二胡の二本の木軸の間は74ミリです。(木軸のそれぞれの中心の間です)
こんな数字が何か影響あるのかというと、かなりあります。
もしこの74ミリ~、少なくなるにせよ(例えば71ミリ)
多くなるにせよ(例えば、78ミリ)とかすると、内弦と外弦の音質が変わります。
少ない場合は、外弦を弾くと多少金属的な響きがあるようにも感じられ、なんとなく2つの音が聞こえるような感じが有ります。
長い場合は、音がかなり沢山聞こえて来るような感じになります。
要するに共鳴弦のような感じになるのです。
この音を、雑音という感じに受け取られる方もいます。
只、昔のタイプの二胡は、この木軸の間が、72ミリぐらいのものが多いのです。
これは、敢えてそのように設定されています。
理由は、内弦と外弦の響きの違いを、中国では好んだようなのです。
何人かのプロの方に聴いても、敢えて、内弦と外弦の響きが違うから、二胡の音なのだよと言われました。
確かに自分の所有している古いタイプの物は、皆71~72ミリぐらいでした。
(最近の物は違います、74ミリが主力のような気がします)
皆さんもご存知のように、二胡の譜面に時々
5 5 3 2 1
などという、所があるのをご存じだと思います。
この初めの5は外弦の開放弦で、二番目のは、内弦の小指のソであると指定している物がかなり見かけます。
これは、私は最初のころ、何で同じ音を変えるのかと不思議だったのですが、
あえて響きを変えているのですと、教わった時に、気が付きました。
この木軸の間が74ミリになると、内弦と外辺の音の響きは殆ど変わらなくなる。
敢えて、71ミリにしているのだと、その響きの違いを聞かせているのだと。
ところが、最近の若い人たちは、この共鳴する音というのを雑音として聴いてしまうことも多いようなのです。
ヨーロッパの楽器達にはこのようなことは有りません。
バイオリンも弦を移動してもなるべく響きが変わらない様な、木軸と弦の太さ長さに設定されています。
二胡なのだから、その共鳴するような音が良いのではないかと、私なんかは何の疑問にも思いませんでした。
あまりにも私の中では常識化されていました。
ですから、この音を直してと、この雑音を直してといわれても、
私には、それが雑音という部分の音と判別できないのです。
雑音という言葉の中に入れていませんでした。
私の中では共鳴音なのです。
ですから、このことでご迷惑をおかけいたしましたお客様もいらっしゃるかと思います。失礼しました。
しかし、これを雑音と感じる方もいらっしゃるようなので、ここに書きました。
私自身は、この音に何の違和感も有りません、
但し、私の作る楽器は74ミリで、なるべく響きが変わらないようにしてあります。
そうしないと、他の楽器と合わせた時に、(これはヨーロッパの楽器だけでなく、二胡でも)それぞれの共振の仕方が違うので、かなり違和感があるからです、今までの二胡は基本的に、ソロの楽器なのかもしれません。
西野二胡は、二胡の音がしないといわれる方もいらっしゃいます。
クリアーナのです。(これを良いと言ってくれる方も最近は多くいらっしゃいます)
この木軸間の長さの違いによる共鳴弦的な響き、これは直せないのです、棹を取り換えるしか方法が有りません。
只、千斤を沢山巻くと多少は薄れます、この共鳴弦的な音がお嫌いな方は、千斤沢山巻いてみてください。
なんとなく私の中では当たり前と思っていたので、今まで書きませんでした。
もう一つ、常識です、凄く大切な。
これは以前にも書きましたが、あまりにも、皆さん普通にやっていないので、もう一度言います。
木軸を回す時には、必ず棹に親指を掛けて下さい。
殆どの場合、親指を棹に掛けないで木軸を回すと、木軸は緩みます。
止まり方が緩いですから、直ぐ調弦が狂うことが多いのですし、
酷い時には、木軸が抜けて落下してしまい、二胡を痛めて、壊れる場合、或いは音色が変わってしまう場合も有ります。
先日も、そのようなことが有り、
たまたま、木軸が硬いのでと、削りなおしたお客様が、緩くしすぎるからこのように楽器の音色が変わってしまったとか、落としたとかという話をいただきましたが、
これは私は始終おそばにいるわけではありません。
木軸を持つ時には、必ず、棹に親指を掛けて下さい。
奏でないとシッカリした二胡の音が出ません、中には音色が変わったと思われる方もいらっしゃいます。
このことを教えない教室も、多々あるといいます。
これは、常識である、絶対やらなければいけない楽器扱いの基本です。
お願いですから、必ず、木軸を回す時には、棹に親指を掛けて握り込みながら、回して下さい。
