二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

塩!

2014-07-07 18:58:45 | ■工房便り 総合 
塩化ナトリウムです。

私が言うまでも無く、生きていくうえで絶対の必需品のひとつですね。

そういう点では、サラリー!要するに給与の語源が、ラテン語のSALからきているというのも面白いですね。

昔は、お金の代わりにしていた時もあったようです。

無くてはやっていけませんね、二胡の世界に二胡と言う楽器が無いとやっていけないのと同じですかね。

SALTと言う本を読んでいました。

なかなかに薀蓄のある話が多く、岩塩の鉱山のそばには、石油や、天然ガスの埋蔵されていることが多く、サウジアラビアの石油の発見などの元は塩の鉱山から始まったなどと言うはなしもあります。

2000年前の中国四川省では、岩塩の鉱山を彫ると同時に天然ガスをつかって、お湯を沸かしていたなどという事です。

私が本当に驚き納得したのは、ムガール帝国を滅ぼし植民地化しその後300年ぐらいも、たった数万と言う軍隊で、英国が何故インド全部を植民地化していたのかと言う疑問が解けたことです。

現地人に塩をとらせず、あるいは作らせず、塩はすべて英国人が握っていたという事です。

塩分が取れないと、元気が出ないですね。力も活力も、それこそ戦う力もうせてしまいます。

昔の中国の話に、韓信でしたかね?その部下が敵の捕虜に塩を与えないで元気をなくしていくなどと言う話が妙に印象に残っています。

日本人は世界でも一年に取る塩分がとても多いようです、醤油、味噌、漬物、塩漬けの魚等々、

塩はそういう風に使われることも、あるいは使わないこともあるのだと、変に納得し、

沢山の現地の人がいるのに、なんで少数の兵隊たちで全インドを制圧できたかと言うことも納得できたのですが、でも塩だけではないと思うのです。

そこには、当時としては弓矢などとは威力が違う、マスケット銃と言う武力の違いもあったでしょうし、また、統制しきれない何百と言う言語を持つ複合民族たちの中で、ヨーロッパの文明の力にあこがれ、そこにおもねるような人々もいて、

英国に協力することによって、英国の支配に協力したという事などもあったのかもしれません。

変ですね、あえて支配しようとする人々に、おもねるような人と言うのもいるわけです。

しかし生きていく上での、塩と言う必需品を握られてしまっては、これは抵抗しようがないですね。

ガンジーと言う人がいました。

抵抗せずという事を命題として、英国に対して全国民をまとめていきます。

塩を自分たちに取り戻そうという運動、そして皆さんガンジーの写真など見たことがあるでしょうか?

その中でガンジーは糸車で糸を紡いでいます。

これも一つの抵抗なのです。

インド人に、強制的に綿花を栽培させ、その綿花で英国国内で始まった、産業革命の中でも主力の産業であった自動紡績機械によるコットン布地を、今度はまた植民地に販売する。

そしてインド人には糸を紡がせない、布地を作らせないという事への抵抗の姿勢として、自分で糸を紡ぐのです。

英国人は衣食住の内不可欠な2つを握って、植民地を経営していました。

人の国へ乗り込んで、身勝手にその国の人を支配しようとした植民地政策、あるいは帝国主義、これは日本も遅ればせながら中国や韓国あるいは東南アジアの人々に対してやってしまったことです。

最低ですねそれが許されるような世界が、1940年以前には世界中に合ったのですね。

まさかそれが現在にもあるという感じがしなくもないですがね。


これらのことども読んで、二胡屋のわたしとしては、とても納得することが多かったのです。

日本は植民地化されたことが無かったのに!

でも塩を握られたり、与えられる塩も精製しなければ使えないような塩であったり

、それだけ経済的に簒奪されるにもかかわらず、約束は守られず、支配者だけの社交界が出来上がっていたり、

教育と言う名目で、価値観を押し付けたり、まあ、植民地という事ではいろいおろもうところもありました。

良い本です。

塩の世界史一度読んでみてください。




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2 Comments

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Unknown (Nikol)
2014-07-08 21:22:57
『ラジオガァデン画廊』開場おめでとうございます

塩の話興味深く拝読しました
たしかサトウキビの生成もインド洋方面で始まったかと思います(本は買いそびれましたが)

インド亜大陸は都合5回ほど行きましたが、塩の鉱山というのも見学してきました
すごく大きな鉱山で、あれを見るといちいち海水から取る気にはなれないですね

あの地域はよくも悪くも多様性の土地
イギリスにやられたのも悪い面が出たようです

向こうに行くとよく聞くのが、インド亜大陸には銃はいつ頃どこから入ったのかということです
でもガイドはほとんど知らないようです
日本だったら鉄砲伝来、種子島、ポルトガル、ってすぐ出ますが(年号は覚えてなくとも)

銃および火薬は元で発明されて、イタリアやスペインにわたる前に、インド洋か、中央アジアを経由しているはずで、どちらでも途中でインドにも伝わっているはずなんですけどね

ガンジーの記念館にも行きました 例の糸を紡いでいるところの写真の家がそばにありました

世界に平和を!


書き忘れてました インドの音楽も魅力的ですね

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Nikolさんありがとうございます (nisino)
2014-07-10 09:54:47
Nikolさん 1残念ながら、私は一度も言ったことはないのです。
一度行くと人生観が変わるとよく言われます。
そうそう火薬に関しては、諸説あって、黒色火薬はどうも中国ですがその前に、ギリシャ火と言うのがあったらしく、これはそうも焼夷弾の系統のようですね、また硫黄系の物はローマ時代にもあったようです。その昔たぶん焚火の中で何かがはぜるのを見て爆発物と言うのは考えられたのかもしれません、密閉度の問題ですから。この爆発物と言うのは、私にとっては、遠い思い出のある物です、手製のロケットなど作っていましたから。(危ない事平気でやっていました)私の民族楽好きは、40年ほど前の世界の民族音楽と言う小泉文雄さんのラジオのテーマのタブラの音から始まったのかもしれません、当時、つてを求めてインドからタブラ;を仕入れました。
日本の二胡の世界が独立できると良いですね、

皆さんが二胡を楽しく弾けますように。
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