内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「せいぜい」という副詞を皆さんはどのように使いますか?

2024-04-25 23:59:59 | 日本語について

 昨日の記事のなかに引用した興膳宏氏の一文中の「せいぜい」という言葉がちょっと気になったので手元の国語辞典や古語辞典で調べてみた。
 引用文では「難解な『荘子』の思想をせいぜい平易に解きほぐして」となっており、文脈からして、「出来る限りの努力をする様子」(『新明解国語辞典』第八版)という肯定的な意味で使っていることは明らかだ。ところが、私個人は「せいぜい」を肯定的な意味で使うことはまずない。「どんなに多く見積もったところで、それが限度だと判断される様子」(同辞典)という、どちらかといえば否定的な意味でしか使わない。例えば、「集まったとしてもせいぜい(で)四、五人だろう」(『三省堂国語辞典』(第八版)というように、それ以上は期待できないとか、無理とか、ありえないとか、そんな意味で使う。
 参照した上掲の二つの辞書とも「精々」と漢字をあてている。これだと肯定的な意味になることがあるのもわかる気がする。『新明解国語辞典』には、見出し語の下、語釈の前に、「〔中世語「精誠」〘=誠意を尽くすこと〙の変化という〕という説明がある。そこで手元の古語辞典を片端から調べていったのだが、立項しているのは『岩波古語辞典』(補訂版)のみ。その項には、見出し語の下に「精誠」と漢字表記され、「まごころ。誠心。丹誠。」を語義とし、用例は『平家物語』巻第五の「富士川」の段から「ひそかに一心の精誠を抽で」を挙げている。この用例は「特に真心を込めて、参詣し」(岩波文庫版)、「誠心をこめて、参詣し」(講談社学術文庫版)という意である。ただし、どちらの版も「精誠」に「しやうじやう」(しょうじょう)という訓みを当てている。
 「しょうじょう」が「せいぜい」と訓まれるようになったのがいつからかは手元の辞書類ではわからなかったし、いつから「せいぜい」がネガティブな意味で使われるようになったかも確定できなかった。
 ただ、『三省堂国語辞典』の同項の語釈及び豆知識が興味深かった。

①それ以上はないことをあらわす。多く見積もって。たかだか。関の山。②〔あまり結果を期待しないが〕できるだけ。「ま、せいぜいがんばってくれ」③〔古風〕じゅうぶんに。「せいぜいがんばってください」

 こう三つ語義を示した後に豆知識として、「年配者が③の意味で使っても、若い世代に②の意味に誤解されることがある。」と付け加えている。つまり、「年配者」(って、何歳から?)が「若い世代」への誠心からの励ましの言葉として「せいぜいがんばってください」と言ったのに、当の「若い世代」は、「(ま、君たちに期待なんてしているわけじゃないけどさ)それなりにがんばってみてよ」みたいに、ちょっと小馬鹿にされたか皮肉を言われたかと受け取りかねないということである。
 私は歴とした「年配者」だが、③の意味では使わない。もし誰かから「せいぜいがんばってください」と言われたら、「若い世代」ではもはやまったくないにもかかわらず、直感的に②の意味に取り、年甲斐もなく内心むっとする可能性が高い。まあ、文脈によるとは思うけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「生けるかひありつる幸ひ人の光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」―『源氏物語』若菜下より

