猛暑が帰ってきました。「お帰りぃ~、元気だったぁ?」なんて誰が言うか。意地でも「暑いぃ~」とは言いません。涼しい顔して滝のような汗を流しながら、集中講義に行ってまいりました。今年は登録学生がたったの二名であることはすでにお知らせしましたね。この暑さですからね、その二名も行く気をなくして「や~めた」って放棄するかもしれない、つまり出席者零名の可能性も想定しつつ(その場合、給料はどうなるのだろうか?)、照りつける太陽の熱を心頭において滅却しつつ、キャパスへの坂道を登ったのであります。
コピーを取るために教員控室には授業開始一時間半前に入り、コピーを取り終えてから、原書と訳書とを見比べながら最後の準備をいたしました。そして、授業開始の午後一時の二分前に演習室の前に立ちました。演習室の扉には外から中の様子が見えるように真ん中あたりに小さな長方形の窓があります。そこから一人座っている人の背中が見えます。「おお~、神は我を見捨てなかった」とはつぶやきませんでしたが、少しホッとして扉を開けました。その座っていた学生は大柄な男子学生でした。TAも来ていました。でも、彼女は博論の仕上げに入っている他大学の博士課程の学生でかつ別の大学で非常勤もしていますから、いわばこちら側の人間です。
その男子学生にもう一人の登録学生について何か知っているかと聞くと、昨年度休学して今年度復学したようだが詳しいことは知らないとのことでした。つまり、今年の履修生は事実上たった一人ということです。彼には、五日間休まないよう懇願、いや、厳命しました。本人には言いませんでしたが、それだけで単位に値する、いや、Aをあげちゃってもいい、と思っています。
というわけで、今年の演習は三人で行います。しかもTAは都合で中日第三日目を休みますから、その日はマン・ツー・マン演習です。これでも私に給与を払ってくれる大学に心より感謝いたします(これって、学生側からしたら、超ゼータクじゃね?)。
もちろん、相手が一人だろうと私のテンションは下がりません(てか、それって暑さのせいじゃねえの?)。というわけで、昨年までと同様、演習初日の今日、私はしゃべりまくりました。休憩のチャイムも無視して話し続けていたら、TAが「先生、休憩を」とレフリーストップをかけたので、ようやく私の舌は動きを止めました。
休憩後、また話し続けました。しかし、やはり相手が二人だけということで私も気が緩んできて、縦横無尽に脱線し始め、本線に戻るのが困難になってしまいました。そこでTAが気を利かせて、死刑制度を修士論文のテーマとしている男子学生に質問をしかけ、それをきっかけに彼もよく話し始め、おかげで大変興味深いを彼から聞くことができ、最後は私がその話をちゃんと演習テーマに繋いで(この辺がプロフェッショナルよね)、初日は時間となりました。
今日の演習後から、彼には毎日ミニ・レポートの提出が課され、しかも明日からは毎日対象テキストの要旨報告、最終日には演習で学んだことと自分の研究テーマとをリンクさせたミニ発表も要求されます。彼に逃げ道はありません。残り四日間、ほとんど苦行に近い演習に耐えることが求められています。
明日から五日間の集中講義が始まる。その前に済ませておきたいことが一つあった。それは先月苦しめられた歯痛の原因を歯科に行って突き止めてもらうことだった。
幸い長年家族ぐるみでかかりつけのデンタルクリニックがある。母子でやっている。そこに電話したら、午後空き時間があるからすぐに来るように言われた。息子の方は、彼が小学生のころ家庭教師をしていたことがあり、それから三十年数年経った今でも当時と同じく私のことを「A先生」と下の名前で呼ぶ。その彼のことを私も「A先生」と下の名前で呼ぶ。当時と違うのは、かつては「君」だったのが「先生」になったことである。
丁寧に診てくれた後、考えられる原因について詳しくかつわかりやすく説明してくれた。私も細かに症状を説明して、原因も特定でき、それに対する日頃の心がけもアドヴァイスしてもらった。原因は、要するに、歯を無意識のうちに過度に噛みしめていて、それが奥歯に負担を与え、神経が炎症を起こし、それが痛みと奥歯が隆起したかのような感覚を与えているということであった。だから、意識してそれを避け、顎をリラックスさせること習慣づけるという認知行動療法に基づいたアドヴァイスを受けた。その後、若干の処置をしてもらって、一週間様子を見て、来週月曜日にまた診てもらうことにした。
