内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

搭乗便を待ちながら ― 羽田空港より

2022-08-31 07:20:35 | 雑感

 空港には5時半過ぎに到着。空港構内はまだ人もまばら。6時から搭乗手続き開始。事前チェックインを前日に済ませておいたので、カウター近くの端末機でスーツケースに付けるタグを自分でプリントアウトし、把手に通して貼り合わせる。JALの職員が手伝ってくれた。スーツケースを預けるのもセルフ。初めてなので手順がすぐに飲み込めず少し戸惑う。二つのスーツケースが無事ベルトコンベアに乗ったのを確認してから、出国手続きへ。荷物検査は、リュックサックをそのままトレイに載せるだけでよい。電子機器を取り出す必要はない。パスポート確認も機械による自動顔認証。出発ゲート前の待機ロビーで大学関係のメールの処理。一昨日月曜日から仕事のメールが一気に増え、日に日にその数は増す。仕事モードに戻らざるを得ない。あと50分ほどで搭乗開始だ。さらば、夏休み。しばしのお別れだ、わが祖国。年末年始にはまた帰国したいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明日の帰仏を前にして夕刻より酒盃を傾けはじめる

2022-08-30 17:42:52 | 雑感

 今日も早朝11キロ走る。これでこの夏の世田谷・目黒界隈ジョギングはおしまい。今回は到着日7月19日と出発日の明日31日を含めて44日間の滞在であったが、ジョギングを休んだのは五日(そのうち一日はウォーキング6キロ)、ジョギング総距離は400キロを超える。
 明日の帰仏を前にして、午前中散髪に行ってきた。普段はストラスブールの自宅近くの行きつけのカットサロンで散髪してもらうのだが、今回はストラスブールに戻ってすぐに仕事モードに入るために出発前に済ませておきたかった。学芸大駅近くの安くて速いところにいったが、仕上がりにはやや不満。ストラスブールのカットサロンの主人のほうが上手い。
 昼食は妹の手料理。この滞在中毎日美味しい料理をありがとう。
 昼食後、午後は荷造り。以前はスーツケース二つに上限ぎりぎりの23キロまで本を詰め込んで帰ったものだが、さすがにもうそれだけの体力はない。だからほとんどの書籍はEMSで送ってしまった。その一箱だけで17キロもあった。送料は高くついたが致し方ない。順調に行けば(フランスでは行かないことが多いが)9月1日には届く。
 荷造りもほぼ済んだところでこの記事を書いている。まだ5時過ぎだが、いつもより早めに飲みはじめることにする。明朝の出発は早いからだ。5時にハイヤーが迎えに来る。5時半過ぎには羽田に着けるだろう。
 今夕はテレビでもぼんやり見ながらゆっくり酒盃を傾けることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夏の終わりの東京散歩 ― 日暮里、谷中霊園、上野公園、白山、神保町、水天宮

2022-08-29 23:59:59 | 雑感

 明後日の帰仏を前に、今日の午前中、土産物買いついでに谷中霊園から上野公園にかけて久々に歩いた。
 日暮里駅構内エキュートにある濱文様の直営店で手拭いを数枚買ってから駅を出て、霊園内を右左に適当に曲がりながらしばらく散歩した。数年前に来たときは猫たちをいたるところで見かけたのに、今日はなぜか一匹も見かけなかった。
 霊園を抜けて寛永寺境内を少し見て回り、東京国立博物館平成館の脇を下り、国際こども図書館前を通過し、東京都立美術館脇から正面へと回る。上野東照宮に参拝してから上野精養軒下まで下り、不忍池を半周、上野四丁目交差点近くのバス停で早稲田行きの都営バスに乗る。このバスはずっと不忍通りを進む。
 根津、千駄木、動坂、六義園付近を通過して、千石一丁目で下車。白山方向に白山通りを下り、昼飯を食べる店を探す。ちょうど正午過ぎでお目当ての店はみな混んでいて、繁華な通りから外れた白山神社下の韓国料理店に入る。昼時だというのに、先客は一人しかいない。味が心配になったが、まあ腹が満たせればいいと、野菜ビビンバと生ビールを注文。味はまあまあであったし、接客は普通、三十席ほどある店内に私以外に客一人で周りを気にすることなく静かにゆっくりと食事ができた。
 店を出て白山駅から都営三田線で神保町へ。今回帰国中に買って持ち帰りたい本はすでに昨日EMSで発送してしまったから、ただぶらぶらと古書店を小一時間ほどひやかすだけ。もう四半世紀以上前のことになるが、渡仏前はよく古書店街を歩き回ったものだ。その頃と比べると随分と様変わりしてしまった。
 神保町駅から半蔵門線に乗り水天宮前で下車。水天宮にお参り。水天宮と新大橋通りを挟んで交差点の向う側角にある重盛の人形焼で定番のこしあん入り人形焼十個パックを買う。水天宮前から再び半蔵門線に今度は来たときと反対方向に乗り、三軒茶屋駅下車。あとは徒歩で帰宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テキスト間、私とテキストとの間に「相逢」は成り立つのか

