内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

すでに亡くなっている方の誕生日を知らせるメッセージが届く怪奇(?)

2024-09-23 17:11:38 | 雑感

 今朝、フェイスブックを開いて、ちょっとぎょっとすることがありました。既にお亡くなりになっている方の誕生日を知らせるメッセージが「お知らせ」欄に届いていたのです。
 その方には生前何度かお目にかかったこともあり、フェイスブック上の「友達」にも十年ほど前からなっていたと記憶しています。しかし、誕生日を知らせるメッセージがその方のご生前に届いたことはありませんでした。確か三、四年前にお亡くなりなっており、その逝去のお知らせはまったく別のつてから届いて知っておりました。それが今になってなぜ、とちょっと気味悪くなりました。
 SNSやブログのアカウントなど、親族あるいは身近な人あるいは弁護士などに万が一のときの処理をあらかじめ依頼し、本人に代わってアクセスできるようにしておけば、本人没後にアカウント閉鎖の手続きができますが、そのような準備を生前にしておかず、暗証コードその他アクセスに必要なデータを誰も知らなければ、亡くなった当人以外はアカウントにアクセスできません。
 暗証コード解読アプリケーションを使って調べることもできるでしょうが、コードが複雑で手掛かりも乏しければ、解読に何年もかかってしまうでしょうから、社会的な影響が大きい等の特別な理由がないかぎり、そこまでの手続きを踏むこともなく、そのまま放置されてしまっている場合のほうが圧倒的に多いのだろうと推測します。
 私のブログなど、その内容が人畜無害ですから、そのまま放置されても世間にご迷惑をお掛けすることもないでしょうし、墓の下で臍を噛むこともないだろうと思いますが、本人の没後も閲覧可能な「幽霊アカウント」が増えていく一方であることは間違いなく、それがどのようなインパクトを社会にもたらすのかは、この手のことにからっきし無知な私には見当もつきません。
 ただ、こういったことにめっぽう詳しくてかつ悪意ある輩が不正に他人のアカウントに侵入してそれを悪用するなんていうことは、アカウントの管理者が生きていても発生することですから、ましてや管理者が亡くなっていれば、まさに「死人に口なし」なわけで、私には想像もつかない悪事に利用されてしまうかも知れないと急に不安になったりもした今日一日なのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あなたのご職業は? ― 他人の受け売り業です

2024-09-22 21:08:44 | 雑感

 拙ブログを今日まで寛容にもお読みくださっている方々はよく御存知のとおり、記事の大半は拙者が読んでほんとうにいいなあと思った文章の紹介に過ぎません。それらの記事にはなんらのオリジナリティもありません。
 それにもかかわらず、それらを読んでくださった方がそこから何かポジティブなものを感じてくださることがあります。そんなとき、卑下も衒いもなく、幸いこれに過ぎるものはないって、ほんとうに思っております。
 それはそうなのですが、「あなたはこのブログでいったい何をしているのですか」と街頭でいきなりマイクを突きつけられたら(って、ありえないシチュエーションですが、それはともかく)、「そうですねぇ……。一言で言えば、他人の受け売りですかねぇ……」と頼りなげに小声で答えるしかありません。
 そんな為体(「ていたらく」― この言葉、お気に入りなんです)ですから、在庫の「受け売り商品」を完売してしまったら、そのときはもう、頭の中、スッカラカン、でしょうね。
 でも、まあ、受け売り業に憂き身をやつしているに過ぎないとしても、扱っている受け売り商品を「自家製」だと「産地偽装」せず、産地(出典)を明示しつつ、「これ、ホントいいですよ」って、誠意をもってお薦めするかぎりは、少なくとも、詐欺罪には問われないでしょう。
 オリジナルな発想なんて欠片もないのですから、「企業」するわけにもいかず、受け売り業で糊口をしのぐしかないじゃないですかぁ。いわゆる「無い袖は振れない」ってやつですよ。
 というわけで、多難でしかないこれからの残り少ない人生を生きていくために、明日からもまた「受け売り業」を続けてまいります。どうか、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げまするぅ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ノイズ」によってこそ表現されている思考の綾と感情の揺らぎ

