内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ふと気が向いたら、いつでも来ていいんだよ

2017-09-19 22:05:13 | 雑感

 最初に、ちょっとだけ、場合によっては、あるいは、人によっては、気を悪くされるかも知れないことを書かせていただきます。
 この文字通りの拙いブログの記事にたまにコメントをくださる方々がいらっしゃいます。そのこと自体は、読んでくださっているからこそと、たいへんありがたく思っております。改めて感謝申し上げます。
 その上で言わせていただきますが、そのような方たちのコメントを読むと、正直、辟易する内容が多いのです。そのような場合、とてもご返事する気になれません。どうしてそういうことになるのでしょう。詳細は省きますけれど、要するに、こちらの意図などどうでもよくて、自分が書きたいことを長々と書いてよこすからです。そういう方たちに申し上げたいことは、「それって、場合によってはストーカー行為ですよ。ご自身がそんなにご立派な意見をお持ちなら、どうぞご自分で発表の場を設けてなさったらどうでしょうか」ってことです。
 さて、今日はそんなことが書きたいのではありませんでした。
 日本の大学には、「オフィスアワー」というシステムがありますね。こちらにも同様のシステムがあります。その時間帯、教員は研究室にいて、学生たちは予約なしで面会に来ることができます。各教員、週に二時間、ということに弊学ではなっております。すべての教員のオフィスアワーは掲示されていますし、授業で学生たちに知らせてもあります。原則として、学生たちはその時間帯に教員に面会に来ます。
 でも、この九月から学科長になって、自分として密かに決めたことがあります。それは、オフィスアワーの枠に限らず、できるだけ研究室にいようということです。ちょくちょく学科の教員室に顔を出そうとも決めました。オフィスアワー以外の時間帯に面会を求めてくる学生の都合にも極力合わせます。
 なんでそんなことをするかというと、「あそこに行くとさ、たいてい誰かいるんだよね。行けば、こっちの話、聴いてくれるしさ」って学生たちが思ってくれるような場所を学科に作りたいからです。
 どうしてそんなことを考えるかとお尋ねですか。それは、逆説的に聞こえるかもしれませんけれど、こうすることでより簡単に解決できる問題が多いからなんです。つまり、「あそこに行けば誰か話を聴いてくれる」、そんな場所を人は誰でも必要としていて、それを提供するだけで解決できる問題が少なくない、ということです。
 大したことはできないけれど、我が日本学科にはそういう場所があるよ。私だけじゃない、博士課程の学生にもそんなことを考えているのが一人いるし、卒業生のなかにもいる。さしあたり、学科の図書室をその場所として提供するからさ、気軽に来てみたら。そこに来て、誰かと話せたら、それだけで楽しいじゃない。
 そういうメッセージを在学生たちに少しずつ伝えようと、今、画策しているところです。