2024-04-22 00:00:00 | 日本語について

 昨日の記事で「そぼふる」という動詞を使った。何気なく使ったのだが、記事を投稿した後に自分の使い方が適切だったかどうか気になりだし、手元にある辞書を片端から調べていった。
 小型国語辞典の語釈にはしばしば「(雨が)しとしと降る」とあるが、これは「しとしと」という副詞がどういう意味かわかっていることを前提とする説明だ。『三省堂国語辞典』の「しとしと」の語釈は「雨などがしずかに降るようす」。これで少しはイメージが湧く。『新選国語辞典』(小学館)は、「雨がしめやかに降る」としている。同辞書は、「しめやか」の第二の語義を「しんみりとしたようす」として、用例として「しめやかに葬儀がとりおこなわれる」を挙げている。『角川必携国語辞典』は「そぼふる」を「細かい雨がしとしと静かに降る」と説明している。「しとしと」に「細かい」と「静かに」という情報が付加されている。これらの情報から、「そぼ降る雨」と「しめやかな葬儀」という二つのイメージが重なって浮上してくる。
 「そぼふる」の語釈で異彩を放っているのが『新明解国語辞典』だ。「〔雨が〕強い勢いではないが、時間がたつとびっしょり濡れてしまう程度に降る」。この語釈に基づけば、「そぼふる雨」は、にわか雨ではありえない。一定の時間、しばしばかなり長時間にわたって、細かく、静かに、降らなくては、「そぼふる」とは言えない。
 「そぼふる」と濁るようになったのは中世以降のことで、平安時代までは「そほふる」と清音であった。手元の古語辞典の多くは『伊勢物語』の同一箇所(第二段)、「時は三月のついたち、雨そほふるにやりける」(時は三月一日、(ちょうど)雨がしとしと降る中を、(男は女に歌を)おくった)を用例として挙げている(現代語訳は三省堂『全訳読解古語辞典』に拠る)。この雨は、『伊勢物語』同段の文脈から明らかなように、春の長雨である。それを眺める男の歌にはどこか憂いがこもる。
 角川の『全訳古語辞典』(久保田淳・室伏信助=編)と小学館の『全文全訳古語辞典』(北原保雄 編)は、『源氏物語』若菜下から用例を採っている。「生けるかひありつる幸ひ人の光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」(「この世に生きていたかいのあった幸せな人(=紫ノ上)が亡くなる日なので、雨はしとしと降るのですね。」現代語訳は小学館『全文全訳古語辞典』に拠る)という一文だ。これは、紫の上が亡くなったという噂を聞いた上達部が発した言葉である。この文脈でのイメージは、現代語の「そぼ降る」のもたらすイメージとも重なる。ここで「小雨がしとしと降る」以外のイメージは想像しにくい。
 ところが、である。名訳の誉れ高いルネ・シフェールの仏訳を見て一驚した。当該箇所の訳がこうなっているのである。

Le jour où une personne aussi favorisée par la fortune perd la lumière, rien d’étonnant que la pluie tombe à verse ! 

Éditions Verdier, 2011, p. 841.

 訳中の « à verse » は「土砂降り」を意味する。これでは原作のイメージのぶち壊しではなかろうか。この歴史的名訳にケチを付けたいという気持ちはさらさらないのだが、この誤訳を瑕瑾と言って済ますのはあまりにも寛容すぎないであろうか、と、現代ピアノ曲のアンソロジーが静かに流れる書斎の窓からそぼ降る雨を眺めながら、独り呟く偏屈老人で私はあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「九死に一生を得た」の誤用をきっかけとして始まった辞書の中の「旅」

