内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「時」の果実を味わう暇

2024-04-30 23:59:59 | 雑感

 今月も時がゆっくりと過ぎていった。一日から六日までの五泊六日のラ・ボルド滞在がずいぶん前のことのように思える。その滞在以降はなにも特別なことはなく、坦々とした日々を淡々と過ごしてきただけだ。二月一日から研究休暇中で、授業の準備から完全に解放されており、大学関係の雑務も前期と比べればはるかに少なく、自分の研究と自由な読書と日課のジョギングとにかけたいだけ時間をかけられているということが気持にゆとりを与え、周囲のペースやリズムに影響されること少なく、心身において「私」の時間がゆっくりと経過しているから、いい意味で「時」を長く感じているのだと思う。昨年からずっと気にかかっていた辞書項目の執筆も一応終えることができて肩の荷が下りたことも気持を楽にしてくれている。思いがけず『荘子』を「再発見」できたこともけっして小さな出来事ではない。研究対象とすることはないけれど、『荘子』を読むことは、身体・世界・時間等についての単なる知解の付加ではなく、それらを根本から見直し捉え直し、それらとの「息」の合わせ方を教えてくれる。あるいはこうも思う。あれこれの経験が心身においていつのまにか腐葉土と化し、その土壌の中に根を広げた「時」が熟し、その果実を味わう暇を今恵まれているのかも知れない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう一つ辞書項目執筆追加というめぐりあわせを寿ぐべきか

2024-04-29 19:20:05 | 雑感

 先週木曜日、例の日本哲学辞典の他の執筆者から思いがけないメールが届いた。自分が担当することになっている項目を執筆する時間が公務多忙でどうしても取れないから、代わりに書くか、分担するか、手助けするか、何らかの仕方で協力してほしいという依頼である。ようやく自分の執筆項目を書き終えてやれやれと思っていたところで、正直、ちょっと困惑した。
 が、その執筆者の苦衷を知っているがゆえに、なんとか助けたいとも思った。で、共同執筆を提案した。作業をできるだけ効率よく進めるためには、私が主要部分を日本語で書き、美学が専門の彼がそれを仏訳するのが最良と判断し、そう提案した。今日、その提案に対する了解と感謝の返事が届いた。
 というわけで、日本哲学辞典の項目執筆はまだ続くことと相なった。その項目は大西克礼(1888‐1959)である。晩年の『美学』がその業績の集大成として知られているが、日本及び東洋の伝統的美学のいくつかの範疇について細密な理論的考察行った点でも稀有な美学者である。『幽玄とあはれ』(1939年)、『風雅論 ―「さび」の研究』(1940年)、『万葉集の自然感情』(1943年)など、大西が戦中に公刊した著作には、哲学的興味とともに近代日本思想史の観点から、私自身強い関心をもっている。
 幸いなことに、書肆心水の大西克礼美学コレクション三巻本(『幽玄・あはれ・さび』『自然感情の美学 万葉集と類型論』『東洋的芸術精神』、2012~2013年)が手元にある。つまり、提案した執筆事項に必要な文献はもう揃っているのである。
 こういうことを「めぐり合わせ」と言うのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


韋編三絶(いへんさんぜつ)

