内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

すべての人にとって同じ内なる精神的宇宙 ― ルイ・ラヴェルからジンメルへ

2013-10-31 04:23:00 | 哲学

 今日(30日)ずっとGeorg Simmel の Philosophie de la modernité (Payot, 2004) を読んでいた。この本は、9月1日の記事でジンメルのことを紹介した時に引用した。同書は1989年に二分冊で出版された旧版を一巻にまとめたものなので、仏訳者である Jean-Louis Vieillard-Baron による序論は、第一部と第二部とにそれぞれ置かれているのだが、どちらも40頁ほどあり、実に行き届いた懇切丁寧なジンメル哲学の紹介になっている。その中で、訳者は、19世紀から20世紀にかけての哲学思想史の中にジンメルの哲学を位置づけつつ、その特異性を浮かび上がらせようとしている。ベルクソンとの比較が頻繁に出てくるのは、両者が20世紀哲学史の中で「生の哲学」というレッテルでしばしば一緒に括られてきたことから、まったく当然のことだが、訳者はむしろ両者の決定的な違いの方を明確にしようとしていて、その論述はとても示唆に富んでいて教えられるところが多い。他方、ルイ・ラヴェルが引用されていたのは、ちょっと意外だったので、私の注意を特に引いた。それは、〈私〉の構想における個体性と普遍性の関係を問題にしている箇所でのことなのだが、訳者によると、ラヴェルの中にこの関係の正確な例証が見られるとして、ラヴェルの三つの著作からそれぞれ短い一節を引用しながら、その点について以下のように説明している。

意識は、「私たちそれぞれの中で揺れ動き、震え、欲望し、苦しむこの個別的存在」を私たちに現前させる。「しかし、それを自覚することは、その存在と自己同一化することを止めることである」(La Conscience de soi, Paris, L’Artisan du Livre, 1946, p. 6 ; Grasset, nouvelle édition précédée d’une préface de l’auteur, 1951, p. 19 ; Christian de Bartillat, 1993, ibid.)。そして、精神のそれ自身に対する内密性をよく知るとき、それは個別的でありかつ普遍的である一つの現実を私たちに開示する。「自身の内密性を打ち明ける者は、自分自身について語るのではなく、その者が内に抱いており、すべての人にとって同じ精神的宇宙について語っているのである」(L’erreur de Narcisse, Paris, La Table Ronde, 2003, p. 57)。ここでは、だから、個人の運命が、近代の個人主義の只中にあって、実存の宇宙への登録として、すべての人にとって同じ精神的宇宙への登録として考えられているのである。ラヴェルが「形而上学の独自性は、私たちに精神的内密性の普遍性を発見させることである」(De l’intimité spirituelle, Paris, Aubier, 1955, p. 111) と書くとき、それは、ジンメルの偉大な形而上学概論『生の直観』への導入の役割を果たすことができるだろう。このジンメルの著書は、1925年にウラジーミル・ジャンケレヴィッチがその紹介論文を書くことになるが、当時ジャンケレヴィッチはプロティノスとベルクソンの思想にすっかり沈潜していた(Simmel, op. cit., p. 49)。

 個別的存在であるこの〈私〉の精神の内密性において開示される、「すべての人にとって同じ精神的宇宙」という思想が、ヨーロッパ思想の過去の遺産として祀られているのではなく、今に継承されるべき生きた思想と受け止められていることは、ジンメル、ベルクソン、そしてルイ・ラヴェルが今日また新たに読み直されているという事実がよくそれを示している。












思索の炎を点火する ― 話し言葉の時間性について

2013-10-30 02:27:00 | 哲学

 午前中、『下村寅太郎著作集』第12巻に収録されている田辺元についての思い出を語っているエッセイをすべて読んだ。これは田辺に限ったことではないけれど、傑出した人物を師として、その人に親しく接していると、その著作を読んだだけでは得られない何かが伝わり、それは必ずしもうまく言葉にできない場合もあるけれども、自分の学問、いやそれにかぎらず、自分の人生そのものにとって掛け替えのない教えを受けることになる。下村の場合は、西田からも田辺からもそのような決定的な教えをうけたことが両者についてのエッセイを読むとよくわかる。これはこの二人に親しく接した弟子たちすべてに共有されている経験だと言っても言い過ぎにはならないであろう。これはどういう経験なのだろうか。「謦咳に接する」という表現があるが、それよって尽くされるような事柄でもないと思う。
 午後は、1985年にラジオ放送された最晩年のジャンケレヴィッチとの対話と生前最後のノートが収められた VLADIMIR JANKELEVITCH Qui suis-je ? (La Manufacture, 1986) を読んだ。その中に上記の問いに対する答えのヒントになるような一節を見つけた。
まず対話の冒頭でジャンケレヴィッチはこう言う。

