今日は一日、明後日のパリでの仏語発表原稿の準備に充てました。と言っても、すでに講義、講演、研究会等で話したことがある内容を、今回与えられた時間に合わせて手直しするだけのことなので、それほど難儀な作業ではありませんでした。
それってさぁ、ぶっちゃけ、使い回しってことでしょ。最近、なんかそれ多くない? ― 何を言うか! テツガクシャが言うべきことは煎じ詰めればいつも同じことなのじゃ。おフランスのかの偉大なる哲学者ベルクソン大先生もそう宣われておられる。 ― それってさぁ、なんとかの一つ覚えとどこがどう違うの? ― ううーん、確かに紙一重かも知れんなぁ。しかし、それでも地球は回っておるのじゃ!― はあぁ? なんでガリレオなのよぉ?
さて、さて、それはともかく(って、い~つもそれで逃げてるじゃん!)、今まで話したことがある内容について、よりよい(と、少なくとも発表者ご本人には思われる)表現を与える機会をいただけるのはありがたいかぎりでございます。聴く側の期待に応える内容になっているかどうかは保証のかぎりではございませんが(な~んか、いいよねぇ、そんな無責任でいい加減な態度でしゃべくってりゃぁいいだんもんねぇ。三日やったらやめらないってか?)。
それはさておき(でたぁ、必殺得意技!)、発表タイトルを日本語にそのまま訳せば、「心はどこにあるのか」となります。
「さぁ~て、皆さん、心ってどこにあるのでしょう?」って、先週、修士の学生たちに問いを投げかけてみたんですよ。そしたら、皆、バァ~ッかじゃないの、このオヤジ学科長、って表情を隠しもせず、胸のあたりを指して、「ココデ~ス」と、上から目線で答えるじゃあ~りませんか。
それに対して、アジアティック・オヤジ学科長は眼光鋭くニヤリと皮肉な笑みを口元に浮かべながら、「あのねぇ、君たち。そうじゃねーんだよって話を十一月初めにオレはパリでするのさ」と応じる。皆、なにこのジャパニーズいけてないオヤジ、わけわかんねぇって顔してました(当然だよね)。それにも負けず(おおぉ、それってミヤザワケンジですねぇー、ワタシ大好きでーす。もう完全に意味不明。意識不明の一歩手前)、「その話の内容は後期の演習で紹介するね」と、その場は丸く収めました(なにも収まっとらん!)。
ちょっと逆説的な言辞を弄するならば(懲りないねぇ、おやっさん)、「心は心の中にはない。自分がその中で心臓を鼓動させている風景こそがあなたの心なのだ」って言いたいんでがんす(ふ~ん、そうなの、じゃあ、駅前で街頭演説でもしてきたら。もう選挙終わっちゃったけど)。
あっ、じゃあ、これって、オワコンでしょうか?
今年三月ストラスブールで日本語で発表し、六月にパリで仏語で発表した原稿の仏語最終稿の仕上げを今日一日で済ませた。すでに何度も読み直している原稿だったが、六月の発表のために付加・修正した箇所と新たに加えた引用箇所の仏訳に少し時間がかかった。
最後に結論で用いた表現の三つの出典、Jean-Luc Nancy, Être singulier pluriel (Galilée, 1996), Gilbert Simondon, L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information (Jérôme Millon, 2005), Henri Maldiney, Penser l’homme et la folie (Jérôme Millon, 1997) を明記し、それらの出典から特に示唆的な箇所をそれぞれ一か所ずつ脚注に引用して作業を終えた。
これで一旦原稿は私の手を離れる。論文集編集担当者二名の再読と校正が済んで、私の手元に初校が届くのは来年早くて前半中だろう。二人とも忙しいから、来年中の出版は難しいかもしれない。
この原稿仕上げの作業の合間に、原稿の内容とは直接関係のない書籍をあれこれ拾い読みした。今日はそれらの本の書名だけ挙げておく。それらのうちの何冊かはいずれ拙ブログで取り上げることもあるだろう。
景戒『日本霊異記』(岩波古典文学大系、1967年)
源信『往生要集』(岩波日本思想大系、1970年)
鴨長明『新版 発心集 上・下』(角川ソフィア文庫、2014年、電子書籍版)
折口信夫『古代研究 V 国文学篇1』(角川ソフィア文庫、2017年、電子書籍版)
鈴木貞美『鴨長明 — 自由のこころ』(ちくま新書、2016年、筑摩eブックス)