2024-04-28 04:18:15 | 雑感

 「韋編三絶」(いへんさんぜつ)という四字漢語(成語)がある。「イヘンみたびたつ」と訓む。「同じ書物を何回も読み返すこと」(武部良明『四字漢語辞典』角川ソフィア文庫、2020年)、「本が壊れるほど繰り返し読む」こと、書物のとじひもが切れるまで繰り返し読むこと」(村上哲見・島森哲男 編『四字熟語の教え』講談社学術文庫、2019年)の意で使われる。電子書籍には無縁の言葉であるが、私にとっては、いまだに捨てがたい味わいがある成語である。
 孔子が晩年『易経』という古典を何度も紐解いたので、竹簡をとじていた革紐が何度も切れたという『史記』「孔子世家」が伝える故事から生まれた成語である。韋編とは、なめし皮のとじひものこと。当時はまだ紙のない時代で、文字は細長い木か竹の札(簡)に書き、それをひもでつづり合わせ、読むたびにひろげたり巻いたりした。繰り返して読むと、そのひもがすり切れてしまう。
 文字どおり韋編三絶と言える本は私にはないが、現在手元に残っている日本語の本でもっとも傷みがはげしいのは、塙書房版の『万葉集 本文篇』(昭和51年初版15刷)である。これは今から四十数年前、授業でも自宅でも毎日のように紐解いていたから、背表紙は文字がかすれ、丁寧に扱わないとそれこそ糸かがりが切れてばらばらになってしまいそうな状態である。この一冊は「私宝」である。
 フランスで出版された書籍について言えば、1970年代までの単行本は糸かがり綴じが基本だった。よほど繰り返し紐解かないかぎり、糸が切れて頁の束が外れてしまうことはない。ところが、80年代から裁断しただけのバラバラの紙の背をただ糊付けしただけの粗悪な製本が市場を席巻し始めた。今では糸かがり綴じは高価な書籍に限られる。
 博論執筆中、粗悪な製本に何度も泣かされた。買ったその日にちょっと頁をめくっただけで真ん中からパックリ割れてしまって唖然としたこともある。こんなものは本とは言えないではないかと憤ったこと一再ならず。
 ガリマール社の Tel 叢書版のメルロ=ポンティ『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception)は私がもっとも繰り返し紐解いたフランス書の一冊だが、もう「満身創痍」であった。外れてしまった頁を接着剤とセロテープで何箇所も何度も貼り付け直したので、本体が膨れ上がり、ちゃんと本を閉じることができなくなってしまった。その後、1945年刊行の糸かがり綴じの初版の古本を購入した。今は参照するのはこの版である。Le visible et l’invisible も Tel 叢書版を使い倒した後、初版の古本を購入した。『眼と精神』(L’Œil et l’Esprit)は Folio 版を三回買い直し、その後、糸かがり綴じの初版本を入手した。
 一昨日、2000年の刊行と同時に購入したミッシェル・アンリの『受肉』(Incarnation)を必要があって久しぶりに開いたら、開いた頁のところでパックリ二つに割れてしまった。この本は博士論文執筆終盤に集中的に「酷使」した。あちこちにマーカーが引かれ、書き込みも多い。ここ何年開くこともなかったから、糊が硬化してしまっていたこともあるのだろう。これももう修復不可能な状態だ。仕方なく、購入し直した。見たところ同じ糊付け製本だが、この二十数年間に糊の質が改善されているのだろうか。もっとも、今後引用するときには電子書籍版を参照するから、紙版はたまに覗く程度だろう。ただ、それでも手元に紙版を置いておきたい一冊ではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


若き日にプラトンを読んでいた谷崎潤一郎 ― 和辻哲郎・谷崎潤一郎「春宵対談」より

2024-04-27 10:03:24 | 読游摘録

 昨日の記事で引用した和辻哲郎と谷崎潤一郎の対談「春宵対談」の箇所のすぐあとに、もう一つ興味を惹かれた一節があった。

和辻 それで思い出したが、何時か機会があったら聞いてみようと思っていたことがあるのだ。鵠沼の東屋に君が来ていた時、ぶらっと訪ねて行ったら、部屋に英訳のプラトン全集が置いてあった。こんなものをどうするんだときくと、僕だって読むよと君が云った。僕はそれを真に受けなかったんだが、しかしどうしてあんなものを置いているのかと不思議に思った。それは大正五、六年頃だね。それから何年か経って、君がしきりに映画にこっていた時分、映画の女優の亭主よりその女優を幕の上だけで愛しているファンの方が、その女優を一層真実に占領しているという意味の小説〔「青塚氏の話」1926年〕を書いた。(笑)
谷崎 覚えていないよ。
和辻 幕の上で見るだけだが、しかしその女の肉体を隅から隅までしっていると云う。(笑)
谷崎 自分の旧悪をあばかれるのは嫌だよ。(笑)
和辻 覚えているはずだよ。
谷崎 思い出した。(笑)
和辻 亭主は一所に住んでいるのだが、ファンの方は幕の上で見るだけで直接女優に会ったことがない。しかし亭主よりも一層よく女優の肉体を知っている。そのことが段々亭主に解って来ると、自分よりもファンの方が確実に女房を把握している事に気付いてくる。そういうテーマだった。それを読んで、ははア、此処にプラトンが響いているなと思った。(笑)
谷崎 思い出した。(笑)
和辻 プラトンのイデアの考え方をこういう風にコンクリートにしたのは面白いと思った。そういう事はないかね。
谷崎 そういう事がちょっとあった。そんな話は止めよう、きまりが悪い。(笑)
和辻 そうだとすると確かにあの時プラトンを読んでいたんだね。その掴み方は我々の仲間よりもしっかりしていると思った。