2024-03-30 15:33:13 | 日本語について

 ネット上のある記事のなかに「九死に一生を得た」という成句が二度使われていて、それがどちらも誤用だった。筆者紹介によると、「出版社に勤務後、編集プロダクションを設立。書籍の編集プロデューサーとして活躍し、数々のベストセラーを生みだす。その後、著述家としても活動。」とのことだが、どうも御本人この成句に関してはまったく誤用に気づいていないようである。その記事の筆者を批判することがこのブログの目的ではないので、記事の筆者は匿名とし、どのような文脈で「九死に一生を得た」という成句が使われていたかだけ簡単に説明する。
 二箇所とも、もし予定されていた船あるいは飛行機に乗っていたら、事故に遭い命を落としていた、というエピソードのなかで使われている。予定していた船あるいは飛行機に乗らなかったのは、まったくの偶然で、何かの虫の知らせでもないし、乗船あるいは搭乗前に命を脅かされるようななんらかの危機的な状況に置かれていたわけではまったくない。偶然のめぐり合わせで命拾いをしたとでも言うべきところである。このような場合に「九死に一生を得た」を使うのは、言い訳のしようのない誤用である。
 『角川必携国語辞典』(14版、2016年)には、「九死に一生を得る」が立項してあって、語釈は「ほとんど助かる見こみがなかったところを、どうにか助かる」。注記として「九分の「死」と一分の「生」という意味から。」とある。
 手元にあるその他の小型辞典四冊はいずれも「九死」を立項し、その項内に成句として「九死に一生を得る」を挙げている。その四冊中「九死」について最も詳しいのは『新明解国語辞典』(第八版、2020年)―「救いが来るとか情勢が急転換するようなことが無ければ当然死ぬであろうと思われる、絶体絶命の危機。「―に一生を得る〔もう少しで死ぬあぶないところを、やっと助かる〕」。
 「九死」とは「もう助からないと思われるほどに危険な状態」(『明鏡国語辞典』第三版、2021年)ということである。ところが、上に言及した記事内の二例の前提となっている状況は、そのような危険な状態ではない。だから誤用なのである。
 漢和辞典で「九」の項の熟語としての「九死一生」を見てみると、文脈あるいは時代によって異なった用法があったことがわかり、興味深い。日本語の成句とほぼ同義とみなしてよい場合ももちろんあるが、『角川 新字源』(改訂新版第3版、2019年)では「いくたびも死にそうになったが、かろうじて助かること〔楚辞・離騒・注〕」となっている。古代文学ではむしろこの意味で用いられたということだろうか。
 他方、『漢字源』(学研、改訂第六版第一刷、2018年)は、「ほとんど助からない状態だったが、ようやく助かること。〔紅楼夢〕」となっていて、一八世紀の小説にこの用例があることがわかる。
 『新明解現代漢和辞典』(三省堂、2020年、第九刷)は、「絶体絶命の場面で、奇跡的に助かる。九死に一生を得る。〔「十死一生」新書・匈奴から〕」と出典を示している。『新書』は、「前漢の賈誼の著。秦滅亡の原因を論じた「過秦論」をはじめ、政治や学問に関する論説を収める」(同辞典「書名解説」による)。
 『漢辞海』(第四版第五刷、2021年)には、「危機一髪の状態から、ようやく助かる。きわめてあやうい状態にいるさま。真徳秀・再守泉州勧論文」とあり、同項の注には「もとは「十死一生」と書かれていた。」と記されている。真徳秀は十二世紀から十三世紀にかけて南宋の学者である。この説明からは、まだ助かるかどうかわからない危険な状態にいることも「九死一生」(あるいは十死一生)が意味しうることがわかる。
 『日本国語大辞典』の「九死一生」の項は、「(一〇のうち「死」が九分、「生」が一分の意) ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態。また、そのような状態からかろうじて命が助かること。」となっており、最初の例として、平安中期の『左経記』の例が挙げられていて、そこでは「ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態」という意味で使われている。この意味での「九死一生」が先に導入され、後に「そのような状態からかろうじて命が助かる」という意味が「得る」を加えることで出てきたのだろうか。中国ではもと「十死一生」だったというが、いつ「十」が「九」に取って代わられたのだろうか。
 長い歴史の中で同じ表現にも意味の揺らぎがあることは当然だし、それをめぐるさまざまな疑問がすぐに解けるわけではないが、言葉の歴史を追い求める辞書の中の「旅」もまた楽しからずや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分では気づきにくい口癖の意味、たとえば「なんて」

2024-03-29 23:59:59 | 日本語について

 どんなに注意して何回読み直しても、自分の文章だと誤りを見落としてしまうことがある。それが一冊の本になるような長い文章であれば尚のことである。だから校正には他人の目が入ったほうがよい。人から指摘されてみれば、なんでこんな初歩的な誤字や脱字に気づかなかったのだろうと唖然としてしまうこともある。
 自分の文章を少し間を置いて読み直してみて気づく誤りもある。書いた直後は内容に引きずられて、見逃がされていた誤りが間を置いたことによって目に見えるようになる。このブログでもよくある。恥ずかしい間違いが後日もう数え切れないほど見つかって、赤面したり、がっかりしたり、自分に腹が立ったりする。
 さらに始末が悪いのは、誤用を正しいと思い込んでいる場合で、これでは何度見直しても誤りには気づけない。辞書を読む効用の一つは、このような思い込みに気づかせてくれることである。ある言葉の意味を調べるために辞書を引くときには気づきにくいが、特にあてもなく並んでいる項目をウインドーショッピングのように「ひやかし」ているとき、自分の誤用に気づかされることがある。
 誤用ではないが、ある言葉づかいが相手に不快な思いをさせていたことに後日気づく、あるいは人から気づかされることもある。場合によっては愕然とする。
 『舟を編む ~私、辞書を作ります~』の第一話に、主人公の岸辺みどりが、それまで自分が無意識に連発していた副助詞「なんて」がもっている意味を辞書で調べて、知らずに相手を傷つけていたことに気づき、思わず涙するシーンがある。「なんて」は「軽く見る気持ちをあらわす」(『新選国語辞典』第十版、二〇二二年)ことがあり、彼女の使い方はまさにそれだったのだ。その後、彼女はつい「なんて」を使いそうになると、別の言葉に慌てて言い換えるようになる。
 自分の口癖になっている言葉を辞書で引いてみると、思いもかけなかった自分のポートレートの断片が見つかるかも知れない。その発見が自分が変わっていくきっかけになるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「エモい」発見 ― 辞書散歩の愉楽へのお誘い

