訳語について一言。Creative illness という英語に対して「創造の病い」という訳語を中井久夫はあてている。実は、ちょっとそれに違和感を私は覚える。なぜなら、ただこの訳語だけをいきなり見ると、創造することの病い、つまり、創造に伴う病い、という意味にも取れなくもないからである。
仏訳は maladie créatrice となっている。どうして「創造的病い」と訳さなかったのだろう。私にはそのほうが通りがいいと思えるのだが。例えば、ベルクソンの L’évolution créatrice は『創造的進化』と訳されていて、それに異を唱える人はいないようだし。もし『創造の進化』などとしたら、それこそ誤解の種にしかならないであろう。
確かに、昨日の記事の引用を読んだだけでも、誤解の余地はない、と言えるかもしれない。それにこの訳を採用した理由が、日本語版『無意識の発見』のどこかにちゃんと説明されているのかもしれない。ただ、ちょっと気になったので、つまらないことけれど、ここに記しておく。
さて、「創造の病い」という言葉が『無意識の発見』に最初に出てくるのは、力動精神医学の歴史を辿る前の予備的考察として、原始共同体における治療師の役割・地位・養成・継承等が記述されている箇所の中である。
一般に、原始共同体で治療師がそれとして他の成員たちから承認されるためには、長く困難な修行期間を経なくてはならない。多くの場合、その期間中に「加入儀礼の病い maladie initiatique」を経験しなくてはならない。その経験の仕方は様々で、薬物・アルコールを使う場合、催眠術を使う場合、あるいは「真正の」精神疾患を経る場合などがある。
この第三の場合について、エランベルジェは、その病いが一般の精神疾患と異なっているのは、次のような点にあると説明する。
修行中に発症したこの病いはシャーマニックな召命から発生したのであり、この疾病期間、修行中の病者は他のシャーマンたちの職業的指導・監視下に置かれている。病いが「癒えた」とき、修行は終わり、病者はシャーマンになったと宣言される。
この「加入儀礼の病い」を「創造の病い」というより広いカテゴリーに含めることができるだろうとエランベルジェは言う。そして、ある種の神秘家、詩人、哲学者たちの経験もこのカテゴリーに入るだろうという。
病いの経験とそれからの治癒が元の状態への回復ではなく、新しいより豊かな世界経験への通過儀礼になっているとき、その病いは「創造の病い」である、ということであろう。
「創造の病い」の原語は、英語で creative illnesse、医学史の大家で自身精神科医だったアンリ・エランベルジェ(1905-1993)が提唱した概念。その記念碑的大著 The Discovery of the Unconscious. The History and Evolution of Dynamic Psychiatry (日本語版は、『無意識の発見―力動精神医学発達史』、上下二巻、中井久夫・木村敏監訳、弘文堂、一九八〇年。本書では、著者名がそのスイスの祖先の名の発音により忠実にエレンベルガーとなっている)の中でも、フェヒナー、フロイト、ユングらの独創的な仕事をもたらした決定的契機として「創造の病い」が導入されている。
エランベルジェを師の一人として仰ぎ、その人柄を「謙抑含羞の人」と形容する中井久夫による日本語版あとがきは、情理を尽くした著者紹介になっている。私の手元にはこの高価な日本語版二巻本はないが、幸いなことに、手元にあるちくま学芸文庫版「中井久夫コレクション」の一冊『私の「本の世界」』(二〇一三年)の中にそのあとがきが収録されている。しかも、日本語版刊行後に著者エランベルジェ自身から送られてきた書簡による補訂版である。
「創造の病い」とは何か。中井久夫は『治療文化論』(岩波現代文庫、二〇〇一年)の中でそれをこう説明している。
抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、何か新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的人格という人格変容をきたす過程である。(59頁)
興味深いのは「創造の病い」が通常の疾病分類に入りえないことである。フェヒナーはうつ病だそうであり、フロイトは神経症、ユングはほとんど分裂病に近かったであろう。ウェーバーは重症うつ病だとされる。ウィーナーは何と肺炎に起因する症候性精神病である。(59-60頁)
おそらく、分裂病・うつ病と推定された人も含めて、多少の意識混濁あるいは意識変容が必要なのであろう。「創造の病い」においては何らかの形の意識混濁あるいは変容が伴うと私は思うのだが、その理由は、それなくしては、過去と未来と現在とが一望の下に見えるような、そして、その中で、創造的な仕事の条件である「思いがけないものの結合」が起こらないからであろう。(60頁)