 両者に笑いが絶えないところからみて、和辻は谷崎を半分からかうような調子でこの話を持ち出したのだろうし、それに応える谷崎も半分空とぼけているようなところもあるから、この話全体をどこまで真に受けていいのか計りかねるところもあるが、谷崎がプラトンを若き日に読んでいたというのはちょっと驚きだし、プラトンのイデア論にちょっとでもインスパイアされた作品を書いていたというのも面白い。それに、およそ哲学的でない小説作品の具体的描写のなかに哲学の反響を読み取る和辻の読み方も興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


対談を読む楽しみ ― 和辻哲郎・谷崎潤一郎「春宵対談」(1949年)より

2024-04-26 23:59:59 | 読游摘録

 度し難い人間嫌いというわけでもなく、深刻な対人恐怖症を患っているわけでもないが、人との付き合いは極端に少なく、特にこちらから人に声を掛ける積極性は皆無に等しい。犬猫は好きだが、飼うのはちょっと面倒だと思ってしまう。
 日ごろもっぱら相手にしている、いや、相手にしてもらっているのは、書物のみである。書物にはこちらから積極的にお近づきを願う毎日である。内容的にまったく歯が立たなくて早々に暇乞いをすることもあれば、ちょっと覗いてみて気が合わないとたちまち閉じてしまうこともあるが、書物の方から無下に門前払いを食わされることはなく、こちらがそれなりに注意を払い、努力をすれば、書物の世界はどこまでも広がっていく。
 ところが、対談集や座談集の類を読んでいると、ちょっと微妙な気分になるときがある。対談者や座談会参加者当人たちは実際に顔を合わせて話し合っているわけで、特にそれが気の置けない間柄の人たちの歓談となると、それが活字化された記録を読んでいても当時の楽しそうな雰囲気が伝わってきて、それが羨ましくもなる。自分にはありえないことだなあと嘆息してしまう。まあ、でも、そんなこちらの都合はどうでもよいことであり、よい対談・座談を読むには執筆された文章を読むのとはまた違った楽しみがある。
 『和辻哲郎座談』(中公文庫、2020年)は、苅部直氏の解説によると、和辻没後六十年にあわせた刊行で、和辻の対談・座談を集めた最初の本である。対談相手、座談会出席者は、司会進行役も含めると二十人を超え、幸田露伴、柳田國男、長谷川如是閑、斎藤茂吉、寺田寅彦、志賀直哉、谷崎潤一郎など、多士済済、豪華な顔ぶれである。
 学生時代からの旧友である谷崎潤一郎との二つの対談が巻頭に置かれている。二人の話しぶりをかなり忠実に再現してあるからか、その親しげな調子が読んでいてもよく伝わってくる。
 1949年の春に行われた「春宵対談」のなかに、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を最近久しぶりに再読したという和辻が、昔「谷崎君」に原書を貸したときの思い出を語っている箇所がある。

和辻 あれを返してもらった時の挨拶の言葉を覚えてるよ。君が棒をひっぱてない所だけが面白かったというのだ(笑)。僕はパラドキシカルな警句に許り棒をひっぱって置いたからね。尤もあれはたいしたものではないね。
谷崎 僕もたいしたものではないと思う。

 苅部氏の解説によると、このエピソードを谷崎は和辻への追悼文(「若き日の和辻哲郎」1961年)のなかで紹介していて、後年、哲学者となった和辻が「僕が創作家になるのを止めて方向を変へる気になつたのは、あの時の君のあの言葉が大いに影響しているのだ」と谷崎に告げたのだという。
 和辻が作家になる夢を諦めたのは谷崎の才能を目の当たりにして己の無才をしたたか自覚したからだという漠然としたイメージしかもっていなかった私にとってはとても面白いエピソードである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「せいぜい」という副詞を皆さんはどのように使いますか?

