ああ、一月も今日が最後の日ですね。
さて、昨日の話の続きですが、もっぱら自分自身のために、向後半年間乃至一年以内に扱うことになっている諸テーマをここで整理、というか、ただ単に列挙しておきたいと思います。テーマの順番は、今この記事を書いている机に積み上げられた本の柱のうち、遠くから近くへという順番です。邦訳のあるなしは問わずに、テーマに関係する著者名及び書名のみ挙げます。
モンテーニュと現代(参考文献がありすぎて列挙断念しますが、一書だけ。Pierre Manent, Montaigne. La vie sans loi (Flammarion, « Champs essais », 2021, 1re édition, 2014)。ジャン=リュック・ナンシーのキリスト教の脱構築と瀧澤克己のインマヌエルの哲学(『脱閉域』『アドラシオン』)。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論とラヴェッソンのデッサン論(アンドレ・シャステル、ドミニック・ジャニコー)。非ベルクソン的ラヴェッソン読解(ラヴェッソンのアリストテレス論を鍵として。ドミニック・ジャニコー)。メルロ=ポンティと絵画の対話(ジョアキム・ガスケの『セザンヌ』を中心に)。ドミニック・ジャニコーと知解の協働態。「私」の創造(ヴァンサン・カロー、ヴァンサン・デコンブ、クロード・ロマノ)。ジャコブ・ロゴザンスキーにおける政治的身体(西田の歴史的身体の批判的読解あるいは京都学派の脱構築のために)。哲学の方法としての対話(メルロ=ポンティの場合に即して)。『眼と精神』精読。哲学の慰め或いは慰めの哲学(「涙」を鍵概念として。ボエティウス、ミカエル・フッセル『慰めのとき』、ジャン=ルイ・クレティアン)。現代における自然哲学の可能性(メルロ=ポンティ、ピエール・アド、ジルベール・シモンドン)。自然倫理学・環境倫理学の現在。ジャン=マリー・ギュイヨーの社会哲学・時間論・社会学的芸術論(ニーチェ、九鬼周造、大杉栄)。対話の中の自己同一性(クロード・ロマーノ、和辻哲郎)、崇高と美について(エドマンド・バーク、カント、大西克礼、ジャン=リュック・ナンシー、フィリップ・ラクー=ラヴァルト)、西田哲学の根本概念(特に、自覚と行為的直観の方法論的区別を中心に)、時枝誠記の言語過程説における主体概念(メルロ=ポンティ、リュシアン・テニエール、ヴァンサン・デコンブ)、西欧近代政治思想と日本の近代化(福田歓一、ピエール・マナン)、国民的同一性の創造(アンヌ=マリー・ティエス)、匂いの哲学(シャンタル・ジャケ)、光合成から考える普遍的生命の論理(シモンドン)。リズムの哲学あるいは哲学のリズム(アンリ・マルディネ)。精神の気象学、あるいは内省的日記の誕生(ルソー、メーン・ド・ビラン、ジョルジュ・ギュスドルフ)。
フゥ~、ちょっと列挙してみただけでため息が出てしまいました。こりゃあ、いくらなんでも欲張りすぎ、なんてもんじゃなくて、支離滅裂、ほとんど狂気の沙汰であります。それにこんな提示の仕方では、何が問題なのかわかりませんよね。でも、この列挙をお読みくださった方のうちに何らかインスピレーションが生まれたとしたら、ほんとうに幸甚に存じます。ですから、どうぞご自由にご利用ください。
Ars longa vita brevis.(このあまりにも人口に膾炙したラテン語文の意味するところについての説明はこちらを御覧ください。)