内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

みんなのエックハルトはだれのエックハルトでもない ― ドイツ語全説教新仏訳刊行についての捻くれた感想

2023-02-28 23:59:59 | 読游摘録

 昨年、エックハルトのドイツ語全説教集の新仏訳 Intégrale des 180 sermons が Almora 社から出版された。
 この版には、そのタイトルが示す通り、一八〇の説教が収められている。Quint-Steer 中高ドイツ語校訂版には一一七しか収録されていない。その中にさえ、真正性には疑問符が打たれているものもある。ところが、この新訳は、一八五七年のプファイファー版以後のすべてのドイツ語版から他の版と重複しない説教をすべて収録しているためにこれだけの数になっている。
 このような過去に例のない集成を試みた訳者 Laurent Jouvet の意図の一つは、テキストの学問的な真正性とは別に、エックハルトに帰された説教群すべてを集成することで、一九世紀半以降にエックハルトがヨーロッパでどのように受容されてきたかを示すことにある。
 そして、もう一つのより重要な意図は、エックハルトの思想はキリスト教という枠組みを超えて人間存在の根本にかかわっているから、信仰の有無に関わらず誰にとっても共有可能だということを説教そのものによって示すことである。
 この意図に基づいて各説教には訳者による要約と注解が付されている。神学用語に通じていなくても、キリスト教信者でなくても、本書の翻訳と各説教の前に置かれた要約と後に置かれた注解とを読むことによってエックハルトの精神的気圏へのイニシエーションが可能なように配慮されている。
 訳者について本書の裏表紙の紹介以上のことを私は何も知らない。解説文と翻訳の一部を読んだ限りでは、訳者の真率さを疑う理由はないし、いわゆるトンデモ本ではないことは確かだ。それにしても、エックハルトの研究者たちからは歓迎されないだろうこのような集成本がなぜ出版されたのだろうかと自問してしまう。
 今のところ、「なんとなく」というレベルに過ぎないし、かなり捻くれた態度かなと自分でも思うけれども、こういうスピリチュアル系ってアブナイかもなぁって思ってしまう。下手をすると「エックハルト教」信者のバイブルみたいなことにならないだろうかと余計な心配をしてしまう。
 誰にとってもわかりやすい翻訳などない、と私は思う。自分にとってわかりやすい翻訳が「いい」翻訳とは限らない。自分にはさっぱりわからない翻訳が「わるい」翻訳だともかぎらない。
 誰にも予備知識なしに近づけそうだなと思えるとき、まさにそのことこそそのような相貌を見せるものを疑うべき理由なのではないかと私はどうしても思ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「幸福なひとは、だれもが神です」― ボエティウス『哲学のなぐさめ』より

2023-02-27 19:46:44 | 読游摘録

 『神の慰めの書』の仏訳が手元には六つある。年代順に古い方から列挙する。
 Traités et sermons, traduits de l’allemand par F. A et J. M. avec une introduction par M. de Gandillac, Aubier, 1942. ミッシェル・アンリが『現出の本質』『受肉』『キリストの言葉』で引用しているのはすべてこの版である。
 Œuvres. Sermons-traités, traduit de l’allemand par Paul Petit, Gallimard, 1942.
 Les traités, traduction et introduction de Jeanne Ancelet-Hustache, Editions du Seuil, 1971.
 Traités et sermons, traduction et présentation par Alain de Libera, 1993.
 Les traités et le poème, traduction de Gwendoline Jarczyk et Pierre-Jean Labarrière, Albin Michel, 1996.
 La Divine Consolation, traduit du moyen-haut allemand, présenté et annoté par Wolfgang Wackernagel, Rivage Poche / Petite Bibliothèque, 2004.
 この数からだけでも、『神の慰めの書』が、ひいてはエックハルトのドイツ語説教と論述が、どれほど仏語圏で高い関心をもたれ続けているかがわかるだろう。
 これらの訳の中で最も頻繁に引用されるのは Ancelet-Hustache訳で、私もまずこの版を見る。『神の慰めの書』の最も新しい仏訳は本書を特に研究している訳者によるもので、その解説には独自の見解が示されていてとても興味深い。
 訳者は『神の慰めの書』とボエティウスの『哲学のなぐさめ』の親近性を指摘する。訳書のエビグラフとして『哲学のなぐさめ』から次の一節を引いている。まずその仏訳を引き、その後に、先月刊行されたばかりの日本語訳(1月27日の記事を参照されたし)を引こう。

Puisque c’est par l’acquisition du bonheur que les hommes deviennent heureux, le bonheur étant à vrai dire la même chose que la divinité, il est évident que l’acquisition de la divinité rend bienheureux. Mais pour la même raison que la justice fait le juste et la sagesse le sage, la divinité doit nécessairement transformer en dieux ceux qui l’ont acquise. Quiconque est heureux est donc un dieu. Par nature, il n’y a certes qu’un seul Dieu ; mais en vérité, rien n’empêche qu’il y ait un grand nombre par participation.