2024-03-20 17:41:25 | 日本語について

 今日、その他の注文本といっしょに小学館の『新選国語辞典』(第十版、二〇二二年)が日本から届いた。手元にある小型国語辞典はこれで五冊目になる。ただ言葉の意味や用法を調べるだけなら、大抵の言葉については紙の辞書を引くまでもなくネットで検索すれば事足りる。だから今回も必要のために購入したのではない。辞書オタクや辞書マニアと言えるような「深み」や「高み」にはとても至りつけないが、「辞書を読み比べるのがちょっとした趣味です」くらいは私にも言えるかも知れない。
 手元の小型国語辞典のなかで新語に強いのはなんといっても『三省堂国語辞典』(第八版、二〇二二年)だが、従来からある言葉の新用法に関しては『明鏡国語辞典』(第三版、二〇二一年)が類書に見られない的確な語釈を示してくれることがある(例「だいじょうぶ」2023年9月4日の記事参照)。今回購入した『新選』は類書中最大級の収録語数を誇る。
 先日話題にしたNHKドラマ『舟を編む ~私、辞書を作ります~』の第一話のなかに、社員食堂で同僚の女子社員三人と昼食を取りながらおしゃべりしている岸辺みどり(池田エライザ)に向かって、通りかかった馬締光也(野田洋次郎)が、今あなたが使った「あがる」とはどういう意味でしょうかと出し抜けに尋ねるシーンがある。この場面での「あがる」には主語はなく、ただ「あがるぅ~」などと語尾を伸ばし、それと同時に両拳を頬のあたりまでもってくる動作がそれに伴う。「気分が高まる」というほどの意味で使われる。この用法を乗せているのは『三省堂国語辞典』だけであった。ただし俗用扱いで、用例は「あがる春ぐつ」。履くと春らしい気分が高揚する、というほどの意味であろう。
 日本で直接観察する機会がないので推測の域を出ないが、主に若い女性がこの意味での「あがる」を使うのではないだろうか(男の子もつかうのかな?)。これに近い用法だが、ちゃんと主語を伴っていた用例をはじめて聞いたのは、是枝裕和監督の『海街diary』のなかで、次女の佳乃(長澤まさみ)が異母妹のすず(広瀬すず)とふたりきりの場面でペディキュアを塗りながら「こうすると、気分あがるよ」というセリフとしてだった。映画のストーリーの展開上は特に重要な場面というのではなかったが妙に印象に残った。
 『新選国語辞典』の「あがる」の項で気づいたことは、最後の用法として古語の「昔にさかのぼる」の意を挙げ、「上がりての世」と用例も示していることだった。
 そこで「なつかしい」を引いてみると、やはり古語「なつかし」の用法が〔「動詞「懐く」を形容詞化させたもので、心が強くひきつけられて、そばにいたい、身近においておきたいという気持ちをあらわすことば〕と説明されており、さらに語釈を「いとしい。かわいい。好ましい。」と「人なつっこく甘えた感じだ。親しい感じだ。」と二つに分け、それぞれ万葉集と源氏物語が一例ずつ用例も挙げている。『角川必携国語辞典』も古語に強いが、「なつかしい」の項に古語の用例までは挙げていない。
 さらに驚いたのは、古語「えも」(副詞)が単独で立項されていることである。

〔副詞「え」と係助詞「も」〕①よくも。よくまあ。「恋ふと言ふはえも名づけたり」〈万葉〉②〔打ち消しの語を伴って〕どうも…(できない)。なんとも…(できない)。「えもいはぬにほひ」〈徒然〉

 これに続いて古語の連語「えもいわず[えも言はず]」も立項され、「〔副詞的に用いて〕なんとも言いようがないほどすばらしく」と語釈が示されている。そして、その次に連語「えもいわれぬ【えも言われぬ】」が来る。文章語とされ、「ことばにうまく言えないほどの。なんとも形容しがたい。「―おもしろさ」「―美しさ」」となっている。
 これら三語が連続して立項されていることで「えもいわれぬ」がどこから来ているかがわかる。ちなみに他の手元の国語辞典は「えもいわれぬ」のみを立項している。
 面白いことに、『三省堂国語辞典』と『明鏡国語辞典』の「えもいわれぬ」の直前の項が「エモい」なのである。