エランベルジェの著書で私の今手元にあるのは、『無意識の発見』新訂仏訳 Histoire de la découverte de l’inconscient, Fayard, 1994 と同新訂仏訳出版に尽力したエリザベート・リュディネスコ編集の論文集 Médecines de l’âme. Essais d’histoire de la folie et des guérisons psychiques, Fayard, 1995 の二冊。残念なことに、みすず書房から三巻本として刊行されている『エランベルジェ著作集』(中井久夫訳)第二巻には、1964年にカナダの哲学雑誌に発表された仏語論文 « La notion de maladie créatrice » の邦訳「「創造の病い」という概念」がちゃんと収録されているのに、上掲の仏語論文集にはそれが収録されていない。この論文の要旨や紹介はネット上で簡単に見つかるのだが、この論文そのものは閲覧できない。そこで、差し当たり、『無意識の発見』仏訳を手掛かりに、もう少し、「創造の病い」についての理解をこの機会に深めておきたい。
スタロバンスキーの L’encre de la mélancolie に収録された « Des « négateurs » et des « persécutés » » という論考の脚注の一つに、ボードレールの『悪の華』の中の « Spleen » と題された一連の四つの詩のうちの二番目 « J’ai plus de souvenirs que si j’avais mille ans. » に関連して次のような指摘がある。
On sait que, selon Binswanger et Tellenbach, la mélancolie se caractérise par la perte de la capacité de pro-tension vers l’avenir et par la rétention exagérée d’un passé chargé de culpabilité. On ajoutera que, la mort faisant partie de notre avenir, il devient explicable que la conscience se sente immortelle ou déjà morte en raison même de sa « régression » et de sa perte d’avenir (J. Starobinski, op. cit., p. 536-537, n. 3).
ビンスワンガーとテレンバッハによれば、メランコリーは、未来を予め把握する能力の喪失と罪悪感を帯びた過去への過度の固執とによって特徴づけられる。スタロバンスキーはそれに加えて、死は未来に属するがゆえに、意識が過去へと後退し未来を失ったメランコリー状態にあるとき、まさにその同じ理由で、あるいは己を不死と感じ、あるいは既に死んでいると感じるという相反した想念が発生することが説明可能になる、という。
死はまだ私たちに訪れていない限りにおいて私たちの生に現前するのだとすれば、死が訪れるであろう未来が失われれば、それとともに死も消失し、したがって、自分は不死だという想念が発生しうる。しかし、他方、それとはまったく逆に、不可避なはずの死がもう訪れないということは、自分はすでに死んでしまっているのだという想念を発生させうる。
メランコリーが不死と既死という矛盾した想念を発生させうる理由がここにある。
今日は日曜日だから、というわけでもないのですが、哲学的にメランコリーの話を真面目にするのはお休みにして、いくらか軽く読書記録を一言残しておくだけにします。今、「いくらか軽く」と、ちょっと中途半端な言い方をしたのは、その読んだ本の内容そのものは、けっして「軽く」はないからです。むしろ、その本には、一人の人の人生行路において大切なことが、さりげなく、優しい言葉で、しかし核心を突くように書かれています。
その本とは、今日の記事のタイトルにも示したように、精神科医中井久夫の『「思春期を考える」ことについて』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)です。本書は、同文庫から刊行されている「中井久夫コレクション」の中の一冊で、『中井久夫著作集』第三巻「社会・文化」(岩崎学術出版社、一九八五年)を中心として、新しく編み直されたものです。タイトルから想像される問題領域よりずっと広範囲に渡る問題群が扱われています。
本書の中に「軽症うつ病の外来第一日」という五頁ほどの短い文章が収められています。もともとは、一般医学誌『日本医事新報』二八八一号(週刊日本医事新報社、一九七九年)の「二頁の秘訣」というコラムへの寄稿で、本書収載にあたって、頁制限で削除した部分を復活させ、多少補足した、と著者自身による後記が添えられています。掲載雑誌の性格とこの文章のタイトルからも想像がつくように、この文章は、患者に接する精神科医へのアドヴァイスとして書かれています。
