フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 10

2008年10月19日 | BL小説「遠い伝言―message―」
 ローディアの首都サーランは、首都というよりは湖畔の避暑地といった風情の、静かでこじんまりした、美しい町だった。整然とした町並みと、道の両側には必ず水路が配されているのは、今まで通ってきたローディアの町や村と同じだった。違うのは、水平線が見える広大な湖と、それに面した王宮と──城、と言われると真っ先にディズニーランドのシンデレラ城を思い出してしまうエドだったが、そこは「王の居城」というよりは実務的な政治の中心、という硬い場所で、いくつもの地味な石造りの建物が連なり、まるで博物館か図書館が集まっているように見えた。ただし湖側から見れば多少違うらしいが──、それを取り囲んで立派な屋敷が集中して建っていることだった。ローディアの経済の中心は海に面したベイードだが、政治の中心であり、国全体を動かすという誇り、自負といったものが町全体に漂っているような、確かに他の町にはない風格がある気がした。
 ここへたどり着くまで、テスは日に日に無口に、陰鬱になっていった。よほど帰りたくない、帰りづらい事情があると思われたが、それなのに予定通り速度を緩めることなく次の町へ次の町へと進んでいく彼の意志の強さは驚嘆に値した。サーランの町並みが地平線上に見えてくると覚悟を決めたのか、表情から暗さが消えた。代わりに瞳の思いつめた色は濃くなって、エドを内心はらはらさせた。
 午後に宿に入って荷物を解くと、テスは「買い物に行くぞ」とまた出かけた。テスはこれまでのように人に訊いたり探したりすることなく、勝手知ったる様子で繁華街の中の一軒の店に入っていった。そこは「紙」屋で、文房具店より高級な雰囲気だった。そこでテスは2種類の便箋と封筒を買った。
 次にテスはいつも古着で済ましているのに、新しいローディアの服を一揃い買った。そのあとはウィンドウショッピングで時間をつぶし、夕食をとって宿に戻った。
 エドがベッドにもぐりこんだ横で、テスはランプの明かりで手紙をしたためた。考えている時間は長かったが、手紙自体はずいぶん短いようだった。テスは封をした封筒を、更に手紙とともにもう1つの封筒に入れた。
 翌朝は例によってふたりして宿の水場で洗濯をし、裏庭に干させてもらった。それが終わるとテスは「散歩に行かないか」とエドを誘った。
「散歩?」
「宿にこもっていても退屈だろう?おれは寄りたいところがあるから、お前も一緒に来るか?」
 あの手紙を届けに行くつもりだろうと察しがついて、エドは意外に思った。
「…俺も一緒に行っていいのか?」
 テスは片頬だけで笑みを作った。
「妙な気をまわすな。お前に何も隠すつもりはない」
 そう言ったとおり、彼は昨日買った服に着替え、エドとともに手紙を持って屋敷街へ向かった。
 ローディアの建築物は貧富を問わず平屋か2階までしかない。地盤が軟らかいので、法律で制限されているとのことだった。そのため、広い敷地を高い塀で囲んだ富裕な家は、外からは全く中が覗けない。屋敷街と言っても、道を行く者には壁が続くだけのそっけない街並に見えた。往来するのも屋敷に出入りする業者や使用人、それに警備の兵士だけだった。
「すみません、いいですか?」
「ああ?」
 愛想よく笑ってみせれば、可愛くも美しくもある彼のこと、屈強な兵士もやや相好を崩した。
「お願いがあるんです。ご主人さまのお使いで、ここで働いていらっしゃるルキス様に手紙をお渡ししたいのですけど、どなたか仲介をお願いできませんか?」
「ルキス秘書長殿に?」
 衛士は眉を寄せた。
「大事な手紙なら表の執事を通したほうがいいんじゃないのか?」
「いえ、ルキス様への私信なんです。ご主人様はルキス様をお見かけして以来、どうしてもお心をお伝えしたいと思われて…」
 真新しいローディアの服を着、ローディア語を話し、話し方も雰囲気も上品なテスは、ローディアの上流の家に仕える小姓を完璧に演じていた。
「…なるほど、そっちの用か」
