獏は、おもしろそうに忍を見やった。
「ビーストたちを探しにか?」
「そうだ・・・。正確には、彼らの争いを止めにだ。・・・もう、手遅れかもしれないが・・・」
忍は目を伏せた。
「止めてどうする?お前は赤龍に『死』を与えなかった。もう決着はついたことだ」
「決着なんかついていない・・・!」
彼は顔を上げ、獏に詰め寄った。
「僕は彼に何も答えていない!僕が答えたのは兄のヘルムートにだ!僕は彼について何も知らない。いつだってヘルムートとして僕に接して、彼の本当の心も姿も、見せてはくれなかった。僕は、これで終わりになんかしたくない・・・!」
「・・・では、お前は赤龍に『死』を与えるつもりなのか?憎むことができなかったのなら、代わりに愛するとでもいうのか?・・・お前は赤龍の──受肉したヘルムートの姿ではない、デーモンとしての姿を見たことがあるのか?」
「ある。それがどうだと・・・」
「お前たち人類の姿とかけ離れた姿を見て、それでもお前は奴を愛せると言うのか?我らが何のために鎖の求める人間の姿をし、その者の振りをすると思う?我らの姿を見て、本気で愛することができる鎖がいると思うのか?お前はお前たち人類など容易く引き裂き、噛み千切ることができる我々が、恐ろしくはないのか?」
「こわくなんかないわ!」
叫んだのは、もなだった。
「もな・・・」
彼女は誇らしげに、自分の胸に手を当てた。
「私はK2の姿も力も知っているけど怖くないし、K2の本当の姿も嫌いじゃないよ!そりゃあ最初出会ったときは言葉も通じなくて怖かったけど・・・、ちゃんとお互いのことがわかって、気持ちが通じれば、姿なんか関係ない!人間は、そんなにばかじゃないよ!」
獏は不思議なものを見るようにもなを見つめ、そして侑を見やり、最後に忍に視線を戻した。
「そうか・・・。そうだな・・・。それが、『聖典』というものなのかもしれないな・・・」
「おにいさん・・・」
不安そうに見上げた翔に、獏は頭を撫でてやった。
「お前も、私の姿を見て『かわいい』と言ってくれた。そんなことを鎖に言われたのは初めてだ。自分と異種のものを家畜ではなく家族としてかわいがったり、無機物にさえ感情移入する種族など、あらゆる次元の生物の中でも人類くらいなものだ。・・・だからこそ、ここはエデンなのかもしれん・・・。
──いいだろう。連れて行ってやる。ただし何かあっても私はお前を守ったりしないぞ」
「かまわない」
忍はきっぱりと答えた。だが、
「だめよ!どうして行くの?!だって・・・忍ちゃんが赤龍を愛せないなら、行く意味はないじゃない!だから赤龍は忍ちゃんから憎しみをもらおうとしたんでしょう?忍ちゃんが赤龍のサクリードなのは忍ちゃんが望んだことじゃないし、死をあたえられなかったからって、そのことで責任感じる義務なんかないでしょう?!」
「りな・・・」
「りなちゃん・・・」
もなは膝をついて、涙ぐむりなの肩を抱きしめ、忍を見上げた。
「りなちゃんの言うとおりだよ・・・。赤龍は、死を望んでいるんでしょう?もう、彼に残された道は、K2に敗れて死ぬことだけ。そのために赤龍はK2を作ったんでしょう?それを止めることに、何の意味があるの・・・?」
忍は、視線を落として言葉を選びながら、答えた。
「・・・もな、りな・・・。僕は、彼に死んでほしくない・・・。できることなら・・・彼が許してくれるなら、やり直したい・・・。確かに、僕が彼の『聖典』だったことは、僕の望んだことじゃない。けれど・・・前にミカから教えてもらったと言っていただろう?鎖が聖典となるには条件があって、それはその個体によって違うが、誰にも説明できないと。・・・ずっと、考えていた。それは、デーモン側からの条件なのだろうかと。もしかしたら、鎖の側こそが、そのデーモンを必要としていたのじゃないかと・・・。