「私の仕事の本質的なものは口頭表現に属するものです。」

それに対して対話者が、それにしても随分たくさんの本を書いているではないかと反問すると、

「それはそうですが、それでもなお、教育という職業柄からして、私は口頭で表現した哲学者に変わりはないのです。」

そしてこう続ける。

「私の表現手段は話すことです。本質的にそうです。私は教師です。作家ではありません。そこには重要な差異があります。確かに私は本を書きました。しかし、それでもなお文筆家ではないのです。私の仕事は書くことではない。書くことは、今日では、作家を思わせるでしょう。私の時代には、書くことは学校の子どもたちについて言われていたことです。きれいに書くこと、これは私の分野ではありません。私の分野は、むしろ話し言葉に属するのです。話すことで伝えること、私はこれをもっとも大切にしてきたのです。」(同書65頁)

 西田や田辺はこのジャンケレヴィッチの発言には必ずしも同意しないだろうが、彼らもまた、書かれた論文によってではなく、弟子たちに直接話すことによって何かとても大切なことを伝えたことにはかわりない。しかし、それは論文には書かれなかった、もっと自由な発言とか発想が話の中では出たということとも違う。では何が伝わったのか。あるいは何が話す者と聴く者との間に共有されたのか。
 それは、実際に話されることによって生きられている思索の時間性の経験ということなのではないかと私は思う。この時間性は、話す者と聞く者との間に共有される時間性としてのみ経験されるもので、たとえ忠実な再現であったとしてもそれが文字として定着されてしまうと、それを読んだだけではもう再現不可能なものなのではないだろうか。
 このように考えたのは、同書の巻末に収めれたたジャンケレヴィッチ最後のノートの中の次の一節を読んだからである。

時間は把捉しがたいものの中の最も把捉しがたいものというだけではない。なぜなら、それは、生成であるかぎり、存在のうちの矛盾せるものそのものだからである。つまり、私たちが少しでも生成を定義しようとでもすれば、たちどころにその生成はもう別物になっているということである。生成は、本質的に不安定なものなのだ。生成について私たちが言うことができることは、あまりにもすべてなんらかの支えに依っており、突然に刻印を押されでしまっており、時間を文法的なごく瑣末な限定の中に固定化しないではおかないからだ。何よりもまず、時間はモノではない、res ではない。このもの、あのものではない。時間は、「それ自体何なのか」という問いには答えない。ましてや、「時間は何からなっているのか」という問いには答えない。時間は、通約可能な持続同士の比較のためには役立ち、共通の尺度の上にそれらを互いとの関係で評価するには役立つ。しかし、それらの持続の内在的な本性については、それらが表象する解き難い謎については、時間は何も語ってはくれない(同書129頁)。

 このような言語による一切の固定化を逃れて遊動する時間性が、思索の運動そのものである話し言葉の動きを通じて共有されるとき、その経験は聞き手の精神に思索の炎を点火すると言えるのではないだろうか。











 


時間の秩序から解放された人間 ― 九鬼周造の時間論についての覚書

2013-10-29 03:31:00 | 哲学

 九鬼周造が1928年にフランスのポンティニーでフランス語でした二つの講演のうち、後者の原題は « L’expression de l’infini dans l’art japonais » であるが、岩波の『九鬼周造全集』第一巻には仏語原文とともに坂本賢三による日本語訳も収録されており、その邦訳タイトルは「日本芸術における「無限」の表現」。この講演には日本の芸術表現の例証として芭蕉の句がいくつか引用されている。次の一句は、日本の詩に見出される循環する時間の理念の例として引かれている。

橘やいつの野中のほととぎす

 『芭蕉全句集』(雲英末雄・佐藤勝明訳注、角川文庫、2010年)には、「花橘の香が漂う中に聞く時鳥の声。いつだったか、どこかの野中でこれと同じ経験をした気がする」という訳が付けてあり、九鬼の解釈もそれとほぼ同様である。ところが、九鬼は、その直後に「次のような注釈を加えることを許されたい」と言って、プルーストの『失われた時を求めての』の第七編『見出された時』から以下の引用をする(訳文は坂本賢三訳をそのまま使う。その他の邦訳が手元にないので比較検討することはできなかった)。

かつて既に聞いたことのある一つの音また嗅いだことのある一つの香が、現実ではないのに実在的、抽象的ではないのに観念的なものとして現在と過去の内に同時によみがえるとき、たちまち、平常は事物の内に隠されている永遠の本質が開放され、時には長く死んでいたように思われながら実は死んでいなかった我々の真の自己が目覚め、もたらされた天上の糧を受けて生き生きとなる。時間の秩序から解放された一瞬が、それを感じるために時間の秩序から解放された人間を、我々の内に再創造したのである。