じつのところ、幸福の獲得によって人間たちは幸福なひとになりますが、幸福は神性そのものですから、神性の獲得によって幸福なひとになることは明白です。しかも、正義の獲得によって正義にかなうひとたちになり、知恵の獲得によって知恵あるひとたちになるように、神性を獲得したひとたちが同様の理屈で、神々になることは必然です。ですから、幸福なひとは、だれもが神です。しかし、本性においてたしかに一ですが、分有によりますから、どれほど多数でも、多数であることをなにも妨げはしません。

松崎一平訳、京都大学学術出版会、2023年、152頁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


思想の息吹を伝える翻訳の格調について ― 相原信作訳『神の慰めの書』のこと

2023-02-26 15:55:45 | 読游摘録

 解釈の前提として本文の確定が重要な作業になる古典の場合、何世代にも亘る研究の積み重ねによって旧版が新版によって取って代わられ、学問的研究の基礎としては新版に拠ることが原則となる場合は少なくない。
 異端判決後数世紀に亘ってほとんど埋もれていたエックハルトの中高ドイツ語テキストの場合、写本群の真正性及び本文の確定が極めて困難かつ微妙な問題であることはよく知られている。
 しかし、この文献学的な問題とは別に、テキストの受容史という問題がある。それは最新の校訂版が出版される前の旧版の流布によってその思想が広く知られるようになった場合、特に重要である。エックハルトの場合、ドイツ語著作に関しては、厳密な校訂版であるクヴィント版の第一分冊が1936年に刊行される前は、1857年に刊行されたプファイファー版が一世紀近くの間エックハルト研究の直接資料であったばかりでなく、このプファイファー版に基づいた現代ドイツ語訳でエックハルトの著作にはじめて接し、衝撃を受けた思想家たちも少なくない。
 もう一つの問題は翻訳の問題である。学問的な厳密さを第一に考えるならば、当然のこととして、最新の研究成果に基づいた校訂版に依拠するのが原則である。しかし、そのことはその翻訳の質とは別の問題である。最も厳密かつ最新の校訂版に基づいた翻訳が優れた翻訳であるとは限らないし、校訂には不備がある旧版に基づいた翻訳が翻訳の質において劣るとは限らない。
 特に、語学的に原文に忠実であるかということだけでなく、思想内容を伝えるのに翻訳言語における格調が重要な意味をもつ場合、校訂の厳密さという問題を超えて、翻訳者がどこまで原著者の思想の息吹を摑み得ているかどうかが決定的に重要になってくる。
 この点から見て、相原信作訳『神の慰めの書』は不朽の名訳だと私は思う。相原訳の素晴らしさについては、講談社学術文庫版の上田閑照による委曲を尽くした解説を参照されたい。1949年に初版が刊行され、1985年に学術文庫版として復刊されるに至る経緯は訳者自身による「学術文庫」のためのあとがきに詳しい。それからもすでに38年経っているわけだが、いまだにこの文庫版が新本として入手可能なのは、ずっと読みつがれているからだろう。喜ばしいことだと思う。
 一方、「学術文庫」のためのあとがきの最後の数行は、今もなお、いや、今なおのこと、重く痛切に響く。

七百年前においては、一体だれが、科学技術の進歩による人類滅亡の可能性などを想像できたか。それでもなおこれらの先駆者は、「私よりも私に近く在す神」を忘却して暴走する危険を警告してやまなかった。今やこの危険は極限に達し、営々数千年の文明の進歩はその瞠目すべき成果そのものによってそれを産み出した人類もろとも自らを消去せんとしている。願わくは、この恐るべき文明の矛盾にもてあそばれ傷つき悩む人々が、近代の受胎期に早くもこのような文明の危険についてその所在と救いとを示した先駆者を再発見せられんことを。拙訳が少しでもそのことに役立つなら幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「神の中なる我が苦悩、それは神そのものが我が苦悩である」― マイスター・エックハルト『神の慰めの書』から遠く離れて