2024-04-25 23:59:59 | 日本語について

 昨日の記事のなかに引用した興膳宏氏の一文中の「せいぜい」という言葉がちょっと気になったので手元の国語辞典や古語辞典で調べてみた。
 引用文では「難解な『荘子』の思想をせいぜい平易に解きほぐして」となっており、文脈からして、「出来る限りの努力をする様子」(『新明解国語辞典』第八版)という肯定的な意味で使っていることは明らかだ。ところが、私個人は「せいぜい」を肯定的な意味で使うことはまずない。「どんなに多く見積もったところで、それが限度だと判断される様子」(同辞典)という、どちらかといえば否定的な意味でしか使わない。例えば、「集まったとしてもせいぜい(で)四、五人だろう」(『三省堂国語辞典』(第八版)というように、それ以上は期待できないとか、無理とか、ありえないとか、そんな意味で使う。
 参照した上掲の二つの辞書とも「精々」と漢字をあてている。これだと肯定的な意味になることがあるのもわかる気がする。『新明解国語辞典』には、見出し語の下、語釈の前に、「〔中世語「精誠」〘=誠意を尽くすこと〙の変化という〕という説明がある。そこで手元の古語辞典を片端から調べていったのだが、立項しているのは『岩波古語辞典』(補訂版)のみ。その項には、見出し語の下に「精誠」と漢字表記され、「まごころ。誠心。丹誠。」を語義とし、用例は『平家物語』巻第五の「富士川」の段から「ひそかに一心の精誠を抽で」を挙げている。この用例は「特に真心を込めて、参詣し」(岩波文庫版)、「誠心をこめて、参詣し」(講談社学術文庫版)という意である。ただし、どちらの版も「精誠」に「しやうじやう」(しょうじょう)という訓みを当てている。
 「しょうじょう」が「せいぜい」と訓まれるようになったのがいつからかは手元の辞書類ではわからなかったし、いつから「せいぜい」がネガティブな意味で使われるようになったかも確定できなかった。
 ただ、『三省堂国語辞典』の同項の語釈及び豆知識が興味深かった。

①それ以上はないことをあらわす。多く見積もって。たかだか。関の山。②〔あまり結果を期待しないが〕できるだけ。「ま、せいぜいがんばってくれ」③〔古風〕じゅうぶんに。「せいぜいがんばってください」

 こう三つ語義を示した後に豆知識として、「年配者が③の意味で使っても、若い世代に②の意味に誤解されることがある。」と付け加えている。つまり、「年配者」(って、何歳から?)が「若い世代」への誠心からの励ましの言葉として「せいぜいがんばってください」と言ったのに、当の「若い世代」は、「(ま、君たちに期待なんてしているわけじゃないけどさ)それなりにがんばってみてよ」みたいに、ちょっと小馬鹿にされたか皮肉を言われたかと受け取りかねないということである。
 私は歴とした「年配者」だが、③の意味では使わない。もし誰かから「せいぜいがんばってください」と言われたら、「若い世代」ではもはやまったくないにもかかわらず、直感的に②の意味に取り、年甲斐もなく内心むっとする可能性が高い。まあ、文脈によるとは思うけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今も生成し続ける「生きた混沌」としての福永光司『荘子 内篇』(講談社学術文庫、2011年)