 九鬼の講演では当然原文がそのまま引用されたわけであるから、その原文も以下に掲げる。

Mais qu’un bruit, qu’une odeur, déjà entendu ou respirée jadis, le soient de nouveau, à la fois dans le présent et dans le passé, réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits, aussitôt l’essence permanente et habituellement cachée des choses se trouve libérée, et notre vrai moi qui, parfois depuis longtemps, semblait mort, mais ne l’était pas entièrement, s’éveille, s’anime en recevant la céleste nourriture qui lui est apportée. Une minute affranchie de l’ordre du temps a recréé en nous pour la sentir l’homme affranchi de l’ordre du temps (A la recherche du temps perdu, vol. IV, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1989, p. 451).

 上の邦訳では「現実ではないのに実在的、抽象的ではないのに観念的」と逆接的になっているところは、「今現在に限定されることなしに実在的」、「抽象化されることなしに観念的」と順接に読んだほうがいいと私は思う。「永遠の本質」となっているところも「永続的な本質」のほうが、少なくとも « essence permanente » の訳としてはいいと思うのだが、ここは解釈の分かれるところなのかもしれない。なぜなら引用の終わりの方で言われている「時間の秩序からの解放」を〈永遠の今〉の経験と取るならば、そこで顕にされるのは「永遠の本質」でよいことになり、この場合は、時間の秩序を超えた、それ自体に同一であるところの本質の経験がここでの問題だということになる。しかし、« essence permanente » をベルクソンの「純粋持続」に近づけて考えてもよいのならば、ここでの「時間の秩序からの解放」は、超時間的な不変の真理の経験のことではなく、空間化された諸事物から解放された純粋持続の経験がむしろここでの問題だということになる。
 しかし、上記二つの解釈のいずれがプルーストの時間論の解釈として妥当かという問題とは別に、九鬼がそこに何を読み取っていたかという問題が立てられなくてはならない。というのも、ポンティニーでのもう一つの講演「時間の観念と東洋における時間の反復」では、「永遠の現在」が問題にされ、それに目覚めることを「垂直的脱我」と九鬼は呼んでいるからである。九鬼の哲学において、「純粋持続」と「永遠の現在」とが終始緊張関係を持っていたと見ることができるのではないかと私は考えている。この時間についての実存的問題が、先週のイナルコの講義の内容を紹介した記事で言及した、現象学的時間と形而上学的時間という二重の時間性の問題として、晩年の押韻論の中で再提起されているというのが私のさしあたりの解釈である。

補注 上のプルーストの原文は、その末尾に示してあるように、プレイヤード叢書版から引用したが、九鬼が引いたのはもちろん当時出版されて間もなかった初版であり、それとは一箇所だけ異なっている。上の引用では "entièrement" となっているところが、初版では "autrement" となっている。それぞれが含まれる節をより正確に訳し分ければ、前者が「すっかり死んでしまったわけではない」となり、後者が「別の仕方では死んでしまっていたわけではない」となる。この初版はこのサイトで全文を見ることができ、サーチエンジンによる特定の表現の検索も容易である。













