しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

何度言っても

2014年03月20日 | Weblog
諦めの境地と言うか、何度言っても変わらない。その思いでまたも終わってしまった。

現場の実態を知らぬ人が会を運営している。
主催者が一人も会場に現れぬ。市会議員を交えた意見交換会でも指摘された担当者の不在、責任者の不在がここでもあった。
コミ協の責任者ばかりを集めた重要なワークショップだった筈だ。

決まった事を審議する場として自治協が位置づけられている。議会で決まった事、審議中といっても方向性の修正を図れない事案ばかりを
お知らせする場ばかりのコミ協役員を集めた会議。そこでお知らせして形ばかりの「審議と承認」を図り、市民代表のお墨付きを得たとしたい行政の手法は少しも変っていない。

「議案の骨子が出来る段階での自治協委員の参画、予算審議がなければ何の意味もない」
いくらこんな会議をやっても時間の無駄だ。7年前と何ら変わっていない。コミ協を作る以前の「連合自治会」時代の方がよほど
やりがいがあった。

普段地域活動をしない大学の寄せ集めがコミ協意見をまとめた本を出したが、あれは全くの無駄使いだった。
憤懣沸騰、「人材不足」「拠点不足」「資金不足」の問題が全く理解されていない。
コミ協の規模、体制、活動資金、全くまちまちである。

そもそもコミ協の定義、組織、位置づけが定義されていない。行政との協同など全く絵に描いた餅だ。地域コミ協の人材不足は深刻だ。
年間100件を超える会議案内がコミ協会長に届くが対応するコミ協には人材がいない。昼間の会議に出れる役員は限られる。
同じ役員ばかり出る。その役員が担当するとは限らない。人材がいないからしかたなく極く限られたメンバーに過度な負担がゆく。
行政は実態を知らないまま過度な負担をコミ協に求めている。

これではコミ協は「赤字注文を大量発注受けた中小企業の社長の悲哀を味わうだけだ」「赤字倒産しかない」
体力のあるコミ協と同じ発想で多くの零細コミ協に過度の要求はやめてもらいたい。
協同課という名前が体をなしていない。実に辛辣な意見が続いた。

あんたたちは報酬をもらってここで会を取り仕切っている。呼ばれた我々は皆「無償ボランテイアの面々だ」
「毎日が活動日だが、人材不足、過度な要請に疲れ果てている」「後継者が出てこない」「高齢化が進む」
潤沢な資金、機材、拠点が提供されてこそ、展望も開ける。

そこが何ら改善されないままこんな会議ばかり延々と続けても
何の進歩も無い。

多くのコミ協会長の怒りの声、体を震わせた悲痛な声が随所で上がった。
又も、最後の締めの言葉は人事異動で動く担当課長のとりなしの言葉だった。
「お声は引き継ぎます」と。

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