2024-09-16 23:59:59 | 雑感

 インタビューでも対談でもモノローグでも、録音をなんら編集せずにそのまま聴くと、多くの場合、文法的・構文的・統辞法的な観点からは必要のない要素、情報伝達の観点からも不必要と思われる要素が、おそらく話者本人が思っている以上に多く含まれていることに気づく。
 それらの要素とは、「あっ」「いや」「うん」「えっと」「おお」「おや」「はあ」等々のいわゆる間投詞的なもの、「そう」「だって」「で」「なんだろう」「もう」「やっぱり」など、話者本人が無意識的に挿入している、いわば「合いの手」的な要素のことである。その他にも、「フフ」「ヘヘ」「ホホ」など、微かな笑い声なども、同じカテゴリーに入るだろう。
 言語行為において、「意味伝達」のためにはなくてもよさそうなもの、あるいは、円滑な伝達のためにはないほうがよさそうに思える要素は他にもある。
 たとえ母語であれ、いや母語であるからこそ、あまり意識することなく、助詞・助動詞等を誤用していることも少なくない。これらの誤りは、「理論的には」、円滑な伝達及び相互理解を妨げるはずである。ところが、実際に聴いている間は、たいして気にならないことのほうが多い。話し手に示すことなく、聴く側がそれらの誤用を訂正しながら聴いているからだ。
 ある文を始めた後に、途中でそれを放棄し、あらたに文を起こすこともある。あるいは、ある文を始めた後に、やたらに挿入句を入れ込んで、文の構造を複雑化してしまうこともある。にもかかわらず、母語話者同士では、それらが特に意思疎通の妨げにはならないことも珍しくはない。
 ところが、発話行為のなかに自然に含まれているこれらの要素を文字に起こすと、実に読みにくい文章になってしまう。面と向かって話しているときにはそれらの要素に気づけなかったのに、録音を文字に起こすことでそれらの要素が浮き上がってくる。
 それは、実際の発話行為においては、いわば立体的で徐々に構成されていく動的な構造体のなかに聴き手も参加していて、その流れのなかで理解が成立していったのに対して、それを文字に起こしてしまうと、動的な発話行為が平面に固定され、動性を失い、実際の発話行為の現場に居なかった読み手にとってそれをもとの動的な立体に再構成するのはとても難しいからである。
 そこで、これらの「ノイズ」を含んだ話の録音を文字に起こすとき、多くの場合、編集作業が入り、それらを整理、修正、さらには削除してしまう。
 このような編集作業の結果として、読みやすいテキストが生まれる。しかし、実際に私たちが人の話を聴くときには、上掲の諸要素はそんなに気にならないどころか、それらの要素によってこそ表現されている、その人固有の感情や思考をわたしたちは受けとめている。
 ここのところこのブログで紹介してきた村上靖彦氏の著作に頻繁に引用されているインタビューでは、これらの要素が極力そのまま再現されている。それは、まさに正当にも、村上氏がそれらの要素によってこそ表現されているニュアンスがあると考えているからだ。思考の曲折、感情の屈折、発言への躊躇い、物事・事態を捉える視点の交代、状況における立場の揺らぎなどは、情報伝達的観点からは一見「不必要な」要素によってこそよく表現されていることがある。村上氏はそれらの要素を注意深く分析することで、話し手の思考の綾と感情の揺らぎを的確に捉え、それらを読み手にわかりやすく伝えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


植物園の草木への別れの挨拶

2024-08-11 17:38:13 | 雑感

 今日の午後、先月12日からちょうど1ヶ月間借りたマンションを引き払った。
 引き払うといっても、誰かの立会いがあるわけではなく、借りた本人である私が一通り部屋を片付け、簡単に掃除をし、ゴミを捨て、鍵を掛け、その鍵をマンションのメールボックスに返し、「チェックアウト完了」と管理会社にメールを送り、その会社から了解のメールを受け取るだけである。その管理会社は大阪にあり、借り上げているマンションの清掃・管理はまたどこか別の会社かそのマンションの管理組合に委託しているようだ。
 5月に始めた今回のマンション探しから今日のチェックアウトまで、管理会社の担当者とは本人確認のために一回電話で話しただけで、あとはすべてメールでのやりとりだった。日本滞在中、私が日本国内でも通話に使える携帯を持っていれば、電話での連絡も可能だったが、その必要は結果としてなかった。家賃の前払いを国外から振り込む場合には多少手続きが面倒であり時間もかかるが、今回は東京在住の妹に代理で振り込んでもらったので、その手間もかからなかった。
 概して快適に過ごせたが、難点は、滞在初日の先月12日の記事にも記したように、調理器具・食器類がまったくないことだった。結局、自炊は諦め、もっぱら近所のスーパーマーケットやコンビニのお惣菜類に頼ることになったのは、それだけ高く付いたし、やはり不本意であった。来夏はどうなるかわからないけれど、やはり月極マンションを借りることになるとすれば、特にこの点を事前にチェックしたい。
 今回、せっかく小石川植物園の真ん前に一ヶ月間も暮らしたのに、植物園を今日まで訪問していなかった。眼の前だからいつでも行けると思いつつも、とにかく毎日の酷暑で気を削がれていた。最終日の今日になって、日々目を癒やしてくれた窓前の緑樹に別れの挨拶をと、開門と同時に入園する。空を覆う樹々たちの下を歩くとき、直射日光の下より明らかに気温が低いのが直ぐに肌に感じられる。そこからまた照りつける日差しの下に出ると、たちまち焼けるような暑さを肌に感じる。この体感の変化を繰り返しながら一時間半ほど園内を隈なく散策した。
 かくして、植物哲学をテーマとした講演と集中講義が主たる帰国目的であった今回の滞在をそれに相応しい形で締め括ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いのちの鼓動を捉えた形に眼で触れる ― 熊谷守一美術館訪問記

