である。先生のご指導がなければ、翌年、私は這々の体で日本に帰っていたことだろう。実質わずか半年間ではあったが、DEAの指導教授として先生からいただいたご指南は死ぬまでけっして忘れることはない。大げさではなく、先生に出逢うことがなかったならば、フランスで哲学の勉強を続けることはなかった。
 先生の哲学について語る資格は私にはない。ただ、教育者としての先生、教育においても哲学を生きていらっしゃった先生に、自分のような駄目な者も、もしかしたら学業を続けられるかも知れないという勇気を私は与えていただいた。直接いただいたご指導を通じてばかりでなく、先生の講義や講演で謦咳に接するだけでも、そこに生ける哲学を感じることができた。
 これから先、自分にどれだけの時間が残されているのか、それはわからない。ただ、許されるならば、先生の学恩に報いるような仕事をせめて一つくらいは残したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第二回目ワクチン接種後28時間経過、まったく副反応なし

2021-08-26 13:14:14 | 雑感

 昨日午前9時に第二回目接種を受け、13時間経過した午後10時に就寝した。そこまでなんの副反応もなかった。今朝、4時に目覚ましで起きた。なんの異常もない。頭痛も発熱も倦怠感も関節痛もない。第1回目接種後は、翌朝、接種部位である左上腕部に痛みがあり、腕を首より上に上げるのは丸一日若干苦痛であったが、その痛みさえ今回はない。一般に第二回目接種後の方が副反応は強いと聞いていたので、相当に覚悟して体調も万全を期して接種を受けたのだが、肩透かしを食らった感じである。
 ただ、いつ副反応が起こるかわからないと思い、6時近くまで布団の中でうつらうつらしながらじっとしていた。しかし、何も起こらない。そこで、起き出して体温と心拍数と血中酸素飽和度を測った。36,4℃、54bpm、SpO2 99%。異常なし。
 机に向かい、ネットであれこれ検索したり、読書したりして2時間くらい様子を見た。体調は普段と変わりない。この時点で接種後23時間経過している。
 今日はさすがにジョギングを休むつもりでいたのだが、若干の負荷をかけて体調に変化があるかどうか観察するためにジョギングに出かけた。少しでも異常が感じられたらすぐにやめて歩いて引き返すつもりで、これ以上ゆっくりは走れないというトロトロ速度で走りはじめた。
 ところが、普段と変わりないどころか、むしろ体が軽く感じられる。久しぶりに森まで行ってみることにした。呼吸が苦しくなることも、心臓が痛くなることもなく、森に着く。森を抜けてライン川河畔に出る。土手を1キロほど走ってまた森に戻る。ペースを少し上げてみたが、なんともない。結局、1時間半で14,5キロ走った。自宅に戻って10分ほど休憩してから、血中酸素飽和度と心拍数を測る。99%、81bpm。運動後の心拍数としては問題ない。
 ネットで収集した情報の中にも、副反応は個人差が大きいとあった。年齢・性別・基礎疾患の有無だけではなく、その他さまざまなファクターが作用しているのだろう。接種後数日経ってから副反応が現われる場合もあるという。だから、まだ安心はできない。
 ただ、今日は一日「棒に振る」つもりでいたので、なんかちょっと得したような気分である。接種前日からプチ禁酒をしているが、今日の夕食時にはちょっと一杯飲んでみようかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ワクチン第二回目接種 ― 接種11時間後の経過報告

