今から35年くらい前のことです。沖縄県に沖縄海洋博覧会というイベントがありました。当時若く、人気のありましたコーチャンは添乗員として新潟から観光ツアーで引率しました。
新潟から新幹線、羽田から那覇へフライト、
博覧会場観光,島内観光名所観光の後、帰路につこうとしたら国鉄ストに遭遇。羽田からの足がありません。新潟から羽田までバスを手配し、夜中に無事帰るという経験をしました。
他にも地震で列車が止まり、帰路が大幅に遅れて大変だったこと。
観光バスのファンベルトが山道で切れ、立ち往生、新潟から救援のバスが到着するまで5時間の足止め。
2階建バスの乗客の人数確認を誤り一人を乗せずに出発。1時間後気がつき引き返すハプニング。
昼食手配先に到着するとまだ先客の食事が終わっておらず、バスで待たされた事件、飛行機の中で乗客が持病の心臓病で死亡する事件、
バスの先導車として片道300キロを一人で往復するハードな添乗。
いまではおもいだすことも少ないですがいろいろあったナア。と懐かしく思い出す
こともあります。
新潟から新幹線、羽田から那覇へフライト、
博覧会場観光,島内観光名所観光の後、帰路につこうとしたら国鉄ストに遭遇。羽田からの足がありません。新潟から羽田までバスを手配し、夜中に無事帰るという経験をしました。
他にも地震で列車が止まり、帰路が大幅に遅れて大変だったこと。
観光バスのファンベルトが山道で切れ、立ち往生、新潟から救援のバスが到着するまで5時間の足止め。
2階建バスの乗客の人数確認を誤り一人を乗せずに出発。1時間後気がつき引き返すハプニング。
昼食手配先に到着するとまだ先客の食事が終わっておらず、バスで待たされた事件、飛行機の中で乗客が持病の心臓病で死亡する事件、
バスの先導車として片道300キロを一人で往復するハードな添乗。
いまではおもいだすことも少ないですがいろいろあったナア。と懐かしく思い出す
こともあります。