この文章を読んで、私は初めて「スマイリング・デプレッション」という言葉を知りました。この言葉が出て来る前に、外来患者の診療の始まりから、何に注意を払い、どう患者に接し、どのような言葉を使って問診すべきかが、素人にもわかる平易な言葉で語られています。その上で、一つの注意事項として、スマイリング・デプレッションに中井は言及します。
注意すべきは、社会的地位の高いほど「顔を作れる」能力が身についていることだ。そういう人ほど階級上昇しやすく、また上昇の過程で能力がみがかれるのだろう。その結果、深い抑うつを抱きつつにこやかに礼容を失わず医師に対応する “スマイリング・デプレッション” となる。ひとりでいる時の表情はずっと暗いはずだ。時々待合室をのぞくことをすすめる(174頁)。
このスマイリング・デプレッションという病名、日本語では「微笑み鬱病」というのだそうですが、中井の本にはこの言葉は出てきません。この言葉だけ見ると、何か軽症うつ病のように思えてしまいますが、実のところは、かなりの重症の場合が多いようです。日本人に特に多いということはあるのでしょうか。
もう一箇所だけ引いておきます。
再発問題には「治るとは元の生き方に戻ることではない。せっかく病気になったのだから、これを機会に前より余裕のある生き方に出られれば再発は遠のいていく」むね告げる。三十代後半から四十代ならば「せっかく病気になったのだから生き方を少しひろやか(のびやか)にされては?」と水を向ける。この「せっかく」は土居健郎のよく使うことばで実にうつ病の人によい。しかし、六十代、七十代の人にそういうのは酷であり、高齢まで一つの生き方を貫けた強さ、その生き方の適合性を買って、そのままのコースを歩んでもらうことも多い(176頁)。
中井久夫の文章を読んでいると、それだけで少し心が軽くなり、生きることにいくらかでも希望がもてるようになります。
今日私たちが「メランコリー」という言葉に与えている意味と古代ギリシャにおける「メランコリア」の意味との間には、言うまでもなく、相当にずれがある。それに、古代の病因論は、それ固有の自然観に基づき、それに応じた語彙によって記述されている。その記述は、だから、今日の医学からすればまったく荒唐無稽に見えるところもあるだろう。
しかし、紀元前五世紀から四世紀にかけてヒポクラテスによって体系化された古代医学が中世末期までの西洋精神史における人間身体論と世界像の形成にとって決定的に重要な役割を果たしたことを忘れてはならないだろう。それは、陰陽道をまったく非科学的な迷信として片付けてしまっては、日本古代の精神史は理解できないのと同様である。
ヒポクラテス文書の中にも見出だせることだが、古代ギリシャにおいてメランコリアという語は二重の意味を負わされている。一方では、病因性のない気質としての一定の傾向を意味し、他方では、その気質の過剰あるいは変性による精神疾患を意味する。いずれの場合も、メランコリアは、その発現において身体にではなく知性に関わる秩序の傾きあるいは「乱れ」と考えられた。
この乱れは、しかし、矯正あるいは治療されるべき疾患とは限らない。なぜなら、この乱れがある種の特異な能力や達成をもたらすからである。それは、精神の優位を授け、英雄的な召命に伴い、詩的あるいは哲学的な天才と切り離し難いことがある。
昨日の記事で取り上げた伝アリストテレス『問題集』第三十巻に見られるメランコリーに関するこのような積極的な言明が以後の西洋文化史の上に多大な影響を及ぼすことになる。
メランコリーという言葉は、メランコリア μελαγχολία という古代ギリシア語がその起源で、最初にこの言葉を使用したのは「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスだと言われている。このギリシア語は、μέλας(暗い・黒い)と χολία(胆汁)から成り、「黒胆汁」という意味。ヒポクラテスによれば、メランコリア(黒胆汁)は、血液・粘液・黄胆汁とともに体内を循環する四つの体液の一つであり、これらの体液のバランスが崩れると様々な病気が発症するという。それゆえ、黒胆汁が他の体液に対して過剰に分泌されるときに発生する諸症状はメランコリアと呼ばれるわけである。ヒポクラテスが挙げるその諸症状は、しかし、今日言うところの内因性鬱病の諸症状よりも遥かに多様であり、したがって、メランコリーを鬱病の同意語として使うことは厳密にはできない。
因みに、日本語で今日言われるところの鬱病は、だから、フランス語では今日一般的に dépression と呼ばれる。この語が心理的抑鬱状態を指すようになったは十九世紀後半になってからのことで、文学においてはボードレールにその用例を見ることができる。