エモ・い(形)〔俗〕心がゆさぶられる感じだ。「冬って―よね」〔「エモな気持ち」のようにも言う〕由来 ロックの一種エモ〔←エモーショナル ハードコア〕の曲調から、二〇一〇年代後半に一般に広まった。古語の「あはれなり」の意味に似ている。派 ーさ・『三省堂国語辞典』

エモ・い[形]〔新〕感情が強く揺すぶられるさま。感動的だ。情緒的だ。「―曲[映画]」△「エモーショナル」を形容詞化した語。『明鏡国語辞典』

 『明鏡』のほうは冷静な記述だが、『三国』のこの項の執筆者、執筆時「してやったり」の気分ではなかったろうか。
 こんな発見があるから、辞書散歩は楽しいですよ。


平安時代の「おいらか」なる女性たち

2024-02-16 23:50:39 | 日本語について

 昨日の記事で話題にした「おいらか」という言葉の理解をさらに深めるべく、手元にある古語辞典から参考になる記述を摘録する。
 まず、『岩波古語辞典 補訂版』(一九九〇年)から。

オイは老いの意。ラカは状態を示す接尾語。年老いて感情が淡く、気持ちの波立ちが少なくなるように、執心が少なく平静なこと。多く人の性質や態度にいう。

 この語釈をさらに発展させたのが『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、二〇一一年)である。

オイ(老い)に、状態を示す接尾語ラカの付いた語。大島本『源氏物語』には「老らか」と表記した箇所もある。年老いて感受性が衰えた人のような、情動や動作に、角や棘、起伏のない平静・温順・無頓着なさまなどが中心的概念。全体をおおらかの意味に解するのは誤りである。また、ものが平坦で凹凸のないさまにも用いられた。
オイラカがよい意味で使われるときにも「老い」のもつ鈍さや弱さ・淡さなどのニュアンスは残っている。

 しかし、この語釈には異論もあるようで、「「老い」に状態を示す「らか」が付いて、老成して感情が平静なようすを表すようになったという説がある」(『新全訳古語辞典』大修館書店、二〇一七年)、あるいは「「おほらかなり」が変化したものともいわれるが、年長の者は心が平静であるという判断から、「老い」や「親」などのことばと関係するという説もある」(『ベネッセ全訳古語辞典 改訂版』二〇〇七年)というように、「老い+らか」説を一説として紹介するにとどめている辞書もある。
 平安時代、女性を賛美する表現として用いられることが多かったこの語に「老い」のもつニュアンスが残っているとは直ちには思いにくいが、「おほどか」(心がひろく、おおような穏やかさをいう。『新全訳古語辞典』)とは異なった人のあり方・態度である「感情が波立たない平静さをいう」(同辞書)語として「おいらか」が使われていることはわかる。
 『角川全訳古語辞典』(二〇〇二年)は「おいらか」の対義語として、「くせぐせし」(ひと癖ある。素直でない。ひねくれて意地が悪い)を挙げている。この語、昨日引いた『紫式部日記』の「あやしきまでおいらかに」の数行後に出てくる。
 『全訳読解古語辞典』(三省堂、第五版、小型版、二〇一七年)には、「おいらか」の両義性について以下のような解説があり参考になる。

『源氏物語』の「おいらか」なる女性たち
賛美の「おいらか」 人の性格や態度が「おいらか」と評されても、賛美される場合とそうでない場合がある。『源氏物語』では、花散里の素直でおだやかな人柄が「おいらか」であるとされ、若菜上巻以降になると[ …]紫の上が「おいらかなる人」として光源氏に称賛されている。
無関心ゆえの「おいらか」 一方、女三の宮も「おいらか」とされているが、こちらは物事に対する関心が少なく、感情も乏しいおっとりしたさまがとらえられている。紫の上も女三の宮も「おいらか」で、表面的には素直な感じになるが、その内実に大きな違いがある。

 この内実の大きな違いを、昨日引用した山本淳子説のように、「意図的」と「無意図的」との違いとすることができるであろうか。ちょっと無理な気がする。
 内実云々というと話が難しくなる。もっと単純に考えられないであろうか。たとえば、紫の上の「おいらか」さは、まわりの人たちをも穏やかな気持ちにするのに対して、女三の宮の「おいらか」さはまわりをがっかりさせる、とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


