内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

暮れゆく年と黄昏れゆく人生 ― 年の終わりの自省録

2016-12-31 18:42:23 | 雑感

 この年末の「人と会う」シリーズ第五日目の昨晩は、高校一年からの長い付き合いの友人に会いに田園都市線沿線のその自宅の近くまで出向き、まずは二人でレストランで食事し、その食事が終わりかけたころに友人の奥さんが合流し、レストランを出てから、誘われるままに友人夫婦のご自宅にお邪魔しました。
 この友人とは帰国する度にほぼ毎回会っているのですが、ここ二年ほどは彼が直面している困難な問題について彼から話を聴いたり、それに対して私が意見をしたり、助言したりすることが多くなっています。
 そういうときは遠慮しても仕方ありませんし、彼そして奥さんはじめご家族の役に少しでも立てればと、自分のことをすっかり棚に上げて(これ、私の得意技です)、相当に辛辣な言葉を浴びせて、彼の奮起を促したりもします。もちろん、そんな言葉くらいで何かが変わるのならば、人生苦労はないのですが。
 何の問題も躓きもなく、すべてが順調などという人生を送っている人はこの世にほとんどいないでしょう。人生の様々な局面でその都度当面する問題に適切に対処し、中長期的な展望の中で事の軽重について的確な判断を下しながら生きることは容易なことではありません。
 私などは十代の頃から何度も過ちを繰り返し、その度に人生の方向が思わぬ方向に転じられ、振り返れば、ただ躓いた箇所ばかりが思い出され、何一つこれと言った業績もなく、家庭も失い、このまま黄昏れていくであろう自分の人生をつくづく情けなく思うことが最近多くなりました。
 公私ともに様々なことがあったこの一年もあと数時間で終わろうとしています。この一年をなんとか無事に過ごせたことを幸いなことと思うべきなのでしょう。来年から、仕事の上でこれまでにない重責を担うことになり、単に忙しくなるだけでなく、心労も重なることでしょう。
 徒な望みを抱かず、無益な煩悶に陥らず、盲目な激情に身を任せず、一つ一つの事に応分の力加減で正対していきたいと思います。












下北沢 ― ニーチェから遠く離れてはしご酒

2016-12-30 13:03:19 | 雑感

 この年末の「人と会う」シリーズ第四日目の昨晩は、下北沢で文学部哲学科時代の旧友の一人とほぼ十一年振りに再会しました。その十一年前というのは、二〇〇六年一月半ば、フランスでの前任校への赴任のために私がフランスに発つ直前のことでした。その時は、しかし、哲学科のある教授の退官記念講演会の席で、というか、その散会後にキャンパス内でちょっと立ち話した程度でしたから、ゆっくり話すのは学部時代以来ということになり、つまり、二十八年振りくらいになります。私たちの学年は、平成になって最初の卒業生なのです。
 今仕事としてどこで何をしているかという話から始まって、職場についてのあれこれのエピソード、学生時代の思い出や当時の友人たちの消息、これからどう生きたいか、などなど、酒量が増えるにつれ、二人とも軽口を叩くようになり、私が調子に乗って誂うのを相手がその都度切り返すのを基本パターンとしながら延々と喋り続け、二軒はしごいたしました。
 一軒目は、お酒の品揃えが売りのはずなのに品切れが多く、ちょっと期待はずれだったのですが、行き当たりばったりで入った南口出てすぐのところにある「うまいもの楽味」は当たりでした。意外なことに、若者でごった返す下北沢にあって、入店してすぐにわかるほどに客の平均年齢が高く、その分落ち着いて飲めるお店です。板さんたちも給仕してくれる女性たちも同様に大方中年層で、店の中全体が大人の雰囲気でした。まあ、中には年だけ人並みに取ってはいるけど中身はチャラそうなのもいましたけれど(って、そういうお前はどうなんだって?)。まあ、それはともかく、良い雰囲気の中で美味しい酒肴を楽しみながらの歓談の時でありました。
 「また夏の帰国中に会いましょう」と約し、先に来た渋谷行の井の頭線の車中からホームで反対方向の電車を待つ相手に手を振って別れを告げました。