竹内整一『花びらは散る 花は散らない 無常の日本思想』(角川選書、2014年、電子書籍版)
竹内整一『ありてなければ 「無常」の日本精神史』(角川ソフィア文庫、2015年、電子書籍版)
PCの画面上に表示されたこれらの本の文章をただ気の赴くままにふらふらと眼で飛び渡っているだけで楽しい。複数のテキストを同時に表示するために、多いときは三台のPCと一台のタブレットを机上で同時に稼働させている。しかし、この浮遊的読書もまったくの気まぐれというわけでもなく、実はこれらすべての本は私の脳内で「心」というキーワードによって相互に繋がっている。
当代を代表する万葉学者のひとりである上野誠氏には、当然のことながら、『万葉集』を直接の対象とした著作が多数ある。一般読者を新しい視角から万葉の世界へと招待してくれる魅力溢れる本を何冊も書いてくれている。
私個人としては、上野氏が知悉している畑からの豊かな実りを素人にも優しくおすそ分けしてくれるそれらの著作とは別に、自分の専門領域を遙かに越えた遠くまで冒険に出た『遣唐使 阿倍仲麻呂の夢』(角川選書、2013年)がとても気になっており、休暇明けの古代史の講義の中でも是非その一部を紹介したいと思っている。
さて、それはそれとして、今日の記事で取り上げるのは、今年出た最新著『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)である。アマゾンを見ると、万葉集というカテゴリーの中でのベストセラー1位となっている。それも納得の好著だと思う。
本書の「はしがき」には、去年大ヒットした映画『君の名は。』の話がいきなり出てくる。この辺、読者の心の掴み方もさすがといったところ。しかし、それは単に話題性に乗じた安易な「便乗商法」などではまったくない。映画の主題の犀利な分析を通じて、本書のねらいへと導いていくその論の運びは見事と言っていい。
『君の名は。』は、『万葉集』のある歌が映画全体のモチーフになっているという。その歌とは、巻十秋相聞の部の冒頭の人麻呂歌集より採られた五首(二二三九-二二四三)の内の第二首(二二四〇)である。
誰そ彼と 我をな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我を
この歌には、第一句を第三者に呼びかけると取る説と、自分が露に濡れながら待っている恋人「君」自身へ向けられた言葉と取る説とがあるが、上野氏は後者に取る。
そこから『君の名は。』の主題の分析が始まる。「いったい誰なのか、あなたは」、つまり「君の名は」と問うことが、人と人とが結ばれる最初の言葉なのだ。そして上野氏はこう続ける。
と同時に、人は、自分とはどういう人間なのかと常に問い続ける動物でもある。人は問い続けることでしか、自分自身のことがわからない動物なのである。映画の物語は、問い掛け続けることによって、自分の中のもうひとりの自分を見つけ出そうとする高校生の物語なのである。
『君の名は。』では、あらゆるものが結ばれてゆく。[中略]
つまり、自分が誰かと問うこと、あなたが誰かと問うことは、その人の結びつきを問うことだということを、この物語は気づかせてくれるのである。
そして、自分と他人を区別し、自分が自分であることを示すものこそ、名前にほかならない。名は誕生とともに与えられるものであるから、人は誕生とともに、新たな関係のなかを生きていくことになる。
映画『君の名は。』は、過去への敬意、『万葉集』への敬意からはじまる物語なのである。
学に志しながら、自分にはそもそも学才がないとか、他の仕事で忙しくて時間がないとか、学問を始めるのが遅すぎたとか、自信喪失に陥ったり、不平不満を並べたり、詮無き言い訳で惨めな結果を弥縫をしたり、そんな性格的な弱さを露呈することがありうるであろう後進に対して、本居宣長は『うひ山ぶみ』の中で、次のように優しく励まし、かつ厳しく戒める。
詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし。
また、人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有る物也。
また、晩学の人もつとめはげめば思ひの外、功をなすことあり。また、暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも功をなすもの也。