語学上達に必要な自己訂正力はその他の分野にも応用できる

2024-02-12 17:32:06 | 日本語について

 外国語で話す場合、内容や場面やその他の条件にもよりますが、間違いのない完璧な表現を目指すことは、「百害あって一利なし」とまでは言いませんが、いわば自分で自分の首を絞めるようなもので、生産的ではありません。
 私が普段接している学生たちは、当然、さまざまな間違いを含んだ日本語を話すわけですが、私が担当する授業では、語学の授業ではないこともあり、あまり間違いを指摘することはありません。授業外で面接の練習をするときなども、まずは自由に話させます。
 かといって、間違いなど気にせずに、自分の話したいように話せばそれでいいのだ、と彼らに言いたいのでもありません。一定以上の期間に亘って何回も同じ間違いを繰り返す学生はだいたいろくに進歩しません。言葉に対して無神経であり、向上心にも欠けているのですから、当然の結果ですね。
 言語表現上の間違いといっても、いろいろなレベルとタイプがあり、しかも、内容や場面やその他の諸条件によって、許容される間違いの範囲も異なります。
 ただし、ここではプロの通訳の場合のような高度なレベルは対象外とします。二、三年の外国語学習経験があり、基礎文法は一通り習得し(たことになっていて)、日常会話および海外旅行で必要とされる最低限の語学力はすでに身につけている(と本人が信じている)場合に話を限定します。
 学生たちの間違いを観察していると、かなりよくできる学生でも、初級で習ったはずの初歩的な文法事項において、二年や三年になっても間違い続ける学生がいます。これは、多くの場合、その間違いをもう誰も指摘してくれなくなっているからです。間違っていても通じてしまう場合、教師もいちいち指摘しませんし、彼らの日本人の友人たちも、会話の進行のさまたげにならなければ、間違いをその都度指摘することはなくなります。
 ここで止まってしまうと、何年続けても飛躍的な進歩は望めません。つまり、その先に行くためには、自分で自分の間違いに気づけるようになる自己訂正力を身につける必要があるのです。
 ところが、これが実際にはなかなか難しいわけです。独力でこの壁を越えていくことができる学生もいなくはありませんが、そういう学生は放っておいても一人でやっていけるので、極端に言えば、大学で日本語など勉強しなくてもよろしい。
 では、学生が自己訂正力を身につけるためにはどんなアドヴァイスをすればいいでしょうか。私は語学教育の専門家ではなく、学習理論など何も知りませんが、自分の体験に基づいて、次のように指導しています。
 一回に一点だけ、次回からはその間違いだけは絶対にするなと命じます。その他の間違いについては一切指摘しません。その指摘する一点は、学生のレベルとその時点での直近の目的によります。単にある単語の発音だけのこともありますし、ある不適切な表現を別の適切な表現に置き換えるだけのこともありますが、他方では、文法的にちょっと高度な言葉の組み合わせに関する指摘をすることもあります。
 要は、ある一点に彼らの意識を集中させることです。一つだけならクリアするのもそう難しくはないからです。
 ただ、この指導法には大きな欠点があります。時間がやたらとかかることです。他にも無視し難い間違いがあるのに、とにかく一回一点しか指摘できないのですから。特に、学生の方が言われたことだけしかしない受動的な姿勢だと時間がかかります。教師がただ辛抱すればよいというものではありません。
 この指導法が実を結ぶのは、学生自身がこの一回一点の原則を自ら進んで遵守するようになるときです。こうなると、格段に進歩の速度が向上します。
 実は、これは語学力の問題ではなく、ちょっと大げさに言えば、知的能力の問題です。具体的に言うと、自分がどこで間違いやすいか、その傾向とパターンを自分で分析することができ、その原因を突き止め、その上で、そのような間違いを繰り返さないように適切な措置を自分で講じられる能力のことです。
 そして、語学において身につけた自己訂正力は他の分野にも応用可能なのです。このレベルに達したときにはじめて、一つの外国語を学んだ意味がほんとうにわかるのだと私は考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「悼む」ということ

2023-12-26 00:34:31 | 日本語について

 島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる』を読んでいて、「悼む」とはどういうことなのか、気になるようになった。同書には、天童荒太の小説『悼む人』とそれに基づく映画作品について数頁にわたる紹介と著者による考察が示されている。そこを読めば、小説と映画のなかで「悼む」とはどういうことなのか、一応の回答は得られる。小説からの引用箇所を以下に孫引きする。