麻布十番 ― 築地の鮮魚を肴に「獺祭等外」に陶酔する

2016-12-29 15:56:19 | 雑感

 昨晩は、麻布十番の魚料理専門店「魚可津」での会食でした。魚屋さんだった店主が昭和初期に始めた老舗ですが、毎日築地で仕入れた新鮮な魚が気軽に食べられる庶民的なお店です。
 確かに、どれも活きがよく、美味しうございました。周りを見回すと、常連客が多いように見受けました。途中から入ってきた若者四人組が隣に座り、その一人がやたらに大声で話すのにはちょっと閉口しました。面と向かって話している相手の方の声が聞こえないほどでしたから。
 それと、ちょうど会食中にすぐにそれとわかる地震がありました。やおらお客さんたちは携帯で震源と各地の震度を確認していました。私はすぐに体感で震度3とわかりました。関西出身の会食の相手の方から、「やはり東京生まれの方は違いますね」と妙な褒められ方をしました。
 お酒の種類はまあ揃っている方というところでしたが、昨晩は、「獺祭等外」を飲みました。メニューの中に、このお酒についてだけ詳しく説明した一枚の紙が挟んであり、自ずと気が惹かれました。店のおばちゃんが「等外」の意味を詳しく説明してくれました。通常精米段階ではじかれた米のかけらは酒にはしない。しかし、それではもったいないと、その「くず米」を使ってお酒を作ってみたところ、これが悪くない。そこで、どの等級にも該当しないということで「等外」と命名して、出荷することにしたとのことでした。これがなかなかに美味しかったのですよ。獺祭特有のフルーティーな香りを保ちつつ、喉ごしはすっきり。それに四合瓶で3980円と、「獺祭」としてはとてもリーズナブルなお値段。お薦めでございます。
 「獺祭等外」を注文したからなのかどうかわかりませんが、「等外」の意味を説明してくれた店のおばちゃんが「これはサービス」と言って、かれいの煮付けを出してくれました。













さようなら、書棚に眠らされていた私の本たち

2016-12-28 14:43:54 | 雑感

 今日の午前中も蔵書の整理でした。買取業者が無料で配送してくれた段ボール箱二十箱すべてに詰め終わり、ガムテープで閉じました。でも、処分するつもりの本がまだおよそ十箱分書架に残っています。追加で注文した段ボール箱が届くのが明後日ですので、明日は、今回スーツケース二つに詰めてフランスに持って帰る本の選定を行うつもりです。この選定は、遣唐使とともに祖国に帰る留学生の選考ほどではありませんが、いつもかなり難航します。
 今回の帰国前は、できるだけ多くの蔵書をフランスに送り返したいと思っていましたが、全体量があまりに多いこと、それらの本をフランスで買い直すのに必要な額と船便で送った場合の送料と手間を考えると、比較的高額な本や絶版本など貴重な本以外はすべて処分するほうが、経済的観点から見て、より合理的であるとの結論に達しました(ちょっと大げさな言い方ですね)。
 それに、空っぽになった書架が増えていくのを見るのは、何かこちらの荷が軽くなるような気にもさせ、むしろ清々しくさえ思えてきました。誰にも読まれずに家の片隅で埃を被ったままになっているよりも、どこかで何らかの仕方で誰かの手に取られるようになる方が本にとっては幸せでしょう。あるいは、もう商品価値がないのなら、裁断され再生紙として別の形で活かされるほうがまだましでしょう。
 さようなら、長年書架に眠らされていた私の本たちよ。あなたたちは私の人生の大切な時になくてはならない存在でした。本当にありがとう。ただ背表紙を眺めているだけでも、いろいろなことが思い出されます。長年放置したままだったことをどうか許してください。あなたたちのいずこかでの「再生」を心から祈っています。