冬時間への切り替え ― 思索の季節の到来

2013-10-28 00:08:00 | 雑感

 27日日曜日午前3時に中央ヨーロッパ時間は冬時間に切り替わった。時計の針を1時間戻して午前2時にする。コンピューターやスマートフォンは自動的に切り替わるから、何の操作もいらないわけであるが、腕時計、置時計、ステレオの内蔵時計などは手動で切り替える。10月最後の日曜日は、だから、25時間になるわけで、土曜日の夜からその分余計にはしゃごうと集まる若者たち、あるいは、いつもより1時間ゆっくり寝ようという人たちなど、それぞれにこの1時間長い一日を楽しもうとする。
 ヨーロッパでは、1973年のオイルショックの翌年1974年に、電力消費節約のために、日照時間の長い春から秋口にかけて時計を1時間早めて、仕事を早く始めて電気をつけないで済む時間帯に仕事を済ませるようにしようという意図から導入されたサマータイム制として、年2回のこの時間の切り替え(3月最後の日曜日と10月最後の日曜日)が行われるようになった。17年前に初めてこの夏時間から冬時間への切り替えを経験したが、そのときはフランス人の友人が親切に電話で前日に知らせてくれたのを覚えている。
 夏時間から冬時間に切り替わる10月最後の日曜日と、逆に冬時間から夏時間に切り替わる3月最後の日曜日の前後には、このサマータイム制の有用性がメディアでもよく話題になる。原子力発電によって電力は十二分に足りていたフランスは、もうサマータイム制を廃止しようという提案をヨーロッパ議会にしたことも、10年ほど前だろうか、あったと記憶しているが、廃止するとしてもそれに伴う様々な変更措置のための経済的負担が大きいなどの理由で、その提案は却下されたという新聞記事を読んだ覚えがある。他方、夏時間への切り替えのときは1時間時計を早めることになるので、寝不足になりがちで、特に子どもたちの健康への影響が懸念されるという理由から反対論を唱える人たちもいる。私自身は、賛成反対はともかくとして、個人的には嫌ではない。冬時間への切り替えと逆で、急に日没が1時間遅くなり、それが早くも夏の到来を予感させてくれるからだ。
 冬時間への切り替え時には、これまでのさまざまな思い出とともに、何か心を沈ませるような、でも他方では心を落ち着かせるような微妙な気持ちを毎年抱く。まず、単純に、時計上は前日と比べて日の出・日の入りが1時間早まるわけである。具体的に言うと、昨日まで8時半頃だった日の出が急に7時半になるわけだが、朝プールに行く時などは、これはむしろ気持ちを明るくしてくれる。他方、当然日没も1時間早くなるわけで、6時40分くらいだったのが突然5時40分になってしまうのである。これはパリでの日の出・日の入り時間のことで、私が最初に暮らしていた街ストラスブールはフランスの東端であり、20分余り日の出・日の入がパリより早い(ちなみに、ブルターニュ地方西端の街ブレストはパリより30分近く遅い)。したがって、冬時間に切り替わると、ストラスブールでは5時過ぎにはもう暗くなり始める。これが最初はひどく身にこたえた。何か突然日が短くなってしまったような錯覚に陥ってしまったのだ。もちろんこれは時計上の変更に過ぎず、日中の時間が急に短くなったわけではないのだとわかっていても、気持ちの上でははっきりと影響が出てしまった。冬時間への切り替えから1,2週間で、日没は5時前になり、フランスは幼稚園・小学校低学年でさえ午後4時半に終わるのが普通だから、子どもたちの下校時刻にはもう夕闇が迫っているのである。11月後半ともなれば、朝まだ暗いうちに登校し、下校時にはもうすっかり日が落ちてしまっているということになる。これが冬の間ずっと続く。
 そんなわけで、冬時間への切り替えが来ると、ちょっと大げさな言い方だが、一日の活動時間のうち、日のある時間帯が削られ、闇に覆われた時間帯が急に長くなったような印象を拭い難く、気持ちが沈み込みやすい。このような気分は毎年多かれ少なかれ味わうことになる。フランス人たちにとっては約40年来のことですっかり慣れているわけであるから、そんなことはないのかというと、やはり同じような気分を抱きやすいようで、だから冬時間への切り替えは嫌いだと言っている人たちもいる。実際、11月には、鬱状態に陥る人たちが増えると聞いたこともある。
 他方、この切り替えは、外光へと向かう身体的志向性を抑制し、室内の光の中での安定性を志向させ、心に落ち着きを与えてもくれる。その変化が自分自身の思考への集中を自ずと促してくれるのを感じる。この意味で、冬時間への切り替えは、思索の季節の到来をはっきりと徴づけてくれているとも言うことができる。












新しい社会存在の哲学の構想のために(補遺)

2013-10-27 00:15:00 | 哲学

 昨日までで「新しい社会存在の哲学の構想のために」の連載はひとまず終えた。しかし、その結論部には書けなかったが、その背景にある自分の問題意識を短くフランス語で記した覚書のようなものがある。これもまたこれから考えていくべき問題の一つとして、ここに訳して記録として残しておきたい。

 個人と個人は互いに対立する。国家と国家も同様だ。〈民族〉もその例外ではない。それら相異なった対立項の間の創造的な相互理解のためには、それらの間の媒介項が必要だろう。この中間項は、けっしてそれ自体が実体化されてはならず、優れた意味での媒介者にとどまらなくてはならない。つまり、それ自身は受け入れる〈場所〉として働き、そこに受け入れた者たちをそれぞれ価値あらしめることにつねに努めるものでなくてはならない。このような媒介者が今の私たちの時代には致命的に欠けている。私たちに他者へと自らを開く仲立ちとして機能しうるのは、このような〈場所〉としての動的・中間的・可塑的な新しい種ではないであろうか。このような種は、ベルクソンが言うような生命の躍動が前進することを妨げる障害となるだけの種ではない。それは、その種に属する成員として私たちに生命の現実形態として前進させることを可能にするような新しいカテゴリーであり、しかもその種自身が自らに与えた他の種に対する境界線を、必要あるたびごとに、成員である私たちに乗り越えることを許すことをその内在的条件とするものだ。このような種は、動的で可塑的で自分自身を乗り越えていくことをその目的とするカテゴリーとして機能することを止めるときには自らに適用すべき自己解体の論理を備えていなくてはならないだろう。