2024-08-10 18:13:26 | 雑感

 帰国前に散髪を一度と予約しておいた白山駅近くのカットサロンで短めに刈りそろえてもらう。店を出て時計を見ると10時20分過ぎ。まだ暑さもさほどではなかったので、ふらりと春日方面に歩き出す。
 帰国前に訪れておきたいところ、見ておきたいものはと自問すると、熊谷守一美術館(豊島区立)とすぐに答えが浮かぶ。守一の生まれ故郷岐阜県付知町にある熊谷守一つけち記念館は2018年の夏に一度訪れたことがあり、そのとき以来、東京にある美術館も訪れたいと思っていた。
 しかし、豊島区千早にある美術館まではさすがに歩いていく気にはなれず、地下鉄を利用することにする。それでも、西片、本郷と今回何度か歩いた町を通って本郷三丁目駅まで歩く。そこで大江戸線に乗り、飯田橋で有楽町線に乗り換える。この乗り換え、駅名は同じだが、駅構内を7、8分歩かされる。ほとんど一駅分であり、これは駅名詐称罪(架空)で告発に値する。美術館の最寄り駅は要町か千川でそこからはほぼ等距離。飯田橋からだと手前になる要町で下車。そこからは徒歩9分。
 観覧料は一般が500円。土曜日で混んでいるかと思ったら、まだ午前11時前ということもあるのか、数人しか先客がいない。1・2階が常設展示スペース。3階が企画展示・貸しギャラリー。
 その3階では8月1日が命日(1977年、97歳で没)の守一のために「守一 最後の十日間」という特別展が開催中。守一の次女で自身画家であり、この美術館の創立者でもある榧(かや)が守一臨終までの十日間の姿を描いた数点の作品と家族の写真が展示されていた。それはそれでとても興味深かったが、1・2階の常設展示の守一の諸作品がやはり素晴らしい。作品を鑑賞するというより、いのちの鼓動を捉えた形に眼で触れる、とでも言えばよいだろうか。
 守一の1960年代以降の油絵は、描く対象をはっきりした線で表し、色面は筆目を揃えた平塗りなり、榧によれば、守一は70歳を過ぎて、ようやく独自の画風に辿りついた。
 観覧券といっしょに受付で渡されたパンフレットに印刷されている榧の一文「熊谷守一のこと」にはこう記されている。
 「守一は、いのちを大切にしていたので、生きとし生けるもの、何気ない身の回りのものに眼差しがいったのでしょう。」
 美術館を出たのは昼過ぎ、入館したときよりも気温が2,3度上がっていることが直ぐに肌に感じられる。少し風もあり、湿度はそれほど高くない。要町駅まで戻る道のり、気のせいか、少し足取りが軽くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「神様が草花を染める時」(正岡子規『病牀六尺』より)― 根岸・子規庵不訪問記

2024-08-09 14:56:20 | 雑感

 正岡子規が27歳から35歳で亡くなるまで過ごした子規庵の現住所は東京都台東区根岸2‐5‐11であるが、今そこに建っているのは戦後昭和25年に復元されたものである。一般にも公開されているが、8月は夏季休庵で家の中や庭を見学することはできない。子規庵のサイトでそれを知ったうえで、子規庵の外観とその周囲だけでも一目見ておこうと、真昼の炎天下に小石川植物園前から現地までの3,5キロほど道のりをダラダラと汗を流しながら歩いていった。
 三田線白山駅前の坂を登りきり、しばらく平坦な道を千駄木方向に進んでから団子坂下まで下り、そこからまた谷中霊園の方へ坂を登る。霊園内を通過して山手線の線路を日暮里駅と鶯谷駅の間の歩道橋を渡って越える。そこから路地を右左に何度か曲がると数分で子規庵の前に出る。
 間口奥行数間の粗末とも言える平屋の小家である。裏に回るとかろうじて小庭が見える。松山市立子規記念博物館は二度訪ねたことがあるが、実に立派な建物で、展示スペースもゆったりとしており、落ち着いて静かな時間を過ごせる。それとはまさに好対照な子規庵の佇まいである。ここで最晩年はほとんど仰臥したまま病苦に呻吟しつつ、句作し、歌論をものし、日記をつけ、日録的随筆を発表し、水彩の写生を描き続けた。友人たちは頻繁に子規を訪ねてきた。空間的には小さくとも、そこは子規の文学世界が生動する現場だったのだ。
 『病牀六尺』の1902年8月9日付の記事に子規は次のように記している。

