内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

机の上に積まれた本たちをテーマ別に整理してみると

2023-01-31 20:44:15 | 雑感

 ああ、一月も今日が最後の日ですね。
 さて、昨日の話の続きですが、もっぱら自分自身のために、向後半年間乃至一年以内に扱うことになっている諸テーマをここで整理、というか、ただ単に列挙しておきたいと思います。テーマの順番は、今この記事を書いている机に積み上げられた本の柱のうち、遠くから近くへという順番です。邦訳のあるなしは問わずに、テーマに関係する著者名及び書名のみ挙げます。
 モンテーニュと現代(参考文献がありすぎて列挙断念しますが、一書だけ。Pierre Manent, Montaigne. La vie sans loi (Flammarion, « Champs essais », 2021, 1re édition, 2014)。ジャン=リュック・ナンシーのキリスト教の脱構築と瀧澤克己のインマヌエルの哲学(『脱閉域』『アドラシオン』)。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論とラヴェッソンのデッサン論(アンドレ・シャステル、ドミニック・ジャニコー)。非ベルクソン的ラヴェッソン読解(ラヴェッソンのアリストテレス論を鍵として。ドミニック・ジャニコー)。メルロ=ポンティと絵画の対話(ジョアキム・ガスケの『セザンヌ』を中心に)。ドミニック・ジャニコーと知解の協働態。「私」の創造(ヴァンサン・カロー、ヴァンサン・デコンブ、クロード・ロマノ)。ジャコブ・ロゴザンスキーにおける政治的身体(西田の歴史的身体の批判的読解あるいは京都学派の脱構築のために)。哲学の方法としての対話(メルロ=ポンティの場合に即して)。『眼と精神』精読。哲学の慰め或いは慰めの哲学(「涙」を鍵概念として。ボエティウス、ミカエル・フッセル『慰めのとき』、ジャン=ルイ・クレティアン)。現代における自然哲学の可能性(メルロ=ポンティ、ピエール・アド、ジルベール・シモンドン)。自然倫理学・環境倫理学の現在。ジャン=マリー・ギュイヨーの社会哲学・時間論・社会学的芸術論(ニーチェ、九鬼周造、大杉栄)。対話の中の自己同一性(クロード・ロマーノ、和辻哲郎)、崇高と美について(エドマンド・バーク、カント、大西克礼、ジャン=リュック・ナンシー、フィリップ・ラクー=ラヴァルト)、西田哲学の根本概念(特に、自覚と行為的直観の方法論的区別を中心に)、時枝誠記の言語過程説における主体概念(メルロ=ポンティ、リュシアン・テニエール、ヴァンサン・デコンブ)、西欧近代政治思想と日本の近代化(福田歓一、ピエール・マナン)、国民的同一性の創造(アンヌ=マリー・ティエス)、匂いの哲学(シャンタル・ジャケ)、光合成から考える普遍的生命の論理(シモンドン)。リズムの哲学あるいは哲学のリズム(アンリ・マルディネ)。精神の気象学、あるいは内省的日記の誕生(ルソー、メーン・ド・ビラン、ジョルジュ・ギュスドルフ)。
 フゥ~、ちょっと列挙してみただけでため息が出てしまいました。こりゃあ、いくらなんでも欲張りすぎ、なんてもんじゃなくて、支離滅裂、ほとんど狂気の沙汰であります。それにこんな提示の仕方では、何が問題なのかわかりませんよね。でも、この列挙をお読みくださった方のうちに何らかインスピレーションが生まれたとしたら、ほんとうに幸甚に存じます。ですから、どうぞご自由にご利用ください。
 Ars longa vita brevis.(このあまりにも人口に膾炙したラテン語文の意味するところについての説明はこちらを御覧ください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仕事机の上で増え続ける本の山がマジでヤバいことになりつつあるの巻