されば、才のともしきや、学ぶことの晩おそきや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて止むることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。すべて思ひくずをるるは、学問に大きにきらふ事ぞかし。
我もまた、焦らず怠らず努めるべし。
ここ三週間ほどで日本語の電子書籍を数十冊購入した。主に講義の資料として使うためである。個人的な愉しみとしての読書のためには、私はやはり紙の書籍の方を好む。
数社の出版社から購入したが、表示方法・レイアウト・フォント・操作性等にそれぞれ違いがあって、一長一短といったところ。それに全体として、確かに紙の書籍にはない便利な機能があるものの、まだまだ改良の余地ありと思わせる点も少なくない。
すべての電子書籍に共通する利点としては、とても単純なことだが、購入して即使えること。紙の書籍のように、配達を待ったり、どこかに買いに行く必要もない。これは大いに時間の節約になる。それに大抵の場合、紙の書籍よりも安い。
これも単純なことだが、文字のサイズを拡大・縮小できるのはやはり便利。特に、講義でプロジェクターを使って表示する際に、スクリーンと教室の大きさに合わせて文字の大きさを調整できるのは、見る側の学生たちにとって適切なサイズを選べるのでありがたい。
異なった端末でどこでも開けるのもありがたい。書籍はクラウド上にストックしてあるから、PCやタブレットを持参しなくても、行った場所に端末があればそれで読める。
他の利点を以下に二つ挙げるが、これには改善すべき点も含まれている。
本文内の検索が容易にできること。しかし、ある語について検索をかけ、複数箇所がヒットした場合、それらの箇所を連続して簡単に移動できるようになっている書籍は、これまで購入した書籍の中には一つもない。一々検索ボタンをクリックしないと別の箇所に移動できないのは、いかにも不便である。早急な改善を望む。
ブックマークやマーカーを使って、必要箇所だけをすぐに表示できること。ただ、この場合も、検索と同じで、印をつけた箇所だけを連続して移動できない。その都度、ブックマークあるいはマーカー箇所への移動のためのウインドウを開かなくてはならない。
出版社各位には、上掲の二点について、表示システムの早急な改良を是非お願いしたい。
一言小言を言うと、出版社の中には、どうみても電子書籍に積極的に取り組んでいるとは思えない低機能な書籍を平気で出版しているところもある。ひどいのになると、ただの写真版のようなのがあり、拡大してもページレイアウトはそのまま、つまり、たたズームできるだけで、ズームを続けると上下が切れてしまう。これには呆れた。これではただのPDF版と変わらないではないか。解像度が低く、字体が美しくないのもある。これらの出版社に対しては、それなりの定価で販売するからには、もう少し真面目にやれと言いたい(誰でも知っている有名な出版社ですよ、いずれも)。
私自身はもともとは電子書籍には関心が薄く、これまでほとんど利用してこなかったが、こうして仕事上の必要から使うようになって、使いようによっては非常に便利であることがわかったのは収穫であったし、これからはより積極的に使うだろう。
明日金曜日午前中の講義を終えると、11月5日日曜日まで万聖節の休暇に入る。今月29日日曜日には、夏時間から冬時間に切り替わる。
こちらの学年度では、9月初めの新学年開始からの二ヶ月間が毎年一番忙しいのだが、この万聖節の一週間の休暇が前期半ばの小休止になり、すこしホッとできるのがだいたい例年のことである。
ところが、今年は、この実質9日間の休暇中も実はあまりのんびりできない。今月末が締切りの原稿が一つあり、それと並行して、11月2日パリのシンポジウムでの発表原稿の仕上げなくてはならないからだ。
そのパリでの学会は2日から4日まで開催され、私自身の発表はその初日だが、最終日には合同パネルの一部の司会をしなくてはならない。その三日間は、いろいろな人に会う機会でもあるから、愉しく過ごしたいと思う。
まわりが海に囲まれているということは、閉鎖性と開放性という二重の性格をその国に与える。
もちろん、この相矛盾する性格がどこでも同程度に見出されるわけではない。大洋のど真ん中の孤島であれば、閉鎖性が勝り、まわりを囲む海が比較的狭く、それが周辺諸国からの人・文物の往来に大きな障害とならなければ、開放性が勝る。
日本は歴史上どちらが勝るか。