しかし、古代ギリシャにおいて、ヒポクラテスの四体液説を前提としつつも、ピポクラテスとは違って、積極的な意味をメランコリアに与えた哲学者たちがいる。アリストテレスによって創設されたペリパトス学派(逍遥学派)の哲学者たちである。拙ブログの今日の記事のタイトルでは、煩雑を避けてアリストテレス『問題集』としたが、本書はアリストテレス自身の著作ではなく、ペリパトス学派(逍遥学派)の第二代学頭テオプラストスあるいはその他のアリストテレスの弟子たちの著作であろうと言われている(岩波の新版『アリストテレス全集』では第十三巻(2014年)に、旧版では第十一巻に収録されている)。
本書の第三十巻第一章が有名なメランコリー論である。その中で、「哲学、政治、詩作、そして芸術に秀でた人々はみな、メランコリックだった」と主張されている。しかし、それはヒポクラテスが言うような意味での不活性な病的状態を指してのことではない。スタロバンスキーの « L’anatomie de la mélancolie »(L’encre de la mélancolie, Seuil, 2012 に収録)に依拠するならば、そこでメランコリアに与えられているのは、「高貴で、きわめて危険に満ちた」(« noble et infiniment périlleux » )意味であり、それに従えば、メランコリアには、その温度に応じて、「直観的な飛躍と不毛な脱力状態という相対立した潜在性」(« les virtualités opposées de l’élan intuitif et de la prostration stérile »)が与えられる(J. Strabinski, op. cit., p. 164)。
つまり、メランコリアには、深い意気消沈へと落ち込む危険とともに、まさにそれゆえにこそ、現在の現実への盲目的な固執から離脱させる解放の契機もまた孕まれている、ということである。
ここ数週間、西洋精神史におけるメランコリーとアイロニーとの交叉点に哲学の生誕地を見るというアイデアの下、数十冊の参考文献を読んでいたのですが、一向に論述の順序について見通しが立たず、何も書き出せないでいます。見通しが立たないのは、このテーマに関連する書籍を読めば読むほど、問題群がその広がりと奥行きを増していって、もうちょっと収拾がつかなくなっちゃっているからなんですね。
何しろどちらの言葉も古代ギリシアに起源をもっていますから、そこから始めて中世・近世・近代を経て現代にまで到達するには、話を哲学史における両概念の変遷を辿ることに限ったとしても、そして、大学の仕事をすべて擲って家に引き籠もったとしても、少なく見積もって数年はかかる大仕事です。要するに、このテーマで研究を一つまとめるなんて、所詮私にはできるわけないんです。トホホ...
まあ、それでも気を取り直して、ノートの形で書けるところから日に数行だけでも書いて、将来(って、いつのことだろうねぇ)の研究の手掛かりだけはこのブログの記事として残しておきたいと思います。
では、明日の記事よりノートを開始いたします。
それでは、動詞 innerver が出てくるペリエの序文の一節を読んでみましょう。
Malgré l’inachèvement, la méthode d’exposition choisie par Jean-Michel Palmier ne laisse pourtant dans l’ombre aucun des textes majeurs de Walter Benjamin et par son autonomie même, l’itinéraire théorique publié ici le montre à chaque ligne : les analyses esthétiques ou politiques sont en permanence mêlées aux traits biographiques ou historiques. Tout événement singulier est comme un étoilement sur l’espace conceptuel du philosophe allemand, ses fines ramifications innervent discrètement chacune de ses problématiques et d’écrit en écrit, les moments théoriques répondent de l’expérience vécue (Florent Perrier, « Avant-propos » à Jean-Michel Palmier, Walter Benjamin. Un itinéraire théorique, op. cit., p. XIII. Nous soulignons.).