2022-08-28 18:21:10 | 読游摘録

 寺田透の『道元の言語宇宙』(岩波書店 一九七四年)に収められた最後の文章「相逢」は、一九七二年五月十一日、日本女子大学教養特別講座における講義がもとになっており、のち七三年六月、同大学発行「日本をみつめるために」に掲載された。講義のときの話し言葉がかなり忠実に再現されているようである。
 「相逢」は、禅語としては「そうふ」と訓む。和語としては「あひあふ」と訓み、人と人とが出会うことを意味する点において両者は共通するが、禅語としては特に師匠と弟子との出逢いを指す。
 師を求めて捜す者が師となるべき人に出会う相逢は、少なくとも次の三つの条件を満たさなくてはならない。偶然性と相互性と全人格性である。捜すという以上、誰が自分の師匠なのか出会う前はわからない。実際に出会ったそのときにはじめて自分が探していた師はこの人だとわかるときしか相逢は成立しない。しかし、捜している者がついに我が師を見出したと思っても、当の捜されていた師がその求めを受け入れなければ、やはり相逢は成立しない。さらに、師匠と弟子との間に「全身全霊をあげての一致が成り立つ」(四八三頁)ときにはじめて相逢は成り立つ。
 相逢はこのような師匠と弟子との出会いを第一義的に意味する。しかし、寺田透はこの文章で、バルザック、ランボー、道元それぞれに自分がどのように出会ったのか、そしてこの三者は自分においてどのように相逢ったのかを語っている。
 寺田の文学的探究にとって特に大切なことは、精神の自由、表現の自由である。バルザックとランボーは、それぞれに表現の自由を探究し、それを通じて精神の自由を実現した。この自由の探究が寺田を道元と出逢わせる。道元の文章にあるのもやはり、「表現と思想内容における非常に透明な自由」だと寺田は言う(四九八頁)。
 寺田の文章を読み終えて、私には以下のような疑問が残った。何かを探し求めていて、偶然、ある言語表現に出逢う。人に出逢う場合と違って、相手がテキストの場合、相逢の第二の条件である相互性はどのように確かめられるのか。そのテキストの作者が生きているか死んでいるかはここで副次的な問題である。第三の条件である全人格性はそもそも読む者とテキストの間に成り立つのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


厖大な矛盾と不調和の塊であるロシア精神 ―「井筒俊彦『ロシア的人間』より

2022-08-27 15:08:21 | 読游摘録

 井筒俊彦の『ロシア的人間 新版』(中公文庫)が先月刊行された。単行本初版は弘文堂から一九五三年二月に出版されている。その時期は「スターリン体制と重なり、ロシア社会は外部に対して閉ざされていた。そのような状況で、井筒氏は、文献だけによって極めて精確にロシア人の特徴をとらえることができた」と本書の解説で佐藤優は高く評価している。井筒俊彦が捉えようとしたのは、「時代の流れによって千変万化する現象的なロシアではなくて、そういう現象的千変万化の底にあって、常にかわることなく存続するロシア、「永遠のロシア」」(序)である。その深い洞察には驚かされる。以下、第一章「永遠のロシア」からの摘録である。

 全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやり出すだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起す。えたい今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た。[…]誰も無関心ではいられない。好きでも嫌いでも、全ての人が関心を払わずにはいられないのだ。ロシアをめぐる空気は異常に緊張している。今日、ロシアはまさに文字通り一個の全世界史的「問題」として自己を提起した。みんながこの「問題」を解決しようと焦心する。ロシアの正体を誰もが知りたいと念願する。この怪物は一体何者なのか? 彼は何をしようというのか? どんな新しい言葉を我々に向って吐こうとしているのか?