日本についてその「島国根性」を語る人たちは、日本に関しては閉鎖性が勝ると思っているのだろう。日本が歴史上他国からの侵略によって脅かされなかったことを強調する場合も、閉鎖性とまで言わなくても、海そのものが他国に対して巨大な「環濠」の役割を果たしていたと考えてのことだろう。
しかし、大林太良によれば、日本の民族文化研究の先駆者たちはいずれも海を重視していた(『海の道海の民』(小学館、1996年)。それは皆、外から到来するものを重視してのことだった。折口信夫、柳田國男、南方熊楠、みなそうである。
網野善彦も『海民と日本社会』(新人物往来社、1998年)の「世界に開かれた日本列島」と題された章で、日本の開放性を強調している。
上田正昭も『日本古代史をいかに学ぶか』(新潮社、2014年)の第六章「歴史のみかたの再検討」において、日本の閉鎖性を強調する見方を批判している。
大陸への開放性ということになると、いわゆる「裏日本」が実は大陸への表玄関だったのであり、対馬は大陸との交流の最先端ということになる。
古代日本史を考えるとき、中央政権としてのヤマトを中心としてそこから放射線状に広がる歴史認識、いわゆる「「中央史観」は根本的に再検討されなければならないことは、上述の歴史家たちがこぞって主張するところである。
しかし、日本のいわゆる島国的閉鎖性もまったく否定しさることはできないだろう。私自身は、今日の記事のタイトルにも掲げたように、海洋国家としての開放性と島国としての閉鎖性という相対立する性格をもった矛盾的自己同一体として「日本」を捉えたい。
昨日紹介した橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』を読んでいて、第二章「「風土記」の時間」第四節「祖先の歴史 ―「祖」「初祖」「遠祖」「始祖」「上祖」」の中の「播磨国に残された渡来人の足跡」と題された箇所が私にはとりわけ興味深かった。
『播磨国風土記』には、渡来系氏族に関わる記述が多く残されており、歴史的に見てこの地では古くから異文化との活発な交流があったことがそこからうかがえる。しかし、播磨国に定住した渡来系の人々と在地の人々が最初から仲良く共生できたわけではない。
渡来系の神である天日槍命(あめのひぼこのみこと)に関する伝承に対立から融和へといたるプロセスを読み取ることができると橋本氏は言う。
韓国から渡来し宿を請うた天日槍命の乱暴な行動を目の当たりにして、日本側の神格を代表する葦原志挙乎命(あしはらしこおのみこと)は先に土地を占有しようと粒丘までやってきた。両者の間には明らかに対立があった。この伝承は、「異文化や異邦人との出会いがまず対立という形で顕在化してくること」を如実に示している。
しかし、そのような対立を乗り越えて、やがて両者の融和が実現したことも『播磨国風土記』は記している。
例えば、応神天皇の時代に、百済からやってきた人々が、自分たちの習慣に従って、城を造って生活していたことが同風土記には記されているが、この記事の中に出てくる「城牟礼山(きむれやま)」は、渡来系の人々と在地の人々との共存・共生があったことの徴だと橋本氏は考える。「牟礼(ムレ)」は古代朝鮮語で山を意味するから、「ムレヤマ」は古代朝鮮語と日本語とが融合した語形だと考えることができることを橋本氏はその証拠とする。
「城牟礼山」という名は、ここに定住した渡来系の人々と在地の日本人とが、やがて共存し共生するようになった歴史の動かぬ証拠と言ってもいいだろう。そう考えるとこの山名は、百済の人々の子孫である夜代にとって、祖先が苦難を乗り越えて在地の人々と共存した歴史の記憶そのものであったと言えるのではないだろうか。日本人と渡来人とが融和したささやかな歴史がここにある。
しかし、地名の日韓の複合的な語源的由来からだけで「異民族」と「日本人」との現実の融和を証明できるとは私には考えられない。そもそも、古代に関して「渡来人」対「日本人」という二元的対立図式を想定すること自体、自明のこととは言えないだろう。
橋本雅之著『風土記 日本人の感覚を読む』(角川選書、2016年)は、出色の好著だと思う。
本書は、遠い昔の日本の各地に息づいていた多様な神話世界を、ふんだんに引用された五カ国の風土記とその他の風土記逸文から見事に蘇らせているばかりでなく、日本文化の「古層」を多元的な時空間からなる開かれた多様性をもった全体として捉える歴史観を提示することに成功している。