未完の大著とはいえ、パルミエがその中で採用した提示方法はベンヤミンのいかなる主要テキストも隠れたままにしておくことはありませんでした。それは、ベンヤミンの生涯と作品を一つの生ける理論の自律的な行路として提示している本書のいたるところで確認できることです。美学あるいは政治にかかわる分析は、つねに伝記的あるいは歴史的特徴と結び合わされています。あらゆる特異な出来事が、ベンヤミンというユダヤ系ドイツ人哲学者の概念空間上に、星のように四方八方に光を放っています。この空間上の細やかな分岐状の広がりが、そこに提起される問題群のそれぞれをそれと目につかぬ仕方で神経網のように組織化していきます。テキストからテキストへと、理論的契機によって生きられた経験に保証が与えられていてきます。
このような文脈で、動詞 innerver が意味していることは、問題群のそれぞれについてその構成要素をあたかも神経組織のようなある広がりを持った一つのまとまりとして形成し、そのようにしてできたまとまりを、今度はその他のまとまりとも結びつけてより大きな神経組織網を形成し、しかも、それらの問題群が提起される中で起こる様々な出来事もそれぞれその網状組織形成過程の有意味な契機として統合することだと思われます。
このような方法的態度は、ある一人の思想家の生涯と作品の中からある特定の側面のみを切離すことで、その生ける思想が本来持っていた自己組織力を切断してしまう「人工的措置」に真っ向から反対する態度だと言うことができると思います。動詞 innerver によって象徴される作業は、したがって、神経が本来有っている自己組織力を回復させるために必要とされる一連の措置だと言うことができるのではないでしょうか。
しかし、それはただ再生だけを目的とした「縫合術」ではありません。その作業を通じて、一人の思想家の生涯を貫いているものを浮かび上がらせる解釈の極を提示することでもあります。そうすることによって、一つの生ける星座、相互に照応する諸契機からなる一つの世界のイメージを形成しようとしているのです。
Soucieux de rétablir une innervation souvent coupée par des interprétations réduites à des aspects artificiellement isolés, Jean-Michel Palmier relie les morceaux épars de l’œuvre à un pôle interprétatif commun — la permanence des catégories théologiques, des thèmes romantiques et messianiques, un anarchisme jamais abjuré depuis ses écrits de jeunesse jusqu’aux Thèses de 1940 — pour former l’image d’une constellation vivante, un monde de correspondances (ibid., p. XIV. Nous soulignons.).
昨日の記事の終わりで少し触れたように、動詞 innerver は、「(有機体のある部位に)神経組織を分布する」という意味で生理学・解剖学の専門用語として1820年代半ばから使われるようになりました。ラテン語で神経を意味する nervus から作られた語です。用例の初出としては、名詞 innervation の方が若干早い。それは、おそらく、神経組織の分布の動的な形成過程の考察よりもそれが形成された後の安定的な状態の観察が先行していたからであろうと推測できます。
二十世紀に入ると、この動詞 innerver と名詞 innervation との転義的用法が現われます。主に、交通網について、それがあたかも「(ある地域に)神経組織のように張り巡らされていること、あるいは、それをそこにそのように張り巡らすこと」を指すときに使われるようになるのです。二十世紀半ばには、代名動詞として主に受動的用法(「神経組織が分布される、あるいは、神経組織のように、何かが分布される」という意味)で使われるようになります。ここから再帰的用法(「己自身を神経組織として、あるいは神経組織のように、自己形成する」という意味)への転用が発生することは容易に想像できるでしょう。
TLFi(Le Trésoir de la Langue Française informatisé)の « innervation » の項には、転義の用例として、ポール・ヴァレリーの『現代世界の考察』(Regards sur le monde actuel, 1931)の序文(Avant-propos)から一文引用されています。 その前の一文も一緒に引用しましょう。
L’élécricité, du temps de Napoléon, avait à peu près l’importance que l’on pouvait donner au chrstianisme du temps de Tibère. Il devient peu à peu évident que cette innervation générale du monde est plus grosse de conséquences, plus capable de modifier la vie prochaine que tous les événements « politiques » survenus depuis Ampère jusqu'à nous (Œuvres, vol. II, coll. « Bibliothéque de la Pléiade », 1960, p. 919-920. Nous soulignons.).
