家庭楽器と、私は時々二胡のこをそう呼びます。
中国でもお年寄りたちが、公園などにあつまって、みんなで、ひたすら同じ曲を弾いていたりもします。
元々、中国全土に、あるいは、東南アジア一帯に、二弦の筒型をした二胡と同系の楽器と言うのはたくさんあり、
それぞれの、地方独特の音楽を楽しむ楽器でした。
また、それらが発展して、京劇などの伴奏楽器としても使われていたのが二胡です。
それが1950年代になって、東洋のヴァイオリンを目指して、二胡はこの形で作ろうと、
細部の寸法や仕様が決められて、これが二胡と販売されるようになりました。
音楽もそれに合わせってたくさん作られるようになって、今の形の二胡が中国全体に広がっていたのです。
暫くは、その形が維持されてはいましたが、どこの国でも楽器製作者というのは、もっと良い物をと、
飽くなき挑戦をしていくものです。
一番変わったのは棹の形態でしょうね。
1970台になって、それまでは丸い棒だったのが、今の皆さんのお持ちの物のように、断面が涙滴方になって棹の曲がり易さを解消したのと、
その頃にもっと大きな音を出せればという事で8角形の北京系の物も出来てきたようです。
いずれにせよ、二胡は20世紀に入って劉天華師が大音楽大学の教程の中に組み入れるまでは、ごくごく一般の人々が、
それぞれの民族の、お祭りや、お祝い事などで演奏されるような楽器であったのです。
これはすごく良いと思うのです。
今の日本の二胡はむしろこの楽しみの形が生きているように思うのです。
皆で集まって、二胡弾いたり、
或は、ボランティアで、病院や、あるいは老人ホームなどでの演奏。
あるいは、稀には友達の結婚式での演奏、等々に皆さん活躍するようになってきています。
こうやって、日本の生活の中にも、二胡が少しでも入り込んでいくと、より二胡そのものの演奏を楽しもうという事も広がっていくと思います。
またそのように、かなり活発に演奏活動されている教室も有るようです。
ちゃんと人前で弾くという事は、二胡の愛好者にとっても、大変な励みになる事です。
そうやって皆さんの演奏レベルも上がっていくでしょうし。
二胡が、中国のと言う事を離れて、広がっていく下地になるかもしれません。
二胡愛好家の中には、中国へ行って検定試験を受けて、10級を取ってなど、かなり難関を目指す人も出て来ています。
中には中国文化を解らなければ、二胡の本当の演奏は出来ないという方もいます。
でもそのような原理主義で行くと、日本人には絶対、二胡の良い演奏は出来ないという事になってしまいかねません。
勿論、中国文化を学び、中国文化の一環として二胡を演奏するのだということもあるかもしれませんし、それを目指す人もいるでしょう。
しかしその原理主義に基づいたとすると、日本人の二胡愛好家は二胡を止めざるを得なくなります。
太平洋戦争以前には、ヨーロッパのクラシック音楽など日本人には絶対演奏できないし理解も出来ないとも言う人もたくさんいましたが、
今や、世界中の音楽コンクールで日本人が(中国人も、韓国人も)受賞し活躍する世の中です。
ましてや、ヨーロッパやアメリカのバイオリンやチェロの製作のコンクールで、日本人が受賞するなどと言うのは、普通になって来てもいます。
日本人なりにと東洋人なりに、ヨーロッパの音楽を理解しその演奏が、新しい形として反対に世界に広まっても行くのです。
いずれは二胡でもそのようなことが起きていくのではないかと、
最近は、光舜堂にご来店のお客様の演奏を聴いていて思うのです。
中国でもお年寄りたちが、公園などにあつまって、みんなで、ひたすら同じ曲を弾いていたりもします。
元々、中国全土に、あるいは、東南アジア一帯に、二弦の筒型をした二胡と同系の楽器と言うのはたくさんあり、
それぞれの、地方独特の音楽を楽しむ楽器でした。
また、それらが発展して、京劇などの伴奏楽器としても使われていたのが二胡です。
それが1950年代になって、東洋のヴァイオリンを目指して、二胡はこの形で作ろうと、
細部の寸法や仕様が決められて、これが二胡と販売されるようになりました。