2023-02-25 21:31:50 | 雑感

 「焼きが回る」という表現を『新明解国語辞典』で引いてみると、「焼き」の項の㋥「刀を熱して水に入れ、冷やして堅くすること」の用例として、「―が回る」が挙げられており、その第一の意味が「必要以上に熱が加えられて、かえって切れ味が鈍る」、第二の意味が「年を取り役に立たなくなる」となっています。この第二の意味で「焼きが回った」のが今の自分であるとつくづく思わざるを得ません。何か特にそう思わせるきっかけが最近あったわけではありません。日頃の積み重ね(って、この場合もちろんネガティブな意味ですが)がそう思わせるわけです。
 それはさておき(この表現は「それはそれとして」と並んで私のお気に入りの表現です)、マリー=マドレーヌ・ダヴィの諸著作を読んでいると、マイスター・エックハルトへの言及がかなり頻繁にあって、エックハルトへの強い関心を数十年来持ち続けている老生としては、どの著作が参照されているのかとても気になります。
 1943年12月、ドイツ占領下のパリで彼女が講義をしていると、そこに突然ドイツ人将校が二人入ってきます。レジスタンスの闘士であったダヴィは、その場での逮捕、そして処刑を覚悟せざるを得ませんでした。そのとき彼女にできたことは、講義を最後まで平静に終えることだけでした。幸いなことに、将校たちは彼女を逮捕に来たのではなく、その一人がドイツ神秘主義の研究者で、彼女との面談を申し込みに来たのでした。
 しかし、レジスタンスの闘士という立場からして、彼女はその求めをきっぱりと拒否します。講演後、自宅に戻ってから彼女は自分の取った態度が正しかったか自問します。そして、このような苦悩の意味を考えます。そこでエックハルトの『神の慰めの書』の一節が引用されます。彼女が引用しているのは Ancelet-Hustache の仏訳ですが、それとほぼ対応する箇所を、ダヴィの引用よりもう少し長く、相原信作訳(講談社学術文庫、1985年)によって引用しましょう(ほんの一部改変してあります)。

善き人が神のために悩むところのすべては、彼は実に御自ら彼とともに悩み給う神の中において悩むのである、実に私の悩みは神の中にあるのであり、したがって私の悩みは神そのものである。もしかくして悩みと痛苦とが、痛苦を失うならば、悩みは私にとっていかにして痛苦であり得よう。神の中なる我が苦悩、それは神そのものが我が苦悩であることを意味する。(161-162頁)

 この一節を読み、他人事ではなく、自分の苦悩が何に起因するのか、自問せざるを得ません。確かなことは、「善き人」ではない私が神において悩んでいるはずはなく、したがって、神が私において悩み給うているのではなく、私は小さな私の中で悩み、悩みは悩みのままであり、それによって引き起こされる痛苦は痛苦のままであり、ただそのことだけが自分もまだ死んではいない証であり、まだ終わりではないのか、いつまで続くのだろうということが辛くもあり、しかし絶望するわけにもいかず、明日も目覚めたのならば、その一日を辛うじて生きられるかどうかという瀬戸際の綱渡りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「自分と出会う」― 運命愛とニヒリズムの克服、そして「自分との新しい出会いの始まり」

2023-02-24 11:18:58 | 読游摘録

 朝日新聞の「こころ」のページに1990年代連載されていた「自分と出会う」というコラムには、井深大、田辺聖子、沢村貞子、谷川俊太郎、阿部謹也、加賀乙彦、山田洋次、大江健三郎など、各界の著名人たちのエッセイが寄せられていたようで、その一部が『自分と出会う75章』(朝日選書、朝日新聞「こころ」のページ編、2001年)という書籍にまとめられて出版されている。残念ながら、今は版元品切れで、中古本でしか入手できないようである。
 大森荘蔵生前最後に発表された小論「自分と出会う―意識こそ人と世界を隔てる元凶」もおそらくこの一書に収録されているのだろう。ちなみに、この小論は『大森荘蔵セレクション』(平凡社ライブラリー、2011年)に収録されている。
 昨日の記事で話題にした源了圓もこのコラムに寄稿している(1995年10月3日夕刊)。この掌編が源了圓の他の単著のいずれかに収録されているのかどうか知らないが、2021年に中公文庫として刊行された『徳川思想小史』に巻末エッセイとして収録されいる。そのおかげで読むことができた。
 戦時中の経験が語られている箇所がある。そこにとても印象深い一節がある。学徒動員で出征し、軍隊で小隊長としての責務を全うすることに全力を傾けていたときのことである。