歓談の時、感興の時 ― 昨日三軒茶屋、今日神楽坂で

2016-12-27 23:59:59 | 雑感

 昨日26日は、三人の方と地元三軒茶屋で夕食を共にし、しばし歓談の時を持ちました。実に楽しくかつ刺激的な会話を楽しむことができました。
 今日はお昼前から午後11時過ぎまで、来年度の集中講義を一緒に担当する院生と神楽坂で過ごしました。昼食、カフェ、蕎麦屋、そしてまたカフェと四軒を「はしご」しながら、楽しく気楽な話題で会話を楽しんだり、真剣に哲学の話に数時間没頭したり、来年度の集中講義プランを一緒に練ったりしながら、神楽坂の街の雰囲気を存分に味わいました。また何度も来たいと思わせる魅力がこの街にはありますね。生憎の雨模様ではありましたが、の界隈が気に入って住んでいるフランス人も少なくないと聞いたことがありますが、その理由がよくわかりました。
 昼食を食べた店は、ちょっと神楽坂のメインストリートから脇にそれて周りに飲食店もなくなった路地を入ったところにあり、通りすがりで入る人は少ないであろう店です。ここがとてもよかったんです。料理そのものはもちろんのこと、板前さんたちの実に気持ちのよい対応、そしてご主人が気さくにいろいろお話してくださって、しかも値段がとてもリーズナブル。帰り際、ご主人が玄関外まで見送ってくれました。店内に入った瞬間から店を後にするときまで、なんとも心地よい時間と空間を楽しませていただきました。誰にも教えたくないいいお店です。したがいまして、その名前も位置もここには書きません。












フランス語で読める日本通史の定番

2016-12-26 17:56:23 | 読游摘録

 フランス語で書かれた日本通史はいくつかありますが、フランシーヌ・エライユ(Francine Hérail)先生がご自身の講義録を基にお書きになられた Histoire du Japon. Des origines à la fin de Meiji, POF, 1986 がストラスブール大学日本学科の講義要項には基本文献として挙げられています。
 本書は、先史時代から明治末まで、一人の著者によってバランス良く書かれた標準的な日本通史として出版当初から評価が高い。ところが、この本が現在絶版なのです。幸いなことに、電子版は誰でもこちらから無料でダウンロードできます。学生たちにとってこれはとてもありがたいことです。
 私は一冊持っています。常に授業の準備の際に参照するので、机に向かったままで書架からすぐに手に取れるところにいつも置いてあります。前任校時代からかれこれ十年使い続けているので、もう大分傷んでいて、何箇所かで本背表紙裏の糊付けが割れてしまって、それを何度も自分で糊付けしなおしたり、セロテープで補修したりしながら使っています。
 もちろん、日本史学の今日の学説からすると古びでしまった部分もあるけれど、それらの箇所については、こちらが授業の際に学生たちに注意を促せばよいことで、フランス語で読める日本通史として第一に推薦するに値する本であることには変わりはありません。
 エライユ先生のご専門は、奈良・平安時代の社会制度史で、王朝時代の貴族の日記をお訳しなってもいます。先生にはまた、La cour du Japon à l’époque de Heian aux Xe et XIe siècles, Hachette, 1995 というご著書があり、 今年度後期の授業では大いに参照させていただくことになるでしょう。この本、アマゾンで検索したら、古本しかなく、一番安くても57ユーロします。今回蔵書を整理していて、確かこの本を持っていたはずだと探したら出てきました。留学して二、三年後、つまり、十七、八年前に購入した本です。
 やっぱり、本は、すぐには読まなくても、買えるときに買っておくものですね。これは、この本に限らず言えることで、買ってから随分経ってから、役に立ったという経験は、私自身これまで何度もありました。それだけに、今は必要ないからという理由だけで売り払ってしまうことには躊躇いがあり、蔵書を整理しながら、悩ましいところです。