2023-01-30 23:59:59 | 雑感

 「ヤバい」という形容詞が肯定的な意味で使われるようになったのはいつからのことなのでしょう。ここ二十年くらいのことですか。よくわかりませんが、何でも「ヤバい」の一言で済ませているかに思われるニホンの若者(=バカモノ)の話を聞くと(というか仄聞すると)、正直、悲しくなるのは、私が老人だからでしょう。それは否定しません。でも、そもそも、音としてキレイじゃないよなと思うのですが。まっ、そんなことドーでもいいんでしょうね、ヴァカモノ(=若者+バカモノ)たちには。
 それはともかく、旧来の意味において、つまり「これ、ちょっとマズくねえか」とか「キケンじゃねえか」とか、否定的な意味において、私の今の仕事机は「ヤバい」ことになりつつあります。
 自分から積極的に仕事を引き受けることは一切しないが、ぽちぽちと向こうから入って来る依頼は原則として一切断らないというのが私の基本方針ですが、それでもなんだかんだで複数の仕事を同時進行させなければいけない状況に立ち至り、それらの仕事のために必要な本をスペースがあるかぎり机上に積み重ねるということを昨年暮れから続けていたら、もう二台のノート型パソコンを置く場所以外は堆く積まれた本の「要塞」の中に身を潜めるような格好になってしまったのです。
 それぞれのテーマごとに本を積み重ねていくので高低差はあるのですが、これ以上積み重ねると崩れそうな状態の「山」も出てきて、もうちょっと限界に達しようとしています。これがまた、光景としてはけっこうゾクゾクしちゃうんですけどね(マジ、ヤバくネ、アンタ)。
 それならそれらの本を別の場所に移動させればいいじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、その場所ももうない、と言ったら嘘になりますが、机回り以外はあまり広範囲に本を置きたくないのですね。それでもキャスター付きの小型本棚を二竿一昨年購入して、そこに詰められるだけ本を詰めて、少し机回りがすっきりして、やれやれと思っていたら、先日久しぶりにそのキャスター下の床をモップで拭き掃除していて、「ゲッ」と驚いたのは、本の重みでプラスチック製のキャスターが潰れていたのです(「想定外」の重さだったのね、ゴメンね、キャスターたち)。
 来週の通常授業と日仏合同ゼミが終われば、二週間の冬期休暇(正確には、省エネのためのキャンパス閉鎖週間と正式休暇一週間)に入るので、そのときに少し本腰を入れて蔵書の整理をするつもりです。でないと、これ、マジでヤバい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コンソラティオとしての哲学のはじまりは、悲嘆に暮れる者の眼に溢れる涙を拭うこと

2023-01-29 20:37:48 | 哲学

 「西洋哲学史」あるいはそれに類した科目を選択科目としてただ単位が取りやすいからというだけの理由でさして興味もなく受講した人でも、古代ギリシアにおいて哲学のはじまりは驚き(タウマゼイン)にあるとされたという話はもしかしたら記憶の片隅に残っているかもしれない。
 おそらくその科目を担当された先生は、プラトンの『テアイテトス』のソクラテスの言葉か、アリストテレスの『形而上学』の一節を引用されたことであろう。
 前者に該当する箇所は、「実にその驚異(タウマゼイン)の情こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにないのだ」(岩波文庫、田中美知太郎訳)、あるいは、「つまり不思議に思うこと(タウマゼイン)は、知恵を愛する者に固有の経験だからだ。というのも、これ以外に知恵を愛することの始まりはない」(光文社古典新訳文庫、渡辺邦夫訳)である。
 後者を岩波文庫の出隆訳によって引く。「けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し(フィロソフェイン)〔哲学し〕始めたのである。」
 西田幾多郎は、『無の自覚的限定』(1932年)に収められた論文「場所の自己限定としての意識作用」(初出、『思想』1930年9月)の最後の一文で、「哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と述べている。これはこれで味わい深い。私の博士論文の「バッソ・オスティナート」はまさにこの一文であった。
 『哲学のなぐさめ』の著者ボエティウスは、プラトン哲学に深く傾倒したキリスト教徒であった。幽閉の身で処刑されることを待ちつつ書いた『哲学のなぐさめ』において、突然の人生の転落を悲嘆する「私」の前に出現した女神「哲学」が手ずから「私」にまずしてくれたことは、その衣で「私」の眼に溢れる涙を拭いとることだった。『哲学のなぐさめ』第1巻第二散文を松崎一平訳(京都大学学術出版会、西洋古典叢書、2023年)で全文引こう。