私たちの部隊は薩南海岸にあった。ある日、独りで海岸沿いに拡がった陣地の見まわりをしていた時、今でもその理由はわからないが、私はふと身をかがめた。その瞬間、頭の真上を何か巨大なものが横切ったと思ったら、突然バリバリという音とともに砂煙が立ち上がり、それは私の目の前数メートル先から約一メートル間隔でつづき、五十メートルくらいさきで消えた。エンジンを止めて背後から私をねらっていたグラマン戦闘機だった。不思議な感情に包まれて蒼空の中に吸いこまれていく機影を見送る私に、ふとニーチェの amor fati(運命愛)ということばが浮かんできた。

 もし身をかがめなかったら、銃弾で命を落としていたのかもしれない。いわゆる「九死に一生を得た」というのとはちょっと違う。今こうして生きていることの不思議というか、奇跡というか、この日の出来事は源にとってその後の生き方を決めるような「自分との新しい出会いのはじまり」の経験だったのだと思う。
 この段落の次の段落はこう続けられている。

復員後、ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』を読んで文字通り五体が震える感動を覚えた。そしてニヒリズムの克服をニーチェとドストエフスキーをめぐって論ずる卒論を書いて大学を後にした。

 源は、戦後のある時期から日本思想史の研究者として自己の立ち位置を定める。それはそれで良かったと述懐しつつも、「だが普遍的問題への関心と日本思想史研究とのギャップがどうしても埋まらない」と煩悶する。ところが、「七十にも近い初秋の一日、両者を結びつける哲学的視点がパッと開けた」という。そして、エッセイはこう結ばれている。「自分との新しい出会いの始まりだった。」
 2020年、百歳で天寿をまっとうするまで、源はこの「始まり」を何度も経験したのではないだろうか。だから、かくも息長く研究を続けることができたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


海外での「京都学派」という呼称の使われ方について ― 源了圓(1920-2020)の場合

2023-02-23 23:59:59 | 哲学

 先日、修士論文を指導している学生から、論文の進捗状況を知らせるメールと序論の草稿が送られてきた。その中に「京都学派の一人〇〇によれば」という一文があり、〇〇のところには聞いたこともない名前がアルファベット表記で(草稿自体フランス語だから、これは当然のことだが)記されていた。脚注にも文献表にも当該の著者や著作あるいは論文が見当たらないので、草稿にコメントを付して返信するとき、「これはいったいだれのこと?」と質問を付け加えた。
 本人からの回答で、名前の表記に誤りがあり、引用されていた著者は源了圓(1920-2020)であること、論文は “The Symposium on ‘Overcoming Modernity’,” で Heisig, James W. and John C. Maraldo (eds.), 1994, Rude Awakenings: Zen, The Kyoto School, and the Question of Nationalism, Honolulu: University of Hawai‘i Press に収録されていること、引用は当該論文から直接行われているのではなく、スタンフォード大学の Stanford Encyclopedia of PhilosophyThe Kyoto School の頁からの孫引きであることがわかった。
 確かにその頁には、源了圓の上掲論文が次のように引用されている。

One scholar of the Kyoto School writes in this regard: “The keynote of the Kyoto school, as persons educated in the traditions of the East despite all they have learned from the West, has been the attempt to bring the possibilities latent in traditional culture into encounter with Western culture” (Minamoto 1994, 217).