持つべきものは良き歯科医である。
一つも間違いのない翻訳書というものはまず存在しない。たとえ最良の翻訳者によるものであっても、間違いがないということはありえないと言い切っていいだろう。
原書が大部であればあるほど、間違いの数も増えてしまうのは止むをえない。ましてや原書そのものが難解であり、文の構造も複雑である場合は、さらに間違い箇所が増加する。翻訳作業に掛けることができる時間が制約されているとき、ケアレスミスや訳し落としなどもほとんど不可避的に発生してしまう。校閲に十分な時間が取れないときに見逃されてしまうミスもある。共訳の場合、訳者間の訳語・文体の統一もやっかいな問題になることは自分にもその経験がある。
翻訳書は、その原書が読めない人たちこそそれを必要としている。原書がある程度読みこなせる語学力があれば、訳に不審な箇所があれば、自分で確かめることができる。もちろんそれだけ時間が掛かるわけだし、読書の愉しみも削がれてしまう。それに、その確認作業の結果、信頼できない訳だとわかってしまえば、以後不信感が先に立ってしまって、もうその先を読み続ける気にはなれないだろう。
原語がまったく読めない場合は、翻訳書に全面的に頼らざるを得ない。だから、それらの人たちに対して翻訳者は原書の真意を訳によって伝えるという責務を負うことになるはずである。これは容易ならざる責務である。原文にただ「忠実」であろうとし、あまりにも読みにくい訳文になってしまっては、たとえ間違いはなくても、読んでもらえないだろう。かと言って、わかりやすさを優先して、原文の構造から離れすぎては、「不実」になってしまう。
翻訳は、原文の細部への持続的な注意と訳の選択肢間の葛藤に耐える意力と不可避的な間違いの可能性についての謙虚な自覚とを継続的に要求される作業であるとつくづく思う。
昨日、搭乗直後、荷物を上の収納棚にしまい窓際の座席に着こうとしていると、「Monsieur K」と私の名を呼ぶ女性の声が背後から聞こえてきた。通路側を振り向くと、五年前前任校で教えていた学生の一人が笑顔で立っている。その子の名前を思い出したので、「Sさんだね?」と確かめてみたらそうだという。五年前の夏、彼女も含めた十数名の学生を日本の提携大学での三週間の夏期日本語研修のために引率した時以来だ。まさか同じ飛行機でしかも座席が隣り合わせになるとはねと、思いもかけぬ再会を互いに喜び、しばらくお互いの近況などについて話す。大学を卒業してからは、契約社員としてさまざまな仕事を経験し、今は保険会社の顧客相談員として働いているという。その間に結婚もしたとのこと。日本への個人旅行はこれが二度目。東京の知り合いのところに二週間あまり世話になるという。ソウルにも二度行ったことがあるとの話。
友人が迎えに来るという彼女と羽田で別れて、こちらはリムジンバスで渋谷に向かう。台風上陸目前でかなり強い雨脚の中、土曜日ということもあり空いている高速を快適に飛ばすバスはわずか四十分あまりでセルリアンタワーに到着。そこまで迎えに来てくれていた妹の車で妹夫婦の家へと向かう。覚悟していた酷暑も台風の影響で小休止中、すべてが順調で快適な往路でありました。
この記事は、ストラスブールからシャルル・ド・ゴール空港に向かうTGVの中で書いている。今日夕方の便でこちらを発ち、明日昼過ぎに羽田に着く。
「災害レベルの暑さ」が待っている東京に帰るわけである。しかも、来週火曜日から土曜日まで、毎日午後一時から六時まで、集中講義をするんである。滞在先の妹夫婦の家から大学まで、地下鉄を乗り継ぎ、小一時間かけて通うことになる。
今年の登録学生は極端に少なくて、わずか二名である。それにTA一名が加わる。まあ、暑さに負けず、冷房がガンガンきいた演習室で楽しくやりましょう。
それに、絶妙のタイミングというか、二週間前にシモンドンの『個体化の哲学』(法政大学出版局)が刊行された。これでフランス語が全然読めない学生でも、現代フランス哲学の巨峰の一つにアタックできるようになった。拙者がガイドを務めさせていただく。