人が亡くなった場所を訪ね、故人への想いをはせる行為を静人は初めて「悼む」と表現した。/言葉の意味を問うと、冥福を祈るわけではなく、死者のことを覚えておこうとする心の働きだから、祈るより、「悼む」という言葉が適切だと思って、と、ぼそぼそと力のない声で答えた。(『悼む人』上、二五五頁)

 確かに、「悼む」と「祈る」は違う。しかし、島薗氏が言うように、「「祈る」ときには、応答する存在が前提されている」というところに両者の違いがあるのだろうか。そもそも「祈る」ことがそれに応答する存在を前提しているとは限らない。人の死に際して、「冥福を祈る」という表現がよく使われるが、この「祈り」に応答する存在を前提してはいないだろう。
 しかし、だからといって、この表現が単に形式的に使われているとは限らない。自分は無宗教だと思っている人でも、この表現を軽々しく使っているとは限らない。祈るのに資格も権利も必要ないだろう。自分がその実現にはまったく無力だとわかっていても、それを心から願わずにはいられないときに人は自ずと「祈る」のではないか。
 「悼む」は「痛む」と同根である。「悼む」ときは、心が「痛む」。ただ悲しむのとは違う。人の死に際して、「悼む」とき、心が痛みはするが、泣き叫ぶなどあからさまにそれを表には出さない。手元にある辞書はどれも似たりよったりの語義しか示していないが、『三省堂国語辞典』(第八版)には、「人などの死をおしみ、静かに心を痛める」とあり、二つの点で他の辞書と異なっている。「人など」としてあるから、人以外に対しても「悼む」ことがありうるという含みがある。「静かに」とあるから、大声を上げて泣いたりはしないということだろう。だからといって、心の痛みが小さいわけでも、悲しみが浅いわけでもないだろう。
 ただ、まだ一つ気になることがある。これは私の個人的語感に過ぎないのかもしれないが、身内の死に際しては「悼む」とは私は言わない。例えば、自分の母親の死を「悼む」と言うのには何故か違和感を覚える。皆さんはどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読点考 ― 音楽記号的用法、視覚的効果を狙った用法、思考のリズムの自発的表現としての用法

2023-12-16 12:30:42 | 日本語について

 学生たちの口頭発表用の原稿を添削するとき、文法的には必要なく、内容理解にとっても誤解の余地のない箇所であっても、私は読点をかなり加える。なんのためかというと、彼らが原稿を読み上げるとき、比較的長い一文を一息に読まずに、一呼吸おく場所を示すためである。聞いている学生たちが発表内容をよりよく理解できるようにするための配慮である。この場合、読点は楽譜に用いる休止記号のように機能する。
 他方、自分自身が書く文章に関しては、つまり音読されず黙読されるだけという前提で書かれる文章に関しては、できるだけ読点を打たないように心がけている。言い換えると、読み下していけばそのまま視覚的に文節相互の関係がわかるような文を書くように心がけている。この視覚的な読みやすさのためには漢字と平仮名(およびカタカナ)との配分も重要な役割を果たすが、これは今日の記事のテーマではないので立ち入らない。
 論理的に明快な日本語文を書くために読点は必ずしも必要ではない。もちろん、読点がないと誤解されたり文意が曖昧になったり、読点の打ちどころによって文意が変わってしまう場合には打たなくてはならない。
 これらの読点の使用が不可欠な場合とは別に、いわば心理的効果を狙った用法もある。それは必ずしも文学作品における用例に限られない。
 たとえば、昨日の記事で引用した一文「私たちの国は、一貫して翻訳受け入れ国であった」を見てみよう。この読点は、あってもなくても、文意に変化は生じない。しかも、この提題「私たちの国は」はこの一文を超えて同段落のテーマを支配しない。では、なぜ著者はこの提題の後に読点を打ったのであろうか。
 これは私の推測(あるいは邪推)に過ぎないが、著者は読点を打つことで「さあ、この提題について、この直後に一つ大事なことを言いますよ」と予告したかったのではないだろうか。言い換えると、読点で「間」あるいは「ため」を作ることによって、読点以下の述部をより強調したかったのではないだろうか。このような用法を「読み手に対する視角的効果を狙った用法」と私は密かに名づけている。
 この文をそこから引用した本には、提題の副助詞「は」の後に読点があったりなかったりして、その使用法は見たところ一貫していない。その有無は、文の長さと一定の関係があるわけでもなく、副助詞「は」に先立つ名詞句の長さに応じて決まっているわけでもない。かといって、気分次第で打ったり打たなかったりしているわけでもない。概して明快な文章である。
 上掲の例文から読点を省いて「私たちの国は一貫して翻訳受け入れ国であった」としてしまうと、この一文全体が視覚的に一塊となってしまう。それはそれで別の効果を生み出すことも文脈によっては可能であろうが、まさにそうであるからこそ、「は」の直後の読点には一定の意図が込められていると考えることができる。
 いや、そうとばかりも言えない。こうも考えられる。この読点にそんなはっきりとした意図など込められてはおらず、ただ著者の思考のリズムが自ずと打たせたのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語に見られる「ソコントコ、ヨロシク」的な「甘えの構造」に抗して