 しかしここで注意しなければならないのは、ロシア的人間像の示す矛盾撞着がただの矛盾や分裂ではなくて、―つの幹から生長した大枝であり小枝であるにすぎないということである。上層部こそ千々に乱れ錯雑しているが、その根幹はただ―つである。だから当然、この根源がわかるとき、人は初めて現象面におけるロシア人というものが統一的に理解できるのである。「ロシアは普通の秤では量れない」とチュチェフは断言したが、それは全く何の秤もあり得ないということではなくて、かえってある唯一の、独特な秤をもってすれば立派に量れるということを意味する。何よりもまずその特別な秤を手に入れることが問題なのだ。

 ロシア的現象なるものの特徴をなす混沌はことごとく、人間存在の奥底にひそむただ―つの根源から湧き起って来る。ただし、その根源そのものもまた―つの混沌なのだが。その昔、古代のギリシア人が「カオス」と呼んで怖れたもの、太古の混沌、一切の存在が自己の一番深い奥底に抱いている原初的な根源、人間を動物や植物に、大自然そのものに、母なる大地に直接しつかと結び付けている自然の靭帯。西ヨーロッパの文化的知性的人間にあっては無残に圧しつぶされてほとんど死滅し切っているこの原初的自然性を、ロシア人は常にいきいきと保持しているのだ。西ヨーロッパでは、とっくの昔に冷却して死火山になっているものが、ロシアでは今なお囂々と咆哮する活火山脈なのである。

 ロシア人の魂は、ロシアの自然そのもののように限界を知らず、たとえ知っても、あえてそれを拒否しないではいられない。「一切か、しからずんば無!」というロシア独特の、あの過激主義はこういう魂の産物である。そして、行けども行けども際涯を見ぬ南スラヴの草原にウラルおろしが吹きすさんでいるように、ロシア人の魂の中には常に原初の情熱の嵐が吹きすさぶ。大自然のエレメンタールな働きが矛盾に満ちているように、ロシア人の胸には、互いに矛盾する無数の極限的思想や、無数の限界的感情が渦まいている。知性を誇りとする近代の西欧的文化人はその前に立って茫然自失してしまう。一体これはどうしたことだ。どう解釈したらいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「われわれはだれしも酔っているべきだ」― 手塚富雄『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ』より

2022-08-26 22:54:36 | 読游摘録

 今日の記事は、手塚富雄『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ』(講談社現代新書 1968年)からのベタな引用のみです。ゲーテと手塚富雄に感謝しつつ、酒盃を傾けるだけの私ではありました。

われわれはだれしも酔っているべきだ。
若さは酒のない酔いなのだ。
年寄りが酒を飲んで若返るなら
それこそ霊妙至極な効験だ。
憂えなければならないことは日々の生活が憂えてくれる、
憂いをはらうのが葡萄の力

 さきほどのことばと共に、『西東詩集』の「酌人の巻」にある一編である。こせこせしたことを言わずに酒をたのしもうという大胆率直な発言である。ゲーテはここで東洋詩人の衣裳を借りており、まさに陶淵明や李太白や大伴旅人の同族になったのである。現実のゲーテも酒はいけるほうで、衣裳なしにでもこういう気持ちになることは多かったろう。
 愛酒家にはうれしくてたまらない詩だろうが、愛酒家でないものが読んでも、これらの詩句に含まれた生気と知恵には、陶然とした思いをさせられる。酔いは悪徳や愚劣とされることが多いが、一転して考えれば、何かに酔っていないような人間は、人間として存在価値がないと言えるだろう。事業に酔う人、学問に、芸術に酔う人、真理に酔う人。むろん、酒癖の悪い者もいるが、楽しむことを知っている者は、そんなに悪酔いはすまい。
 「若さは酒のない酔いなのだ」、たいへんなことばである。達観し、大観する詩人・賢人でなければこういうことは言えない。微笑する宥恕がそこにある。年寄りも一度は、そういうところを通ってきたのである。だが、若さのいやらしさというべきは、自分が酔っているのに、酔っていることにいっこう気がついていないことである。だから、このことばは若い連中には、奨励の意味にもなるが、酔いざましのはたらきもするだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「夏休みに避暑地で夏を楽しみつつ、研究をもあわせ楽しみ ……」― 詮無き夢想に耽る夏の終わりの一夜

2022-08-25 17:07:17 | 読游摘録

 岡潔『数学する人生』(新潮文庫 森田真生編 2019年 原本 新潮社 2016年)の「特別講義」と題された節は、もと『一葉舟』(角川ソフィア文庫 2016年 初版 読売新聞社 1968年)に収録されていた文章「ラテン文化とともに」の中の一節である。
 岡潔がフランス留学時代(1929年から1932年)のソルボンヌの教授たちの想い出を語っている以下の箇所をこれで何度目かに読み直し、天を仰いで長大息するとともに、ああもしその時代のフランスの大学教授であったらなあと詮無き夢想に一頻り耽った夏の終わりの一夜でありました。