2024-04-24 15:27:39 | 読游摘録

 1966年に原本が朝日新聞社より刊行された福永光司(1918‐2001)の『荘子 内篇』(1956年の旧版に補訂を加えた新訂本)は、2011年に講談社学術文庫として再刊された。この紙版は現在古書でしか入手できないようであるが、電子書籍版が2017年に刊行された。私が読んでいるのはこの版である。紙版もぜひ入手したいのだが、状態の良い中古本にはかなりの高値がついているし、海外への発送を受け付ける古書店はまだ少ない。
 ちくま学芸文庫版の『荘子 内篇』(2013年)は、福永光司/興膳宏・訳となっていて、その解説は福永光司が書いているが、講談社学術文庫の解説との間にはいくらか異同がある。『荘子』の現代語訳は興膳によるものであり、各篇の冒頭の解説文は、学術文庫版と比べて大幅に簡略化されている。
 学術文庫版は、『荘子』の本文と福永の解説が渾然一体となっており、全体が一つの作品になっていると言ってよい。福永自身、新訂本はしがきで、旧版について「生きた混沌」と言っている。『荘子』そのものの解釈及び理解に関しては、今日学術的な観点から福永のそれを訂正しなくてはならない点が少なからずあるとしても、古典の訳と注解が己の実存を賭けた作品になっている点で福永の『荘子』は稀有な一書である。
 この記念碑的名著について、興膳宏はちくま学芸文庫版のあとがきにこう記している。「私は若いころ、福永の『荘子』内篇を読んで、すっかり感激した。そのころ『荘子』の注釈書はまだほとんどなかったが、この書は『荘子』の思想を専門家向けに説いたアカデミックな注釈書ではなく、一般の読者をも想定した解説書である。難解な『荘子』の思想をせいぜい平易に解きほぐして、日ごろ中国の古代思想になじみのない人をも引きこむ清新な創見に満ちていた。またそこには、かつて福永が中国の戦場で体験した過酷な現実を見つめる眼が潜んでいた。頭だけの理解ではなく、いわば自己の全実在を投じた理解の重みが読む者を圧倒したのである。」
 学術文庫版の「あとがき」から引用する。

終戦に一年半おくれて再び内地の土を踏んだ私の生活は、荒れ果てた祖国の山河よりも、なお荒涼としていた。しかし、私は、もう一度学究としての道を歩こうと決意した。再び郷里を離れるという私を見送って、年老いた父が田舎の小さな駅の冬空のもとに淋しく佇んでいた。私はその淋しい姿を去りゆく汽車の窓に眺めながら、学問とは悲しいものだと思った。その父の悼ましい急死が、五年間の空白を旅先の学問の中で戸まどっている私の無気力と怠惰を嘲笑したのは、昭和二十六年五月十九日のことであった。変り果てた父の屍の手を取りながら、私は溢れ落ちる涙をぬぐった。私の半生で一番みじめな日であった。黄色く熟れた麦の穂波の中を火葬場の骨拾いから帰りながら、私は荘子の「笑い」の中に彼の悲しみを考えてみた。打ち挫がれた私は南国の五月空を仰いで微笑みを取り戻した。私にとって、『荘子』はみじめさの中で笑うことを教えてくれる書物であった。

私は与えられた境遇の中で、自己の道を最も逞しく進んでゆくことを考えた。荘子の高き肯定には遠く及ばぬながらも、私の心には何か勇気に似たものが感じられるようになった。私にとって『荘子』は、精神の不屈さを教えてくれる書物でもあったのである。

私のこのような『荘子』の理解が、十全に正しいという自信は、もとよりない。しかし私にとって、私の理解した『荘子』を説明する以外に、いかなる方法があり得るというのであろうか。字句の解釈や論理の把握で、誤りを犯した部分は人々の教えによって、謙虚に改めてゆきたいと思っている。ただしかし私としては、私のような『荘子』の理解の仕方もあるということを、この書を読まれる方々に理解していただければ、それで本望なのである。そしてもし、死者というものに、生者の気持が通じるものならば、私は歿くなった父にこの拙い著作を、せめてものお詫びとして、ささげたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