 源了圓は、京都帝国大学文学部哲学科に1942年4月に入学するが、健康上の理由とその後の学徒出陣で学業を中断、復員後復学、1948年に京都大学文学部哲学科を卒業している。名著『徳川思想小史』(中公文庫、2021年。初版、中公新書、1973年)の巻末に付された小島康敬による解説によると、戦中、京大で受けた授業は入学当初の一年間だけであったが、この一年間を「私の学生生活の中でいちばん幸せなときであった」と後日述懐しているという(源了圓「私の歩んできた道」『アジア文学研究』別冊3、1992年)。
 授業ではとりわけ田辺元に惹かれ心酔した。京大時代に源に大きな影響を与えたもう一人が西谷啓治である。これも戦中のことである。戦後源が復学して卒業するまで、西谷はまだ公職追放中(1952年に復帰)であったから、その間に指導を受けたはずはない。もっとも学外で私淑したということはあったかもしれない。確かに、源はニヒリズムの克服をニーチェとドストエフスキーをめぐって論ずる卒論を書いているから、そこに西谷の影響を見ることができるかも知れない。
 大学院に進学し、その傍ら出版社に身を置く。編集者と研究者の二重生活は厳しく、結局、研究者の道を選択し、いくつかの研究会の助手や非常勤講師で糊口を凌ぎながら、自分の研究分野を日本思想史へと定めていく。
 さて、源了圓は「京都学派」の一人なのだろうか。西田幾多郎か田辺元、あるいは両者の指導を受けた直弟子、その直弟子から京大で指導を受けた哲学研究者までを含めて「京都学派」と呼ぶならば、源了圓を「京都学派」の一人に数えることも間違いとは言えないが、私はこうした Kyōto-gakuha という呼称の大風呂敷な使い方にきわめて批判的である。それは肯定的であっても否定的であっても同じである。なぜならどちらの場合も非常にイデオロギッシュだからである。
 ろくに原テキストを読みもしないでレッテルを貼りたがる傾向は英語圏の日本哲学研究にとくに著しい傾向であるように私には見えるが、これは偏見であろうか。
 それはともかく、源了圓の業績は、京都学派云々とはまったく独立に評価・検討・継承されるべきであるというのが私の考えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


色彩豊かで典雅な音の絵巻物 ―アレクサンドル・タローによるラモーとクープラン

2023-02-22 10:36:33 | 私の好きな曲

 いくら好きな曲でも、その曲の好きではない演奏(あるいは解釈)はある。その曲が好きであればあるほど、お気に入りの演奏への愛着も深く、それに反した演奏には拒絶反応を示してしまう。そこまで行かずとも、気に入らない演奏をわざわざ聴いてみようとは思わない。そんなCDはお蔵入りするか、売り飛ばすことになる。
 これは上手い下手とは違う問題だ。技術的に完璧でもつまらない演奏もある。逆に、技術的には難があっても、心に響く演奏もある。遠い昔のことだが、教会でいつも奏楽を担当している現役音大生がバリバリ弾いていたショパンのワルツが不愉快になるほどつまらなく、その後に牧師さんの十歳になる娘さんが弾いたたどたどしいモーツアルトのピアノ・ソナタがとても心に染みた。それは弾けるのが楽しくて仕方がないという愉悦感が自ずと表現されていたからだ。
 相手の趣味がよくわっていないと、CDを贈り物にするのはむずかしい。いくら自分が気に入っていても、相手が同じように気に入ってくれるとはかぎらない。もらった方も困る。CDを誕生日プレゼントにもらって困惑したことがある。曲そのものは名曲中の名曲、私も大好きな曲だ。相手もそれを知っている。しかし、演奏がまったく気に入らない。始末が悪いことに、「きっとあなたの気に入るはずだから」と添え書きまで付いている。礼状は書くが、CDは棚で「永眠」することになる。
 曲は好きではないのだが、その曲の演奏は好きだということはあまりないだろう。多くの場合、好きな演奏とは好きな曲の演奏ということだろう。もっとも、曲は特に好きではないが、演奏には聴かせるものがあると認める場合はあるだろう。そのような場合を除けば、私の好きな曲を語るとは、私の好きな演奏を語ることでもある。だからこのブログでは「私の好きな曲」というカテゴリーの中に「私の好きな演奏」も自ずと含まれることになる。
 それまではあまり関心もなく、「聴かず嫌い」とまでは言わないにしても、わざわざ聴こうという気にならなかった作曲家のCDを贈られて、気に入ってしまったという場合はある。昨年そういうことがあった。アレクサンドル・タロー演奏『ラモー : 新クラヴサン曲集』(2001年録音)である。
 ラモーの名前は知っていても、それとして意識して聴いたことはかつてなかった。アレクサンドル・タローのCDは、バッハ、スカルラッティ、ベートーヴェン、ショパンなど、数枚持っているが、作曲者や作品によって、私の好き嫌いがはっきりわかれるピアニストだ。このラモーの演奏はとても魅力的だ。おかげでラモーを「発見する」喜びを得られた。
 ネットでタローの他のCDの情報を見てみると、クープラン作品集 Tic toc choc(2006年録音)はさらに世評が高い。さっそく聴いてみた。素晴らしいを超えている。凄い。「大発見」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピエール・フルニエ&フリードリッヒ・グルダ演奏『ベートーヴェン・チェロ・ソナタ全集・変奏曲集』― 音楽を聴く喜びで心が満たされる