新しい社会存在の哲学の構想のために(その11)

2013-10-26 02:01:00 | 哲学

 今さっき、ベルクソン国際シンポジウム責任者に発表原稿を送信した。ベルクソンの『二源泉』のあちこちを読み直しながら、同書のでの〈種〉概念について一日あれこれ考えたが、すでに連載第10回目に掲載した発表原稿最後の部分から、ベルクソンにおける〈種〉の問題について議論を展開させるには明らかにまだ準備不足でどうにもならず、今後の問題として簡単に触れるに留めざるをえなかった。これから発表当日まで、『二源泉』を読み直し続けながら、発表の際あるいはその後の質疑応答の際に少しは展開できるようにしておきたい。そんなわけで掲載するにも値しないかもしれないが、一応発表原稿の締め括りなので、その和訳を以下に掲げ、この連載は今日でひとまず終了とする。
 ラヴェッソンの習慣論と西田によるその解釈に基づいて再規定された〈種〉概念は、一方で、ベルクソンが『二源泉』の中で提示している種概念を、他方で、田辺がその絶対媒介の弁証法とともに構築した種の論理とを、新しい社会存在の哲学の構想のために、開かれ且つはっきりと限定された一つのパースペクティヴの中で検討することを私たちに可能にする。そこで問われうるのは、ベルクソンの『二源泉』において、その登場が「たった一人の個人からなる新しい種の創造」と見なされた「特権的な魂」の活動をいかに一つの社会の中に位置づけるかという問いである。また、同じくそこで問われうるもう一つの問いは、諸個人とそれらが属する社会との間の媒介的・可塑的範疇として新しい種を創造するための基礎理論として田辺の種の論理を機能させるためには、この論理をいかに社会存在の哲学の全体構想の中に統合するかという問いである。













明日から大学は休暇に入ります

2013-10-25 04:08:00 | 雑感

 今日(木曜日)、本務校での講義は「日本近代史」一コマだけ。自由民権運動の続き。ここは特に時間をかけて話しているところ。今日のテーマは、この運動の思想的リーダーたち。明六社の果たした役割(特に福沢諭吉と西周)と中江兆民の活躍について主に話す。中江がルソーをはじめフランス社会思想の紹介者・翻訳者であり、「東洋のルソー」とも顕彰され、フランスに二年余り滞在していたこと、『三酔人経綸問答』『一年有半・続一年有半』には仏訳もあることなど、フランス人学生たちの関心も引きやすい材料には事欠かないのだが、「今」のことに、しかも「金回り」に関わることにしか関心を持てない学生たちに、自分たちから遠い異国の、しかも過去の出来事に興味を持たせることは必ずしも容易ではない。それだけに、いつも最前列に座って熱心にノートを取っている学生たちには、むしろこちらが感心してしまう。
 残り二つの演習は中間テストだったので監督するだけ。これで万聖節前の授業はすべて終了。25日から来月12日までの約20日間、本務校へは行かなくてもいい(と切願している)。9月初めからずっと息つく暇もない、というか、ずっと懸垂状態のような毎日でしんどかった。休暇中に採点業務はあるが、これは大した労力を必要としない。毎日少しずつこなせば苦痛も少ない。大学の休暇そのものは10月26日から11月3日までなのだが、11月の第一週にベルクソン国際シンポジウムがあるので、その週の授業は、イナルコの「同時代思想」の講義を除いて、すべてあらかじめ休講にしておいた。それでこのような「小休止」が生まれた。もちろんそれはこの間にこそ自分の研究に集中するためである。だから、「新しい社会存在の哲学の構想のために」の連載は、まだ終わったわけではなく、明日が締め切りのシンポジウムの発表原稿を一応終えた後でまた継続する。ついでにこのテーマでの連載が終わった後には、「ジャン・カヴァイエス ― レジスタンスの論理と倫理」というテーマでの連載を予定している。


新しい社会存在の哲学の構想のために(その10)