・・・僕は、ずっと忘れていた。・・・おそらく、赤龍が忘れさせたのだと思う。彼と接触したときのことを。やっと・・・思い出したんだ。僕が気を失ったのは、ヘルムートが自分を傷つける姿を見たときじゃない。そのあと・・・赤龍に触れて、彼がヘルムートの姿になったのを見た後だ。僕は・・・僕から・・・僕の方が、彼に触れることを望んだんだ・・・」
耐え切れないように、忍は顔を覆った。
「忍ちゃん・・・」
「どうして?いったい、何があったの?」
もなは思わずりなの肩に置いた手に力を込めた。
忍は何度か苦しげに深呼吸して、ようやく震える手を下ろした。
「済まない・・・。今行かなければ、一生僕は後悔する。このまま、彼を死なせたくないんだ。すまない、もな・・・りな・・・」
忍はふたりに背を向けた。
「頼む」
「OK。翔、すぐに戻るから待っていろ」
「う、うん」
獏が、「おにいさん」の姿から「獏」の姿に戻る。
“特別に背中に乗ることを許してやる。結界は張るが、落ちるなよ”
「ああ。ありがとう」
忍が獏の背に手をかけたとき、りなはもなの手を振り払った。
「もなちゃん!」
「いや!」
りなは忍に後ろからしがみついた。
「りな・・・」
「いや!赤龍のところへなんか行かないで!私と一緒にいて!私と、もなちゃんと、ミカと、K2と、みんなと一緒に暮らせばいいじゃない!・・・どうして・・・!?どうして赤龍を選ぶの?!私、わたし・・・っ、忍ちゃんが好きなの・・・!お願い、行かないで・・・!!」
「りな・・・」
一瞬驚いた表情で振り返った忍は、しかしすぐに前を向いて、背中に顔を埋めたりなをそのままに、唇を噛んだ。
突然の告白にもなは、じんと目蓋の裏が熱くなるのを感じながら、双子の姉を見つめた。自分はその間に入れない──そう思って、ふたりに嫉妬したこともあった。いつの間にかK2がそばにいるのが当たり前になって、そんな気持ちのことは忘れていた。姉の忍への気持ちには気づいていたけれど、忍も自分よりりなの方が好きなんだなあと、心配はしていなかった。だから・・・きっと、忍はりなのために残ってくれる。そう、信じていた。
忍の手が後ろに回り、りなの手をそっと摑んだ。忍が手を外させるのに抗わず、りなは、跪いた忍を涙に濡れた瞳で見つめた。
「りな・・・」
忍は、悲しげな微笑みを浮かべた。
「ありがとう・・・。僕も、りなのことが大好きだよ。りなは・・・僕を救ってくれた。りなを好きな気持ちは変わらない。だけど・・・」
りなは目を見開く。言わないで、唇を動かしたが、声にならなかった。
「こんな気持ちのまま、彼を失いたくないんだ・・・。許してくれ、りな・・・」
「・・・・・・!」
忍は立ち上がった。
ぼろぼろと涙をこぼしながら立ち尽くす少女を敢えて振り返らないように、忍は痛む胸を抱えて獏の背に飛び乗った。
獏が床を蹴ると同時に風が渦巻き、部屋の中の物が舞い飛んだ。一瞬の残像と共に、彼らの姿は消え、舞い上がった本や雑貨は音を立てて落ちた。
──あの人は、忍ちゃんを連れて行ってしまった・・・
りなは、忍を抱きしめて、挑戦的に自分を見たヘルムートの姿を思い出していた。
父親の見舞いに行ったのは、自分の言葉を聞いてくれたからだけではなかった。忍は、もう戻ってこないことを覚悟しているのだ。
(私の小さな手じゃ、引きとめられなかった・・・。忍ちゃんは、あの人を選んだんだ・・・)
「・・・りなちゃん・・・」
茫然と、声もなく泣き続ける姉に、もなはなす術もなく、ただ背後から彼女を抱きしめるしかなかった・・・。
まだまだ続く・・・が、やばい。書けば書くほど長くなる病が・・・っ