2023-02-21 06:44:36 | 私の好きな曲

 昨日の記事で話題にしたようなわけで音楽鑑賞をより良い音質環境で再開することができたので、「私の好きな曲」(このカテゴリーの記事の中には、むしろ「私の好きな演奏」と題した方が適切な記事も含まれます)について、この機会に聴き直した曲を中心に記事にしておきたいと思う。
 交響曲が嫌いなわけではなく、大好きな曲は少なくないけれども、あまり大きな音量で聴くわけにもいかず、そうするとやはり十分に細部まで味わって鑑賞するには至らず、聴く頻度はそれほど高くない。声楽曲は歌手の声質についての好き嫌いがかなり激しく、いつ聴いてもいいなあと思えるほどのお気に入りは数少ない。よく聴くのは、器楽曲と室内楽曲と小規模な管弦楽曲。器楽曲ではピアノ曲のCDが圧倒的に多い。ついでチェロ。今回購入したマランツの装置とJBLのスピーカーはチェロとの相性が特にいいようだ。
 ベートーヴェンのチェロ・ソナタはどれも好きだけれど、特に有名な三番(作品69)の演奏では、フルニエ&グルダの演奏が一番好きだ。2014年10月19日の記事ですでに話題にしたことだが、そのときは別の話題(いやいややっている採点作業のこと)が中心だったので「雑感」として投稿した。「私の好きな曲」のカテゴリーの記事として、この曲に関する部分だけここに再掲する。

今聴いているのはベートーヴェンのチェロ・ソナタ全五曲(CD二枚組であるから相当な演奏時間であることは言うまでもない)。演奏はピエール・フルニエとフリードリッヒ・グルダ。こういうときには軽快でエレガントで愉悦感のある演奏がいい。ロストロポーヴィチとリヒテルの演奏だと、これはもう大相撲千秋楽横綱同士の優勝がかかった結びの一番のような演奏(特に第三番)で、息抜きとして気軽には聴けない。桟敷席に腰を据えて、固唾を飲んで勝敗の行方を見守るような気持ちで聴かないといけない(そんなこと誰からも頼まれていないが、そんな気持ちになるのである)。同じフルニエだったら、ケンプとの演奏もあって、こっちも巨匠同士ではあるが、演奏者自身が音楽の愉しみを味わいながらの演奏で、決して腹に持たれることのない良い演奏だ。でも、渓流を跳ね泳ぎまわる若鮎のようなグルダのピアノ伴奏が今日の気分には合っている。フルニエはいつだってエレガントな貴公子。

 1959年の録音だが、なんといつまでも新鮮でしなやかで輝かしい演奏なことだろうか。同曲の好演・秀演はあまたあれど、円熟した巨匠と若き天才の一期一会がもたらしたこの名演奏を凌駕する演奏は私にはありそうもない。それでなんの不満もない。今回もまた、この唯一無二の演奏は私の心を音楽を聴く喜びで満たしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モーツアルト『ヴァイオリン・ソナタ集』― ヒラリー・ハーン&ナタリー・シューの仲の良い演奏