歴史・文学・思想 ― 日本学科で教えていること

2016-12-25 18:49:10 | 雑感

 今日はクリスマスですねぇ。でも、昨日同様、それとはな~んのカンケイもないお話をいたします。ただ、昨日の話題とはちゃんと繋がりがあります。
 勤務先のストラスブール大学言語学部日本学科(もう日本学学科なんて言いませんよ、私は)の学部の授業では、自分の専門ではないどころか、それとは非常に隔たった分野を担当しなくてはならないことがしばしばあります。これは、私だけのことではなく、同僚すべてについて言えることです。修士の演習では、それぞれの教員が自分の専門分野に即した演習をもつことができます。
 弊学科では、学部必修科目が歴史と文学とに極端に偏っています(因みに、私はこの化石のようなカリキュラムを大胆に改変すべきだと思っております。私が学科長在任中にカリキュラム改変があるので、その機会にそれは実行されます)。歴史は、古代史(縄文・弥生から奈良時代まで)、平安時代、中世史、近世史がそれぞれ一セメスター、近代史が通年。文学史の方は、上代、中古、中世、近世、近・現代、それぞれ一セメスター。これらが学部二年と三年に配分されているのです。ところが、教員の方は、皆が歴史や文学の専門家ではありません。だから、仕方なしに、皆で分担してそれらの分野をカヴァーしているのです。
 授業のレベルは、日本の高校程度ですから、それほど専門性の高い内容にする必要はないわけですが、やはりちゃんとそれぞれの分野を専門に研究している先生が語る内容と、自分の専門外について語らざるを得ない教員が話す内容とでは、自ずと中身の濃さや深みに違いが出てしまうのはやむをえないところです(私はこれを学生たちにとって大変申し訳ないことだと思っています)。
 私自身の例で言えば、赴任一年目は、文学史を上代から近世まで独りで担当しました(それプラス古代史)。むか~しむか~し日本でまだ最初に学部生だったころに上代文学を専攻していたとはいえ、中古以降はただ授業を取っていたというだけですからねぇ、授業の準備は毎回それは大変でした。授業の前日は、一年を通して睡眠時間二三時間でした。
 でも、そのおかげで随分勉強しましたよ。それに毎回綿密なパワーポイントを作成しましたので、翌年からは、それをちょっと訂正・増補すればいいだけになり、どの時代でもすぐに担当する準備ができています。
 今年度は、後期に、初めて平安時代を担当します。中古文学史は、一昨年昨年と二年連続で担当したので、平安時代のおおよその流れについてはすでに押さえてありますが、この授業では、政治史・社会史・文化史を中心に話さなくてはなりませんから、毎回ちょっと準備に時間がかかることでしょう(この機会に勉強させていただきます)。後期には、もう一コマ学部の授業を担当するのですが、これは三年連続の近世文学史。一昨年と昨年とでは、少し重点の置きどころを変えたのですが、基本的には教科書通りに全分野を通覧しました。しかし、今年度は、もう少し自分の専門に引きつけて、教科書では扱いが軽くなっている江戸期の思想家たちにより多くの時間を割こうと思っています。












ニホンガクガッカ

2016-12-24 18:11:19 | 雑感

 クリスマス・イヴですねぇ。でも、それとはな~んの関係もない些細なことを話しますね。
 研究者として相当にある外国語に通じている人でも、ちょっとした言葉の使い方でやはりネイティヴと違うとすぐにわかることはよくありますよね。文法的に間違っちゃぁいないんだけれど、そうは言わないんだよなぁ、っていう表現が使われるときのことです。
 実は、かねてから聞くたびごとに違和感を覚えて落ち着かなくなる表現が一つあるんですよ。それは他ならぬ勤務先のストラスブール大学でのことなのですが、私が所属しているのは、Département d’études japonaises です。皆さん、これどう訳されますか。「日本学科」とするでしょう? これが Faculté だったとしても同じことで、「日本学部」とするでしょう。ところが弊学科の日本語での名称が「日本学学科」ってなっているんですよ。印刷物でも名刺でも。最初見たときは、これって誤植でしょって思ったくらいです(自分の名刺を作るとき、よっぽど勝手に直しちゃおうかと思いました)。
 どうしてこういうことになるかは簡単なことで、département が「学科」、études japonaises が「日本学」だから、単純に二つをくっつけて「日本学学科」としちゃったんですね。そして、学科開設から三十年、ず~っとそのままになっていたんですね。
 そんなわけで、いずれも見事な日本語を話す同僚たちが、揃いも揃って、日本語で自己紹介するときに「ニホンガクガッカの何々です」ってやるわけです(聞いているこっちの顎がガクガクしそう)。赴任してしばらくは、こういうこと来て早々言うと角が立つよなぁって思って、黙って我慢していたんです(って、これ、とっても日本人的ざましょ)。でも、赴任して半年くらい経ってからかなぁ、とにかく、私の知るかぎり、日本の大学で「学」を二つ重ねる学科も学部も存在しない(もしどなたかご存知でしたらご教示をお願いします)から、もうたまりかねて、同僚皆に、「これって変だよ。日本には、絶対、こんな「学」を二つ重ねる学科・学部名称、分野を問わずありませんよ。「日本学科」にすべきです」と言っちゃったんですね。
 そうしたらですね、名誉教授がね、「な~んでもっと早く言ってくれなかったのぉ」と宣われるし、若い現学科長は「ニホンガクガッカって、もう言いにくくて嫌だったんだよねぇ」って喜んでくれるじゃないですか(我慢の半年は何だったのか)。
 というわけで、来年九月に学科長に就任するにあたっての最初の「改革」は、学科の日本語名称の変更、というより訂正なのであります。