でも」と彼女はいう、「治療の時機です、不平のではなく」。それから両のひとみを凝らしてわたしを見て、断じる、「いったいあなたなのですか、かつてわれらの乳で養われ、われらの滋養で教え育まれて、樫のように堅固な、男らしいこころを身につけたあのひとが。それにしましても、われらは授けました、あなたがさきに放り捨てないかぎり、不敗の強固さであなたを防御する武器を。わたしがわかりますね。なぜ黙っているのですか。恥ずかしさで、それとも呆然自失で、ことばを失ったのですか。恥ずかしさでならばまだしも、わたしの見るところ、呆然自失があなたを押しつぶしたのです」。そして、口がきけないばかりか、舌をなくしたかのように黙しているわたしを見ると、わたしの胸にやさしく手をあてて、いう、「なにも危険はありません。嗜眠病にかかっています。嘘で欺かれた精神の病いに共通の。このひとは自分を、しばし忘れてしまいました。たやすく思い出すでしょう、たしかにわれらを、まえに知っていたのでしたら。それができるように、死すべき事物の雲霧でかすんでいるこのひとの両のひとみを、しばしのあいだぬぐってあげましょう」。こういって、彼女は、涙のあふれるわが両の眼を、衣にこしらえたひだでぬぐいとってくれました。

 「涙を拭う」ことに始まる「なぐさめ」の哲学は、近世・近代の数世紀、忘却の淵に沈んでいた。悲嘆に暮れる者たちのなぐさめ、慰謝、ケア等々、すべて心理学や精神医学あるいは宗教に請け負われてきた現代においても、「なぐさめ」の哲学など、自分たちの研究に忙しい哲学者たちからは一顧だにされることはなかった。
 しかし、本来の哲学の大切な役割の一つは、それらの人たちの言葉にならぬ前の涙に寄り添い、こちらが予め用意した枠組みの中でそれを解釈することなく、立ち直ることを言葉で強いることなく、ただ時至ればその涙を拭い、涙で曇って見えなかった眼を再び見開かせることにある、と私は言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西田太一郎『漢文の語法』(角川ソフィア文庫)― 今月の文庫新刊から

2023-01-28 18:45:28 | 読游摘録

 角川ソフィア文庫や講談社学術文庫の新刊をこのブログではときどき紹介しています。私自身興味がある本についての覚書としてそうしているだけのことで、紹介するからといってどこからも一銭も受け取っていませんし、その紹介記事を読まれた方が紹介された本にご興味を持たれて購入されたとしても、やはり一銭の実入りもありません。
 ただ、「ねぇねぇ、今月の新刊の中にこんな面白い本がありますよ」ってお知らせして(余計なお節介かもしれないですが)、「あっ、それ、面白そう。読んでみようかな」って思ってくださればそれでいいのです。
 さて、今月の新刊の中で私がご紹介したいのは、角川ソフィア文庫の一冊として刊行された西田太一郎『漢文の語法』です。初版は1980年に角川小辞典として刊行された単行本で、それに齊藤希史氏と田口一郎氏が厳密な校訂・解説を加えたのが今回の新版です。
 本書は初級の終えた学習者が漢文読解力をさらに高めることを目的として書かれました。延べ1270にのぼる文例とその訳文が本書の主体です。もっとも基礎的な文型から始まり、徐々に高度な語法へと進んでいきます。上級者にとっても有用な、内容のきわめて充実した高度な指南書であるというのが本書の初版以来の定評です。
 齋藤希史氏の解説は、本書の読み方・活かし方について、読者のレベルと関心と目的に応じて、さまざまに可能な読み方を明快に提示してくれています。その解説の最後に、齋藤氏自身の本書にまつわる若き日の思い出と今回の校訂作業についての感想が記されています。それは単なる思い出や感想であるばかりでなく、学問の基礎は何なのかという問いについてとても示唆的です。