本書の魅力は、各「風土記」からの多数の引用に即しての各地の生活世界の生き生きとした叙述を通して、それぞれの神話世界と歴史観とともに生きていた古代日本人たちの多様な生活と文化を描き出しているところにある。
この記事では、それらの記述を通して著者が目指している「ねらい」を見ておこう。
本書は、古代各地に残るさまざまな伝承を伝える「風土記」から見えてくる歴史と文化の広がりに目を向けて、古代史研究者や古代文学研究者の間でも、いまだに根強くある記紀を中心とした「記紀史観」とでも評すべき歴史観とは異なる、「風土記」からみた古代史、いわば「風土記史観」を通してみた日本文化論の構築を目指すものである。本書でいう「風土記史観」とは、各風土記の村里レベルの記事に記された多様な生活史に着目し、そこに住まう人々が築き上げてきた文化の集成こそが歴史であるという認識に立った、地方目線の歴史観である。国家レベルの歴史を記した記紀から抜け落ちた、「国土の神話」「里の伝承」と呼べるような村里レベルの歴史を「風土記」から掘り起こすことが、本書のねらいである。
著者のいう「風土記史観」は、風土記に見られる多様な時間・空間意識を単にそれとして記述することだけを目的としているのではなく、そこから記紀の歴史意識・世界像を照射することで、異なった地方から中央を捉え直し、周辺の異なった観点から中心を見直し、記紀両者間の決定的な違いを浮き彫りにすることもその射程内に収めている。
三浦佑之『風土記の世界』(岩波新書、2016年)は、風土記についての当たり障りのない「やさしい」概説書などではなく、著者の創見と大胆な仮説が随所に見られるとても刺激的な本だ。
本書は、単に日本古代社会とそこに生きた人たちの世界像をよりよく理解するための鍵を与えてくれるだけではなく、政治と歴史と宗教との時代を超えた本源的な関係を根本から考え直すための具体的な出発点を与えてくれる。
以下、同書を読んでいて私がマーカーをつけた箇所の中からいくつかを摘録する。ただ、電子書籍版なので頁数は示せない。単純に前から順に並べていく。ときどき若干のコメントを付す。
法と史との試みはつねに対応するかたちであらわれてくる。
古代律令国家において法と史とはつねに対になる存在として認識され、その撰録・編纂の事業は並列的に行われてきた。
ここでいう「法」とは、権力のことであり、それは律令として具体化される。「史」とは、国家への帰属という共同幻想の根拠としての史書のことである。
中国語のネイティブが「日本書」紀の編纂にかかわっているという事実が明らかになった[…]。
この事実は、『日本書紀』の成立過程が『古事記』のそれと決定的に異なっていることを示している。ところが、近代が創り出した「記紀」という呼称には、古事記と日本書紀とをまるで八歳違いの双子であるかのうように認識させてしまう「呪力」がある。この「呪力」を巧みに利用したのが明治政府である。
正史であるゆえに味気ない日本書紀の描く歴史と、物語としてのおもしろさに満ちた古事記の神話や伝承とを混ぜあわせることで、近代市民国家のための歴史を創出することができたからである。その近代のロジックに騙されて、「記紀」への信仰は今も生き続けている。
「記紀」という呼称が『古事記』と『日本書紀』とが相俟って一つの整合的な古代日本神話世界を形成しているかのような誤解を与えることは、上田正昭がすでに再三指摘していることである。上田氏は、それゆえ、「記紀」と表記するかわりに、「記・紀」と両者の間に中黒を打ってその違いを示そうとしていた。
この点に関しては、三浦氏もまったく同意見だと言っていい。特に、このような「記紀史観」が近代国家の作為の産物に過ぎないということが重要だ。明治に捏造された虚構による古代史の歪曲によって、私たちは、長年に渡って、日本史の生ける「古層」へのアプローチを阻まれてきたということである。
おそらく、日本書紀の日本武尊と古事記の倭健命との違いを、律令国家が要請した遠征する皇子像と、国家の周縁で求められたさすらう御子像として把握できると思うのだが、そうした認識を風土記にみられるヤマトタケルという人物に当てはめたときに、何が言えるか。
古事記・日本書紀・風土記に対していわば三角測量を行うことで新たに日本古代史像を再考すること、それが三浦氏の学術的戦略であると言っていいであろう。
上掲の引用箇所以降にも随所にこちらの思考を刺激する創見と洞察が見られるのだが、関心のある方は直接同書に当たられたし。