2023-12-15 23:59:59 | 日本語について

 「人のことをとやかく言う前に、まずてめえの心配しろ」と見識ある諸氏からどやされてしまうかも知れないが、授業で日本語の文章を一文一文構造に注意しながら読んでいてつくづく感じることがある。
 高名なセンセイの場合でも、厳密に言うと辻褄が合っていない文に出会うことがかなり頻繁にある。そんな文を学生たちに説明するとき、著者を弁護したい場合もあるが、逆に、こんな文章を読まされたら、日本語を勉強している側としてはかなわないよね、と彼らに同情したくなることも同じくらい頻繁にある。
 文の構造に関する問題は多々あるのだが、とりわけ、文と文との間の論理的関係に基づかず、「気分の流れ」とでも呼びたいような繋がりを頼りに書かれている文章がなんと多いことか、と慨嘆することがしばしばある。言い換えると、「まあ、そこんところ、よろしく」みたいな、読み手に寄りかかって構造の不備を不問に付している文がうんざりするほど多いのである。これを日本語における「甘えの構造」と私は密かに呼んでいる。
 今日授業で読んだ文章のなかから一例を挙げよう。すでに物故されている著者の名誉のために書名も著者名も伏せる(内容からすぐに特定されてしまうかも知れないが)。

しかもこれらの幕末から明治にかけて来日した外国人はきわめて多数にのぼり、かつその中には、伝道のために派遣されてきた宣教師もかなり多かったが、その大多数が幕府、明治新政府などによって欧米諸国から招聘され、雇用されたいわゆる「お雇い外国人」であったところに、前代に見られない特殊な歴史的性格をもっている。

 いったい何が「歴史的性格をもっている」のだろうか。ここは、例えば、「歴史的性格を見ることができる」とでもすべきところであろう。こうすれば、主語あるいは提題がなくても、「(一般に人は)そのように見ることが(様々な証拠から)できる」という意であると解することができる。
 思うに、著者は、この文を書いたとき、自分は「お雇い外国人」というテーマで書いているのだから、この文もその「気分」のなかで書いており、そのことは読者にも共有されていると気分的に前提していたのだろう。だからここも「(幕末から明治前期に多数来日した「お雇い外国人」は「前代に見られない特殊な歴史的性格をもっている」というつもりで書いたのである。そう理解してはじめてこの文は論理的に整合性のある文として翻訳可能になる。
 もう一例挙げよう。これは先週の授業で読んだ文章である。

私たちの国は、一貫して翻訳受け入れ国であった。

 見たところ単純なこの文の問題は構文上のそれではない。表現上の曖昧さの問題である。前後の文脈から明らかなことは、この文が言いたいことは、「(誰か外国人の手になる)翻訳を受け入れた国」ということではなく、「自分たち自身の手になる翻訳によって(外国の文化・思想・知識などを)受け入れた国」ということである。
 誤解の余地はないではないか、と言われる向きもあろう。その通りである。が、言いたい。日本語の文章をフランス語で説明する稼業に勤しんでいると、この手の文に出会っては溜息をつきたくなることが日々あるのだ、と。「忖度を読み手に強いる」とまでは言わないが、「ソコントコ、ヨロシク」的な日本語文に出会うたびに、しかもそれが一流とされる著者の本のなかであるとき、「日本語の前途は暗い」と、つい悲観的な気分に陥りかねないのである。
 身近な人たちからは「ムズカシスギル」とお叱りを受けることの多い拙ブログだが、上記のような「甘えの構造」が蔓延する日本語の現実に暗澹としつつも、日本語の未来を照らす一隅の光たらんと、志だけは高く持しているつもりである。