四十年前の初心者が、漢文を少しは読めるようになりたいと一念発起して、手もとにあった原著の文例を白文ですべて大学ノートに書き写したことがありました。それをコピーしたものに句読点を打って、原著と照らし合わせて復習すれば、いくらかは読解力もつくだろうと考えたのです。どれくらい時間がかかったか記憶はさだかではありませんが、とりあえず書き写して、また句読点を打ってという作業はひととおり終えました。復刊のための校訂作業もそれと似たところがあり、没頭しているうちに、いつのまにか時間が経ってしまいました。共同校訂者の田口さんも原著の愛用者で、全ページにわたって詳細な書きこみをした一冊をまた最初からめくり、『漢文の語法』の世界に潜りながら、作業を進められました。ただひたすら読むということに誘う力がこの書物にはあるのでしょう。著者の謹厳かつ熱のこもった読解の実践が読者にも伝わるということでしょうか。

 いまさら漢文が読めたからってそれが何になるの、ましてや齋藤氏が実践した方法をいまあらためて実行することにどれだけの意味があるの、と疑問に思われる方も少なくないかも知れません。しかし、漢文は、古代以来、日本文化の背骨をなしてきたのであり、それをないがしろにすることは、それこそ日本語を骨抜きにしてしまうことにもなりかねません。
 それ以前の問題として、何語であれテキストを読むことにおいて、謙虚かつ厳密であるという姿勢は、人の言葉に耳を傾ける姿勢の要諦とも相通じるものがあります。
 電子媒体で大抵は事が済むというやたらに便利な世の中になってしまって、手間隙かかる手作業を疎かにしがちな私たち現代人は、いつのまにか、言葉に正面から真剣に向き合うための基本中の基本を忘却してしまっているのかも知れません。
 本書(電子書籍版というのがちょっと悲しいのですが)を紐解きながら、そんなことを考えた土曜日の夕暮れでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ボエティウス『哲学のなぐさめ』の待望の新訳

2023-01-27 23:59:59 | 哲学

 松崎一平氏によるボエティウスの『哲学のなぐさめ』の新訳が京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」の一冊として今月二十五日(奥付による)に刊行され、アマゾンに予約注文してあったおかげで、刊行日の二日後の今日日本から届いた。学術的に現在望める最高水準の日本語訳および訳注であろう。
 ボエティウスが参照した古典の参照箇所については、「衒学的といっていいくらい数多くあげている」 Bieler 版に依拠しているが、各左頁にまとめられた訳注には訳者自身による注解も多く、その情報量は膨大である。既存の邦訳を質量ともに圧倒的に凌駕する訳業だ。
 『哲学のなぐさめ』は、全五巻をとおして散文と韻文が交互に現れる韻散混交体である。その散文は、「衒学的でなく、知的で、明晰で、むだのない、おおむね淡々とした、いわば楷書体の文章だ」と訳者は言う。「その雰囲気が伝わるように願いながら、できるだけていねいに訳すことをこころがけた」というのが訳者の姿勢である。この姿勢は学術的な仕事にとってまさに正道だと言えよう。
 韻文に対する細心の注意を払った訳業と詳細な訳注は欧米でもあまり例がないのではないか。その彫心鏤骨さは凡例の四を読めばわかる。その第一段落のみ引く。
 「歌の音楽的な魅力を伝えることは困難だが、視覚的な雰囲気だけでも伝えられたらと考えて、歌を訳すにあたり、対話の一部ということに配慮しながら、① 原詩と行数をそろえ、可能なかぎり語順や意味が原文の行と対応するように、さらに② 行の切れ目があるときには、できるだけ読点を打って訳した。散文詩として訳したが、以上の二つの制約に従うことで、リズム上の制約をとりわけて重要な本質とする韻文に少しだけ倣ったつもりだ。また、いくらかでも歌と散文、歌と歌の関係を考えるヒントになるように、各歌の韻律(リズム)を註でごく簡単に説明した。」
 この後にその韻律の基本単位である音節についてのかなり専門的な術語を用いた説明が続く。
 このような工夫が凝らされた訳は、結果として倒置法を多用することになっており、それに慣れるには少し時間がかかる。
 『哲学のなぐさめ』は中世によく読まれ、聖書について多くの写本が伝わるという。しかし、日本では、その書名は知られていても、よく読まれてきたとは言い難い。その理由について、永嶋哲也氏は、本書の月報に寄せた文章「救済としてのコンソラチオとその裾野の広がり」のなかで次のような興味深い指摘をしている。
 西欧全体がギリシアに憧れた十九世紀、その先頭に立ったのはドイツであった。新古典主義美学の牙城であった先進国フランスに対する対抗心から後発のドイツは、過剰なまでにラテン・ローマ文化を貶めギリシア文化を称揚した。ボエティウスの『哲学のなぐさめ』がかつてほど読まれなくなったのもこのような十九世紀の文化潮流と無関係ではない。そのドイツ文化の影響を強く受けた明治大正の知識人たちは、十九世紀ドイツ文化の「ローマ軽視」を無自覚にそのまま受け入れてしまい、それが現在にまで及んでいる。
 この指摘の当否はともかくとして、西洋哲学思想史上で『哲学のなぐさめ』が果たした役割の大きさを考えれば、やはり西洋哲学思想史上の古典中の古典の一つとして日本においても読まれるべきであろう。本訳業によって、最新の学問的成果に基づいた学術的に信頼の置ける優れた日本語訳が得られたことは、日本における西洋哲学研究にとってまことに慶賀すべきことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「祝祭的」非日常時空間としてのストライキの社会的機能