2021-08-25 20:00:00 | 雑感

 今朝はいつもより1時間遅く5時起床。4時にアラームで一度目が覚めたのだが、なんとなく体が重く感じられたので、1時間ほど横になったまま様子を見た。体調が悪いわけではない。
 5時40分にジョギング出発。やはり体がちょっと重い。ここ3日摂取カロリー量が普段より2~3割多かった。そうすると覿面に体重が増える。8月半ばに一旦かなり絞り込んで体が軽くなった分、1キロも増えるとすぐわかる。9時に第二回目接種を控えているので、距離も時間も短くした。50分で8,6キロ。
 接種会場は一回目と同じ市の中心にあるワクチン接種センター。今回も行き帰りは徒歩。片道、速歩で40分。気温は16度ほどだったが、歩いていて少し汗ばんだ。往復で7,4キロ歩いた。
 接種会場は、朝一ということもあり、前回よりもさらにすいていて、ほとんど待ち時間なし。接種後の15分の安静時間も含めて25分かからなかった。接種会場で即時発行された接種証明書を安静時間中に受け取る。
 これで今回のワクチン接種(ファイザー社製)は終了。帰宅後、証明書に印刷されているQRコードをスマートフォンで AntiCovidというアプリに取り込んで電子証明書(衛生パス)を入手。ただし、証明書が有効になるのは接種一週間後の9月1日から。
 市営プールを除けば、衛生パスの提示が義務づけられている場所・施設等として列記されているようなところにはもともと行く習慣がない私にとって、衛生パスがあろうがなかろうがほとんど生活は変わらない。
 そもそも、ワクチン接種したからといって、感染しなくなるわけではない。感染リスクと重症化リスクがいくらか低減したに過ぎない。いつまで有効なのかもわからない。まあ今年中もってくれれば上出来だと思っている。フランスでは、高齢者や重症化リスクの高い人たちに対しては、秋から第三回接種が始まる。しかし、デルタ株へのワクチンの有効性はまだよくわってはいない。感染拡大が続くかぎり、新たな変異株も生まれ続ける。それに対応したワクチン開発が間に合わなければ、感染拡大は続く。ワクチン接種を徹底し、かつドラスティックな行動制限をしないかぎり、感染が収束に向うことはないだろうし、ましてや終息などするはずもなかろう。
 この記事を書いている今、接種から11時間経過している。接種直後から、ポカリスエットをこまめに飲み、現在までに合計1,5リットルほど飲んだ。副反応が出ると食事も苦痛になるかも知れないと思い、夕食は早めに済ませた。午後8時現在、接種部位である左上腕部に痛みもなく、発熱も頭痛も全身の怠さもない。体温36,1℃、血中酸素飽和度98%、心拍数55bpmで正常。
 これから夜半にかけて反応が出てくるかも知れないが、それについては明日の記事で報告する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新学期開始迫る

2021-08-24 22:59:55 | 雑感

 今朝も4時半から5時半までジョギング。ちょうど10キロ走る。日の出がもう6時半過ぎまで遅くなっているので、まだ暗いうちに走り終えることになる。街灯が明るい通りを選んで走っており、森にはここ10日あまりご無沙汰している。来月から、起床時刻はそのまま、ジョギングの出発時刻を6時に遅らせようかと思う。ジョギング出発前に1時間ばかり読書に集中するのもよし、一仕事終えるのもよし。それに、明日の第二回目接種の一週間後から衛生パスポート(ワクチンパスポート)が有効になり、プールにも行けるようになるから、4ヶ月ぶりに水泳も復活させようかとも思っている。しかし、夏休みの間にジョギングがすっかり習慣化してしまって、水泳を以前のように日課にしようとはあまり思わなくなってしまっている自分に気づいて少し驚いている。
 新学期開始を一週間後に控えて、フランスでも学校での感染拡大予防策についてあれこれ話題にされている。大学の授業は原則すべて対面である。教室定員まで受け入れ可。衛生パスポートは不必要。建物内でのマスク着用は、接種の有無にかかわらず、義務。小中高での対策及び細則については詳しく知らない。新聞の記事を走り読みしただけでは、生徒のワクチン接種に関するルールがよくわからなかった。と思っていたら、教員組合や家庭からも、曖昧だと批判が出ているとの記事も二三日前に見かけた。
 九月からの日本への留学を予定していた学生たちとっては今年もまた気の毒な知らせが日本の受け入れ大学から次々に届いている。現在の感染状況からして、大半の大学は九月からの受け入れをキャンセルすることになるだろう。そもそも長期滞在ヴィザが発給されないのだからどうにもならない。「遠隔留学」プログラムを用意している大学もあり、昨年度に比べればその数も増えてはいるが、それでも少数派で、大半はプログラム中止を通達してくるだけである。いったいいつになったらまた日本に特別な規制なしに入国できるようになるのか、いまだ見当もつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「毎朝に懈怠無く死にて置くべし」― 生の哲学としての『葉隠』