2013-10-24 01:04:09 | 哲学

 今日(水曜日)は、午前中の一年生の演習は二コマとも中間テストだったので、試験監督をするだけでよく、その分楽ではあった。しかし、昨晩、今日の午後のイナルコの講義の準備が零時過ぎまでかかったので、睡眠不足でつらかった。修士の授業が終わってすぐにパリに戻るために電車に乗ったが、たまたまドイツ人の同僚と一緒になり、車中話しながらの帰路だったので、いつものように仮眠も取れず、それがまたしんどかった。この季節にしては珍しい小春日和が車中眠気を誘ったということもある。
 今日のイナルコの講義のテーマは九鬼周造。出席者は16名。簡単に伝記的な紹介をした後、『「いき」の構造』(1930)、『偶然性の問題』(1935)「文学の形而上学」(1940)の三つの著作からそれぞれ三つの基本概念 ・テーゼを取り出し、これら三つの著作が、1928年にポンティニで九鬼がフランス語で行った二つの講演のテーマである時間論から最晩年の音韻論の中に読み取ることができる時間論へと深化を遂げていく九鬼の哲学の、美学・倫理学的段階、実存的段階、そして形而上学的段階をそれぞれ示しており、それらを貫く方法論的態度として、あくまで現実の具体的経験から出発しようとする現象学的態度が見られるというふうに全体図を示し、その途中で沢瀉久敬による『偶然性の問題』仏訳を引用し、「偶然と運命」というエッセイの一部を日本語原文でゆっくり読む時間を設けて、緩急をつけながら2時間休みなく話した。結論としては、詩的言語において交差し、同時的に経験される現象学的時間と形而上学的時間という二重の時間性の問題に九鬼の哲学の一つの集約点を見ることができるというまとめかたであった。学生たちの関心は、「いき」がどのような具体的経験を指すのかという問題と、邂逅の偶然性の問題とに対して特に高かったように思う。
 さて、「新しい社会存在の哲学の構想のために」の連載の今日の分は、今のところ書けている最後の部分に相当する。

3 集団的習慣としての〈種〉
 ここにおいて、私たちは、集団的習慣として〈種〉を構想する可能性を垣間見る。この可能性は、西田自身によってはほとんど展開されることはなかったが、この集団的習慣は、自然の最深部と反省的自由の最高点との間に、自由から自然への回帰を表象する習慣の歴史の中で形成された。ここで問題になるのは、意志の領域に自然の全体的統一の中でどのような位置づけが与えられるかということである。この自然は、その裡に三つの存在様態 ― 「有りたい」「有らねばならぬ「有りうる」― を含み、それらの様態は、「非連続の連続」において、互いに他へと変容されるが、それはまさに「素質・位置取り」としての習慣による。
 このように見るとき、〈種〉は、自然的なものとしても抽象的なものとしても構想されえず、習慣的なものとして構想される。それは、私たちの意志からまったく独立に一つの存在として限定されるものではなく、思弁によってまったく随意に発明されるものでもない。そうではなくて、ある一定の生活形式を共有する個人からなるグループによって身につけられた習慣として規定される。この生活形式は、そらら諸個人によって集団的歴史として形成され、維持され、発展させられる。習慣の歴史は、私たちがそれに属していると考えられる種の形成過程を内側から理解するように導く。そして、作られるものから作るものへと ― つまり、非人称的な自然的自発性から個人において自覚される個別的な自発性が開花する意識へと ― 発展する歴史の流れのなかにその種を位置づけるように導く。このようにして、私たちは、全体として整合的な仕方で、一方では、歴史的生命の論理に従いながら、各個人にある一定の生命活動の形式を課す既存の諸々の種の可塑性を、他方では、自覚した個々人が自分たち自身に課された形式を打ち破り、習慣の力によって新しい規範形式を自らに与えつつ、世界に新しい創造的な形を与える創造性を考えることができるようになる。












新しい社会存在の哲学の構想のために(その9)

2013-10-23 00:06:00 | 哲学

 昨日は言及しなかったが、プールには行った。今日も行った。午後2時半から3時半まで。小中高公立学校がヴァカンスの間、パリ市営プールは毎日営業する。プールにもよるが月曜日はだいたい午後1時から6時まで。火曜日から金曜日までは午前7時から午後6時まで連続で営業する。土日は通常通りの営業時間。この期間、朝は行かない。なぜか。普段より若干利用者は減るが、朝はとにかく常連が主なので、利用者数に変動が少ない。ところが、午後2時以降は昼休みに泳ぎに来ていた勤め人たちも引き上げるので、非常にすいているのだ。時には一コースを独占できることさえある。だからこの時間帯を狙っていく。昨日も今日も快適に泳げた。
 ヴァカンス中であるから、子どもたちは多い。しかし、彼らはコースロープが張ってある遊泳コースにはほどんど入ってこない。うっかりふざけて入り込むとすぐに監視員注意される。だから、殆どの場合、コースロープの張っていないプールの残り半分で、友達同士ではしゃいでいる。親は働いている時間であるから、小学校高学年から中学生が多い。時に高校生らしいのもいる。彼らには二つの際立った特徴がある。黒人を主体とした有色人種が多いことと、はっきりとした肥満・肥満傾向・過体重の子たちが男女を問わず多いこととである。これは何を意味するか。中流以上の家庭の子たちのほとんどは、ヴァカンス中はどこかに出かけ、パリにはいない。つまりヴァカンス中だろうが働きづめで、かつ子どもたちをヴァカンスに送り出す経済的余裕もない低所得者層の子どもたちが多いということが一つ。もう一つは、そういう子どもたちの家庭では親自身が肥満であることがきわめて多く、栄養バランスについての知識も意識も欠けており、したがって、子どもたちの食生活にも著しい偏りが見られ、それが肥満傾向として顕著に現れているということなのだ。彼らが生活習慣病予備軍であることは言うまでもない。
 さて、今日はまた「新しい社会存在の哲学の構想のために」連載に戻る。

