今回はファンタジー、SF少女マンガの描き手としても、私が愛してやまない作家、今は亡き花郁悠紀子(かいゆきこ)さん。『雨柳堂シリーズ』の波津彬子さんは彼女の妹です。
妖精や魔法が出てくるファンタジーの描き手では、めるへんめーかーや中山星香(『妖精国の騎士』の前まで・・・『ファンタムーシュ』とか『はい、どうぞ!』みたいなのが好きなんだ・・・)も好きですが、その中でBL要素のあるのは彼女だけ。
1976年にデビューし、1980年にガンで亡くなったため活動期間は短く、コミックス10冊(1冊は波津さんのセレクトによる作品集なので、実質9冊)と作品数は少ないが、萌え作品は多い(笑)
『秋の時うつり』は10年も離れて暮らしていた兄と弟の「危険的兄弟愛」(爆)と、弟と馬の異種族間禁断愛(爆・爆)の話。多分『遠野物語』のオシラサマの話が念頭にあったんじゃないかな。ま、この話では兄の弟への愛の強さに(きゃ☆)、馬は弟をあきらめるのですが。
『幻の花恋』・・・これはですねー、一応オチは少年と少女の純愛話なのですが、裏にはBL話が隠されているのだ!
戦後間もない時代が舞台。山村に引っ越した司は、そこで鬼姫と呼ばれている美しくりりしい(笑)少女すずかと、彼女にそっくりな双子の弟夜叉と出会う。彼らは父親がアメリカ人だったため、村人たちから孤立し、ふたりきりで身を寄せ合って生きていた。すずかと司は互いに惹かれあうが、すずかは結核に冒されていた。司と、ふたりの恋を認めない夜叉は諍いを起こし、はずみで司は夜叉を滝に突き落としてしまう。彼が死んでしまったと思い込んだ司は、その罪の意識ですずかに会えないままでいるうち、母の死により東京へ戻ることになってしまった。出発の前夜、すずかが司に会いにくる。「私はもう行かねばならぬ。(この言葉で、司はすずかが自分の死を覚悟していることを知る)けれどかならずおまえに会いにゆく」そうしてすずかは司に口づけをして去っていく。20年後、司は夜叉の消息と、あの時すずかは既に死んでいて、会いに来たのは実は夜叉だったと気づく。
・・・この世にお互いだけを頼りに生きていた姉弟だから、弟は死んでしまった姉の代わりに姉の想いを伝えてやろうとしたと一応解釈されますが、しかし、なんでキスする必要があったんだ?!しかも、司からしたならともかく、夜叉の方から!!もちろん彼は姉を愛していたので(この辺もけっこー危険的姉弟愛v)姉をとられそうになって司に突っかかったりしたが、偏見にとらわれず「鬼なら鬼でもいい。すずかが好きだ」と言う司に、彼もまた惹かれていたのでは?自分が姉だったなら、自分が司に愛されたのかもしれない、という思いもあったのではないか、というのが私の解釈です。
次に具体的に何かあるわけではないが、全編耽美な雰囲気の漂う『カルキのくる日』。事の発端は、弟のダナエが父ラムファードに犯されたことを知った異母兄のジュノーが父を殺そうとし、銃の暴発で死んだことだった。彼の代わりに父と、そして自分を含めて父の血を引く者すべてを滅ぼすことを決意した、ダナエの復讐劇。
その舞台であるラムファードの城へ、刑事のステファンが、ラムファードと結婚した直後に死んだ恋人ディアナの死の真相を求めてやって来て、それに巻き込まれる。ダナエがステファンに急速に惹かれた(勝手に決めつけてる・・・が、そうとしか思えん)理由は、きっと呪われた血と運命を受け継ぐ自分とは全く違う明るさ、健全さ、未来と同時に、無意識に彼が自分のやろうとしていることに気づいて、止めてくれることを願っていたからだろう。
城の夜の中庭で、「この花(蓮)は朝にしか咲かない。ぼくには見られない」と言うダナエに、ステファンはなぜ、と問う。「蓮は聖なる花です。ぼくには見られない」と答え、ダナエは彼にすがりつく。(このすぐあとのコマが、離れて背を向けるダナエとそれを横目に見るステファンという構図なのだが、ほんとはステファンがどういう反応をしたのか、体を離すときのダナエの表情とかのコマがあったら良いのですが!この作品全体展開が早いし、コマもキツキツに詰め込んでいて、明らかにページ足りなくて省いているのが惜しい!!)
口論して出ていけ、とダナエはステファンに怒鳴るが、去ろうとした彼にダナエは一転「行かないでください!」と叫ぶシーンとか。ダナエが父や姉妹を殺したことを知ったステファンに「あなたと一緒に、ここを出て行きたかった・・・」と告げ、城もろとも自殺するシーンとか!