 一般講義をする教授たちはごく少なくて、大抵の教授はみな特別講義だけをしていたような印象を、私はいま持っている。ところで、その特別講義はせいぜい三月くらい、日本の第三学期に相当するところでするだけである。夏休みは非常にながく、四か月くらいあったと思う。この国にとってはすばらしい季節である夏を、充分楽しむためである。その両側に第一学期と第二学期とある。さて特別講義であるが、各教授は、第一学期にそのプランを立てて文献を用意し、それを携えて、夏休みに避暑地で夏を楽しみつつ、研究をもあわせ楽しみ、第二学期にそのごく一部分を論文にまとめ、研究の全貌を第三学期に講義することによってまとめるのである。詳しくいえば、その先生の講義を先生のお弟子が速記し、先生はこれに手を加えて叢書の一冊にして出版するのであって、もちろん毎年変わる。この種の教科書(本のことをそういう)の特別な面白さは、実にここからきているのである。(『数学する人生』86‐87頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


未来の翳りに迫られながら親友交歓

2022-08-24 23:59:59 | 雑感

 高校一年のときからほぼ半世紀の付き合いの親友と二子玉川で二年半振りに会う。
 同月生まれの私たちは前期高齢者ゾーン突入まで残り一年を切った。日本社会の現状についての悲憤慷慨、それに対する無力の自嘲、将来について具体的に先鋭化していく不安、年々暗さを増す未来を前にしての戦慄等々を私たちは共有している。美味いつまみをつつきながら、これら旨くもない話題を肴にしての五時間ほどの歓談であった。といっても、二年前に酒を止めた彼が飲んだのはノンアルビールとお茶とコーヒー、酒はもっぱら私の「担当」であった。
 以前は毎回帰国のたびにどこかで会っていた。前回は二〇二〇年正月に彼の自宅を訪ねた。今から思えば、そのときすでに中国武漢ではコロナ禍が深刻の度を増していたわけだが、当時はまだどこか対岸の火事のようにニュースを聞いていた。その二ヶ月後にはコロナ禍は世界を席巻し、フランスでも三月一六日に厳しい外出制限令が発令されたのであった。
 それから二年半ほどが経ち、いまだにコロナ禍の渦中にあるとはいえ、行動制限や入国規制等徐々に緩和され、それだけ行動の自由が戻ってきたのにはやはり少し安堵する。
 もちろん各自ができる感染予防対策は注意深く実践し続けなければならない。しかし、大多数の人たちが目に見えない脅威に怯え、その怯えが過度の不安感を社会に蔓延させ、その不安感に「感染」した人たちが「正しい」自分とは違う他者に対して取る過剰に攻撃的な態度が少しずつでも減少していくことを願わずにはいられない。
 いずれにせよ、未来は暗い。その暗さは滅亡にまではまだいくらか時間が残されているということを意味しているのであろうか。
 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治『右大臣実朝』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「空は一草なり、この空かならず花さく、百草に花さくがごとし」―『正法眼蔵』「空華」巻より

2022-08-23 18:08:06 | 雑感

 今日、六十四歳を迎えた。今朝も走った。十一キロ走った。健康に恵まれていることはありがたい。昼、妹夫婦がバースデーケーキを用意して祝ってくれた。
 この歳になるまで何かを達成したということもなく、何かになったということもなく、歯を食いしばって艱難辛苦を乗り越えたわけでもなく、我が世の春はついぞ訪れることもなく、大海に行方も知らず漂う一艘の小舟の如き人生であったし、これからもそうであろう。
 何があっても揺るぎなき覚悟はもちろんなく、恬淡とした諦念の内に悟り澄ます柄でもない。壊れつつあるかに見える世界の中で得体の知れない不安に押し潰されぬよう、せいぜいのらりくらりと工夫を凝らしつつ、天恵にほかならないその日その日を暮らしていきたい。
 ただ、単著は一冊遺したいと思っている。その端緒が開かれたことがこの夏の恵みのひとつであった。
 頼りなきこと枯れかけた葦の如き自分へ、『正法眼蔵』の「空華」の中のこの上なく美しい文章を贈る不遜を許されたし。