或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすつてみる。同じ赤い色でも少しづつの色の違ひで趣きが違つて来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであらうか。

 この記事の40日後に子規は亡くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明日より編みはじめる「ことばの花筐」(私家版撰文集)

2024-08-05 14:54:29 | 雑感

 一時帰国のたびに日本語の書籍を買いこんでは重量制限ぎりぎりまでスーツケースに詰め込み、それでも積み残しが出たときは国際スピード郵便で送るということ長年繰り返してきました。しかし、今回の帰国では最小限の購入にとどめました。研究教育上の必要の有無にかかわらずどうしても紙版で読みたい本、研究教育上すぐに必要とされ紙版しかない本、この二つの基準いずれかを満たし、かつ二つのスーツケースの重量制限内に余裕で収まる程度、言い換えると、二つ同時に難なく引いて歩ける程度までとしました。
 このような重量規制を自主的に課すことにしたのは、帰国前、何語であれ今後本は極力購入しないと決心したからです。現在の蔵書だけで読む本に死ぬまで困らないと、甚だ遅まきながら悟った次第であります。新規購入本のなかに新しい発見を求め続けるよりも(それはそれで尽きせぬ楽しみではありましょうけれど)、すでに手元にある本でまだ読んでいない本、ただ時の必要に応じて部分的に読んだだけの本、斜め読みしただけでいつかちゃんと読もうと思っている本、すでに読んだがまたじっくりと読み直したい本などだけで、もう一生困らないだけの本は所有しているのです。
 それらの本の読書記録をこのブログに記していこうと思います。ただ、書評めいたものを書こうとすれば余計な力が肩にはいってしまうし時間もかかりましょう。それではきっと長続きしないと思われます。自分の身丈に合った続けやすい形を少し思案してみましたが、よいアイデアが浮かぶわけでもなく、印象に残った一節を摘録し、それに一言コメントを加えるという、この上なく在り来りの撰文形式がよかろうという無難な結論に至りました。
 というわけで、「ことばの花筐」と題して明日から不定期で私撰アンソロジーを蝸牛の歩みのごとくゆるやかに編んでいきます。趣味ですから急ぐ理由はまったくありません。撰文基準は特に設けず、ただその日読んだ本から印象に残ったことばを摘んでいきます。ただ、小家の庭いじりの域を出ないとはいえ、同じ本からの摘録が何日も続くと選ぶ当人も読んでくださる方々も飽きてしまうことでしょう。そこは適宜少なくとも目先を変えるくらいの工夫はするつもりでいます。といっても、選ぶご本人の生来の狭量と偏愛は如何ともし難く、種尽きれば、以て瞑すべし、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読書網を広げ、網目を細やかにするための参考文献紹介

2024-08-03 17:51:04 | 雑感

 集中講義にかぎらないが、授業で考察の対象として取り上げているテーマに関連して学生たちにあれこれと参考文献を紹介するのは、文系の大学教師にとって別に珍しくもなんともないことである。
 この問題についてさらに広く深く考えるには、これとこれは少なくとも読んでおく必要がありますよという教育的配慮からいくつかの文献を紹介するのが主な目的だが、話しているうちに、ああそう言えばこんな本もあったなとその場の思いつきで追加して紹介をすることも少なくない。
 そのような場合、もとの問題とはかけ離れた分野の本を紹介することもあり、そのような紹介があれからこれへと連鎖的に続き、しかも自分たちにはまったく未知の本であるとき、紹介された学生の方では、興味は持つものの、いったいどこに連れて行かれるのかと不安にもなり、頭がクラクラしてしまうこともあるようである。「まあ、興味があったら読んでみてください。みなさんがなにか問題を考えるとき、あるいは論文を書くとき、どこかでヒントになるかも知れませんよ」と必ず付け加えはするが。
 今日の演習では、フランシス・アレがいう植物の「沈黙」に特に興味をもった学生に、マックス・ピカートの『沈黙の世界』(みすず書房、1969年。新装版2021年)アラン・コルバンの『静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代へ』(藤原書店、2018年)を紹介しておいた。
 この二冊にかぎらず、紹介された本を読むかどうかはまったく学生たちの自由だが、彼女ら彼らの読書網が広がり、その網目が細かくなり、網に掛かってくる本も自ずと増え、その網の結び目にほかならない自分の精神がそれだけ豊かに広がりと奥行きをもつようになるであろう素晴らしい本たちを、たとえありがた迷惑だと思われても、紹介し続けたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夜明け前のジョギング ― 坂物語