2023-01-26 23:59:59 | 雑感

 オフィスアワーが始まる午前十時に間に合うように家を出る直前にメールをチェックしたときには特に急を要する案件はなかったのに、それから約30分後に教員室でPCを開いて再度メールをチェックして驚いた。
 今日正午から二時までの授業がある建物が、今年に入って政府が提示した年金制度改革案に反対する学生グループによって今朝から封鎖されているという知らせが大学秘書課その他関係各方面から数通ほぼ同時に届いていたのである。
 幸い教務課の教室管理の責任者が迅速に別のキャンパスの教室を確保してくれたので、学生たちへの連絡も授業開始一時間半前にはでき、正午からの授業は無事行うことができた。
 政府が改革案を提出してから各セクターの組合を中心としてストライキ等反対運動が展開されつつある。先週木曜日19日には全国レベルで大規模な公共交通機関のストライキが行われ、各地でデモ行進が組織された。政府の法案に反対する戦術としてはフランスでは常套手段だが、これだけの規模で行われたのは2018年の大学入学制度改革のとき以来だ。そのときは数週間に亘って大学の主要な建物のいつくかが占拠・封鎖され、後日に補講を行うなど授業にはかなりの影響が出た。
 今回は、現在63歳未満のすべてのフランス人のこれからの生活に直接関わる問題であるから、今後も激しい反対運動が予想される。来週火曜日31日にも大規模なストライキが予定されている。
 私もフランス国家公務員ではあるが、ぎりぎりで今回の改革案の対象にはならないし、私はむしろできるだけ長く働きたいので、多くのフランス人たちの反応は理解できるものの、それに同調する気はないし、定年を延長する方向での改革はいずれにせよ不可避であると考えている。
 私にできることは、ストライキがあろうが教室が封鎖されようが、可能な手段を尽くして、職務である授業を超然と行うことだけである。
 と言っておいた上でのことだが、在仏27年で大規模なストライキに見舞われたことは過去にも数度あるが、その都度しばらく都市機能の一部が麻痺するときに生じるあのちょっと祝祭的な非日常的時空間は嫌いではない。ストライキの結果とは無関係に、その間に味わえる束の間の日常的ルーティンからの解放は、社会に鬱積し爆発寸前の負のエネルギーをあるところまでは発散させることにもなり、その限りにおいて、大規模な暴動を発生させないための「安全弁」としても機能している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジャニコーの「哲学的遺言」― 若者の精神、驚きの感覚、方法論的精確さ、観察における厳密さ