2.7 相補的な二つの方法論―下降的方法と上昇的方法
 ラヴェッソンの方法はいわば「下降的」である。それは、習慣が、自然の最も高い地点から、つまりまさに意識たるものから、自然の最も奥深いところへ、すなわち「習慣の逓減運動の限界」へと連続的に下降していくことを、しかも意識の光を失うことなしにそれを可能にする途であるという意味においてでである。

同一の力が、一方では人格性に於ける高次の統一を少しも失わずにいながら、自分を分割ぜずして多様化し、下落させずして低めつつ、自ら多方面に分かれて、諸々の傾向、動作、観念となり、時間に於て変形し空間に於て分散するのである(『習慣論』48頁)。

 習慣というこの上なく類推的な方法によって、世界全体の統一性が回復させられる。普遍的な方法として認められた習慣によって、自然の深奥にその起源が見出され、意識にその到達点がある「螺旋」を再下降する。「習慣は、この螺旋をば再び降り行き、それの発生と起源とを我等に教える」(同書73頁)。習慣の発展は、「意識をば、間断なき低下を通じて、意志から本能へ、人格の完成せる統一から非人格性の極度の分散へと、導いて行く。習慣は、自然の過程をいわば逆さに辿ることによって、「自然の最後の根底と反省的自由の最高の点との間には、同一の力の発展の度を示す無限の段階がある」(同頁)ことを私たちに理解させる。

最後に、人類に於ける生命の最高の形式なる運動的活動が、従属的諸機能の中に展開される低次の形式のすべてを、縮図の形で包含している、というばかりではない。これら機能の系列それ自身も、世界に於ける生命の一般的発展 ― 界から界へ、類から類へ、種から種へ、最後は存在の最も不完全な萌芽や最も単純な要素に至る発展 ― の要約にほかならないのである(同書53頁)。

 このようなラヴェッソンの下降的方法に対して、西田の方法は「上昇的」と形容することができる。それは、行為的直観とともに、西田が歴史的生命の世界の中の意識の根源に身を置き、世界の自己形成過程としての行為的直観の発展過程を、すなわち私たちの身体的自己において経験される世界の自覚に至るまで上昇していく過程を辿りなおすことをその目的としているからである。行為的直観を意識の根源に措定することによって、西田は、自己形成的世界であるところの歴史的生命の世界における意識の発展過程の可能性の諸条件を探求する。どこで、どのようにして、意識をこの世界においてそれとして把握することができるのか。この問いに西田は次のように答える。

我々の意識は、単なる空間の世界、物質の世界に残るのではなく、歴史的形成的世界の記憶の内に素質として残るのである(新全集第10巻293頁)。

 習慣は、自己意識として自らに現れることによって、以下のことを私たちに理解させる。ただ一つの同じ自己形成能力が私たちには備わっており、その能力は、物質的世界のメカニズムに還元されえないのと同じように、身体性を欠落させた精神の純粋活動なるものにも還元されえず、個別的な創造性にまで発展する「素質・位置取り(disposition)」を構成する。この創造性は、環境の構成原理として機能しうる一つの特定な形を自らに与えることによって世界に新しい形を与えることができるという意味での創造性である。これが自覚の深化の過程の現実的な過程であり、この過程は、私たちを初めて世界に向かって開く行為的直観から、世界の自覚にまで展開する。この世界の自覚は、自己表現的世界の自己表現点として、創造的世界の創造点として、私たちの身体的自己においてそれとして経験される。
 以上見てきたラヴェッソンと西田それぞれの方法は、互いに排除し合うものではなく、それどころか、まさに相補的である。西田の歴史的生命の論理は、ラヴェッソンの習慣の一般理論に存在論的基礎づけを提供する一方、ラヴェッソンの習慣論は、環境から働きかけられ且つ環境に働きかける自己形成的な私たちの身体によって担われた直接的な内的覚知によって、生命の形成の論理を内側から経験することを可能にする途を私たちに開くからである。



























 

 