2023-02-20 23:59:59 | 私の好きな曲

 このブロクのカテゴリーの中の投稿件数のトップ3は「哲学」「雑感」「読游摘録」で、これだけで全体の八割超を占める。他方、久しくご無沙汰してしまっているカテゴリーもいくつかあるが、「私の好きな曲」もその一つだ。
 ストリーミングで音楽を聞き流すようになったのは Bose SoundTouch 30 を購入して以来のことで、もう六年ほどになるだろうか。机に向かったままスマートフォンで操作でき、CDのような入れ替えの必要もなく、自分で選曲しないからけっこう頻繁に新しい曲に出逢えて、それがお気に入りになったことも少なからずあり、すっかりこの聞き方が習慣になってしまった。
 その反面、今日はどの曲を聴こうかなと数百枚のCDが並ぶ棚を眺め、さんざん迷った挙げ句に一枚のCDを選び、ステレオ装置に正対端座して音楽を聴くことそのことに集中することがなくなってしまった。
 ボーズのサウンドタッチを購入する以前は、二〇〇六年に購入したケンウッドのミニコンポでずっと聴いていた。ストラスブールに越して来る前、パリに八年間住んでいたときは、テレビもなく、この安価な装置でひたすら音楽鑑賞していた。サン・ミッシェル大通りのジーベル・ジョゼフのCDショップには足繁く通ったものだった。
 そのコンポのCDプレーヤーが壊れた。変調は何年か前からあったのだが、とうとうまったくCDを読み込まなくなってしまった。分解して内部のホコリを除去し、読み取りレンズを磨いてみたのだが、やはりだめで、もし使い続けたければ修理に出すしかない。しかし、もともと安価な装置であるから、それに高い修理代をかけるのも躊躇われる。
 新しい装置を買うことにした。コンパクトで高性能な装置を一ヶ月ほど探し、マランツのM-CR612に決めた。それが先週金曜日に届いた。さっそくJBL ES20BK 3way に接続して聴いてみた。驚くほど音質が良くなった。スピーカーのサイズからして重低音の膨らみと奥行きを期待するのは無理だが、高中音域はきれいに出ている。もう少し音質を改善できるかと、スピーカーケーブルをちょっと太めなものに交換した。重低音に少し厚みが出た。室内楽曲、器楽曲、声楽曲についてはこれで不満はない。
 聴くのが楽しくなった。かつてお気に入りだったCDをとっかえひっかえ聴いてみる。以前の装置との音質の差を視覚的な比喩を使って言えば、以前喜んで見ていた名画は実はホコリを被っていて、そのホコリを払うと鮮明な色使いが細部までよく見えるようになったくらいの違いとなるだろうか。
 というわけで、ここ数日、かつてのお気に入りを新鮮な気持ちで聴き直している。今日のタイトルに掲げたハーンとシューの演奏は、この二人きっと仲良しなんだろうなあと思わせる気持ちのよい好演。澄んだ青空が広がり、春遠からずと感じさせる陽光が室内に差し込む午後、軽やかできらきらとした音の彩りを楽しむことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


本人が知らぬ間に密かに準備されていた「予期せぬ」出逢い

2023-02-19 23:59:59 | 読游摘録

 著者について何の予備知識なしにある文章を読んでいきなり心惹かれるということは誰にもあることだと思う。私にとって昨日の記事で話題にしたマリー=マドレーヌ・ダヴィの場合がそうだった。それはまったく予期せぬ出逢いであり、発見である。かねてより彼女のことをよく知っている人たちは、今頃になってようやくかと憫笑するかも知れないが、本人にとっては大きな喜びである。
 曖昧な記憶のままに言及することになるが、音楽評論家の吉田秀和が、自分がすでに知悉している曲について、それを知らない人たちにはその曲を発見する喜びがまだ残されていることを羨むという趣旨のことをどこかに書いていたと思う。それと同じことが書物や著作家についても言える。だから、もっと早くに出逢っていればという一抹の後悔がないわけではないが、逢えてよかったという歓喜はそれを掻き消すほどに大きい。
 ただ、こうも思う。この予期せぬ出逢いも実は本人がそれと知らぬ間に密かに少しずつ準備されていたのではないか、と。というのも、ダヴィの著書のそこここに自分にとって馴染みのある名前を少なからず見出しているからだ。エックハルト、メーヌ・ド・ビラン、ジャン・バリュジ(1881-1953)ジャン・ヴァール(1888-1974)、ガブリエル・マルセル(1889-1973)、ミルチャ・エリアーデ(1907-1986)、シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)、ミッシェル・アンリ(1922-2002)、ピエール・アド(1922-2010)など。
 もともと自分が馴染んでいた精神の「気圏」の中で産み出された著作であるからこそ、はじめて読むのに親近性と懐かしさを即座に感じたのだろう。しかし、それはすでにこちらがすでによく知っていることをそこに見出したような、ほっと安心するような居心地のよさとは違う。自分がかねてより見出したい、たどり着きたいと切願していた表現世界がこんなにも美しく、表情豊かに、広大に、そして深々と繰り広げられていることへの驚嘆と歓喜と感謝を伴っている。
 この精神の「気圏」の中で思索し表現するもので私もありたい。