十六世紀スペインの神秘思想家十字架のヨハネ研究において必読文献の一つである Jean Baruzi, Saint Jean de la Croix et le problème de l’expérience mystique, Salvator, 1999 (réédition de la deuxième édition de 1931 dite « revue et augmentée ». 1re édition, 1924) は、小さな活字で行間も狭い頁組みで八百頁を超える大著である。それが今私の前、机上の書見台の上に置かれている。著者の他の論考には、L’intelligence mystique, Berg International, coll. « L’Ile verte », 1985 や 1933年にPUFから出版された Ravaisson, De l’habitude の序論などで触れてはいたが、Baruzi の主著はなんといってもこの十字架のヨハネ研究である。
博士論文として書かれた原著は、その出版前から評判になっていたという。出版されるとすぐにカトリック思想界の重鎮たちから総攻撃を受ける。その急先鋒の一人がジャック・マリタンだった。それらの攻撃を一言でまとめれば、十字架のヨハネの神秘思想の認識理論面だけを誇張し、実践面を不当に軽視しているということになる。
しかし、Baruzi にしてみれば、もちろん恣意的にそのようなアプローチを採用したわけではない。
Sa pensée est précieuse en ce qu’elle est encore plus qu’une mystique proprement dite une logique de la mystique. [...] On peut dire en effet que St Jean de la Croix nous apporte une critique de l’expérence mystique (Bulletin de la Société Française de Philosophie, 25e année, 1925 III, IV, p. 26, cité dans Frédéric Nef, La connaissance mystique, op. cit., p. 132).
Baruzi は、単なる神秘経験ではなく、神秘経験に固有の論理を十字架のヨハネのテキストの中に読み取ろうとしているのである。著者の探究は、メタ神秘学、つまり自己批判契機を内在させた神秘学が十字架のヨハネの神秘思想の核心であると主張するところまで徹底化される。
この徹底した批判的知解の学的情熱が Baruzi の十字架のヨハネ研究を不朽の名著にしている。
昨日の記事の最後に引用したエティ・ヒレスムの日記の一節の前半がマイスター・エックハルト独語全著述仏訳一巻本の編訳者である Éric Mangin 氏の Maître Eckhart ou la profondeur de l’intime, Éditions du Seuil, 2012 にエピグラフとして掲げられている。
美しいフランス語で綴られたこのエックハルト研究については、2016年8月25日の記事から四日間に渡って取り上げた。著者とは、その直後の8月30日にストラスブール大学神学部での博士論文の審査員としてご一緒する機会があった。そのときのこともやはり同日付の記事で話題にした。
7月12日の記事からずっと神秘経験についての記事を書き続けているが、エックハルトに直接言及するすることはなかった。しかし、これら一連の記事を書き始めるきっかけとなった Frédéric Nef, La connaissance mystique, Cerf, 2018 の中でも、エックハルトにはしばしば言及されている。
ただし、ネフ自身は、同書のテーマからすればエックハルトの扱いがその中で比較的軽い理由として、すでに優れた先行研究(その中にアラン・ド・リベラの諸著作と並んでエリック・マンジャン氏の上掲書が挙げられている)があることと、彼自身がエックハルトを神秘家(un mystique)としてよりも神秘主義的哲学者(un philosophe mystique)と考えていることを挙げている(F. Nef, op. cit., p. 405. この点、私は同意できないが、これについて論ずることは別の機会に譲る)。