2024-08-01 17:25:42 | 雑感

 毎日、お暑うございますね。七月は全国平均でまたしても観測史上もっとも暑い七月だったとか。こんな記録、更新してくれなくてもいいのに。
 昨晩関東地区を襲った集中豪雨。小石川植物園のあたりもかなり強い雨脚が何時間か続きましたが、排水溝がしっかり機能しているのか、坂下なのに道路上の冠水はまったくありませんでした。
 今日から八月。軽い話で始めましょう。
 とにかくこう暑くては日中にジョギングする気にはとてもなれません。ところが、驚いたことに、午後仕方なしに買い物に出ると、炎天下ジョギングしている人をちらほら見かけます。一種のマゾヒスティックな快楽を味わうためなのでしょうか。
 ここ数日、午前四時前にジョギングに出かけ、五時過ぎには上がるようにしています。10~12キロ走ります。この時間帯はさすがに気温も日中より何度か下がっており、走るのはその分楽です。まさかこんな時間に走るもの好きもあるまいと思いきや、いるんですね「同好の士」が。一時間半ほどのジョギング中、少なくとも十人ほどの未明のジョガーとすれ違います。あるいは、あっさりと追い抜かれます、ちょっとくやしいけれど。
 文京区を走る主な道路の地図がようやく頭に入ってきました。でも、スマホもあえて見ずに裏道を適当に選んで走っていると、えっここに出るの、と驚かされることもあります。そんな「発見」も楽しいものです。
 ほんとうに坂の多い区で、由緒ある名前がついている坂も少なくありません。その由来を記した看板を立ち止まって読んでさらに興味をかきたてられることもあります。走った後にそれらの坂についてネットであれこれ調べるのも楽しみです。今まで上り下りした坂のなかでのお気に入りは、無縁坂暗闇坂菊坂
 今は集中講義の最中ですから、未明のジョギングを一時間余りで切り上げていますが、終わったらもっとゆっくりと坂巡りジョギングをしてみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鋭敏すぎるがゆえに深く傷ついてしまった一つの魂の震えにその声を通じて触れている

2024-07-31 21:50:30 | 雑感

 月曜日から始まって今日が三日目の集中講義は結局すべてオンラインで行うこととなり(受講者二名)、集中講義が行われる予定だったキャンパスに歩いていけるところにマンションを借りたことには何の意味もなくなったし、そもそも今日本にいる必要さえなくなった。それにこの連日の酷暑である。年末年始の一時帰国のときとは事情は異なるが、この夏の帰国もまた、最初からこうなることがわかっていれば避けることができたであろう多大の出費を強いられることとなった。
 それを今さら後悔しているわけではない。避けようがなかったのだから。むしろ、お金には代えられない貴重な経験を今しつつあるとさえ言える。27日の記事で話題にしたことだが、今回の集中講義はこれまでにない特別な配慮を必要とし、私にとっては手探り状態でもあるゆえにとても神経を使うのだが、それは、しかし、「腫れ物に触るように」という通俗な表現が想像させるのとはまったく異なる経験なのだ。
 詳細を具体的に書くことはできないが、今回の集中講義では、鋭敏すぎるがゆえに深く傷ついてしまった一つの魂の震えにその声を通じて触れている、とでも言えば、いくらかは今の実感を伝えることになるだろうか。
 こちらの問いかけに対するか細い声での言葉を選びながらの応答は、問題の核心を的確に捉えていることを示しているばかりでなく、その問題への私がまったく想定していなかったアプローチの可能性さえ示唆してくれている。と同時に、その応答のなかには本人のこれまでの心の苦しみがときに滲み出てきて、それにはどう言葉をかければよいのかとまどいもするのだが、それを包み隠さずに言葉にしてくれているのだからなんとか受け止めていきたいとも思っている。
 七日間総計二十二時間半のオンライン授業でできることはかぎられているが、その時間のなかで伝え合い共有できることは確かにあるし、それがこれから先に繋がっていってくれればと願っている。