2021-08-23 23:59:59 | 雑感

 午前4時起床。4時半、ジョギング出発。1時間3分で10キロ走る。一昨日昨日と少し負荷を減らしたせいか、両膝周囲の怠さはとれ、ゆっくりとではあるが休まず走り続けることができた。
 明後日に第二回目接種を控えており、接種後の副反応については慎重に経過を見守る必要があるので、今月末までは、とにかく体に過度な負荷をかけないように気をつけよう。体組成計の数値、スマートウォッチで計測できる血中酸素飽和度も毎日確認している。それらの数値はすべて良好、体のどこにも痛いところはなく、何か違和感を覚えるところもない。
 それはほんとうにありがたいことだと思うが、いつ大きな変調に襲われないともかぎらない。そうなれば、それはそれで仕方ない。ただ、そうなったときに慌てないよう日頃から備えはしておかなくてはならないと日増しに思う。
 午前中、昨日を読み終えた翻訳の査読レポートを書く。書式も決まっており、A4一枚に収めるのが原則だから、さほど時間はかからず、1時間半ほどで済む。
 今日から大学の事務は再開。仕事のメールがどっと押し寄せるかとちょっと恐れていたが、たいしたこともなく、ほっとする。
 早めの夕食後、小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』(講談社学術文庫 1999年)を少し読み進める。『葉隠』のテキストを、その成立当時と前後の歴史的文脈の中に置き、常朝固有の来歴や聞き書き当時置かれた状況等を考慮しながら、いたずらな理念化・理想化・聖典化を厳格に排除しつつ読み解き、常朝の説く武士道の真髄に迫ろうとする姿勢には大いに学ぶべきものがある。

必死の観念、一日仕限に成すべし。毎朝身心を静め、弓・鉄砲・鑓・太刀先にてづたづたに成り、大浪に打取られ、大火の中に飛入り、雷電に打ちひしがれ、大地震にて揺りこまれ、数千丈のほきに飛込み、病死、頓死などの死期の心を観念し、朝毎に無懈怠死にて置くべし。古老云「軒を出れば死人の中、門を出れば敵を見る」と也。用心の事にあらず。前方に死にて置く事也、と。(十一・一三二)

 『葉隠』のこの箇所の注釈として小池はこう述べている。

 常朝の無常感は仏教思想からの借り物ではない。
 「前方に死て置く」ための方途として彼は「毎朝無懈怠死て置」ことすなわち「死習ひ」を説くが、思うに彼が治世における行動として封印し精神として継承した「死狂ひ」とは、弱者を鼓舞して「死習」わしめ彼等をして「前方」の死に决定せしめる最も有効な手段であり道程であったろう。常朝の説くところは「病死・頓死」を含めたあらゆる死の学習を介して不断に死と対峙し、その緊張関係を利して、「夢幻」のごとく何の手応えもない世間のうちにその死に見合うような「見事」な生の地平を切り拓くことにある。「常住死人」にしてはじめて可能な「生」の地平をである。(362頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日曜日夕刻、第一草稿一応仕上がる

2021-08-22 18:18:36 | 雑感

 昨晩、深夜零時過ぎ、激しい雷雨で目を覚ます。この夏は、このような夜半の雷雨が目立って多い。明朝のジョギングは無理かなとうつらうつらと思いながらまた眠りにつく。
 午前4時起床。寝室窓前の樹々の葉から地面に滴り落ちる雨滴の音がする。窓を開け、まだ暗い空を見上げる。雨は上がっている。ジョギングを休む理由はなくなった。ただ、まだ雨が上がって間がないようだ。少しでも凹凸があれば舗装路でもまだ水たまりが残っているだろう。一年ほどまえに購入し、すでにややくたびれたジョギングシューズを履く。これなら濡れても汚れても惜しくない。最初の30分はウォーキングで3キロ。そしてジョギング45分で7キロ。
 帰宅してすぐにウエアの手洗い。そして湯船に1時間余り浸かりながら、タブレットで読書(清水克行『喧嘩両成敗の誕生』講談社選書メチエ 2006年)したり、事典の原稿に最終的に盛り込む内容を思案したりする。
 9時から1時間、修士の学生とZOOMで日本語読みのお稽古。
 午前中の残り2時間、原稿執筆。制限字数を1割以上超えたところで一旦筆を置く。
 昼食後、小1時間ほど午睡。
 午後3時、執筆再開。空が暗い。また雨が降りはじめた。雨滴に打たれる樹々の葉の震え方で雨脚の強さがわかる。まだ原稿に盛り込みたい諸事項それぞれを一文の命題の形にして列挙する。それらをテーマごとにいくつかのグループに分け、それぞれのグループを一段落とし、その段落を読んだだけで命題相互の関係がわかるように理由の順序にしたがって命題を並べ直し、必要に応じて接続詞を補う。制限字数3割オーバー。もちろんまだ草稿の域を出ない。明日から締め切りの今月末まで推敲を繰り返す。
 かくして第一草稿が一応仕上り、ほっとしたところで窓外に目をやる。雨が上がり、青空が広がっている。