 まさにしるべし、空は一草なり、この空かならず花さく、百草に花さくがごとし。この道理を道取するとして、如来道は「空本無華」と道取するなり。本無花なりといへども、今有花なることは、桃李もかくのごとし、梅柳もかくのごとし。梅昨無華、梅春有華と道取せむがごとし。しかあれども、時節到来すればすなはちはなさく花時なるべし、花到来なるべし。この花到来の正当恁麼時、みだりなることいまだあらず。梅柳の花はかならず梅柳にさく、花をみて梅柳をしる、梅柳をみて花をわきまふ。桃李の花、いまだ梅柳にさくことなし、梅柳の花は梅柳にさき、桃李の花は桃李にさくなり。空花の空にさくも、またまたかくのごとし。さらに余草にさかず、余樹にさかざるなり。空花の諸色をみて、空菓の無窮なるを測量するなり。空花の開落をみて、空花の春秋を学すべきなり。空花の春と余華の春と、ひとしかるべきなり。空花のいろいろなるがごとく、春時もおほかるべし。このゆへに古今の春秋あるなり。空花は実にあらず、余花はこれ実なりと学するは、仏教を見聞せざるものなり。「空本無華」の説をききて、もとよりなかりつる空花のいまあると学するは、短慮小見なり。進歩して遠慮あるべし。

 この一節の最初のニ行ほどについて2018年5月6日の記事で注解を試みたことがある。それは「花から花への蝶躍的現成論」と題された四回の連載の最終回でのことあった。あわせてご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


歓喜させる文章

2022-08-22 17:10:54 | 読游摘録

 『道元の言語宇宙』からさらに摘録しておきたい。
 難解をもって聞こえる『正法眼蔵』の難解さに向き合う最良の方法として寺田透は「素読百遍意おのずから通ず」という、見方によっては愚直とも言える正攻法を採用する。そう書き出された「果て知れぬもの」と題された短章はもと「日本古典文学大系」の月報42に掲載された文章だが、どの巻に付されたのかはわからない。そこに寺田は同大系の校注者たちに対して無礼とも取られかねないようなことを書いている。

 ちゃんと頭注をつけて出る本の折込み付録の文章にこういうことを書くのは無作法だが、しかしともかくも僕はこういう自分の知識も、素読何回かするうちにおのずと得たものだということは、言わしてもらいたいと思う。定めし博捜と親炙のもたらした的確な註がこの本にはつくということだろうが、新しくこの本で『眼蔵』に接する読者、乃至厄介な歯の立たない本としてぱらりと目を配ったきり『眼蔵』を放擲していた読者が、そういう註によって言葉の意味を知り、理知的に大意をとらえて、それで『眼蔵』とはこういうものと思いこんでしまったら、それは誰よりもまずその読者にとって大変不幸なことだと僕は思う。(69頁)

 いくら「少し無作法だが」と断ってあっても、こう書かれては校注者たちもおもしろくはなかったであろう。『道元の言語宇宙』巻末の発表時所一覧によると、この文章が発表されたのは1960年10月で、第81巻が刊行されたのは1965年だから、直接的に同巻のみを念頭において書かれた言葉ではないし、寺田の言っていることはその通りだと私も思うが、校注者たちだって註はあくまで古典読解味読の補助に過ぎないことはわかりきったことであったろうから、発表の場所を考えれば読者への忠告として他の言い方もできであろうにと思う。
 この文章を書いた時点では、寺田は自分が後に「日本思想大系」のために『正法眼蔵』全巻の校注を担当することになるとは夢にも思っていなかったのではなかろうか。彼がこの畏怖すべき仕事をすんなり引き受けたとは考えにくいから、「大系」の編集委員たちがどのように彼を口説き落としたのか、その辺の楽屋話はちょっと知りたいと思う。
 註に頼ることの危険をあげつらうことが寺田の文章の目的ではもちろんなかった。タイトルに示されているように、主題は「果て知れぬもの」としての道元の文章である。註によって言葉の意味を知り、理知的に大意をとらえて事たれりとすることが読者にとって大変不幸であることの理由を寺田はこう説明している。

 何度読んでも、ふたたび本を開いてみると、いくえにも重なった(僕にはそれが、上下の重なりではなく、横に並び重なっていると見えるのだが)存在の層また層の中に拒みようもなく読者を引きこみ、やがて歓喜させるのが『眼蔵』の文章であり、表現であり、思考形式だからである。(同頁)

 何でもさっさと要領よく知解するだけで満足する浅薄な精神に対して『眼蔵』がその扉を開くことはないということだろう。寺田自身、過去に『眼蔵』について自分が書いた文章を時経て読み直すと、「何という貧寒なことしか書いていない貧相な文章だろうと、がっかりするのが常である」と告白している。
 それにもかかわらず寺田の道元についての文章を読むといつも発見があるのは、寺田自身がその都度歓喜するところまで『眼蔵』の文章に参入したうえで書いているからであろう。