どろどろした設定、人間関係にも関わらず、西洋と東洋の融合したモチーフ使いと繊細で美しい絵とがあいまって、とても耽美でミステリアスな雰囲気の作品。
『不死の花』・・・能のシテ方の家に生まれた主人公が、次に舞う作品「藤」の舞台を訪ねる旅で見た過去の物語。世阿弥に命を救われた申楽一座の侍童、藤若(世阿弥が自分の名を与えた)の、世阿弥への一途なプラトニックラブ(と書くと軽くなってしまうのですが!)がたまりません。ワタクシ、結構おっさん×美少年、好きです
おっさん×美少年で思い出した。このカップリングの私にとっての最高傑作は、上杉可南子の『魚鱗』(多分・・・)という作品。後に彼女が描く鬼夜叉──言わずと知れた世阿弥──ではないかと思われる美童に惚れた初老の武士が、一夜だけでもと望むが、すでに身分高い方(やっぱ足利義満でしょう!)の寵愛を受ける身であるのに、お前のような者など相手にするわけがない、と少年の従者たちに嘲られる。それでも彼のあとを追い、山中の小屋で夜を明かしていた男のもとに、その童が現れる。少年は「私はお前が想っているその小姓ではない」と否定し、男と契りを交わす。翌朝出て行った童を見送り、男は「私のためを思って身を偽ってくださったが、私にはもう思い残すことはない」と自害する、という話。ひえーっ、胸きゅんですな!(初期の上杉さんは日本の古典文学とか能とかを題材にして、和テイストの美しい、実に雅で色っぽい雰囲気の作品を描かれる方で(世阿弥の少年時代の話『飛花落葉』では、魔性の美少年っぷりがしんぼうたまらん!)、大好きな作家さんだったのですが、途中からレディコミに移って作風が変わってしまったのが残念です・・・)世阿弥は義満の稚児だったという史実があるので、腐女子には格好の妄想材料。木原敏江の『夢幻花伝』にはしっかりHシーンもありますv・・・でも、ちゃんと少女マンガなので、世阿弥(藤若)は幼なじみの少女と最後まで相思相愛ですが。
『平家物語』の『敦盛』も私のツボなおっさん×美少年話ですが、古典の教科書でこれを読んだときは、「教科書にこんなホモを載せていいのか?!」と思いました。もちろん直接的なBLシーンはないけど、男と男の恋とゆーか、おっさんの純愛だよねぇ?
さらに古典といえば『源氏物語』。これも教科書で、確か須磨の話だったと思うけど、突然の雨に源氏が神に嵐を治めてくれるよう祈る場面で、源氏の手が白くて女のように美しい、と男たちが見蕩れるという描写があり(あれ?これ、私の頭の中の妄想?源氏の原本も翻訳本も持ってないので確認できません・・・)、「源氏の従者にはホモしかおらんのか・・・?それとも源氏が魔性の受けなのか?」と思ったっけ。日本の古典文学は楽しいな・・・。(←腐女子限定)
話がすっかり横道に逸れてしまいましたが、花郁さんのここで取り上げなかった作品でも、性がなかったり(『フェネラ』)、女性が男装していたり(「男装は萌えねー」とか言っていた私でも、最後がどーしても男と男がフォーマル着てワルツ踊っているようにしか見えない『踊って死神さん』。ネタ明かしのドレス姿こそ、実は女装だったというオチはないのか・・・?)、みなどこかしら腐女子の感性を刺激します。特に彼女の描かれる東洋系美青年は絶品です本当に、もっとたくさん作品を読みたかった・・・。
作品データ(幸田所有本データ)
『魚鱗』 上杉可南子 1988年 小学館 プチフラワー4月号
(『うすげしょう』 1988年 初版 小学館 プチフラワーコミックス)
『飛花落葉』 上杉可南子 1988年 小学館 プチフラワー8月号
(『飛天の舞』 1990年 初版 小学館 プチフラワーコミックス)
『夢幻花伝』 木原敏江 1979年 白泉社 LaLa9・10月号
(『夢幻花伝』 1980年 初版 白泉社 花とゆめコミックス)
以下、すべて花郁悠紀子(秋田書店 プリンセスコミックス)
『秋の時うつり』 1976年 秋田書店 ビバ・プリンセス秋季号
(『四季つづり』 1979年 初版)
『幻の花恋』 1977年 秋田書店 ビバ・プリンセス春季号
『不死の花』 1979年 秋田書店 プリンセス8月号
(『幻の花恋』 1981年 初版)
『フェネラ』 1977年 秋田書店 プリンセス7~9月号
(『フェネラ』 1977年 初版)
『カルキのくる日』 1978年 秋田書店 プリンセス11~12月号
(『カルキのくる日』 1981年 初版)
『踊って死神さん』 1979年 秋田書店 ボニータ秋季号
(『踊って死神さん』 1981年 初版)
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