 どうしても主人の命令を果たさなければ、と懇願の表情のテスに、合点がいったらしい男はしたり顔でうなずいた。
「いいとも。次の交替のときに女中に届けるよう頼んでおいてやるよ。手紙は俺が預かろう」
「本当ですか?ありがとうございます!」
 テスは胸に抱いていた手紙を渡すとき、男の手に銀貨を握らせた。
「必ずお返事くださるようにと書かれているそうですので、確かにお渡しくださいね。でないとぼくが奥様に叱られてしまいますから」
「わかっているさ。内密に、だろう」
 首尾よく手紙を預け、待っていたエドのところに戻ってきたテスは、彼を促して屋敷街を出た。
「……あれ、ちゃんと届けてもらえるの?」
 エドがこっそり訊くと、
「たぶん。ああいう門番や下働きの者たちは、普段から自分たち使用人同士や、勤め先の家人への付け文や贈り物を仲介することに慣れている。お互いに頼みあって持ちつ持たれつだから、まず渡さずに捨てたり中身を他に洩らすことはない。それをやったことがばれたら信用をなくして仲間内からもつまはじきにされるし、場合によっては仕事もクビになるからな」
 この世界にはまだ郵便制度や宅配便はなかった。運送業や、同業者同士、あるいは商売上のネットワークはあるようだが、個人と個人の間は自分で届けるか知り合いに託すか、個人的に運搬人を雇うしかない。もっとも、庶民がそのようなものを必要とすること自体めったにないのだろう。
「…訊いてもいいかい?手紙の相手って、君の……家族?」
「いや。だが、家族のようなものだ。ルキスの母はおれの乳母で、ルキスはおれにとって兄のようなものだ」
 やっぱり、とエドは思った。乳母がつくほどの家に、テスは生まれ育ったのだ。
「彼に、帰ってきたと知らせたんだ?」
「ああ。それから、中の手紙を渡してくれるようにと」
 昨夜テスが、封筒の中にまた封筒を入れたのを、エドも見ていた。
「その人に直接届けないの?」
「ルキス経由でないと無理だ。いくらなんでも右大臣相手に裏口から手紙はまわせない」
 エドは思わず足を止めてしまったが、我に返ってテスに追いついた。
「ルキスが秘書長──3年前はただの秘書だったんだがな──として仕えるあの家の主人、右大臣ファビウス・モスカーティ宛ての手紙だ」
 その夜遅く、彼らが泊まっている宿に使いがやって来て、「エドとテスという兄弟に」と手紙を置いていった。宿の者に呼ばれて取りに行ったエドは、部屋で待っていたテスにそれを渡した。
 封を剥がし、読み終えたテスは言った。
「明日、ここを引き払う。何日かモスカーティ家の世話になるだろう。お前には窮屈な思いをさせるが、すまない」
「俺は気にしないよ。君が納得するまでつきあうよ」
 手紙をサイドテーブルに置いて、テスは自分自身に向かって言った。
「できるだけ早く、一族の村に向かえるようにする」
 荷物をまとめ、馬を引いて向かったのは、昨日行った屋敷ではなく、サーランの中心部をはずれた、湖畔の港町だった。そこからはカーブを描いた湖岸に佇む王宮が、湖面に浮かんでいるように見えた。実際、一部の建物は湖の上に建てられていた。
 港には帆と何十本も櫂を備えた船から、公園の池にあるようなボートまで様々な舟が係留され、荷や人がひっきりなしに出入りして賑わっていた。その港を抜けて湖沿いに行くと、道が湖から離れるように曲がってしまう。そこから先は、瀟洒な邸宅が湖岸に連なる私有地で、入れなくなっているのだ。
 道なりに行くと家々の表玄関が湖側に並ぶ通りに出た。どうやらこの辺りは貴族の別邸が集まっている地区らしい。港とは対照的にひっそりとしたその通りを進み、ある別荘の前で足を止めたテスは、門の内側に立つ門番に話しかけた。
「ファビウス候にご招待いただいたものだが」
 彼は封筒からカードを取り出して渡した。門番はそれをさっと見ると、恭しく礼をして、
「承っております。どうぞお入りください」
 もう一人の門番が門を開けると、取り付けられていた鐘がカランカランと鳴り響いた。テスは馬の手綱を男に預けた。