2023-01-25 23:59:59 | 哲学

 ドミニック・ジャニコーが亡くなったのは、2002年8月18日、エズ(Èze)という地中海を望む小さな山頂の村でのことだった。この村はニースとモナコの中間あたりに位置し、コート・ダジュールの海岸から村までは「ニーチェの道」(Chemin de Nietzche)と呼ばれる山道を登っていく(この道の名の由来は、ニーチェが『ツァラトゥストラ』第三部をこの村で構想したことにある)。ジャニコーの死は、この山道を登った後、突然訪れた。64歳だった。9月1日付で四十年近く教鞭を取っていたニース大学を定年退官する直前のことだった。
 ジャニコーの絶筆となったのは、彼が監修した『ノエシス』(Noesis)第6号 Les idéaux de la philosophie の前書き(Avant-propos)の書き出し十行ほどである。しかし、そこにはジャニコーの哲学者としての根本的な姿勢が簡潔かつ感動的な仕方で示されている。全文引用する。

Pourquoi se tourner vers les idéaux de la philosophie ? Qu’on me pardonne de donner d’abord une raison personnelle. À la veille de quitter l’activité professionnelle dans un Département où j’ai exercé pendant près de quatre décennies, j’ai à cœur de laisser à mes successeurs et aux jeunes générations ce modeste testament philosophique : la philosophie n’est pas une discipline ordinaire ; point de philosophie digne de ce nom sans enthousiasme pour ses idéaux et ses inspirations fondamentales : esprit de jeunesse, sens de l’étonnement, précision méthodologique, rigueur dans l’observation.

Un Testament philosophique, textes choisis et présentés par Anne-Marie Arlaud-Lamborelle et Marc Herceg, Nice, LESEDITIONSOVADIA, collection « Chemins de pensée », 2018, p. 218.

なぜ哲学の理想へと向かうのか。まず個人的な理由を述べることを許されたい。四十年近く勤めたこの学科での職業活動を終えるにあたり、私の後任者たちや若い世代に、このささやかな哲学的遺言を残したいと思います。哲学は普通の学問ではありません。哲学の理想やその根本的な閃きに対する情熱、すなわち若者の精神、驚きの感覚、方法論的精確さ、観察における厳密さがなければ、その名にふさわしい哲学は存在しないのです。

 私にとってこの「遺言」がことのほか感動的なのは、ジャニコーはまさにこのような哲学を生涯実践し続けたからである。突然の死に襲われることがなければ、ジャニコーはまだまだ大きな仕事を遺したはずである。それはほんとうに惜しまれる。しかし、彼が遺してくれた諸著作とこの「遺言」は哲学の理想へと向かうように後進を鼓舞しつづけることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジャニコーとギュスドルフの業績を礎石としてフランス・スピリチュアリスムの歴史を書き直すという仕事の意義について

2023-01-24 17:49:37 | 哲学

 2000年にフランスの哲学雑誌の一つ Les études Philosophiques (PUF) でメーン・ド・ビラン特集号が組まれた(Avril-Juin)。その Présentation で Renaud Barbaras は « il resterait à faire une histoire de ce que l’on a appelé hâtivement le spiritualisme français, histoire dont les multiples dimensions sont toutes en germe dans la pensée de Maine de Biran » (p. 146. Souligné par l’auteur) と書いている。フランス・スピリチュアリスムと性急に名づけられたものの歴史はこれから書かれなくてはならず、その歴史の多様な次元は萌芽のかたちでメーン・ド・ビランの思想にすべて含まれているという。原文で spiritualisme français の前に単数の定冠詞 le が付されており、それがイタリックで強調されているのは、それがあたかも一つの主義のように捉えられるかのような表象の仕方を批判的に示すためである。
 この指摘がされてから23年経つが、いまだにその歴史はフランス本国で書かれていないし、他の国でももちろん書かれていない。今後書かれるかどうかもわからない。しかし、ベルクソン化されたラヴェッソンからラヴェッソン自身の哲学へと立ち返るためにも、メーン・ド・ビランからラヴェッソンへの哲学的系譜を書き直す作業は不可欠であろう。
 この作業のための確かな礎石の一つを置いてくれたのがジャニコーの大きな業績の一つだと思う。ジャニコーの仕事を引き継ぐことになるこの系譜の書き直し作業は、単にフランス哲学史の欠落した部分を埋めるという消極的な意義を有するにとどまるものではない。この系譜を、当時のヨーロッパの政治思想史・科学思想史・社会思想史の文脈の中に位置づけることで、哲学がどのように時代の動向と呼応しながら形成されていくのかも見えてくるだろう。
 この仕事のもう一つの礎石は、このブログでも何度か賛嘆の念とともに紹介した Georges Gusdorf の全十三巻(十四冊)からなる Les sciences humaines et la pensée occidentale であろう(こちらの記事を参照されたし)。
 ビランからラヴェッソンへと受け継がれたものとそうでないものを見極めあ、ベルクソンの「先駆者」としてではないラヴェッソン独自の哲学をそれとして捉えるという作業は、単にフランス・スピリチュアリスムの歴史の書き直し(もちろんそれ自体大きな仕事だと思うが)ということにとどまらず、十九世紀ヨーロッパ哲学史を眺望することができるだけの高度をもった一つの観点を構築する作業でもあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『失われた時はもう探さないで』第一篇「ジャニコーのほうへ」(3)― スピリチュアリスムの二つの互い相容れない流れ