広く深い言葉の世界への「入口」としての辞書項目

2024-04-23 14:30:36 | 雑感

 昨日、辞書項目執筆作業が思いのほか速くはかどり、残されていた三項目をほぼ半日で一気に仕上げることができた。今朝方、原稿を再度読み直し、若干の手直しと追加を施し、編集責任者に送信した。これで執筆依頼を受けた大項目一つと中小八項目のすべての執筆を終えた。
 今月八日に執筆を始めたときには、自分で課したデッドラインである今月末に間に合わせるために背水の陣を敷いたが、その甲斐あってか月末まで一週間残して作業を終えられたのは幸いであった。編集責任者からは労をねぎらう感謝の辞をすぐにいただいた。編集責任者としてはむしろこれからの編集作業が大変だろうと想像する。
 拙稿を自分の目だけで推敲するには限界があり、他者の目で厳しく検討してもらう必要がある。過去にも、別の辞書のある項目を執筆したとき、編集主幹からのこれでもかというほどの赤入れが入った拙稿を受け取った。いささかショックではあったものの、結果としてそれだけ文章が改善されたのだから、そのために彼が割いてくれた貴重な時間と労力をありがたいと思わなくてはいけないだろう。
 フランス語では初めてとなる日本哲学辞(事)典がどのような読者に迎えられるのか、よくわからないところもあるが、編集責任者が最初にこの企画を出版社にもちかけたときから、出版社側は乗り気だったと聞いている。長年にわたって数多くの事典を手掛けてきた老舗の出版社のことだから、出版企画としてそれなりの「勝算」があるのだろう。
 一昨日の日曜日が最終回第十話だったドラマ『舟を編む ~私、辞書を作ります~』(NHK BS)の第三話に、辞書出版に尽力している営業担当が執筆者の一人である大学教授に向かって「入口をください」とお願いするシーンがある。
 思いを込めて推敲を重ねて書き上げた項目「水木しげる」の原稿の大部分が編集部によって削られ、誰でも書けるような簡単な説明に置き換えられているのを見て怒り心頭に発し、自分がこれまで執筆担当したすべての項目の原稿を取り下げるといってきかない教授に対して発された言葉である。辞書の項目には一定の執筆規定があり、それを逸脱するような詳しい説明は載せられない。辞書の項目は、未知の言葉に出会った人がその言葉の向こう側に広がっている世界に入るための「入口」、その「入口」をください、と教授を説得しようとしたのだ。
 口幅ったい言い方に聞こえるかも知れないが、私が執筆させてもらった項目も、仏語圏で日本の哲学に関心をもった人たちがより広く深く日本の哲学について知りたくなるような「入口」になってくれることを心から願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「生けるかひありつる幸ひ人の光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」―『源氏物語』若菜下より

2024-04-22 00:00:00 | 日本語について

 昨日の記事で「そぼふる」という動詞を使った。何気なく使ったのだが、記事を投稿した後に自分の使い方が適切だったかどうか気になりだし、手元にある辞書を片端から調べていった。
 小型国語辞典の語釈にはしばしば「(雨が)しとしと降る」とあるが、これは「しとしと」という副詞がどういう意味かわかっていることを前提とする説明だ。『三省堂国語辞典』の「しとしと」の語釈は「雨などがしずかに降るようす」。これで少しはイメージが湧く。『新選国語辞典』(小学館)は、「雨がしめやかに降る」としている。同辞書は、「しめやか」の第二の語義を「しんみりとしたようす」として、用例として「しめやかに葬儀がとりおこなわれる」を挙げている。『角川必携国語辞典』は「そぼふる」を「細かい雨がしとしと静かに降る」と説明している。「しとしと」に「細かい」と「静かに」という情報が付加されている。これらの情報から、「そぼ降る雨」と「しめやかな葬儀」という二つのイメージが重なって浮上してくる。
 「そぼふる」の語釈で異彩を放っているのが『新明解国語辞典』だ。「〔雨が〕強い勢いではないが、時間がたつとびっしょり濡れてしまう程度に降る」。この語釈に基づけば、「そぼふる雨」は、にわか雨ではありえない。一定の時間、しばしばかなり長時間にわたって、細かく、静かに、降らなくては、「そぼふる」とは言えない。
 「そぼふる」と濁るようになったのは中世以降のことで、平安時代までは「そほふる」と清音であった。手元の古語辞典の多くは『伊勢物語』の同一箇所(第二段)、「時は三月のついたち、雨そほふるにやりける」(時は三月一日、(ちょうど)雨がしとしと降る中を、(男は女に歌を)おくった)を用例として挙げている(現代語訳は三省堂『全訳読解古語辞典』に拠る)。この雨は、『伊勢物語』同段の文脈から明らかなように、春の長雨である。それを眺める男の歌にはどこか憂いがこもる。
 角川の『全訳古語辞典』(久保田淳・室伏信助=編)と小学館の『全文全訳古語辞典』(北原保雄 編)は、『源氏物語』若菜下から用例を採っている。「生けるかひありつる幸ひ人の光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」(「この世に生きていたかいのあった幸せな人(=紫ノ上)が亡くなる日なので、雨はしとしと降るのですね。」現代語訳は小学館『全文全訳古語辞典』に拠る)という一文だ。これは、紫の上が亡くなったという噂を聞いた上達部が発した言葉である。この文脈でのイメージは、現代語の「そぼ降る」のもたらすイメージとも重なる。ここで「小雨がしとしと降る」以外のイメージは想像しにくい。
 ところが、である。名訳の誉れ高いルネ・シフェールの仏訳を見て一驚した。当該箇所の訳がこうなっているのである。