 大理石の大きな鉢の中央に水が湧き出、溢れた水が小川となって流れる、強い日射しの中でも涼しげな庭を通って玄関にたどり着くと同時に、中から扉が開かれた。
「お待ちしておりました、エドワード様、テス様。こちらへどうぞ」
 まだ若い、30代くらいの生真面目そうな男が、深々とお辞儀をして彼らを迎えた。迎え入れられた内部の床はすべて大理石。白い漆喰の壁に大きな窓が特徴の開放的な造りで、エドは高級リゾートホテルに足を踏み入れてしまったような気がした。窓には湖が大きく広がり、廊下のそこかしこに美しい花が活けられ、彼らを先導する使用人の方が彼らよりもよほど高級そうな服を着ており、どうにも居心地が悪かった。これが「別荘」だというのだから、全く中の見えなかった「本宅」はどれほどのものだろう。さすがに王に次ぐ権力者だけのことはあった。
 邸内は彼ら以外いないように静まりかえっていたが、これだけの家を維持するのだから、他にも使用人がいるはずだが、部屋に入るまで誰も姿を見せなかった。
 男は彼らを部屋に案内した。客の滞在用らしいその部屋は、ダイニングと居間、寝室が2つついていた。
「着替えを用意しておきましたが、少々サイズが合わないようですので、すぐに揃えます。主は8マーレ半にこちらに到着する予定でございます。それまでおくつろぎください。軽いお食事をお持ち致します。湯浴みの用意も整っておりますが、側仕えは必要でしょうか?」
「いや、結構だ」
「では、御用の際はその鈴を鳴らしてお呼びください。扉の外にお世話する者が控えております。申し遅れましたが、私はこちらの屋敷を預かる執事のコルネリと申します。何なりとお申しつけください。それから…大変失礼とは存じますが、お腰の物をお預かりしてよろしいでしょうか?」
「…ああ」
 テスは長剣の鞘をベルトからはずし、コルネリに渡した。
「ついでに砥ぎに出してくれると助かる」
「承知いたしました。確かにお預かりいたします」
 彼は両手で捧げ持つように受け取って、退出した。
 コルネリが出て行くとテスは、寝室のクローゼットをのぞき、シャツを出した。
「エド、来いよ」
 テスは居間の湖側の、ガラス格子の引き戸を開け放し、テラス伝いに移動した。
 驚いたことにテラスは、屋根はあるが壁のない、広々としたバスルームに続いていた。ベージュのタイルの床には小さなプールかと見紛う浴槽が掘られ、青く見える湯でいっぱいに満たされている。浴槽の横には膝くらいの高さに貝の形のボウルがあり、その端から湯が浴槽に流れ落ち、ボウルには壁から突き出た管から湯が供給される仕組みになっている。
「すごい……」
 上下水道はもちろん、給湯設備も整った元の世界ならたいしたことではないが、この世界でこれだけの設備を維持し使用するとなると、どれだけの金と人手がかかるのか見当もつかない。
「ローディアの上下水道普及率はこの大陸で最も高い。というか、他国とは比較にならないほどだが、これほどの贅沢はそうそう経験できないぞ」
「そうだろうね……」
 エドはため息をついた。
「おれは風呂に入ってくるが、お前も入るだろう?」
「うん。き、君のあとでね」
 テスは苦笑した。
 居間に戻ったエドは、テスには見せなかったが、打ちのめされた表情でカウチに身を沈めた。
 テスからの連絡で、右大臣はすぐにこの別荘で彼を迎える準備をさせた。しかもふたりの質素な身なりを見ても使用人たちの態度は慇懃この上なかったということは、丁重にもてなすように命令が徹底されているということだ。それはテスが右大臣家の人間か、それと同格、あるいは上の人間だからとしか思えない。右大臣への手紙を家族宛てではないと否定したことを考えると、ここがテスの実家だとは考えにくい。テスの「逃げ出した」という口ぶりから察すると、お家騒動とか何かいざこざがあったように思われた。もしテスが家には帰ってきたことを知られたくなくて、一時的に身を寄せるとしたら、匿ってくれそうな親戚か……家来のところしか考えられない。親戚ならまだしも、もしかしたら……
 テスが身分の高い生まれだとは予想していた。だがもし、右大臣家の主君にあたるとしたら……?
(テスは……王家の人間なのか…?まさか、王子……?)