2023-01-23 12:32:06 | 哲学

 私の博士論文(2003年、ストラスブール大学哲学部提出)の第三章はメーン・ド・ビランと西田の比較研究にあてられているのだが、その最初の脚注でスピリチュアリスムという言葉を本研究では使わない理由をかなり長々と述べている。
 その第一の理由は、この語が二つの異なった互いに和解し難い二つの思想に適用されているという哲学史的な事実にある。これはアンリ・グイエの次の指摘に依拠している。

« Biran, Ravaisson, Lachelier, Bergson… vues de haut, leurs œuvres tracent une même ligne qui symbolise le mouvement du spiritualisme en France au XIXe siècle. Vu de près, ce mouvement suit deux directions : ici, la spiritualité coïncide avec l’intériorité du vital ; là, elle se définit par une subjectivité radicalement différente de la vitalité. L’anthropologie biranienne inaugure cette seconde tradition : le bergsonisme est l’épanouissement de la première » (Henri GOUHIER, Bergson et le Christ des Évangiles, Paris, Vrin, (3e éd. revue et corrigée), p. 20).

 第一の方向性は、精神性を生命の内面性と同一視する。つまり、人間だけでなく、外界からの刺激によってのみ斉一的に同じ機械的反応を繰り返すだけではないすべての生命体に、それぞれ程度さこそあれ、精神性(=内面性)を認める。それに対して、第二の方向性は、精神性を生物的な反応とは根本的に異なった主観性と考える。
 グイエによれば、この後者を代表するのがメーン・ド・ビランの人間学であり、ベルクソンの生命の哲学は前者の最も発展した形態である。時系列的には、ラヴェッソンの哲学的業績は後者から前者への過渡期のそれに相当する。しかし、ラヴェッソンの哲学をベルクソン哲学への道を準備したという意味での「先駆者」としてのみ位置づけることは、その哲学の可能性を過小評価することになるばかりでなく、その大切な部分を見逃すことになるだろう。
 ラヴェッソンの哲学的企図は、スピリチュアリスムの名の下に一括りにされた和解し難い二つの流れを合流させることにあり、その企図の要になるのがその独特な習慣概念であったと見るべきではないだろうか。そして、そのような独自の哲学の構想を、『習慣論』からほぼ三十年後に書かれた『十九世紀フランス哲学』の中でラヴェッソンは「スピリチュアリスム的な実在論ないし実証主義」(杉山直樹/村松正隆訳『十九世紀フランス哲学』知泉書館、2017年、337頁)と名づけたのではなかったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『失われた時はもう探さないで』第一篇「ジャニコーのほうへ」(2)― ナショナルなものがその根に食い込んでいるスピリチュアリスム

2023-01-22 23:59:59 | 哲学

 ナショナルなものとは何かという問いに答えるためには ナシオン(nation) という概念がいつどこでどのように成立したかをまず確認しておく必要がある。この点について、ヨーロッパ近現代文化史の優れた研究者である Anne-Marie Thiesse の La création des identités nationales. Europe XVIIIe-XXe siècle, Éditions du Seuil, 1999, 2001 がよき案内役となる。

Rien de plus international que la formation des identités nationales. Le paradoxe est de taille puisque l’irréductible singularité de chaque identité nationale a été le prétexte d’affrontements sanglants. Elles sont bien pourtant issues du même modèle, dont la mise au point s’est effectuée dans le cadre d’intenses échanges internationaux.