暖かな冬の一日

2016-12-23 17:49:21 | 雑感

 四時起床。メールのチェック及び処理。翻訳(より正確には仏語の本の各章の要旨作成)。目黒区五本木小学校内の中央地区プールの開門時間九時に間に合うように宿泊先を出る。プールまで徒歩十分くらい。今日は祝日だからいつもより混むかと思ったら、全然そんなことはなく、最初の三十分間は完泳コース貸し切り状態。互いに挨拶を交わしている常連と思しきご婦人方が四、五人私より先に来ていたが、彼女たちは水中ウォーキングのために来ていて泳がない。貸し切り状態の後も年配の男性と女性が一人ずつずれて完泳コースに入ってきただけだった。二千メートル泳いで上がる。帰り道は、途中でコンビニに寄ってスポーツドリンクを買い、それを飲みながらゆっくり帰る。
 今日も春先のような暖かさで、今滞在しているアパートは二階で南向き、すこぶる日当たりがよい。午前中から窓を開け放しておいてちょうどいいくらいの暖かさ。あまりの暖かさに小一時間ベッドの上でうとうとする。
 午後は蔵書の整理。今日は、年内に売り払う本の仕分け。仕分けそのものは順調に捗ったけれど、とにかく量が多いので、今日のところは、そのほとんどを売り払う和書の仕分けを主に行う。午前中に買取業者に問い合わせ、ネット上で買取申込フォームに必要事項を記入しておいた。26日に段ボール箱を持ってきてくれる。30日が引取日。29日まで時間の許すかぎり、整理と仕分けを行う。
 夕方五時前に作業を切り上げる。一風呂浴びてから、早めに夕食を取り、夜は蔵書整理中に見つけた懐かしい本を何冊か読んで過ごすつもり。











母の命日 ― 墓参記

2016-12-22 18:42:40 | 雑感

 今日は母の命日です。二年前の今日亡くなりました。まだ二年、もう二年です。その日の夕方、親族に囲まれながら、自宅で最後の息を穏やかに引き取りました。在宅介護専門の看護師さんがもう最期ですからと私たちにそっと合図をし、私と妹は母の左右の手をそれぞれ握り、最後の感謝の言葉をそれぞれに母に向かって述べることができました。
 今日は、妹と二人で八王子にある霊園まで電車とバスを乗り継いで墓参りに行ってきました。墓に着くと、驚いたことに、すでに花が飾ってあります。その新しさからして、今朝か昨日にどなたかお参りに来てくださったようです。霊園は都心から少し離れており、車でもちょっとついでに立ち寄れるような場所にはありませんから、わざわざ来てくださった方があったのです。ありがたいことです。
 私たちが持参した花とすでに供えてあった花とを妹が上手に組み合わせて供え直しました。墓石に深く刻まれた家名の溝には、半年もすればどうしても汚れが溜まってしまいます。それを持参した掃除セットでできるだけきれいにし、墓石全体を濡れたタオルで丁寧に拭いてから、母にこの一年の出来事の報告をそれぞれいたしました。同じ墓に母と二人で眠っている父もそれを聴いていたことでしょう。
 年齢のせいもあるのかも知れませんが、近年は墓参りを大切に思うようになりました。それは墓の中に故人が眠っていると本気で考えているからではなく、墓参りのために家を出るときから始まって、墓に参り、場合によっては同行した者同士でその後に食事を一緒にし(今日もそうでした)、そして家に帰るまでのすべての行程を、幽明界を異にした故人との交流の時間だと思うようになったのです。
 その間、ずっと故人の話をしているわけではもちろんありません。今日などは、妹と、行き帰り、食事中、いろいろなことを話しました。そこにときどき母のことも挿話的には出てきますが、むしろ母も、そして父も、どこかで私たちの会話を聴いている、あるいは参加しているように私には思えたのです。
 今日は、十二月とは思えない暖かさでしたが、午後から雨との予報で、空模様が少し心配されました。幸い、雨が降ったのは、私たちが車中にいるときだけでした。駅を出ると路面がまだ濡れているのを見て、すで雨が降った後だということがわかりました。行きなどは車中で私たちが会話に夢中になっていて乗換駅で降り損なったために、二時間以上かかってしまいました。それでかえって雨に降られずに済んだのです。そのことを私は母と父とに感謝したいと思います。