ナポレオン時代における電気の登場は、古代ローマ世界においてティベリウス帝(イエス・キリストが磔刑死したときの皇帝)の時代に原始キリスト教の出現がもたらした衝撃にほぼ匹敵する重要性をもっていた。世界中が電気によって神経組織のように網状組織化されていくことは、その間の一切の「政治的」出来事よりも巨大な結果をもたらし、向後の人間の生活をより決定的な仕方で変化させうることが今徐々に明らかになりつつある。
1930年代初めにヴァレリーはこう言っているのです。それから八十年以上が経過している現代世界に生きる私たちは、ヴァレリーが電気と言ったところをインターネットに置き換えれば、やはり同じようなことが言えるのではないでしょうか。
さて、昨日の記事を書いている時点では、今日の記事で一気にペリエの序文の中の innerver の用法の分析にまで進みたかったのですが、これからそこまで行くとなると、仏語引用も含めて一日の記事としては長くなりすぎると思い、今日のところはここで切り上げることにします。
それに、拙ブログの今回のテーマからは横道に逸れることにはなりますが、ヴァレリーの『現代世界の考察』をこの機会に味読しておくことは、知的精神活動に必要な栄養補給ために、それぞれに滋養たっぷりな複数の食材をそれまでにない洗練された仕方で組み合わせることで生まれた極上の料理を味わうような楽しみと喜びを与えてくれることでしょう。
ヴァルター・ベンヤミンは、その主要な著作の邦訳がここ数十年かなりの頻度で繰り返し出版されていることから見ても、現在でも日本で様々な分野から関心を寄せられている人気のある思想家・批評家の一人のようですね。
哲学・文学・芸術・演劇・歴史・政治・言語論・都市論等、きわめて多岐に渡るその煌めくように魅力的で刺激的な諸論考は、フランスでも、それら様々な分野に関心を持つ人たちによってよく読まれているようです。二十世紀前半のユダヤ系ドイツ人知識人の悲劇を象徴する一人であること、プルーストやボードレールの独訳者であること、一時期パリで暮らしていたこと、その著作の一部が本人自身によってフランス語で書かれたことなどから、フランスでは特別な関心を持たれているということもあるのかも知れません。
ただ、その考察対象がとにかく極めて広範囲に渡り、文章には難解なところもあり、同じテキストとして扱いかねるほど内容が異なる複数のヴァージョンが残されている同名の論考もあったりして、ベンヤミンの思想の全体を見通すのは容易ではないことはフランスでもしばしば問題されていることです。
私自身、ベンヤミンのことは日本にいるときからずっと気にはなっていて、今も主要な著作は仏語版ですべて持ってはいますが、実のところ、ときどきその著作のいくつかを覗き読みするだけで、正直に申し上げますと、その著作を手に取る度になんとなく苦手意識が働いて、これまで真剣に読もうとしたことはありませんでした。
ところが、つい先日、エンリコ・マラト『ダンテ』を発注するときに、Les Belles Lettres 社のサイトでふと目に止まった Jean-Michel Palmier, Walter Benjamin. Un itinéraie théorique, édition établie, annotée et présentée par Florent Perrier, 2010 も一緒に注文しちゃったんですね(まんまと出版社の罠に掛かった、と言うべきでしょうか?)。
著者のジャン=ミッシェル・パルミエ(1944-1998)は、その膨大なベンヤミン研究を集大成しつつあった最中、その完成を見ずに惜しくも急逝されました。その没後、千頁を超える原稿からなる未完の大著は、 Klincksieck 社から Walter Benjamin. Le chiffonier, l’Ange et le Peitit Bossu というタイトルで2006年に刊行されました。私が購入した上掲の Les Belles lettres 社版は、その第一部の伝記的部分だけを切り離して編者のペリエがそれに詳細な注と文献表を加えた一書です。第一部だけとはいっても、索引も含めて五百頁を超える大著です。
ちょっと独り言を挟みますとね、こういった量的に圧倒的な仕事を目の前にする度に、「学問って、体力勝負なんだよなぁ。やっぱ、欧米人にはかなわねえよなぁ」と、それでなくても小柄で貧相なアジア人である私は、情けなくもふ~っと深い溜息が出てしまいます。とはいえ、力量の差をただ体力のせいにして、自分の浅学菲才を弁護しようというつもりは毛頭ありませんよ。
さてさて、えらく前置きが長くなってしましたが、なぜ本書を拙ブログの記事で取り上げたかというと、それは以下の理由によります。
本書の巻頭に編者ペリエによる « Innervé d’éclats, un chemin Walter Benjamin » と題された、著者パルミエのベンヤミン研究への頌歌ともなっている序文が置かれているのですが、このタイトルにも、そしてその十頁ほどの序文の中にも二度出てくる « innerver » という動詞にこの序文の中で与えられている意味に、思想史の方法論という観点から、ちょっとハッとさせられたのです。
明日の記事では、もともとは1820年代半ばに生理学や解剖学の分野で「神経が(有機体のある部位に)分布する」という意味の専門用語として使われ始めたこの動詞を考察の出発点に置き、ペリエの序文の一節を手掛かりとして、思想史の方法論について若干の私見を述べてみたいと思います。