その木軸を苦労して回すというのは大変なことですが、これも二胡の一つの楽しみとでもお考えください。
そういう点では、金属軸というのは簡単で良いと思いますが、
今ある二つの金属軸というのも、大変当たり外れが多く、外れると、棹ごと関するか、楽器ごと交換するしかない場合も多いのです。
ギア式は直せません、ギアそのものが、手で回す木の部分に直結されているような構造です。
ですから、木の部分を切るきり方法は有りません。
この木の部分を作るという方法は有るのですが、
かなりな金額になってしまうのと、ギアの所の金物が手に入らないのです。
ボルト式の物も有ります、これも中のボルトが鉄でできており、それを受ける物が、真鍮という鉄より柔らかい物の為、摩耗が激しく、皮の寿命より早く駄目になる場合も多いのです。
但しこれは交換できますが、これも一仕事です。
それと弦の位置が、固定されているため、皮が緩んできた時に調整が自由に行えないという残念な部分も有ります。
余程良い皮に当たれば、それも問題はないのですが、
まだまだ二胡は、発展途上の楽器だというのも、これは常識にして置いて下さい。
こんな数字が何か影響あるのかというと、かなりあります。
もしこの74ミリ~、少なくなるにせよ(例えば71ミリ)
多くなるにせよ(例えば、78ミリ)とかすると、内弦と外弦の音質が変わります。
少ない場合は、外弦を弾くと多少金属的な響きがあるようにも感じられ、なんとなく2つの音が聞こえるような感じが有ります。
長い場合は、音がかなり沢山聞こえて来るような感じになります。
要するに共鳴弦のような感じになるのです。
この音を、雑音という感じに受け取られる方もいます。
只、昔のタイプの二胡は、この木軸の間が、72ミリぐらいのものが多いのです。
これは、敢えてそのように設定されています。
理由は、内弦と外弦の響きの違いを、中国では好んだようなのです。
何人かのプロの方に聴いても、敢えて、内弦と外弦の響きが違うから、二胡の音なのだよと言われました。
確かに自分の所有している古いタイプの物は、皆71~72ミリぐらいでした。
(最近の物は違います、74ミリが主力のような気がします)
皆さんもご存知のように、二胡の譜面に時々
5 5 3 2 1
などという、所があるのをご存じだと思います。
この初めの5は外弦の開放弦で、二番目のは、内弦の小指のソであると指定している物がかなり見かけます。
これは、私は最初のころ、何で同じ音を変えるのかと不思議だったのですが、
あえて響きを変えているのですと、教わった時に、気が付きました。
この木軸の間が74ミリになると、内弦と外辺の音の響きは殆ど変わらなくなる。
敢えて、71ミリにしているのだと、その響きの違いを聞かせているのだと。
ところが、最近の若い人たちは、この共鳴する音というのを雑音として聴いてしまうことも多いようなのです。
ヨーロッパの楽器達にはこのようなことは有りません。
バイオリンも弦を移動してもなるべく響きが変わらない様な、木軸と弦の太さ長さに設定されています。
二胡なのだから、その共鳴するような音が良いのではないかと、私なんかは何の疑問にも思いませんでした。
あまりにも私の中では常識化されていました。
ですから、この音を直してと、この雑音を直してといわれても、
私には、それが雑音という部分の音と判別できないのです。
雑音という言葉の中に入れていませんでした。
私の中では共鳴音なのです。
ですから、このことでご迷惑をおかけいたしましたお客様もいらっしゃるかと思います。失礼しました。
しかし、これを雑音と感じる方もいらっしゃるようなので、ここに書きました。
私自身は、この音に何の違和感も有りません、
但し、私の作る楽器は74ミリで、なるべく響きが変わらないようにしてあります。
そうしないと、他の楽器と合わせた時に、(これはヨーロッパの楽器だけでなく、二胡でも)それぞれの共振の仕方が違うので、かなり違和感があるからです、今までの二胡は基本的に、ソロの楽器なのかもしれません。
西野二胡は、二胡の音がしないといわれる方もいらっしゃいます。
クリアーナのです。(これを良いと言ってくれる方も最近は多くいらっしゃいます)
この木軸間の長さの違いによる共鳴弦的な響き、これは直せないのです、棹を取り換えるしか方法が有りません。
只、千斤を沢山巻くと多少は薄れます、この共鳴弦的な音がお嫌いな方は、千斤沢山巻いてみてください。
なんとなく私の中では当たり前と思っていたので、今まで書きませんでした。
もう一つ、常識です、凄く大切な。