私自身は、神秘経験あるいは神秘主義全般に興味があるというよりも、キリスト教文化圏における神秘主義史の中の幾人かの神秘家に特別に大きな関心を持っている。それは普遍的体系を構築しようとする意志が「内破」する契機を歴史的文脈の中で捉えるというより大きな学的関心から来ている。
その中でも、エックハルトは、二十二年前に留学生としてストラスブール大学に来る前から読んでおり、ストラスブールと直接的な結びつきもあるだけに、私にとってかけがえのない思想家の一人であることは拙ブログでも繰り返し述べてきた(例えば、2014年9月14日の記事を参照されたし)。
諸々の雑事をそれとして理由の順序に従って粛々と処理しつつ、それらから脱却して再びエックハルトに立ち戻る時が到来している。
エティ・ヒレスム(Etty Hillesum, 1914-1943)というオランダ南部ゼーランド州生まれのユダヤ人女性のことを覚えている日本人は今どれくらいるのだろうか。アウシュヴィッツ強制収容所で亡くなるまでの二年間に彼女がアムステルダムで綴った日記は、1981年にオランダで出版されると、たちまち欧州で大評判となった。
その邦訳(大社淑子訳)も『エロスと神と収容所 エティの日記』というタイトルで朝日選書の一冊として1986年に出版された。現在、版元品切れ・再版未定となっているが、朝日新聞出版のサイトには今でも本書の紹介頁があり、その宣伝文句は、「アウシュヴィッツで死んだ若いユダヤ人女性がナチ占領下のアムステルダムで綴った日記。豊かな文学的素養を備えユング派心理学者を恋人とした女性の、神との対話、愛の探求、時代の証言者たらんとする姿勢が深い感動を呼び、各国で大反響」となっている。
原本初版出版五年後の1986には、エティ・ヒレスムがヴェステルボルク通過収容所から身近な人たちに送った書簡集が出版され、その三年後の1989年には、その邦訳『生きることの意味を求めて―エティの手紙』(大社淑子訳、晶文社)も出版されている。だが、こちらも今では絶版。アマゾンでは18000円という高値が付けられている。
英訳は現在も出版されている。定価はやや高めだが。仏訳は、日記と書簡集を合本にしたペーパーバック版 Une vie bouleversée. Journal 1941-1943 (suivi de Lettres de Westebork), Seuil, coll. « Points », 1995 が今も普通に販売されている。しかもわずか7€90で。私が持っているのもこの版。
この Une vie bouleversée が Michel Cornuz, Le ciel est en toi の第二章第一節で、非宗教的神秘経験の探求の例として詳しく紹介されている。エティの日記には、制度化された特定の宗教に固有の概念・言説に頼ることなく、自らの内面的省察が日常の様々な出来事(そこにはやっかいな男女関係も含まれる)と切り離し難い仕方で綴られている。
Mardi 26 août au soir. Il y a en moi un puits très profond. Et dans ce puits, il y a Dieu. Parfois je parviens à l’atteindre. Mais plus souvent, des pierres et des gravats obsturent ce puits, et Dieu est enseveli. Alors il faut le remettre au jour.
Il y a des gens, je suppose, qui prient les yeux levés vers le ciel. Ceux-là cherchent Dieu en dehors d’eux. Il en est d’autres qui penchent la tête et la cachent dans leurs mains, je pense que ceux-ci cherchent Dieu en eux-mêmes (Etty Hillesum, op.cit., p. 55).