音楽もそれに合わせってたくさん作られるようになって、今の形の二胡が中国全体に広がっていたのです。
暫くは、その形が維持されてはいましたが、どこの国でも楽器製作者というのは、もっと良い物をと、
飽くなき挑戦をしていくものです。
一番変わったのは棹の形態でしょうね。
1970台になって、それまでは丸い棒だったのが、今の皆さんのお持ちの物のように、断面が涙滴方になって棹の曲がり易さを解消したのと、
その頃にもっと大きな音を出せればという事で8角形の北京系の物も出来てきたようです。
いずれにせよ、二胡は20世紀に入って劉天華師が大音楽大学の教程の中に組み入れるまでは、ごくごく一般の人々が、
それぞれの民族の、お祭りや、お祝い事などで演奏されるような楽器であったのです。
これはすごく良いと思うのです。
今の日本の二胡はむしろこの楽しみの形が生きているように思うのです。
皆で集まって、二胡弾いたり、
或は、ボランティアで、病院や、あるいは老人ホームなどでの演奏。
あるいは、稀には友達の結婚式での演奏、等々に皆さん活躍するようになってきています。
こうやって、日本の生活の中にも、二胡が少しでも入り込んでいくと、より二胡そのものの演奏を楽しもうという事も広がっていくと思います。
またそのように、かなり活発に演奏活動されている教室も有るようです。
ちゃんと人前で弾くという事は、二胡の愛好者にとっても、大変な励みになる事です。
そうやって皆さんの演奏レベルも上がっていくでしょうし。
二胡が、中国のと言う事を離れて、広がっていく下地になるかもしれません。
二胡愛好家の中には、中国へ行って検定試験を受けて、10級を取ってなど、かなり難関を目指す人も出て来ています。
中には中国文化を解らなければ、二胡の本当の演奏は出来ないという方もいます。
でもそのような原理主義で行くと、日本人には絶対、二胡の良い演奏は出来ないという事になってしまいかねません。
勿論、中国文化を学び、中国文化の一環として二胡を演奏するのだということもあるかもしれませんし、それを目指す人もいるでしょう。
しかしその原理主義に基づいたとすると、日本人の二胡愛好家は二胡を止めざるを得なくなります。
太平洋戦争以前には、ヨーロッパのクラシック音楽など日本人には絶対演奏できないし理解も出来ないとも言う人もたくさんいましたが、
今や、世界中の音楽コンクールで日本人が(中国人も、韓国人も)受賞し活躍する世の中です。
ましてや、ヨーロッパやアメリカのバイオリンやチェロの製作のコンクールで、日本人が受賞するなどと言うのは、普通になって来てもいます。
日本人なりにと東洋人なりに、ヨーロッパの音楽を理解しその演奏が、新しい形として反対に世界に広まっても行くのです。
いずれは二胡でもそのようなことが起きていくのではないかと、
最近は、光舜堂にご来店のお客様の演奏を聴いていて思うのです。
大胆な方なら、とっくの昔に「着せ替えごっこ」をしたと思いますが、
小心者のワタクシは「帰省から戻ったらやってみよう」と意を決して帰省し、
やっと昨日はじめて試してみました
駒の向きを間違わないように、ほぉさんにいただいたカンニングペーパーを見ながら、
弦を緩めすぎて、外弦がクルッと抜けても
めげずに・・
駒を換えては弾き、換えては弾き・・ 結果
ぜん~ぶ、元の鞘に戻っていますぅ
「この胡にはこの駒であろう」という理論付けも経験値もワタクシにはありませんが、
ふつーの、ごく一般的なワタクシの耳からしても
それぞれの胡に合う駒っていうのは確かにあることが分かりました。そして、改めて
楽器の調整は、楽器を知り尽くしているうえ総合的に診れる方でないと
その楽器のベストコンディションを引き出せないと気付かされました。
だから、遠方でも貴重な日曜日を使ってても大事な胡を持って
みなさんが光舜堂に訪れるわけですね
昨日は更にありがたいことに、高音がなかなか出しにくかった胡に
福音弓を着せ替えたら、あら不思議!出るじゃん?!
と・・ なんだか胡たちに遊んでもらっているような気分でした。
一台一台大切にしましょう。