これは以前にも書きましたが、あまりにも、皆さん普通にやっていないので、もう一度言います。
木軸を回す時には、必ず棹に親指を掛けて下さい。
殆どの場合、親指を棹に掛けないで木軸を回すと、木軸は緩みます。
止まり方が緩いですから、直ぐ調弦が狂うことが多いのですし、
酷い時には、木軸が抜けて落下してしまい、二胡を痛めて、壊れる場合、或いは音色が変わってしまう場合も有ります。
先日も、そのようなことが有り、
たまたま、木軸が硬いのでと、削りなおしたお客様が、緩くしすぎるからこのように楽器の音色が変わってしまったとか、落としたとかという話をいただきましたが、
これは私は始終おそばにいるわけではありません。
木軸を持つ時には、必ず、棹に親指を掛けて下さい。
奏でないとシッカリした二胡の音が出ません、中には音色が変わったと思われる方もいらっしゃいます。
このことを教えない教室も、多々あるといいます。
これは、常識である、絶対やらなければいけない楽器扱いの基本です。
お願いですから、必ず、木軸を回す時には、棹に親指を掛けて握り込みながら、回して下さい。
その木軸を苦労して回すというのは大変なことですが、これも二胡の一つの楽しみとでもお考えください。
そういう点では、金属軸というのは簡単で良いと思いますが、
今ある二つの金属軸というのも、大変当たり外れが多く、外れると、棹ごと関するか、楽器ごと交換するしかない場合も多いのです。
ギア式は直せません、ギアそのものが、手で回す木の部分に直結されているような構造です。
ですから、木の部分を切るきり方法は有りません。
この木の部分を作るという方法は有るのですが、
かなりな金額になってしまうのと、ギアの所の金物が手に入らないのです。
ボルト式の物も有ります、これも中のボルトが鉄でできており、それを受ける物が、真鍮という鉄より柔らかい物の為、摩耗が激しく、皮の寿命より早く駄目になる場合も多いのです。
但しこれは交換できますが、これも一仕事です。
それと弦の位置が、固定されているため、皮が緩んできた時に調整が自由に行えないという残念な部分も有ります。
余程良い皮に当たれば、それも問題はないのですが、
まだまだ二胡は、発展途上の楽器だというのも、これは常識にして置いて下さい。
木軸の幅と音の違いを読んで、自分の緑檀二胡を計ってみました。
71ミリでした。
西野二胡を弾かせていただいた印象(他の楽器と合わせやすそう)の理由がすごく納得できました。
ちなみに、個人的にはどちらの音も大好きです。(^^
私はどちらも有りだと思います。
ですから一台は西野二胡をどうぞ、(笑)
でもこれから、74ミリ主力になるでしょうね。
ただ、自分が普段使っている二胡以外の楽器がジャンベやらバラフォンやらフレームドラムやらムビラという、倍音系ノイズ系なので、音の好みがどうしてもソッチ系が中心になってしまうのです。
記事を読んで、逆に78ミリとかの、幅が長くなった場合の音っていうのも、機会があったら聞いてみたいと思いました。
張鋭大師範はもう大御所の教えの通り、教科書的奏法ですが、今はマイノリティ化してます(笑
非合理の霧に頂を包まれた未踏峰…二胡に挑まれるご様子を
日ごろ興味深く拝見していおります
どの材料いちばんいいのか??―にはじまり
なにを指しての言説なのか
厳密に定かならぬまま帰納と演繹が繰り返され
それでも結論を導こうというのですから
世上 非合理の霧は深いです(色即是空)。
必然だけのやきものは退屈なよう(=什器)
楽器も必然に偶然の効果が加わって奥ぶかく
生命はそこに同類を発見した気をおぼへて
愛着を抱くのかもしれません(空即是色)。
或いは楽器も「焼成」されて出来上がるのだとしたら
“キメテのおまじない”にもついつい興味をそそられてしまいますね
ありがとうございます
私も全部わかっているわけではありませんから。まだこれからの事も沢山あります。
経験知からだけですが、
許可さんや、ジョージガオさんはかなり高い位置で千斤を巻いています。張鋭大師範も相当高い位置に千斤巻いています。
これは殆どバイオリンや他の弦楽器の千斤(上駒)の位置と変わりません。
当然、弾く部分の弦は長くなり振動幅も広がります。
弦が長くなれば、含まれる倍音も、その張力によっては、かなり多くなるはずです。
バイオリンなどは、その弦の張力というのは切れる寸前というくらいに張ってあります、
発音をよくするためです、張力が上がると、音はその発する音の元の音だけが鳴りやすく、クリアーナ音になると思います。出うから、雑音的な倍音の出方ではなく、共鳴する倍音ということにはなりませんか?