Le jour où une personne aussi favorisée par la fortune perd la lumière, rien d’étonnant que la pluie tombe à verse ! 

Éditions Verdier, 2011, p. 841.

 訳中の « à verse » は「土砂降り」を意味する。これでは原作のイメージのぶち壊しではなかろうか。この歴史的名訳にケチを付けたいという気持ちはさらさらないのだが、この誤訳を瑕瑾と言って済ますのはあまりにも寛容すぎないであろうか、と、現代ピアノ曲のアンソロジーが静かに流れる書斎の窓からそぼ降る雨を眺めながら、独り呟く偏屈老人で私はあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寒の戻り、辞書項目執筆に勤しむ

2024-04-21 14:09:23 | 雑感

 四月上旬には最高気温が二十度を超える日もあったのに、ここ一週間ほど寒い日が続いている。日曜日の今日、朝の気温は三度、日中も十度以下だった。各種天気予報によると、まだ一週間ほど寒い日が続くとのこと。日中も寒くて暗く、雨もよく降る日は嬉しくないけれど、ジョギングにはそう不向きでもない。毎日平均12キロほど走っている。日曜日は週日より長い距離を走ることが多い。今日は小雨そぼ降る中、16キロ走った。
 先週火曜日に『日本哲学辞典』(PUFから出版予定)の大項目「第一哲学/形而上学」の第一稿を編集責任者に送った翌日水曜日から、その他の項目の執筆に取り掛かる。執筆といってもまったく新たに稿を起こすのではなく、既発表の諸論文のなかから当該箇所を抜き出し、それを辞書項目として相応しい体裁に書き換えるだけだから、まあそんなに時間はかからないだろうと見通しにはかなり楽観的であった。
 上記の大項目以外の担当は以下の八項目。西田幾多郎の「生命の哲学」、同じく西田の「行為的直観」、西谷啓治における「空の立場」、美学的概念としての「陰翳」、諸芸術のキーコンセプトとしての「間」、時枝誠記の言語過程説における「主体」概念、これらの事項項目に加えて、人物解説項目として「時枝誠記」と「滝沢克己」。事項項目の字数は10000字前後、人物解説項目は5000字前後。日本語にすれば、それぞれ4000字、2000字程度だろうか。
 水曜日から土曜日までの四日間で上記の最初の五項目を書き終えた。というよりも、実質は、既発表の諸論文から必要部分を切り取り、それらを10000字にまで切り詰める作業だった。昨日それら五項目の第一稿を編集責任者に送信した。
 残りは時枝の言語過程説と二人の人物解説の三項目。言語過程説及び時枝における「主体」概念については三つの既発表論文があり、それとの関連で研究発表も三回行っているから、半日で大丈夫であろう。この項目も10000字前後。二人の人物解説のための資料も揃っているから、こちらもそれぞれ半日でいけるだろう。今週前半には学生との面談がいくつか入っているが、金曜日までには三項目とも終えられる見込み。今月末までに全担当項目提出という編集責任者との約束は余裕をもって果たせそうで一安心している。