 だとしたら説明がつく。ローディア王重病の情報に蒼白になり、逃げ出したはずの祖国に戻ることを決心した理由。国の一大事と思ったというよりも(それだって、王家に近い人間だからだろうが)、父の病を心配したという方が自然だろう。
(そうじゃないかと、あのとき思ったんだ……。いくら母国の王が倒れたからといって、あんなに取り乱すはずないもんな。だけど責任感の強い彼のことだから、家や家族に影響があるかもしれないと心配したんだろうと無理に納得したんだ……)
 エドはローディアの政情などわからない。だからなぜテスが国を出なければならなかったのかもわからない。噂どおりならば──ローディアに入ってからは、自然に王家の話が人々の口にのぼるのを聞くことができた──王の病は今すぐ命に関わるというものではないらしいし、将来王位を継ぐのは正式に王太子と指名されている、正妃の子の第二王子だということは当然視されている。摂政に就いたことに若すぎるという意見もあったが、大臣たちがうまく補佐するだろうという見解で決着していた。たまに「第一王子がご健勝だったら、もっと安泰なのに」という声も聞いた。「妾妃のお母上によく似て、見目麗しくて聡明で、弟殿下ともとても仲睦まじかったのにねえ……」
 人々の話を聞く限りでは、王家内で争いや不穏な出来事があるようには思えない。ただ、王のこどもは妾腹も含めて2人きりだという。もしテスが王の血を引いているのならば、確かに騒動が起こる可能性はある。が、成人した正妃の血筋の第二王子が、しかも王位継承が確定している王子がいるのだから、余程のことがなければ大きな影響があるとは思えない。
(君が王子でもそうでなくても、俺の気持ちは変わらない。身分違いが問題でもない。ただ不安なのは……)
 テスは家に戻るつもりなのだろうか。「逃げ出したことに決着」がついたなら、彼はどうするのだろう。
「待たせたな、エド。お前も入って来い」
 テラスから、濡れた髪を拭きながらテスが入ってきた。借りた大人もののシャツを着ただけで、足元もはだしだった。丈が膝上まである分、肩は落ちて袖も2、3回折り返している。真っ白なシャツの下に彼の体の線や肌の色が淡く透けて見え、エドは慌てて目をそらした。
「置いてある服は少し小さいかもしれないが、ゆったりしたデザインのものなら大丈夫だ」
「ああ、ありがとう」
「そうだな……おれが選んでやろう」
 テスは進んで服を物色し、一揃いエドに渡した。
「上着は体が冷めてから着ればいい。とりあえずそれで大臣の前に出られる格好にはなる」
 久しぶりに体を伸ばしてゆっくりと、気兼ねなく湯と石鹸を使って体の隅々まで洗ったエドは、テスが選んだローディアの服を身につけてみた。
 衿の高い白いドレスシャツは、基本の型は町で人々が着ているものと同じだが、大きな違いは丈の長さだった。普通は股下くらいだが、これは膝が隠れるほど長い。その下に履くストレートパンツは、生成りの薄い地で、よく見れば同色の糸で裾に草花の刺繍が施されていた。靴は涼しげなサンダルである。本当はこれに革の太いベルトをシャツの上から巻き、ウェストまでの短いベストを着るのだが、まだ体が熱いのでだらしなくないようベルトだけ締めた。
 部屋に戻るとテスはいつもの服に着替えてしまっていた。残念のようなほっとしたような心持ちで、エドは彼の向かい側に座った。
 テーブルの上には、運ばれてきた果物や菓子、チーズにパン、お茶とジュースと果実酒が手つかずで置かれていた。
「食べないの、テス?」
「別に腹は空いていない。…喉は渇いたかな」
「何か飲む?」
「…それをもらえるか」
 エドはピッチャーから鮮やかな黄色のジュースをグラスに注いだ。それを飲み干して空のグラスを持ったまま、テスは物憂げに呟いた。
「お前は頭がいいから……だいたいのことは察しているんだろうな……」
 エドもジュースを飲んだ。
「お前には、何も隠さないと言いながら、まだ何も話していない……」
「…テス、話したくないことを話す必要なんてないんだ。隠しごとのすべてが悪いことだとは、俺は思わないよ」
「………」
 唇を噛みしめたテスの黒い瞳から、懊悩の色は消えることはなかった。
「……風に当たってくる」
 テスはテラスから庭に出て行った。庭木の間を縫い、湖の方へ歩いていく彼の背を、エドは見守ることしかできなかった。