フランスという国家は、もうダメかもしれない

2013-10-22 05:19:00 | 雑感

 今日、「新しい社会存在の哲学の構想のために」の連載は、お休みする。理由は二つ。一つは、まったく個人的なつまらない事情で、このブログの記事として話題にするにさえ値しない。もう一つは、ここ数日来フランスで起こっていることが私に引き起こした暗澹たる感情である。これもだから取るに足らないではないかと人は言うであろう。しかし、今日は、そのことについて、普段より感情のコントロールを少し緩めて、記しておきたい。腹に据えかねているのである。
 先週土曜日から小中高は二週間の万聖節のヴァカンスに入った。以前は一週間だったのだが、現社会党政権になって、昨年度から変わった。何のためにそうしたのか私は知らない。知ろうという気にさえならない。なぜなら、そんな変更は国家が万民に提供すべき教育の質とは何の関係もないからだ。この点について、大学は、小中高とはさすがに違うのである。新学年が比較的早めに始まる大学は、一週間の休暇が10月末から11月初めにかけてあり、遅い大学にはこの休暇さえない。
 しかし、この違いは、今さら言うまでもないことだとは思うが、大学生の知的レベルが小中高生のそれに比べて高いということを少しも意味しない。まったく、そうではない。フランス語の正しい綴りなど、小学校ではそれが主たる教育目的の一つだからということもあるが、小学生の方がむしろきれいな字で正しく書き、大学生になると滅茶苦茶である。添削する気にさえならない。
 私は、自分が教師として責任を負う学生たちに対してはどこまでも真摯でありたいと思うが、この国の教育行政に関して言えば、もうダメである。今、フランスの大学教育は音を立てて崩壊しつつある。良識あるすべての教師たちにはその音が劈くほどに聞こえているはずである。しかし、肝心の役人たちには何も聞こえていないのであろう。それどころか、彼らは、私たちは「危機感を持って」、現実に対処していると言うであろう。しかし、彼らは向かうべき方向とはまったく違う方向に進んでいるとしか私には見えない。政権がいわゆる右から左に変わろうが、この点、何の変わりもない。むしろ昨年来、悪化の度合いが増し、急速化している。
 この記事の始めにも書いたが、数日来、フランスで現に起こっていることをネット上のニュースで追尾しながら、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、これからの世界について暗澹とした気分に陥っている。その気分は、直接的にはフランスの現状に起因するが、その根を考えれば、フランス固有の問題と言って済ませられない問題だと私には思える。
 はっきり言おう。この国にもはや未来はない。数百年の文化的蓄積だかなんだか知らないが、そんなものの上に胡座をかいてきたために、この新しい終末論的な、いや黙示録的な時代にあって、何ら為す術がないのだ。ただ大見得を切るためだけであったとしても、もう何のヴィジョンも提示できない。いまさら基本的人権の尊重を嘯く気か。革命の国、自由の国を白々しく謳うか。どんな知識人が、今、政治的アンガージュマンに真剣に取り組んでいるか、私は寡聞にして知らない。革命によってしか国家を変え得なかったということは、漸進的改革ができなかったということであり、したがって、革命とは、旧体制が腐りきって、民衆が怒り、立ち上がり、ようやく生まれたものだということだ。そしてその後は恐怖政治だ。それらは世界に向かって少しも誇るべきことではないのだ。そして、現在のフランスは、その革命さえできなくなった「不能なフランス」でしかないのだ。今の大統領がその象徴だ。この最後の点は、フランス極右の言説とまったく一致してしまうが、それでも敢えてこう言おう。外国人である私が、極右の支持者ではありえないことは自明であろうから。
 先週、コソボ出身の不法滞在の家族の子供である女子中学生を強制連行し、国外退去を執行するということが、社会党政権下、白昼、学校現場で堂々と行われた。しかも、74%の国民が、やり方はまずかったことを認めても、強制退去を「断固執行した」内務大臣を支持している。右にも左にも愛想をつかした国民の支持を極右が集めているのも根は同じ。フランス国民は、自己破産の問題を直視せず、それを極右の言説にすり替え、「外から来た者たち」を敵視する。まるで「おまえたちのせいだ」と言わんばかりである。それは私が日常生活において肌身で感じていることだ。
大学教育研究員という資格で、国家公務員という社会的身分で、こちらが受け入れている労働条件・果たしている義務にどう考えても見合わない薄給で働かせられながら(それはフランス人同僚たちも同じ条件だと言っておかなければ公平さに欠けるだろう)、選挙権も国籍もないこの国にぐずぐず暮らしているべきではないのかも知れない。「パリに客死」などという、半世紀前には流行ったかもしれない文学的幻想で自分を慰めるわけにもいかない。これから自分が働くべき〈場所〉について、真剣に考えざるをえない。