 ナショナルな同一性はインターナショナルな関係(とりわけナショナル間の緊張・葛藤・闘争)を通じてしか形成され得ない。ヨーロッパという特定の地域での複数のナショナルな同一性は、その地域のナシオン同士が一つのモデルを共有する限りにおいて、それぞれに異なった同一性として形成されうる。この同一性は、しかし、それぞれのナシオンの長い歴史のなかで徐々に形成されたものではない。

La véritable naissance d’une nation, c’est le moment où une poignée d’individus déclare qu’elle existe et entreprend de le prouver. Les premiers exemples ne sont pas antérieurs au XVIIIᵉ siècle : pas de nation au sens moderne, c’est-à-dire politique, avant cette date. L’idée, de fait, s’inscrit dans une révolution idéologique. La nation est conçue comme une communauté large, unie par des liens qui ne sont ni la sujétion à un même souverain ni l’appartenance à une même religion ou à un même état social. Elle n’est pas déterminée par le monarque, son existence est indépendante des aléas de l’histoire dynastique ou militaire. La nation ressemble fort au Peuple de la philosophie politique, ce Peuple qui, selon les théoriciens du contrat social, peut seul conférer la légitimité du pouvoir. Mais elle est plus que cela. Le Peuple est une abstraction, la nation est vivante.

 ナシオンは、一部の人たちがその存在を宣言し、それを証明しようとするときに誕生する。その最初の例は十八世紀以前には遡れない。それ以前には、近代的なナシオン、つまり政治的な意味でのナシオンは存在しなかった。ナシオンという政治的概念の誕生そのものが政治史及び政治思想史における近代への転換点である。
 十九世紀から二十世紀前半にかけてのフランスのスピリチュアリスムがアングロサクソン系の物質主義やドイツ系の観念論に対して批判的に対抗するために形成されたことと政治的概念である ナシオンの形成とは、単に共時的であるだけなのであろうか。前者は後者を前提としているとまでは言えなくても、スピリチュアリスムにはナショナルなものが含まれているとは言えるのではないか。そのことをジャニコーは Ravaisson et la métaphysique の冒頭で言おうとしていたのだと考えると腑に落ちる。
 スピリチュアリスムの系譜に連なる哲学者たちがそのことを自覚していたとは限らない。むしろ自覚されていない場合のほうがナショナルなものへの執着は強くなることもあるだろう。
 仏語版 Encyclopædia Universalis の spiritualisme の項はドミニック・ジャニコーが執筆している。その記事の中でジャニコーは、古代ギリシア哲学、特にプラトンの哲学をその淵源として示しているが、これは精神を物質に対して優位に置くすべての哲学に当てはまることで、スピリチュアリスムはその学説としての曖昧さゆえにその起源を特定することはできないとも述べている。中世から近世にかけても、ある点においてフランス・スピリチュアリスムとの共通点を指摘できる哲学説はあるにしても、その起源として特定できるような哲学はない。
 同記事のラヴェッソンの哲学を紹介する節で、ジャニコーは、次のように述べている。

Comme le plus souvent dans l’histoire des idées, l’évolution ne s’est pas faite à partir d’un débat fondamental, mais en fonction d’une réaction de circonstance dirigée contre le matérialisme du XVIII siècle.

 西洋哲学史という枠組みの中でも、フランスのスピリチュアリスムは十八世紀ヨーロッパを席巻した物質主義へ対抗する哲学思想として形成されたという説明は成り立つ。しかし、上に見たようなナショナルなものが、一見「非政治的な」の哲学思想の形成にとって不可欠とまでは言えないにしても、その根に食い込んでいることは見逃してはならないと思う。