8月26日(火)夕刻。私のなかにはとても深い井戸がある。その井戸の中に神がいる。ときにそこにたどり着ける。でも大抵は石ころや瓦礫がその井戸を塞いでしまって、神は埋め込めらてしまう。だったら、また神を日の下に出してあげないと。
目を空に向けて祈る人たちがいる。その人たちは神を自分たちの外に探す。他方、頭を垂れ、頭を両手の中に隠す人たちがいる。彼らは神を自分たち自身のうちに探しているのだと私は思う。
昨日紹介した本 Michel Cornuz, Le ciel est en toi. Introduction à la mystique chrétienne は、その主たる考察対象がキリスト教史における神秘経験および神秘主義であるが、その考察の第一段階として、「前神秘(主義)的経験」(« Les expériences pré-mystique »)について一章が割かれている。そこでは、まだ特定の宗教的教義によって解釈・組織化される以前の、いわば「野生の神秘経験」(« La mystique sauvage »)が取り上げられている。
この言葉は、Michel Hulin の La mystique sauvage. Aux antipodes de l’esprit, PUF, coll. « Quadrige Essais Débats», 2008 (1re édition, 1993) をその出典としている。本書は、Pierre Hadot, La philosophie comme manière de vivre. Entretiens avec Jeannie Carlier et Arnold I. Davidson, Livre de Poche, coll. « biblio essais », 2004 (1re édition, Albin Michel, 2001) で Hadot が称賛している本である(p. 27-28)。
この野生の神秘経験にとっての本質的感情が「海洋的感情」(« le sentiment océanique » )である。この言葉は、ロマン・ロランが一九三〇年代初頭にフロイトと交わした往復書簡の中で用いた言葉である。Michel Hulin は、この感情を巡るロランとフロイトとの間の理解の隔たり、というよりもフロイトのそれに対する躊躇いと感受性の欠如を浮き彫りにしながら、「海洋的感情」を次のように規定する。この一節は、部分的に上掲の Hadot の対談集でも引かれている。
Ce qui domine alors, c’est l’intensité du sentiment d’être présent ici et maintenant, au milieu d’un monde lui-même intensément existant, auréolé d’un éclat particulier, saturé de valeurs, prégnant de toutes sortes de qualités éminentes. Bien plus qu’une mythique confusion entre le Moi et le non-Moi, c’est le sentiment d’une co-appartenance essentielle entre moi-même et l’univers ambiant qui s’y déploie (M. Hulin, op. cit., p. 67-68).
海洋的感情とは、それ自体強烈に実在している世界の只中で、自分が今ここに存在しているという感情である。その感情は、特別な輝きに包まれ、価値に溢れ、あらゆる種類の卓越した質を孕んでいる。それは、〈我〉と〈非我〉との神話的な混同などではなく、我自身とその周りに繰り広げられる世界との間の本質的な相互内属の感情である。
昨日の記事で紹介した本の著者 Jean-Pierre Jossua が序文を寄せている Michel Cornuz, Le ciel est en toi. Introduction à la mystique chrétienne, Labor et Fides, 2001 は、プロテスタント改革派教会の牧師でもある神学者が率直明快かつ抑制された文章によってキリスト教神秘主義の問題に取り組んだ好著である。
著者は、キリスト教神秘主義に対してとかく無関心あるいは敵愾心を懐きがちのプロテスタント側の信者たちに向けて、キリスト教固有の神秘経験とは何であり、また何ではないかを明確化し、神秘家たちの文章から何を学ぶことができるかを、神秘家たちのテキストに丁寧にコメントを加えながら、前神秘経験、内面の道、祈りの中の離脱、実生活の中での離脱、暗夜における神との出会い、神秘的合一、実践における脱自など、細かく順序立てて説明していく。
序論では、昨日の記事で引用したのと同じ箇所を引用した後、その一文一文を解きほぐしているが、その段落の最後に著者が付け加えている一言が本書の最終目的をよく示している。
Il faudrait ajouter que, en perspective chrétienne, cette union conduit à une transformation radicale de celui qui la vit pour un nécessaire retour au monde (M. Cornuz, op. cit., p. 17).
ここでの union とは、言うまでもなく、神との合一のことである。しかし、キリスト教信仰においては、それ自体が最終目的なのではなく、いわばそれを決定的転回点として、この世界に還って来て、そこで働かなくてはならないというのが著者の主張である。神との合一を目指す離脱と放下が信仰の往相であると言えるのなら、この世界への帰還とそこでの働きはその還相であると見なすことができるだろう。