以上の三人に共通するものが有ります。
それは、弓の使い方です、弓の毛を、手の指で平らにして弦に吸いつかせるということではなく、手のウエートをすべて弦に掛けることによって、弓の毛を弦に平滑になるように弾いていることです。
違うでしょうか?
何かこの辺に答えがあるのかもしれません
すみません、私は、もの凄い合理主義者なのです。
と言いますか考え方というのが、アリストテレス的な、三段論、や弁証法などの、ヨーロッパ的な考え方に於いての合理とも違うと思っています。
むしろ、コージブスキーの一般意味論というのは、考える上で、かなり肌に合うような気がします。
焼き物でいえば、什器というのも好きです、井戸茶碗など大好きですから、
でもplatinum_erhuさんのおっしゃることも、なるほどという感じは有ります。
楽器そのものより、音楽を奏でる楽器という意味において、薬の溶ける温度や、窯の中での位置など、形造りだけではない、窯の中で焼くという作業の中で、計算でいない美しさが現れて来る、という点では、二胡は陶器に近いのかもしれませんね。
良い事を聞きました。
まだまだこれから考えなければいけないことの山積みです。多分私ひとりの力では手に負えないのだろうとも思っています。
ですからいまバイオリン作りの方の意見や、(残念ながら、今まだ日本には二胡をそれほど真剣に作っておられる方が無いように思えますので)他の弦楽器作りの人にも、教えをこうている最中です。
またご意見およせください。
…なるほど“非-A”...非同一性の論理を以ってすれば
楽器という現象を
因果律でむやみと疎外することなく
扱うことが可能かもしれませんね
そもそも「やきもの」というものが
偶然性を媒介にして
優れて非同一的な存在なのであり
さて楽器の出来映えとは
「偶然性のあしらい」
換言すれば「地図と現地の絶妙な補正」
に存するとも云へそうです。
(国内製Klav.欧州製Klav. 製作センスの対比)
“非-A”による製琴≒鍛刀に注目ですね
自分は学生時代に出会ってから中断期間をおいてですが,UKEを教室に通うようになりほぼ4年ほどです。何十年も昔に組立KITに出遭ったのが切っ掛けでしたが,今は演奏もさる事ながら製作や調整に付いてもチャレンジ中です!
UKEやギターなど趣味の楽器製作に於いては米国が世界中で一番盛んで材料や製作解説書なども豊富に出回っているようです。日本では趣味で実用楽器を造る層はまだまだ少ないのが現状ですね。^^;
とは言えネット上を検索すれば色々と製作を通じて研究されたり結果を発表されたりされる方も出て参りました。
縁有ってそう言う『弦楽器愛好家のメーリングリスト』に参加させて戴いておりますが,過日も『提案』はさせて頂きました物の,西野さんが仰るように『二胡を真剣に製作されておられる方』は皆無のようで残念であります。
まあ,ギターやバイオリンでしたら練習用にそれなりの物が1万円以下で購入出来ますが,二胡の場合気軽に1万円以下で良質の練習用を気軽に(安心して)購入する事が適わないのが現状かと。
何の趣味でも言える事でしょうが,「愛好家の裾野」「予備軍」が増えない事には社会的に広く認知される趣味とは言えないのが残念といえば残念です。